《夫と愛人に地獄に突き落とされた私を救ってくれたのは「若」と呼ばれる裏の世界の人でした》全部章節:第 211 章 - 第 220 章

269 章節

211話

一体、いつぶりだろうか。 「──律子さんっ!」 音羽はほっと安心したような表情になり、急いで律子からの着信に応答する。 「も、もしもしっ、律子さんっ!」 〈音羽?どうしたんだい、そんな焦って──〉 「だっ、誰かが家に……っ」 懐かしく感じてしまう、律子の声。 スマホ越しに久しぶりに聞いた律子の声に安心して、音羽は訝しがる律子には構わず、今現在自分の近くで起きている事について咄嗟に話してしまった。 すると、スマホ越しに律子が息を呑んだような気配が伝わった。 〈……それは、本当かい音羽?〉 「ほ、本当です……っ、さっきからインターホンが鳴ってて……っ、スーツの男の人2人組がさっきからずっと家の前に……その内の1人が、さっきは裏口に回ってきて……っ」 〈──今は無事なんだね?〉 「は、はい……っ、どうしたら、蓮夜さんに連絡した方がいい、ですか?」 〈いや、私がもうすぐそっちに着くよ。若には私から連絡をしておく。スーツの2人組だね?そっちに着いたらモニターに映った2人組を写真で撮るよ。若に送る〉 「り、律子さんが……来てくれるんですか?」 〈ああ。あと10分もしないで着くよ。もう少しだけ待っててくれ〉 「あっ、ありがとうございます……!」 律子が来てくれる──。 その言葉を聞いた音羽は、安心して力が抜けてしまい、ソファにどさりと腰を下ろした。 「よ、良かった……。このままじゃあ、怖すぎるもの……」 律子と電話をしている間も、インターホンは鳴り続けていた。 きっと電話をしていた律子にも聞こえていただろう。 モニターを確認すると、今は再び家の前に2人の男がいる。 裏口に向かった男は、裏口が施錠されてい
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212話

「律子さん……っ!」 音羽は、慌てて玄関に向かうと、ドアスコープから外を確認する。 扉の前にいるのは、律子のみ。 周囲を確認してみたが、そこに先程の2人の男の姿は確認出来なかった。 それを確認した音羽は、急いで施錠を解き、扉を開けた。 「律子さん!」 「──音羽!」 音羽が施錠を解除し、扉を開けると律子が物凄い勢いで玄関扉を開け、体をするりと潜り込ませる。 そしてすぐに玄関扉を閉めると、鍵を閉めた。 「音羽、これ以外に施錠は?」 「あっ、あとは上下に2箇所あるので、ここを閉めれば……っ」 挨拶よりも先に、施錠を優先する。 律子から問われて上下の施錠をしっかりとした音羽は、そこでようやく律子と真正面から顔を合わせた。 「──久しぶりだね、音羽。元気だったかい?」 「ええ、律子さんもお元気でしたか?」 2人は一先ず身の安全を確保すると、そこで挨拶を交わす。 「音羽には色々と説明しなきゃなんない事があるが……まずはここを離れようか」 「ええ、分かりました。リビングにご案内しますね、こちらです」 音羽の案内に従い、律子が後に続く。 音羽と律子はリビングにやって来ると、緊張で体に力が入っていたがやっとふう、と息をついた。 「……間に合って良かったよ。家の前に居た男達に見覚えはあるかい?」 ソファに座り、律子が音羽に話しかける。 律子の問いに音羽は首を緩く横に振った。 「──いいえ、全く知らない人達でした。どうしてあの人達がこの家に来たのか……理由も分からないんです」 「そうかい……。あいつらの顔が映った画像か映像はあるか?若や組長だったら見覚えがあるかもしれない。見てもらおう」 「わ、分かりました……!今画像をスマホに送ります!」 律子の言葉に、音羽は慌ててインターホンに向かって駆けて行く。 モニターを操作し、自分のスマホに映像を転送している。 その後ろ姿を見ながら、律子は考えていた。 (若が、この家の周囲に部下を配置していたはず……そいつらはどこに……?あんな不審者がインターホンを鳴らすのを、黙って見ているはずがない……) 律子が考え込んでいると、画像の転送をし終わったのだろう。 音羽がソファに戻ってきた。 「律子さん、画像を転送しました」 「本当かい?見せてくれ」 「この男性2人なんですが……」 音
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213話

「──えっ」 初耳だったのだろう。 音羽は律子の言葉に驚いたように目を見開いた。 「若が手配しているはずなんだが……。音羽はそいつらを見ていないんだね?この家に来たのは、あの男達だけ?」 「はい、そうです……。いきなりインターホンが鳴って……。蓮夜が、今日は誰かが来ても絶対に対応しないように、と言っていたので……」 「そうかい……。若の言葉をしっかり守っていたのか……」 「律子さん、蓮夜の身に何か危ない事が……?それとも、お家の家業で何か……?」 不安そうに、だがしっかりと目を見て言葉を発する音羽。 覚悟を決めたようなその眼差しに、律子は理解した。 音羽も、伏見の仕事の事をしっかりと理解し、そしてそれでも尚伏見と一緒にいる事を選んだのだ、と言う事が分かる。 ここまで覚悟が決まっているのなら、隠し立てする事はない。 律子は口を開いた。 「──いや、そこまではまだ私にも分からないんだよ。ただ、若の命令で私は音羽の所へ駆けつけた。……若は、もしかしたら音羽が狙われる可能性を感じ取っていたのかもしれないね」 「どうして、私が……」 「あんた、あの元夫と不倫女に正体がバレたんだろう?」 律子から言われ、音羽ははっとする。 「た、確かに……!以前、パーティーで裕衣と樹に会いました!その時に蓮夜と一緒にいる所をあの2人には見られています……!」 「じゃあ……。もしかしたらそのどちらかがあんたを排除するために動いたのかも。……財閥は卑怯な手を使うからね。あいつらのやり方なんて、うちらと大して変わらないくらい汚い」 律子の言葉に、音羽は伏見から言われた言葉を思い出す。 自分だけじゃない──。 狙われたのは、恭も同じだ。 「律子さん……。蓮夜が言っていたんです。恭ちゃんを誘拐しろと指示したのが、玉櫛 裕衣だったって……」 「……ああ、若から聞いているよ。あの女、よりにもよって音羽が産んだ子供を狙ったんだってね?」 ろくでもない女だよ、と律子は吐き捨てるように言う。 (だが、あの誘拐犯から情報を全て聞き出した若は誘拐犯を始末した……。あれで相手に牽制をしたつもりだったが、今度は音羽を狙いやがったのか、あの女?) 懲りない女だね、と律子はため息を吐き出すと音羽に向き直った。 「──一先ず、私が間に合ったから良かったよ。後は若が車をすっ
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214話

◇ 「──音羽!」 それから、一体どれだけ時間が経った頃だろうか。 空が茜色に変わり始めた頃、玄関が開く音が聞こえ、伏見の慌てたような声が聞こえた。 リビングで話をしていた音羽と律子は、伏見が帰ってきたのだと気づき、ソファから立ち上がった。 廊下を駆ける足音が聞こえ、リビングに伏見がやってくる。 立ち上がった音羽と律子を視界に入れるなり、伏見は安堵の表情を浮かべた。 「良かった、無事だったか……」 「蓮夜、お帰りなさい」 「ああ」 伏見は一直線に音羽に近寄ると、音羽の両頬を大きな手のひらで包み込む。 「悪い。怖い目に遭っただろう?大丈夫だったか?」 伏見の言葉に、音羽は嬉しそうに笑うとそっと伏見の手のひらに頬を寄せた。 「律子さんがすぐに来てくれたので、大丈夫ですよ蓮夜」 「律子、助かった。相当飛ばしただろう?悪かったな」 伏見は音羽の頬に触れたまま、律子の方へ顔を向ける。 伏見から言葉を掛けられた律子はひょいと肩を竦めて苦笑いを浮かべた。 「もうあんな思いは御免ですよ、若。私は安全運転を心掛けているんでね」 「それは悪かったな。今後はそんな無茶をさせないように気をつけるよ」 「そうしてください」 軽口を叩き合う2人に、音羽は伏見と律子は仲がいいのだ、と理解した。 もしかしたら、律子は伏見がまだ子供の頃から伏見組に仕えているのかもしれない、とふと思った。 それだけ、2人の間には親子の情にも似た、確かな絆があるように見えたのだ。 音羽がそんな事を考えている間に、2人の会話は一段落ついたのだろう。 伏見に促され、音羽と律子はソファに座った。 「若、外にいるはずの部下達はどうなってるんです?不審な輩がインターホンを何度も鳴らしているのに部下は何も仕事をしてなかったじゃないですか」 律子の視線が鋭くなる。 どこか緊張感を孕んだ空気に、音羽は背筋が伸びるのを感じた。 「まさか、あの若いやつら、若の指示を無視してどっか行ったんじゃないでしょうね?」 「──そうじゃない、律子」 律子の険しい表情と声に、伏見も真剣な表情で言葉を返す。 「……そうじゃない、んだが……」 伏見はそこでちらり、と音羽を見やる。 どこか気まずそうにする伏見に、音羽は「悪い事が起きたのだ」と何となく悟った。 自分がこの場にいるから、伏見
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215話

「──分かった、包み隠さずに言う」 音羽の言葉を聞いた伏見は、頷いたあとゆっくり話し始めた。 「自宅周辺を見守らせていた部下達は排除されたようだ。……連絡がつかない。……そんな事をやってのけるって事は、相手も普通の組織じゃない」 「──っ、」 「排除された?それは本当にですか、若?」 「ああ、恐らくな。こんなに長い時間連絡が取れないとなれば、排除されたと見て間違いない。命までは取られていないと思うが……」 そして、伏見は音羽にも分かりやすく順を追って説明をしてくれた。 裕衣が頼んだ誘拐犯は、元々裏社会の人間だった。 そして、その誘拐犯の背後にはとある暴力団組織があった。 その暴力団は、伏見組とは別勢力の敵対組織だ。 敵対組織の人間──誘拐犯が今もそうだったのかは分からないが、その人間に伏見組が関わった。 それを知った敵対組織は、伏見組に難癖を付けてきているらしい。 「……未だにあの誘拐犯があの組の構成員なのかは分からない。ただ、うちに突っかかるのに丁度いい理由を与えてしまった、という事だな」 「……あの不倫女は、それを知っていたんですかね?」 律子の言葉に、伏見は首を横に振った。 「いや、知らないだろう。知っていたら裏社会の人間にわざわざ依頼なんてしないだろう。玉櫛 裕衣は、俺たちのような組織に仕事を依頼する怖さを知らない。財閥の後妻に入ったが、音羽の元夫は財閥の汚れ仕事を請け負う人間を玉櫛 裕衣には教えていないんだろう。だから独自に調べ、恭の誘拐を依頼した。依頼者の背後なんて調べずに、な」 きっと今頃、あっちはあっちで大変な事になってるだろうよ。 そう伏見は呟いた。 ◇ 「──ちょっと!会社にまで来ないでよ!何を考えているの!」 裕衣は、玉櫛ホールディングスの社長室でこそこそと電話をしていた。 「はぁ!?ここまで来るって……、ふざけないで!頼んだ仕事もろくに出来てないのに……!報酬なんて払う訳ないでしょう!?」 裕衣は真っ青な顔で慌てて言い訳を叫ぶ。 「恭を始末しろって言ったじゃない!それも出来ずに、依頼を失敗しているわ!それなのに、依頼料を払えなんて──、はぁ!?ちょっと待って、待ってよ!行くわよ、行けばいいんでしょう!?」 裕衣は大声で叫ぶと、電話を切る。 ギリっと奥歯を噛み締め、スマホを握る手に力が籠った
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216話

玉櫛ホールディングス、地下駐車場。 夕方、定時前のそこは人気も少なく、誰の姿も無い。 そこに、ヒールの音がカツンカツンと響く。 足音の主──玉櫛 裕衣は、どうしてこんな事になってしまったのか、と頭を悩ませていた。 ----- 1週間程、前。 樹の息子、恭が園外学習に行く事を知った。 運転手の飯野と樹がその話をしている場面をこっそりと盗み聞きしていたのだ。 いつも通り樹は飯野に恭の事を全て任せていた。 樹は別に恭の事を愛している訳じゃない。 ただ、玉櫛家の後継者として。 自分の血を分けた子供だから、親としての義務感で育てているだけ。 (あんな可愛くない子供、音羽に押し付けてやれば良かったのに……!) 裕衣は、悔しくて自分の爪を噛む。 自分に子供さえできれば。 樹の子供を妊娠さえできれば、あんな子供、無用なのに。 捨ててしまえるのに、と裕衣は恭の姿を見る度に憎しみが増して行く。 だが、園外学習の話を聞いた時、裕衣はいい事を考えついたのだ。 この都内から遠く離れた場所で、恭が事故に巻き込まれたら──? もし、その事故で命を失ったら。 そうしたら、今後自分が産む子供が玉櫛の全てを受け継ぐ唯一無二の後継者になる。 「──そうよ。今はまだ妊娠していないけど……。この先妊娠するかもしれないもの。その時にあのガキがいたら、生まれて来る子供の邪魔になるわ。……まだ、幼いうちに……」 この世から消してしまえばいいのでは? そんな考えが、裕衣の頭に浮かんだのだ。 樹も、別に恭を可愛がっている様子は無い。 可愛がって、恭に心を寄せているのはあの運転手、飯野だけだ。 それに──。 「音羽が、近くに住んでいる……。あのパーティーの日から、樹は私を抱いてくれなくなった……。あの女が近くにいるからいけないのよ。きっとあの女、あのガキがここに居るからわざわざ近くに来たんだわ……そして、樹まで揺さぶって……!」 あの日の音羽の姿を思い出し、裕衣は奥歯を噛み締めた。 隣には、樹よりも容姿の良い男がいた。 あんな極上の男に腰を抱かれ、わざと自分に見せつけていたのだ。 「……樹に捨てられたくせにっ、それなのにあんな素敵な男に……!音羽、とんでもない淫売だわ!売女よ、売女!あんな女にあの人は勿体ない……!ガキを失って、絶望の縁に沈めばいいのよ!
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217話

「玉櫛さーん、玉櫛裕衣さーん」 「ちょっ!」 大声で自分の名前を呼ぶふざけた男に、裕衣は慌てて駆け寄った。 「大声で私の名前を呼ばないでよ!黙って!」 「ああ、これは失礼。人違いをしたら大変でしょう?だから名前を呼んで確認しないと」 でしょう?とふざけた態度で笑う目の前の男に、裕衣はイライラしながらバックを開けた。 そして、中から分厚い封筒を取り出すと、男の胸に押し付けた。 「──これが、約束の報酬よ!口止め料も上乗せしておいたから……っ、もうこれで終わり!そもそも依頼に失敗したんだから、この報酬を強要する事だっておかしいんだからね!」 裕衣は周囲を確認しつつ、男が封筒を受け取ったのを確認するとその場を離れようとした。 だが、封筒の中身を確認した男が発した言葉に、歩きだそうとしていた裕衣の足はぴたり、と止まった。 「──ああ、これだけじゃあ割に合わない。なんせ、こっちは1人殺されてるんだ。うちの損失には全然足りてないよ」 「──え?」 「あんた、自分が依頼した人間の顔も覚えていないのか?」 にや、と薄気味悪い笑みを浮かべる男に、裕衣は唖然としたまま振り返る。 「殺され……?何を言って……」 依頼なんて、直接顔を合わせて話さない。 スマホで簡単に連絡を取り合って、それで終わりだ。 だから、目の前の男が依頼を受けた男本人なのかどうか、裕衣には分かりようがなかったし、どうだって良かった。 だが、男の口から出た「殺された」という単語に、裕衣の顔は真っ青になる。 真っ青になっている裕衣に近付いた男は、にやにやと笑いながら口を開く。 「こっちは手駒を1つ失った。その損害は計り知れないものだ。今回もらったのは、そうだな……利息だよ、利息。手駒代はまた別に後日回収しに来るよ。俺の電話を無視するなよ?まあ、無視されたら旦那に連絡するだけだがな」 「ちょ、ちょっと──」 「手駒代、一先ず1000万だ。数日やるから金を準備しておけよ。後日回収しにくるよ、玉櫛 裕衣」 じゃあな、と手を振って駐車場を後にする男の背中を、裕衣は唖然と見つめる。 裕衣はその場に立ち尽くしたまま、暫く動く事が出来なかった。 ◇ 「ど、どうしようどうしようどうしよう……」 駐車場から社長室に戻ってきた裕衣は、真っ青な顔で室内を行ったり来たりと落ち着きなく歩き
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218話

「会社印は……どこかしら……」 裕衣は自分の腕時計を確認する。 まだ、樹が社長室に戻ってくるまでに余裕はある。 それを確認し、安心した裕衣は急いで社長デスクを漁る事にした。 「あの人、大事な物は……この引き出しの一番上に……」 ぶつぶつと呟きながら裕衣は引き出し一番上を確認する。 こうやって、大事な物を置いている部屋に裕衣が入る事が出来るのも、裕衣が長年時間をかけて樹の信頼を勝ち取った故だ。 「そうよ……あの時の、あれを除けば……。樹の会社に迷惑をかけるような真似は、1度だってないわ……あの時だって、樹に迷惑をかけたくてやったんじゃないもの……。あの女を追い出したかった、その気持ちでやってしまったから……」 裕衣の思考は、数年前の事を思い出す。 音羽が逮捕され、服役するに至ったあの事件は裕衣が起こしたものだ。 当時裕衣は樹の妻である音羽がとても邪魔だった。 樹との関係は既に持っていたが、このままではただの不倫相手、愛人。 本妻は別にいるのだ。 裕衣が目指す所は大企業経営者の妻だ。 愛人程度に甘んじる訳にはいかない。 だから、樹を自分に夢中にさせ、音羽をクビにおいやってやろうと思った。 幸い樹は噂通り、とんでもなく女好き。 音羽より年齢の若い裕衣にすぐに飛びついた。 「初めて」を偽装し、樹に少しばかり罪悪感を抱かせ、裕衣の我儘を全て聞いてくれるように仕向けた。 音羽から樹の興味が殆ど消え、あと少し、もう一押ししたい、と考えた裕衣は会社の情報を音羽が他社に売ろうとしている、とでっち上げようとした。 情報が記載された書類を作成するまでは良かった。 それを、音羽の荷物に潜り込ませ、他社に音羽の名前でメールを送ろうとした。 普段、樹との逢瀬は深夜の社長室で。 事が終わった後、樹は必ず社長室に併設されているシャワールームを使用する。 チャンスは樹がシャワールームを利用している数十分程。 その間に、裕衣は乱れた衣服を直して社長室を出てオフィスに向かった。 深夜帯だ。 誰もそこには残ってなどいない。 音羽のデスクに向かい、工作中に──。 見つかったのだ。 「崎山秘書……?こんな時間に、ここで何を……。そこは、音羽奥様のデスクでは……!?」 「──っ!?」 その声を聞いた瞬間、裕衣の頭は真っ白になった。 パニックに
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219話

昔の事を思い出していた裕衣は、ぶんぶんと頭を振って過去の出来事を頭の中から追い出す。 「──私は悪くないわ。全部樹が処理してくれたんだもの。樹が音羽に罪を擦り付けただけ……」 あの時、あの男性に声をかけられなかったら。 そうすれば、火事なんて起こさなかったのに──。 裕衣は気持ちを切り替えて樹の引き出しを漁る事に集中する。 そして、暫く──。 「──あったわ!」 裕衣の声が喜色に満ちる。 裕衣の手には、大事な印鑑。 樹が決済処理する際や、新しい事業を始める時にいつも使用している印鑑。 「これさえあれば、新しい会社を作る事も可能ね……。ペーパーカンパニーだって簡単に作れるわ。……ここにお金を流そう」 役員報酬や、配当金をちょっとずつ減らし、その分をこの会社に流そう。 「時間さえあれば、たっぷりと裏金は集まる……。これで、お金にはもう困らないわ……!」 自分の母親に、マンションでも買ってあげようか。 そんな事を考え、裕衣は見つけた印鑑の場所をしっかり記憶し、寸分の違いもなく引き出しの中を元に戻した。 ◇ 一方、音羽達。 伏見から説明を受けていた音羽は、簡単に人をどうこうできる組織と、裕衣が繋がっていると聞いて不安を覚えた。 それじゃあ、恭の身の安全は──。 今後もまた、先日の園外学習のような事件が起きてしまうのでは──。 そんな不安が付き纏う。 「……どうにか、恭ちゃんを引き取れないかしら」 ぽつり、と呟いた音羽に伏見も律子も顔を向ける。 母親として、我が子の心配をするのは当然。 その気持ちは痛いほど分かる。 伏見は音羽の頬を両手で優しく包み込み、優しい声で告げた。 「恭の事は暫くは大丈夫だろう。……自宅にいる方が、今は安全だ。玉櫛 裕衣だって、自宅で恭をどうこうできない。真っ先に疑われるのは自分だからな」 「じゃ、じゃあ……!保育園の行き帰りとか……!事故を装う可能性もあります……!」 「それも大丈夫だ。うちの組の護衛をつけている。……今日みたいな失敗は二度とさせないから安心してくれ、音羽」 「恭ちゃんにも、護衛を……?」 「ああ、勿論。それに、恭を取り返すのも時間の問題だろう」 にっ、と口端を持ち上げて笑む伏見。 どう言う事だろうか──。 音羽がきょとん、と目を瞬かせると、伏見は楽しそうに口を開い
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220話

「婚、約……?」 まさか、伏見の口から「婚約」と言う言葉が出てくるとは思わず音羽はぽかんと口を開けた。 そんな音羽を見た伏見は可笑しそうに笑うと、悪戯っぽく笑む。 「何だ?俺と結婚するのは嫌なのか?俺とは遊びだったとか?」 「──そ、そんな訳ないじゃないですか!だ、だけど……そんな風に、私との婚約を発表して……蓮夜は大丈夫ですか?私は、前科者です……。蓮夜の会社に迷惑をかけたら……」 昔、樹と結婚していた事を知っている人がいるなら。 そして、その事が噂になっているなら。 あの会社で起きた事件の事だって、知っているだろう──。 会社社長の妻が、火災を装い会社役員を殺害した。 そんな噂がまことしやかに囁かれている事は、音羽にも分かっている。 だが実際、音羽に会社の人間を殺す理由も動悸もなかった。 証拠もなく、殺人の立件はされなかったが音羽が放火した事にされ、それによって会社の信用を著しく下げた罪が重く過料された。 重要な案件も、この事件のせいで立ち消えてしまったのだ。 その責任は大きい。 放火について、音羽は否定した。 だが、それを立証出来るだけの証拠はなかった。 それに恐らく音羽に重い刑を与えたのは、玉櫛 樹が背後で何らかの力を使ったからだ。 何も持たない音羽には、強大な力に抗う術はなく、ただただ与えられた刑を全うするしかなかった。 だが、そんな音羽の不安など伏見は笑って吹き飛ばした。 「音羽が迷惑をかけるなんて事はないから安心してくれ。それに……俺こそ、全うな人間じゃない。……会社だってそうだ。本来、俺自体が胸を張って外を出歩けるような人間じゃない。音羽は、俺に捕まってしまった事を本当だったら悔いるべきなんだ」 「悔いる、なんて──!私は、蓮夜と出会えて本当に良かったと思っています!私は、蓮夜がいなければ、蓮夜が助けてくれなかったら……今頃どうなっていたか……」 音羽はぎゅっと唇を噛み締める。 そうだ。 あの刑務所で。 律子と出会う事がなければ、伏見と出会う事はなかったかもしれない。 もし、そうなっていたら──。 (私は、もしかしたらこんな風に日々を明るく過ごせていなかった。それに……恭ちゃんに会う事も、お話をする事も出来なかった……) 恭と出会えたのも、結局は伏見が手助けをしてくれたからだ。 園外学習で、
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