一瞬、辺りは不気味なほど静かになった。翼の手は、行き場をなくしたように宙で止まった。言いようのない寂しさが胸に広がっていく。いつもならこの時間、凛菜が絶妙な温度のブラックコーヒーと、要点をまとめた資料を差し出してくれるはずだった。それなのに今、隣は空っぽで、何もなかった。凛菜のデスクにも、うっすらと埃が積もっている。それはまるで、自分の鈍さを無言で嘲笑っているかのようだった。振り返ればいつもそこにいた凛菜が、もうとっくにいないのだと、改めて突きつけられた。バンッ!翼は苛立ちに任せて、手にしていたペンをデスクに叩きつけた。飛び散ったインクが書類を汚すのも構わず、彼は呟いた。「ありえない。君がいなくなったくらいで、俺の事務所が回らなくなるわけないだろう?」翼はやけくそ気味にスマホを手に取ると、部下に電話をかけた。「杉本さんを、今すぐここへ呼んでくれ!」どうせ資料整理なんていう簡単な仕事だ。誰にやらせたって同じだろう?日和は経験不足とはいえ、法学部を卒業しているんだ。これしきの雑務、できないはずがない。しかし、電話の向こうから聞こえてきたのは、受付の三浦明日香(みうら あすか)のおどおどとした声だった。「渡辺先生……杉本さんでしたら……その、事務所にはいませんが」翼はすぐに眉をひそめ、腕時計に目を落とした。午後3時。事務所が一番忙しい時間帯だ。「事務所にいない?どこへ行ったんだ?外回りか?それともクライアントと会っているのか?」明日香の声はさらに小さくなり、しばらく口ごもっていた。「早く言え!」翼が怒鳴ると、明日香は、ようやく正直に話し始めた。「杉本さんがインスタに写真を投稿していまして……ええと、南区に新しくできた、SNSで話題の遊園地にいるみたいです。『チケットが手に入った』って」その言葉に、翼はカッと頭に血が上った。事務所の誰もが、今抱えている大型案件のために残業続きで、目が回るほど忙しいというのに。自分のパラリーガルとして、並の弁護士よりも高い給料を受け取っていながら、勤務時間中に遊園地に行くなんて。「ふざけている!」翼の顔は、怒りでどす黒く染まっていた。日和には失望したが、それでも無意識のうちに彼女を擁護しようとしていた。日和は、お腹に子供がいるの
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