All Chapters of 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる: Chapter 71 - Chapter 80

96 Chapters

第 71 話

「うん。この間って?」佐伯君は穣との付き合いには肯定の返事をしたものの、連絡先の件は瞬時に思い出せないようで、きょとんとした顔をする。「一週間前かな。私、教えてってLINEしたじゃない」アイスコーヒーの入ったグラスを手に取って答える彼女に、顎を撫でながら記憶を手繰るように目線を上げた。「ああ……そう言えば。あれ、穣……氷室になんの用だったんだ?」訝しそうに小首を傾げる彼に、「藍里が酔い潰れたから、介抱任せようと思って」瞳はしれっと言って、ストローを咥える。「ごほっ……」あまりにもストレートな説明で、私はフォークに巻き取ったスパゲティを口に入れたところで、思わず噎せ返った。「へ? 八巻さんの介抱?」佐伯君もポカンと口を開けて、私の方に顔を向けた。私は、両手で口を覆ってゴホゴホと咳をして、グラスの水を飲んでなんとか落ち着いてから、「ええと……」返事に困って、目を彷徨わせた。「なんかよくわからないけど……。アイツ、そんな呼び出しされて、来たの?」氷室君は半信半疑といった様子で、私と彼女に交互に視線を向ける。 瞳は『当然』とでも言いたげに、「うん」と大きく頷いた。「意外。氷室が、八巻さんのために……?」九割方話が見えていないせいで、佐伯君は呆気に取られているけれど。「充、そろそろ休憩終わりじゃない? 戻らなくて平気?」ストローをズズッと鳴らし、グラスを置いた瞳にそう問われ、『あ』と口を丸く開けて、左手首の腕時計に目を落とした。「ヤバ。じゃ、俺行くわ。八巻さん、また今度」慌てた様子で立ち上がり、トレーを持ち上げながら、私にそう声をかけてくれる。「う、うん。ありがとう」私が小さく手を振ると、にっこり笑って。「瞳。夜、電話する」彼女には恋人同士らしい一言を残し、テーブルから離れていった。「うん。行ってらっしゃ~い」瞳も笑顔でひらひらと手を振って、彼の作業服の背中を見送っていたけれど。「……ひーとーみーっ」私はやや背を屈め、彼女にじっとりとした目を向けた。「同期なんだし、隠すことない。あれでも充、氷室君とは旧知の間柄だし、事情を知れば味方になってくれるはず」瞳は堪えた様子もなく、涼しい顔で頬杖をつく。 親しいのは、佐伯君が最初に、『穣』と名前で呼んだことからも察せられた。「だからって……」私は頬を膨らませたけれ
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第 72 話

「ん?」「ひっ……氷室君に、なにを言ったの? 『ただただ謎』って、顔しかめてたよ」「なにって、そのまんま」瞳は頬杖を解くと、スラリと長い足を組んだ。「氷室君のせいで、藍里が泣いて酔い潰れたから、男らしく責任取って迎えに来なさいって」「もーっ……」悪びれずに答える彼女に、私は額に手を当てて溜め息をついた。「でもねー。藍里にはどう言ったか知らないけど、本当にすっ飛んで来てくれたのよ、氷室君」瞳は腕組みをして、なにやらニヤニヤして続ける。「え?」「あれは、走ってきたんだろうなー。額に汗滲ませてたから。カウンターに突っ伏してる藍里を見て、血相変えてたよ」からかうような流し目に、私の胸がドキッと跳ねた。 確かに、一緒にいた立花さんを、ほっぽって来たと言っていたけれど……。「嘘。氷室君、が……?」鼓動が速まるのを感じながら、半信半疑で聞き返す。 瞳は、大きく「うん」と頷いて。「まあ、酔い潰れてるだけだって確認したら、『ぶっ倒れたばかりなのに、なにやってんだ』って、苦虫噛み潰したような顔で、呆れ返ってたけど」「あ……」私の胸が、トクンと優しく拍動する。「ほんのちょっとでも迷惑そうな顔したら、思いっきり詰ってやろうと思ってたのに。結構真摯に『連絡くれてありがとう』って言われて、私も拍子抜けしちゃった」瞳が目力を緩めて、面白そうに笑い出す。「ほんとに……? ありがとうなんて、氷室君が」信じられない思いで、呆然と繰り返す私に、もう一度強く首を縦に振ってくれる。「藍里のこと颯爽と抱き上げて、『コイツにも礼はさせるから』って。ああいうスマートな行動、イケメンだとさらに様になるよね。うっかり惚れそうになった」人差し指を唇に当てて、その時のことを思い出すようにうそぶく。「え? ちょっ、瞳っ」さらっと聞き流しそうになったけど、聞き捨てならない一言に反応する私に、「冗談よ」と吹き出した。「私、充一筋だもの」臆すことなく堂々と胸を張る彼女に、私は一瞬ポカンとして――。「……ふふっ。そこで惚気ないでよ」相変わらずの瞳節に、ついついツッコんだ。 瞳は柔らかい笑みを浮かべたまま、テーブルに両腕を置いた。 そこに体重を預け、「ねえ、藍里」私を横から覗き込んでくる。「あの時、藍里の話だけ聞いたら、氷室君はさいてーな男に違いないけど。私には、
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第 73 話

そんな彼女に力いっぱい言ってもらえて、背中を押してもらえた気分で勇気づけられる。 とは言え、素直に頷くのも照れ臭くて。「……って言っても、私、ちゃんと『好き』って言わせてもらえないしな。『聞きたくない』って阻まれちゃったし」唇を尖らせて、自虐的に呟く。 だけど瞳は意に介した様子もなく、ふんと鼻を鳴らした。「耳摘まんで、鼓膜破れるくらい怒鳴ってやりなさいよ。嫌でも聞こえるから」どこまでも強気な彼女に、私は一瞬あ然としたものの――。「ふふっ。瞳らしい」それでも、自分は佐伯君に自分から連絡することもできず、理華や水無瀬君に仲介を頼んだと聞いているから、そんなギャップが可愛い。「感心してないで、藍里もドーンと行きなさいって」悪戯っぽいウィンクで返され、その言葉を噛みしめてから、「うん」私は、大きく頷いた。「上手くいったら、ダブルデートしようね」瞳が、私を肘で突つく。「はは……そんな日が来るといいな」気が早い彼女に、私は苦笑いで応えた。八月最終週になって、ようやく穣と同じシフトに戻った。 私の研修や互いの公休の関係で、シフトが分かれていたのは、ほんの十日ほど。 だけど、OCOに異動してから、こんなに長く顔を合わせなかったのは初めてだから、とても久しぶりに感じる。「久しぶり! また、よろしくお願いします」遅番勤務開始前、なんだかちょっと緊張して、ドキドキしながら挨拶をした。「こちらこそ」穣は挨拶こそ返してくれたものの、それ以上無駄な会話はせず、淡々と業務を始めてしまう。 相変わらずの、涼しい横顔――。 最後に会った時は、あんな激しいキスを何度もして、『今、すごく抱きたい』なんて言ったくせに……。あれ以来、初めて顔を合わせた彼には、あの時の熱さも激しさも皆無だから、拍子抜けというか、ちょっと悔しい気分に駆られる。 『問題片付いてからにする』と言われたことまで脳裏に蘇ってきて、私は、静かに高鳴る胸に手を当てた。十日間もあったんだから、立花さんと話をしたはず……だと思う。 でも、顔面神経を無駄にしている乏しい表情からは、なんの変化も窺えない。今も、頭の中は、立花さんでいっぱいのままなのかな。 隣にいる私のことを、どんな気持ちで見てるんだろう。 時間が経ちすぎて、もうあの熱情も冷めてしまったかな。――気になる。 聞き
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第 74 話

指示を待つのではなく先回りして、自ら情報収集を進めていると――。『PAN-PAN PAN-PAN PAN-PAN. Tokyo control, JAK073』 「えっ?」穣が、短い声をあげた。 私はキーボードに走らせていた指を止め、彼の方に顔を向ける。『JAK073, Tokyo control. Go ahead』彼のデスクから漏れ聞こえてくるのは、常時モニタリングしている、巡航中の機体と管制塔の無線交信だ。 三回繰り返されたPAN-PANコール……遭難信号に当たる『メーデー』を発する一歩手前の、準緊急事態に陥ったことを伝える、航空無線における緊急用語だ。 『メーデー』ほど切迫していないものの、巡航を続けるにあたって、なんらかの障害が発生した際に使用される。今まさに、空のどこかで緊急事態が起きている。 私は、思わず息をのんだ。穣の厳しい横顔に見入り、弾かれたように立ち上がる。 彼の背後に回り、モニターを覗き込んだ。フライトレーダーが展開されている。 管制塔にPAN-PANコールを発信したのは、十分ほど前に離陸した伊丹行きJAK73便。 現在、伊豆半島付近を巡航中。 機長は久遠さんだ。抑揚の感じられない低い声。 時々走るノイズに邪魔されながらも、私より数秒早く英語によるやり取りを理解した穣の横顔に、確かな緊張が走る。羽田を離陸して五分ほど後、機体に衝撃があったそうだ。 その影響か、右エンジンが停止したと言う。『Tokyo control, JAK073, Request emergency landing to Tokyo-Haneda』久遠さんが羽田空港への緊急着陸を要請するのを聞いて、私の背筋にゾワッと戦慄が走った。 周りのデスクのディスパッチャーたちも、異変に気付いたようだ。 何人かが席から立ち上がり、こちらを注視している。 73便担当の穣は、モニターにサッと視線を走らせた。『JAK073, Control Roger. Contact Tokyo approach 119.10』『Roger』管制塔が要請に応じ、着域管制席の周波数を伝える横で、リーダーの手塚さんが駆け寄ってくる。「氷室。73便、なにが起きた」穣は、彼には視線を向けずに、「管制塔に、PAN-PANコールを発信しました。原因究明要
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第 75 話

改めて緊急事態を告げる彼に、国内線短距離チームのみんなが、一瞬ざわめいた。 手塚さんはさらに厳しく顔を歪め、大きく頷いて理解を示し……。「氷室。お前は73便の着陸フォローに専念しろ。他の便は、皆で振り分ける」「はいっ」リーダーの号令に、全員が力強く呼応して、慌ただしく業務に戻っていく。 穣も椅子を引いて、ドカッと腰を下ろした。 無言で、眼鏡のブリッジをグッと押さえる。こんな事態、初めてだ――。 私は不安を隠せず、身の置き場を求めて、彼と手塚さんを交互に見遣った。「八巻さんは、氷室のサポートを頼む」手塚さんに指示されて、ビクッとして背筋を伸ばす。 どこでなにをしたらいいか、明確にしてもらえただけで、気持ちが軽くなる。「は、はいっ……」それでもまだ怯えて返事をする間に、無線が入った。『OCO。こちらグラウンド』整備士からだった。『現在、滑走路の点検中。バードストライクの可能性が高い。前輪機構が損傷している恐れあり』「前輪が下りない……」顎を撫でて呟く手塚さんに、私は目を凝らした。 穣は表情を失ったまま整備士に了解を告げ、交信を終えて手塚さんを仰ぎ見る。「フライトマニュアルに沿って、タッチアンドゴーだな。離陸直後で、燃料に不安はない」簡潔な意見に頷き、「すぐ、コックピットに連携します」言うが早いか、カンパニーラジオでコックピットを呼び出した。 タッチアンドゴー……一度着陸して、すぐに離陸するという飛行方法だ。 後輪が着陸した際の衝撃で、前輪を振り下ろすという狙いがある。 前輪が下りなくなった場合、この方法を何度か繰り返すのがセオリーだ。穣は久遠機長にエンジントラブルの原因を伝え、了解の返事を待って、マイクをオフにした。「俺の方からも、管制塔に連絡する。長時間、滑走路を閉鎖しなきゃいけなくなるだろうから」事態の収束への方向性を確認して、手塚さんは自席に戻っていった。 穣は、コックピットと管制塔の交信を、モニタリングしている。 私は自席に戻ることもできず、彼の後ろに立ち尽くしたまま。「なにっ……!?」強張った声に、ビクッと身を竦ませた。「一発で胴体着陸? なにを考えて……!」緊迫した声で叫び、再び73便のコックピットに応答を求める。 彼の剣幕に、チームのみんなもざわついた。「キャプテン、無茶です。フライト
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第 76 話

落ち着き払った久遠さんに、穣が声を荒らげる。『そうだな。だが、左のエンジンだけでは出力が弱い。万が一左もやられたら、73便は真っ逆さまだ』「ひっ……」私は思わず声を漏らし、両手で口を覆った。その間も、久遠さんの冷静な声が、無線越しに届く。『館山から進入する。太平洋巡航中に、燃料投棄。残りは、東京上空で旋回して消費する。管制も了承済みだ』席に戻ったみんなが、再び私たちの方に近付いてきた。 やや遠巻きに、彼を見守っている。『東京OCO。どれだけの時間旋回が必要か、報告を』「っ……キャプテン!!」『一度離陸したら、フライトの全権、責任はキャプテンにある。安心しろ、しっかり降りて停めてやる。地上は任せた。万一に備え、消防、救急の手配をよろしく』彼が腰を浮かせる途中で、コックピットの方から交信を断った。 穣は中途半端な体勢で固まり、「くそっ、あの石頭……!!」力いっぱい、デスクに腕を打ちつける。 ダンッというすごい音がして、一瞬OCO内がしんと静まった。 先輩ディスパッチャーたちが、即座に我に返り、「消防の手配は任せろ」穣に声をかけて、席に戻っていく。 私は、彼らと穣の背中を交互に見遣って……。「ひ、氷室君。旋回に必要な時間、私が計算します」自分を奮い立たせて、デスクに戻った。 小刻みに震える手をキーボードにのせて、73便のフライトプランを確認しながら、社内システムに数値を入力し始める。穣はインカムを毟るように外して、デスクから電話の受話器を持ち上げていた。私は作業しながら、視界の端で彼を窺う。 「立花さん!」と呼ぶのを聞いて、一瞬ギクッと身を竦めた。 彼が電話をかけたのは、管制塔だとわかる。「なんで73便の胴体着陸を許可した? 危険だ。止めてくれ」どうやら、久遠さんからのリクエストを許可したのは、立花さんのようだ。 私は、彼の蒼白な横顔を気にしながら、なんとか指を走らせる。 電話の向こうの彼女が、彼にどう返答しているかはわからない。私の目の前のモニターに、燃料を消費するのに必要な旋回時間の計算結果が出た。 それを、彼のパソコンに転送してから、立ち上がる。穣は返す言葉を失い、絶句している。 そんな彼の傍らに佇み……躊躇ったのは、ほんの一瞬。 思い切って、彼の手から受話器を取り上げた。「っ」弾かれたように
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第 77 話

穣は、冷静さを取り戻してくれた。 私が燃料投棄分も組み込んで計算した旋回時間を、自分でも見直し、コックピットに伝えてくれた。 その結果を得て、73便は着陸ルートに進入。 現在、最大着陸重量まで機体重量を抑えるために、東京上空を旋回待機中だ。 管制塔から、滑走路への着陸許可が下りるまでは、膠着状態――。73便以外のフライトを他のディスパッチャーに委ねているから、穣も私もコックピットと管制塔の交信を、息を潜めてモニタリングしている。 時折、彼が現在高度と残燃料を確認するために、73便を呼び出す。 数字を伝え合うだけの淡泊なやり取りを終えて、マイクをオフにした彼に、「あの……氷室、君」遠慮がちに、だけど意思を持って声をかけた。 穣はムッと唇を結んで、目線だけ私に返してくる。「さっき、立花さんに言われたの。氷室君に伝えてって」彼と目を合わせて、そう切り出す。 彼の表情は、ほとんど変わらない。 ハッと浅い息を吐いて、「JAK73便の機長の要求を全面支持します……だろ。文句ないよ。従ってるだろ」シートに大きく背を預け、長い足を組み上げてふん反り返る。 ディスパッチャーの制止を聞かず、胴体着陸を強行する久遠さんにも、それを許可した立花さんにも、ただただ不服なのが、グッと腕組みをする様子からもわかりやすい。「ううん。それだけじゃなくて」私がたどたどしく続けると、訝し気に眉尻を上げた。「『肩の力を抜いて、地上からの操縦を楽しみなさい』……って」電話越しに、私の鼓膜を直接震わせた、彼女の言葉。 今、自分自身の心にも刻みながら、ゆっくり、噛みしめるようにして告げる。「……は?」穣は一拍分の間を置いて、ますます不審そうに眉間の皺を深くした。「どういうことだろう、って思ってたんだけど」私は、ぎこちなく微笑んで見せた。「完璧すぎる氷室君に最適なアドバイスかな、って」「え?」「なんだって一人でできちゃう。だから私は、氷室君みたいなディスパッチャーになりたくて、憧れるんだけど」穣は不快そうに口を噤む。 黙ったままだけど、耳を傾けてくれている。「久遠さんも言ってた。離陸したら、フライトの全権は機長にある。パイロット、ディスパッチャー、管制官……一番空に精通してるのは、パイロットだもんね」「なにが言いたい? 八巻さん」ちょっと苛立ち交
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第 78 話

「……いや」穣は唇に手の甲を当て、ボソッと呟いてそっぽを向いた。「わかる。多分俺、一度言われたことがある」「え?」「ディスパッチャーになりたての頃。無我夢中で、周りを見る余裕を失くしてて。あの人から、『周りを信用しないと、せっかく楽しい仕事なのに、楽しめないわよ』って」鋭い瞳が、ほんの一瞬揺れる。 今もまた、彼の頭の中が立花さんで占められている……。 それをはっきり知らしめられた気分で、私の胸がズキッと痛んだ。 だけど私は、今はその痛みにも真っ向から向き合う。「素敵なアドバイスだよね」「え?」「ディスパッチャーという楽しい仕事を、もっと楽しめるように。この間の、誰のバディになるかって話も……立花さんが言ってくれたから、今の氷室君が在るんでしょう?」穣が、やや困惑したような瞳を、私に向けた。 正面から目を合わせて、私はちょっぴりはにかんで見せる。「私は、そんな氷室君のすべてを、ディスパッチャーとして目標にし続ける。もっともっと好きになりたい。憧れって尽きないね。いくらでも限界突破できるくらい」「っ……」彼の瞳が、ほんのちょっぴり泳いだ。「え?」ややレアな反応にきょとんとして、私は瞬きを返し……。「あっ! し、仕事だよ? ディスパッチャーって、仕事のこと!!」『好き』とか『憧れ』とか……穣自身に向けて、熱く語ったようにも聞こえるのを、自覚する。「……わかってるよ。俺はあんたみたいに、妙な勘違いとかしないから」穣は、私の古傷を抉る、地味に余計な一言を吐いた。 言うだけ言って、大きな手で顔を隠し、プイと背けてしまう。「なんか……ごめん」私は変な汗を額に滲ませ、恐縮しきって肩を縮めた。 穣はそんな私を、横目で窺って……。「……ふっ」目を伏せ、小さな吐息を漏らした。「っ」この間、最後に会った時にもチラッと見せてくれた、『笑った』といえる表情。 今また、確かに目にして、私の心はガシッと鷲し掴みにされた。 条件反射で胸が弾んだ、その時。『JAK073,Tokyo tower. Runway C, Cleared to land』ノイズ交じりの交信が入り、私も穣もハッと身を乗り出した。 到着機との交信を担当するタワーから、滑走路への着陸許可が下りた。『Reduce minimum approach speed,
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第 79 話

後輪しか使えない、胴体着陸……。怖いのに、一瞬でも目を逸らせない。 瞬きすら堪えて、必死に目を凝らす。 隣に立つ穣も、呼吸まで忘れて、モニターを食い入るように見ている。「大丈夫だ。機長は久遠さんだからな」いつの間にか、穣と逆隣りに手塚さんが立っていて、力強い言葉を口にする。「はい」私を挟んで、穣が無意識といった様子で返事をした。 近くのデスクから、航空無線の音声が聞こえてきた。『Minimum』『Landing』タワーでは、73便との交信を切らずに、聞いているようだ。 コックピットの久遠さんと副操縦士の、きびきびしたコールアンドレスポンスが聞き拾える。『200、100……』機体の高度を告げる、機械音声アナウンスが交じり……。『50』次の瞬間、大型モニターの中のジャンボ機が、機首を上げ、後輪を着地させた。 誰もが固唾を飲んで見守る中、まるで滑るように滑走路を走り抜けていく。 前輪を下ろせないため、機体バランスを保つのが精一杯で、減速しきれない。『オーバーラン』という怖い言葉が脳裏を掠め、私はとっさに首を縮めた。 だけど。「今だ」穣が、まるでカンパニーラジオで交信するかのような、鋭い声を挟む。 そして、その声が届いたかと思うほどタイミングぴったりで、ゆっくり機首が下がった。 頭から突っ込むみたいな格好で、機首が滑走路に接触する。 それと同時に、モニターからか無線からか、激しい轟音が響き渡った。接触した機首部分から、バチバチッと、大きな火花が散る。 白い煙と砂埃が立ち込め、モニター全体が濃い靄で覆われた。 離着陸の様子を見慣れているディスパッチャーたちも、視界不良のモニターに目を凝らして機体を探し……。「あ……」滑走路のかなり先端部分で、ジャンボ機は停止していた。 OCO全体が、水を打ったように静まり返る中。『JAK073, Now, Landing』何事もなかったかのように、落ち着き払った久遠さんの声が、無線越しに届き――。 手塚さんが、パンパンパンと大きく手を打った。 それに導かれるように、他のみんなも手を叩く。波紋のように広がる拍手の輪。 もちろん私も、力いっぱい手を叩いた。「……さすが、キャプテン」穣は、脱帽、とでも言うような。 だけど、なんとも言えず満足気に口角を上げて、一人、ジッ
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第 80 話

JAK73便の乗客乗員四百十一名に怪我はなく、全員無事だった。 胴体着陸なんて大事故が、目と鼻の先で起きたのに、夏休みシーズンで普段より混雑していた空港ターミナルでも、目立った混乱は見られなかったそうだ。 タッチアンドゴーを繰り返さず、一発で着陸を成功させたおかげで、ターミナル内にいた旅客の多くが、そんな事態に陥っていたことに気付かなかったためだ。結果として、久遠さんの判断がすべてにおいて功を奏し、巡航中の機内だけでなく、空港全体の秩序を守った。 英雄と崇められてもいい。とは言え、胴体着陸ともなると、航空事故に分類され、重大インシデントに認定される。 着陸前から、社内で事故調査委員会が発足していた。 明日には、国土交通省による、事故調査チームが調査に入る。 それに先立って、社内での聴取が行われることになった。着陸を終えて間もない久遠さんと副操縦士を、社内の調査委員がターミナルで出迎えた。 73便の機体整備を担当した航空整備士、胴体着陸を許可した管制官の立花さんとその上司、そして、担当ディスパッチャーの穣と運航支援者の私も招集された。 委員も含めて十五人ほどでの聴取は、本社の役員会議室で行われた。私はこの時初めて、ディスパッチャーにも恐れられる、『鬼機長』の久遠さんと対面した。 フライトプランの件で、穣と一触即発のやり取りをした記憶も新しい。 四本ラインの制服姿が凛々しい、美しい鬼……いや、エリート機長は、ちょっと怖そうだけど、真面目で真摯な印象を受けた。 ほんのちょっと……穣に通じるところがある。重苦しい空気の中行われた聴取では、離陸前の機体整備状況に問題はなく、事故の原因も、バードストライクによるエンジントラブルと結論付けられた。 その後争点になったのは、穣も反対した、フライトマニュアルに反した一発での胴体着陸という、機長の判断だった。久遠さんは、カンパニーラジオ越しに穣にしたのと同じ説明を繰り返し、立花さんも『久遠機長の操縦技術は確かですから、その判断を信頼し、全面的に支持しました』と答えた。 調査委員から意見を問われた穣は、燃料に十分な余裕があったことから、フライトマニュアルに沿って、タッチアンドゴーを試みるのが第一選択だったはず、と答えた。 だけど……。「以上が、一ディスパッチャーとしての意見です。私個人的な意見を申
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