All Chapters of 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる: Chapter 81 - Chapter 90

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第 81 話

無駄にだだっ広いのに、やけに気詰まりだった空間から解放された私は、「はあああっ」大きく肩を落として、息を吐いた。 後から出てきた穣が、冷ややかな目で私を見ている。「あ。なに、その目。『あんたはなにもしてないだろ』って言いたい?」くるっと回れ右をして、腕組みをしてふん反り返った。「ああ」躊躇いなく肯定されて、「う」と口ごもる。「まあ……その通りだから、なにも言えない」頬を引き攣らせて、足を踏み出そうとして……。「穣」背後で短く呼ぶ声を聞いて、ピタッと動きを止める。「……実可子」穣が、名前で呼んで応じた。 それを聞いて、私は一度大きく息を吸って、そっと振り返った。私たちの後から、会議室から出てきた立花さんが、ドア口に立っていた。 彼女の上司が私の横を通り過ぎ、先を行く。 私は、反射的に頭を下げて見送って……。 正面向いて対峙している二人を、視界の真ん中で留めた。「っ……」ズキッと痛む胸に手を当て、一歩後ずさった。 気配に気付いたのか、穣が私に横目を流す。彼につられた様子で、立花さんもこちらを見ている。「あ。ええと……」二人から注視される居心地悪さに、私は目を伏せた。「氷室君、お疲れ様。遅番の勤務時間過ぎてるし……私、帰るね」取ってつけたような早口で言って、その場から立ち去ろうとした。 ところが。「待って」穣が、私の肘を掴んで止めた。「え?」驚いて、弾かれたように仰ぎ見る。 穣はムッと唇を結んで私を見下ろし、「予告しておいただろ。片付いたら、って。忘れたの」やや不機嫌に顔を歪めて、しれっと言った。「……っ」意図せず、ひゅっと喉が鳴った。 もちろん、忘れてない。 それどころか、彼と久しぶりに会ってしっかり意識してしまい、業務が始まっても煩悩に苛まれた。だけど、立花さんの前で迷いなく口にされて、なんて答えていいかわからない。 穣は、なにも言えずに口をパクパクさせる私から目を逸らし、声に出して溜め息をつき、「み……立花さん」彼女を名前で呼びかけて、一応私を気にしたのか、言い直した。 立花さんは私と彼を交互に見遣り、腕組みをする。「私を置き去りにして出ていった原因は、彼女?」小気味よく首を傾げて、目を細める。 穣は悪びれることなく、「そう」と頷いた。 立花さんが、ちょっと不快げに眉根を寄
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第 82 話

そう言って頭を下げる穣がレアで新鮮で、私は目を瞠った。 でも、立花さんには、そう珍しくないのかもしれない。 二人に恋人同士だった過去があることを、改めて思い知った気分で、ここでもまた胸がズキッと痛む。「…………」彼に掴まれたままの腕と逆の手を胸に当て、俯いて奥歯を噛んだ。「だから、さ」穣がポツリと続けて、一度言葉を切った。「この先も、憧れさせて」感情が滲まない、静かな口調。 私が言われたわけじゃないのに、思わず顔を上げた。 立花さんは唇を結んで、彼を睨むみたいに見つめている。「あなたが俺にくれたいろんなもの……これからも大事にしたいんだ。こんなことで、あなたに幻滅したくない。……ごめん」自嘲気味に告げられ、無言で長い睫毛を伏せた。「……そう」短い応答が、ほんのわずかに震えたのを、私は聞き流せなかった。 立花さんは、すぐにグッと顔を上げ、ふんと鼻を鳴らす。そして、私の肘を掴んで放さない、彼の手に目を落とし……。「穣にそんな彼女ができたなんて知らずに、悪かったわ」凛と胸を張って、彼の肩をポンと叩いた。 ほんの一瞬、彼に目線を上げて、颯爽と通り過ぎていく。 その視線から、彼女の本心が感じ取れた気がした。穣に、『理解不能』なんて言われても。 恋人だった時も、自分勝手に別れて、他の人と結婚した今でも。 立花さんも、本当に穣が好きだったから、手放せなかった――。「立花さん!」私は、彼の手を解いて、一歩踏み出した。 立花さんが、ピタリと足を止める。「八巻さん?」頭上から、穣の不審げな声が降ってくるけれど。「あの……憧れに、限界はないと思うんです」自分の心に突き動かされて、口走った。「は?」「え?」二人には、ほとんど同じポカンとした顔で返される。 それでも。「今日、立花さんが氷室君に伝えてって言ってくれた言葉、私にもすごく響いて。それで、その……」思い切って、ゴクッと唾を飲み……。「カッコよくて! 私も、立花さんに憧れました!」お腹の底から、吐き出すように言い切った。「……はあ」 穣が額に手を遣って、なんとも言えない溜め息を漏らす。 立花さんも、鳩が豆鉄砲を食ったような、微妙な顔をしていたけれど。「……くっ」小さく吹き出し、肩を揺らして笑い出した。 それを見て、私はスッと背筋を伸ばす。「これか
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第 83 話

喉を仰け反らせて見上げると、穣が忌々しそうに顔を歪めていた。「ごめん」私はひょいと肩を竦めた。 そして、「でも、すっきりした」晴れ晴れした気分で、彼に笑顔を返す。 穣は呆れ果てたような顔で、私を見下ろしていたけれど。「……ったく」ボソッと独り言ちて、私の肩に腕を回した。「ひゃっ……」グイと引かれて、私は意図せず、彼の胸に跳び込んでしまう。 とっさに離れようとしたのに、穣が後頭部に手を回したせいで、彼の肩口に額をぶつけた。 動けなくなって、思わず息を止める。「俺をそっちのけで、言いたい放題言うな、バカ」穣は私の頭に顎をのせて、ボヤくように呟く。「う。ごめ……」「でも、まあ、うん。……あんたの方こそ、ちょっとカッコよかった」さらりと髪を弄ぶ指先が視界を掠め、心臓がドキンと跳ねた。「ありがとう、八巻さん。俺が言いたかったこと、代わりに伝えてくれて」「っ、じょ……」弾かれたように、顔を上げた時。「……おい。事故調査委員が壁の向こうにいるってのに、イチャつくな」ブリザード級のひんやりした声が割って入り、ビクッと身体を震わせた。 会議室から出てきた久遠さんが、苦虫を噛み潰したような顔で、じっとりと私たちを見ている。「す、すみません!」私は慌てて穣を突き飛ばし、ガチガチに肩に力を込めた。「久遠さん、お疲れ様でした! ええと、これは……」「お前らがどういう関係でも、別に構わん。ドアの前を塞がれて、邪魔なだけだ」久遠さんは、フライトや聴取の疲れも見せずに、私たちをひんやりと一瞥する。「家に帰ってから、存分に楽しめ」ふんと鼻を鳴らして皮肉られ、「!」私は条件反射で飛び退いた。 障害物がなくなり、悠々と通り過ぎていく、逞しい背中を見送って……。「す、すごい、威圧感……」脱力しかけた私の肩を、穣がグッと抱き寄せた。「俺たちも、帰ろう」私に歩を促すように、腕に力がこもる。「っ、え?」「存分に楽しめ、ってさ」上に向けた目線の先で、どこか不敵な笑みを浮かべる彼を見つけて、いやがおうでも、胸がドキッと跳ねた。空港に隣接する本社ビルを出て、ものの三十分で、私は穣のマンションに連れて来られ――。「ふ、んんっ……ふあっ……」玄関に入ってからずっと、彼が施錠したドアを背に、何度もキスをしている。 穣は、『待て』が効か
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第 84 話

焦らすな、とでも言いたいのか。 不服そうに眉根を寄せ、鋭い瞳で、真っ向から私を射貫く。 心の奥まで裸にされそうな視線に、鼓動がドキドキと煽られる。「そうじゃなくて……あっ!」穣は私の返事を待たずに、首筋に噛みつくみたいにキスをした。 急いた様子で、スカートから引っ張り出したシャツの裾から、手を差し込んでくる。 彼の大きな手が、躊躇いも見せずに胸に到達して、「んっ……!」私はビクンと背を撓らせた。 彼のもう片方の手が、腰に回される。まるでダンスのリードをするみたいに、強引に回転させられた。「きゃっ……」私たちは縺れ合うようにして、廊下に倒れ込んだ。「いって……」とっさに庇ってくれたのか、穣が私の下敷きになっていた。 片目を瞑って顔をしかめるのを見て、慌てて身体を起こす。「ご、ごめん、穣! 頭打ったんじゃ……」「平気だから、騒ぐな」穣は廊下についた肘を支えに、中途半端に上体を起こすと、「なんだ。そっちの方が、やる気満々だな」心ならずも、彼の腰に跨るような体勢の私を、マジマジと見上げる。「っ! ち、違っ。誰のせいだと思って……!」弾みで彼の胸に置いた両手を離そうとして、一瞬早く、彼に纏めて掴まれた。「嫌?」私が上から見下ろすという、稀な角度。 涼やかなのに、情欲に満ちた目元に匂い立つ色気が半端じゃなく、いやがおうでも鼓動が高鳴る。下から探られたら、逃げようがない。 私はこくりと喉を鳴らし、かぶりを振った。「嫌……なんじゃない。でも、その前に聞いて」「いいよ。先に始めてるから、言って」穣は不遜に言って、しっかりと上体を起こした。 成り行きで、彼の太腿の上に座り込む格好になった私の額、頬、耳にキスを落とす。「ん、ちょっ……」目蓋に落ちてきた唇に、私は思わず片目を瞑った。 降ってくるみたいなキスに、背筋がゾクゾクする。 だけど、流されるな、私……!!「穣。私、穣が好きっ」顎を引いて彼の唇から逃げながら、一気に言い放った。 最初の時、『言うな』と言われたせいで、次も拒まれたら……と考えてしまい、改まって告げることができなかった。とは言え、すでにバレバレなのもわかっている。 今さら感満載なのは重々承知だけど、頬がカッと茹った。穣が、私の首筋に顔を埋めたまま、ピタリと動きを止めた。 それも束の間。 私
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第 85 話

「知られてるのは知ってる。でも、ちゃんと聞いてほしいから言ってるのに」照れ隠しもあって、私はムキになって捲し立てる。「聞いてる」「じゃあ、無視? 私、一応告白してるつもりなんだけど」「無視してない」「いや……だったら、リアクション? 欲しいんだけど……」至極当然の要求をしているはずなのに、彼がぎこちなく視線を外したままだから、怖気づいた。穣は、少しの間黙り込み、「……はあ」片膝を立てて、抱え込んだ。「え。溜め息……」地味に傷つき、ひくっと頬を引き攣らせる私の前で、ガシガシと頭を掻いて――。「……ベッド、連れて行っていい?」前髪を掻き上げた指の隙間から、チラリと私を見遣る。「は」「行くよ」許可を求めたわりに有無を言わさず、私をひょいと抱え上げた。「ひゃっ!? ちょ、ちょっと」ふわりと浮き上がる感覚が覚束なくて、私は一瞬身を竦めた。 でもすぐ我に返り、「ず、ズルい。そりゃ、穣が本気になりたくないの、知ってるけどっ」スタスタとリビングを突っ切って、寝室に向かう彼の胸を、ポカポカ叩く。「『コイツ、俺のこと好きだから、拒まれるわけがない』とでも思ってる? 身体だけじゃなくて心まで弄ぼうってつもりなら、こっちだって……!」ドサッとベッドに下ろされ、反射的にギュッと目を瞑った。 目を開けた途端、穣が覆い被さってきて……。「……俺も、好きだよ」私に体重を預け、耳元を吐息でくすぐった。 意思に反して、私の心臓がドクッと震える。「……え?」私は小さく首を捻って、肩口に顔を伏せる彼に目を凝らした。「リアクション、欲しかったんだろ。だったら聞き返すな」不貞腐れたように、くぐもる声。 私は自分の耳を疑って、瞬時に受け止めきれなかった。 理解が追いつくのと同時に、胸がバクバクと騒ぎ出す。「じょ、穣……んぷっ……」無意識に動かした唇を、彼のそれに塞がれ、ゴクッと喉を鳴らした。 もっと聞きたい。 ちゃんと話したいのに、容赦なく舌を絡められて、脳神経が焼き切れ、痺れていく――。「っ、は……」彼の方から、唇を離した。 私の上で顔を伏せ、なにか吹っ切るように、ブルッと頭を振る。 生理的な涙が滲んだ瞳で見つめる私から、揺れる前髪で顔を隠し、「……俺、さ」ポツリと、呟いた。「この半年の間に、あの人……立花さんに、何度も好
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第 86 話

「だから言わせなかったのに、あんた駄々洩れだから」「……!」意地悪に上がる口角に、ドキンと胸が跳ねる。「あんたの『好き』は、言葉じゃなくて五感に伝導した。やけにあったかくて、くすぐったくて満たされて……絆されてるのかと思ってたんだけど……」穣は一度言葉を切って、顔を背けた。「昼間、ドキッとした」「え?」「憧れって尽きない。いくらでも限界突破できる」今まさに、そういう形に動く唇に、私の鼓動は高鳴る。「まあ、あんたにとって、もっともっと好きになりたいのは、ディスパッチャーって仕事のことだったか」再びこちらに向けられた目が、どこか自嘲気味に細く光る。「あ、あの、穣。それ……」「あんたは俺と違って、溺れてもがいたりしないって言った。ひたむきに頑張るあんたはカッコよくて。……そんな女に限界突破させて、俺自身を好きだって言わせたい……って、久々に突き動かされた」穣は私の弁解に聞く耳持たず、身体を起こし、乱暴にネクタイを解いた。 ほとんど毟る勢いで、ワイシャツのボタンを外して、脱ぎ捨てる。「女に絆されたからって、こんなに欲しいとは思わない。自覚が追いつかないほど急ピッチで、あんたに惚れてた……って認めるしかない」「っ……」――らしくない。 今、一心に私に向けられる、彼らしくない渇望のようなものに、心を揺さぶられる。 穣は引き締まった上半身を露わに、私の顔の横に肘をついた。「……抱くよ。その間ずっと、俺のこと好きだって言ってて」まっすぐ目を合わせて、不敵に微笑む。 私の鼓動は、いやがおうでも跳ね上がった。「じょ、穣……」彼の名を紡ぐ唇に、チュッと軽いキスが落ちてくる。 穣はふっと目を細め、私に額をコツンとぶつけて――。「あんたの気持ち、放置したりしない。俺も、言うから。何度でも、何度でも」どこかもどかしそうに、私のシャツのボタンを外し、勢いよくはだけた。 なんの躊躇もなく、ブラジャーをグイッとずり上げる。「ひゃっ……!」ビクンと背を仰け反らせる私の胸元に、遠慮なく顔を埋めてきた。「やっ、穣っ……」久しぶりの彼の愛撫は、どこか熱っぽく、らしくないほど執拗で、背筋が戦慄くのを抑えられない。「……ほら、言え」穣は、私の胸元から上目遣いの視線を向けて、どこまでも意地悪に促す。「あ、う」顎を引いて目を合わせた私に、まるで
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第 87 話

私の耳を直接唇でくすぐりながら、鼓膜に刻みつけてくれた。さざ波も立たない静かな水面に浮かんで、ふわふわと漂っているような――。 心地よい気怠さに身を任せていると、目蓋の裏が白っぽく明るくなり、眩しさを覚えてぼんやり目を開けた。「ん……」シンプルな濃いブルーのカーテンの隙間から、ギラギラの光が射し込んでいる。 ――うちの、ボタニカル柄のカーテンじゃない。ハッとして横を向くと、とんでもなく綺麗な穣の寝顔が視界いっぱいに映り込んだ。 条件反射で、ドキンと胸を跳ね上げてから、「そっか、ここ、穣の家……」思考回路が繋がり、ポツリと呟く。 それを自分の耳で拾って、ジワジワと実感が湧いてきた。「穣……」モゾモゾと寝返りを打って、彼の方に向き直る。 伏せられた長い睫毛。 やっぱり見慣れない、小さな泣き黒子。 通った鼻筋に、わずかに開いた薄い唇。 どこもかしこも、私をきゅんとさせる。 彼の全部を網膜に焼きつけながら、指で順に触れていくと。「……人の顔触って、なにやってんの」唇をなぞった指を、カプッと咥えられた。「ひゃっ!」ひっくり返った声をあげた私の目の前で、穣がゆっくり目蓋を持ち上げる。 途端に、バチッと目が合った。「っ……」目覚めの一番で、彼の瞳に自分が映るのを、確認できるなんて……。「……おあよ」幸せを噛みしめる私の指を咥えたまま、彼が不明瞭な声で挨拶してくれた。「う、うん。おはよ、穣……」目を開けたもののまだ眠そうで、はむはむと唇を動かしながら、重力に負けたみたいに目蓋を閉じる。――なに、この可愛い生き物……!! 一晩中愛し合って一緒に迎えた朝……昨日までとは全然違って、気を許してくれている彼の、寝起きの破壊力が半端じゃない!私はドギマギしてしまい、上体を起こした。 昨夜、いつ眠りに落ちたのか覚えていない。 ドッドッと早鐘のように打つ裸の胸に、薄い肌掛けを抱きしめる。 堪らなく幸せな気分で、しばらく彼を見つめていたけれど……。「あの……いつまで私の指、食べてるの?」私の問いかけに、穣は目を開けた。 彼を見下ろしていた私と目が合っても、ほとんど身動きしないし、かなりリアクションが薄いから、やっぱりまだ寝惚けてる。下手したら、私の指を食べ物と間違えてる可能性がある。 齧られたら大変。 私が、そっと指を
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第 88 話

私の反応を見透かしたのか、穣がなんとも妖艶に、上目遣いの視線を向けてきた。「今日、夜勤だし。時間たっぷりあるな。……いいよ。シよっか」まるで誘うように言って、寝そべったまま、私の腰に両腕を回す。「じょ、穣!?」胸に抱えた肌掛けの中で、彼の手がモゾモゾと動く。「やっ、む、無理無理! 昨夜だって、あんなに……」自分の全体重で、私をベッドに沈め込もうとする彼の肩を、無我夢中で押し返した。「ね、ねっ、またにしよう? あんまりいっぺんだと、ありがたみが薄れちゃうっ」必死になって、声を上擦らせると。「ぶぶっ」穣が、私の胸元で吹き出した。「なに、ありがたみって。憧れてやまないディスパッチャーに抱かれるって、そんなにもったいないこと?」クックッと、小刻みな笑いで揺れる髪が、くすぐったい。「そ、そうじゃなくて、ええと……」弁解しようと、両手の指を絡ませて目を泳がせる私を、穣はひとしきり愉快げに笑った後。「彼女になったって言うのに、謙虚だね。……ま、いいや。また次回」肌掛けの中からヒョコッと顔を出し、ベッドを軋ませて床に降りた。「彼女……」彼の言葉を反芻した途端、私の鼓動が高鳴り始めた。 穣は、私の独り言には耳も貸さない。 ハーフパンツ姿で、床からシャツを拾い上げ、「腹減ったな。朝メシ食べに行くか」袖を通しながら窓辺に向かう。 シャッと音を立ててカーテンが開き、ピークは過ぎたものの、まだまだ真夏の日光が射し込んだ。 均整の取れた美しい身体に、金色の陽射しが注ぎ込む。 穣は両腕を天井に突き上げて、気持ちよさそうに伸びをしてから、ベッドの私をゆっくり振り返った。「いつまでもそんな格好してると、問答無用で襲うよ、藍里」「っ」朝陽を浴びて輝く身体と、まだ慣れない彼からの名前呼びにきゅんとした。 朝から憚らない欲情に、ドキッと心臓が跳ねる。 自分を抱きしめ、身を小さくする私に、穣はふっと柔らかく口角を上げた。「俺、先シャワー浴びてくるから。……お前は、服着とけ」――最初の時、私が恥じらったのを覚えているのか。 そう言って、大きな歩幅でドアに向かっていく。「……うん」私の二度目の返事は、ドアの音に阻まれた。 それでも、まだそこに彼の残像が見える気がして……。「彼女。お前。……くうっ……」胸が、疼く。 きゅうっと締めつけ
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第 89 話

OCOで初めて過ごした八月は、まるで駆け抜けるように過ぎていった。 九月に入り、夏休みも終わって、旅行、航空業界のオンシーズンも一段楽。 ピーク時に比べてフライト数も落ち着いて、穣は通常比かなりゆったり……私は相変わらずバタバタと仕事をしている。「八巻さん。小松60便のフライトプラン、フェイストークで受け渡して」「はい」「三十分後、機長とオンラインブリーフィングやるから、準備よろしく」「了解ですっ」気象データを集める間にも、矢継ぎ早に指示が入る。 フライト数は減ったのに、私はハイシーズンと変わらない忙しさ……目が回りそうだ。 ――でも。フライトプランを機長に受け渡すために、社内アプリのフェイストークにフライトプランを移しながら、隣の彼の横顔を窺った。 私がこんなにバタバタなのも、それに反して穣がゆったりなのも、私に仕事を任せてくれているからだ。八月最終週の胴体着陸事故前までは、仕事を振ってくれるだけで、『任せてもらえている』という実感には至らなかった。 でも今は、左腕くらいには信頼してもらえていると、自負している。彼女だから、じゃない。 むしろ穣は意識して、仕事中、努めて事務的に接しようとしている。 おかげで、以前以上に塩対応に拍車がかかった……ようにも見えるけれど。私に、異議はない。 だって穣は、一歩空港を出るとメガトン級に甘いから。 ――と言うか、エロい。今はモニターに注がれていて、私を映さない真剣な目も、持て余すようにペンを回す長い指も、燃料重量を自分に刻むみたいに唱える唇も。 あと数時間して仕事が終わったら、今夜また私に、あんなこともこんなことも――。「……八巻さん。視線が熱い」「っ」溜め息交じりに言われて、私はハッと我に返った。 穣が左手で頬杖をついて、右手の指でペンを回しながら、私を斜めからの角度で見ている。「フライト減って、少しくらい手が空いても、仕事中に妄想する余裕、あんたにはないだろ」「うっ。すみません」私は条件反射で、シャキッと背筋を伸ばした。 煩悩を払おうと、両手でパンと頬を打って……。「……なんで、妄想ってバレた……?」思わず首を捻る横で、穣は顔を伏せ、笑いを噛み殺していた。「いや、わかるだろ。そんな食い気味の熱視線。炙られるかと思った」「!」目を細めて揶揄されて、私はカア
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第 90 話

日勤の休憩時間は、ちょうどいいお昼時。 穣と一緒に職員食堂に行くと、副操縦士の制服姿の水無瀬君とばったり会った。「ちょうどよかった、氷室! 話したかったんだ。あ、八巻さんもお疲れ。俺も一緒にいい?」水無瀬君も、昼食休憩のようだ。 三人揃ってハンバーグ定食のトレーを持って、ランチタイムのピークで混雑する食堂の奥に進み、窓際のテーブル席に着いた。 私の隣に座った穣が、水無瀬君と向かい合って、わりと丁寧に「いただきます」と両手を合わせ、味噌汁を啜る。「なあ、氷室……」食事そっちのけで、身を乗り出す水無瀬君を、「この間の、胴体着陸だろ」目線も上げずに、遮った。「どうせ、俺が担当ディスパッチャーだったって聞きつけて、コックピットの様子を詳しく聞かせろって言いたいんじゃないの」水無瀬君は、一瞬虚を衝かれた様子で瞬きをしたけれど。「ご名答」背筋を伸ばして、にっこり笑う。「俺が乗務予定だったフライト、あの影響でディレイになって。ターミナル内で見てたんだ。久遠さん、本当に見事な着陸だった。俺、コーパイ席に着きたかったなあ」「水無瀬君、見てたの?」私が茶碗を手に持って質問を挟むと、こちらを向いて大きく頷く。「フライトマニュアルに背く、機長判断。管制が許可したのもびっくりだけど、ディスパッチャーが氷室だったって聞いて、これは相当なバトルだっただろうと……」穣が目を伏せ、深い溜め息を挟む。「久遠さん……事故調、どうなった?」乏しい表情で訊ねる横顔を、私は黙って窺う。「終わったよ。厳重注意だけで、お咎めなし」「……よかった。まあ、当然だけど」水無瀬君の返事を聞いて、ちょっとホッとしたように、彼の口元が緩んだ。 そのわずかな仕草からも、彼自身が『さすが』と称賛した技術を誇る久遠さんの処分を、心配していたのがわかる。 私は、ちょっぴり優しい顔で目を伏せる彼に、思わず見惚れて……。「それで? 久遠さん、管制や氷室とどんなやり取りしたんだ?」水無瀬君が、話題を元に戻そうと質問を繰り返す声に、ハッと我に返る。 いけない、いけない。 水無瀬君もいるのに、自然にときめいてしまった……。 地味に自分を叱咤する私の横で、穣が渋く顔を歪めた。「火事に群がる野次馬か、お前は」「後学のためだよ。俺もいずれは機長に昇格する日が来るし、ああいう緊急時に、氷
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