Semua Bab 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚: Bab 521 - Bab 530

845 Bab

第521話

光は立ち上がり、裁判官をまっすぐ見据えながら、落ち着いた口調で主張を始めた。「裁判長。被告の帰国以前において、谷口氏との間に存在したのはあくまで法的な投資提携関係であり、共同の研究プロジェクトに基づくビジネス目的の正当な資金のやり取りに過ぎません。原告側が提出した証拠は、被告が帰国後、谷口氏と面識があったという事実にすぎません。帰国前からの不適切な男女関係があったという証明にはなりえず、これまでの正当な投資提携という合意を覆す根拠としても不十分です。したがって、本件対象となる金銭のうち、被告が帰国する以前に発生した分については、通常の投資取引として認定されるべきであり、無償贈与には当たりません。よって返還対象に含めるべきではないと主張します」光の主張を聞き終えると、凛は向かいに座る三人をまっすぐ見つめた。「つまり、あなたたちは不倫の事実自体は認めるということですね」智也は凛を見る。まさか、いつか二人が法廷で向かい合う日が来るなんて、想像したこともなかった。凛はもう、自分の言うことを何でも受け入れてくれる妻ではない。冷静に事実を突きつけてくる、元妻になってしまったのだ。凛を前にすると、智也は反論の言葉が出てこなかった。彼女に対して、罪悪感があるのだ。そして柚葉に対しても、同じように罪悪感を感じている。喉元を何か見えない力に締め付けられるようで、この法廷での対峙に、智也は一言も声を出せない。ただ、黙って認めるしかなかった。柚葉も、もはや言い返すことはできなかった。これだけの証拠が並んでいるのだから、写真は偽物だとか、お腹の子どもは智也の子ではない、なんて言えるはずがない。もしそんなことを言えば、周囲は自分をどう見る?そして、これから智也は自分との関係をどうするつもりなのだろう?自分は己の身体を傷つけてまで流産という結果を作り、智也の罪悪感を引き出した。そして、これから先も、自分が欲しいものを手に入れるためには、智也を縛り続けるしかない。すると、謙介が淡々と述べ始めた。「本件対象となる財産は、いずれも夫婦の共有財産です。被告小林柚葉が帰国した後、被告谷口智也が家庭生活の維持とは無関係に高額な財産を一方的に贈与した行為は、公序良俗に反するものであり、法的に無効です。また、被告小林柚葉は正当な対価なく財産を受け取っており、さ
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第522話

凛の一言は、柚葉と智也を一瞬で黙らせた。二人の顔から一瞬で血の気が引いていく。光が反論した。「こちらには投資契約書があります。これは両者が研究協力関係にあったことを十分に証明するものであり、贈与などではありません」すると謙介がふっと笑い、淡々と反論し始める。「被告側が主張する投資契約書には、事業計画書も、成果報告書も、資金使途明細も、分配記録も一切存在しません。これは後から作成された、実態を伴わない形式的な契約にすぎません。そもそも、被告側が『研究費』と主張する金銭は、毎月一定額が長期間にわたり支払われ、投資であるにもかかわらず一切のリスクを負っていない。その実態は、正当な投資ではなく、不適切な関係を背景とした無償の財産に過ぎません」裁判官が鋭い視線を柚葉と智也に向け、事業計画書や研究報告書、資金使途明細などの証拠提出を求めた。柚葉が提示できたのは、一本の研究報告書と3本の論文だけ。国際的な学術雑誌に投稿されたものが1本と、普通クラスのものが2本。3年以上で3本の論文という実績自体は、研究者として特別珍しいものではない。しかし、この程度のレベルで、柚葉は国家プロジェクトに参加したのだ。そのことについては、今でもなお業界内で疑問を持たれていた。光が研究報告書と論文を証拠として出しても、まだ不十分だった。資金明細書があればいいのだが、柚葉がそれをずっと出さない。その時、凛が言った。「裁判長、新しい証拠を提出します」法廷内の全員が一瞬固まる。柚葉と智也も、驚きと困惑の入り混じった目で凛を見つめた。これだけ証拠が揃っているのに、まだ新しい証拠があるというのか?一体何だ?智也は呆然としていた。柚葉も完全に困惑している。そんな中、凛、海斗、謙介、そして拓海だけが、余裕のある表情を見せていた。海斗はゆっくりと椅子にもたれかかる。座ったままでも、その鋭い視線は法廷全体を見下ろしているようだった。日和が不思議そうに聞いた。「お兄ちゃん、証拠って何なの?」拓海が海外調査から帰ってきた日、日和は不在だったため、詳細を知らなかったのだ。海斗は日和をちらりと見てから、淡々と言った。「見てれば分かる」日和は再び法廷へ視線を戻し、じっと見守る。誰もが、謙介の手にある分厚い資料に注目していた。一体、何が入っているの
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第523話

立ち上がった謙介は、一切の容赦をしなかった。冷静でありながら鋭い口調で、裁判長へ向けて陳述する。「裁判長。こちらでは被告人である小林柚葉氏の家計収支について、独自に精査を行いました。被告人の両親および松田英樹氏の職業収入、固定給、正当な保有資産を確認した結果、本件で問題となっている多額の支出が、双方の親族から援助されたものである可能性は明確に否定できます。その上で算出すると、被告谷口智也が長期間にわたり振り込んでいた、いわゆる『研究費』のうち、実に3分の2にあたる金額が、被告小林柚葉が海外滞在中に行った高額な個人的消費と完全に一致しました。この客観的な事実からも明らかなように、本件の金銭は研究投資のために使用されたものではなく、被告小林柚葉の生活費や個人的な支出に充てられており、無償の贈与として認められます」謙介の瞳に鋭い光が宿る。勝利を確信したような笑みを浮かべ、柚葉に問いかけた。「被告人は一貫して、この金銭は研究費だったと主張していましたよね?しかし実際の使用状況は大きく乖離しています。この事実は、谷口氏や原告に対する欺瞞にあたるのではないでしょうか?」その瞬間、光の顔から血の気が引いた。もう挽回の余地がない。柚葉が研究費の内訳をすべて明かしていようがいまいが、相手側が集めた証拠はあまりにも詳細だった。ここから逆転できる可能性は、限りなく低いだろう。光は押し黙った。柚葉は慌てて智也に視線を向ける。「智也、これは違うの、これは……」しかし、その必死に弁明する声も、もはや弱々しく響くだけ。智也は全身から力が抜けたように、その場に崩れ落ちた。柚葉を見る目には、もはや一言では言い表せない感情が浮かんでいた。怒り、憤り、絶望、困惑……どれだけ言葉を探しても、今の自分の感情を表すものが見つからない。ただ、血液が凍りついたように身体が動かず、心臓が正常に動いていないような感覚だけがあった。頭の中は混乱し、激しい頭痛に襲われる。何かに押し潰されている気がした。圧迫され続け、最後には自分自身が粉々になってしまいそうだった。この数年間、柚葉へ渡してきた金。その一部は確かに研究に使われていたが、大半は違った。彼女自身を飾り立てるため、海外の華やかな社交界に入るため、さまざまな男たちと情事を楽しむため……そんな女のために、
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第524話

凛が視線を戻すと、傍聴席にいる自分を心配してくれている人たち一人ひとりと目が合った。自分には、味方がいる。一方柚葉は、傍聴席に空いた4つの空席を見つめ、ひどく動揺していた。美雪や光はいるものの、自分の味方はもう誰一人てといなくなってしまった。智也は大きな衝撃を受け、これ以降は一言も発しなかった。凛が求めた「智也との財産分与を認めない」という請求についても、もう反論などしない。それが、凛に対する償いだった。一方で、投資関係そのものを否定することもしなかった。それは、この世へ生まれてこられなかった子どもへの償い。健吾は智也の腰の引けた態度に苛立ち、その表情は暗く沈んでいた。しかし、打ちのめされたように座る智也の姿を見ると、強く責めることもできなかった。たった一人の息子。そして柚葉へ向ける健吾の視線には、殺意にも似た怒りが宿っていた。この女は、谷口家全員を欺いていた……だが、今の柚葉には谷口家のことなど気にしている余裕はなかった。謙介が口にした「欺瞞」という言葉が、彼女にこれまで感じたことのない恐怖を与えていたのだ。法律に詳しくなくても、共有財産の返還と詐欺罪の決定的な違いは分かる。24億円もの詐欺罪が立証されれば、刑務所から出られないかもしれない。柚葉は智也に目をやり、またしても反射的にお腹に手を添えた。裁判が始まる前に、流産を仕組んでいなかったら、全てを知った智也に完全に見捨てられていたかもしれない。何があっても、智也は法廷で投資関係を否定することはないだろう。凛は、柚葉が腹に手を当てる仕草を見逃さなかった。しかも、これで二度目。こんな切迫した状況で、まだ失われた子どものことを気にしているのか?凛は違和感を覚え、思わず傍聴席の海斗に目を向けた。なぜ最初に海斗へ伝えたいと思ったのか、自分でも分からない。でも、海斗なら何とかしてくれると思ったのだ。海斗も凛の視線に気づき、その先を追った。そこで柚葉の手の動きに目を留めると、一瞬で凛の意図を理解した。海斗は隣にいた拓海に、小声で指示を出す。「終わったらすぐに柊病院に行って、小林の流産原因を詳しく調べてくれ」拓海の眼鏡の奥で、鋭い光が走った。「かしこまりました」「うん」法廷では、柚葉が深く息を吸い、言葉を続けていた。「帰国前、私と智
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第525話

智也は「ごめん」と、言いたかった。しかし、凛は智也にただ淡々と尋ねただけ。「確認させて。一つ目、小林さんへの研究費の振込は、私たちが入籍した後に行ったもの?」振込記録はもうそこにあり、智也に否定する余地はなかった。「ああ」「二つ目。そのことを私は知っていて、同意していた?」智也は目を伏せた。「いいや」「じゃあ、三つ目。あなたたちは投資関係、仕事の関係だったって言っていたけど、なんで毎年小林さんの誕生日になると、彼女がいる場所へ行っていたの?」智也の表情が固まる。「知っていたのか?」凛は答えず、ただ淡々と言った。「認めたってことでいい?」柚葉の瞳が見開かれる。「証拠はあるんですか?!」「さっきの証拠写真の中に、智也があなたの街へ行った航空券の情報もあったんだけど。あなたが帰国する前から、二人の間には不適切な関係が存在していたってことの証拠」胡桃からはチケットを受け取っていなかったが、拓海が海外で調査した資料の中にも同じ事実が含まれていて、謙介が証拠資料を整理する際、凛にも重要事項として説明していたのだった。全ての証拠を暗記した甲斐があったというものだ。凛は改めて智也を見据える。「これを投資とは言わない。悪意ある共有財産の流用」そのタイミングで、謙介が立ち上がった。「裁判長、被告側が提出した投資契約書の日付について、改めてご確認ください。第一に、時系列が逆転しています。先に金銭の支払いが行われ、その後に契約書が作成されている。通常の事業投資では絶対にあり得ません。これは訴訟対応のために後から作成された虚偽の書面です。第二に、契約の目的についてです。二人の間に存在した親密な関係を示す大量の証拠と合わせて考えれば、この契約書を後から作成した唯一の目的は、夫婦共有財産の返還責任を逃れるためだったと考えられます。以上の点から、その契約書は事後的に作成された偽装書面であり、合法性も真実性もありません。証拠として採用せず、偽造行為については法的責任を追及してください」一言一言が、力強く法廷に響いた。裁判官のみならず、傍聴席にいる誰もがこの裁判の行方を察していた。原告側の完全勝利。被告側が覆す余地は、ほとんど残されていない。その場しのぎで作った契約書、急遽用意した弁護士、すべてを明かしていない過去、合理的な収
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第526話

裁判官は厳かな表情のまま、裁判員と合議に入った。その間も、柚葉の視線は何度も凛の顔を突き刺すように向けられていた。しかし、凛はまるで気にも留めない。背筋を伸ばし、わずかに顎を上げ、ただ静かに裁判官と裁判員を見つめている。光を受けて輝いている正面に掲げられた裁判所の徽章。傍聴席にいる人々もまた、緊張した面持ちで判決を待っていた。合議が終わり、裁判官が判決を告げる。「審理の結果、被告谷口智也は、婚姻期間中に被告小林柚葉と不貞関係にあり、夫婦共有財産である多額の財産を一方的に無償で譲渡していたことが認められる。かかる財産処分行為は、夫婦共有財産に対する一方的な処分であり、また公序良俗に反するものであることから、その効力を認めることはできない。また、被告小林柚葉が提出した投資契約書については、実際の投資活動や資金使用状況を裏付ける証拠がなく、同契約に基づく正当な取得であるとの主張には、事実上および法律上の根拠が認められないため、採用しない。被告谷口智也は、婚姻期間中の不貞行為に加え、長期間にわたり夫婦共有財産を隠匿・移転しており、財産分与において重大な責任を負う有責配偶者であると認定する。主文。第一、被告谷口智也が被告小林柚葉に対して行った財産の贈与行為は、すべて無効とする。第二、被告小林柚葉は、本判決確定の日から15日以内に、被告谷口智也から受領した24億円、ならびに不動産、車両、宝飾品その他一切の財産を返還せよ。第三、被告谷口智也は、婚姻関係における重大な有責配偶者であり、かつ夫婦共有財産を不当に移転した者であるため、財産分与において取得分を認めず、対象財産は原告の取得分とする。第四、本件訴訟費用は、被告らの負担とする」法廷に静寂が広がった。崩れ落ちるように椅子へ座り込んだ柚葉。その顔はもう真っ青だ。当初は23億6000万円の返還請求だったのが、家や車、宝石まで返すことになった。車や不動産、宝飾品を売れば23億6000万円を何とか用意できると思っていたのに。今では、24億円に加えて車や家の返還まで……これまで何かが起こるたびに、柚葉は自分を守ってくれる祖父や両親に頼ってきた。しかし今、震える体で傍聴席を見渡しても、誰もいない。祖父はいない。両親もいない。柚葉は絶望したように座り込
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第527話

祖父の助けがなければ、この金額を支払えるはずがない。柚葉の惨めな背中は、法廷の外へ消えていった。一方、凛と智也は署名をしていた。智也は凛を見て、かすれた声で呟いた。「凛、悪かった」しかし、凛は彼を見ることなく、謙介の説明を聞きながら、財産分与の内容、履行期限、訴訟費用の負担を確認し、迷いなく署名をする。すると、智也が一本の万年筆を取り出した。それは昔、凛が彼に贈ったもの。一度万年筆の先が壊れたのだが、智也は修理して使い続けていた。判決内容を見つめ、ペンを握る智也の手が震えている。智也はなかなか署名できなかった。凛が署名を終えて立ち去ろうとする時になって、智也はようやく万年筆を動かし、凛を追いかけようとした。凛ともう少し話したかった。しかし、万年筆が壊れた。万年筆の先が折れた。完全に、折れたのだ。まるで、凛との関係のように、完全に……智也の瞳から、ぽとりと一滴の涙が落ちた。智也は顔を上げて凛を見つめる。その瞬間、凛は駆け寄ってきた日和に抱きつかれていた。日和は興奮して飛び跳ねている。「やったあああああああ!勝ちました!勝ちました!不倫女は倒したし、くず男も成敗できましたね!」日和の大声が法廷中に響き渡る。凛は思わず笑ってしまった。「うん、勝ったよ」そして、日和の肩越しに、海斗へ視線を向ける。彼は目元にわずかな笑みを浮かべ、ただ真っ直ぐ彼女を見つめていた。凛は日和から離れると、仁と杏のもとへ向かった。杏は彼女を優しく抱きしめ、背中をそっと叩く。「よくやったわね、凛。私も本当に嬉しいよ。きっと史哉も天国で喜んでいるはず」「藤田さん」二人は短く抱擁を交わした。仁は笑顔で言った。「凛様、今日から新しい人生です」凛は思わず目頭が熱くなった。「はい、今日から新たに始めます」凛は続いて策、千晴ともそれぞれ握手を交わした。目を赤くした菜々子も近づいてきて、ぎゅっと凛を抱きしめた。「本当に大変でしたね。でも、あのくず男と不倫女に報いがあって本当によかったです。でも、凛さん。もしこんなことが普通の人、例えば私たちみたいな人に起きたら……ここまで辿り着くまで、どれだけ戦わなきゃいけないんだろうって思いました」凛には彼女の言いたいことがよく分かった。もし自分がただの会社員や専業主婦
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第528話

凛と海斗は、皆の輪の中心で抱き合っていた。海斗の手のひらはそっと凛の背中に添えられているが、一方、凛の両手は少し浮いたまま、どこに置けばいいのか分からないように迷っていた。周囲の視線が集まっている。しかし、その表情は千差万別で……日和は急いで携帯を取り出し、二人をこっそり撮影した。気づかれてしまうのを恐れて少しブレてしまったが、逆にそれがいい味を出している。特に、二人が着ている白シャツが、お揃いだったことで、写真の中でより映えていた。大人の余裕と気品をまとっている海斗と、清らかで静かな雰囲気を持つ凛。軽く舌打ちをした千晴。そんな千晴を、策が不思議そうに見つめると、千晴が納得いかない様子で言った。「今でも思うけど、凛さんみたいなクールな美人には、やっぱり太陽みたいに明るい人がお似合いだと思うんだよね」策は苦笑し、呆れたように言った。「じゃあ、冷酷な王様と太陽みたいな若者、それぞれが自分の力で頑張るしかないな」杏と仁は顔を見合わせた。二人とも少し複雑そうな表情を浮かべたが、何も言わなかった。今は何より、凛が自分自身の力で勝ち取った勝利を喜ぶことのほうが大切だったから。その頃、署名を終えた智也は急いで凛を追おうとしていた。しかし、顔を上げた瞬間――抱き合う二人が目に入った。特に、海斗の冷たく挑発的な視線がまっすぐ智也へ向けられていた。智也の足が止まった。彼は階段の途中で立ちすくみ、二人を呆然と見つめた。二人が離れた。凛は戸惑いながら海斗を見つめた後、さっと目を逸らした。すると、階段を上がってきた智也と目が合った。ここは通路だから邪魔になってしまう、と凛は思った。「外に出てから話しましょう」皆が凛を囲むようにして歩き出す。特に、日和と梓がその両腕に抱きつき、楽しそうに話していた。海斗は最後尾を歩く。背が高い彼の体は、前を歩く凛の姿を完全に隠していた。凛がすぐそこにいるのに。智也には、彼女の袖口の端すらもう見えなかった。ほんの十数段の階段。10歩足らずの距離なのに、その差は途方もなく遠く、智也には追いつけないように思えた。法廷にいた人々はほとんどが出て行っていたが、健吾は沈んだ目で智也を見つめていた。智也は健吾のもとへ歩み寄り、顔を伏せた瞬間、自分の頬を強く叩いた。「父さん、ごめん」健吾の指示を無視し、弁
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第529話

凛は智也の視線には気づいていなかった。仁の言葉通り、凛の新しい人生は始まっていたのだ。その人生の中に智也はいない。だから凛の脳は自然と、智也に関するものを切り離していた。凛は杏に呼ばれ、少し離れたところに連れて行かれる。「裁判のことは翼さんも知ってるし、すごく心配してた。後で電話してあげなさい。無事に終わったと伝えれば、安心するはずだから。それから、今日はたくさんの人があなたのために来てくれた。裁判も終わって、見事に勝ったんだから、みんなに食事をご馳走しなさい。分かった?」杏は、史哉が残した手紙のことをずっと覚えていた。凛は孤独で頼れる身寄りもなく、ずっと勉強ばかりしてきたから、世間のことをあまり知らない。それに、人付き合いや社会の礼儀を教える人がいなかった。だから自分たちが、親の代わりになってあげよう。「藤田がもう店を予約しているからね。最後に何人来るかは関係ない。たとえ一人しか来なかったとしても、一緒に食事をするの。来られない人にはちょっとした贈り物をしなさい。高価じゃなくていい、大事なのは心だから。人と人の関係は、そういう小さなやり取りの積み重ねで深まっていくものだからね。私と藤田はもう年だから、今回は行かないよ。若い人たちが気を遣ってしまうからね」杏は凛の腕を叩いた。「わかったわね?」凛は感謝を込めて答えた。「ありがとうございます」杏が満足げに微笑む。「家族みたいなものなんだから、堅苦しいことは言わないの。ただ、あなたが幸せになってくれればそれでいい。それと、食事代は出さないから、ちゃんと自分で払いなさいよ」凛は頷き、再び杏を抱きしめる。目に涙を浮かべながら言った。「G県に帰った時、施設の院長先生から、昔のことを聞いたんです。どうやって私を見つけて育ててくれたか……ずっと自分は親がいないんだと思っていましたが、どうやら勘違いだったみたいです。私には、母親が二人いたみたいですから」科学研究に生涯を捧げた杏と史哉に、子どもはいなかった。だから、最後に娘同然の凛と出会えたことは、杏の人生の何よりの慰めだった。「お友達が待ってるわ。行ってらっしゃい」杏は凛の背中を軽く押し、手を離した。仁がドアを開け、杏は車に乗り込む。窓が開けられると、みんなで丁寧に手を振って見送った。車はゆっくりと走り出し、再
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第530話

ちょうど海斗が凛にその話をしようとした時、美雪の車が目の前に止まった。美雪は窓を下げると笑って言った。「海斗さん、父がA市に到着したみたい。午後から一緒に南水茶寮でお茶をして、夜は近くで食事でもどうかしら?私も今から父のところへ向かうところなの」そう言いながら、美雪は時折ちらりと凛へ視線を向ける。注意深く見れば、美雪がどこか落ち着かず、緊張していることが分かった。海斗は美雪に一瞥もくれず、凛を見つめる。「一度会社に戻らなきゃいけないから、昼食は行けない」凛は小さく頷いた。「森田に送らせる。日和、凛に酒を飲ませるなよ」海斗は段取りを済ませ、拓海から車のキーを受け取ると、「二人を頼んだぞ」と念を押した。そして凛に言い残す。「少し会社に戻る」つまり、美雪と一緒に行くわけではないということ。車内にいた美雪はその言葉を聞くと、むしろ凛へさらに丁寧な笑みを向け、そのまま車を走らせた。海斗に視線を向けられた策は、すぐに答えた。「分かってるって。凛さんと日和ちゃんの面倒を見ておくから」それを聞いて、ようやく海斗はその場を離れた。千晴は腕を組み、眉をひそめる。「竹内社長ってあんなに世話焼きだったの?」策は「自分で考えろ」と言わんばかりの目を向けた。千晴もすぐに理解する。海斗は凛を心配しているのだ。ただ、千晴は海斗を擁護する策の態度が気に食わず、持っていた車のキーを策に放り投げて、同じようにしろという視線を送る。策は苦笑しながらも、車のドアを開けた。「乗りな。今日は特別に運転手をしてやるから」千晴は顎を軽く上げ、凛を振り返った。「私の運転手に場所を送ってあげてください」凛が策を見ると、彼は頷いた。「ああ、俺だ」そうして、千晴と策の二人は車へと乗り込んだ。凛は策に場所を送るついでに、謙介にも教える。謙介は自分の車で来ていた。拓海がセンチュリーを持ってくると、先に日和が乗り込み、続いて凛、最後に梓が乗り込んだ。梓はまだ目を赤く腫らし、鼻をすすっている。日和はすぐにティッシュを取り出し凛に手渡し、凛がそれを受け取って梓に差し出した。「ありがとうございます……先輩、竹内さん」そこで、日和は言った。「凛さんの後輩ってことなら、私の……」梓が答える。「竹内さん。私、今年で26歳です」「え……」
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