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第2章 第1話 赤字まみれの王冠と、薔薇刻まれし帳簿

「――この赤線をすべて消すには、王都10個ぶんの薔薇園を売り払っても足りませんわね」 国庫帳簿の頁は、血管の図みたいに赤い線で埋まっていた。 赤字。赤字。赤字。 線はまっすぐなのに、見ているだけで脈が乱れる。誰かの出血が、机の上に静かに広がっているようだった。 頁の端を指で押さえる。紙が乾いている。なのに指先だけが冷えた。 押収資料の山の中から、この帳簿が出てきた時、クロード様は眼鏡越しにただ言った。「読め」 命令みたいで、けれど逃げ道も同じだけ用意された声だった。 頁の隅に、ほんの小さな凹みがある。薔薇と硬貨を重ねた印章。金環会の金の輪とは違う、別の輪郭。 そして、そのすぐ横に細い字で商会名が紛れていた。 フェルディアのラーデン商会。 帝国の名が、国庫の赤線のそばで呼吸している。まだ意味は掴めない。けれど、嫌な匂いだけは確かだった。 扉が叩かれ、侍従が顔を出す。「侯爵令嬢。陛下が財政会議へお呼びです」 膝の上で手袋の指が勝手に折れる。私の席は、また増えた。椅子が増えるたび、背骨に重みが積もる。 王城の会議室は、寒いほど整っていた。 机は長く、椅子の背は高い。背の高さが、そのまま言葉の強さになる場所だ。 玉座に近い上座にレオンハルト陛下。右手にクロード様。黒と白の配色が、ここでも空気を締める。 反対側には古参の財務官僚たち。紙の匂いより先に、ため息の匂いが来た。 私は……机の端に置かれた小さな椅子へ案内される。宰相の隣ではない。隣の隣でもない。発言するなら、まず視線を泳がせて許可を探す距離。 椅子が、立場を説明していた。「では始める」 陛下の声が落ちる。書記官が頁をめくり、赤線が見える位置で止める。「王太子の浪費の穴は塞いだ。だが国庫は息をしていない。宰相」「税の前借りで延命は可能です。しかし、民の喉を締めます」 クロード様の言葉は淡々としている。淡々としているから、嘘が混ざらな
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第2章 第2話便利で塗りつぶす赤線と、金環会の抗議文

 紙束の先頭に、太い筆で『石鹸 入荷停止』『灯油 値上げ』と並んでいた。最後の行だけが短い。『原因 金環会か』。宰相府の会議室で、その紙が回った瞬間、誰も咳をしなかった。 国庫の赤線は、机の上の帳簿だけではない。町の棚にも引かれている。「在庫が消えたのは昨夜からです」 財務官が声を落とす。「表向きは不作と輸送遅延、ですが買い占めの動きが……」 クロード様は頬杖のまま、視線だけで続きを促した。 わたくしは息を吸う。赤字と欠品の列が、前世のイベント画面みたいに並ぶ。ここで黙れば、台本どおり民が怒り、誰かが煽り、火が付く。「不足は不満を生みますわ、なら不足そのものを減らしましょう」 わたくしは立ち上がり、黒板を引き寄せた。 白墨が鳴る。指が勝手に動く。「石鹸の改良、保存食、簡易コンロ、安価なランプ」「……急ですね」 年配の官吏が眉を寄せる。「国庫が赤いからといって、令嬢の思いつきで市場を動かすのは危険では」 言い方は丁寧でも、刺す場所だけは正確だ。 わたくしは微笑みを崩さない。悪役の仮面は、相手が上品なほどよく効く。「思いつきではありません、赤線の正体は生活必需品の細い首です」「首?」「石鹸がない、灯りが高い、保存が利かない、すると病が増え、夜が伸び、食が腐ります、税が落ちる前に人が倒れます」 会議室の空気が硬くなる。誰も反論しない。反論できない。 クロード様が、静かに手元の資料をめくった。「試験地は」「エルネスト領と宰相領です、材料と職人が揃っています、まずは小さく回し数字と評判を取ります」 白墨で地図の形を描き、領地に印を付ける。点が増えるほど、責任が重くなる。 前世の記憶が喉に絡む。市場争奪戦。価格戦争。悪意ある噂。正しいことをしても燃やされる分岐。 胸が熱くなり、次に冷える。怖い。数字の列より、沈黙の民衆の方が怖い。 指先が震えた。白墨が折れ、粉が黒板に落ちる。
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第2章 第3話 市場争奪戦と、好感度バグってる敵幹部

 封筒を開いた指先に、油の匂いが移った。 紙は上質なのに、インクだけがやけに黒い。文面は丁寧で、内容は乱暴だった。 新商品が安すぎる。流通を乱す。撤回しろ。 差出人は、王都の生活必需品を握る闇商会――金環会の名だった。「閣下、新商品が……安すぎるとお叱りを受けました」 机の向こうで、クロード様の羽根ペンが止まる。「誰からだ」「……独占価格で儲けてこられた方々から、ですわ」「正しい仕事をして叱られるのは、いつものことだ」 淡々とした声なのに、机上の空気だけが冷えた。 国庫の赤線を減らすために灯りを作り、石鹸を回し、保存食を試した。誰かの夜を伸ばすつもりで。 なのに、次に伸びるのは敵の影だ。 クロード様が封筒の封蝋を指でなぞった。 薔薇の輪郭と、硬貨の縁取り。甘い香りはないのに、棘だけは確かに刺さる。「向こうは商談の席を用意した、断れん」「ええ。こちらも椅子を用意いたしましょう」 わたくしが言うと、彼の視線が短く揺れた。「君は笑うな、今は」「笑わないと折れますわ」「折れるな」 命令の形をした、支えだった。 王都南の路地で、ミーナの店先に新しいランプが吊られていた。 硝子越しの灯りが、石畳の凹みまで照らす。暗い角が、今日は残っている。「ほら、こわくない」 子どもが胸を張り、妹の手を引いた。「暗いとこ、追いかけてくるもんがいるもんね」「いるのは影だけだよ」 胸がきゅっと詰まる。影だけで済ませたい。けれど影を作るのは、灯りではなく人だ。「姫さん、昼から倉の鍵を買いに来る連中が増えたよ」 ミーナが腕を組む。「みんな焦ってる。焦りは金になるんだろ」「……金環会」「名前は出さない。でも匂いは同じさ」 交渉の場は宰相府の応接室だった。 机は長く、椅子は高い。上
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第2章 第4話 輸送計画と、山を越える小さな夢

 地図の端に置かれた布切れが、机上の灯りに濡れていた。 煤で描かれた薔薇は、王城の印章みたいに気品がない。棘だけが多い、雑な薔薇。 それを持ってきた斥候は、土と汗の匂いのまま頭を下げた。「街道脇の木に結ばれておりました、見張りの真似事かと」「真似事でも、場所が悪い」 クロード様の指が、布切れではなく地図を叩く。 山越えの峠道。今週、新商品を運ぶ予定の線と重なっていた。 昨日まで、敵は机の上の帳簿と手紙だけだった。 けれど今日、敵は山にいる。そう言われた気がして、喉が乾く。 地図の周りには木製の駒が並ぶ。馬車。護衛。補給。宿場。 わたくしは無意識に、前世で何度も見た「危険地点」を探した。小さな×印が脳裏で点滅する。ここで襲撃、ここで誘拐、ここで救出。 なのに現実の紙面には、ただ川と道と、傾いた等高線だけがある。「まずは速度だ、山で止まれば守るものが増える」「護衛は少数精鋭、目立たない方がいい」「目立たない輸送隊に、護衛の意味がございますの?」「目立つのは荷だ、人ではない」 わたくしは細い川筋に指を置く。 前世の地図では、ここに朽ちた橋があった。崩れて足止めになり、山賊が出てきて――そういう筋書きだった。「この橋は危険です、ここで止まると――」「補修済みだ、昨年の洪水で壊れた時に軍が直した」 言い切られて、心の中の「確定」が1本折れた。 ……そうだ。この世界は、わたくしの攻略本通りに進むための舞台ではない。 小さな逆転は、いつも静かに起きる。 未来を知っているつもりのわたくしが、今この場で、知らない側に落ちる。 怖い。けれど、その怖さは悪くない。 知らないから、選べる。書き換えられる。「控え馬車を1台、荷を幾つかに分散して、峠の手前で待機させます」「いい、君の案は守りに見えて攻めだ」 斥候が咳払いした。「その……
last updateآخر تحديث : 2026-01-31
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第2章 第5話 輸送隊襲撃と、書き換えられた誘拐イベント

 ――新商品輸送隊、山賊に襲撃されました! 執務室の扉が弾け、息の上がった伝令が膝をついた。 机の上の帳簿より先に、その言葉がわたくしの胸を刺す。 クロード様の指が、羽根ペンを止めた。「被害を報告しろ」「荷車3台が焼かれ、積荷の半分を奪われました。護衛2名が死亡、4名が負傷。御者は行方不明です」「……名前は」「死亡したのは、近衛から派遣されたマルクと、荷役のヨアンです」 ヨアン。昨日、馬車の横で笑っていた青年の顔が、脳の裏で勝手に浮かぶ。 妹を学校へ通わせたい、と。薬代が要る、と。そんな話を、わたくしは聞いた。 数字の欄に並ぶ損失が、急に血の匂いを持つ。 クロード様は表情を動かさない。けれど、眼鏡の奥の瞳の焦点が、ほんのわずかに鋭くなった。 その変化が、わたくしの中の冷静を引き戻す。「襲撃地点は」「北西の山道です。旧街道へ入る手前、崖の影で」 伝令が地図を差し出す。指先が震えている。 地図。駒。ここ数日、わたくしたちが睨み続けてきた戦場の形。 クロード様が机の端の椅子を顎で示したが、わたくしは座らず、地図の上へ身を乗り出した。 赤い印が打たれた地点は、妙に、妙に……見覚えがある。 前世のわたくしが、攻略サイトとにらめっこしながら「ここで来る」と覚えた、あの曲がり角と重なる。 嫌な汗が背を滑った。「……ここ、ですのね」「何がだ、レティシア」「山賊の出没地点と、金環会が以前使っていた輸送ルート。重なり方が不自然ですわ」 クロード様の視線が、わたくしの指先を追う。 地図の上で、点と線がつながっていく。偶然にしては整いすぎた配置。 わたくしは喉の奥で、笑いにならない息を吐いた。 これ、前世のゲームなら――誘拐イベントの舞台だ。 あの「庶民の少女が攫われ、王太子が駆けつけて英雄になる」甘い見せ場。 マリ
last updateآخر تحديث : 2026-02-01
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第2章 第6話 囮作戦前夜、破滅ルートは拾わない

 宰相執務室の机に、乾きかけた血の跡つきの紙片が置かれていた。粗雑な薔薇の印と、短い文だけが残っている。「白い棘を剪定せよ。黒い葉は後回し――」 読み上げた瞬間、クロードの指が紙片を押さえ潰した。「そなたはこの国の未来を担う者だ。餌にするなど論外だ」 怒りが冷えた金属みたいに室内へ落ち、誰も息を継げなくなる。 地図台には山道の線が引かれ、駒がいくつも置かれていた。襲撃地点には黒針、次に狙われる地点には赤針。赤針の位置は、前世で見た誘拐イベントのマップと気味悪いほど重なる。 私は椅子に座らず、地図の端に指を置いた。指先の震えは袖で隠す。「囮は軍で用意いたします」 騎士団長が即答した。「目立つ荷を積んだ馬車なら、我々の方が――」 軍務卿が続ける。 王の視線が私へ刺さる。レオンハルト陛下は、止めたいのに止め切れない顔をしていた。 私は息を整え、言葉を数字みたいに並べた。「相手の狙いは荷ではありません。目立つ馬車そのものです。捕まえれば身代金が取れる、交渉材料になる。こちらが軍の囮を走らせた瞬間、山賊は引きます」「なら、襲うほどの価値を見せればよい」 軍務卿が言う。「価値は、私が最も高い」 私は淡々と言った。 空気が凍った。椅子がきしむ音だけが響く。「それは違う」 クロードが低く言った。 宰相の椅子の背に置かれた手が、ゆっくり握られる。彼は私を見ず地図だけを見るのに、拒絶の熱が分かる。「宰相として申し上げるなら、その提案は合理的だ。だが、却下する」「合理的なら通すべきですわね」 私は笑いもせず返した。「君が囮になる必要はない」 その呼び方だけが、胸に刺さった。 反対は連鎖した。使用人までもが口を挟む。護衛の者の視線は命令なら従うが嫌だと訴えていた。 私は紙片へ目を滑らせた。白い棘。黒い葉。意味が分からないのに、背中が冷える。「時間がありません。次の輸送を止めれば、工房と畑が止まり、下町が先に飢えます。襲
last updateآخر تحديث : 2026-02-02
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第2章 第7話 囮馬車、山道をゆく

 馬車の床板に、紙が落ちた。 踏めば破れる薄さなのに、落ちた音だけが妙に大きい。 拾い上げると、粗い印刷の文字が目に刺さった。 ――平等の庭を作れ。枝は折れ、根は残る。 背筋が冷える。 昨日、襲撃現場から届いた包みの中にも、同じ匂いがあった。煽動ビラの束。紐でまとめられ、薔薇の印が押されていた。 そして、もう1枚の小さな紙片。 北側の庭へ、白い棘を誘え。 誘う。囮。 わたくしは息を吸って、吐いた。 今日は、台本の次の頁だ。けれど書き手は、もう1人ではない。 扉の外で蹄の音が揃う。 馬車を揺らす振動が、胸の内側にも響いた。「レティシア」 クロード様の声が近い。低くて落ち着いていて、だから怖い。 外套の留め具を直す指が、必要以上に丁寧だった。指先の温度が、計算を崩してくる。「目立つ装いだな」「目立たなければ、食いつきませんもの」「食いつかせるのは私の仕事だ。君は……揺れに備えろ」 言い終える前に、クロード様の視線が馬車の窓へ走った。 まだ薄い霧の中、見送りの兵が離れていく。誰もが、笑顔を作ろうとして失敗していた。 わたくしは、膝の上のビラを折り畳む。 目立つ囮仕様のドレスは白を基調に、裾だけ深紅。遠目には祝いの衣装に見える。笑える。死地に向かうのに、祝祭の色だ。「君が乗る必要はない」 出発前、クロード様は同じ言葉を繰り返した。 宰相としてではなく、男として。 その差が、わたくしの心臓を余計に痛ませる。「必要ですわ。これは、わたくしのフラグですもの」「その言い方をするな」「では、筋書きと言い換えます」 クロード様の眉が僅かに動く。 怒りでも諦めでもなく、噛み殺した不安の形だった。 馬車が動き出す。 石畳の音が土の道へ変わり、車輪の響きが山に吸われていく。 護衛は見えない距離。そう決めた。見え
last updateآخر تحديث : 2026-02-03
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第2章 第8話 山賊の包囲網と、過保護宰相の限界突破

「白い棘を、北側の庭へ」 闇から飛んだその声が、合図みたいに山道の空気を変えた。 直後、馬車の屋根に矢が突き刺さり、乾いた音が木を割った。 御者台が跳ね、馬が悲鳴に近い嘶きを上げる。 わたくしの心臓も、同じ調子で暴れた。 前世の画面が重なる。固定されたカメラ。狭い山道。飛び出す山賊。攫われるヒロイン。 ここでスチルが入って、選択肢が出て、取り返しのつかない分岐が始まる。 ……でも今は、攻略本の余白ではない。現実だ。 わたくしは唇を噛み、背筋を伸ばした。 ここから先は、わたくしが書き換えたルートだ。「中を開けろ! 金と女だ!」 荒い声が車輪の横から響く。 馬車の扉が叩かれ、鍵が軋む。 護衛役の兵が息を呑む気配がした。わたくしはあえて震える息を漏らし、手袋の指先を丸める。「お、おやめ……くださいませ……!」 声を細くする。怯えた令嬢の演技は、わたくしの得意分野だ。 扉が開いた瞬間、土と汗の臭いが雪崩れ込む。 男が顔を突っ込んできた。頬に古い傷、腕には雑な薔薇の刺青。 布の旗の端にも、棘だらけの薔薇が描かれている。 わたくしは目を伏せたまま、男の腰の革袋を見る。 封蝋の赤。薔薇の意匠。土に汚れても、そこだけ妙に丁寧だ。「へえ。綺麗だ。値が付きそうだな」「……金なら、出します……ですから……」 怯えを作りながら、息の揺れを計算する。 外で金属が擦れる音が走った。矢ではない。剣だ。 山道の両側から短い合図が返る。クロード様が張った包囲が、締まり始めた音。「黙れ。仕事だ」 仕事。 その単語が、背に冷たく張り付いた。 男が腕を伸ばした瞬間、馬車の床下から細い光が走った。 クロード様の魔法灯。見えない護衛の合図
last updateآخر تحديث : 2026-02-04
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第2章 第9話 黒い帳簿と、揺れる敵幹部

 黒い革表紙が机に置かれた瞬間、部屋の空気が重く沈んだ。 封蝋は割られているのに、まだ血の匂いが残っている気がする。 表紙の内側に押された印は、薔薇と硬貨。 そして最初の頁に、さらりと書かれていた。 『黒薔薇聖堂 献納』。 王城監査局長バルトロメウスが、眼鏡の奥で目を細める。「これが金環会の裏帳簿ですな。合法の顔をした黒字の作り方が、全部書いてある」「……帝国の神殿にまで流れているのですね」「ええ。王国の血を抜いて、隣国に肥料をやっている。実に手際がよろしい」 私は国庫帳簿を開いた。 赤線で引かれた数字の列が、まだ痛々しい。 けれど黒い帳簿と並べると、線の意味が変わる。 ここからここまでが、金環会の噛んだ流通。 ここから先が、薔薇の使徒の吸い上げ。 そう見えた途端、怒りより先に寒気が来た。「この支払い。孤児院の穀物配給が削られた月と合致します」 私の声は自分でも驚くほど平たい。 指先が震えたので、机の縁を掴んで止める。「……あの子たちの皿が軽くなった理由が、数字で分かるなんて」 クロード様が背後に立ち、私の手を上から覆った。 暖かいのに、逃げ道のない重さ。「見ておけ。目を逸らせば、また同じ手口で刺される」「分かっています。分かっておりますけれど」 喉の奥が焼ける。 私が選んだのは、恋の椅子ではない。 国の椅子だ。 分かっているのに、私は弱い。「局長。押収品の中に、契約書もありました」 クロード様が淡々と告げる。「山賊に渡した装備の代金。支払元は金環会、受取人の符丁は『棘』」 バルトロメウスが低く唸った。「棘。園芸の趣味かと思いましたが、物騒ですな」 私は言葉の端を拾う。 庭。 棘。 種まき。 前世の攻略本に、こんな内輪言葉は載っていなかった。 な
last updateآخر تحديث : 2026-02-05
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第2章 第10話 温泉と焚き火、宰相と婚約者のまだ途中の約束

「閣下、このままでは来週を迎えられません」  診察台の横で、王城侍医が淡々と言い切った。見慣れたはずのクロード様の指先が、黒い帳簿の角を掴んだまま硬い。  紙の匂い、インクの匂い、徹夜の匂い。国庫の赤線を消すために積み上げた夜が、ここへ来て肉体の方から反乱を起こした。「誇張だ」 「誇張ではありません。脈が嘘をつきません」  医師は書類にさらさらと線を引き、最後に赤い印を押した。陛下の許可印まで揃っている。「強制休暇、です」  その言葉が、剣より鋭く刺さった。  クロード様が誰かに命じられる姿を、わたくしはまだ見慣れていない。「宰相として申し上げるなら、今は手を止められん」 「宰相として申し上げるなら、閣下が倒れた時の損失が最大です」  医師の声は容赦がない。容赦がないから、信頼できる。 クロード様の視線がわたくしに向いた。助けを求めるでもなく、責めるでもなく、ただ現実を共有する目だった。  胸の奥が、いやに熱い。「レティシア」  名を呼ばれた瞬間、わたくしの方が先に動いていた。「承りました、侍医殿。閣下は休ませます」 「君まで巻き込む必要はない」 「巻き込まれるのではありません。同行します」  言い切ってから、言葉の重さに自分で驚く。  政治の理屈でも、国庫の数字でもない。これは、婚約者としての我儘だ。「……短期間で戻る」 「ええ。ですがその短期間は、仕事抜きで」  わたくしが微笑むと、医師が満足そうに頷いた。 クロード様は敗北した顔をしない。けれど、そのまつ毛の影だけが、ほんの少し落ちた。  その影を見て、わたくしは胸の内で小さく勝ったと思ってしまう。悪役らしい勝ち方だ。 湯治場は王都から馬車で半日。山の空気が冷たく、肺が洗われる。  到着してもクロード様の手は自然に鞄へ伸びた。書類を探す癖だ。「禁句ですわ」 「何が」 「帳簿。会議。金環会。薔薇の使徒。帝国。ついでに『宰相として』も」  わたく
last updateآخر تحديث : 2026-02-06
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