花明かりー愛した人はヤクザだったーHana Akari — Blood & Blossom —의 모든 챕터: 챕터 11 - 챕터 20

26 챕터

第11話 再会の夜

 店を閉めたあとだった。 時計の針は、もう日付が変わる少し前を指している。 鏡子は最後のグラスを片付けると、小さく息を吐いた。 今日も終わった。 そう思った、その時。 入口のベルが鳴る。 閉店後のはずなのに。 鏡子は顔を上げた。 そして——固まる。 扉の向こうに立っていたのは、一人の男だった。 黒いコート。 歳を重ねても失われない威圧感。 静かなのに、空気を支配してしまう存在感。 九條司。 何十年も会わなかった男。 それなのに、一目で分かった。「……帰って」 鏡子は静かに言った。 司は動かない。 ただ、こちらを見ている。「久しぶりだな」 低い声。 昔と変わらない。 胸の奥が痛んだ。「帰ってと言ったの」「嫌だ」 即答だった。 鏡子は思わず目を閉じる。 昔からこうだった。 この男は。 人の話を聞かない。「今さら何の用?」 司はゆっくり店内へ入ってくる。 足音だけが静かに響く。「会いたかった」 その言葉に。 鏡子は笑った。 乾いた笑いだった。「三十年以上遅いわ」 司は何も言わない。 ただ、苦しそうに眉を寄せる。 その顔を見たくなくて、鏡子は視線を逸らした。「なぜ黙って消えた」 司の声が落ちる。 鏡子の手が止まった。「……今さら聞くの?」「今だから聞く」 静かな声。 でも、その奥に積み重なった年月が見える。 鏡子は苦笑した。「あなたがヤクザだったからよ」 沈黙。「あなたの世界は危険だった」「それでも」「違うの」 鏡子は遮った。 声が少し震える。「私は怖かったんじゃない」 司が顔を上げる。 鏡子はゆっくり彼を見る。「あなたを失うのが怖かったの」 店内が静まり返る。 時計の音だけが響く。「毎日、電話が鳴るたびに怯えた」「……」「今日死んだと聞かされるんじゃないかって」 司の拳がゆっくり握られる。 鏡子は続けた。「だから逃げた」 その言葉を口にするのに、三十年以上かかった。「あなたを愛していたから」 司は何も言えなかった。 ただ、立ち尽くしている。 鏡子は笑う。 泣きそうな笑顔だった。「これで満足?」「……満足なものか」 掠れた声。 司はゆっくり近づく。「だったらなぜ」 鏡子の胸が苦しくなる。「なぜ、他の男の子を産んだ
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第十二話 父と子

 九條組本部の最上階。 重厚な扉の向こうにある執務室は、夜になっても静まり返っていた。 檀は呼び出されていた。 父に。 九條司に。 窓の外には東京の夜景が広がっている。 それでも檀の胸は晴れなかった。 椿の泣きそうな顔が離れない。 もう来るな。 店を出ろ。 何度も傷つけた。 それなのに。 どうしても忘れられない。「座れ」 司の低い声が響く。 檀は無言で向かいに腰を下ろした。 親子だというのに、昔からこうだった。 優しい会話などない。 あるのは命令と沈黙だけ。「佐野椿のことだ」 檀の表情が固まる。 司は見逃さなかった。「やはりな」「……何が言いたい」 司はしばらく黙った。 それから静かに言う。「お前はあの娘が好きだな」 胸の奥を殴られたような気がした。 檀は目を逸らした。「関係ない」「関係ある」 即答だった。 司は葉巻に火をつける。 紫煙がゆっくり上がる。「なら聞く」 檀は父を睨んだ。「なぜ俺たちを遠ざける」 沈黙。 司は煙を吐く。「お前は何を知っている」 逆に問われた。「……何も」 それが本音だった。 檀自身、何も知らされていない。 ただ。 鏡子。 椿。 司。 何かがある。 それだけ。「だったら」 司が静かに言った。「今は何もするな」 またそれだ。 檀は苛立つ。「理由も言わずに従えと?」「そうだ」 低い声。 圧力。 組長の声だった。「父上」 檀は拳を握った。「俺は子供じゃない」「そうか」 司は笑った。 少しだけ。「なら一つだけ教えてやる」 空気が変わる。 檀は息を止めた。「椿は」 司の瞳が細くなる。「お前の妹ではない」 時間が止まった。 何を言われたのか。 一瞬理解できない。「……は?」 声が漏れる。 司は葉巻を灰皿に置いた。「聞こえなかったか」「今……なんて」 心臓が激しく鳴る。 耳の奥まで。 血が流れる音がする。「椿はお前の妹ではない」 はっきりと告げられた。 檀は動けない。 何年も。 いや。 椿を好きだと気づいてからずっと。 自分を縛っていた鎖。 それが今。 音を立てて崩れていく。「……嘘だ」 掠れた声。 司は首を振った。「嘘ではない」 檀の呼吸が乱れる。 だったら。
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第13話 会いたかった

 その夜。 檀は車を降りたまま、しばらく動けなかった。 目の前には「鏡の桜」。 暖かな灯りが窓から漏れている。 いつもなら入らない。 入れなかった。 椿を遠ざけるために。 自分を止めるために。 けれど今は違う。 ——お前の妹ではない。 父の言葉が頭の中で響く。 何度も。 何度も。 まるで呪いが解けるみたいに。 それなのに。 胸の苦しさは消えなかった。 むしろ増している。「……遅すぎるだろ」 自嘲気味に笑う。 傷つけた。 何度も。 泣かせた。 何度も。 今さら何を言うつもりなのか。 自分でも分からなかった。 それでも。 会いたかった。 カラン。 扉のベルが鳴る。 店内にいた椿が顔を上げた。 その瞬間。 息が止まる。「……檀さん」 小さな声。 檀は何も言えない。 言葉が出てこない。 椿も同じだった。 二人とも立ち尽くしている。 鏡子だけが静かに二人を見ていた。 そして何も言わず奥へ下がる。 店内には二人だけが残された。 沈黙。 ジャズだけが流れている。 先に口を開いたのは椿だった。「今日は……帰れって言わないんですね」 少しだけ笑っていた。 でもその笑顔は寂しい。 檀の胸が痛む。「言わない」 短く答える。「そうですか」 椿は視線を落とした。 指先が少し震えている。「……安心しました」 その一言に。 檀は言葉を失う。 自分は何度も傷つけた。 なのに。 彼女は安心したと言った。「椿」 名前を呼ぶ。 椿が顔を上げる。 その瞳を見た瞬間。 胸の奥が苦しくなった。 好きだ。 認めたくなくても。 ずっと前から。 初めて会った時から。「……ごめん」 掠れた声。 椿の目が大きくなる。「俺はお前を傷つけた」「……」「理由も言わずに遠ざけた」 言葉が止まらない。 今まで飲み込んできたものが溢れていく。「それでも」 檀は拳を握った。「お前を嫌いになったことは一度もない」 静かな店内。 時計の音だけが聞こえる。 椿は何も言わない。 ただ見つめている。「むしろ」 檀は苦笑した。「困るくらい好きだった」 その瞬間。 椿の瞳が揺れる。 涙が滲む。「……そんなこと」 震える声。「今さら言うんですか」 泣き笑いみたいな顔
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第14話 桜の下の真実

 店内には静かなジャズが流れていた。 けれど椿には何も聞こえなかった。 鏡子の表情が、いつもと違う。 優しい。 けれどどこか覚悟を決めた顔だった。「鏡子さん……?」 椿は不安そうに声をかけた。 檀も隣で黙っている。 鏡子は二人を見つめたあと、小さく息を吐いた。「長い間、言えなかったことがあるの」 その声は震えていた。 初めてだった。 鏡子がこんなに弱い顔を見せるのは。 鏡子はカウンターの下から一冊の古いアルバムを取り出した。 少し色褪せている。 椿の前にそっと置く。「見て」 アルバムを開く。 若い女性が写っていた。 二十代前半だろうか。 長い髪。 優しい笑顔。 そして—— 椿は息を呑んだ。「……私?」 違う。 違うはずなのに。 まるで鏡を見ているみたいだった。「違うわ」 鏡子が微笑む。 少し寂しそうに。「若い頃の私」 椿の手が震える。 何かがおかしい。 胸がざわつく。 初めて会った時から感じていた違和感。 似ている。 顔も。 目も。 笑い方も。 全部。「椿さん」 鏡子は静かに言った。「あなたは昔、お母さんの話をしたことがあったわね」 椿は頷く。 物心ついた頃には施設だった。 母の顔も知らない。 写真もない。 名前も知らない。「私はずっと探していたの」 鏡子の声が掠れる。「ずっと」 長い年月が滲んでいた。 椿の胸が苦しくなる。「鏡子さん……?」 鏡子は涙を堪えるように笑った。「ごめんなさい」 その一言で。 椿の心臓が大きく跳ねた。「私は——」 言葉が続かない。 何度も飲み込む。 何十年も抱えてきた言葉だった。「私はあなたを捨てた母親なの」 静寂。 時間が止まる。 椿の思考が追いつかない。 何を言われたのか分からない。「……え?」 やっと出た声だった。 鏡子は泣いていた。 初めて見る涙だった。「ごめんなさい」 もう一度。「ごめんなさい」 何度も。 何度も。 椿は立ち上がった。 頭が真っ白だった。 怒ればいいのか。 泣けばいいのか。 分からない。「なんで……」 声が震える。「なんで今なの」 鏡子は俯いた。「怖かったの」 小さな声。「嫌われるのが」 椿は息を呑む。「私は最低な母親よ」 鏡子は笑
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第15話 守れなかった約束

 店を閉めたあとだった。 椿は一人、カウンターに座っていた。 鏡子が母親だった。 その事実はまだ夢のようだった。 嬉しかった。 会いたかった人が目の前にいたのだから。 けれど同時に、胸の奥には消えない疑問も残っている。 なぜ手放したのか。 なぜ今まで会いに来なかったのか。 そして—— なぜ九條司と鏡子は、あんなに苦しそうな顔をするのか。「眠れないのね」 鏡子が温かい紅茶を持ってきた。 椿は小さく笑う。「少しだけ」「嘘ね」 鏡子も笑った。 その笑顔が母親らしくて、胸が少し温かくなる。 しばらく沈黙が続いた。 店内にはジャズだけが流れている。 やがて椿は口を開いた。「聞いてもいい?」 鏡子の手が止まる。「ええ」「お父さんは、どんな人だったの?」 鏡子は目を閉じた。 長い沈黙。 そしてゆっくりと首を振る。「優しい人だったわ」 それだけ言った。 けれど椿には分かった。 本当はもっと複雑なのだと。「亡くなったの?」「ええ」 静かな返事。「あなたが生まれる前に」 椿は俯いた。 そうだったのか。 だから施設へ。 だから鏡子は一人だった。「本当はね」 鏡子がぽつりと言う。「産むつもりはなかったの」 椿の肩が震える。 鏡子は泣きそうな顔で続けた。「でも心臓が動いていたの」 声が震える。「病院で見た時……あなたが生きていた」 椿は何も言えない。 鏡子も涙を拭う。「だから産んだ」「……」「でも育てる力がなかった」 静かな夜だった。 誰も悪くないのに。 誰も幸せになれなかった。「ごめんなさい」 また鏡子は謝った。 何度も。 何十年分も。 椿は首を振った。「謝らないで」 涙が落ちる。「私は今、生きてる」 鏡子が顔を上げる。「つらかったこともある」「……」「寂しかったこともある」「……」「でも」 椿は微笑んだ。 少しだけ。「会えたから」 鏡子の瞳から涙が溢れた。 その頃。 店の外では一台の黒い車が止まっていた。 檀だった。 車内から店を見つめている。 灯りの向こうに椿がいる。 会いたい。 今すぐ抱きしめたい。 だができない。 まだ言葉が足りない。 まだ償えていない。「若」 運転席の男が小さく言う。「帰りますか」 檀は首を
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第16話 父の後悔

 翌日の午後。 椿は一人で有楽町の公園を歩いていた。 頭の中が整理できない。 鏡子が母親だった。 施設で育った理由も知った。 嬉しい。 でも苦しい。 失った時間は戻らない。 それでも、今さら責める気にはなれなかった。「佐野椿さん」 低い声がした。 椿は振り返る。 そこには一人の男が立っていた。 九條司。 檀の父。 そして鏡子が愛した人。「少し話せるか」 穏やかな口調だった。 組長の威圧感はない。 ただ年を重ねた男がそこにいた。 近くのベンチに座る。 司は缶コーヒーを差し出した。 椿は小さく頭を下げる。「母から聞いた」 司が言う。 椿は黙って頷いた。「驚いただろう」「はい」 少しだけ笑う。 司も笑った。「鏡子らしい」 沈黙。 風が吹く。 桜の花びらが舞う。「私は」 司が口を開く。 少し遠くを見るように。「鏡子を幸せにできなかった」 椿は顔を上げた。「愛していた」 その言葉は重かった。「今でも愛している」 司は微笑む。 けれどその目は寂しかった。「若い頃の私は組しか見えていなかった」 失いたくなかった。 権力も。 仲間も。 居場所も。「その結果、一番大事な人を失った」 椿は何も言えない。「人はな」 司が言う。「失ってから気づく」 その声には実感があった。「だから檀には同じ後悔をしてほしくない」 椿の心臓が跳ねる。「檀さん……」 司は頷く。「馬鹿な息子だ」 どこか嬉しそうだった。「好きなくせに逃げる」 椿の頬が赤くなる。「だがあれは」 司が小さく笑う。「私に似た」 椿も思わず笑ってしまった。 確かに似ている。 不器用で。 言葉が足りなくて。 大事な人ほど遠ざける。「椿さん」 司の声が優しくなる。「私は父親ではない」 椿は頷く。「だが」 司は少し照れたように視線を逸らした。「もし困ったことがあったら頼りなさい」 椿の目が丸くなる。「鏡子の娘なら」 そこで司は笑った。「私にとっても家族みたいなものだ」 椿の胸が熱くなる。 家族。 その言葉を人生で何度夢見ただろう。 母ができた。 そして今。 もう一人。 手を差し伸べてくれる人がいる。 涙が出そうになった。「ありがとうございます」 司は照れくさそう
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第17話 春の約束

 夜の「鏡の桜」。 閉店の時間が近づいていた。 椿はグラスを磨きながら、何度も時計を見てしまう。 落ち着かない。 昼間、九條司と会ってから胸がざわついていた。 檀のことを考えるたび、心が揺れる。 カラン。 扉のベルが鳴った。 椿が顔を上げる。 そこに立っていたのは——檀だった。「……檀さん」 黒いコート姿。 相変わらず整った顔。 けれど今日は、どこか迷いのない目をしていた。「迎えに来た」 低い声。 椿の胸が跳ねる。「迎え……?」「話がある」 短い。 でもその声に逃げる気配はない。 椿は鏡子を見る。 鏡子はふっと笑った。「行ってきなさい」 母のような優しい顔。 椿は頷いた。 夜風が冷たい。 檀の車に乗り込む。 しばらく沈黙が続いた。 けれど不思議と苦しくない。 辿り着いたのは、有楽町の高台にある小さな公園だった。 夜桜が静かに揺れている。 街の灯りが遠くに見える。「綺麗……」 椿が呟く。 檀は隣に立った。「ここ、昔から来る」「考え事するとき?」 檀は少し笑った。「よく分かったな」 少しだけ空気が柔らかくなる。 でも。 檀はすぐに真剣な顔になった。「椿」 名前を呼ばれる。 その声だけで心臓が苦しくなる。「もう逃げない」 椿の瞳が揺れる。「兄妹かもしれないと思った」「……」「だから遠ざけた」「……」「でも違った」 檀は椿を見る。 まっすぐに。「違ったとしても」 低い声が震える。「お前を失うのが怖かった」 椿の呼吸が止まる。「好きだから」 その一言。 やっと聞けた。 ずっと欲しかった言葉。「俺はお前が好きだ」 はっきりと。 逃げずに。 檀は言った。 椿の目に涙が溢れる。「……ずるい」 泣き笑いだった。「そんなの」 涙が落ちる。「嬉しいに決まってる」 檀の表情が崩れる。 安心したように。 少しだけ笑った。「椿」 そっと手を伸ばす。 椿の頬に触れる。 温かい。「私も好き」 小さな声。 でも確かだった。 檀はゆっくり椿を抱き寄せる。 強く。 壊さないように。「もう泣かせない」 耳元で囁く。 その声は甘くて低い。 胸が震える。 夜桜が二人を包む。 長い遠回りだった。 けれど。 ようやく辿り着いた。
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第18話 初めての夜

 夜桜の下で抱きしめられたあと。 檀はゆっくり椿の肩を離した。 近い。 息が触れそうなくらい近い。 椿の頬が赤く染まっていた。 檀の指先が、そっとその髪を払う。「……泣きすぎだ」 低く甘い声。 椿はむっとする。「誰のせいですか」 檀が少し笑った。 その笑い方がずるい。「腹、減ってるか」 唐突だった。 椿は目を瞬く。「え?」「さっきから何も食ってないだろ」 椿のお腹が小さく鳴った。 檀が吹き出す。「……っ!」 恥ずかしくて顔が熱くなる。「笑わないでください!」「悪い」 全然悪い顔じゃない。 檀に連れられたのは、小さな和食屋だった。 深夜でも開いている、檀の馴染みらしい。 店主が檀を見るなり頭を下げる。「若、お久しぶりです」 椿はその言葉に少し驚く。 本当にこの人、ヤクザなんだ。 改めて思う。 個室に通される。 温かい出汁の匂い。 檀は椿の前に茶碗を置いた。「食え」 ぶっきらぼう。 でも優しい。「檀さんって」 椿が箸を持ちながら言う。「意外と世話焼きですよね」 檀が眉を上げる。「意外ってなんだ」「もっと冷たい人かと思ってました」「そう見せてた」 椿の手が止まる。「なんで?」 檀は少し目を伏せる。「好きだったから」 また。 そんな風に真っ直ぐ言う。 椿の心臓が持たない。「近づいたら、止まれなくなると思った」 檀の声は静かだった。「でも結局、止まれなかった」 椿は俯く。 胸がいっぱいだった。 食事を終えた帰り道。 檀の車の中。 静かな夜道を走る。 助手席で椿は窓の外を見ていた。 ふと、檀が口を開く。「椿」「はい?」「今夜、帰したくない」 息が止まる。 車が赤信号で止まる。 檀が真っ直ぐ前を見たまま言った。「無理にとは言わない」 低い声。「ただ、一緒にいたい」 椿の胸が熱くなる。 こんな檀、知らない。 怖いくらい真っ直ぐだ。「……少しだけ」 小さな声で答える。 檀の口元が少し緩んだ。 連れて行かれたのは高層マンションだった。 檀の部屋。 広くて静かで、男の匂いがする。 椿は緊張して立ち尽くす。「そんな固まるな」 檀が笑う。「襲わねぇよ」 その言葉に余計赤くなる。 ソファに並んで座る。 距離が近い。 テレビ
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第19話 あの日、手放した春

 閉店後の「鏡の桜」。 カウンターに向かい合う二人。 鏡子と司。 三十年ぶりに、ちゃんと向き合っていた。「しつこいわね」 鏡子が呆れたように言う。 司は煙草も吸わず、ただ静かに座っていた。「三十年逃げたお前に言われたくない」 鏡子が笑う。 昔と同じ言い方だった。 それだけで胸が痛い。「椿のこと」 司が低く言った。「なぜ黙っていた」 鏡子の手が止まる。 長い沈黙。「言えなかったのよ」 小さな声。「あなたに」 司は眉を寄せる。「なぜだ」 鏡子はゆっくり昔を思い出す。 若かった頃。 二十四歳。 銀座で働いていた。 客だった司と恋に落ちた。 危険だと分かっていた。 ヤクザの男。 堅気じゃない。 でも優しかった。 本気だった。 司も同じだった。 本気で鏡子を愛していた。 組を捨ててもいいと思うくらい。「でも」 鏡子が笑う。 泣きそうに。「あなたは組を継ぐ人だった」 抗争があった。 血が流れた。 司の父が倒れた。 組は崩れかけた。「私は分かったの」 鏡子が言う。「私といる限り、あなたは全部捨てるって」 司は黙っている。 否定できない。 あの頃、本当にそう思っていた。「だから逃げた」 司が拳を握る。「勝手に決めたのか」「ええ」 鏡子は頷いた。「あなたを生かすために」 司の目が揺れる。 怒りじゃない。 痛みだった。「その時には」 鏡子の声が震える。「もう椿がお腹にいた」 司の呼吸が止まる。「……何?」 鏡子は俯いた。 涙が落ちる。「言えなかった」 掠れた声。「言ったら、あなたは全部捨てる」 司が立ち上がる。 椅子が大きく鳴った。「ふざけるな……!」 初めて怒鳴った。 鏡子が震える。「俺の子だったのか」 鏡子は静かに首を振った。「違う」 司が止まる。「椿の父親は、あなたじゃない」 空気が止まる。「……」「あなたと出会う前の人」 鏡子が言う。「もう亡くなってた」 司は深く息を吐いた。 怒りも悲しみも混ざっている。「じゃあなぜ」 鏡子を見る。「俺に黙った」「愛してたからよ」 真っ直ぐだった。 逃げない目だった。「あなたに他人の子を背負わせたくなかった」 司の胸が締めつけられる。「馬鹿だな」 低く呟く。
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第20話 今度こそ

閉店後の「鏡の桜」。 カウンター越しに向き合う鏡子と司。 長い沈黙が落ちていた。 三十年。 遠すぎる時間だった。 若かった二人はもういない。 失ったものも多い。 けれど。 それでも今、ここにいる。 「鏡子」 司が静かに名前を呼ぶ。 その声だけで胸が震えた。 昔と変わらない。 低くて、不器用で、真っ直ぐな声。 「俺は」 司がゆっくり立ち上がる。 「三十年前、お前を守れなかった」 鏡子は黙って聞いていた。 「組を守ることばかり考えてた」 「……」 「お前が苦しんでることも知らなかった」 司の拳が震えていた。 「椿のことも」 苦しそうに笑う。 「知らなかった」 鏡子の目に涙が溜まる。 「でも」 司はまっすぐ鏡子を見た。 「今度こそ間違えない」 その言葉が重い。 三十年の後悔が詰まっていた。 「鏡子」 司はポケットから小さな箱を取り出した。 古びた指輪だった。 昔、渡せなかったもの。 ずっと持っていた。 鏡子が息を呑む。 「……まさか」 「ずっと持ってた」 司が笑う。 「渡す相手は、お前しかいなかった」 鏡子の視界が滲む。 「ばかね」 声が震える。 「本当にばか」 「知ってる」 司が一歩近づく。 「結婚してくれ」 鏡子の呼吸が止まる。 六十二歳。 人生の終わりを考え始める年齢で。 こんな言葉をもう一度聞くなんて思わなかった。 「私はもう若くない」 「知ってる」 「綺麗でもない」 「嘘つけ」 司が即答した。 鏡子が笑って泣く。 「今でも綺麗だ」 真っ直ぐだった。 昔よりずっと。 「……あなたって本当に」 鏡子は泣きながら笑った。 「ずるい」 司がそっと指輪を差し出す。 「返事は」 鏡子は少しだけ俯いた。 そして。 ゆっくり手を差し出した。 「……よろしくお願いします」 司の目が細くなる。 三十年越しの答えだった。 その瞬間。 店の扉が乱暴に開いた。 バンッ! 二人が振り向く。 黒服の男が飛び込んできた。 「若が!」 司の顔色が変わる。 「どうした」 「敵対してる
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