Masuk1年後、胡桃は佳奈から連絡を受けた。佳奈が結婚することになり、なんと結婚式でのブライズメイドを頼まれたのだ。胡桃は嬉しさのあまり舞い上がり、用事をすべて放り出してすぐさま飛行機のチケットを買った。英樹はもちろん、胡桃伝いでそのことを知った。英樹はペンを持つ手を止め、そのまま視線を落とした。関心がないふりをして、淡々と問いかける。「結婚するのか?早いな」この1年、胡桃を通して佳奈の近況は聞いていたから、佳奈を大切にしてくれる恋人ができたことも知っていた。それなのに、まさかこんなにも早く結婚するだなんて。胸の奥で何かがざわめく。英樹は視界がぼやけて、手元の書類すら読めなくなった。スマホ越しに、佳奈のおっとりとした声が聞こえてくる。「そうなんです。いいご縁があったので」電話の向こうの佳奈は穏やかで、幸福感に満ち溢れていた。胡桃は通話しながら、せっせと荷物をまとめる。「本当によかった!でも、これからは海外に住むんでしょ?私を一人にするなんて、本当にひどいんだから!ちゃんと、私に会いに帰ってきてよね!」冗談交じりに笑いながらパッキングを済ませると、胡桃は振り返って英樹に手を振った。「お兄ちゃん、行ってくるね!」英樹は何も言えなかった。胡桃の姿が見えなくなると、手に持っていたペンを置き、額に手を当てて目を閉じた。涙が溢れ出す。心が押し潰されるほど痛かった。愛する女性が別の男と結ばれるのをただ見守ることしかできないなんて。英樹が佳奈を完全に失った瞬間だった。震えながら、胸の痛みをこらえ、声を出して泣いた。さらに1年が過ぎ、今度は胡桃の番だった。約束通り、佳奈が一時帰国し、ブライズメイドを務めてくれた。ずっと会っていなかった。英樹は懸命に感情を抑え込み、バージンロードでは胡桃の手をそっと胡桃の夫へと預ける。そこから先の視線は、佳奈から離すことができなかった。シンプルで美しいドレスを身にまとった佳奈を見て、息をするのすら忘れてしまう。結婚式が終わると、英樹は胡桃と共に挨拶回りへと出た。佳奈のテーブルの番がやってくる。「佳奈、久しぶり!」胡桃が笑顔で声をかける。英樹も冷静を装って会釈した。「久しぶりだな、佳奈」グラスを差し出し、軽く合わせる。その涼やかな音が、やけに胸に突き刺さる。変わったな。最近どうしてる
このところ、真白はかなりひどい扱いを受けていた。食事も睡眠もろくにとれず、かつて佳奈にしてきたことを、すべて同じようにされていた。地下室で震えていた真白。ドアが開いて光が差し込んでも、何が起きたのかすぐには理解できなかった。英樹が入ってきたのに気づき、はっと我に返る。そして、最後の望みを託すかのように、必死で這って英樹の足に抱きついた。「英樹、私が間違ってた!お願い、許して。もうあなたと小野さんの邪魔は絶対にしないから。どこか遠くへ行く。二度と二人の前に現れない。だから見逃して、本当に、本当にごめんなさい」真白は許しを請いながら、声にならないほど泣きじゃくった。その姿はひどく哀れだった。英樹は黙って、真白の顔をじっと見つめた。そこにはもう、かつての清純さや美しさはない。ただ、果てしない欲望と貪欲さが渦巻いているだけだった。どうして自分は、こんな女のせいで最も大切な人を失ってしまったのだろうか。そう思うと、英樹は怒りに震えた。真白をズタズタに引き裂いてやりたい衝動に駆られる。しかし、胡桃と佳奈の言う通り、根本的な原因は自分自身の判断力のなさだ。真白はただ、自分を利用したに過ぎない。英樹はなんとか冷静さを取り戻し、写真の束を真白の前に投げ捨てた。それを見た瞬間真白は、驚きのあまり目を見開いた。それは、必死に葬り去ろうとしていた過去だった。海外での生活が立ち行かなくなり、帰国したというのに。まさか、こんな形で暴かれるなんて思ってもみなかった。真白はひどくうろたえ、どうすればいいのか分からないといった表情を浮かべた。「いや、違う……これは私じゃない。英樹、信じて。この写真に写ってるのは私じゃない。きっと、全部、加工されたんだよ!誰かが私を罠にはめようとしてるの!小野さんね。きっとあの女の仕業でしょ?そうよね?こんなものを用意して、わざとあなたを怒らせようとしているのよ……」真白は頭を抱え、取り乱したように言葉を続けた。その姿は、まるで狂ってしまったかのようだった。「こんなはずじゃなかったのに!一流大学を出て、良い仕事に就いて、愛してくれる彼氏を見つけるはずだったのに。こんなこと、あるはずがない。全部嘘よ!こんなのが、私の人生なわけない!」そう言っているうちに、真白はとうとう泣き崩れた。海外に渡った当初、真白は確かに華や
間もなく、胡桃が駆けつけた。佳奈から連絡をもらって、すぐに飛んできたのだ。1ヶ月ぶりの再会に、二人は抱き合った。「佳奈!」佳奈は少しだけ表情を緩め、胡桃を受け止める。「胡桃、きてくれてありがとう」二人はしばらく話し込んでいたが、別れの時間になると、胡桃は申し訳なさそうな顔をした。「ごめんね、佳奈。お兄ちゃんに居場所を教えちゃって。迷惑かけたよね……」佳奈は胡桃の頬を軽くつねった。「気にしないで。胡桃が言わなくたって、彼なら自力で探し出してたと思うし。ちゃんと話せてよかったぐらいだよ」それでも胡桃は気が重かった。ここまで佳奈に執着し、雨の中でも一晩中待つ英樹の姿なんか想像できなかったから。胡桃は遠くで自分たちを複雑な眼差しで見守る英樹を振り返り、ずっと胸に引っかかっていた疑問を投げかける。「ねえ、佳奈……もしもの話だよ?もし真白さんが現れなかったら、お兄ちゃんとまだ一緒にいた?」これは、英樹自身も一番知りたいことだった。真白という存在がなければ、二人は今でも一緒にいられたのだろうか?佳奈は小さく笑った。かつてはそんな風に思ったこともあった。しかし、あの1ヶ月を耐え抜いた今、分かったことがある。真白がいなくても、いつか別の誰かが現れていて、英樹の愛情だって、失ってからようやく後悔する、その程度のものなのだと。佳奈は耳元の髪をそっと払うと、晴れやかな表情で答えた。「ないかな」誰も理由は尋ねなかった。なぜなら、もう全員が答えを知っていたから。胡桃は、悲しみに暮れる英樹を連れて帰国した。この期間、中川グループは業績が悪化しており、英樹に経営を任せる余裕はないので、ひとまず胡桃が取り仕切るしかなかった。急な帰国でいきなり英樹の後始末を任され気の毒ではあったが、留学中に経営管理学を専攻していたのが不幸中の幸いだった。会社を引き継ぐ前、胡桃は英樹にそっと何枚かの写真を手渡した。「海外にいた間、私も調べてたことがあるの。見てみて」それは真白が留学中、ろくに勉強もせず遊び歩き、何人もの外国人男性と関係を持っていた証拠となる写真だった。さらには何度も中絶を繰り返していたことなど、英樹が思い描いていた真白の面影とは程遠い姿が記録されている。そういえば、かつて自分が好きだったのは、どんな真白だっただろうか?英
英樹はカフェの閉店時間までじっと座り続けていた。どうすればいいのかわからず、ただ苦しみに包まれていた。失って初めて気づいた。佳奈がいかに自分にとって大切な存在であったかを。もしも、真白が戻ってこなければ……もしも、もっと早く佳奈を愛していることに気づいていれば……もしも、佳奈を失望させないような人間でいられたら……そんな「もしも」が頭を駆け巡るが、もう戻れる道などなかった。見知らぬ海外の街を一人で彷徨い歩いていると、突然の雷雨に襲われた。人々が傘をさして逃げていく中、英樹だけはどこへ行けばいいのかわからず、立ち尽くす。土砂降りの中、佳奈の名を呼び続け、全身は冷たい雨でびしょ濡れになっていく。その時、スマホが鳴った。期待を込めて画面を見ると、それは胡桃からの連絡だった。【お兄ちゃん、もう帰ってきたら?】その一言で体の力が抜ける。一体なぜ、自分と佳奈はこんな関係になってしまったのか?激しい雨の中、英樹は地面に拳を叩きつけながら、声を上げて泣いた。しかし、降りしきる雨が、すべてをかき消していく。よろめきながら辿り着いた先は、佳奈の住むマンションだった。中に入る勇気はなく、ただドアの前に身を寄せる。ここにいれば、かすかな安らぎを感じられる気がした。何日も眠っていなかった英樹は、ずぶ濡れのままその場所で眠ってしまった。夢の中の佳奈は自分を許してくれ、一緒に帰国してくれた。以前と同じ関係のように見えるが、違うのは、夢の中の自分は佳奈を大切にし、関係を公にしてプロポーズしたことだった。佳奈は涙を浮かべて自分の腕の中に飛び込んできて、この日を待っていたと笑うのだ。英樹は穏やかな微笑みを浮かべ、幸せを噛みしめる。そしてそのまま、土砂降りの中で意識を失った。再び目覚めたとき、頭を突き刺すような痛みに襲われた。起き上がろうとすると、そばから優しい声が聞こえてきた。「動かないでください」佳奈だった。その声を聞くや否や、英樹は周囲も顧みず飛び起き、佳奈を力いっぱい抱きしめた。まるで一度失ったものを二度と手放したくないかのように。「佳奈、許してくれたのか?本当に悪かった。これからは一生かけて償うから。信じてくれ。君なしでは生きられないんだ。俺は……」英樹は涙を流しながら許しを求めた。後悔の念が押し寄せ、佳奈
約束の場所はカフェだった。英樹がドアを開けると、鈴の音が鳴る。中へ進むと、隅の席に座る佳奈の姿をすぐに見つけた。離れ離れになっていた時間は、たった1ヶ月だったが、それはまるで1年もの歳月が過ぎたように長く感じられた。だからか、いざ佳奈の姿を目の前にすると、どこか不思議な感じがする。佳奈は大きく変わっていた。秘書として自分の側にいた頃、佳奈はいつもスーツを着ていた。たまに自宅で英樹を楽しませるような格好をすることが会っても、基本的にはフォーマルな服装だった。しかし、今の佳奈はカジュアルな装いで、髪を束ねて、白い首筋を露わにしている。そんな彼女を見ていると、関係が始まったばかりの、ひたむきに自分を思ってくれていた頃の佳奈の姿が重なった。英樹は数秒立ち尽くした後、歩み寄り、笑顔で声をかけた。「佳奈、久しぶり」今すぐにでも抱きしめたい衝動を必死に抑え、恋い焦がれるように佳奈の表情を見つめる。「ええ。手短に言いますね。今日会うことにしたのは、私たちの関係をきっちり終わらせるためです」佳奈は世間話をする気などなかったので、コーヒーを一口飲み、話を続けようとする。しかし、英樹は遮るように口を開いた。「君の言いたいことはわかる。本当に反省してるんだ。自分の気持ちに気づくのが遅くて、真白に君を傷つけさせてしまった。でも、ようやくわかったんだ……愛してるのは君だけなんだよ」言いたかったことを一気に吐き出し、期待に満ちた目で佳奈の反応を待つ。英樹は当然、佳奈は自分を許してくれ、一緒に帰ってくれると信じていた。だが佳奈の表情は何一つ変わらず、口元が歪んだだけだった。「もう遅いです。謝罪も愛の告白も。用が済んだなら帰りますね。あなたと話す必要なんてありませんので」英樹は青ざめ、とっさに佳奈の手を掴むと、すがりつくような目で言った。「そんなことない!佳奈、俺たちはこれからいくらだってやり直せる。真白にはもう罰を与えた。君が戻ってきてくれれば、何だってしてする。4年も一緒にいたのに、たったひと月離れただけで、気持ちがなくなるものなのか?怒ったっていい、殴ったっていい。お願いだよ……戻ってきてくれ」佳奈はその手を振り払い、淡々と突き放した。「この1ヶ月で、あなたという人がどういう人かよく分かったので。あなたのことなんて、もうどうで
胡桃は佳奈にメッセージを送った。国内と海外では時差があるため、胡桃は英樹に一度帰るよう勧めたが、英樹は頑として動かない。彼は胡桃のマンションでソファに座り込み、ただひたすらに待ち続けた。少しの物音でもすぐ反応し、佳奈からの返事を期待していた。翌日の夜、ようやく胡桃の元に返信が届いた。【会ってもいいよ】短い言葉だが、英樹には希望の光だった。佳奈がまだ自分と会ってくれる!それは、やり直せる可能性だってあるかもしれないということだ!英樹は喜びを隠しきれず、大急ぎで最短の航空便を予約した。胡桃はそんな英樹を引き止め、不服そうに眉をひそめる。「お兄ちゃん、一度休んだら?もう何日も寝てないんだからさ。佳奈は会ってくれるって言ってるんだし、約束は破らないと思うよ」英樹は胡桃の手を振り払った。「もう待てないんだ。佳奈がいなくなってから、ずっと考えるのは、彼女のことばかり。今すぐにでも会いたいんだよ」その柔らかな瞳を見て、胡桃は理解しがたいという表情をした。慌ただしく出ていく英樹の背中を見送り、胡桃は溜息をつく。「最初からこうしていればよかったのに……」英樹に胡桃の言葉は届いていなかった。頭の中は佳奈のことでいっぱいで、再会できることへの期待で胸が高鳴っていた。機内に乗り込んでも、落ち着くことはできなかった。海外での暮らしはどうだろうか?痩せてはいないか?お金に困っていないか?不慣れな土地で苦労しているに違いない。佳奈を想うだけで、強張っていた心がほぐれていくようだった。脳裏には彼女の姿ばかりが浮かぶ。出会った頃、佳奈が隠し通していると思っていた恋心は、とっくに分かっていた。でもその頃の自分には真白がいたから、佳奈を意識することはなかった。一度、出来心で一夜を共にしたこともあったが、それでも自分にとって佳奈はどうでもいい存在だった。そんな中、ずっと慎重で控えめだった彼女が、突然自分に告白してきたのだ。佳奈を突き放しながらも、あの若々しく活き活きとした身体までは、突き放すことができなかった。所構わず何度も求めたあの身体。しかも、佳奈は自分の立場をわきまえていて、他の女のように金やものをねだることもなかった。それも、佳奈を受け入れていた理由の一つだった。もし真白が戻ってこなければ、このまま佳奈との関係を続けていて