All Chapters of 終わらない夜の果てに: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

3日後、英樹の会議はようやく終わった。彼はこめかみのあたりを揉みながら、何日も電源を切っていたスマホをつけた。すると、メッセージが滝のように流れ込んできた。百合からは99件以上の通知が来ているのに、瞳からのメッセージはたった1件だけだった。英樹は無意識に、瞳のメッセージを開いた。それは、送金の通知だった。【送金額:1000万円】【備考:2週間分の家賃と治療費】それ以外、一言も書かれていなかった。英樹は眉をひそめ、呆れて鼻で笑ってしまった。そして細長い指で、画面をタップした。【俺がこんなはした金を気にするとでも思っているのか?俺たちの仲だ、そんなにきっちり清算することもないだろ?】しかし、メッセージを送った後、画面を見つめて10分間待った。いつもなら、メッセージを送ると瞳はすぐに返信してきた。しかし今回は、トーク画面は不気味なほど静かだった。英樹はそのまま、瞳に電話をかけた。「おかけになった電話は、電源が入っておりません……」機械的な女性の声が、スマホから聞こえてきた。英樹は少しきょとんとした。まさか、まだ寝ているのか?頭に、瞳の寝顔が浮かんだ。長いまつげが顔に小さな影を落とし、赤い唇が少し開いている。時々、無意識に自分の胸の中に潜り込んでくるのだ。そう思うと、彼の口元には自然と笑みがこぼれた。瞳のアイコンをタップすると、そこには気位の高そうなラグドールの写真があった。その青い瞳は、まるで全てを見下しているようで、瞳本人によく似ていた。英樹は無意識に指で画面をなぞり、最後に【明日の夜に帰る。迎えに来い】と送った。しかし、やはり、メッセージは既読にすらならなかった。英樹はスマホを置き、哲也に電話をかけた。「頼んでいた件、どうなった?」「社長、確認が取れました。例の真珠のネックレスですが、今夜のオークションに出品されるそうです。瞳さんのお母さんが、生前つけていらっしゃったものに間違いありません」「車を用意しろ」30分後、英樹はオークション会場に姿を現した。黒のスーツに金の縁の眼鏡をかけ、その奥の瞳は冷たく人を寄せ付けないオーラを漂わせて、彼は何人ものセレブの女性からの誘いを断っていた。そして、例の真珠のネックレスがステージに運ばれると、会場はどよめいた。「最低落
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第12話

「当然、瞳だ」英樹がそう口にした瞬間、哲也は急ブレーキを踏んだ。すると、タイヤが地面をこする甲高い音が響き渡った。そして「すみません、社長!」哲也は慌てて謝ったが、背中には冷や汗が流れた。だが、予想外のことに、英樹は怒らなかった。ただ冷ややかに目を上げ、バックミラー越しに哲也を見た。「その答えが、そんなに驚くことか?」哲也はハンドルを握る手が微かに震えていた。驚くどころではない。それは常識が覆されるほどの衝撃だ。だが、彼はそれを正直に言う勇気はなく、遠回しに言った。「でも……社長は百合さんのことを、瞳さんよりも大事にされているように見えましたから……」英樹は長い指で眉間を押さえ、革張りのシートに深くもたれかかった。「あれは、命の恩人だからだ」車窓の外のネオンが、彼の整った横顔を照らす。いつもは冷静沈着なその瞳に、珍しく疲れの色が滲んでいた。英樹は目を閉じた。すると、潮が満ちるように、過去の記憶が蘇ってきた――高校時代、英樹は「高嶺の花」として有名だった。毎日、机の引き出しはラブレターでいっぱいで、廊下ではわざとぶつかってくる女子が後を絶たなかった。一番すごかったのは、校舎の下でバラの花びらをハートの形に並べて、告白してきた子もいたことだ。その時、「三浦さん、誰か特定の女子と仲良くしてるふりをしてみたらどうですか?」生徒会長が知恵を貸してくれた。「そうすれば、他の連中も諦めるでしょう」英樹は、それはいい考えだと思った。誰にするか?校庭に目をやると、野良猫に餌をあげている百合の姿が目に入った。その日はよく晴れていて、白い制服のスカートをはいた百合が木の下にしゃがんでいる姿は、たしかに清純で無垢な感じがした。この人にしよう。それからというもの、英樹は意識的に百合を特別扱いするようになった――百合から渡された水しか飲まないようにしたり、スピーチの時は彼女が座っている方向だけを見たり。極めつけは、学校での二人の噂を黙認したりもした。すると効果はてきめんで、ラブレターの数は激減した。そして、卒業式の日、百合にカフェへ誘われた。道を渡ろうとしたその時、コントロールを失った車が二人に向かって突っ込んできた。まさに一触即発の瞬間、百合が英樹を突き飛ばした。ドンッ――けたたましいブレーキ
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第13話

そこには白いワンピースを着た百合が、儚げな様子で少し離れた場所に立っていた。瞳ではなかった。英樹が何が起きたか理解するより先に、百合がその胸に飛び込んできた。腕の中に飛び込んできた白い影を見て、英樹の体は一瞬、かすかにこわばった。だが、彼は表情を変えずに百合をそっと引き離し、わざと他人行儀な声で言った。「どうしてここにいるんだ?」百合は顔を上げ、期待に目を輝かせて言った。「山下さんにフライトを教えてもらったの。あなたを迎えに、わざわざ来たのよ」そう言って百合は唇をきゅっと噛み、切なげな表情を見せた。「英樹さん、私に来てほしくなかった?」「そんなことはない」英樹はカフスを直すふりをして、百合が伸ばしてきた手を避けた。「ただ、ここは風が強すぎる。君は体が弱いんだから、風邪を引いたら困るだろ」「大丈夫よ、ここ数年、海外であなたが手配してくれた医療チームのおかげで、もうすっかり元気になったから」百合はくるりと一回転してみせ、白いスカートが花びらのようにふわりと広がった。そして、彼女は突然、英樹の袖口をつかんだ。「英樹さん、もし急ぎの用事がないなら、付き合ってほしい場所があるの。あなたに話したいことがあるのよ」英樹は腕時計に目をやった。瞳が迎えに来ていないってことは、まだ怒っているのだろうか。あの真珠のネックレスだけじゃ、機嫌は直らないかもしれない。もっとプレゼントを用意しないと……瞳が一番好きなケーキ屋のミルフィーユと、最新の限定バッグ。それから……そう思いに耽っていると、「英樹さん?」百合の声が英樹を現実に引き戻した。「ああ」彼は哲也に目配せをし、小声で何かを指示すると、百合と一緒に車に乗り込んだ。そして、車窓の景色が飛ぶように後ろへ流れていく中、英樹は上の空でスマホの画面をなでていた。瞳からの最後のラインは送金の通知で、それきりだ。それから一言も送ってこなかった。そう思っていると、車は高級ホテルの前に停まった。英樹は眉をひそめた。「どうして、こんな所に連れてきたんだ?」百合は答えずに微笑み、彼の手を引いて中へと入っていく。ホールの大きな扉を開けた瞬間、英樹は思わず足を止めた。クリスタルのシャンデリアが放つ光が眩しすぎる。会場全体が、ロマンチックな告白の舞台のように飾りつけられていた。
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第14話

「英樹さん、何を言ってるの……私のこと、好きじゃないって?」百合の声は甲高くなり、顔から血の気がすっと引いた。「そんなはずない!だってあなたは……」「誤解させてしまったのなら、申し訳ない」英樹の声は、残酷なほど冷静だった。「昔は言い寄ってくる女が多すぎてね。君には彼女らを断る口実になってもらっていたんだ」口実って?その言葉に、百合の顔は真っ白になった。それから、英樹は少し間を置いて続けた。「そのお詫びとして、毎年君の口座にお金を振り込んでいる。これはただの取引だと、君も分かっていると思っていた。その後、君が俺をかばって事故に遭い、体に傷が残った。だからここ数年は、君の願いは何でも聞いてきたんだ」英樹は顔面蒼白になった百合の顔を静かに見つめた。「でも、それはただの恩返しだ。他に意味はない」その言葉で、会場は一瞬にして騒然となった。さっきまでの羨望の眼差しは、あっという間に嘲笑と軽蔑に変わり、ひそひそ話の波が百合に押し寄せた。「ほら、やっぱりね。三浦社長ほどの人が、こんな女を相手にするわけないと思ってたのよ……」「いつも気取った様子で振る舞ってたけど、結局はただの勘違いだったのね」「三浦社長って、有名な高嶺の花じゃない?人気女優が裸でベッドに忍び込んでも追い出されたって話よ。こんな女が相手にされるわけないでしょ……」「百合さんのお母さんって、不倫相手から本妻になったんでしょ。やっぱり親子揃いでろくなもんじゃないわね。玉の輿狙いだったのよ」その一言一言が、刃物のように百合の心に突き刺さった。彼女は何よりもプライドを大切にしていた。今日のこの告白のために3ヶ月もかけて準備し、あらゆる著名人を招待した。全ては、華々しく「三浦夫人」になるためだったのだ。なのに、現実は……すると、百合は全身を震わせ、爪が手のひらに食い込むほど強く握りしめた。もし英樹が自分を好きじゃないのなら、一体誰を好きだというの?そう思っていると、ある恐ろしい考えが頭に浮かんだ。まさか……瞳?そう思うと、彼女は狂いそうになった。百合は激しく首を横に振った。そんな可能性を認めたくなかった。だが、次の瞬間、英樹はもう背を向けて歩き出そうとしていた。「英樹!」百合は最後のプライドを振り絞って英樹の袖を掴んだ。「この何年間、あなたは本
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第15話

それを聞いて、英樹は雷に打たれたような衝撃を受け、スマホを握る指にぐっと力が入った。「なんですって!?」しかし運悪く、車がトンネルに入ったため電波が途切れ、電話は切れてしまった。「引き返せ!酒井家へ行け!」英樹の声は恐ろしいほど冷たく、瞳の奥にはこれまでにないほどの激しい怒りが渦巻いていた。すると、哲也もその剣幕に驚き、ハンドルを切り損ねそうになりながらも、急いで車をUターンさせた。英樹のこんな姿は今まで一度も見たことがなかったから。いつもは冷静沈着な男が、今は目を血走らせ、固く歯を食いしばっている。まるで、今にも暴れ出しそうな様子だった。そして車が酒井家の邸宅に猛スピードで到着すると、英樹はドアを蹴破って中に押し入った。そこでソファに腰を掛けお茶を飲んでいた翔平は、その剣幕に驚いてカップを落としそうになった。「英樹くん?どうした?」「瞳が、盛沢市に嫁いだと?」英樹は、歯の隙間から絞り出すように、一語一句ゆっくりと尋ねた。翔平はきょとんとしたが、すぐにご機嫌取りの笑みを浮かべた。「ああ、3日前に嫁いだんだ。君だって瞳がうるさいのを嫌っていたでしょ?ちょうど盛沢市のあの死にかけの御曹司が、花嫁を探していて、1兆もの大金を提示されたものだから、瞳を嫁に出したんだ。これで君も百合と一緒になれるし、邪魔者は誰もいなくなるでしょ……」「俺が百合を好きだと誰が言ったんですか!?」英樹はそう言ってローテーブルに拳を叩きつけた。するとガラスの天板が粉々に砕け散った。英樹は信じられなかった。この男は父親であるにも関わらず、たかが1兆のために実の娘を売り飛ばすなんて。「だれか人をよこせ」その声は氷のように冷たい。「この邸宅を、めちゃくちゃにしてやれ!」すると、哲也がすぐに部下を連れて飛び込み、陶磁器や家具、名画など、家にあるものすべてをあっという間に破壊した。翔平は顔面蒼白になり叫んだ。「英樹くん!一体何をする!?」「本日をもって、酒井グループを――」英樹は一語一句、力を込めて言い放った。「破産に追い込んでやりますから」「やめろ!英樹くん!そんなことはよしてくれよ!」翔平は泣きながらすがりついた。「俺と君のお父さんの仲じゃないか……」「仲?」英樹は鼻で笑った。「あなたにそれを口にする資格があるのですか?」そ
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第16話

そのころ瞳は部屋で、溢れかえるブランド品を眺めながら、どこか夢見心地だった。中村家に来たその日から、使用人たちはひっきりなしに瞳の部屋へ贈り物を運び込んできた。オートクチュールのドレス、限定品のジュエリー、有名ブランドのバッグ……それらで部屋は埋め尽くされてしまうほどだった。「酒井様、こちらは健太様が先ほどオークションで落札されたブルーダイヤのネックレスでございます。こちらは海外から空輸された最新コレクションのドレスです。健太様が、酒井様は赤がお好きだとおっしゃるので、全種類お取り寄せいたしました。それから、こちらのバッグも……」ついにたまりかねて瞳は使用人の話を遮った。「ねえ、この部屋を見て。これ以上、物を置く場所なんてあると思う?」だけど、使用人たちは顔を見合わせ、そのうちの一人がすぐにインカムを押さえて小声で報告した。「健太様、酒井様はお部屋が狭すぎるとのことです。2000平米ほどの邸宅をご用意しましょうか」「そういう意味じゃないんだけど!」使用人は大真面目な顔で言った。「健太様からは、酒井様のためならお金にいとめはつけないとの申しつけがございますので」瞳はこめかみを押さえた。「その人、お金の使い方がちょっとおかしくない?」「健太様はお金持ちでございますので」と使用人は真剣な顔で言った。「これしきの出費は、大したことはありません」瞳は深呼吸を一つして、この数日間ずっと聞きたかったことをようやく口にした。「ここに来てもうすぐ1週間になるんだけど、そろそろ会わせてもらえないかしら?」使用人は少し言いよどんだ。「健太様は……まだ心の準備ができていない、と」瞳は言葉を失った。「私をここに『ご招待』しておいて、本人の準備がまだだって?」彼女は立ち上がった。「わかったわ、それじゃあ私、帰らせてもらうから」しかし、その言葉がまだ言い終わらないうちに、使用人たちが突然、一斉に背筋を伸ばし、恭しくお辞儀をした。「健太様、お帰りなさいませ!」瞳はきょとんとした顔になった。そして、ドアの方を振り向いた。すると、足音が遠くから近づいてきて、すらりとした人影が視界に現れた。男はシンプルな白いシャツに黒いズボンを穿いていた。その姿は彼の足の長さを際立たせていて、涼しげな目鼻立ちは輪郭をくっきりとさせ、上品で清潔感のあ
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第17話

「10年前、江川市であったクルーザーパーティーで……誰を助けたか、覚えていないのですか?」瞳はきょとんとして、突然10年前の記憶が蘇った――あのパーティーで、瞳は甲板のへりで風にあたっていた。すると突然、「ドボン」という音が聞こえた。小さな男の子が海に落ちたのだ。そして、周りの人たちが気づく前に、瞳はもう飛び込んでいた。海水は凍えるように冷たかった。彼女は必死にもがく人影に向かって泳ぎ、何度も水を飲みながらも、なんとかその子を岸まで引き上げた。「大丈夫?」ずぶ濡れになりながらも、瞳は自分のことは構わず、男の子のそばにひざまずいて応急手当を始めた。男の子は何度か水を吐き出し、目を開けた。そのまつげには、まだ水滴がついていた。瞳は自分の上着を脱ぐと、震える男の子の体を包んだ。「ぼく、これからは気をつけるのよ。甲板に近づいちゃだめ」すると、男の子は瞳の服の裾をぎゅっと握りしめ、その目は星のように輝いていた。……瞳ははっと我に返ると、信じられないという顔で健太を見た。「あの時、海に落ちた子って……あなただったんですか!?」健太は耳を少し赤らめて言った。「うん。10年も、探していました」瞳はふっと笑った。「でも、あの時あなたはまだ12歳で、私は16歳でしたよ。4つも年上じゃないですか」瞳は眉を上げた。「あの時、私でさえ恋愛をしたことがないのに、あなたはもう私に一目惚れしたってことですか?」健太は瞳を見つめ、澄んだ真剣な眼差しで言った。「瞳さん、正直に言ってもいいですか?」「どうぞ」「瞳さんが、あまりにも眩しくて」健太はささやくような声で言った。「太陽みたいに、目が離せなかったんです」瞳は呆然とした。これまで、自分を綺麗だと言ってくれた人は数え切れないほどいた。でも、健太の言葉は、なにか特別な響きを持っていた。それは多分、彼の目があまりにも澄んでいて、曇りがなかったからかもしれない。まるで、心のすべてを自分に差し出しているかのようだった。「瞳さん」健太は不意に一歩近づいた。「僕は、本気で瞳さんが好きなんです。騙すつもりはなかったのです。もしあなたが出て行きたいなら、あの1兆円もあなたのもので、僕はあなたを引き留めません。でも、もし僕に一度チャンスをくれるなら……」その声は少し震え
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第18話

「盛沢市の中村家と江川市の三浦家といえば、ずっと距離を置いてきた間柄なのに……あれは、三浦社長じゃないか?なぜここに?」招待客たちのささやき声が、会場に広がっていった。そして、そこにいた全員の視線が、入り口に立つすらりとした英樹の姿に釘付けになった。英樹は、スーツをびしっと着こなしてそこに立っていた。だけどその眼差しは、恐ろしいほどに険しいものだった。彼の視線は瞳と健太が固くつないだ手を鋭く見つめ、今にもすべてを焼きつくすほどの怒りが込められているようだった。「三浦社長のあの目……まっすぐ酒井さんのことを見てるけど、まさか彼女を奪いにきたんじゃ?」その様子に健太は、とっさに瞳を抱き寄せてかばった。彼は自分の腕で、まるで見えない壁を作るように瞳の前に立ちはだかった。しかし、瞳は予想外のことなほど落ち着いていた。彼女は英樹を見ると、ふっと笑みを浮かべた。「英樹、どうしてここに?私たちの結婚祝いでも届けにきてくれたの?」その言葉は、まるで鋭い刃物のように英樹の胸を深くえぐった。英樹は歯を食いしばり、こめかみに青筋を浮かべた。そして、ひどくかすれた声で言った。「瞳、俺と一緒に帰ろう」瞳は、さらに皮肉な笑みを浮かべた。「帰ってどうするっていうの?またあなたが百合さんをどれだけ愛しているかを見せつけられるだけじゃない?」「百合のことなんか好きじゃない!」英樹は、まるで叫ぶように言った。その声が響き渡ると、会場中がどよめきに包まれた。「俺が好きなのは、君だ!」招待客たちは息をのんだ。そして次の瞬間、会場は大きなざわめきに包まれた。「やっぱり、花嫁を奪いに来たんだわ!」「三浦社長って、淡泊な人だって有名だったのに……まさか中村家の御曹司と同時に酒井さんのことを好きになるなんて」「とんでもない修羅場じゃない……」英樹は深く息を吸って、爆発しそうな感情をなんとか抑え込んだ。そして低い声で言った。「場所を変えよう」だが、健太は鼻で笑った。「三浦社長、ここはあなたのくる場所じゃない」しかし、瞳はそっと健太の手を押さえた。「大丈夫。私が、ちゃんと英樹と話してくるから」健太は心配そうに眉をひそめた。それでも彼は最後はうなずいた。「一緒に行く」だけど、瞳は首を横に振った。「一人で行ってくる」――黒いマ
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第19話

結婚式を翌日に控えた、中村荘園。瞳はブライズルームのドレッサーの前に座り、ウェディングドレスにあしらわれたダイヤをそっと指でなぞった。窓の外にはやわらかな日差しが降りそそぎ、荘園では使用人たちが明日の結婚式の準備に追われていた。なにもかもが、完璧に思えた。すると、控えめなノックの音がした。「瞳さん?」健太がドアを開けて入ってきた。その手には温かいローズティーと、ひとつのビロードのきれいなプレゼントの箱があった。彼は仕立ての良い黒いスーツを着ていて、シャツの襟元は少し開いていて、金縁メガネの奥の瞳は、とろけるように優しかった。「朝ごはん、ほとんど食べてないだろ」健太はカップを瞳のそばに置き、困ったように言った。「聞いたよ。牛乳を半分飲んだだけだって」瞳は健太を見上げ、口の端を少し上げて微笑んだ。「あら、直々に、お説教なの?」「まさか」健太は身をかがめてプレゼントの箱を差し出した。「ただ、お腹がすいちゃうんじゃないかと思って」瞳が箱を開けると、中にはきれいなチョコレートがいくつか入っていた。「昔、ここのチョコが好きだったって聞いたから」健太がささやくように言った。「特別に取り寄せてもらったんだ」瞳はきょとんとした。まさか健太が、そんなささいなことまで調べてくれるなんて思ってもみなかった。瞳がなにか言おうとした、その時だった。荘園にけたたましい警報が鳴り響いたのは。「何事だ?」健太は眉間にしわを寄せ、すぐにイヤホンマイクを押さえた。「警備、状況を報告しろ」イヤホンから切羽詰まった声が聞こえた。「社長、システムがハッキングされました!監視システムもドアのロックも、すべて機能していません!」健太の顔色が一変した。彼は瞳に振り返り、「瞳さん、ここにいて。絶対に動かないで」と言った。健太は足早に部屋を出ていった。廊下から「すべての出口を封鎖しろ!」という彼の厳しい声が聞こえてきた。しかし、瞳が状況を飲み込む前に、部屋のドアが音もなく開けられた。ドアの前に、すらりとした人影が立っていた。その黒いコートはいつものように冷たい空気をまとっていた。英樹。瞳は、はっと息をのんで立ち上がった。その拍子に、ドレスの裾がドレッサーの上にあった香水瓶を払いのけてしまい、ガラスの割れた音が、静かな部屋にやけに大きく響
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第20話

そして、とあるプライベートアイランド、早朝。ヘリコプターが島の中央にあるヘリポートに着陸すると、プロペラの轟音は次第に静まっていき、残されたのは、波が岩に打ちつける音だけになった。英樹に抱きかかえられてヘリから降ろされた瞳は、両足が地面に着くと同時に、彼を強く突き飛ばした。「これって監禁?」瞳は鼻で笑った。そして、ウエディングドレスの裾が、海風にはためいて音を立てる中彼女は問いただした。「いつからこんな卑劣なことをするようになったのかしら?」英樹は怒るどころか、軽く笑った。「卑劣だから、何だ?」彼は手を伸ばして瞳の頬を撫でた。指先は冷たいのに、その眼差しは火傷しそうなほど熱かった。「瞳、君は俺のものだ。他の男に嫁ぐことなんて、金輪際許さないから」そして、島の中心にある邸宅の中。英樹は瞳を連れて、島全体を案内して回ったあと言った。「ここにあるものは、すべて君のものだ」英樹は大きな窓を開け放つと、潮の香りが混じった海風が流れ込んできた。「庭も、プールも、図書室も……あの海さえも」しかし、瞳の心は全く動かされることはなかった。「帰らせて」「瞳、今までの嫌なことは忘れるんだ」英樹は瞳を後ろから抱きしめ、その髪に顎を乗せた。そして、低い声で囁く。「俺たち、もう一度やり直そう。何もなかったことにして」瞳は英樹の腕から逃れ、振り返って鼻で笑った。「英樹、いつから自分に嘘をつくのが得意になったの?」英樹の体はこわばった。しばらくして、やっと口を開く。「瞳、必ず昔の君に戻ってもらうから」それからの日々、英樹は狂ったように瞳に尽くした。瞳が裸足で砂浜を歩けば、次の日には、海外から空輸されたきめ細かい白砂が海岸一面に敷き詰められた。瞳が夜中に目を覚ますと、ベッドの脇には月明かりのように柔らかな光を放つナイトライトが置かれていた。英樹はベッドの傍に座って瞳を見守っていて、その目は充血したままだった。瞳がふとマンゴーが食べたいと口にすると、次の日には、マンゴーの木が丸ごと空輸されてきて庭に植えられていた。こんな英樹を、瞳は今まで見たことがなかった。彼が優しくて、執着心が強くて、見境なく自分を甘やかしているのだ。すると、瞳は一瞬ふっと思った。もし昔、英樹がこんなふうに接してくれていたら、どんなによかっただろ
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