All Chapters of 今世はもう誰にも縛られずに、私らしく輝く: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

白月神社には、大きくそびえる鳥居あった。深津市の実力者が集まり、全員の視線はレッドカーペットの端にいる男性――秀明に向けられていた。秀明は袴を着こなし、その整った顔立ちは冷徹な美しさを放っていた。彼は、隣にいる花嫁を見下ろしていた。今日、真由はやけにおとなしくしている。あの厳しいしつけもようやく効いたのだろう。角が取れ、従順になったようだ。そう、これでいいのだ。結婚したら時間をかけて、真由を最高の妻に仕立て上げればいい。式が始まり、手順通り順調に進んでいった。角隠しの下で、秀明は隣の人がわずかに震えているのがわかった。緊張しているのか?秀明は珍しく穏やかな口調で、自分でも気づかないうちに諭すように言った。「今日からは俺が直接、君を一人前の妻になれるよう教えてやるよ」その夢にまで見た甘い言葉を聞き、咲和は倒れそうなほど高揚していた。さらに震えが増し、付き添いの方の腕を強くつかむしかなかった。秀明はその反応を照れや期待と受け取り、わずかに口元を緩めた。忍耐強く儀が進み、参進の列は静かに拝殿へと進む。境内にはざわめきもなく、ただ玉砂利を踏む足音だけが響く。ついに肝心な瞬間、玉串奉奠のため、二人は並んで神前へ進み出る。すぐ隣にいるはずなのに、距離がひどく遠く感じられた。会場が静まり返り、二人に視線が集中する。二人が深く頭を下げたあと、花嫁がわずかに顔を上げた。秀明は綿帽子の奥、白い影の向こうにのぞいたその輪郭を見た。時が止まったように感じた。そこにいたのは、反発しながらも従うしかなかった、骨の髄まで焼き付いている真由の顔ではなかった。恥じらいつつも誇らしげで、興奮で少し赤らんだ――咲和の顔だった。静寂は一瞬で、会場からは抑えきれない驚きとひそひそ話が漏れた。静かな水面に石を投げ込んだように、場が騒然とした。「どういうことだ?花嫁は西園寺家の次女だったっけ?」「なんてことだ、間違えてないか?長女の方だろ?」「伊藤家は何を考えているんだ?いきなり入れ替えか?」秀明の顔から笑顔が消え、まるで凍りついた湖のように表情が硬直した。瞳孔が収縮し、信じがたいものを見たかのような表情になる。頭が真っ白になり、血が逆流するような感覚に襲われた。「どうして、君なんだ!?」歯を
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第12話

その思いは氷の杭のように、一瞬で心臓を突き刺し、全身の血が凍りつくようだった。かつてないほどの「喪失」という名の恐怖が、深淵の口を開けて秀明を飲み込もうとしていた。秀明は自分を落ち着かせようとする絵美や周囲の人を振り払い、結婚式場からの悲鳴を背に、狂ったように走り出した。ロールスロイスは弓を放たれた矢のごとく爆走し、信号無視も構わず、焦土と化した西園寺家の邸宅へと向かった。消火ホースからの水しぶきと、鼻を突く焦げ臭い煙が充満している。車から飛び降りた秀明は、見る影もなく崩れた邸宅を前に、見えない手に心臓を握り潰されるような痛みに襲われ、息すらできなかった。「真由……真由!」かすれた声で真由の名前を呼び、制止を振り切ってまだ煙を上げる瓦礫の中へ飛び込んだ。「危険です!崩落の恐れがあります!」「放せ!」秀明は振り払い、目を赤く充血させたまま叫ぶ。「真由が中にいるんだ。中に入らせろ!」秀明は取り乱し、熱を帯びた瓦礫を素手で掘り返し続けた。高価な袴は破れ、手のひらは鋭い破片で傷つき、火傷の泡もできていたが、痛みを感じる余裕はなかった。ただ一つの願いは、真由を見つけることだけだ。「真由!返事をしてくれ!出てきてくれ!もう怒ったりしない!何でも君の言うことを聞く!頼むから、出てきてくれ!」喉を枯らして絶望的に叫び続けた。やがて秀明は、真由の寝室があった場所で、熱で溶け形が変わったアクセサリーケースの破片を見つけた。震える手でそれをこじ開けると、かつて贈ったダイヤモンドの指輪があった。指輪は熱でひしゃげ、残骸となっていた。その熱い金属の塊を握りしめると、鋭利な縁が掌に食い込み、灰と混ざり合った鮮血が滴り落ちた。痛みはなく、ただ心が裂けそうなほどの後悔と、冷たい潮水のような恐怖に溺れるばかりだった。「社長!見つかりました!」正人が震える声でタブレットを差し出す。そこには西園寺家の外にある防犯カメラの映像があった。爆発の10分ほど前、薄手のコートを着た小柄な影が、スーツケースを持って落ち着いた足取りで邸宅から歩き去り、タクシーに乗り込む姿があった。タクシーに乗る直前、彼女は邸宅を振り返り、手にしたリモコンのようなものを押した。その直後に大爆発が起きたのだ。本人は何事もなかったかのよ
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第13話

「承知しました、社長!」正人は急いで部屋を出て、指示を仰ぎに走った。秀明は身を翻し、荒い息を吐きながら車に乗り込むと、大輝たちが泊まってるホテルへ急行した。ホテルのスイートルームでは、大輝、梓、そして恐怖に震え顔色が真っ青になった咲和が身を寄せ合っていた。鬼のような形相で押し入ってきた秀明の姿に、3人は小さく震え上がった。「ひ、秀明くん、聞いてくれ……」大輝は声を震わせて言い訳をした。「真由があまりにも勝手で、恩知らずな娘だ!無理やり婚約を破棄して、自分の意思で咲和に譲ったんだ!俺たちもどうすることもできなくて。咲和はあんなにおしとやかで常識がある、真由よりもずっと伊藤家の妻に相応しいんだ。咲和なら……」「譲っただと?」秀明は怒りのあまり呆れて笑うと、鋭い目線で大輝を射抜いた。「俺のことを何だと思っているんですか?西園寺家が勝手に取り扱っていい商品ですか!俺の妻は最初から真由ただ一人です。真由をどこにやったんですか!」咲和は秀明の殺気立つ姿に後ずさりしたが、その必死な様子に嫉妬心を燃やし、涙を流しながらその腕にしがみついた。「秀明さん!お姉ちゃんのどこが良いの?私の方がずっと秀明さんを愛しているし、言うことも聞くわ!お姉ちゃんみたいに逆らって怒らせたりもしない。私が完璧な妻になってみせるわ、お願い、私を見て!」秀明は咲和を勢いよく振り払い、その衝撃で咲和は床に倒れ込んだ。冷たい目で見下ろした秀明の声には、隠しきれない嫌悪感が混ざっていた。「君は何をとっても真由の足元にも及ばない。それに、俺が愛しているのはずっと真由だけだ。真由がいなければ、君や西園寺家なんて俺には何の意味もない」咲和は心臓を射抜かれたように床にへたり込み、血の気を失った真っ白な顔で力なくその場に崩れた。秀明はもう目もくれず、部屋を後にした。今は、真由を見つけること以外、何もかもがどうでもよかった。伊藤グループの最上階の社長室に戻ると、秀明は檻に入れられた猛獣のように部屋を歩き回り、報告を待った。一分一秒が拷問のように長かった。数時間後、正人が深刻な顔で駆け込んできた。「社長……報告によれば、真由様は……例のクラブ騒ぎが起きる1週間前から、秘密裏に海外渡航の手続きをしていました」クラブ騒ぎの1週間前から……秀明は歩みを止め、よろめいた
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第14話

窓が開き、秀明の冷たく痩せこけた横顔が見えた。彼は咲和を一瞥することさえせず、ボディーガードにこう言った。「排除しろ」ボディーガードはすぐさま車を降り、泣き叫ぶ咲和を引きずり離した。そして、そのまま車は走り去った。サイドミラーには、その場に崩れ落ち、絶望の中で泣き崩れる咲和の姿が映っていた。秀明は目を閉じた。心に波風は立たず、ただ冷たい虚無感が広がるばかりだった。今の彼には真由を探すこと以外、他の誰にも何にも興味がなかった。いつの間にか、夜を迎えることが、秀明にとって新たな苦痛となった。不眠症に悩まされ、大量の酒を飲まないと眠ることさえできなかった。しかし、眠りに落ちても、無限の悪夢が待っている。夢に出てくるのは、真由が溺れた時のあの白く絶望した表情、監禁され暗闇の中で怯え震える姿、そして爆発した瞬間の炎の海だ……何度、駆け寄って救おうとしても、目に見えない壁に阻まれる。ただ、真由が飲み込まれていくのをただ見守ることしかできなかった。極限の恐怖と痛みの中、秀明は汗びっしょりで目を覚ます。心臓の動悸が収まることはなかった。気難しく、すぐに怒るようになったその性格に、社員たちは皆、戦々恐々としていた。かつての厳格で隙のない秀明は、真由の不在とともにどこかへ消えてしまったのだ。ある日、欠かすことのできないビジネスパーティーが開かれた。絵美から強引に出席を求められ、気分転換になるはずだと追い立てられた。まさか、あの真由という異分子がいなくなったことで、一族で最も優秀な後継者がここまで骨抜きになるとは、誰が想像しただろうか。高価な特注のスーツを身にまとっていても、秀明の中に滲み出るやつれと怒りは隠しようもなかった。ワインを手に隅で立ち尽くし、華やかな社交の場の中でひとり異質な存在となっていた。その瞳はダンスホールで動く人影を虚ろに見つめていた。朦朧とする中、ふと見覚えのある後ろ姿が視界に入る――背が高く、細身で、派手な赤いドレスに身を包み、楽しげに笑い合っている。横顔の輪郭、軽く上げた顎……真由によく似ていた。「真由!」秀明は本能的に、正気を失いそうな声で叫び、人混みを押し分けて駆け寄った。そして、その女性の手首を強く掴み上げた。「あ!」驚いた女性が振り返り、見知らぬ怒りに満ちた顔を見せた
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第15話

秀明はガバッと顔を上げた。充血した目で、まるで飢えた獣のように正人を睨みつけている。「話せ!」絞り出すような秀明の声は、掠れて聞き取れないほどだった。「我々は……非正規ルートでの出国者全員の映像を、この3ヶ月分徹底的に照合しました。その結果、ヘルヴェシア王国の空港にある乗継エリアで、真由様と思われる人影を確認しました。ちょうど失踪してから3日後のことです」秀明は、その資料を奪うように掴み取った。あまりの興奮に指先が震えている。不鮮明で引き伸ばされた監視カメラのキャプチャー画像に、一点の集中を注いだ。シンプルなトレンチコートに身を包み、小さなスーツケースを提げて搭乗口へ向かう後ろ姿……真由で間違いない。記憶に刻まれた、あの日見た真由の気配そのものだった。希望という名の、わらにもすがる思い。消えかけていた目の光が蘇るのと同時に、再び失うかもしれないという深い恐怖に襲われる。「目的地だ!その後のフライトはどうなってるんだ!」「現在追跡中です!ヘルヴェシア王国の空港は乗継が複雑で……真由様はあえてチェックの厳しい航路を避け、小さな航空会社を乗り継いでいるようです。もう少々お時間を……」「時間がないんだ!」秀明は正人の言葉を遮り、椅子の背に掛けてあったスーツジャケットを引っ掴んだ。あまりの急ぎように足がよろける。「すぐプライベートジェットを手配しろ!ヘルヴェシア王国へ飛ぶ!今すぐだ!」「社長、あまりにも……それに午後は重要な取締役会が……」正人が必死で引き留めようとする。「中止だ!全ての予定をキャンセルしろ!今は真由を見つけることが全てだ!早く行け!」3時間後、秀明を乗せたプライベートジェットはヘルヴェシア王国の国際空港へ降り立った。機体が止まるのを待ちきれず、ドアが開かれる。タラップを全て降ろす間もなく、秀明は地面に飛び降りた。ネクタイは曲がり、ワイシャツのボタンも無造作に開けられている。鎖骨が鋭くのぞき、目の下の隈は濃く、あごには無精髭まで生えていた。なりふり構わず、極限まで張り詰めた焦燥感が痛々しい。いつも整っていた冷徹な実業家の姿はどこにもなかった。地上のスタッフを無視するように、秀明はボディーガードを連れてターミナルへと走り込んだ。最新の情報では、真由と思われる人物がソラリスのカステラ市の観
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第16話

そんな心無い声は秀明の神経を逆なでしたが、今の彼には、そんなことを気にかける余裕など微塵もなかった。秀明の視界には、自分を冷たく見下ろす真由の顔しか映っていなかった。「違うんだ!真由、あの結婚式は中止になった!あんなもの、一度も認めたことはない!真由……俺が悪かった!本当に自分が間違っていたと分かっている!あんな理不尽な決まりで君を縛ったり、君を信じなかったり、咲和をかばったりしたこと……全部、全部後悔している!頼むから、一緒に帰ってくれ!これからはもう何にも縛らせないし、君がやりたいことを好きなようにさせてやる!どこへだって行っていいし、何だって叶えるから……お願いだ、俺を捨てないでくれ……君なしじゃ生きられないんだ……」かつて深津市で誰からも一目を置かれ、孤高を気取っていた伊藤グループの社長が、異国の空港で、これほどまでになりふり構わず、女一人の帰りを乞い願っている。その光景を目の当たりにし、周囲は息をのんだ。真由は、一瞬だけ動きを止めた。真っ赤に充血した秀明の瞳と、取り留めもなく零れる懺悔の声に……胸の奥深くで何かが揺れ動くのを感じたが、すぐに、より冷ややかで固い決意が込み上げてきた。もう遅い。今さら秀明の痛みや哀願が、自分が味わってきた絶望に何の意味があるのだろうか?真由は深く息を吸い込むと、自らのコートを必死にしがみつく秀明の手を、指一本ずつ、力強く剥がした。「秀明」真由の声は、雑踏の中でも氷のように鋭く響いた。「あなたの言葉は遅すぎたし、私には必要のないものよ」真由は最後の一指をも払いのけると、まるで汚れでも落とすかのように一歩下がり、距離をとった。「私たちの関係は、ずっと前に終わっていたの。あなたが咲和を信じ、私を何度も何度も罰したその瞬間にね。だから、もう二度と私の前に現れないで。あなたの深い愛も、今さら悔しがるその姿も……心底、吐き気がするわ」その一言は、最後の判決のように秀明の心を冷たく突き刺した。彼は呆然と顔を上げた。絶望に打ちのめされたその表情には、希望の光などどこにも残っていなかった。「そんな……真由……」秀明は力なく手を伸ばしたが、掴むべきものなどもう何もなかった。その時、搭乗口からカステラ市行きの便の最終案内がアナウンスされた。真由は振り返ることなく、搭乗口へと足を
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第17話

真由は、地面でのたうち回るチャールズを冷酷な目で見下ろした。恐怖の色など微塵もなく、ただただ嫌悪感が滲んでいた。真由は自分のチップを手に取ると、さっさとその厄介な場から立ち去ろうとした。その時、少し茶化すような、しかし魅力的な低音の男の声が気だるげに響いた。それは生まれながらの自信と、全てを掌握しているかのような余裕を漂わせていた。「俺のシマで、俺の客に手を出そうなんてな。チャールズ、昨夜の酒がまだ残ってんのか?それとも死に急いでんのか?」人だかりが自然と二つに割れた。黒のスーツを纏い、胸元を大きく開けた若い男が、火のついていない葉巻を口に挟み、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、傲岸不遜な足取りで現れた。その顔立ちには独特の鋭い影があり、どこか世の中をなめたような瞳が会場を見渡す。やがて視線が真由に留まると、露骨なまでの好奇と魅了された光を浮かべた。彼こそが原田海斗(はらだ かいと)だった。のたうち回るチャールズを革靴の先で軽く小突くと、海斗はからかうような口調でありながら、拒絶を許さぬ圧力をかけて言い放った。「遠くへ失せろ。次、彼女に近づいてる姿を見たら……」真由を指さし、海斗はチンピラじみた笑みを浮かべる。「今度はその股の間にぶら下がってる奴を切り落とすからな」海斗を見た途端、チャールズは見るからに怯え切り、声も出せないまま、仲間に引きずられるようにして惨めに逃げ出した。ようやく海斗は身体の向きを変え、真由をまっすぐに見つめた。彼は躊躇なく距離を詰めると、自然な仕草で真由の細い腰を引き寄せた。その親密な様子は、まるで昔から付き合いのある恋人同士のようだった。真由の身体が瞬時に硬直した。反射的に振り払おうとするが、海斗の腕は一見軽そうでいて、決して拒めないほどの力だった。海斗は顔を近づけ、その温かい息が真由の耳を撫で、二人だけにしか聞こえない声で低く笑った。「深津市から飛んできた野生の猫ちゃんか?随分と爪が鋭いな。前から目を付けてたんだよ」海斗は少し身を離すと、瞳に熱を宿して真由を見下ろし、わざと大きく響くような声で言った。「伊藤なんていう節穴の馬鹿が手放した女だ、俺が貰う。モナヴィア王国どころか、ソラリス全体で、俺の女として好きに暴れてみろよ。深津市みたいな息苦しい場所にいるより、何千倍も楽し
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第18話

真由はきょとんとして、海斗の方を向いた。夜の暗闇の中で、海斗の横顔は少しだけ穏やかに見えた。彼は前を見据えたまま、続けた。「ずっと前、深津市の乗馬場でお前を見たよ。お前はいくつだったかな。17歳か、18歳か?お前のお父さんと、その愛人が連れてきた妹と一緒にいたな。その妹がわざとお前に恥をかかせようとしていたのに、お前はどうしたと思う?」海斗は思い出を辿るようにクスクスと笑った。「そのまま馬で障害を飛び越えて、お前を見下していた奴をやり込めた。馬の上で最高に生意気そうに、でもたまらなく綺麗に笑ってたんだ。その時思ったよ。この女、めちゃくちゃカッコいいってな」真由は完全に言葉を失った。自分自身、忘れていた過去だった。誰かが見ていたこと、それもこんな形で、全く予想外だった。「残念だけどな」海斗はため息をついた。少し惜しそうな響きがあった。「当時のお前は、伊藤のやつのことで頭がいっぱいだったからさ。俺も当時は荒れてたし、分が悪い賭けはしない性分でね。邪魔はしなかったんだ」その言葉は、まるで小さな石のように真由の心に波紋を広げた。自分が忘れかけていた記憶の隅っこに、ありのままの自分を見つめていた誰かがいた。二人の距離は、いつの間にか縮まっていた。そして真由が海斗という人を見直したのは、あるアクシデントがきっかけだった。山道でのオフロードバイク。夜遅くの下り道、路面は濡れて滑りやすくなっていた。少しスピードが出ていた真由のバイクが急カーブでスリップし、バイクごと崖下へと突っ込もうとしたのだ。それは、一瞬の出来事だった。後ろにいた海斗は迷うことなく加速し、自分のバイクを真由にぶつけて彼女の軌道を変えた。海斗はその反動で、バイクごと崖下へと転落してしまったのだ。震えながらバイクを停めた真由が崖を駆け下りると、海斗はバイクの下敷きになり、体中に傷を負い、額からは血を流していた。彼はそれでも拳を握り締め、青白い顔でひどく不格好な笑顔を作って言った。「平気さ……俺はタフだから……死にはしねえよ……」病院のベッドで、海斗は頭に包帯を巻き、腕にはギプスをしていたが、それでも相変わらずどこかふざけたような態度をしていた。ベッド脇に座る真由を見つめると、海斗は軽い態度を捨てて、珍しく真っ直ぐに彼女の目を見て、低い声で言った。「真由、
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第19話

その言葉は、秀明の心の傷口を容赦なくえぐった。その身勝手な独占欲と自分勝手な愛は、見るも無残に剥がれ落ちていった。秀明の顔から血の気が引く。唇を震わせ、何か言い返そうとしたが、言葉は喉につかえて出てこなかった。自ら見て見ぬふりをし、抑え込んできたはずの罪悪感と後悔が、堤防を決壊させたかのように秀明を押し潰した。目の前が暗くなり、まともに立っていられなくなる。「お前……黙れ!」秀明はかすれた声で叫んだ。理性の糸が、ぷつりと切れる。見境なく手を伸ばし、海斗の背後にいる真由を引きずり出そうとした。海斗は氷のような目で見ると、溜まっていた我慢を爆発させ、拳を振り上げた。高貴な身分の二人の男が、周囲の目も気にせず、路地裏のチンピラのように掴み合いを始める。鈍い音が響き、怒号が飛ぶ。何事かと賓客たちが後ずさりし、会場は騒然とした。混乱の中、秀明はなりふり構わず振り払い、真由の腕を掴んだ。「一緒に来るんだ!」「真由に触るな、この野郎!」海斗は秀明のボディーガードたちに阻まれ、もどかしそうに吠えた。もはや周りの声など耳に入らない。秀明の頭にはただ一つ――真由を連れ出し、誰の手も届かない場所へ閉じ込めること、それしかなかった。秀明は半ば無理やり真由を連れ出し、外で待機していた黒い車へと押し込んだ。「空港まで飛ばせ!急げ!」車は弾丸のように夜の闇へと消えていった。追いかけた海斗は、遠ざかるテールライトを見つめるしかなかった。怒りに任せてゴミ箱を蹴り上げ、恐ろしい形相でスマホを手に取る。スマホ越しに、殺気をはらんだ低い声を響かせた。「徹底的に洗え!伊藤のプライベートジェットの航路を今すぐだ!行き先が判明次第、彼女を迎えに行く!準備を整えておけ!」秀明のプライベートジェットが着陸したのは、深津市郊外にある、誰にも知られていない厳重な邸宅だった。彼が密かに所有する、美しき黄金の檻。強引に連れ込まれた真由は、泣くことも喚くこともなかった。ただ、秀明をまるで道端の石か何かを見るような冷たい目でやり過ごすだけだった。その眼差しに、秀明の胸が切り裂かれるような痛みを感じる。彼は使用人たちを退かせ、なんとか関係を修復しようとあがいた。昔、真由が好きだった料理を思い出し、一度もキッチンに立ったことすらないのに
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第20話

真由が説明するたび、秀明は顔色を真っ青にしていき、今にも倒れそうなほど震えていた。わざと忘れていた、あるいは軽く扱っていた数々の仕打ち。それを真由が静かに語り出すと、胸が締め付けられるほどに惨たらしく、呼吸すらままならなかった。「ちがう……そんなつもりじゃなかった……真由、俺は……」弁解しようとしても、言葉一つ出すこともできなかった。秀明は言葉を失い、押し寄せる激しい後悔が彼を蝕んでいく。ふらつく足取りで立ち上がると、現状から逃げ出そうとした拍子に、真ソファの隅に置いていた真由にスーツケースを蹴倒してしまった。スーツケースが開き、中の荷物が散らばった。秀明は反射的に拾い集めようとして、詰め込まれていた物の間に、硬い何かが隠されているのに気づいた。何気なく取り出したそれは――カルテだった。吸い寄せられるように、ページを開いた。【診断結果:深部熱傷。感染の併発あり。長期リハビリテーションが必要であり、瘢痕増生に注意。勧告:心理カウンセリング。患者にはPTSD(外傷後ストレス障害)の兆候が見られる】熱傷……熱湯……秀明の呼吸が止まった。あの時のことを思い出した。ケトルが倒れた時、自分は真由を突き飛ばして、咲和をかばった……そうか……真由はそんなにひどい怪我をしていたのか。体だけでなく、心まで深く傷ついていたんだ……それなのに、愛していると豪語していた自分は当時何をしていた?その元凶を抱きしめて、守ろうと必死になっていただけだった。秀明は勢いよく横の壁を殴りつけた。指の骨が折れる鈍い音と、飛び散った血が壁を真っ赤に染めた。痛みなど何も感じなかった。あるのは、心臓が引き裂かれるような苦痛だけだ。秀明は狂ったように真由の前に戻り、怪我をしていない方の手で彼女の裾をぎゅっと掴み、かすれた声で訴えた。「すまない……本当に、申し訳なかった!こんなにひどい状態だったなんて、知らなかったんだ。殴ってくれ、殺してくれてもいい!どうか……許してほしい……もう一度だけでいい、やり直すチャンスをくれ……」真由が目を下げた。その瞳に慈悲はなく、冷たい氷のような感情だけが浮かんでいた。「謝罪の言葉は届いたわ」真由は静かに言い放った。「でも、絶対に許さない」その時、家の外から激しい衝突音と警告サイレンが鳴り
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