来世では、二度と出会わぬように のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

10 チャプター

第1話

肺がんの末期。私、白石一花(しらいし いちか)は最後となった誕生日に息を引き取った。厳冬のさなか、大きな牡丹雪が空からひらひらと舞い落ちる。私は冬が好きだ。そして、この季節に永眠できることを、どこか幸運だとも思っている。人生の最期の瞬間。頭に降り積もる雪を見つめながら、私はようやく、佐藤時安(さとう ときやす)と「白髪を共にする」という願いを叶えたような気がした。私の方へと駆け寄ってくる時安を視界に捉え、私は微かに唇を動かした。「さようなら」来世では、あなたに出会わないように。そして、あなたを愛したりしないように。……静まり返った家に取り残され、時安が元カノの成瀬乃愛(なるせ のあ)にかかりきりで、正月だというのに私の元へ戻ってこないのがこれで何度目か、もう数えることさえ止めてしまった。たとえ私たちが肌を寄せ合い、どれほど甘く切ない時間を過ごしていようとも、乃愛から電話一本あれば、彼は迷うことなく私を振り切って彼女の元へ駆けつけてしまう。そのたびに彼が口にする理由は、「彼女が怖がっているから」あるいは「彼女は一人きりだから」というものだった。でも、彼は忘れている。私だって一人なのだし、一人きりで家にいる夜を、心底恐れているということを。「いつになったら、私だけを見てくれるの?時安」テレビで毎年恒例の新春スペシャル番組が放送されていた。画面から溢れ出す華やかな笑い声は、今の私にはあまりに空々しく、自分だけが不協和音のようにそこから浮き上がっているのを感じた。まるで、私を取り巻くこの空間ごと、世界から置き去りにされてしまったかのようだった。そう思った瞬間、肺を引きちぎらんばかりの激しい咳が込み上げてきた。あまりの勢いに、このまま内臓を吐き出してしまうのではないかという錯覚さえ覚えた。だが、私はそれをただの風邪か何かだと思い込み、大して気に留めることもなかった。テレビに没頭していたせいか、あるいは彼の足音がそれほどに静かだったのか。不意に隣のソファが沈み込むのを感じ、気づけば時安が私を後ろから抱き寄せていた。彼は幾度となく口づけを強請るように顔を寄せてきていた。首筋の敏感なところに熱い吐息が吹きかかる。私は体の不調を理由に、彼を拒んだ。甘い情熱を湛えていたはずの彼の瞳が、一瞬にして凶暴なまでの険しさを帯びた。隠そ
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第2話

ベッドから這い出し、パジャマを整えてから、私は電話の向こうの言葉を静かに待った。沈黙に耐えかねて問い返そうとしたその時、恩美から一枚の写真が送られてきた。それはニュースサイトのスクリーンショットだった。そこには、密会中のキス写真を撮られたことで、交際を正式に発表した時安の姿があった。皮肉なものだわ。彼女であるはずの私本人が、その事実を全く知らされていなかったなんて。しかも、公式に発表された「恋人」の女性には見覚えがあった。時安が「ただの妹だ」と言い張っていた乃愛だった。恋人が世間に向けて交際宣言をした。けれど、彼女であるはずの私は、何一つ知らされていない。なら、私は彼の何だっていうの?「時安は一体どういうつもりなの?二股じゃない……」裏切られた当本人である私よりも、恩美の方が激昂していた。対照的に、私はただ静かに「……そうね。その通りだわ」とだけ返した。ネット上は瞬く間に時安の熱愛一色に染まり、その勢いは猛烈な嵐のように、あらゆるSNSのトレンドやニュースサイトを独占していった。#佐藤時安 彼女#佐藤時安の恋人は期待の新星・成瀬乃愛#成瀬乃愛#佐藤時安#佐藤時安 成瀬乃愛 カップル電話を切ると、私は時安のメッセージ画面を開いた。【説明して。どうして私の彼氏が交際宣言したのを、私が知らないの?私はあなたたちの茶番のエキストラにでもされたのかしら】返信はすぐに届いた。【昨日、乃愛が飲みすぎて俺に誤ってキスをしてしまった。それをパパラッチに撮られたんだ。彼女は今が大事な時期の芸能人だ。あんな写真が出れば、彼女のキャリアは終わってしまう。安心して。必ず君にはケジメをつけるから】【その腐りきった脳みそ、いっそどこか地の果てにでも捨てて、少しはまともな神経に取り替えてきたらどう?単細胞のくせに、二兎を追うような欲深さだけは人一倍なんて、本当に救いようがないわ。別れましょう。あなたに捧げた五年間は、手切れ金代わりにでもしてちょうだい】彼が逆上して喚き散らす隙さえ与えぬよう、畳みかけるように別れを突きつけた。すぐさまLINEをブロックし、電話番号も着信拒否に放り込んだ。それだけでは飽き足らず、万が一を考えてSIMカードまで新調し、彼との繋がりを根こそぎ断ち切った。一方的に絶縁を済ませた後、私は彼に買い与えられたマン
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第3話

自分から別れを告げた。彼らが「真実の愛」を全うするための場所を空けて、私は潔く身を引いた。この五年間は、悪い夢でも見ていただけ。ただ、それだけのことだ。新しくした番号を恩美に伝えると、彼女は電話越しに憤慨しながら私を慰めようとした。「寝取られるなんて、その男に甲斐性がないだけよ。でも、番号まで変えちゃうなんて……そこまでしなくてもよかったじゃない!」私は力なく笑い、電車の窓に頭を預けた。流れていく景色を眺めながら、私は静かに問いかけた。「ねえ、恩美、知ってる?」「え?何を?」「私、本当に時安のことが好きだった。でも、彼が愛しているのは乃愛なんだって、ずっと前から気づいてたの。本人は死んでも認めようとしなかったけれど、若い頃からずっと想い続けてきた相手を、単なる好奇心や一時の迷いだけであんなに特別扱いするはずがないもの。五年間、必死に関係を繋ぎ止めようとしていたのは私だけ。彼は私のことなんて見ていなかった。ただの、情欲を処理するための『捌け口』が必要だっただけなのよ」淡々とこれまでの日々を振り返る。かつては、彼も確かに私を愛してくれていた時期があったのかもしれない。ふとした瞬間に意識が朦朧とし、心の奥底に押し込めていた無力感が、今にも決壊して溢れ出しそうになった。私はスマホを強く握りしめ、揺らぎそうな心を無理やり奮い立たせた。「だから恩美、別れを告げたの。彼を解放して、私自身も自由にするために。私はもう二十八歳。公表するだの、結婚するだのといった不毛な押し問答に浪費するエネルギーは、もう一滴も残っていないわ。日陰の女として生き続けるなんて、もう真っ平。私に必要なのは安らぎで、彼が必要としていたのは単なる性欲だった。それだけのことよ」恩美は、傍目には華やかで順風満帆に見えた私たちの関係が、実際はこれほどまでに修復不能なほど崩壊していたことに衝撃を受けたようだった。彼女は動揺を隠せないまま途切れ途切れに問いかけた。「……それで、これからどうするの?」「海を見に行こうと思っているの。子供の頃からずっと行きたかった。ようやく、そのチャンスが巡ってきた。うまくいけば、そこで新しい誰かと、新しい生活を始めたいな」私は喪失感を抱えながらも、重い溜息とともに、これまでのすべてを吐き出した。恩美は私の決断を支持し、良い旅に
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第4話

二十三歳。若いだろうとは予想していたが、そのあまりの若さに私は正直、驚いた。まさか、これほどまでだとは思わなかったのだ。「二十三歳でガイドなんて。卒業してすぐ仕事?凄いじゃない。私があなたくらいの頃なんて、まだ自分の将来さえ見えずにフラフラしていたっていうのに」「いえ、母の手伝いをしているだけですから」私は考え深げに頷いた。民宿を切り盛りする傍ら、専属ガイドのサービスまで展開しているとは。颯太の母親は、相当なやり手に違いない。「よし、出発!民宿へ戻りましょう」彼の運転は驚くほど穏やかで、その丁寧なハンドル捌きからは確かな技術が伺えた。ほどなくして民宿に到着すると、彼は少し気恥ずかしそうに、スマートフォンのLINEのQRコードを差し出してきた。「あの……もしよろしければ、LINEを交換していただけませんか?明日の連絡も、その方がスムーズだと思いますので」「ええ、いいわよ」快諾して友だち追加を済ませると、私はその場で手早く名前を書き換えた。「すぐ顔が赤くなる子犬系ガイド君」。彼は夏の陽射しさえ霞んでしまうほど眩しい、屈託のない笑顔を見せた。早く休むようにと私を気遣い、最後に「良い夢を」と言い残して、彼は軽やかな足取りで去っていった。二階にある自室のドアを開けた瞬間、階下から彼の元気な声が響いた。「一花さん!明日、迎えに来ますから!」「分かった」可愛いな、と思わず独り言が漏れた。昔、恩美が「男を可愛いと思い始めたら、それが恋の始まりよ」なんて言っていたのを思い出す。当時は鼻で笑っていたけれど、今回はようやくその言葉の真意が身に染みて分かった気がした。六月の海辺の街は、朝ならまだそれほど暑くない。翌朝、一階に降りると、そこにはもう新しい装いの颯太が待っていた。爽やかなブルーのボタニカル柄のシャツに、白いハーフパンツ。溢れんばかりの少年性が彼をいっそう輝かせて見える。朝日を真正面から浴びて、彼がふわりと口角を上げた。その笑顔は冬の凍てつく氷を溶かす陽だまりのように温かく、見る者の心を一瞬で奪ってしまうほどに眩しかった。「一花さん、その白いワンピース、すごく似合っています。まるで……」顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる彼を、私は首を傾げて少しだけからかった。「まるで何?」「……『高嶺の花』というか。手が届かない、綺麗
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第5話

私は彼の問いには答えず、くすくすと力なく笑った。「そこまで私のことを心配してくれるなんて……もしかしてあなた、私に惚れちゃった?ゴホッ、ゴホッゴホッ……」「一花さん、ふざけないでください!今はそんな冗談を言っている場合じゃないでしょう!」彼はむっとしたふりをして、ムキになって私をたしなめた。「分かったわよ。ただの気晴らし。少し、羽根を伸ばしたかっただけだから」私は正直に答えた。翌日、検査の結果が出た。颯太が民宿の帳簿整理を手伝うために一度戻り、私は一人、病棟の廊下を歩いて診察室へと向かった。渡された診断書には、冷徹な文字が並んでいた。【小細胞肺がん、末期】その診断書は、私の世界を粉々に砕く青天の霹靂だった。指先から力が抜け、診断書がひらひらと床に舞い落ちる。激しい眩暈に襲われ、私は耐えきれずにその場に膝から崩れ落ちた。道理で体重が減り続けるわけだ。理由のない咳、そして時折混じる血の理由を、今さら突きつけられた。差し伸べられた医師の手を、私は怯えるような眼差しで見上げた。「……私はあと、どのくらい生きられるんですか?」医師は困惑した表情を浮かべながらも、努めて穏やかな声で気休めを口にする。「適切な治療を続ければ、完治の可能性がゼロというわけではありません。今の医療は進歩していますから。まずはご家族に連絡して、支えてもらいましょう」「家族なんていません。両親はとうの昔に死にました。それに、治療費なんて払えません」私は目尻に滲んだ涙を指先で拭い、傍らの椅子を支えに、どうにか立ち上がった。魂が抜けたような心地で診断書を拾い上げると、自嘲気味に乾いた笑いを漏らした。化学療法を受ける金なんてない。時安と過ごした歳月を振り返り、私は今さらながら思い知らされる。結局、手元には何も残っていなかったのだ。彼のために人脈を広げようと奔走し、貯金を使い果たし、自尊心さえも切り売りしてきたというのに。それほどまでに尽くした結果が、欠片ほどの真心さえ得られない「身代わり」としての結末だった。私は荷物をまとめ、逃げるように病院を後にした。民宿に戻り、誰にも告げずにこの街を去るつもりだったが、運悪く入り口で颯太と鉢合わせしてしまった。「病院にいたんじゃなかったんですか?どうして戻ってきたんですか、検査結果は……」彼は焦燥しきった様子で、私の腕を強
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第6話

「……あなたには、関係ないわ」また呼吸が苦しくなってきた。激昂したせいで胸が締め付けられ、こらえきれずに咳が漏れる。私は何でもないふりをして、必死に乱れる呼吸を整えた。時安が私の手首を強く掴んだ。だが、その瞬間に私の異変に気づいたのか、彼の声がわずかに震え、急に軟化した。「……一花、どうしてこんなに痩せたんだ。また、まともに食べていないんだろう」これ以上、彼と関わるつもりはない。「離して。乃愛のことが好きなら、さっさと追いかければいいじゃない。まさか私がいなくなって、今さら未練でも湧いてきた?悪いけど、焼けぼっくいに火をつけるつもりなんて毛頭ないわ。私たちはもう終わったのよ、時安。公式に発表したんでしょう?精一杯、祝福してあげる」「ふざけるな!デタラメを抜かすな!俺は別れるなんて一言も認めていない!」私の言葉が再び彼の逆鱗に触れた。側で見守っていた颯太が私の不調を察し、時安の手を無理やり引き剥がそうとする。だが、時安は彼を射貫くような鋭い視線で威嚇し、低く地を這うような声で釘を刺した。「失せろ!これは俺と俺の女の問題だ」颯太は、まさに怖いもの知らずだった。時安の放つ圧倒的な威圧感にも臆することなく、真っ向から割って入ると、その腕を力任せに掴んでギリギリと握りしめた。「離してください」彼は時安を睨みつけ、言い放った。「彼女がひどく苦しんでいるのが、見て分からないんですか!」二人が言い争うのを眺めながら、私は心身ともに限界を感じていた。今さら誰と何を話し、何を清算するかなんて、もうどうでもいい。そんな気力は、私の心の中に一滴も残っていなかった。二人が目を離した隙に、私は逃げるように民宿を抜け出した。それから、あちこち探して静かなホスピスを見つけた。食事も住まいも申し分なく、そのわりに費用は手頃で、今の私の貯えでも十分に支払える場所だった。そこで出会った看護師の市川瑞希(いちかわ みずき)は、大学を卒業したばかりの若い女の子だった。とても綺麗で人当たりも良く、同年代ということもあって、私たちはすぐに打ち解けた。彼女には、高校時代からずっと想い合っていた彼氏がいるという。数日前、彼から映画のような盛大なプロポーズを受け、結婚式はもっと華やかにするつもりだと約束してもらったのだと、彼女は幸せそうに語ってくれた。その横顔に溢れ
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第7話

瑞希は私の冗談を受け流した。私は重い腕を無理やり持ち上げ、彼女の二の腕を指先でつついた。「……どうして黙ってるの?」瑞希は顔をぐしゃぐしゃにして、しゃくりあげながら泣いていた。「一花さん、鏡を見てくださいよ。今の自分のどこに、生きてる人間の生気があるっていうんですか。それなのに、そんな冗談……薬だって、本当は飲んでないんでしょ?知ってるんだから。トイレに流して証拠隠滅してることくらい。お願いですから、もっと自分を大事にしてください!」私は言葉を失った。「自分を大事に」――その言葉が、私の乾ききった心に波紋を広げる。気づけば、涙が頬を伝い、静まり返った部屋に微かな音を立ててシーツに吸い込まれていった。「大事に、ね……私だって、そうしたかったわよ。でも、もう疲れちゃった。毎晩目を閉じるたびに、このまま二度と目が覚めなければいいって、それだけを祈ってるの。それなのに、無情にも朝は来ちゃうのよね」私は溢れる涙を手の甲で無造作に拭った。廊下で誰かが看護師を呼ぶ声が響き、瑞希は涙を拭うと、慌てて部屋を飛び出していった。静まり返った病室で、すぐに彼女が戻ってくるものだと思っていた。だが、入れ替わるようにドアを開けて入ってきたのは、颯太だった。彼の姿を認めた瞬間、私の顔に浮かんでいた微かな笑みが凍りついた。「……どうして、ここにいるの?」「一花さん……どうして、そんな姿に……」彼は私の問いには答えず、愕然とした様子で逆に問いを投げ返してきた。私は彼をからかうように、わざと不敵な笑みを浮かべてみせた。「何よ、あまりのブサイクさに目のやり場に困った?目の毒だったかしら」「……っ!一花さん、いい加減にしてください!どうして、そうやってすぐ茶化すんですか!」相変わらず、彼は少し突っついただけでムキになる。坊やね、と思う。私は面白がって、さらに彼をからかった。「冗談はさておき、何しに来たのよ。まさか、エスパーにでも目覚めて私の居場所を突き止めたわけ?ほら、正直に言いなさい」彼は素直に、消え入りそうな声で答えた。「祖父がこちらに入院していまして、そのお見舞いに来たんです。そうしたら、この部屋から一花さんにそっくりの声が聞こえてきて……気づいたら、居ても立ってもいられずに入っていました。まさか、本当に一花さんだなんて思いもしませんでした」
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第8話

時安は一応、引き際は弁えているようだった。だが、それからというもの、彼は足繁くここへ通うようになった。自分の真心が伝わりさえすれば、いつか私が心変わりをして、また元の鞘に収まるはずだと――そう信じて疑わない様子で。彼は手を変え品を変え、趣向を凝らした花を抱えては見舞いにやって来た。けれど、私は少しも嬉しくなかった。皮肉なものだ。私は花粉アレルギーなのだ。花好きなのは私ではなく、乃愛の方だった。彼は今になっても私の中に彼女の影を追い求め、自分が愛しているのは乃愛なのだと、無自覚に証明し続けている。「颯太、彼に伝えて。私は花粉症で、花が好きなのは乃愛の方よ。人違いもいい加減にして、もう来ないでって」それだけを言い切るのに、精根尽き果ててしまった。必死に空気を吸い込もうとするが、空気の乾燥に喉がやられ、激しく咳き込んでしまう。無意識に口元を押さえたハンカチに目を落とすと、そこには鮮血が滲んでいた。ああ、私の命はもう、幾日も持たないのだと悟った。時安の執念深さは、今に始まったことではない。結局、彼は春から冬へと季節が移ろっても、何食わぬ顔で毎日姿を見せた。彼が身につけている服も、アクセサリーも、靴の一足に至るまで、私にはすべてに見覚えがあった。それらはすべて、かつての私が、彼の好みと体格に合わせて心血を注いで選び抜いたものばかりだったから。「何度言ったら分かるの。もう来ないでって言ったでしょう。あなた、そんなに暇なの?仕事はどうしたわけ?それとも何、あなたは救いようのないマゾなの?半分死にかけている女を眺めるのが今のトレンドなわけ?私たちは五年一緒にいたけれど、あなたたちはそのうちの二年、不潔な関係を続けていたのよね。ふん、何?お気に入りの乃愛に新しい男でもできて、捨てられちゃった?それで、都合よく私を思い出したってわけ?時安、あなた、本当に惨めね」考えうる限り、最も残酷で醜悪な言葉を並べ立てた。それが、今の私にできる精一杯の抵抗だった。けれど、彼は表情一つ変えず、ただ縁を赤くした瞳で静かに私を見つめていた。私の罵詈雑言をすべて、甘んじて受け入れるかのように。「颯太!颯太!この男を追い出して!ゴホッ……ゴホッ、……っ!」激昂したせいで胸が締め付けられ、熱いものが喉を駆け上がった。鮮血が床に飛び散り、私は呼吸を整える間も
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第9話

「一花さん、また時安さんが来てますよ」私は力なく笑った。「何度も来るから、あなたにまで覚えられちゃったわね。聞いた?彼と乃愛のこと」「いいえ。私、今はあの人たちが一番嫌いですから。断言します、私はあいつらの『アンチ』になりました!」彼女はいつも私を笑わせてくれる。私は小さく笑い、相槌を打つ代わりに、そっと彼女の手の甲を叩いた。颯太がいつの間にか現れ、私の前に膝をついた。彼は膝に掛けたブランケットに顔を埋め、声を押し殺して泣いている。毛布が彼の涙でじわりと湿っていくのが分かった。私は愛おしさを込めて、彼の頭を優しく撫でた。「もう、どうしてそんなに泣き虫なの……」「あんなこと、言わなければよかったです。一花さんは『高嶺の花』だなんて……」彼は嗚咽を漏らした。何のことだろうと思ったが、ふと以前、あの砂浜で彼が言ってくれた言葉を思い出した。「白いワンピース姿の一花さんは、まるで高嶺の花のように手が届かない、僕の憧れの人です」と。「何よ、私は運良く、あなたの心の中で『永遠に失われた高嶺の花』になれたのかしら。あはは……」「すみません……本当に、申し訳ありません……」彼がなぜ謝るのか、私には分からなかった。ただ、彼の声が次第に遠ざかっていく。意識が途絶える寸前、周囲がにわかに騒がしくなったことだけが、おぼろげに伝わってきた。颯太がまた、声を上げて泣いた。私の手を握りしめる手に、さらにぎゅっと力がこもる。瑞希は、壊れ物を扱うように私を優しく抱きしめてくれた。遠くで石像のように立ち尽くしていた時安が、突然、なりふり構わずこちらに向かって走り出したのが見えた。ああ、よかった。ようやく、あなたと白髪になるまで寄り添えたのね。来世ではもう、あなたと出会いたくない。愛したくもない。「……さよなら」私は冬の日に、永遠の眠りについた。どうか来世では、あなたと二度と出会うことがないように。……時安は芸能界を引退した。彼は颯太と共に、私のために見晴らしの良い、穏やかな陽だまりのような墓所を選んだ。「一花、これからも君の隣にお邪魔させてもらうよ」「一花さん。これからはもう、あなたを『頼りになる年上の人』として見るのはやめます。だって一花さんは、僕にとって一生手が届かない、高嶺の花なんですから」颯太は私の最期の願いを胸
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第10話

彼らの茶番に付き合うのも疲れ果て、私は一人、かつて時安と暮らしたマンションへと向かった。そこはもう長いこと主が不在のようだったが、あるいは住人の潔癖ゆえか、埃ひとつなく静まり返っていた。夜の帳が下りる頃、時安が帰ってきた。その隣には、乃愛が寄り添っている。私は鼻で笑った。知っていたわよ。結局、あのお墓の前での涙も全部ただのパフォーマンスだったんだってことは。「時安、一花が亡くなってからもう随分経つのに、まだ私の愛を受け入れてくれないの?」乃愛は焦れったそうに彼の腕にすがりつき、問い詰めた。「何度言えば分かるんだ!君とどうにかなるなんて、あり得ない!」時安は力任せに彼女の手を振り払い、足早にソファへと沈み込んだ。彼女はまた泣き始めた。うっすらと目に涙を浮かべれば、彼がこの手に弱いことを彼女は熟知している。いつものように彼が折れて、優しく抱きしめてくれると信じて疑わないのだ。「……その涙は、もう俺には通用しないぞ」時安は深く、長く息を吐いた。まるで、自分の心の中にある何か重い鎖を断ち切る決意をしたかのようだった。「時安!永遠に私を愛してるって言ったじゃない!なのに、どうして他の女と一緒にいたのよ。まさか、本当に一花を愛してしまったの?あの女はただの私の身代わりだって、あなた自身がそう言ったじゃない!」乃愛が突然、喉を引き裂くような悲鳴を上げた。彼女は何としても、彼を自分の所有物として繋ぎ止めるための「答え」を求めていた。「……ああ。そうだったのかもな」彼は、泣きじゃくる彼女を一顧だにせず、寝室へと消えた。二人の関係は、修復不可能なほどに冷え切ったまま、最悪の形で幕を下ろした。正直なところ、時安は私の存在に気づいているのではないか――そう感じることがある。彼はふとした拍子に、何もないはずの私の方をじっと見つめるのだ。「……一花。君は、俺に会いに来てくれているのかい?」「一花……ごめん、本当にすまない」彼はいつも独り言を呟いている。何かに取り憑かれてしまったのだろうか。「時安、あなた正気?生きている間はちっとも愛してくれなかったくせに、死んでからそんなにみっともなく泣き喚いて何なのよ」私は吐き捨てるように言った。すると、彼は弾かれたようにこちらを振り返った。その瞳には、確信に満ちた強い光
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