All Chapters of その恋は、気付かぬ間に失われ: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

削除済みフォルダの中には、取引相手からのメールがいくつも入っていた。それは昨夜、自分がスマホを見ることができなかった時間帯のものだった。その時間帯にスマホを触った人間は、一人しかいない。真白だ。怒りがこみ上げてくる。真白は何も分かっていないくせに、勝手な判断で仕事のメールを消した。この契約を逃したら、会社の利益は少なくとも1割は減ってしまうというのに。しかも、今日の大事な会議だって、佳奈からの連絡はなかった。普段なら、たとえメールが来ていたとしても、佳奈が朝には全てを完璧に準備してくれていたのだ。もし今回、あいつがちゃんとしていれば、こんな簡単に契約を逃したりはしなかったはずなのに。問いただすために英樹は佳奈に電話をかけたが、その電話は繋がらなかった。何度かけ直しても、同じ無機質な音声が流れるだけ。突然、胸騒ぎがした。はっとし、もう一度削除済みフォルダを確認する。すると、そこには確かに昨日、佳奈から届いていたメッセージがあった。そのメッセージ内容が目に突き刺さる。【8年の片思い、そして4年の愚かな日々。もう全部終わりにします。これからは、もうあなたの秘書でもなければ、あなたを愛することもないですので。お互い別々の道を歩みましょう。この人生で、二度と会うことはありません】本来ならこのメッセージを見て、安心するはずなのだ。なぜなら、佳奈がようやく自分のことを諦めてくれたのだから。前に言った通り、もう自分のせいで人生を台無しにしなくていいのだ。しかし、佳奈がいなくなったという現実を突きつけられた瞬間、心臓が締め付けられるような窒息感を覚えた。まるで、何が一番大事だったのかを気付かされるかのように……思わず、佳奈との過去を思い出していた。4年前、ある出来事がきっかけで佳奈とは関係を持った。そのとき、英樹の心の中には真白のことしかなく、妹の友達を金で追い払おうと思っただけで、まさかこんな始まりになるとは思ってもいなかった。だが、佳奈の瞳は澄んでいて、しかも慎重で、小さな動物のような愛らしさがあり、彼はどうしても拒めず、ただ黙ってその全てを受け入れるしかなかった。二人は行く先々で身体を重ね、どこへ行こうと二人の痕跡を残した。この4年間、佳奈は最高の秘書であり、夜の相性も最高だったのだ。決して何かを要求してくることはなく
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第12話

会社に着くと、数人の秘書たちが一斉に駆け寄ってきた。「社長、やっと出社してくれたんですね。これを見てください。最近の会社の赤字状況です」「こちらは契約解除を申し出てきた取引先の一覧です。事態はかなり深刻でして……」「加えて、社員流出も激しく、古参の社員たちが退職を相談しに来ています」英樹は眉をひそめた。少しの間会社を離れていただけなのに、なぜこれほど酷い状況になっているんだ?受け取った資料を読んでいた英樹だったが、頭痛を感じ、その束を乱暴に床へと叩きつけた。「君たちは一体何をしていたんだ?たった数日空けただけでこれほどの赤字になるか、普通?取引先だって、俺が戻るまで引き留める工夫くらいはできたはずだろ!」バンという激しい音に、秘書たちは皆言葉を失った。沈黙ののち、ようやく一人が震えながら口を開く。「これらの手配は、すべて小野さんが行っていたものですから……」「なら、あいつを……」と佳奈を呼ぼうとしたが、相手はもうとっくに退職していたことを思い出した。英樹の顔が険しくなる。「あいつにできて、なぜ君たちにはできないんだ?」誰もが黙り込んだ。4年間、佳奈がどれほど誠実に仕事をこなしてきたか、全員が知っていたから。佳奈のようにはできないという自覚もあった。静まり返るオフィスで、真白だけが甘ったるい笑い声を立てた。「もう怒らないでよ、英樹。秘書くらい私がやればいいでしょ?小野さんよりも完璧にこなしてあげるから、英樹は休んでて、ね?」英樹は安堵したように微笑む。「ありがとう、真白。君たちも今後は真白の指示に従うように」英樹はそう言い捨てると、重要な書類だけを持って社長室へ戻り、真白と秘書たちをその場に残した。英樹が姿を消すと、真白はさっと笑顔を消し、近くの秘書たちの頬を次々と叩きつけ、鼻で笑った。「あなたたち、身の程を知りなさい。英樹に馴れ馴れしく近づくなんて、媚びでも売って誘惑するつもり?」あまりの言葉に驚き、秘書たちは頬をさすりながら弁解する。「そんなわけないじゃないですか!私たちは自分の仕事をしただけです。変なことを言うのはやめてください!」しかし、聞く耳を持たない真白はボディーガードを呼び、秘書たちを無理やり会社から引きずり出させ、二度と戻らないよう命じた。それから、真白はわざわざオ
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第13話

「英樹?」英樹が自分に向ける視線が信じられなく、真白はもう一度彼の名前を呼ぶ。しかし、英樹の表情は硬いままで、真白に向けられる言葉は冷たかった。突然のことに、真白は動揺する。「なぜあんなことをしたんだ?」真白は何のことか分からなかった。「英樹、何のこと?」だが次の瞬間、英樹は怒り狂ったように大声を上げた。「なぜ小野さんにあんなことをしたのかって聞いてるんだ!」真白は英樹の様子に驚いたものの、佳奈の名が出てきたことに納得がいかなかった。「ただの秘書でしょ?なのに、どうしてそんなに怒ってるの?あなただって、たかが秘書一人ぐらいどうでもいいって言ってたじゃない」そんな真白の言葉を聞いた瞬間、英樹の身体からは力が抜けた。確かにその通りだ。佳奈を辞めさせようとしていたのは自分なのに、どうしてこんなにも怒りが込み上げてくるのだろう?真白が抱きつこうと近づいてくる。「もう怒らないでよ。ご飯でも食べに行こう?」だが、真白の甘える声を聞けば聞くほど、胸のイライラは募るばかり。頭の中は、傷ついた佳奈の顔で一杯だった。自分は彼女を信じるどころか、毎回傷つけてしまっていたのだ……あの時、佳奈はどんなに辛かったことだろう。考えれば考えるほど息苦しくなり、真白を突き飛ばしてしまった。「一人で行け。そんな気分じゃないんだ」押す力が強かったたわけではない。それでも、真白は信じられないといった顔で立ち尽くした。いつだって自分を甘やかしてくれた英樹が、他の誰かのために自分を突き放したのだ。それも、退職した秘書の佳奈のために。真白の中で何かが爆発する。「英樹、何するのよ!たかが一人の秘書が理由で、私を突き飛ばすなんて!もしかして小野さんを連れ戻すつもり?」真白の言葉に、英樹は複雑な気持ちになった。自分でもなぜこれほど辛く、悲しいのか分からない。佳奈がいなくなったのだから、自分は喜ぶべきではないのか?こんな関係、始めるべきではなかった……英樹は拳を握りしめ、必死に感情を抑え込む。「今はちょっと疲れているんだ。先に食べててくれ」真白は鼻で笑うと、背を向けて出て行った。荒れ果てた社長室を見つめ、英樹は頭を抱えた。食事もせず、仕事に没頭することで思考を遮断しようとした。それから夜までかかったが、英樹は会社で起きて
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第14話

しかし部屋に入ってきたのは、会いたくてたまらなかった佳奈ではなく、真白だった。真白は英樹が口にした名前を聞き逃さなかった。たかが秘書ごときに、なぜここまでされなければならないのか、理解できない。失望を隠そうとしない英樹を見て、真白は苛立ちを覚えた。「どうしてまた小野さん?英樹、もしかして本当にあの女のことが好きなの?」と真白は詰め寄る。だが、英樹は答えなかった。入ってきたのが佳奈ではないと分かった瞬間、もうどうでもよくなっていたのだ。英樹のそんな態度に真白はさらに逆上し、目元に涙を溜めながら、声を荒げてわめき散らした。「ただの秘書のくせに!なんなのあの女!帰国した初日から、あなたたちの関係には気づいていたから。あんな女、いなくなって正解よ!ねえ、愛しているのは私だけって言ってくれたよね?なのに、どういうつもり?もしかして、あの女に乗り換える気?」止まらない真白の詰問に対し、英樹は言いようのない焦燥感に包まれ、黙り込むことしかできなかった。しかし、甘やかされて育った真白にとって、冷たくされることは佳奈への憎悪を深めるだけだった。真白はデスクの上の書類を乱暴にぶちまける。「さっきの電話聞いてたんだから。小野さんを探して、呼び戻そうとしてたよね?そんなの、あの女のことが好きって言っているようなもんじゃない!」英樹はもう我慢の限界だった。英樹の目に、かつてのような愛しさは微塵もない。なぜこんなにも無茶苦茶で、我がままばかり言って、佳奈を追い詰めるような女を愛していたのだろうか。そう思った英樹は感情を抑えられなくなり、赤い目で真白に叫んだ。「ああ、そうだ!俺は小野さんが好きだ!それの何が悪い?これまで、お前は自分自身が何をしてきたか分かってるのか?」一度口にすると、感情が次から次へと溢れ出してくる。英樹は真白を一歩ずつ追い詰めた。「お前が俺の秘書全員を追い出し、勝手に大事なメールを消したせいで、複数の企業との取引が白紙になった。会社でお前に権限を与えれば、社員たちに理不尽なことをして、皆が辞めていく始末。お前のせいで、会社がどれだけの被害を被ったのか、知っているか?これまでは目を瞑ってきたが、どうして小野さんをあそこまで追い詰めたんだ?何度も彼女の尊厳を踏み躙り、彼女を追い込んだのはお前だよな?ああ、そうさ。お前
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第15話

英樹の瞳は氷のように冷たく、これまで真白に向けられていた愛情は微塵も残っていなかった。今の英樹にとって、真白の存在はただただ忌々しいものにすぎないのだ。そして、佳奈を傷つけていた真白のために、これほど尽くしてきた自分が許せなかった。英樹の拳が固く握りしめられる。そのあまりの冷徹さに真白は身を震わせた。自分のために何でもしてくれた優しい英樹は、もうどこにもいない。これは……全て、佳奈のせいだ!真白の瞳には佳奈に対する憎悪が渦巻いていた。しかし、そんな真白を、英樹は見逃さなかった。自分自身に対する憤りがこみ上げる。佳奈にこれほどの我慢を強いていたことに、今さらながら気づかされた。英樹はゾクりとするほど冷たい笑みを浮かべた。「小野さんにすべてを返さなきゃな」そう言うや否や、英樹は真白の腕を掴んだ。真白は、なりふり構わず抵抗したが、英樹の力には敵わなかった。社長室の外に引きずり出されると、待機していたボディーガードたちに両肩を抑え込まれた。「他人に土下座させるのが好きなんだろ?なら、明日までずっとそこで地面に頭を擦り付けておけ」ボディーガードに真白を任せ、泣き叫ぶ声を背に受けながら英樹はその場を去った。今や心には佳奈しかいなかった。佳奈を愛していると認めた途端、それまでの自分の行動がいかに愚かだったか痛感したのだ。4年間ずっと一緒にて、もう離れられない関係になっていたはずなのに、自分が意地を張っていたせいで……すべてを失った今、ようやく自分の過ちに気づいたのだ。車の中で英樹はハンドルを何度も殴りつけた。それから、狂ったように真白が残した車内の飾りをすべて投げ捨てる。どれもこれも、佳奈が嫌がっていたものばかり。目に入るだけで、腹が立ってくる。ぬいぐるみにクッション、真白のために用意したお菓子。すべてを社外に放り出す。しかし、どれだけ探しても、自分と佳奈が過ごした思い出の欠片は見つからなかった。あれほど車内で熱い時間を過ごしたはずなのに。佳奈の面影は何ひとつ残っていない。その瞬間、英樹は胸が引き裂かれるような痛みを感じた。もう耐えられずに車から離れ、別の車で家へと戻ったのだった。家の中も同じだった。すべてが真白の好みの空間に塗り替えられている。たった1ヶ月真白が戻ってきただけで、佳奈との4年間が全て消された
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第16話

ちょうど始業の時間に、英樹は到着した。社員たちがオフィスの端へ、奇異の視線を投げかけている。そこには髪を振り乱し、酷い姿になった真白がいた。一晩中ボディーガードに地面へと押し付けられ、一睡もしていなかったため、もう限界が近かったのだ。しかし、何より耐えがたいのは、周囲の冷ややかな視線だった。かつてあれほどチヤホヤされていた自分が、大勢の前でこのような恥をさらしている。真白が佳奈に抱く憎しみは、ほぼ殺意に近くなっていた。真白は錯乱したように叫ぶ。「全部あの女のせいだ!あの女さえいなきゃ、英樹は私にこんなことしなかったのに!あいつなんかさっさと死ねばいいのに!よくも英樹をたぶらかして……」わめき散らす声が響き渡る。しかし、そこにはかつての勢いはなかった。どん底まで落ちた真白の言動を、社員たちはただ白い目で見ている。佳奈と親しかった同僚たちが、我慢できずに言った。「小野さんのことをそんな風に言わないでください。小野さんは4年間、誰よりも真面目に働いてきました。なのに、高木さんはこの会社に来てから、ずっと小野さんをいじめてばっかりで!」「そうですよ。小野さんは何も悪いことをしていないでしょう?なのに、小野さんが辞めた後も、まだ追い詰めるつもりなんですか?それは、さすがにひどすぎます」「ずっと小野さんに食ってかかってたのは高木さんの方でしょ?それに、こんな状況になっても他人を非難するなんて、本性が知れますね」言葉ひとつひとつが真白の心に刺さる。誰もが自分を異常者を見る目で見ていた。真白は怒りに震え、全員にビンタを見舞ってやろうと思ったが、ボディーガードに押さえつけられ、膝をついたまま金切り声を上げることしかできなかった。「あんたたちみたいな底辺は黙ってて!あの女のどこがそんなにいいわけ?何?お金でもくれたの?」常軌を逸した発言の数々に、社員たちは不快げに眉をひそめる。そこへ、騒ぎを聞きつけた英樹が現れた。その顔色は、誰が見ても分かるほど冷え切っていた。もともとは、ここで己の行いを反省させるつもりだった。だが、真白は反省するどころか、さらにひどくなり、全ての罪を佳奈になすりつけようとしている。英樹が近づいていくと、社員たちは道をあけた。ボディーガードが手を緩めた隙に、真白は這いずりながら英樹の脚にしがみつき、憎悪を
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第17話

追い詰められた真白は、もうやけになっていた。「あなたの車の中に何があったか知ってる?小野さんのストッキングだよ。どうせ、あの車で何回もしてたんでしょ。でも、あの女は馬鹿だよね。4年間も公にされない愛人として耐えていたなんてさ。英樹、あの女の言葉を信じなかったのはあなた。彼女が傷つけられているのを放置して、私を選んだのは誰?私?違うよね。全部、あなたのせいなんだよ」真白が言葉を発するたびに英樹の表情は険しくなり、拳に力がこもる。「まだ反省が足りないようだな」そう吐き捨てると、英樹はボディーガードに命じて真白を地下室まで連れて行かせた。叫び声が響く。家に戻った英樹は、真白を地下室に監禁した。佳奈が受けてきた屈辱を真白自身にも味わせ、自分がしてきたことの罪深さを身をもって分からせるために。真白は熱湯の入った器を持つことを強制され、手に赤い水ぶくれを作った。跪かされるのも日常で、気を失っても起こされるので、跪き続けるしかなかった。その間、英樹は一度も真白の様子を見に行かなかった。彼にはもっとやるべき重要なことがあったから。自分の本当の気持ちに気づいてから、英樹は誓っていた。絶対に佳奈を連れ戻す、と。英樹は、胡桃が帰国後から住んでいるマンションの扉を叩いた。胡桃は急いでドアを開けたが、訪ねてきたのが英樹だと気づいた瞬間、表情を凍りつかせ、あからさまな嫌悪感を示す。「なんの用?」自分の立場を理解していた英樹は、手土産をぶら下げ、必死に愛想笑いを浮かべた。「お前が帰国してから、ちゃんと会えていなかっただろ?だからこれ、差し入れだ」胡桃は受け取りたくなかったが、佳奈が言っていた通り、自分たちが兄妹であることに変わりない。胡桃は険しい表情のまま、英樹を家の中に通した。「どうせ佳奈の居場所が聞きたいだけなんでしょ?でも、絶対に教えないから。諦めて」部屋に入り、プレゼントを机に置いた英樹が声を低める。「胡桃、俺が間違ってたことに気づいたんだ。だから、どうしても佳奈に謝りたい。頼むよ……教えてくれないか?もう二度と真白に佳奈を傷つけさせたりなんかしない。佳奈とやり直したいんだ。お前たちは親友だろ?俺たちが一緒にいれれば、お前もまた毎日佳奈に会えるようになるんだぞ」胡桃は遮るように言った。「私と佳奈が親友なことに
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第18話

胡桃は佳奈にメッセージを送った。国内と海外では時差があるため、胡桃は英樹に一度帰るよう勧めたが、英樹は頑として動かない。彼は胡桃のマンションでソファに座り込み、ただひたすらに待ち続けた。少しの物音でもすぐ反応し、佳奈からの返事を期待していた。翌日の夜、ようやく胡桃の元に返信が届いた。【会ってもいいよ】短い言葉だが、英樹には希望の光だった。佳奈がまだ自分と会ってくれる!それは、やり直せる可能性だってあるかもしれないということだ!英樹は喜びを隠しきれず、大急ぎで最短の航空便を予約した。胡桃はそんな英樹を引き止め、不服そうに眉をひそめる。「お兄ちゃん、一度休んだら?もう何日も寝てないんだからさ。佳奈は会ってくれるって言ってるんだし、約束は破らないと思うよ」英樹は胡桃の手を振り払った。「もう待てないんだ。佳奈がいなくなってから、ずっと考えるのは、彼女のことばかり。今すぐにでも会いたいんだよ」その柔らかな瞳を見て、胡桃は理解しがたいという表情をした。慌ただしく出ていく英樹の背中を見送り、胡桃は溜息をつく。「最初からこうしていればよかったのに……」英樹に胡桃の言葉は届いていなかった。頭の中は佳奈のことでいっぱいで、再会できることへの期待で胸が高鳴っていた。機内に乗り込んでも、落ち着くことはできなかった。海外での暮らしはどうだろうか?痩せてはいないか?お金に困っていないか?不慣れな土地で苦労しているに違いない。佳奈を想うだけで、強張っていた心がほぐれていくようだった。脳裏には彼女の姿ばかりが浮かぶ。出会った頃、佳奈が隠し通していると思っていた恋心は、とっくに分かっていた。でもその頃の自分には真白がいたから、佳奈を意識することはなかった。一度、出来心で一夜を共にしたこともあったが、それでも自分にとって佳奈はどうでもいい存在だった。そんな中、ずっと慎重で控えめだった彼女が、突然自分に告白してきたのだ。佳奈を突き放しながらも、あの若々しく活き活きとした身体までは、突き放すことができなかった。所構わず何度も求めたあの身体。しかも、佳奈は自分の立場をわきまえていて、他の女のように金やものをねだることもなかった。それも、佳奈を受け入れていた理由の一つだった。もし真白が戻ってこなければ、このまま佳奈との関係を続けていて
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第19話

約束の場所はカフェだった。英樹がドアを開けると、鈴の音が鳴る。中へ進むと、隅の席に座る佳奈の姿をすぐに見つけた。離れ離れになっていた時間は、たった1ヶ月だったが、それはまるで1年もの歳月が過ぎたように長く感じられた。だからか、いざ佳奈の姿を目の前にすると、どこか不思議な感じがする。佳奈は大きく変わっていた。秘書として自分の側にいた頃、佳奈はいつもスーツを着ていた。たまに自宅で英樹を楽しませるような格好をすることが会っても、基本的にはフォーマルな服装だった。しかし、今の佳奈はカジュアルな装いで、髪を束ねて、白い首筋を露わにしている。そんな彼女を見ていると、関係が始まったばかりの、ひたむきに自分を思ってくれていた頃の佳奈の姿が重なった。英樹は数秒立ち尽くした後、歩み寄り、笑顔で声をかけた。「佳奈、久しぶり」今すぐにでも抱きしめたい衝動を必死に抑え、恋い焦がれるように佳奈の表情を見つめる。「ええ。手短に言いますね。今日会うことにしたのは、私たちの関係をきっちり終わらせるためです」佳奈は世間話をする気などなかったので、コーヒーを一口飲み、話を続けようとする。しかし、英樹は遮るように口を開いた。「君の言いたいことはわかる。本当に反省してるんだ。自分の気持ちに気づくのが遅くて、真白に君を傷つけさせてしまった。でも、ようやくわかったんだ……愛してるのは君だけなんだよ」言いたかったことを一気に吐き出し、期待に満ちた目で佳奈の反応を待つ。英樹は当然、佳奈は自分を許してくれ、一緒に帰ってくれると信じていた。だが佳奈の表情は何一つ変わらず、口元が歪んだだけだった。「もう遅いです。謝罪も愛の告白も。用が済んだなら帰りますね。あなたと話す必要なんてありませんので」英樹は青ざめ、とっさに佳奈の手を掴むと、すがりつくような目で言った。「そんなことない!佳奈、俺たちはこれからいくらだってやり直せる。真白にはもう罰を与えた。君が戻ってきてくれれば、何だってしてする。4年も一緒にいたのに、たったひと月離れただけで、気持ちがなくなるものなのか?怒ったっていい、殴ったっていい。お願いだよ……戻ってきてくれ」佳奈はその手を振り払い、淡々と突き放した。「この1ヶ月で、あなたという人がどういう人かよく分かったので。あなたのことなんて、もうどうで
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第20話

英樹はカフェの閉店時間までじっと座り続けていた。どうすればいいのかわからず、ただ苦しみに包まれていた。失って初めて気づいた。佳奈がいかに自分にとって大切な存在であったかを。もしも、真白が戻ってこなければ……もしも、もっと早く佳奈を愛していることに気づいていれば……もしも、佳奈を失望させないような人間でいられたら……そんな「もしも」が頭を駆け巡るが、もう戻れる道などなかった。見知らぬ海外の街を一人で彷徨い歩いていると、突然の雷雨に襲われた。人々が傘をさして逃げていく中、英樹だけはどこへ行けばいいのかわからず、立ち尽くす。土砂降りの中、佳奈の名を呼び続け、全身は冷たい雨でびしょ濡れになっていく。その時、スマホが鳴った。期待を込めて画面を見ると、それは胡桃からの連絡だった。【お兄ちゃん、もう帰ってきたら?】その一言で体の力が抜ける。一体なぜ、自分と佳奈はこんな関係になってしまったのか?激しい雨の中、英樹は地面に拳を叩きつけながら、声を上げて泣いた。しかし、降りしきる雨が、すべてをかき消していく。よろめきながら辿り着いた先は、佳奈の住むマンションだった。中に入る勇気はなく、ただドアの前に身を寄せる。ここにいれば、かすかな安らぎを感じられる気がした。何日も眠っていなかった英樹は、ずぶ濡れのままその場所で眠ってしまった。夢の中の佳奈は自分を許してくれ、一緒に帰国してくれた。以前と同じ関係のように見えるが、違うのは、夢の中の自分は佳奈を大切にし、関係を公にしてプロポーズしたことだった。佳奈は涙を浮かべて自分の腕の中に飛び込んできて、この日を待っていたと笑うのだ。英樹は穏やかな微笑みを浮かべ、幸せを噛みしめる。そしてそのまま、土砂降りの中で意識を失った。再び目覚めたとき、頭を突き刺すような痛みに襲われた。起き上がろうとすると、そばから優しい声が聞こえてきた。「動かないでください」佳奈だった。その声を聞くや否や、英樹は周囲も顧みず飛び起き、佳奈を力いっぱい抱きしめた。まるで一度失ったものを二度と手放したくないかのように。「佳奈、許してくれたのか?本当に悪かった。これからは一生かけて償うから。信じてくれ。君なしでは生きられないんだ。俺は……」英樹は涙を流しながら許しを求めた。後悔の念が押し寄せ、佳奈
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