LOGIN私、小林喜乃(こばやし よしの)には、三年付き合っている彼氏がいる。 彼は私を甘く溺愛し、この上なく大切にしてくれていた。友人たちは皆、そんな私を羨んだ。 唯一の欠点を挙げるとすれば、彼が多忙すぎることだった。 いつもイベントや記念日の前になると、決まって出張に行かなければならなかった。 今年のバレンタインデー直前、彼の車の中でまったく同じプレゼントを二つ見つけてしまうまでは。 息が、止まった。 あの岩田景明(いわた けいめい)が、浮気? 一度落とされた疑念の種は、真っ黒な根を張り、あっという間に芽を出し始める。 そしてついに、彼がバレンタインデーにまた「出張」へ行くというので、私はこっそりと後をつけた。 突き止めた浮気相手を問い詰めても、彼女は少しも悪びれる様子を見せず、ひどく堂々としていた。 自分が泥棒猫であることを、頑なに認めようとはしないのだ。 私は怒りで感情を爆発させ、彼女を景明の元へ引きずり出し、直接対決させてやろうと騒ぎ立てた。 すると彼女は、景明との婚姻届受理証明書を取り出し、私の顔に叩きつけてきたのだ。 「よく見なさいよ。一体どっちが『泥棒猫』なのかしら!」
View Moreあの日を境に、私にはつかの間の平穏が訪れていた。 景明は何かに追われているのか、しばらく私の前から姿を消した。 それでも彼からの届け物は絶えず、管理人室に預けられるか、直接デリバリーで送られてきた。 西園寺家からの容赦ない報復を食い止めに走っているのか。あるいは、瑠香とよりを戻して、西園寺グループの尻拭いに奔走しているのか。 どちらにせよ、今の私にはどうでもいいことだ。私はようやく深く息を吐き、静かに体を労わることに専念することができた。 それから半月後。景明は再び、血走った赤い目をして瑶季のマンションの前に立っていた。 「喜乃……半年ほど、地方の現場に出ることになった。これはこの半月でどうにか稼いだ金だ。多くはない、二十四万しかないが……君と、子供のために使ってほしい」 彼は上着のポケットから一枚のカードを取り出した。かつてはためらいなくブラックカードを切っていたその手が、今はごくありふれたキャッシュカードを震えるように握りしめている。 「君が金に困っていないことは分かってる。でも、これが今の俺にできる精一杯なんだ」 彼は縋るように顔を上げた。ひどく充血したその瞳には、行き場のない深い感情が渦巻いていた。 「喜乃、行く前に……一つだけ聞かせてくれないか」 私は無言のまま彼を見返した。それを無言の承諾と受け取ったのだろう。 「もし俺が、出会った最初から……君にすべてを正直に打ち明けていたら。君は、俺を愛してくれただろうか?」 私は目の前に立つ男をじっと見つめた。かつての、あの洗練された気品ある面影は、もう見る影もない。 カードを差し出す指には、まだ生々しい傷跡がいくつも残っている。肌も荒れ果て、ひどくくすんでいた。 初めて出会ったあの夜、運転免許を差し出してくれた、あの白く骨ばった美しい手とは、まるで別人のようだった。 あの時、彼に惹かれた私のときめきは、間違いなく本物だった。――そして、彼への愛が完全に冷めきった今の心も、間違いなく本物だ。 「景明。この世界に『もしも』なんて存在しないわ」 彼の顔から、すっと最後の血の気が引いていった。彼は力なくうつむき、無言のままカードを玄関の棚に置くと、重い足取りで背を向けた。 エレベーターホールまで歩きかけたところで、彼はふと足を止めた。 「
まさか、景明と再び顔を合わせる場所が、病院の救急外来になるなんて。 景明は仕事中に倒れ、救急車で運ばれたという。彼のスマホの緊急連絡先が、まだ私のままになっていたのだ。 看護師の話では、極度の低血糖と過労が原因らしい。 私はベッドの傍らに立ち、彼を見下ろした。点滴の管をつながれた腕。まるで紙のように血の気のない、真っ白な顔。 ほんの短い間に、どうしてここまでやつれ果ててしまったのだろう。 彼が重い瞼を開けた。それが私だと気づくと、数秒間呆然とし、それから這いつくばるようにして慌てて起き上がろうとした。 「私たちはもう終わったのよ。私のためにこんな惨めな真似をしないで。迷惑なだけだから」 自分でも恐ろしいほど、私の声は冷たく透き通っていた。 彼は長いこと沈黙していた。やがて、絞り出すような低い声で言った。 「昔、俺が君に買ってやった宝石も、バッグも、あの家も……結局は全部、岩田家の金だった。つまり……西園寺家から恵んでもらった金だ。 これで君に許してもらおうなんて、思ってない。ただ……俺自身の汗で稼いだ金で、君に何かをしたかったんだ」 私は彼を静かに見つめた。胸の奥に何かがつかえ、声がわずかに掠れる。 「そんな綺麗事を並べないで。あなたが今やっていることは、ただの痛々しい自己満足でしょ」 彼は何かを言いかけて、ふっと口をつぐんだ。その瞳から、すっと光が消え失せた。 彼が目を覚ました以上、これ以上ここに留まる義理はなかった。 きびすを返してドアへ向かおうとしたその時――瑠香と、翔に鉢合わせた。 瑠香は相変わらず高慢で華やかな佇まいだったが、私に向ける視線にはねっとりとした恨みがこもっていた。コートの下で膨らみ始めた私のお腹を、忌々しそうに睨みつけている。 「あなた、まだその腹の子を堕ろしてなかったわけ?」 「西園寺さん。私はあなたとも、景明とも、もう何の関係もありません。見苦しい真似はおやめいただけますか」 私は一切の感情を交えず、淡々と言い放った。 「ちっ、偉そうに口答えする気か?」 翔が苛立ち紛れに平手打ちを食らわせようと手を振り上げた。だが、その手首を、ベッドから身を起こした景明がガシッと掴み止めた。 体は限界まで弱り切っているはずなのに、彼から放たれる凄絶な気迫は少しも衰えて
私は出前の袋を手に取ってそのままゴミ箱へ捨て、指輪の入った箱を瑶季に渡した。 「景明、もう私がここに住んでるって突き止めたみたい。その指輪、後で突き返しておいてくれる?」 翌朝、早くのことだった。 瑶季がドアを開けると、そこには景明が立っていた。手には朝食の袋を提げ、目の下に刻まれた黒い隈は昨日よりもさらに濃くなっている。 彼女は驚いて小さく悲鳴を上げたが、すぐに我に返ると、持っていた指輪の箱を彼の胸ぐらに向かって投げつけた。 「これ持って、とっとと消えなさいよ!これ以上つきまとうなら警察呼ぶからね!」 「東山さん、頼むから、喜乃と少しだけ話させてくれ。顔を見たらすぐ帰るから!」 二人の言い争う声で、私は目を覚ました。玄関に立つ景明の姿を見た瞬間、足が止まり、思わず不快感に眉をひそめる。 そんな私の反応に気づかず、景明はすがりつくように叫んだ。 「喜乃!俺、瑠香と離婚したんだ!家からも追い出されたけど、今は友人の会社でプロジェクトを手伝ってて、社員寮に住んでる。月収だって二十六万あるし……」 瑶季は鼻で笑い飛ばした。 「だから何?喜乃に、あんたと一緒にどん底を這いつくばれって言うの?」 景明は言葉に詰まり、すっと声のトーンを落とした。 「違う、同情を引きたいんじゃない。ただ……俺は本気で変わろうとしてる。それを君に知ってほしかったんだ!」 廊下の奥から、買い物帰りの隣人の足音が近づいてきた。不審な騒ぎに、彼女は警戒するように景明を何度も振り返っている。 彼はいたたまれずにうつむき、朝食の袋を握る指が白くなるほど力を込めた。 「朝食、ドアの前に置いておくから。胃が弱いんだから、ちゃんと時間通りに食べてくれ」 それだけを言い残し、彼は本当にそのまま背を向けて歩き出した。一度も振り返ることはなかった。 彼が去った後、瑶季が袋を開けると、中には私の大好きな鯛茶漬けと、葉酸のサプリメントが入っていた。 相変わらず、細部まで行き届いた気配りだ。 深い愛情を演じることにかけては、彼は昔から完璧な男だった。 これほど醜く決裂したのだから、さすがの彼もこれで諦めるだろう。私はそう高を括っていた。 まさか、これが異常な執着の始まりに過ぎなかったなんて。 それからの一週間、景明はあらゆる手段で私の
景明だった。 だが、私の記憶の中にある景明ではなかった。 彼は無残なほど痩せこけていた。かつては体格にぴったり合っていたはずのスーツが、今はだぶついて肩から落ちそうになっている。 顎には青黒い無精髭が伸び、両目はひどく充血していた。 手にはコンビニのビニール袋が握られ、そこからカップ麺の角がのぞいている。 「喜乃」 その声は、ひどく掠れていた。 私は無言で背を向け、立ち去ろうとした。だが彼はすがりつくように手を伸ばし、私の腕を掴んだ。 彼の手の甲には大小さまざまな傷跡があり、そのいくつかは赤黒いかさぶたになっていた。 「五分でいい。俺の話を聞いてくれ。その後は、家を売るなり、俺を殴るなり罵るなり……好きにしてくれて構わないから」 彼は私を見つめた。その瞳には、ほとんど卑屈とも言えるほどの懇願の色が浮かんでいた。 「……頼む」 私は何も言わず、その手を冷たく振りほどいた。 不動産屋のスタッフは空気を読み、そっと部屋から出ていった。 景明はその場に立ち尽くしたまま、一歩も動けずにいる。 かつて、彼はこの家の主になるはずだった。それなのに今は、初めてここを訪れた部外者のように、ひどく居心地悪そうに縮こまっていた。 「俺……親父から会社の役職を解任されたんだ。口座もすべて凍結された。 瑠香が……身籠っていたのは、俺の子じゃなかった…… あいつが通っていたジムのインストラクター、古川翔(ふるかわ しょう)の子だった。俺が……最初、君に近づいたのは……」 私は冷たく鼻で笑い、彼を真っ直ぐに見据えた。 「妻に不倫されたことへの、復讐のつもりだったんでしょ。 それで、今はどうなの?私にも血の通った心があるって、やっと気づいた?お芝居の度が過ぎたって反省でもした?ただの身代わりに、本気で恋しちゃったとでも言うの?ねえ景明、自分ではそんな展開が感動的だとでも思ってるの?」 彼の顔からさっと血の気が引いた。慌てて弁解しようと口を開く。 「違うんだ……喜乃。最初は確かに、意地になっていた部分もあった。でも、その後は……」 私はまだ、彼と冷静に向き合うことなどできなかった。声に、抑えきれない怒りがにじみ出る。 「その後?その後、あなたは私を愛人呼ばわりして、大勢の前で殴りつけて、子供を堕ろ