バレンタインデーを数日後に控えたある日。私、小林喜乃(こばやし よしの)は、彼氏である岩田景明(いわた けいめい)の車の助手席で、グローブボックスの中に予備のマスクがないか探していた。その時、奥の方で指先に赤いベルベットの小箱が触れた。 心臓がトクトクと早鐘を打つ。甘い期待で、胸が張り裂けそうだった。 もしかして、ついにプロポーズ? 震える指で、ベルベットの小箱をそっと開ける。 だが、中に入っていたのは指輪ではなかった。 私がファッション誌で何度も眺めていた、『天空の輝き』という名のネックレスだ。 彼はいつも、私の些細な好みをちゃんと見てくれている。ほんの一瞬よぎった落胆は、あっという間に温かい喜びに溶けていった。 その時、運転席のドアがバンッと開いた。 飲み物を買いに行っていたはずの景明が、そこに立っていた。 「何してるんだ……」 彼の鋭い視線が、私の手元にあるネックレスに突き刺さる。表情は強張り、声には明らかな動揺がにじんでいた。 有頂天になっていた私は、彼の様子が決定的におかしいことに、まだ気づいていなかった。 「あ、見つけちゃった!バレンタインのサプライズ、先に見ちゃってごめんね!」 私は無邪気に笑いながら、嬉しさいっぱいで箱を掲げてみせた。 しかし景明は無言のまま運転席に乗り込むと、バンッと荒々しくドアを閉めた。 「なんで勝手に人のものを漁るんだ!」 耳を疑うほど尖った声。その横顔は、見たこともないほど冷ややかだった。 私は呆然と彼を見つめた。箱を掲げていた手が、行き場を失って宙で止まる。 付き合って三年になるが、彼にこんな冷たい言い方をされたのは初めてだった。 私がひどく怯んでいるのに気づいたのか、彼はふっと息を吐き、少しだけ口調を和らげた。 「ごめん喜乃、他意はないんだ。ただ、車の中には会社の機密書類を置いていることもあるから……次からは勝手に開けないでほしい」 彼はさりげなく視線を前方に逸らし、エンジンをかけて車を発進させた。 ……私が、悪かったの?甘い喜びは一瞬にして冷え切った。私は黙ってネックレスを箱に戻し、そっとグローブボックスを閉めた。 車内に重い沈黙が降りる。いつの間にか、窓の外ではしとしとと冷たい小雨が降り始めていた。 雨だれを見つめる
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