All Chapters of 月明かりの下、君はもういない: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

「彩葉、また君か……」同じ言葉、同じためらい。そして聞こえてきたのは、冷たくイライラした、疑いに満ちた自分の声だった。「彩葉、一体何の芝居だ?そんな手で俺を騙そうなんて。これで何回目だと思ってるんだよ?」そして、録音は終わった。会議室は、死んだように静まり返っている。勲はまるで石像のようにそこに座り込んでいた。録音から流れてくる自分の声は、聞き慣れているのにどこか見知らぬ声のように聞こえた。でも、これは芝居なんかじゃない。彩葉は、本当に助けを求めていたのだ。なのに、自分からも、親からも、彩葉は深く傷つけられ、見捨てられた。彩葉がボロボロの姿で家に帰ってきた、あの日のことを思い出す。全身ずぶ濡れで、顔は真っ青だった彩葉。首には傷があり、手には包帯が巻かれていた。その時、自分はいったい何をしていた?渚と、一枚のブランケットにくるまりソファで映画を見ていた。あんな姿の彩葉を見て、自分が頭に思い浮かべたのは何だった?「今回はずいぶんリアルにやったな」という呆れと、軽蔑。また同じ手を使ってきたと、決めつけていた。どうして自分は、彩葉のそばに行って、その傷をちゃんと見てやらなかったのだ?どうして、「何があったんだ?」の一言すら、かけてあげられなかったのだろう?ただ、「しっかり反省しろ」とだけ言い放ち、翌日には、渚を連れてS国へ旅立ってしまった。「彩葉は……」勲は喉が詰まって言葉が出なかった。机の上の壊れた携帯を睨みつける。「その後、彩葉はどうなって……」「浅瀬に打ち上げられたところを、早朝に散歩していた老人に発見されたあと、病院へ緊急搬送されました」啓太は淡々と言ったが、その目は鋭く勲を見ていた。「肺の感染症、手と首に外傷、低体温症、それから中程度の脳震盪。数日間入院したようです」勲は強く目を閉じる。心臓を氷の手で鷲掴みにされたような痛みに、思わず身を縮こまらせた。「犯人は?」再び口を開いた勲の声には、抑えきれないほどの憎しみが滲んでいた。「捕まりましたか?誰の仕業ですか?そいつを……」「安西さん」啓太は勲の言葉を遮ると、少し身を乗り出した。テーブルを指で軽く叩き、複雑な表情で言う。「我々もそのことについて、お伺いしたいのです」啓太はファイルの別のページを開き、びっしりと数字と時刻が並んだ通話記録の
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第12話

勲は、よろめきながら警察署を出た。外は日差しが眩しく、車の騒音がうるさい。でも、全身は冷え切っていて、耳の奥では啓太の最後の言葉が繰り返され、脳裏からは家を指し示す位置情報が離れない。柚葉を思い出すためにそばに置いていた、あの渚が……彩葉を死の淵に追いやった、あの拉致事件に関係しているとでもいうのか?それ以上深く考えるのは怖かった。考えようとすると、胃の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような気分になる。携帯を取り出した。しかし、指の震えが止まらず、何度か試して、やっと画面のロックを解除できた。すぐに誰かに調査を頼まなければ。そう思った矢先、電話が鳴った。画面には「入江穂花」という文字が点滅していた。勲の心臓がどきりと跳ねた。彼はほとんど反射的に電話に出た。「もしもし?お母さん、もしかして彩葉はお母さんのところにいるんですか?」その声には焦りと、そして、かすかな喜びの色が滲む。そうだった。彩葉が家を出て行くとしたら、実家くらいしか行くあてはないはずだ。しかし、電話の向こうからは、すすり泣きが聞こえてきた。穂花の声は途切れ途切れで、しどろもどろだ。「勲!彩葉が、私たちを捨てるって、そういう内容の手紙が弁護士から届いたの。縁を切りたいだなんて……なんてひどい子なのかしら。ここまで育ててあげたというのに……」勲はそれを聞いて、頭が真っ白になった。縁を切る?彩葉が、親に弁護士を?離婚よりも信じがたい話だった。自分の知る彩葉は、ずっと両親に逆らわない子だった。むしろどこかびくびくしているほどで、たとえ両親の態度が決して優しいものではなくても、いつも黙って従っていた。「お母さん、落ち着いてください。ゆっくり話してもらえますか?彩葉は今、そちらに?とりあえず、俺もすぐにそちらへ向かいますから!」勲はそう言いながら、足早に自分の車へ向かった。もしかして、自分を引っ張り出すためにこんなことをしているのか?あるいは、どこか静かな場所で一人になりたいだけで、結局は自分のもとに帰ってくるはずなのかもしれない。そうに決まってる。あんなに自分を愛していた彩葉が、本気で自分を捨てられるわけがないのだから。きっと怒っているのだろう。自分と親に一番きついやり方で仕返しをして、自分がなだめに来るのを待っているのだ。帰ってきてくれって、懇
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第13話

勲の手から携帯が滑り落ちた。彼はその場に立ち尽くしてしまった。部下からの報告の言葉が、脳に突き刺さる。「山口さんは整形していました。それも、亡くなられた柚葉さんの生前のお写真に似せて。かなり前から社長の身辺を調査し、好みや行動パターンを分析していたようです。例の犯人とは金銭的なやり取りがあり、犯人に指示を出していた携帯の最後の信号は、社長の家のゲストルームから発信されたものでした。仲介者との暗号化された通話の一部を傍受したところ、『いざという時は、生かしておく必要はない』と話していました」生かしておく必要はない。誰を?彩葉を?自分の前ではいつもか弱く臆病な態度を見せていた渚が、裏ではこんな言葉を平然と口にしていたなんて。勲は思わずその場にかがみ込んだ。胃の中が激しくかき回され、壁に手をついてえずく。しかし、何も吐き出せず、ただ苦い胃液だけが喉にこみ上げてきた。冷や汗でシャツがぐっしょりと濡れ、背中に張り付いて気持ち悪い。狂っていた。本当に、自分は狂っていたのだ。後悔と自己嫌悪の感情に混じり、激しい怒りが胸の奥から込み上げてくる。体を起こした勲の目は真っ赤に充血し、こめかみには青筋が浮き出ていた。階段を駆け下りる。勲は車を飛ばした。いくつ信号を無視しただろうか。耳障りなブレーキ音やクラクションも、もうどうでもよかった。彼の頭の中には、ただ一つの思いしかなかった。怒りと苦しみに焼き尽くされ、ほとんど狂気に近いほどまで膨れ上がった、たった一つの思いだけが。帰らなければ。自分を騙し、彩葉を傷つけた渚に、報いを受けさせなければならない。百倍、いや千倍にして。バンッ。勲は家のドアを蹴り開ける。ドアが壁に激しくぶつかり、大きな音を立てた。リビングで花を生け、優雅に音楽を聴いていた渚は驚いて飛び上がる。振り向くと、ドアの前に鬼のような形相の勲が立っているではないか。彼女の顔から、さっと血の気が引いた。「勲さん?どうしたの?」渚は何とか平静を装い、いつもの笑顔を浮かべ駆け寄ろうとした。「帰りは遅くなるんじゃ……」しかし、渚が言葉を言い終えることはなかった。勲が渚の目の前まで来て、何も言わずに手を振り上げたのだ。バチン。全力の一撃が、渚の顔面に打ち込まれる。叩かれた勢いでよろめい
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第14話

「あの時の本当のことってどういう意味だ?」勲は渚を睨みつけた。しかし、背筋には冷たいものが走る。10年前のあの火事は、勲と彩葉の間にできた、決して癒えることのない傷であり、勲が彩葉を何年も憎み、まるで罪人かのように扱ってきた、その全ての始まりだ。しかし、渚は血の滲む口元を歪めて、声もなく笑うだけだった。その瞳は狂気に満ち、復讐を遂げたような喜びさえ浮かんでいる。だが、口を固く結び、一言も話そうとはしない。「言え!」勲は再び渚の胸ぐらを掴み上げた。「さっきのはどういう意味だ?!あの火事が、一体なんだったっていうんだ?」首元を押さえつけられた渚は、呼吸が苦しそうだったが、それでも頑なに黙り込んでいる。勲は我慢の限界に達した。勲が手を離すと、渚は力なくその場に崩れ落ち、激しく咳き込んだ。勲は10年前の、ぼんやりとした記憶を必死に思い出す。あの時、自分たち3人の他に、誰かいたか?近所の人?それとも通りすがりの誰かか?勲はふと思い出した。当時、彩葉の家は古いアパートだった。そして、隣には同じ年頃のいつも俯いているような、目立たない女の子の家族が住んでいた気がする。ほとんど印象には残っていなかったが。「そういえば、君……」勲は探るように尋ねた。「昔、俺たちと同じ学校だったか?それで、隣に住んでた?」うずくまっていた渚の体が、ほんの微かにだが強張る。虚ろだった瞳に、一瞬だけ、とても複雑な感情がよぎったかと思うと、顔を上げて勲を見つめた。「……うん」渚はついに口を開いた。声はひどくかすれていたが、どこか夢うつつでつぶやくような調子だった。「私はずっと隣に住んでいたのに、あなたたちは一度だって私を見ようとしなかった」渚は口の端を吊り上げ、何かを思い出すように語り始めた。「あの日が彩葉さんの誕生日だったことも、彼女があなたを呼んだことも、3人が家の中にいたことも、全部知ってた」渚の焦点は次第に定まってきたが、どこか虚空を見つめているようだった。「私もあなたが好きだったんだよ、勲さん。小学生のころからずっと。でも、あなたの目に映るのは柚葉さんだけ。それに、柚葉さんの地味な妹でさえ、私よりあなたのそばにいることができた。あなたたちが蝋燭に火を灯すのも見ていたし、火が突然燃え上がるのも見ていたんだよ」渚の視線はまだ虚空を見つめて
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第15話

車は、静かな住宅街にたたずむ邸宅の前で停まった。英樹は先に車を降りると、助手席側に回り、彩葉のためにドアを開ける。しかし、彩葉は動かなかった。彼女は目の前の見慣れない邸宅を、虚ろな目で見つめるだけ。その顔には何の表情も浮かんでいない。ただ、眉間に刻まれた拭いきれない疲労だけが、すべての力を使い果たしてしまったことを物語っていた。「彩葉、着いたよ」英樹の声はとても優しかった。「ここは俺の家だから、とりあえずはここで安心して休んで。何も考えなくていいからさ」その声で、彩葉はようやく少し我に返ったようだった。ゆっくりと顔を英樹に向けたが、まだ手に巻かれた包帯のせいか、その動きはおぼつかない。しかし、英樹が支えようとすると、彩葉はそっと身をかわし、自分の力でしっかりと立った。家の中はシンプルで清潔感のある内装だったが、あまり生活感がなく、独身男性が時折寝泊まりするためだけの場所なのだとすぐに分かった。英樹は彩葉を2階へ案内し、廊下の突き当たりにあるドアを開けた。「この部屋を使って。日当たりもいいし、静かだから」英樹はそう言うと、彩葉が通りやすいように体をずらす。部屋に一歩足を踏み入れた彩葉は、ぴたりと動きを止めた。部屋は広かった。だが、その内装はなぜかとても見覚えのあるものだった。オフホワイトのカーテン、ナチュラルな木目のデスクと本棚。ベッドには水色の地に小さな星が散りばめられたシーツがかけられている。部屋の隅には、少し古びた愛嬌のあるクマのぬいぐるみ。デスクの上には、手作りらしい少し不格好な陶器のペン立てもあった。そこは、子供の頃に実家で使っていた小さな寝室と、そっくりだったのだ。ベッドシーツの柄まで、少女の頃に一番のお気に入りだったものと同じだった。大人になってからは、一度も使ったことのない柄だ。彩葉ははっとして英樹を振り返る。その目には、初めてはっきりとした感情の揺らぎが浮かんでいた。それは驚きであり、戸惑いでもあった。英樹はドアの枠に寄りかかっていた。彩葉の驚いた顔を見て、口の端を少しだけ上げたが、その目は真剣そのものだった。「似てる?色々探したんだよ。でも、まったく同じものは手に入らなかったから、できるだけ似たものを集めてみたんだ」彼は少し間を置いて、声のトーンを落とす。「昔のことは、思い出したくないかもしれ
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第16話

日を追うごとに、彩葉の様子は目に見えてよくなっていった。その日の朝は、日差しがとても気持ちよかった。彩葉は朝食を終えると、新聞を読んでいた英樹に声をかけた。「英樹、ちょっと出かけたいんだけど」英樹はすぐに新聞から顔を上げた。「どこに行きたいの?俺が送るよ」彼は彩葉の行き先を探るわけでもなく、ただ付き合うつもりのようだった。彩葉は少し間を置いてから、目的地を告げた。「バンジージャンプがしたいの」英樹が明らかに固まって、驚いたように聞き返す。「バンジージャンプ?」「うん」彩葉は頷いた。何も説明せず、ただ英樹を見つめて尋ねる。「その……連れて行ってくれる?」英樹は表情を戻すと、迷わず立ち上がった。「もちろん。車の鍵、取ってくるから待ってて」現地に着き、誓約書へのサインなど、準備を進めていく。そびえ立つジャンプ台と、底が見えない深い谷を見下ろす英樹の顔は青ざめ、手のひらには汗がにじみ始めていた。実を言うと、英樹は高いところが少し苦手だった。しかし、スタッフに手伝ってもらいながら装備をつける彩葉の真剣な横顔を見ていると、言いかけた言葉を飲み込むしかなかった。ついに彩葉の番が来た。彼女はジャンプ台の縁に立つ。風が彼女の髪をなびかせた。彩葉は振り返らず、ただ深く息を吸い込んだ。そして、スタッフのカウントダウンと共に、ためらうことなく両腕を広げて身を投げ出す。その瞬間、体から重さがなくなり、すごいスピードで落ちていった。耳元で風が唸り、谷の景色がものすごい勢いで目に飛び込んでくる。この時、彩葉の脳裏では、走馬灯のようにたくさんの光景が駆け巡っていた。柚葉の優しい笑顔、勲の冷たい目、親の軽蔑したような表情、冷たい海水に溺れたときの窒息感、病院の白い壁。そして、何年も黙って待ち続けてくれた英樹の姿と、英樹が用意してくれた、自分の子供部屋にそっくりなあの部屋。生きること。自由。生命力。息もできないほど彩葉を苦しめていた過去のすべてが、愛憎も、罪悪感も、痛みも、この一瞬で断ち切られた気がした。ようやく飛び込み台に引き上げられた。装備を外した彩葉の足は、まだ少し震えていたが、その顔は健康的に紅潮している。彩葉はふうっと息をつき、英樹に話しかけようと振り返った。すると、少し離れた手すりにもたれている英樹の顔が、
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第17話

勲は、考えつく限りの方法を試していた。探偵を雇い、情報技術を使い、これまで頼るのを渋っていた人脈さえも動かした。彩葉の行方を探す勲は、ほぼ半狂乱に近かった。そんな中、ようやく居場所を突き止め、彩葉と英樹が一緒にスーパーに入る防犯カメラの映像を見たときは、心臓を鷲掴みにされた。切なくて、痛くて、そして恐怖を感じた。毎年しつこく言い寄ってきていた、あの英樹が、本当に彩葉のそばにいる。勲はもう一秒も待てず、すぐに車を走らせた。その家の前に車を停めたときには、もう日が暮れかかっていた。車の中で煙草を半分近く吸ってから、やっと覚悟を決めて車を降り、インターホンを押した。ドアを開けたのは彩葉だった。部屋着のワンピースに薄手のカーディガンを羽織り、髪はゆるく後ろでまとめていた。顔色はまだ少し青白いけれど、前回会ったときの死人のような姿とは全然ちがう。瞳にも光が戻り、虚ろな感じはなかった。勲の心臓は大きく跳ねた。思わず彩葉の名前を叫びそうになる。だが、視線が合った瞬間、すべての言葉が喉につまって出てこなかった。勲を見た彩葉は、明らかに固まっていた。穏やかな表情は一瞬で消え、眉をひそめた。その瞳には驚きと警戒の色が宿る。勲は、はっきりと悟った。この5年、自分はずっと柚葉のことが忘れられないのだと思っていた。彩葉に対しては、責任と憎しみしか感じていないと。だが今、こうして目の前にいる彩葉を見て、はっきりとわかった。いつの間にか彩葉の存在が当たり前になり、そばにいることに安らぎを感じて、愛してしまっていたのだ。「彩葉」やっとのことで絞り出した声はかすれ、震えていた。「やっと、会えた」しかし、彩葉は何も言わない。ただ勲を見つめて、次の言葉を待っている。その視線に耐えられず、勲は頭が真っ白になった。用意していた言葉は消え、とっさに口から出たのは「なんで、離婚届の無効を申立てなかったんだ?」という一言。言った瞬間、なんて馬鹿なことを、と後悔した。案の定、彩葉の眼差しはさらに冷たくなった。彼女はかすかに口の端を吊り上げると、質問には答えず、静かに問い返した。「何か用?」勲は焦って一歩踏み出し、彩葉の手を取ろうとする。「彩葉、そんな他人行儀な態度をとらないでくれよ。俺が悪かった。俺は最低だった。君を信じなくて、ひどいこ
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第18話

勲は諦めていなかった。彩葉の人生から、自分がこのまま消えてしまうなんて耐えられない。勲は毎日、決まった時間に英樹の家の前に現れた。だが、もうインターホンを押すようなことはしなかった。ただ車を路肩に寄せ、プレゼントを手に玄関先まで歩いていく。届けるものは、毎日少しずつ違っていた。あるときは、一流レストランが特別に仕立てた栄養食。包装は上品で、まだほのかな温かさが残っている。またある時は、高級なサプリメントの詰め合わせだったり。それも、綺麗なプレゼントの箱に入っていた。またある時は、彩葉が昔、何気なく好きだと言っていた画家の画集を、オークションや個人コレクターから手に入れてきたりもした。勲はそっと玄関先にプレゼントを置くと、少し離れた車のそばまで戻って、静かに待った。ただの儀礼的なものであってもかまわない。彩葉が受け取ってくれることを願いながら。しかし、彩葉の態度は決して変わらなかった。毎日、勲がプレゼントを置いて姿を消した直後に、家のドアが開く。大抵の場合、出てくるのは家政婦か英樹で、彩葉本人が出てきるのは稀だった。そして、彼らは無表情で、勲が持ってきたものすべてを手もつけずに外へ持ち出すと、何の躊躇いもなく、道端のゴミ箱に捨てた。あの高価な食べ物も、貴重なサプリメントも、心を込めて選んだプレゼントも、こうして普通のゴミと一緒に収集車に運び去られていく。車の中でその全てを見ている勲の心臓は、ナイフでゆっくりと切りつけられていくようだった。ある日、彩葉が自ら出てきて、届けたばかりの空輸された新鮮なフルーツをゴミ箱に捨てた時、勲は思わず車のドアを開けて歩み寄った。「彩葉!」勲は彩葉を呼び止めた。声には、押し殺した苦悩と未練がにじむ。「どうしてなんだ?どうしてチャンスをくれない?俺はただ、君に償いたいだけなんだ。贈り物だって、体に良いものばかりを選んでいるのに、なんで受け取ってくれないんだ?」彩葉が落ち着いた表情で振り返った。「勲。前にもはっきり言ったと思うけど、私たちの間にはもう、何の関係もないの。だから、もうあなたと関わりたくない。あなたの親切心も受け取りたくないし、あなたの贈り物だって、私にとっては負担でしかない。もう持ってこなくていいし、ここにも来ないで」そう言うと、彩葉はもう勲を見ずに背を
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第19話

その鳴き声は警戒と敵意に満ちていた。しっぽを丸めて、さっと軒下へ駆け戻ると、勲からかなりの距離をとった。勲は呆気に取られた。持っていた犬用のおやつが、手からぽろりと地面に落ちる。犬でさえ、自分を受け入れてはくれないと言うのだろうか。「どうやら、犬でもいい人と悪い人の区別がつくらしいな」明らかに馬鹿にしたような声が、背後から聞こえた。勲は強張った体でゆっくりと振り返る。すると、いつの間にか帰ってきていた英樹が、すぐ後ろに立っていた。英樹はポケットに両手を突っ込み、冷たい目つきで勲と、勲に向かって吠え続けるコーラを交互に見ていた。勲の顔から、さっと血の気が引いた。まるで人前で平手打ちを食らったかのように、頬がひりひりと痛む。勲は何も言わなかった。ただ黙って、地面に落ちたおやつと、山のように持ってきた高級ペット用品を拾い上げる。そして立ち上がると、少しふらつく足取りで自分の車へ戻り、すぐにエンジンをかけて寂しげに去っていった。コーラの鳴き声だけが、まだ耳の奥で響いているようだった。その日の午後も、勲はいつもの場所に車を停めていた。彩葉が、コーギーと庭でフリスビーをして遊んでいるのが見えた。コーラは楽しそうに走り回り、彩葉も穏やかな笑みを浮かべていた。突然だった。フリスビーが変な方向に飛んでいったのか、それともコーラが自分で走り出したのか。コーラは勢いよく駆け出すと、庭の柵の目立たない隙間から外へ飛び出し、そのまま道路まで走って行ってしまった。「コーラ!」彩葉は驚いて声を上げ、急いで柵のそばまで追いかけた。ちょうどその時、スピードを落とさないままの一台の車がカーブを曲がってきた。運転手は、突然道の真ん中に飛び出してきたコーラに、全く気づいていないようだった。彩葉の顔が一瞬で真っ青になる。飛び出したくとも、もう間に合わない。まさに絶体絶命というその瞬間、ずっとその様子を見ていた勲は、頭で考えるより先に体が動いていた。勢いよく車のドアを開け、まるで矢のように飛び出した。迫ってくる車を確認する余裕もない。目には、彩葉が宝物のように可愛がっている犬しか映っていなかった。勲はコーラに飛びかかると、ぎゅっと腕の中に抱きしめた。そして自分の体を盾にするようにして、そのままの勢いで道端へと転がった。キーッという耳障りな急ブレー
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第20話

腕と背中の擦り傷がヒリヒリと痛むが、勲は病院には行かなかった。胸がえぐられるような激しい痛みに比べたら、そんなかすり傷なんて無いも同然だったから。勲はあてもなく車を走らせ、やがて行き慣れたバーの前に車を停めた。アルコールが必要だった。後悔と絶望を麻痺させてくれる何かが。薄暗い店内の一番奥のボックス席に座り、勲はバーテンダーに声をかける。「一番強い酒を、とりあえず3杯」勲はそれを立て続けにあおった。強い酒が炎のように喉を焼き、胃を焦がす。それでも、冷え切った心は少しも温まらなかった。視界がぐらぐらと揺れ、二重に見える。騒がしい音楽も人の声も次第に遠のいていく。自分の重い心臓の音と、荒い呼吸だけがやけに大きく聞こえた。朦朧とする意識の中、彩葉がこちらに歩いてくるのが見えた気がした。あの淡い色の部屋着のままで、心配そうな顔をして。昔、自分が接待で飲み過ぎて帰ってきた時に、彩葉が夜中に起きてきて酔い覚ましの薬を用意してくれた時と同じ顔だった。「彩葉……」勲は呟きながら手を伸ばし、その幻を掴もうとした。「来てくれたのか……会いに来てくれたんだな……」しかし指先に触れたのは、冷たい空気だけだった。幻は消え、目の前には空っぽのボックス席と、鏡張りの壁に映る自分がいるだけ。その姿は無精髭で、目は真っ赤に充血し、見る影もないほど惨めだった。勲はぐっと目を閉じてから、ゆっくりと開く。その瞳には、さらに深い苦痛と、酔いが覚めた後の自嘲の色だけが浮かんでいた。更に一杯酒をあおった。刺激の強い液体にむせて、激しく咳き込む。以前このバーで、渚が友人たちの前で柚葉についての残酷な質問をした時のことを思い出した。そして同じ日に起こった、泥酔したもの同士の喧嘩も思い出す。彼らのいざこざの中で飛んできた酒瓶が、危うく彩葉に当たるところだった。あの時、自分は何も考えずに彩葉を庇って引き寄せた。後で冷静になってから、あれは責任感からそうしたのだと自分に言い聞かせた。彩葉は自分の妻という肩書きを背負っているのだから、と。しかしアルコールの力を借りた今、無視してきた恐怖心がはっきりと姿を現す。あれは責任感などではなかった。恐怖だったのだ。彩葉が傷つくのが、彩葉を失うのが怖かったのだ。とっくの昔に彩葉を愛していた。自分が気づくより、
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