北条由理恵(ほうじょう ゆりえ)が病院で中絶手術の同意書にサインをしてくれる人を探していた時、中村潤(なかむら じゅん)は生理痛に苦しむ彼女の遠藤渚(えんどう なぎさ)をなだめている最中だった。いつも高慢な中村グループの御曹司が、片手に温かい飲み物、もう片手にはブランドバッグを提げ、プライドも何もかも捨て渚に尽くしている。由理恵は何人かに連絡したが誰も空いておらず、だからといって両親に頼むこともできないため、仕方なく潤に声をかけた。「悪いけど、ちょっとだけ手を止めて、先にサインしてくれない?」潤は苛立ちを隠そうともせず、眉をひそめた。「俺がいま忙しいの、見てわからないか?」「ほんの一瞬で終わるから」と由理恵は食い下がる。「どうあっても、私はあなたの婚約者なんだから、サインくらいしてくれてもいいでしょ?それに、こんなことが外に知れたら、あなたのご両親だっていい顔はしないはずじゃない?」潤は手を止め、振り返って由理恵を睨んだ。「どういう意味だ?俺を脅してるのか?」由理恵は媚びるように微笑んで紙とペンを差し出し、サインが必要な場所を手のひらで示す。「ここにお願い」「結局思い通りにさせようってか」と鼻で笑いながら、潤は荒くサインをした。ペンを放り投げると、頬を膨らませてみせる渚に向き直り、愛おしそうに頬を撫でる。「ほら、拗ねるなよ。やきもち焼くことないだろ。由理恵なんて形だけの存在だ。結婚しようがしまいが、お前を大事にするのは変わらないんだから」温かい飲み物を渚に飲ませ、ブランド物のバッグを手渡しながら囁く。「まずは先生に見てもらおう。体調はどうだ?痛いとこはないか?生理痛といっても、痛みが続くようであれば、心配だからな。診察が終わったら買い物に行こう。何でも欲しいものを買ってやるから、な?」「その言葉、忘れないでよ?時間がないなんて言ったら、許さないんだから」渚が涙を拭いて笑う。潤も優しい笑みを浮かべながら「約束は守るよ」と言った。人目もはばからないその甘ったるい距離感に、見ているだけで胸焼けしそうになる。目も鼻も、どこかにひびが入ったみたいにツンと痛み、何かが込み上げてくる。由理恵は唇をきつく噛みしめ、涙がこぼれないよう必死にこらえた。中絶手術の同意書をぎゅっと握り締め、産婦人科の手術室へと戻ろうと背を向ける。
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