INICIAR SESIÓN酒井瞳(さかい ひとみ)は、業界では有名な小悪魔だった。彼女の少し上がった赤い唇に、その色っぽい目元はいつも男を誘っているようだった。 三浦英樹(みうら ひでき)は名家の跡取りの中でも特に優秀で、近寄りがたい雰囲気をまとう、禁欲的な男だった。 そんな正反対の二人が、誰にも知られず情を交わしている。深夜のマイバッハの後部座席で体を重ね、チャリティーパーティーの化粧室で激しく求め合う。そして、プライベートワイナリーの大きな窓の前では、英樹に強く腰を引き寄せられ、キスを交わしていたのだった。 今回も情事が終わったあと、バスルームからシャワーの音を聞きながら、瞳はヘッドボードにもたれながら、父の酒井翔平(さかい しょうへい)に電話をかけた。 「盛沢市の、あのもう先が長くないっていう御曹司のもとへ嫁ぐ件、受けてもいいわ。でも、一つ条件があるの……」 すると電話の向こうから、翔平の隠しきれない喜びの声が聞こえてきた。「言ってみなさい!嫁いでくれるなら、どんな条件だって呑むぞ!」 「詳しいことは、家に帰ってから話す」そう言って彼女の声は優しいのに、瞳の奥は凍えるように冷たかった。 そして瞳は電話を切り、服を着ようと体を起こした。その時、ふと、英樹がそばに置いたノートパソコンが目に入った。 ラインの画面はついたままだ。一番上には「百合」という名前の相手からの新着メッセージが表示されているのだ。 【英樹さん、雷が鳴ってる。こわいよぉ……】 それを見て瞳の指先が、ぴくりと震えた。 すると突然バスルームのドアが開き、英樹が出てきた。 まだ濡れたままの鎖骨を、水滴が伝い落ちていき、シャツのボタンを二つほど無造作に開けたその禁欲的な姿に、どこかアンニュイな色気が混じっていた。 「会社で用事ができたから、もう行く」英樹は上着を手に取った。その声は、いつも通り温度感がないものだった。 それを聞いて瞳は、赤い唇の端を上げて笑った。「会社に用事って?それとも、あなたの『初恋の人』にでも会いに行くのかしら?」
Ver más瞳が大人しくなったのは、監禁されてから27日目のことだった。もう抵抗はしないし、食事を拒むこともない。ときには、英樹に微笑みかけることさえあった。英樹は最初こそ警戒していたが、次第に瞳が本当に諦めたのかもしれないと信じるようになった。「今日は何が食べたい?」朝、英樹はネクタイを締めながら、ベッドのそばに立って瞳に尋ねた。瞳はヘッドボードに寄りかかり、長い髪を肩に垂らして、落ち着いた声で言った。「あなたが作ったもの」英樹は指の動きを止め、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに「わかった」と微笑んで、キッチンへと向かった。その後ろ姿は、珍しくリラックスしているように見えた。だが、瞳は英樹の姿がドアの向こうに消えるのを見届けると、すぐに布団をめくりあげ、マットレスの下から小型パソコンを取り出した。それは先週、英樹の書斎から盗んだものだった。瞳は素早くコードを打ち込んでいく。その指先は、キーボードの上を舞うようだった。彼女は音もなく島のセキュリティシステムに侵入し、暗号化された救助信号を送信した。3日後の、夜更けだった。瞳は崖の縁に立っていた。吹き付ける海風が、スカートをばたばたと音を立てて揺らしていた。すると、背後から慌ただしい足音が聞こえた。健太が駆けつけたのだ。「瞳さん!」健太は顔面蒼白で駆け寄ってくると、叫んだ。「こっちだ!」瞳は追ってきたボディーガードを一瞥し、ふっと笑った。「健太さん、高いところは苦手?」健太が何事かと戸惑う間もなく、瞳は彼の手を引いて崖から身を投げた――眼下には荒れ狂う波が渦巻いていた。しかし、崖の途中には、瞳が前もって調べておいた足場があった。ボディーガードたちは手を出せず、二人が闇の中へ消えていくのを見送るしかなかった。波が岩に打ち付ける中、瞳と健太はずぶ濡れになりながら、なんとか岸までたどり着いた。「急げ!」健太は瞳の手を引いて、ボートへと走った。その瞬間、眩い光が二人を照らした。岸には、英樹が数十人のボディーガードを従えて立っていた。「気が済んだか?」英樹の声は、氷のように冷たかった。瞳は健太を背後にかばい、言った。「英樹、健太さんを逃がして」英樹は瞳をじっと見つめると、ふっと笑った。「いいだろう。だが、君はここに残ってもらうから」瞳が
三浦グループの仕事が山のように溜まっていたので、英樹は一度会社に戻らなければならなかった。プライベートアイランド、黄昏時。英樹が去って3日目。瞳は大きな窓の前に立ち、遠くの水平線に最後の光が沈んでいくのを見ていた。使用人がそっと入ってきて、温かい牛乳を一杯置いた。「奥様、少しだけでもお飲みください」しかし、瞳は動かずに、ただ尋ねた。「英樹はいつ帰ってくるの?」「社長は、会社の仕事が片付き次第すぐに……」ガシャン。ガラスのコップが壁に叩きつけられて砕け散り、牛乳が床一面にこぼれた。「私は『奥様』なんかじゃない」瞳は鼻で笑った。「出ていって」すると、使用人はおびえて部屋を出ていった。瞳はかがみ込み、一番鋭いガラスの破片を拾い上げた。その頃、江川市にある三浦グループ本社。会議室で、英樹は社長席に座っていた。役員たちの報告を聞きながら、無意識にスマホの画面を指でなぞっている。画面に映っていたのは、昨夜届いた監視カメラの映像だ。砂浜に立つ瞳は遠くの水平線を眺めており、その背中は潮風に吹き飛ばされそうなほどか弱く見えた。「社長?この合併案件ですが……」「延期だ」英樹は突然立ち上がった。「車を用意しろ、空港へ行く」哲也はきょとんとした。「しかし、役員会が……」「今すぐだと言ったはずだ」そして、飛行場の駐機場。プライベートジェットが着陸するやいなや、英樹は足早にタラップを駆け下りた。たった3日会っていないだけなのに、気が狂いそうなほど瞳に会いたかった。「社長、プレゼントはすべてご用意できております」哲也が後ろからついてきて、綺麗なプレゼントの箱をいくつか抱えていた。「ご所望のブルーダイヤモンドのネックレスと、奥様がお好きな……」「瞳はどこだ?」英樹は哲也の言葉を遮った。「しゅ、主寝室に……」使用人の歯切れの悪い様子に、英樹の胸は締め付けられた。彼は顔色を一変させ、大股で邸宅に向かって走り出した。主寝室。ドアが激しく蹴り開けられた瞬間、ベッドの端に座って、手首には痛々しい血の跡が刻まれ、鮮血が指先からカーペットに滴り落ち、暗い赤色の染みを作っている瞳の姿があった。英樹は息を呑み、駆け寄って瞳の手首を掴んだ。「死ぬ気なら、中村家ごと道連れにしてやる」瞳は顔を上げた。血の気
そして、とあるプライベートアイランド、早朝。ヘリコプターが島の中央にあるヘリポートに着陸すると、プロペラの轟音は次第に静まっていき、残されたのは、波が岩に打ちつける音だけになった。英樹に抱きかかえられてヘリから降ろされた瞳は、両足が地面に着くと同時に、彼を強く突き飛ばした。「これって監禁?」瞳は鼻で笑った。そして、ウエディングドレスの裾が、海風にはためいて音を立てる中彼女は問いただした。「いつからこんな卑劣なことをするようになったのかしら?」英樹は怒るどころか、軽く笑った。「卑劣だから、何だ?」彼は手を伸ばして瞳の頬を撫でた。指先は冷たいのに、その眼差しは火傷しそうなほど熱かった。「瞳、君は俺のものだ。他の男に嫁ぐことなんて、金輪際許さないから」そして、島の中心にある邸宅の中。英樹は瞳を連れて、島全体を案内して回ったあと言った。「ここにあるものは、すべて君のものだ」英樹は大きな窓を開け放つと、潮の香りが混じった海風が流れ込んできた。「庭も、プールも、図書室も……あの海さえも」しかし、瞳の心は全く動かされることはなかった。「帰らせて」「瞳、今までの嫌なことは忘れるんだ」英樹は瞳を後ろから抱きしめ、その髪に顎を乗せた。そして、低い声で囁く。「俺たち、もう一度やり直そう。何もなかったことにして」瞳は英樹の腕から逃れ、振り返って鼻で笑った。「英樹、いつから自分に嘘をつくのが得意になったの?」英樹の体はこわばった。しばらくして、やっと口を開く。「瞳、必ず昔の君に戻ってもらうから」それからの日々、英樹は狂ったように瞳に尽くした。瞳が裸足で砂浜を歩けば、次の日には、海外から空輸されたきめ細かい白砂が海岸一面に敷き詰められた。瞳が夜中に目を覚ますと、ベッドの脇には月明かりのように柔らかな光を放つナイトライトが置かれていた。英樹はベッドの傍に座って瞳を見守っていて、その目は充血したままだった。瞳がふとマンゴーが食べたいと口にすると、次の日には、マンゴーの木が丸ごと空輸されてきて庭に植えられていた。こんな英樹を、瞳は今まで見たことがなかった。彼が優しくて、執着心が強くて、見境なく自分を甘やかしているのだ。すると、瞳は一瞬ふっと思った。もし昔、英樹がこんなふうに接してくれていたら、どんなによかっただろ
結婚式を翌日に控えた、中村荘園。瞳はブライズルームのドレッサーの前に座り、ウェディングドレスにあしらわれたダイヤをそっと指でなぞった。窓の外にはやわらかな日差しが降りそそぎ、荘園では使用人たちが明日の結婚式の準備に追われていた。なにもかもが、完璧に思えた。すると、控えめなノックの音がした。「瞳さん?」健太がドアを開けて入ってきた。その手には温かいローズティーと、ひとつのビロードのきれいなプレゼントの箱があった。彼は仕立ての良い黒いスーツを着ていて、シャツの襟元は少し開いていて、金縁メガネの奥の瞳は、とろけるように優しかった。「朝ごはん、ほとんど食べてないだろ」健太はカップを瞳のそばに置き、困ったように言った。「聞いたよ。牛乳を半分飲んだだけだって」瞳は健太を見上げ、口の端を少し上げて微笑んだ。「あら、直々に、お説教なの?」「まさか」健太は身をかがめてプレゼントの箱を差し出した。「ただ、お腹がすいちゃうんじゃないかと思って」瞳が箱を開けると、中にはきれいなチョコレートがいくつか入っていた。「昔、ここのチョコが好きだったって聞いたから」健太がささやくように言った。「特別に取り寄せてもらったんだ」瞳はきょとんとした。まさか健太が、そんなささいなことまで調べてくれるなんて思ってもみなかった。瞳がなにか言おうとした、その時だった。荘園にけたたましい警報が鳴り響いたのは。「何事だ?」健太は眉間にしわを寄せ、すぐにイヤホンマイクを押さえた。「警備、状況を報告しろ」イヤホンから切羽詰まった声が聞こえた。「社長、システムがハッキングされました!監視システムもドアのロックも、すべて機能していません!」健太の顔色が一変した。彼は瞳に振り返り、「瞳さん、ここにいて。絶対に動かないで」と言った。健太は足早に部屋を出ていった。廊下から「すべての出口を封鎖しろ!」という彼の厳しい声が聞こえてきた。しかし、瞳が状況を飲み込む前に、部屋のドアが音もなく開けられた。ドアの前に、すらりとした人影が立っていた。その黒いコートはいつものように冷たい空気をまとっていた。英樹。瞳は、はっと息をのんで立ち上がった。その拍子に、ドレスの裾がドレッサーの上にあった香水瓶を払いのけてしまい、ガラスの割れた音が、静かな部屋にやけに大きく響
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