Masuk幼い頃、妹を奪った鬼女との数十年ぶりの再会。ただ封じるには問題があって……。 玉に鬼を封じる力を持つ青年と、彼に仕える鬼のお話です。 ※イラストは秋芳つぐみさんに頂きました。
Lihat lebih banyak―序―
存外簡単に手折れた事に、女は呆けた様子で手元を眺める。
先程まで 二月二日にみんなですえた、
空には
“遊びをせんとや
女はそう呟きながら、カラカラと
遊ブ子供ノ声聞ケバ
我ガ身サヘコソユルガルレ――。***
六畳一間のおんぼろアパートに射し恵む清々しい朝日。
カーテンの隙間を縫うように、一条の光が部屋を分断している。 こたつの上の包みを照らした陽光は、そのまま突き当たりの壁に貼り付けられた沢山の写真へと伸びゆく。 飾られているのは、今にもそこから被写体の笑いさんざめく声が聞こえてきそうな、そんな写真ばかり。 驚いた事にそれらのどれにも幼児達にほぼ同化した雰囲気で短髪の男が一人。砂場遊びの場面にも、滑り台ではしゃぐ構図にも。時には幼子達同様泥まみれになっていたり、または画面のほんの隅っこの方で彼らを見守る、穏やかな笑みを湛えた保護者だったり。「
朝の光を目一杯室内に取り入れながら、長身の男が問いかける。
「……ごめん。忘れてた……」
彼には帝太郎から返ってくる言葉が予め分かっていたのか、それ以上は追及せず、代わりに小さく溜め息をひとつ。
それから窓を背に振り返ると、ふと目を細めてこたつの上を見遣る。「……ところでお前、弁当忘れてねぇか?」
「あ」
丁度靴を履いたところで投げかけられた声に、いけない、いけないと繰り返しながら四つん這いで畳の上を移動する帝太郎。
スーツにネクタイというフォーマルスタイルなのに、スラックスの膝の部分が擦れて光ってしまうとか、そういう事には全く頓着しないタイプらしい。
玄関先には黒のロングコートが無造作に投げ出されていた。丈の長いそれを羽織る前だったのは幸いだったかも知れない。どうやら壁の写真に写っている人物は帝太郎のようだ。
あれは雪のちらつく、底冷えのする日の事だった。 師走の中頃。確か日付は十二日。 帝太郎、二十歳の誕生日だ。 通帳、洋服、わずかばかりの食料……。 とにかく自分が大事だと思う物を持てる限り引っつかんで家を出たのが十八の時。 こう書くとまるで家出のようだが、実際のところ両親は帝太郎が家を出る事を了承してくれていた。 お前がやりたいようにやればいい。それは父のセリフであり、困った事があったらいつでも言うのよ、と言ってくれたのは母だった。 我侭を言って家を出たという気持ちが強かったから、なるべく両親を頼るような事はすまい。 帝太郎はそう心に決めて実家を後にしたのだ――。 首から下げた巾着袋に入った玉も、その時持ち出した物の一つだった。 こんな玉、本当は置いて行こうかとも考えた。持っていたって実用性があるようには思えなかったし、何よりお金になりそうにない。 しかし、両親が「これだけは――」。そう言って持たせたがった唯一の品だったから。(そう言えばこの玉、いつから持ってるんだっけ……?) 考えてみると、物心つく前から身につけている。それが無い事を思うと何故だか寂しいと感じてしまう程に。 右も左も分からず、殆ど手探り状態で始めた一人暮らし。 不動産屋には兎に角安いトコ! そう言って格安の物件を紹介してもらった。 無論、未成年である帝太郎に賃貸契約を結ぶ事は出来ないわけで、出て早々で情けなくはあったが、恥を忍んで両親に頼る羽目になってしまった。住まいがなくてはどうしようもなかったからだ。 とは言え、両親からの仕送りがあるわけでなし、一難去ってまた一難……と言った具合に、一人暮らしの道のりはかなり険しいものだった。 帝太郎はとりあえずレンタルビデオショップとコンビニのバイト……なんていう二足のわらじで家計を賄った。幸い丈夫だけは取り柄だったから、朝から晩まで殆ど無休状態で働いても何とか頑張れた。 それでも毎月家賃に三万円取られてしまうのは、バイトの身には結構堪えたものだ。 生活が苦しくなって一番削りやすいのは矢張り食費。一時期、帝太郎はいつも腹ペコ状態だった事がある。 だが不思議な事に、極限に達するまでにはどこか頼りなげに見える雰囲気のお陰か、誰かが何かをご馳走してくれた。 大抵の場合、それは同年代の女の子達で、母性本能をく
「玉ちゃん、弁当拾って? お尻痛い……」 眉根を寄せて弁当を指差してから、思い出したように腕時計に視線を落とす。「……っと、そろそろ出かけなきゃ。早く行かなきゃ今日もまた遅刻しちゃう」 出掛けに色々あったので、いつもよりも出発が遅くなったみたいだ。 胸の辺りをポンポンと叩きながら上目遣いに玉郎を見遣る。「俺さー、そんなか窮屈で嫌いなんだよ。なあ、どうしても入んねぇとダメ?」 帝太郎に請われるまま、弁当を拾い上げながら、玉郎が心底嫌そうにそう吐き捨てる。「もちろん!」 そんな彼に容赦なく頷いてみせると、帝太郎は首に下げたお守り大の赤い巾着袋から、丸いものを取り出した。 それは丁度ビー玉ぐらいの大きさをした一つの玉で――。 色は一言では表現し難い。 光の加減によって青にも赤にも……いや、その他のありとあらゆる様々な色に変化を重ねる、一時として同じ様相を呈さない不思議な球体。 少々語弊がありそうだが、「虹色の玉」と称するのが最も妥当な線ではなかろうか。「玉封じの鬼って普通主人が呼び出さない限りはこの中に居るモンなんだよね〜? 玉ちゃん、さっきの口振りからするとマトモなお役目に戻りたそうだったしぃ〜」 殊更「マトモ」という件を強調してニヤリと微笑う。 先刻玉郎が告げた言葉を逆手にとって、してやったりと言わんばかりの表情だ。「それにさ、玉ちゃんがそのまんまだとバス料金、二人分取られちゃうんだもん」「……ほざけ」 不満たらたらな玉郎ではあるが、今日はとあるイベントの事もあるし、大人しくしておいた方が無難かな?と考える。「初めて来る子達はどんな感じかなぁ〜」 溜め息をつく玉郎とは対照的に、まるで恋人の事にでも思いを馳せるかのように夢見心地な面貌で呟く帝太郎。 二人の視線は自然と壁の写真へ向いていた。「玉ちゃん、今日もカメラマンよろしくね♪」 帝太郎、実はこの近くの建物をテナントとして借り受け、託児所を開設していたりする。 仕事柄、カメラは必須アイテムだ。 経営者たる帝太郎にとっては、言わば毎日が子供パラダイス。 趣味と実益を兼ねた職業とはよく言ったもので。「……ロリコン……」 いつになく感情のこもった帝太郎のにやけ振りに、思わず口の滑ってしまった
「靴脱げ! 誰が掃除すると思ってんだ!?」「玉ちゃん♪」 そう言ってこたつの上の弁当をくわえると、いざるように後退を始める帝太郎。 いつもこんな風に彼の膝にこすられているからか、畳はあちこちが擦り切れて部屋の古くささに拍車をかけている。 スーツ姿でばっちり決めている風なのに、所々寝癖がついたままの髪。四つん這いになったせいで、ネクタイも少し曲がっている。 帝太郎を見ていると、身の回りに春風をまとっているような、のほほんとした印象を受ける。整った顔をしているくせにどこか憎めない、眠たげな瞳のせいだろう。「……玉郎! 名付け親だからってコロコロ呼び方変えんな」 玉郎と名乗った男は、言うが早いか大股で帝太郎のところまで歩み寄ると、彼の襟首を荒々しく掴んで子猫でも扱うように眼前へ引き上げた。 その動きにあわせたように、一八〇センチ近い長身の背を、艶やかな銀髪が滑り落ちる。 和の出で立ちにエプロンというどこかアンバランスな組合せで、無言のまま帝太郎を睨め付ける。 和装なら割烹着だろ?と言いたいところだが、そんな事を言わせない迫力が、今の彼にはあった。 乱れた髪が顔にかかるのもお構いなしで帝太郎を見据える。 玉郎に比べれば、帝太郎の身長は五センチばかり低いのだが、それにしたって体重は優に六〇キロを超えている。その彼を易々と――しかも片手で――自らの目の高さまで引き上げられる玉郎の膂力たるや相当なものだ。ある意味人間離れしている。 着物――長着――の袂は家事の邪魔にならないようたすき掛けにされているので、力の込められた腕には女性なら誰もが縋り付きたくなるような、均整の取れた逞しい筋肉が見て取れる。 この男、ぱっと見は決してマッチョ系ではないので、案外着痩せするタイプなのかも知れない。 玉郎にあんまり突然持ち上げられたので、思わずくわえた弁当包みを放してしまった帝太郎である。 床に転がった弁当も気になるが、それよりも息苦しさが勝る。喉を締め付ける襟に手をやると、喘鳴混じりの掠れ声で「玉ぢゃんっでば心狭ぁ〜い」 それでも間延びした口調でそう抗議出来たのだから大したものだ。「……玉郎!」 低く抑え
―序― 存外簡単に手折れた事に、女は呆けた様子で手元を眺める。 先程まで烏が鳴くような、猫が鳴くような、何とも五月蝿い音が聞こえていたはずなのに、今は嘘のようにしん……と静まり返っている。 二月二日にみんなですえた、臍の灸が効かなかったのは何故だろう? 毎月一日には必ず服用していた朔日丸なる薬もいかさまだった……。 出来てしまってから試したけれど、鬼灯も効きゃしなかったし……。 水銀は……怖くて飲めなかったねぇ……。 でもさ、大丈夫……。 ほら、この通り証拠は隠滅出来たじゃないか……。 空には朧に霞んだ下弦の月。 冬の立ち枯れた木々の伸ばす枝が、人間の骨ばった手の如き影を広げて頼りない月光を遮る。 そんな、闇に融け掛けた空間の中で、女がにぃ……と哂う、その赤い口元だけが妙にはっきりと浮かび上がった。 昼の明かりのもとで見たならば、さぞかし妖艶な笑みであっただろう。 美しい女であるが故に、そのどこか狂気に満ちた表情が一層不気味に見える。 白い襦袢をどす黒い朱に染めて月を見上げる女の手には、今まさに生み落とされたばかりの赤子が握られていた。 片手を女に持たれ、人形のようにゆらゆらと揺れるその乳飲み子は、首をあらぬ方向にだらりと折れ曲がらせて、虚ろな面差しで母を見上げる。 赤子の腹には、まだ臍の緒がぶら下がっていた。“遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ” 女はそう呟きながら、カラカラと哂う。 ひとしきり哂ってから、思い出したように、今、己の手でくびり殺したばかりの赤子を愛しそうに抱きしめる。そうしてそのまま闇の中をふらりふらりと彷徨い始めた――。 遊ブ子供ノ声聞ケバ 我ガ身サヘコソユルガルレ――。*** 六畳一間のおんぼろアパートに射し恵む清々しい朝日。 カーテンの隙間を縫うように、一条の光が部屋を分断している。 こたつの上の包みを照らした陽光は、そのまま突き当たりの壁に貼り付けられた沢山の写真へと伸びゆく。 飾られているのは、今