All Chapters of 闇堕ちしたエリート医師は一途に禁断の果実を希う: Chapter 11 - Chapter 20

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   * * *  事故に遭わなければ、彼女は高校三年生にあがったことになるのか。  自由は葉桜と、白い病院の建物の合間を覗く青空を見上げ、新しい季節の訪れを認める。  五月。  彼女の誕生日のある月。  彼女の名前を意味する花が、咲き乱れる月。  春から夏へと緑が青々と萌えはじめる月。  けれども彼女は未だ、高校一年生の十二月で時間を止めている。誕生日が来れば、彼女は十八歳になるというのに。  病棟内の廊下を抜けて、中庭に出る。  楢篠が連れていってくれて以来、自由にとっても通いなれた病院の内外で、そこがお気に入りの場所になった。彼女の名前の花木が植わっているから。  中庭は、その白い花が満開だった。八重桜が散ってから、バトンタッチをするように咲きはじめた小さな花は、誰からも好かれるような清楚さと可憐さを併せ持っている。  小指の爪先程度の、小手毬の花。  彼女が生まれたときに咲き乱れていたという花。  車椅子の老人や、妊婦さん、つきそいの医師や看護師も見頃の花を愛でている。自由は自分が植えて育てたわけでもないのに、なぜだか誇らしい気持ちになる。彼女と同じ名前の花が綺麗に咲いている、それだけのことなのに。  爽やかな風を頬にあてながら、自由は自分でこれから道を切り開くべく、ゆっくり、中庭をあとにする。   * * *  眠りつづける少女のもとに、今日も花束が届く。  デルフィニウムの濃い青紫の花と、ニゲラの淡い桃色と水色の花が競演している。一年半も続く花の贈りものは、担当医の早咲の心も和ませる。眠りつづける少女が淋しくないよう、優璃はオソザキの花になって、病室に彩りを与えつづける。 「しぶといと、お思いですか?」 「いえ」 優璃は花を贈りつづけることも贖罪のひとつだと考えていた。だが、目覚める気配のない少女に一方的に贈りつける行為は、はたから見ればおかしいと思われても仕方がない。一週間に一度、真新しい花を贈るオソザキと名乗る優璃は、一歩間違えれば執念深いだけの人間に見える。目覚めない少女に花を贈りつづけることが償いになると思い込んで、少女の周囲の人間に煙たがられていることすら気にせず、機械のように見舞いを繰り返す。まるで義務にしてしまったかのように。 真面目で誠実な優璃が、いつ壊れるかと早咲は恐れることがある。患者の加
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chapter,1 + 11 +

   * * *  淡々と日々が過ぎていく。  忙しさが心を殺す。日に日に、自由の中にいる小手毬の姿がちいさくなっていく。  近くにいるのに遠い存在。  彼女だけが患者ではない当然の事実。 「諸見里! 足を持て足っ」  はりつめた緊張感にひたすら耐えて、彼は経験を積み上げていく。同じように見えて、少しずつ異なる毎日。やがてそれもループを描くようになってしまうのだろうか。 「はいっ」  考え事はすぐに霧散する。  現実という呆気ない重みに押しつぶされて。  身を削るような痛みなどこれっぽっちもない。  まだまだ自分にはやるべきことがある。  その一心で彼は自分の道を信じてここまで辿りついた。  たとえそれが茨に囲まれた険しさを伴うとしても。  破滅する前に、救い上げてやる。  ――目覚めさせられない王子だなんて、もう言わせない。  諸見里自由。  今年の医師国家試験を難なくパスした彼は、現在、整形外科で研修中の、新米医師として働いている。  ……小手毬がいる、病院で。    * * *  陸奥は信じられないと顔をしかめる。「頼む」 お前にしか頼めないと、早咲に懇願される。「代わってくれ」 黙って早咲を見下ろしていた陸奥が、呟く。「……オソザキさん、ですか」 こくりと頷く早咲を、彼は軽蔑するようにじろりと睨んだ。彼が患者の加害者と恋愛関係に陥っていることは誰の目から見ても明らかである。きっと彼も気づいているのだろう。「担当として、責任を持って、彼女に接することが、僕にはできそうにない。だから」 「俺ならできるというわけですか?」 厳しい口調。自分の方が後輩だというのに、陸奥は当たり前のように早咲を淘汰する。「完全に担当から外れる
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chapter,1 + 12 +

   * * *  七月。  陸奥は正式に亜桜小手毬の担当医となった。  引継ぎはスムーズだった。患者が植物状態なのだから当然だろう。家族も担当の変更に戸惑うことなく、陸奥を受け入れた。  彼が本気で彼女を救おうとしているとは、誰も思ってはいなそうだったけれど。  ……そういえば、最近兄の姿を見ないな。  小手毬を過保護なほどに見舞っていた自由のことを思い浮かべ、陸奥は首を傾げる。地方にでも就職したのだろうか。  彼が同じ敷地内の整形外科外来にいることを知る由もなく、陸奥は入院棟で日々を過ごす。 今年の梅雨は短かった。  水不足になるのではないかと不安になるほど、雨量が少なかった。だが、その分、台風が多くなりそうだと気象予報士は伝えている。  窓の向こうに見える雷雲。今にも泣き出しそうな、どんより曇った空が、陸奥を苛立たせる。病院内は冷房がきいているが、外はかなり蒸し暑いことになっているだろう。  午後七時。  亜桜小手毬の病室の扉は、半開きになっていた。蛍光灯もついている。先客がいるらしい。  ……面会時間は終了しているというのに、誰だ?  真っ赤なサルビアが飾り棚の花瓶に生けられている。  優璃は昨日来たのだろう、早咲が嬉しそうにしていたのを思い出す。 優璃ではない。  じゃあ、誰が…… 「面会時間はもう終わっていますよ」  そう言ったのと、雷鳴が轟いたのは、殆ど同時だった。   * * *  振り返ると、陸奥がいた。  自由は彼を見上げ、何事もなかったかのように小手毬に視線を戻す。  ぴくりと、ちいさな手が動く。だが、それ以上の反応はない。 「……お前」  ざぁっと、バケツをひっくり返したような雨が、窓を打ち付ける。  何度も何度も、稲妻が光り、外を照らす。 「
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chapter,1 + 13 +

「ええ。五月から外来棟を中心に、今は整形にいます」 たいしたことではないと、自由は告げる。「外科系スーパーローテートか」  だが、陸奥からすれば、彼の選択は自己満足でしかないように思える。  二年間、各科で研修を積んで、彼はどの専門分野に進むのだろう。早咲と同じ脳神経外科か、それとも俺と同じ…… 「将来のことはわかりません。ただ、僕は小手毬を救いたい」 少女のためなら、他の患者の命すら投げそうな危うさが、陸奥を震撼させる。そして。 「……バカだな」 「なっ」 ふたりを射すように雷光が閃く。 「――彼女を医師として救うのは、俺だ」  陸奥ははき捨てるように、憤りを隠さない自由に告げる。  怯むことなく、この青二才が、と睨みつけながら。 「現実を知れ。それから、動け」  再び、雷。  自由は黙り込む。雨音と雷鳴が響く。灰色の雲間から、薄紫の空が覗く。けれどもすぐにかき消される。この雨はいつまで続くのだろうか。苛々する。陸奥は舌打ちをする。だがそれも外の音に隠され、彼の怒りは自由に届かない。 「……に」  押し殺したような自由の声が、薄闇の中、陸奥の耳元へ浸透する。 「何も知らないくせに!」  雷鳴に負けないくらい大きな声を張り上げて、自由は言い返す。  負け惜しみでもいい。  彼女に対する気持ちだけは誰にも負けない。 彼女を救うのは自分だ。それがたとえ思い上がったエゴであっても。今度こそ。 「落ち着け。患者の前だ」 陸奥は迫力に圧され、一歩、後退する。「僕が、どんな気持ちで、ここまで来たか、あなたは知らないでしょう?」 「ああ、知らない」  きっぱり言い切り、続きを待つ。 激昂は収まったらしい。自由は顔を赤らめて、細々とした声で非礼を詫び
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chapter,1 + 14 +

   * * *  脳神経外科学会の植物状態の定義は六つある。思い返すように陸奥は声にする。「自力移動が不可能である」 「たとえ声を出しても意味のある発語は不可能である」 「眼を開け、手を握れ、等の簡単な命令にはかろうじて応じることはあるが、それ以上の意思疎通は出来ない」 「眼でかろうじて物を追うことがあっても認識することは出来ない」 「自力摂食が不可能である」  「糞尿失禁状態である」 以上の状態が、治療ににもかかわらず三ヶ月以上続いた場合、植物状態とみなされる。「……自律神経は正常に機能しているのに体性神経は欠如した状態なんだ。それが全体的なものかそうでないかはわからないが」 「おい、また動いたぞ」 陸奥は小手毬の様子を見て、首を傾げる。残暑の厳しい九月になってから、彼女の動きが顕著になった。僅かながらも動こうとしている手は、ちいさすぎてとても十八歳のものとは思えない。「何があった?」 小刻みに動き出した手を見た早咲が、陸奥に尋ねる。 「……こっちが知りたい」  事故から一年と十ヶ月。 このまま呼吸が止まってもおかしくないと思われていた少女が、生きようとしている。  それも、意識を失って二年近く経過しようとしている、絶望的なときに。 まだ、手を動かす程度だが、やがて瞼を開き、再びひかりを見るようになるだろう。  そして声をあげることも可能なはずだ。意識さえ回復すれば。  今はまだ、植物状態に認定されてはいるが、状況次第では、根底から覆るかもしれない。 陸奥のてのひらに、汗が滲む。  今日も病室の飾り棚には優璃の持ってきた色とりどりの花が並ぶ。ラークスパーだろうか、ヴァーミリオン色の八重咲の花はまるで鳥の翼のように大きく開いている。 小手毬に意識回復の兆しが見えたことで、現場は活気付いてきた。  奇跡が起きようとしている。誰もが彼女の目覚めを待っている。  担当医を引き継いだ陸奥は、慎
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chapter,1 + 15 +

   * * *  空耳だと思った。 「……だぁれ?」  病室の扉を開け、聞こえてきた鈴の鳴るような声。  陸奥は、気のせいだと首を振り、ベッドで酸素吸入器をつけて眠りつづけている少女の姿を見ようと、視線を傾け、気づく。 彼女は自分で酸素吸入器を外していた。  邪魔だったのだろう、投げつけたらしく、床の上に無造作に転がっている。 「嘘だろ……」  唖然とする。  ありえないと思った。  透き通った漆黒の瞳が、陸奥を見つめている。  興味深そうに、彼の顔を、眼を、覗き込んでいる。  その、無邪気な少女の表情に、吸い寄せられる。  ……なんて綺麗な瞳なんだ。  見つめあい、少女は枕に頭を乗せたまま、首を左右に振る。  痛みが走ったのか、顔をしかめ、唇を歪ませる。 「動くな、頭はまだ……」  慌てて少女の髪に触れる。そっと、撫でる。自由がしてあげていたように。柔らかい、肩まで伸ばしっぱなしの黒髪が、少女の頬に触れる。心地よいのか、くすぐったそうに少女は瞼を閉じ、ひくひくさせる。 「どうした?」 まともな返答は期待していなかったが、陸奥は少女の鈴の鳴るようなか細い声をもっと聞きたいと、優しく声をかける。 「だぁれ?」 瞬きを繰り返しながら、少女は陸奥をじぃっと見つめる。 「俺か?」 そうだ、と軽く首を振ろうとする少女を押し留めて、陸奥は応える。「陸奥だ。ミ、チ、ノ、ク」  きょとん、とした表情で少女は唇を動かそうとする。  陸奥と発音しようとしているのだろう。言語中枢に障害が残っているのか、今の時点では判断できないが、少女はどうにかして陸奥と言葉を交わそうと努力を見せている。 「……ミ、チ、ノ、ク。へんななまえー」 「それが俺の名前
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chapter,2 + 1 +

  二年近く植物状態だった亜桜小手毬が意識を回復させたというニュースは瞬く間に病院内へ拡がった。  彼女の両親は報告を聞いて仕事を放り出して真っ先に駆けつけ、陸奥と早咲に向けて感謝の言葉を述べつづけた。その横で小手毬が久しぶりに見たすこし老けた両親の顔を嬉しそうに眺めていた。  自由は小手毬の両親に会うことが叶わなかったが、病室で彼女が穏やかな表情をしているのを見て、ずっと心の奥底に沈んでいた重苦しい何かが氷解したのを感じた。「ジュウ、お、にぃ、ちゃん……」 病室に入ってきた人物が、自由だと気づいた小手毬は、囁くような声を震わせる。「小手毬」 小手毬は食い入るように白衣姿の自由を見つめていた。当然だろう、彼が、無事に医師国家試験を合格したことも、現在この病院で研修医として働いていることも、ずっと眠りつづけていた小手毬は何も知らないのだから。「おはよう」 長い夢を見ていたのだろう。それがどんな夢なのか、知りたいような、知りたくないような。 自由の場違いな挨拶を、小手毬は平然と受け入れる。「おはよ」 今は夕方だというのに。  橙色の夕陽が西へ沈んでいこうとしているのに。  ふたりは互いの顔を見合わせて微笑を浮かべている。  ……まいったな。  廊下でふたりの様子を見守る陸奥は、複雑な表情で佇んでいる。  兄と妹みたいなもの。  それだけの関係だと思ったのに。  まるでふたりは恋人同士のようだ。 「……ミチノク?」 遠くでふたりを見ていた陸奥を目ざとく発見した小手毬が、どうして病室に入ってこないのかと不服そうな顔をしている。「入ってもいいか」 「どうぞ」 自由が困ったような陸奥を苦笑しながら受け入れる。ほんとうは小手毬とふたりきりになりたかっただろうなぁと陸奥は申しわけなさそうに入室する。「ミチノク、ミチノク」 小手毬は陸奥という言葉の響きを気に入ったのか、何度も呼び捨てる。自由が
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chapter,2 + 2 +

  * * *  翌朝、小手毬は再び深い眠りにつくことなく、爽やかな目覚めを迎えた。いい傾向だと早咲は嬉しそうに陸奥の肩を叩く。  だが、午前中いっぱいかかった精密検査が、彼女の機嫌を悪化させる。「前頭葉にスパイク波、外傷性癲癇発作を示す異常波が認められてます」 「前頭葉の血流異常について、ほかには?」 「いまのところは」 「……そうか。ありがとう」 検査技師から手渡された結果を眺め、陸奥は溜め息をつく。「意識が回復すればめでたしめでたし、なわけないからな」 無機質な病棟内の廊下を歩きながら、陸奥は車椅子に乗せられた小手毬を見下ろす。「?」 現状を理解していないのだろう、小手毬は看護師が付き添う車椅子の上で陸奥が顔をしかめているのを不安そうに眺めている。「ミチノク、あたし、頭打ったんだよね」 「そうだ」 「だから、痛かったり、重かったり、ぼぉっとしたり、するの?」 「痛むか?」 「いまは、へいき」 「我慢するなよ」 「わかってる」 むすっとした声で、小手毬が応える。何か気に障ることでも言っただろうか。陸奥は黙り込んでしまった小手毬から目線をそらす。「陸奥先生、WAIS検査についてですが」 車椅子を動かしていた看護師が小手毬に聞こえるか聞こえないかのような小声で尋ねる。「今は必要ない」 陸奥は言い捨てる。WAIS検査とは、wechsler adult intelligence scaleという最も高度な知能検査のことだ。言語性・動作性の両方をチェックできるWAIS-R検査ともども、高次脳機能障害を立証する際に使われている。小手毬の場合、事故で頭を強打し、受傷していることから、知能障害を起こした可能性が高い。植物状態から奇跡的に意識を取り戻した少女の知的レベルを看護師が知りたがるのも理解できなくはない。  それでも、陸奥は首を振らない。「彼女はまだ、意識を取り戻したばかりなんだ。脳波検査とスペクトだけで今は充分」
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chapter,2 + 3 +

   * * * 「ふぅん。それで、キミはどう思ったんだい?」 「どうにもこうにも。オレはあくまで看護師であって、医者ではないからなんとも」 「医者である私がいいと言ってるんだ。言いなさい」 「天は強引だなぁ」 病院内の食堂で、ピンクの白衣を着た女医と、看護師の男性が並んでいる。ふたりの名札には「楢篠」の文字。彼らが夫婦であることは周知の事実だ。  今日の定食のおかずであるブリの照り焼きに箸をつけながら、楢篠天ははぁと溜め息をつく。  病院というのは意外と出会いの少ない職場だ。そのため医師と看護師がくっつくのはよくあることだ。とはいえ、女医と男性看護師がくっついた例は、この地域医療センター内では楢篠健太郎と天夫妻だけだ。 産婦人科の外来を主にしている天と一日中内科外科病棟で勤務している健太郎は仕事柄顔を合わせることも特にないため、患者を混乱させることも、勘違いさせるようなこともない。ふたりの「楢篠」は、結婚当初は職員に珍しがられていたものの、今ではそれが当然のことと認識されている。 だからふたりは互いの名を呼ばせない。天と病院で呼べるのは健太郎だけで、健太郎と病院で呼べるのは天だけで、それ以外の人間はふたりを「楢篠」を「楢篠先生」と「楢篠さん」で呼びわける。 当然、天の方が高給取りだが、ふたりは気にすることもない。 そのふたりが職場で顔を合わせる唯一の場が、食堂である。だから天は食堂が好きだ。  守秘義務があるため最低限の情報しか聞けないものの、夫の健太郎が新しい患者の担当をすると聞いた天は、彼がどんな患者を受け持ったのか興味があるため、今日はいつも以上に彼の言動ひとつひとつについ注目してしまう。なんせ、植物状態から奇跡の復活を遂げた患者を受け持ったのだ。滅多にない経験をする彼を天は羨ましそうに見つめる。  対する健太郎は、妻の天が何をしていようが、彼女はしっかり仕事をこなしていると知っているから、深く追求することはない。仕事について愚痴られれば話を聞いてあげるし、逆に、自分の方が天に厳しい労働の現状を訴えたり愚痴ることもある。  今日の場合、愚痴でも訴
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chapter,2 + 4 +

   * * * 「ミチノク嫌い」 「そんなこと言うなよ」 ベッドで横になっている小手毬の肩まで伸びた髪を、自由は宥めるように撫でる。小手毬がびくぅと身体を硬直させる。  事故当初は短く切り揃えられていたベリーショートも、今では肩まで伸びた。それでもあの頃の腰まで届く長髪を知る自由は、早く髪が元の長さに戻ればいいのにと思ってしまう。  小手毬は自由に撫でられるのを嫌がるように、ゆるやかなウェーブを描く髪を振り払う。他人に触れられることに過剰になっているようだ。自由はそっと手を放す。「ジュウ兄ちゃんがいい」 「気持ちは嬉しいけど、僕はまだ、小手毬の主治医になれないんだよ」 なれるものなら今すぐにでもなりたいのにと自由はきゅっと拳を握る。小手毬は陸奥が主治医であることを快く思っていないようだ。  懐いているように見えたのは気のせいだったのだろうか? いや、彼女は精密検査の時間が長くて機嫌を損ねているだけだろう、明日になればけろりとした表情で、「ミチノク」と名を呼ぶに違いない。「そうなの?」 「そうなの」 七つ年下の小手毬は、無垢な表情で自由を見つめる。左右非対称の漆黒の双眸に見つめられると、まるで責められているような気分に陥る。  陸奥は毎日彼女と顔を見合わせているんだと思うと、羨ましいような、悔しいような、そんな気分になる。それは浅ましい嫉妬だと理解しつつ、自由は小手毬の瞳に魅入る都度、自分が陸奥ならいいのにと考えてしまう。「それに、僕よりずっと偉い先生なんだからな」 陸奥允。  研修医として医療センターに配属された自由は、そのときになって彼がどんな人物であるかを知った。  彼の専門技術はこの国の三本の指に選ばれるほど、群を抜いて素晴らしく、誰もが一目おく。そしてこれも自分が研修医になってから聞いたことだが、早咲と組んで行った手術はたすからないと言われた患者をも救う力があるという。小手毬のことがなければきっと一笑に付していただろうが、彼女が目覚めた今、自由もその真実に近い噂を信じようと思った。自分もいつか、そうなれ
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