All Chapters of お騒がせ令嬢に転生した俺は、冷血宰相に求婚される ――心は男のままなのに、この人と恋に落ちてしまった: Chapter 11 - Chapter 20

33 Chapters

第11話 抱かれなかった夜のほうが、忘れられない②

「……どうして」  言葉が、出てしまった。 「……どうして、抱かないんですか」  ユリウスは、ゆっくりと息を吐く。  声は、低く、抑えたまま。 「……君を、俺の欲望で汚したくない。  一度……同じ過ちを、許したことがある」  俺の胸が、どくんと鳴る。 「過ち……?」  ユリウスは、視線を落とした。 「姉が……甘い言葉で騙されて、捨てられて……死んだ」  一瞬の沈黙。  彼の声が、かすかに震える。 「だから、君に……同じことを、させたくない」  俺は、息を詰める。 「……そうか」  俺は、握った手を、そっと強くした。  ユリウスは、わずかに目を細める。  夜は、まだ終わっていない。  でも、今、この瞬間だけは二人だけの時間だった。  俺は、目を閉じた。 (……少しずつ、この男の過去を、知っていきたい)  それは、俺の「俺」が、少しずつ、変わり始めている証だった。 ***  夜が、ゆっくりと深さを変えていった。  外はまだ暗い。  けれど、闇の質が、少しずつ軽くなっていくのがわかる。  ユリウスはもう立ち上がり、外套を整え直していた。  俺はベッドに腰掛けたまま、毛布を肩にかけている。  同じ部屋にいる。  それだけで、不思議と落ち着いていた。  さっきまで残っていた疼きは、もうほとんど感じない。  媚薬の熱は、完全に引いた。  代わりに残っているのは、静かな疲労と――確かな現実感。  しばらく、言葉はなかった。  ユリウスは書類に目を落とし、俺は窓の外を眺めていた。  それでも、互いの存在を、はっきりと感じている。  夜明け前の空が、ほんのわずかに白み始めたころ。  ユリウスが、静かに口を開いた。 「……送る」  それだけだった。  問いでも、確認でもない。  当然のことのように。  俺は小さく頷く。 「お願いします」  立ち上がると、少しだけ足が重い。  ユリウスは、自然に歩調を合わせてくれた。  玄関へ向かう廊下は、ひどく静かだ。  屋敷の中の気配が、すべて眠っているように感じられる。  外へ出ると、冷たい朝の空気が肌を撫でた。  それが、心地いい。  馬車に乗り込む直前、ユリウスが、ふと足を止めた。  ほんの一瞬だ。  でも、その沈黙に、意味を感じてしまう
last updateLast Updated : 2026-04-14
Read more

第12話 夜更けの訪問と、熱い視線

 数日後。  夜も深いのに、ノックが響いた。  コン、コン。  心臓が、跳ねた。 (……こんな時間に?)   扉が開き、ユリウスが入ってくる。  執務帰りの外套姿。疲れを隠しきれていない影。  なのに、視線だけは真っ直ぐ、俺を捉える。 「……遅くなった」  たったそれだけの言葉なのに、  胸の奥が、甘く締めつけられた。 (……ほっとしている) (……彼が来てくれたことに)  気づいた瞬間、背中がひやりとする。  ——ああ。  もう、自分の感情をごまかせなくなってきている。 「……あ」  ふと、自分の格好を思い出して、言い訳が先に出た。 「あの……こんな格好ですみません。  もう来られないかと思って……」  すでに簡素な室内着のままだ。  髪もまとめただけ。  ユリウスは一瞬だけ視線を止め、それから静かに言った。 「構わない」  それだけ告げてから、ほんの間を置く。 「……君の父上と、少し話していた。  遅くなったからどうしようかと思ったが、君の顔を見たかった」  彼の視線が俺を捉えた瞬間――  どくん。  胸が、甘く疼いた。  頰が熱くなり、息が浅くなる。 (……なんだこれ?) (まるで恋だ)  視線を逸らせない。  もっと見ていたい。 「……どうした」  ユリウスが近づき、俺のそばに立つ。  距離が近い。 「顔が赤い」  図星に言葉を失う。  だけど、そういう彼の耳朶も薄く赤い。 「……あなたこそ」  暖炉の火がぱちぱち鳴る中、俺たちはただ、互いの体温を感じて黙っていた。  やがて、ユリウスが視線を逸らす。  ふと、机の上の紙束に目を止めた。  先ほどまで、俺が書いていた令嬢達からの証言だった。  金額。日付。言葉の一致点。  矛盾点。  信頼度。  ユリウスは、しばらく何も言わずに読んでいた。  そして、短く一言。 「……うまいな」  俺は思わず顔を上げた。 「事実と感情を分けている。  証言の重複をまとめ、矛盾も明確だ。  これなら、そのまま証拠資料として使える」  淡々とした声。  でも、それは明確な「評価」だった。  胸の奥が、わずかに温かくなる。 (……誰も読まない議事録作成スキルが、こんなところで役に立つとは)  前世では、誰にも読
last updateLast Updated : 2026-04-15
Read more

第13話 眠れないほど優しいあなた

 ユリウスの前に、メイドは跪いていた。  暴れる様子はない。  むしろ、驚くほど静かだった。 「……言い訳は、ありません」  メイドの声はかすれていた。  顔を上げないまま、ぽつりと続ける。 「お嬢様に毒を盛ったことも……媚薬をハインリヒ様に渡したことも……事実です」  その言葉を、俺は黙って聞いていた。  ユリウスが淡々と問う。 「動機は」  メイドは、しばらく沈黙したあと、低く言った。 「……正直に申し上げますか」 「構わない」  その声は、冷静だった。  裁く者の声。  メイドは、わずかに肩を震わせた。 「……お嬢様が、嫌いでした」  空気が、ぴたりと止まる。  ユリウスの気配が、一瞬だけ強まったのが分かった。  でも、俺は動かなかった。  メイドは続ける。 「……妬ましかった。  家柄も、美しさも、部屋も、食事も……何もかも」  震える声。 「それなのに……お嬢様は、ずっと不幸そうで。  泣いてばかりで……満たされていなくて」  その声に、俺の胸が、微かに軋んだ。 「……だったら、私たちは何なんだろうって。  そう思って……」  そこで、ようやくメイドは顔を上げた。  涙で濡れた目が、真っ直ぐこちらを見た。 「壊れてくれればいいって……思ってしまったんです」  言い切りだった。  取り繕いのない、醜い感情。  それを聞いて、胸の奥が、ひどく静かになった。  怒りでも、憎しみでもなく、  ただ、鈍い痛みだけが残る。  俺は、しばらく言葉を探して――結局、言えなかった。  代わりに、静かに言った。 「……もう少し、考えさせてください」  ユリウスが、こちらを見た。 「結論は、今は出せません。  だから……今日は、ここまでに」  メイドが息を呑む。  ユリウスは、一瞬だけ迷うように俺を見つめたあと、頷いた。 「……分かった」  短い一言だったが、そこには明確な尊重があった。 *** (……考えても、答えは出ないままだ)  気づけば、まぶたが重くなっていた。  机に肘をつき、意識がふっと遠のしかけた、そのとき。 「……もう限界だな」  低い声が、すぐ近くで響いた。  はっと顔を上げると、ユリウスが立っていた。  いつの間にそこまで来ていたのか分からない距離。
last updateLast Updated : 2026-04-18
Read more

第14話 毒を盛ったメイドの家を訪ねたら、恋が始まってしまった

「……正直、驚いた」  馬車が動き出してから、しばらく沈黙が続いていた。  先に口を開いたのは、ユリウスだった。  低い声。 「君が、彼女の家を見たいと言い出すとは思っていなかった」  俺は視線を前に向けたまま、静かに答える。 「……彼女は、確かに私を殺そうとしました」  事実として口にすると、胸の奥が少しだけ痛む。 「けれど、それで裁くというのなら……。  私は、知りたいと思ったんです」  ユリウスが、わずかにこちらを見る気配がした。 「……何を、だ」 「……彼女が、どんな場所で生きていたのか。  何を背負って、どこまで追い詰められていたのか」  ほんの一瞬、馬車の揺れが大きくなる。  俺は、言葉を選びながら続けた。 「それを知らずに裁くと言うのは……。  私には、怖いと思った」  沈黙。  やがて、ユリウスが低く言った。 「……覚悟はあるのか」  問いは短いが、重い。 「貧民街の現実は。  君がこれまで見てきた世界とは、まるで違う」  少しだけ、声が低くなる。 「……見て、気持ちのいいものではない」  俺は、ゆっくりとうなずいた。 「……それでも。  だからこそ、見たいんです」  言い終えてから、自分でも少しだけ驚いた。  迷いながら話しているつもりだったのに、声は思ったよりも静かで、はっきりしていた。  ユリウスは、しばらく何も言わなかった。  ただ、前を見たまま、ぽつりと呟くように言う。 「……君は、本当に……」  言葉の続きを、飲み込んだようだった。  代わりに、ただ一言。 「……分かった」  それだけで、十分だった。 *** 「ここから先は、馬車では目立ちすぎる」  ユリウスはそう言って、御者に短く指示を出した。  馬車が止まる。  彼は外套の留め具を外し、裏返して羽織った。  高価な刺繍は内側に隠れ、色褪せた布地だけが表に出る。 「……宰相府の視察という名目だ」  俺にも、地味な外套を差し出してくる。  装飾のない、ただの布。  袖口も、少し擦り切れている。  装飾品を外し、髪も軽く結い直す。  馬車の窓に映った俺たちは――  貴族ではなかった。  ただの、身なりの整った役人にしか見えない。 「……これでいい」  ユリウスが小さく言った。  そ
last updateLast Updated : 2026-04-19
Read more

第15話 その私怨を、知りたいと思ってしまった

 ユリウスが、メイドの家の扉を軽く叩いた。  扉と言っても、板を打ち付けただけの粗末な戸だ。  中で足音がして、ためらうような間があった。  きぃ、と音を立てて扉が開く。  覗いたのは、小さな少女だった。  頬はこけ、髪は絡まり、それでも目だけが大きい。  少女は俺たちを見ると、ぴたりと動きを止めた。 「……だれ?」  かすれた声に、ユリウスは感情を乗せず答える。 「宰相府の視察です」  それだけだった。  言葉の意味は分からないはずなのに、その響きだけで少女の背がわずかに伸びる。  しばらく迷うようにこちらを見てから、小さくうなずいた。 「……入る?」  俺は静かにうなずいた。  部屋の中は暗かった。  昼のはずなのに、窓から差す光は布越しに濁っている。  奥で、女が咳き込んだ。  乾いた咳だった。  途中で息が切れ、空気を探すような音が続く。 「……母ちゃん……」  少女が小さく呼ぶ。  返事はない。  床の隅に木箱があった。  周囲は荒れているのに、そこだけが不自然なほど整っている。  少女は迷いなく蓋を開けた。  中には乾いたパン。  干し肉がひとかけ。  布に包まれた、小さな紙包み。  それを見ただけで分かった。  貧民街で、そう簡単に手に入るものじゃない。  少女は紙包みを指先で持ち上げた。 「……これ、のませると……夜、ちょっと静かになる」  ただ事実を言っているだけの声だった。  俺は喉の奥が痛むのを感じながら言う。 「……薬ですね」  少女はうなずいた。 「……あねちゃん、教会のひとに、いいお屋敷を紹介してもらって……。  すてきなお屋敷におつとめしてて……。  おうじさまが、くれたって」  そこで言葉が途切れた。  誇らしげでもなく、  ただ、そう聞かされていたことを、そのまま口にしただけだった。  ――おうじさま。  あのメイドが、あの男を本気で王子様だと思っていたとは思えない。  それでも妹には、そう言って聞かせるしかなかったのだろう。  そう悟った瞬間、胸の奥の怒りが音もなくほどけた。  残ったのは、逃げ場のない悲しさだけだった。  ユリウスも何も言わず、箱を見ていた。  その目が、やけに静かだった。  その沈黙の重さに、俺はそれ以上言葉を
last updateLast Updated : 2026-04-20
Read more

第16話 宰相殿下は、婚約者を守るために世界を敵に回す

「ハインリヒ・フォン・クラウス子爵の裁判が決まった」  そう言って、ユリウスは扉を閉めた。  数日ぶりに見る彼は、いつもの黒い礼装ではなく、私服だった。  銀のラインも控えめで、まるで執務を抜け出してきたばかりのような――珍しく、「人間らしい」姿。  俺の前に立ち、無駄な前置きもなく、静かに続ける。 「貴族院付属の特別法廷だ。公開形式で行う」 「……裁判、できるんですね。  よくあることなんですか?」 「ほとんどない」  即答だった。 「持参金制度自体は合法だ。  だが、複数人を同時並行。  さらに、君を含む複数人への薬物使用と暴行未遂、そして暴行既遂」  淡々とした声なのに、内容だけが重い。 「……うまくいきそうですか?」 「……抵抗はある」  短い言葉だったが、それだけで十分だった。 「だけど、君が集めてくれた証言がある。  君自身が証言すれば、おそらくは。  公開だから、君には辛いこともあるかもしれないが」 「大丈夫ですよ。  あいつを蹴落とすためなら、どんどん証言します」 「頼もしい。  最初は個人だが。  これを機に不平等が表に出れば、改革自体を進めやすくなる」  ふと、ユリウスの目が陰る。 「どうしました?」 「既得権益を守ろうとする力は、強い」  静かな声だった。  俺は、少しだけ首を傾げた。 「……例えば?」  ユリウスは、ほんの一瞬だけ考えるように視線を落とし、  それから、淡々と答えた。 「縁組を道具に、家を大きくしてきた貴族。  持参金を担保に、裏で資金を動かしてきた商人。  伝統を盾に、女性を従わせることで秩序を保ってきた宗教者」  言葉は静かだったのに、ひとつひとつが重い。 「そして……そうした構造に寄りかかって、安全な地位を守ってきた官僚たち」  俺は、思わず息を止めていた。 「……多すぎません?」 「だからこそ、厄介だ」  ユリウスは、静かに言った。 「誰か一人の悪意ではない。  誰かが命じているわけでもない。  ただ……それぞれが、自分の席を守ろうとしているだけだ」  その言葉が、妙に現実的で。  胸の奥が、ひやりと冷えた。 「みんな?」 「……そうではない。  君の家は、中立を保ってきた。  グラーフェン家が動けば、空気は変わる」
last updateLast Updated : 2026-04-21
Read more

第17話 裁判が終わったら、もう待たない

「それは、あなたのせいですわ」  くすっと笑って、彼の胸に顔を埋めた。 「そんな可愛らしいことをおっしゃるから」  ユリウスは、ほんの少しだけ力を緩めて、俺の顔を覗き込む。  銀の瞳が、こんなに近くで見ると、氷なんかじゃなくて、静かに燃える炎みたいだ。 「……君は、ずるい」 「それは、そっくりそのままお返しします」  俺は、目を細めて微笑んだ。  ユリウスは、ため息のように息を吐いて、俺の額に、そっと唇を寄せる。  触れるだけの、優しいキス。 「裁判が終わったら」  低く、囁くように。 「もう、待たない」  その言葉に、胸がどくんと鳴った。 「……恋愛は、なしと……約束したはずです」  自分でも驚くほど、声が小さくなった。  ユリウスは、俺の額に額を寄せたまま、わずかに息を止める。 「……破りたい」  間を置いて、静かに続けた。 「だめか?」  問いかけは、命令でも、脅しでもなかった。  ただ、ひどく正直な声だった。  俺は、すぐには答えられなかった。  心臓の音が、うるさい。  それでも、顔を上げる。 「……ずるいです」  かすれた声でそう言うと、ユリウスの唇が、ほんのわずかに緩んだ。 「今さらだろう」  低く、からかうような声だった。  俺は、思わず彼の胸に顔を押しつけた。 (……やばい) (この身体、ほんとに……) (いや、身体なのか?) (俺は……)  心臓が、うるさくて、頬が熱くて、でも、すごく、幸せだ。  頭がくらくらする。 「……裁判、絶対勝ちましょうね」  俺は、小さく呟いた。  ユリウスは、俺を抱き締めたまま、頷く。 「勝つ」  短く、確信に満ちた声。 「そして、その後……」  彼は、俺の耳元で、ゆっくりと続ける。 「……君を、俺のものにしたい」  その言葉が、胸の奥に甘く溶けていく。  俺は、ただ、彼の腕の中で、静かに目を閉じた。 (……どうしよう、こいつと?) (でも、彼ならと思ってる自分がいる)  部屋の中は、暖炉の火がぱちぱちと鳴るだけ。  外の世界の嵐が、どれだけ近づいてきても、今、この瞬間だけは。  二人だけの、静かで甘い時間だった。 ***  その夜の温もりが、嘘だったみたいに。  数日が経つころには、空気が、少しずつおかしくな
last updateLast Updated : 2026-04-22
Read more

第18話 裁きは、静かに下る

 その翌日、現れたのは――よりにもよって、この男だった。  ――ハインリヒ・フォン・クラウス。  午後の光が、応接室の床に長く差し込んでいた。  ユリウスと向かい合い、書類を眺めていたとき――  コン、と。  今度は、ノックとも呼べない、乱暴な音が扉を打った。  嫌な予感がした。 「……失礼します」  返事を待たずに、扉が開いた。  現れたのは、見たくなかった顔だった。  一瞬、誰も息をしなかった。  まだ正式な拘束には至っていない。  それでも本来なら、ここに立てる立場ではないはずの男が、まるで招かれた客のような顔で、そこに立っていた。 (こいつ、どういう神経してるんだ?) 「……これはこれは。  閣下もご一緒でしたか」  唇に貼り付いたような笑み。  あの、虫のように粘ついた視線。  変わっていない。  いや――どこか、前よりも「余裕」があった。 「どうやって、ここに入った」  ユリウスの声は、低く、冷たい。  ハインリヒは肩をすくめた。 「警備兵が、思いのほか物分かりが良くて。  金と、ほんの少しの忠告で……人は簡単に動くものですね」  胸の奥が、冷たくなる。  ユリウスが、ゆっくりと立ち上がった。 「……用件は何だ」 「ええ、簡単なことです」  ハインリヒは、楽しげに言った。  まるで、勝利宣言でもするかのように。 「そろそろ、諦めた方がよろしいのでは、と。  裁判など……無意味でしょう?」  その視線が、俺に向く。 「証言者は次々と口を閉ざしている。  裁判官も、決まらない。  皆、分かっているのですよ」  一歩、近づいてくる。 「……この国は、そういう仕組みだと」  俺は、何も言わなかった。  ただ、まっすぐに見返す。  ハインリヒは、口元を歪めた。 「味方は、想像以上に多い。  貴族も、商人も、聖職者も……」  ちらりと、今度はユリウスへ視線を向ける。 「――宰相閣下のご威光をもってしても、抗えない流れというものがある。  そうは、お思いになりませんか?」  得意げに、指を折る。 「あなた一人が騒いだところで、世界は変わらない。  むしろ――」  声が、ねっとりと低くなる。 「これ以上足掻けば、あなた自身が壊れますよ、リーゼロッテ嬢」  空気が、張
last updateLast Updated : 2026-04-23
Read more

第19話 罪を裁き、恋が動き出した日

 今日、俺は――あの男を裁く。  貴族院付属特別法廷は、息苦しいほどの静寂に包まれていた。  天井から吊るされたシャンデリアの光が、床に冷たい影を落としている。  傍聴席は満員だった。貴族、官僚、聖職者、そして――近頃になって急増した「市民」の姿。  ユリウスが強引に通した公開審理の結果だ。  法廷中央。  ハインリヒ・フォン・クラウスは、まだ薄い笑みを貼りつけていた。  だが、目は落ち着きなく揺れ、額の汗が照明を反射している。  傍聴席の後方。  俺――リーゼロッテ・フォン・グラーフェンは、静かに息を吐いた。  隣に立つユリウスは、いつも通り氷のように表情を崩さない。  ただ、法衣の袖口を握る指先だけが、わずかに白くなっていた。  裁判長の声が、低く厳かに響く。 「被告、ハインリヒ・フォン・クラウスに対する審理を開始する。起訴事実を読み上げよ」  書記官が淡々と読み上げる。  詐欺的婚姻の誘引。  金銭の不正取得。  薬物使用による暴行未遂。  名誉毀損。  そして―― 「組織的な女性搾取の疑い」  最後の文言に、ハインリヒの口角がわずかに引きつった。  弁護人が立ち上がる。 「被告は、すべての罪状を否認いたします。  これらは令嬢たちの主観的な受け止めに過ぎず、客観的証拠に乏しい。  証言者も欠席が相次ぎ、証拠能力には疑問が残ります」  傍聴席がざわついた。  ハインリヒはちらりとこちらを見て、薄く笑った。 (……まだ、余裕のつもりか)  俺は、ゆっくりと立ち上がった。 「裁判長。  原告側証人、リーゼロッテ・フォン・グラーフェン。証言を許可願います」  法廷が一瞬、静まり返る。  ハインリヒが、嘲るように目を細めた。 「……君が証言台に立つなんて、勇気があるね。  でも、もう遅いよ。誰も信じない」  俺は応えず、証言台に立った。 「私は、被害者です。  しかし、それだけではありません」  一呼吸おく。 「私は、証人です。  そして、今日ここで、事実を述べます」  ざわめきが広がる。 「ハインリヒ様は、私にこう言いました。  『君だけだ』と。  『僕が守る』と」  声は、意識して平坦に保った。 「同じ言葉を、他の令嬢たちにも用いていたことが、複数の証言から確認されてい
last updateLast Updated : 2026-04-24
Read more

第20話 拒めないキスと、まだ言えない秘密

 胸の奥が、静かに揺れた。  頰が熱くなり、視線を落とす。 「……ありがとう。ユリウス」  彼は控室の扉へ視線を移し、手を離そうとした。  その瞬間――  考える間もなく、俺の指が彼の指を掴んでいた。  強く、離したくないとばかりに。 「……すみません」  慌てて呟くのに、彼は動かなかった。  代わりに、ゆっくりと指を絡め返してくる。  ぴたりと重なる指先。  息が、近い。  ユリウスは俺を見つめたまま、静かに言った。 「リーゼロッテ」  名を呼ぶ声が、ひどく近い。 「これから先、どんな嵐が来ても……。  俺は君の傍にいる。  君を守り、君と共に戦い、君を愛する」  心臓が、うるさいほどに鳴る。  俺は目を閉じ、彼の胸にそっと額を預けた。  彼の腕が、腰を確かに引き寄せる。  冷たい回廊の中で、彼の体温だけが現実だった。  しばらくの沈黙のあと、ユリウスが低く言った。 「……最近、自分が信用できない」  視線が、静かにこちらを捉える。 「君の傍にいると、判断を誤りそうになる。  ……感情で、動いてしまいそうになる」  胸が、ひくりと鳴る。 「君が言った『恋愛はなし』という線は、守るべきだと思っていた。  ……だが」  わずかに、言葉が揺れた。 「正直に言えば、もう守れそうにない」  空気が、張り詰める。 「……なぜ、拒む?」  責める声ではない。  けれど、逃げ場のない問いだった。 「君は俺を避けてはいない。  それでも、恋愛だけは拒む」  短い沈黙のあと、低く。 「……理由を、知りたい」  俺は言葉を探して――見つからなかった。 「……だめ、なんです」  自分でも驚くほど、弱い声だった。 「今は……まだ。  うまく、言えなくて……」  視線を落とす。  胸の奥が、ひどくうるさい。 「……そのうち、話す。  ちゃんと……話すから」  ユリウスは、しばらく俺を見つめていた。  やがて、静かに息を吐く。 「……わかった」  低い声は、思ったよりずっと優しかった。  責められるかもしれないと身構えていた肩の力が、  それだけで少し抜ける。  次の瞬間、ユリウスの指先が、そっと俺の頬に触れた。  親指が、震える唇のすぐ下をかすめる。 「……嫌なら、止める」  
last updateLast Updated : 2026-04-25
Read more
PREV
1234
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status