婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました

婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました

last updateHuling Na-update : 2026-02-28
By:  夢見叶Ongoing
Language: Japanese
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前世持ち侯爵令嬢レティシアは、ここが乙女ゲームで自分が悪役令嬢、卒業舞踏会で公開断罪→婚約破棄→国外追放の末に死ぬ運命だと幼少期に思い出す。未来を変えるため王太子の女遊びと庶民ヒロインへの送金、不正な寄付金流用を洗い出し証拠を完備。舞踏会で逆断罪を決めた瞬間、腹黒宰相クロードが求婚し、政略婚兼国政チートの溺愛ルートへ。だが世間は『悪女が国を操る』と騒ぎ、貴婦人茶会の毒殺フラグや庭を剪定する脅しまで迫る。彼女は宰相の隣で、台本ごと敵を折る。

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第1章 第0話 断罪の舞踏会、宰相ルートへ

 婚約を破棄する、だなんて。よりによってこの曲の最中に宣言なさいますの?

 白薔薇の香りが、息をするたび肺の奥まで刺さる。王城の大広間は、天井から垂れた花飾りと硝子の燭台の光で昼のように明るい。その祝祭の中心で、わたくしは王太子アルノルト殿下の手を取ったまま、足を止めた。

 音楽はまだ流れている。けれど、会場の空気だけが先に凍った。

「レティシア・エルネスト。貴様との婚約をここに破棄し、王家の名のもとに断罪する」

 そう、それ。聞き慣れた台詞。前世で何度も見た、断罪イベントの口火だ。

 わたくしの脳内には、存在しないはずの選択肢が並ぶ。逃げる。泣く。縋る。悪あがきする。どれを選んでも、最後は追放と死。そんな筋書きだった。

 だから、わたくしは笑う準備をしていた。泣き叫ぶより、笑って舞台を壊した方が、ずっと現実的だと知っている。

 殿下の腕の向こう、花束のように守られた位置に、マリア様が立っていた。淡い薔薇色のドレス。庶民出身の少女が、今夜は物語の主人公の顔をしている。

「レティシア様は……私を、ずっと苦しめてきました。学園でも、皆さまの前でも」

 震える声。潤んだ瞳。会場のため息が、同情の波になって押し寄せる。

「やっぱり、あの侯爵令嬢は」

「殿下が可哀想だわ」

 囁きが連鎖し、わたくしの背中に刺さる。舞踏のステップはまだ頭の中で規則正しく刻まれているのに、現実の床だけが頼りない。

 殿下の背後に数名の貴族が並んでいる。胸元の飾り、指輪の彫り。薔薇を模した意匠が、妙に棘立って見えた。

 ここで取り乱したら、相手の思うつぼ。そう分かっていても、胸の奥で熱いものが跳ねる。前世の画面越しではなかった。今夜は、わたくしの名を呼ぶ声が、肌に触れる。

「レティシア。言い訳はあるか」

 殿下の声は甘くない。勝ちを確信した者の声だ。

 わたくしはカーテシーの形を崩さず、唇だけで微笑んだ。

「言い訳、ですの?」

「貴族らしく取り繕うな。お前はマリアをいじめ、学園の評判を汚し、私を惑わせた」

 惑わせた、とは便利な言葉だ。殿下の怠慢も遊びも、全部その箱に放り込める。

 わたくしは小さく首を傾げる。悪役令嬢の仮面を、丁寧に被り直す。

「まあ。わたくし、そこまで器用に悪役が務まるほど暇ではありませんの」

「なにを……」

「殿下が“惑わされた”とおっしゃるなら、現実の帳簿をご覧になってはいかがでしょう」

 会場がざわめく。帳簿。舞踏会に似つかわしくない単語が、白薔薇の香りに混ざった。

 わたくしは胸元の飾りに見せかけて、細い封筒を指先でつまみ取る。指が震えないように、踊りの所作のまま。

「こちら、王城法務局に提出済みの婚約解消願いの控えでございます。殿下にも先月、副署して頂きましたわね」

 殿下の眉が、滑稽なほど動いた。破棄する側だと思っていた顔が、破棄される側の顔に反転する。

「……は?」

 ああ、いい音。会場の空気が、ほんの少しだけ軽くなる。わたくしの中の恐怖が、別の形に変わる。怒りでも悲しみでもない。手応えだ。

「わたくしは、筋書き通りに転ぶほど、退屈な女ではありませんので」

 口に出した瞬間、遠い場所で誰かが息を呑むのが聞こえた気がした。

 殿下は封筒を奪うように受け取った。紙の擦れる音が、楽団の旋律を切り裂く。

「偽造だ」

「そうお考えなら、法務局に照会なさって」

 わたくしは次の札を、間を置かずに切る。踊りの最中に、相手の足元へ視線を誘導するのと同じだ。

「そして、こちらは学園の寄付金と、殿下の私的支出の照合表です」

「寄付金?」

 誰かの声が上ずった。社交界は甘い噂で回っているようで、金の匂いには正直だ。

 わたくしの背後に控えていた侍女が、用意していた薄い書類束を差し出す。これは偶然ではない。学園の会計監査に口を出せる立場を、わたくしは時間をかけて作った。

「この印は、殿下の名義で支払われた記録。こちらは、同日に学園の口座から抜けた記録」

「……黙れ」

 殿下の足が乱れる。ステップの基礎もない人間が、舞踏会の中央で踊り切れるはずがない。

 マリア様が、殿下の袖を掴んだ。

「殿下、そんな……レティシア様が、私たちを陥れるために……」

 陥れる。そう、いつもそうだ。悪役は主人公の都合に合わせて悪意を供給する存在でなければならない。

 わたくしはマリア様の目を見た。憎しみではなく、悲しみでもなく、ただ確認する視線で。

「マリア様。わたくしがあなたを陥れるなら、なぜあなた宛ての送金記録が、あなたの手元の領収書と一致するのでしょう」

 マリア様の唇が開いたまま止まる。そこにあるのは善悪ではない。数字だ。

 会場の隅で、さきほど薔薇の意匠を身に付けていた貴族たちが、互いに目配せをした。ほんの僅かな動き。けれど、舞踏の合図のように揃っていた。

 楽団の指揮棒が宙で止まった。旋律が、ぷつりと途切れる。

 その静寂の中、玉座前の段上から、国王陛下の低い声が落ちた。

「宰相。報告は聞いている。まずは、当事者を押さえよ」

「御意」

 黒と白の礼装が、音もなく前へ出た。銀縁眼鏡の奥の瞳は、感情より先に盤面を読む。

 宰相クロード・フォン・ラグランジュ様。

 殿下派にとっては冷酷な壁。わたくしにとっては、味方かどうかも測り切れない巨大な刃だ。

「宰相として申し上げるなら、反対です」

 淡々とした声が、殿下の勝利宣言を塗り替える。

「殿下の断罪は、法的根拠が薄い。対して、侯爵令嬢レティシアが提示した書類は、提出先と日付が揃っている」

 書類という単語で、会場の貴族たちが少しだけ現実へ戻る。夢の舞踏会は、いつだって紙で終わる。

 護衛が踏み出し、殿下の両腕を押さえた。

「放せ! 父上! これは陰謀だ!」

「陰謀なら、なおさら取り調べが必要だろう」

 国王陛下の声は、父ではなく王のそれだった。

「王太子アルノルトを拘束せよ。マリア・ベルも同様だ」

 マリア様が青ざめる。涙がこぼれた。けれど、涙は免罪符ではない。

 わたくしの背中に刺さっていた視線が、別の形に変わっていく。恐れ。驚き。警戒。羨望。人の評価は、踊りよりずっと忙しい。

 殿下が連れて行かれる途中で、クロード様が視線をわずかに横へ流した。殿下の背後に並んでいた貴族たちの方へ。

「王太子殿下の背後にいる者たちも、いずれ整理せねばなりますまい」

 たったそれだけ。名指しもせず、理由も述べない。なのに、薔薇の意匠が急に重く見えた。

 そしてクロード様は、陛下の前で膝をつき、次の言葉を落とした。

「陛下。侯爵令嬢レティシア・エルネストとの婚約を求めます」

 会場の息が止まった。今夜の音楽は、もう戻らない。

 わたくしの中で、破滅の恐怖が別の恐怖に塗り替えられていく。自由を掴んだはずの手に、別の鎖が掛かろうとしている。

 けれど、その鎖は金色でも銀色でもなく――黒い。理屈と政治で編まれた、宰相の鎖だ。

 目の前の男は、わたくしの悪役の仮面を見破っている。いや、見破った上で利用しようとしている。そう思った瞬間、胸の奥が熱く震えた。怖いのに、目が逸らせない。

 クロード様が立ち上がり、こちらへ向き直る。差し出された手袋の白が、白薔薇の光を反射した。

「返答は明日正午までで構いません。今夜は、ここで倒れないことだけを優先しなさい」

 その声は命令に近いのに、不思議と息がしやすくなった。

 わたくしは、差し出された手を見つめた。あの攻略画面には、こんな選択肢はなかった。

 ここから先は、攻略サイトにも載っていなかった“宰相ルート”だと、わたくしは理解してしまった。

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第1章 第0話 断罪の舞踏会、宰相ルートへ
 婚約を破棄する、だなんて。よりによってこの曲の最中に宣言なさいますの? 白薔薇の香りが、息をするたび肺の奥まで刺さる。王城の大広間は、天井から垂れた花飾りと硝子の燭台の光で昼のように明るい。その祝祭の中心で、わたくしは王太子アルノルト殿下の手を取ったまま、足を止めた。 音楽はまだ流れている。けれど、会場の空気だけが先に凍った。「レティシア・エルネスト。貴様との婚約をここに破棄し、王家の名のもとに断罪する」 そう、それ。聞き慣れた台詞。前世で何度も見た、断罪イベントの口火だ。 わたくしの脳内には、存在しないはずの選択肢が並ぶ。逃げる。泣く。縋る。悪あがきする。どれを選んでも、最後は追放と死。そんな筋書きだった。 だから、わたくしは笑う準備をしていた。泣き叫ぶより、笑って舞台を壊した方が、ずっと現実的だと知っている。 殿下の腕の向こう、花束のように守られた位置に、マリア様が立っていた。淡い薔薇色のドレス。庶民出身の少女が、今夜は物語の主人公の顔をしている。「レティシア様は……私を、ずっと苦しめてきました。学園でも、皆さまの前でも」 震える声。潤んだ瞳。会場のため息が、同情の波になって押し寄せる。「やっぱり、あの侯爵令嬢は」 「殿下が可哀想だわ」 囁きが連鎖し、わたくしの背中に刺さる。舞踏のステップはまだ頭の中で規則正しく刻まれているのに、現実の床だけが頼りない。 殿下の背後に数名の貴族が並んでいる。胸元の飾り、指輪の彫り。薔薇を模した意匠が、妙に棘立って見えた。 ここで取り乱したら、相手の思うつぼ。そう分かっていても、胸の奥で熱いものが跳ねる。前世の画面越しではなかった。今夜は、わたくしの名を呼ぶ声が、肌に触れる。「レティシア。言い訳はあるか」 殿下の声は甘くない。勝ちを確信した者の声だ。 わたくしはカーテシーの形を崩さず、唇だけで微笑んだ。「言い訳、ですの?」「貴族らしく取り繕うな。お前はマリアをいじめ、学園の評判を汚し、私を惑わせた」 惑わせた、とは便利な言葉だ。殿下の怠慢も遊びも、全部その箱に放り込める。 わたくしは小さく首を傾げる。悪役令嬢の仮面を、丁寧に被り直す。「まあ。わたくし、そこまで器用に悪役が務まるほど暇ではありませんの」「なにを……」「殿下が“惑わされた”とおっしゃるなら、現実の帳簿をご覧になっては
last updateHuling Na-update : 2026-01-21
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第1章 第1話 宰相婚約者と噂の朝
「王太子失脚! 舞踏会で断罪!」 「悪名高き令嬢、宰相閣下の婚約者に!」 「今度は宰相をたらし込んだのか、と市民は激怒!」 門前から聞こえる新聞売りの声が、朝の空気を乱暴に切り裂いた。  昨夜まで、わたくしは卒業舞踏会の光の中にいたはずなのに。  気がつけば、王都はもう次の物語を売り歩いている。 エルネスト侯爵家のサロンは、いつも通りに整っていた。  白いクロス。磨かれた銀器。窓辺の薔薇。  けれど、テーブルの上の新聞だけが、場違いなほど黒い。 わたくしはカップを持ち上げ、香りを確かめてから口をつけた。  この家の紅茶は、安心の味がする。  だから余計に、紙面の文字が苦い。 父が新聞を指先で弾いた。  外交官らしい落ち着きのまま、声だけが少し低い。「レティシア。見出しは派手だが、肝はここだ」 「どこですの」 「陛下が宰相の判断を全面的に支持するとコメントを出している。これが公式の線だ」 母は新聞の別欄を覗き込み、目を輝かせた。「まあ……公爵家当主からの求婚。しかも公の場で。これは伝説の始まりですわね」 「母上、伝説は厄介です」 「厄介でも、素敵よ。だって皆が驚くもの」 母の声は弾んでいるのに、背筋に冷たいものが走った。  皆が驚く。  つまり、皆が勝手に物語を決める。 昨夜、わたくしは確かに勝った。  王太子アルノルトは拘束され、マリア様も調査対象になった。  ゲームならそこで画面が切り替わって、破滅回避おめでとうの文字が出る。 でも現実は、祝福より先に噂が走る。  悪役令嬢が宰相を篭絡した。  王太子を陥れた女が、次は国を操る。  その言葉は、紙面から立ち上がって喉を締めた。 父がわたくしを見た。  政治家の目だ。  同時に、父親の目でもある。「恐れているな」 「当然ですわ。昨日まで、わたくしは悪役の役を押し付けられていたのですもの」 「だからこそ、宰相はおまえを選んだ」 「選んだ理由が才覚なら、まだ救いがありますわね。もし盾なら」 「盾だとしても、おまえは折れない。そこは父として誇っている」 誇り。  その言葉だけで涙が出そうになって、わたくしはカップの縁を見つめた。  泣くのは後。  泣ける場所を確保してから。 母が手
last updateHuling Na-update : 2026-01-21
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第1章 第2話 宰相邸へ・空席の椅子の家
『庭は剪定される。棘に触れた者から。』  馬車の揺れに合わせて、膝の上の紙が微かに鳴った。  甘い匂いがまだ指先に残っているのが、不快だ。  昨夜の舞踏会の香水とは違う。薔薇でもない。もっと湿って、土に近い香り。 これを門扉に挟んだのは誰。  わたくしの喉元に触れた刃は、見えないまま移動している。 窓の外には、侯爵家の紋章を付けた護衛が並走していた。  父が付けた盾だ。けれど盾は、刺客を遠ざけるだけで、相手の正体までは教えてくれない。 指で紙の端を折り返し、裏面を確かめる。  何もない。ただの脅しだと笑えたら楽だったのに、笑えない。  脅しが、言葉の形をした合図にも見えるからだ。 前世の記憶が、勝手にページをめくる。  乙女ゲームの中で「庭」だの「棘」だのは、だいたい詩的な比喩だった。  けれど今の王都は、比喩で人が死ぬ。  昨夜だって、台詞と帳簿で王太子が落ちた。 宰相邸へ向かう道は、知っているはずの景色なのに、ところどころが違う。  舗装の石の模様。警備の人数。街角の掲示板に貼られた布告の文言。  小さなズレが積もって、世界が別の盤面に置き換わった気配がする。 攻略サイトにも載っていなかった宰相ルート。  その入口に、脅し文が落ちている。  わたくしは息を整えた。  怖がっている暇はない。怖いなら、怖さごと利用すればいい。「お嬢様、間もなくでございます」 御者の声に、背筋を伸ばす。  わたくしは紙を手袋の内側へ滑り込ませ、表情を作り直した。 門が見えた瞬間、空気が変わった。  宰相公爵家の屋敷は、城の延長のように無駄がない。  高い塀。鉄の門。庭は整いすぎていて、風の通り道まで計算されている気がした。  歓迎の花はあるのに、甘い匂いが薄い。香りまで節約しているのかしら。 馬車が止まる。  門の向こうに並ぶ使用人たちが、わたくしを見て固まった。  視線の温度が揃っていない。  敬意、警戒、好奇心、恐怖。  混ざったまま、わたくしのドレスの裾に触れてくる。 先頭の老紳士が進み出た。銀縁の眼鏡ではない。けれど、目の奥が鋭い。  宰相付き執事、オスカー。  その名は社交界の噂で聞いていた。「レティシア・エルネスト公爵令嬢。遠路お疲れでございましょう
last updateHuling Na-update : 2026-01-21
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第1章 第3話 政略婚の条件と、まだ座らない椅子
「この椅子に、座るかどうかを」  クロード様の声が、首筋に冷たく触れた。  振り向けば、黒髪と銀縁眼鏡が距離を詰めている。噂通りの腹黒宰相。けれど噂より静かで、噂より目が醒める。「……わたくしに、決めろと」 「決めろ、だが意味を理解してからだ」  机の隣、空席の椅子を顎で示す。王城の議場と同じだ。椅子は家具ではなく立場だと、この男は言外に告げている。 わたくしは手袋の中で、あの紙の角を押さえた。  庭の匂いがする、と言い当てられた脅し文。見せてもいないのに。  管理下だ、と言われても不思議ではない。むしろ遅いくらいだ。「嫌なら今すぐ帰れ、とおっしゃいましたわね」 「そうだ」 「帰りません」  自分の声が、思ったより澄んでいた。  怖いのに、引き返したくない。鎖の気配がするのに、視線を外せない。前世の画面にはなかった選択肢が、現実には山ほどある。 クロード様は息を吐く気配すら控えめに、机の向こうへ回った。  椅子に腰を下ろす動きが無駄なく、背筋がやけに真っ直ぐだ。目線だけがこちらを測り、書類を読むようにわたくしを読む。「では条件を聞け、今日のうちに決める」 「こちらも条件を出しますわ」  わたくしが言うと、眼鏡の奥の瞳が僅かに細くなった。驚きではない。想定内だという顔。「まず、エルネスト家を人質のように扱わないこと」 「当然だ」 「家を盾にすれば、君の思考が鈍る」  即答が、冷たいのに妙に優しい。  胸が跳ねて腹立たしい。安心してしまう自分が、いちばん危ない。「次に、わたくしの身辺警護は貴殿の責任で手配すること」 「侯爵家の護衛では防げない、と言っただろう」  また言い当てる。  わたくしは唇の裏を噛んだ。知られている。どこまで。「そして婚約は形式だけでは終わらせない」 「終わらせたくないなら、ですけれど」 「……ほう」 「わたくしは飾りではありません、噂の素材でもありませんの」  言い切った瞬間、胸の奥が熱く震えた。  感情が前へ出るのは苦手だ。けれど今ここで引いたら、また誰かの台本に戻る。 クロード様は指先で机を軽く叩いた。音が小さいのに、室内の空気が整列する。 ベルが鳴り、オスカーが無音の足取りで紅茶を運んできた。  銀器は磨き抜かれている
last updateHuling Na-update : 2026-01-21
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第1章 第4話 戦場のような朝と、ぎこちない朝食
 目を覚ました瞬間、宰相邸が燃えているのかと思った。  壁の向こうで走る足音、廊下を切る指示の声、紙束の擦れる音。  まだ陽が昇りきらない時刻なのに、空気だけが昼間の速度で動いている。「婚約者様、失礼いたします」  扉の外から控えめな声がした直後、間髪入れずに別の声が重なる。 「食堂の準備は間に合うの? 閣下の予定表、赤字が増えてるわよ!」 わたくしは寝台から身を起こし、髪をまとめる前にガウンを羽織った。  昨日まで客人扱いだった部屋が、今日はもう戦場の後方拠点だと告げられている気がする。 扉を開けると、若いメイドが盆を抱えたまま硬直していた。  わたくしの顔を見て、息を呑む。  噂の「悪役令嬢」が、ここで目を開けた。そう思ったのだろう。「ご心配なく。わたくし、噂よりはずっと打たれ強いのですわ」  笑ってみせると、彼女は慌てて頭を下げた。「申し訳ございません。閣下の朝は……その……」 「速いのですね」 「はい。速すぎます……!」 廊下の向こうでは、書類箱を抱えた執事が、門番に何かを叫んでいる。  来客の馬車が増えた、と。  新聞売りが屋敷前に張りついた、と。  わたくしの名が見出しに踊るのは、きっと今日もだ。 曲がり角を曲がったところで、黒い上着の影とぶつかりそうになった。  ぶつかる寸前、影が肩を引き、避ける。  眼鏡の銀縁が、薄暗い廊下の光を拾った。「……早いな」  クロード様だった。髪はきちんと整っているのに、目元だけが寝不足の色を隠せていない。「宰相邸の朝は、優雅とは程遠いのですね」 「優雅に見せる余裕があれば、国庫も黒字だ」 「なるほど。優雅は財政の余白、ですわね」 返した瞬間、クロード様の視線がこちらに向く。  声色は変わらないのに、空気の温度が少しだけ上がった気がした。「朝食に遅れるな。使用人が困る」 「承りましたわ」 彼はそれだけ言うと、廊下の奥へ消えていった。  背中が、紙と鉄の匂いをまとっている。  なのに、その背中に追いつきたいと思う自分が、少しだけ怖い。 食堂は長いテーブルが中央に置かれ、窓から冷たい光が差し込んでいた。  席は端と端。距離が、儀礼として固定されている。「おはようございます、クロード様」 「おはよう、レテ
last updateHuling Na-update : 2026-01-22
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第1章 第5話 宰相補佐・仮採用と、毒殺フラグの招待状
「そうしろ、私の隣で」  その言葉が耳の奥に残ったまま、わたくしは封筒の端をなぞった。  優雅な会名の下に、差出人の名がある。  ローゼンベルク伯爵夫人。  喉の奥が、ひやりと冷えた。 前世で遊んだ乙女ゲームの画面が、勝手に立ち上がる。  薔薇の庭、白いカップ、倒れる貴婦人。紅茶がドレスの薔薇柄を赤黒く染める。  あれは事件の始まりだった。わたくしが何度やり直しても、誰かが倒れる場所。 現実の紙は、ただ軽い。  けれど指先だけが、紙の重さではなく先の筋書きを掴んでしまう。「……顔色が悪い」  クロード様の声が、執務室の静けさを切った。「問題ありませんわ、薔薇の香りが強いだけです」 「香りで人は死なぬ」 「香りそのものではなく、香りが呼ぶものが」 言いかけて、飲み込む。  ゲームの話など、信じろと言われても困るだろう。  だからわたくしは、封筒を机の端に揃えて置いた。逃げずに、置く。 机上の書類山が、さっきより高い。  オスカーが運び入れたばかりなのだろう。封蝋の赤が点々と並び、まるで戦場の旗印みたいだ。「続きだ、今度は本気で頼む」  クロード様が、ペン先で山を示した。 脳内に、見慣れた表示が浮かぶ。  クエスト更新、宰相執務の補佐。失敗条件、国家機能の遅延。 わたくしは息を整え、紙に触れた。  緊急、重要、担当部署。昨日より手が迷わない。  迷っている暇がないことを、身体が覚え始めている。「右の束は、同じ部署が3枚に分けて同じ言い訳をしているだけですわ」 「読む前から切り捨てるのか」 「読む前から分かる嘘は、節約です」 クロード様の口元が、ほんの僅かに動いた。  笑う寸前で止める、癖みたいな動き。「宰相補佐として正式に雇いたいくらいだ」 「婚約者手当込みでお願いしたいですわね」 「危険手当は払わん」 「危険の発生源が目の前にいるからですか」 「そうだ」 扉が叩かれ、若い文官が顔を出した。  視線がわたくしに刺さる。噂の悪役令嬢を、仕事の場でどう扱うべきか迷っている目だ。「閣下、至急の嘆願書でして」 「彼女に渡せ」 「ですが」 「仮採用だ」 文官の喉が鳴った。  わたくしの手元に紙が落ちる。紙面をちらりと見て、必要な行だけ拾
last updateHuling Na-update : 2026-01-23
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第1章 第6話 悪役令嬢、薔薇庭園に座る席
 招待状の封蝋を割った瞬間、紙が指先に噛みついた気がした。  中から落ちたのは、追加の小さな札。席次表。そこに印刷された私の名は、主催者のすぐ右に置かれていた。  前世の記憶が、色付きの挿絵みたいに脳裏で弾ける。薔薇の庭。白いテーブル。手を伸ばす貴婦人たち。誰かが倒れる。  ……毒殺イベントの席だ。 鏡の前で息を整えながら、私は頭の中に見えもしない表示を並べた。  好感度:陛下派 やや上向き。  好感度:旧王太子派 底。  危険度:貴婦人お茶会 最上。  生存条件:笑顔、観察、証拠、そして運だけは信用しない。 背後で布が鳴った。 「お嬢様、背中をお締めいたします」  新人メイドのリリアが、声を震わせないよう努力している。努力が可愛い。可愛いが、今日は可愛いで済まない日だ。 「息を吸って」 「はい……っ」  彼女の指が少しだけ震えた。私のせいだ。宰相邸の空気は戦場で、社交界はもっと戦場だ。「こちらの色は、陛下派の奥方方に評判でございます」  メイド長アデラが、淡い灰青のドレスを掲げる。布地は静かな光を返し、派手さより格を主張する。 「旧王太子派の方々は、もう少し甘い色を好まれますが……お嬢様は甘く見られる必要がございません」 「つまり、今日は可憐さで殴るより、正論で刺す日ですのね」 「お嬢様、物騒な比喩はお控えくださいませ」 私は笑ったまま、喉の奥が乾くのを感じた。  正論で刺す。いつも通りだ。けれど今日は、刺した返り血が紅茶に混ざるかもしれない。 扉の向こうで足音が止まり、低い声がした。 「準備は?」  クロード様だ。銀縁眼鏡の向こう、視線が私の装いを数える。書類の確認と同じ速度で。 「整っております……ただ、席が良すぎましたの」 「良すぎる席は、危険の目印だ」  即答。宰相として、が隠れていない声音。  私は席次表を差し出す。彼は目を落とし、眉を微かに動かした。 「主催者の右。挑発だな」 「ええ。前世の私なら、ここで失敗して終わっていました」 「ならば、終わらせない」  短い言葉の硬さが、胸の奥に残った。  仕事の言葉だ。けれど、私の心臓はそれを勝手に甘い音に翻訳する。 馬車の中で、私は手袋の縫い目をなぞった。  指先が冷えるたび、前世の
last updateHuling Na-update : 2026-01-24
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第1章 第7話 お茶会と毒入りティーカップ
「では、陛下のご健康と、わたくしたちの友情に――」  ローゼンベルク伯爵夫人の声が、薔薇の東屋に薄く響いた。  白いクロス。銀のスプーン。揃いすぎた笑顔。全員が同じ角度でカップへ手を伸ばす光景は、祝杯というより儀式だ。 わたくしの指先は、取っ手へ届く直前で止まった。  香りが違う。  同じ茶葉のはずなのに、紫の小花のカップだけ、甘さの奥に湿った土が混じる。 クロード様の声が耳の奥で硬く鳴った。  飲み物から目を離すな、君自身もだ。 給仕のメイドが盆を抱え、卓の端を回り込む。  手首がわずかに震え、いったんわたくしの前で止まる。  置く。置きかける。けれど刹那、視線だけを夫人へ送り、カップの位置を指先で直した。  間違えたのか、直したのか。  わたくし以外、誰も気づいていない顔をしている。「……侯爵令嬢様?」  右隣のベルノワ伯爵夫人が、唇だけで笑った。 「乾杯の前から怯えていらっしゃるの?」 「怯えているのではなく、香りを楽しんでおりますの」  喉の奥だけが乾く。 伯爵夫人の胸元、赤い薔薇のブローチが太陽を刺すように光った。  棘の意匠。飾りにしては攻撃的だ。  その棘が、わたくしの喉元へ向けられている気がする。 乾杯の輪が完成する。  細い腕、白い手袋、宝石の指輪。  誰の手も美しい。だからこそ、毒が似合ってしまう。「さあ」  伯爵夫人が笑って促す。 わたくしはカップを持ち上げないまま、微笑んだ。  盾は必要だ。けれど盾だけでは、相手の手札が見えない。 わざと扇子を落とす。  布が膝へ滑り、手袋の指先がクロスをなぞった。  拾い上げる動作に紛れ、紫の小花のカップを、隣の金縁の蔦模様のカップとそっと入れ替える。  音は立てない。視線も動かさない。社交界で身に付けた、優雅な悪意の技だ。 入れ替えた瞬間、ベルノワ伯爵夫人の瞳が細くなった。  伯爵夫人は笑みのまま、わたくしの手元を見た。  向こう側の商家の娘は、カップではなくメイドの手を見ている。  中立派と噂の夫人は、扇子の影からこちらを短い間だけ覗いた。 候補は3人。  主催者の伯爵夫人。  王太子派に取り入りたい商家の娘。  どちらにも顔を出す中立の夫人。  そして、震えるメイド
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第1章 第8話 薔薇の影と伯爵夫人
 王城からの封蝋が、わたくしの指先で小さく割れた。  中身は短い。けれど刺さる。  ――毒殺未遂の件、侯爵令嬢レティシアを事情聴取のため召喚する。 宰相執務室の窓辺で、クロード様が報告書を閉じた。 「ローゼンベルク伯爵夫人が、君を名指しで訴えた」  淡々とした声。淡々としているから怖い。「カップを入れ替えたのは事実です」  喉が乾く。昨夜の薔薇庭園の湿った甘い香りが、まだ鼻の奥に残っている。「理由を」 「紫の花のカップだけ、香りが違いましたの。土の匂いが混じっていた」 「……君は、その違和感で動いた」 「ええ。結果として、右隣のベルノワ伯爵夫人が毒に触れた」 言葉にした途端、胸が熱くなった。  わたくしが守りたかったのは自分の命だ。なのに、誰かの喉から血の色を引き出しかけた。  責めるなら、まず自分を責めるべきだ。  けれど、クロード様は責めなかった。  代わりに、机の端へ手袋を置き、短く言う。 「君が止めなければ、杯は回った。倒れる者は増えた」  慰めではない。事実の提示だ。だからこそ、胸の痛みが少しだけ形を変えた。 クロード様は机上の紙束を滑らせた。 「現場で採取した紅茶から、夜薔薇草の反応が出た。ベルノワ伯爵夫人は回復に向かっている」  救われた。そう思った瞬間、肩の力が抜けそうになる。  しかし次の行で、また落とされる。 机の端で、銀盆が鳴った。  執事が封書を置く。紋章はベルノワ伯爵家。 「昨夜の件で、ベルノワ伯爵夫人より」  喉が詰まるのを押し込み、封を切る。 丁寧な筆跡で、短く記されていた。  命は助かった。宰相邸の侍医に感謝する。――そして、入れ替えの所作を見た、と。 胸の奥がひくりと痛んだ。  敵だと思っていた人が、目撃者になる。社交界は、踊りより目まぐるしい。「君の指紋が付いた蔦模様のカップが、重要物証として押さえられている」  なるほど。台本は毒だけではない。
last updateHuling Na-update : 2026-01-26
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第1章 第9話 公開裁きと宰相の隣の椅子
「――侯爵令嬢レティシア・エルネスト。貴女にも発言の機会を与える」 呼び上げられた瞬間、白薔薇の香りが肺の奥で刺さった。王城の大広間。舞踏会の夜と同じ場所なのに、音楽だけがない。代わりにざわめきが拍を刻む。 視線が集まる。断罪の夜に浴びたものと、形が似ているのが腹立たしい。 絨毯の中央へ歩く。国王陛下の玉座、その下段に宰相席の列。クロード様の黒と白は控えめなのに、そこだけ空気が締まる。 反対側。被告席の伯爵夫人が、涙の膜越しにこちらを見た。エリザベート・ローゼンベルク。鎖だけが異物みたいに光っている。 係官が指すのは証人席。だが指先が、ほんのわずか被告側の椅子へ揺れた気がした。濡れ衣の椅子は、ここにも用意されている。 喉が乾く。けれど私は笑みを作った。短い冷たさは武器になる。「承りました、陛下」 裁きが始まる。書記官が読み上げるのは毒殺未遂の経緯。お茶会の席順。カップの柄の違い。給仕の動線。私の手元で入れ替わった蔦模様の金縁。あの日の光景が、言葉の列になって広間へ撒かれていく。「わたくしは……平等のために……」 伯爵夫人が泣き声を整える。「古い貴族社会のせいで、どれほど多くの者が声を奪われてきたか。わたくしは、庭を整えたかっただけなのです」 庭。整える。剪定。指先に残った甘い匂いがよみがえる。『庭は剪定される。棘に触れた者から。』 伯爵夫人は濡れた瞳を上げ、私へ向けて囁く。「レティシア様はお強い。お強い方ほど、弱い方の痛みを知らない」 胸の奥が熱くなった。怖さが遅れて来る。断罪の夜の冷えが、今さら皮膚の下を走る。 クロード様の指が肘掛けを軽く叩いた。呼吸を戻せ、と聞こえた。「痛みを知らないわけではありませんわ」 私は息を吸い、続ける。「痛みを理由に、他人の口を毒で塞ぐつもりもありませんの」 伯爵夫人の唇が僅かに歪んだ。「陛下。わたくしが提示したいのは、理想論ではなく手順です」 侍従が押収品を運ぶ。棘
last updateHuling Na-update : 2026-01-27
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