《生まれ変わった私、夫の心に永遠に刻まれる存在となる》全部章節:第 1 章 - 第 10 章

10 章節

第1話

夫の新井要(あらい かなめ)の子供を妊娠したと分かったその日、彼は外で囲っていた浮気相手と別れた。子供のためにと、彼は自ら家庭に戻ることを提案した。平穏で静かな結婚生活の日々、私はそれで十分に満足し、このまま一生を終えるのも悪くないと思っていた。しかし、ある日、彼の浮気相手が事故で亡くなった。要は彼女の日記から、当時彼女が私の妊娠を知って、深く傷つき、身を引いたのだという事実を知った。そして、その日記に挟まれていた私のエコー写真のコピーを、彼も見てしまったのだ。要は私が手段を選ばず彼女を追い出したのだと決めつけ、私を深く恨んだ。無理やり離婚を突きつけられ、慰謝料も財産分与もなしに家を追い出され、子供に会うことすら許されなかった。そればかりか、あらゆる手段で私を社会的に追い詰め、生きる道すら奪おうとした。死ぬ間際、彼が私に残した最後の言葉はこうだった。「お前のその薄汚い愛と一緒に、地獄へ落ちろ」再び目を開けると、私は病院の廊下に立っていた。手にあるエコー写真を迷わずビリビリに破り捨てた。傍らにいた親友の藤堂美優(とうどう みゆ)が私の動きを見て、勢いよく立ち上がった。「凛(りん)、何してるの?」私は引き裂いた紙くずをゴミ箱に捨て、込み上げてくる感情を必死に抑え込んだ。「妊娠のことは内緒にして。絶対に要には知られないように」「どうして?せっかくのおめでたいことなのに……」「おめでたくなんてない」私は彼女の言葉を遮った。「子供をダシにして、とっくに破綻した結婚生活を繋ぎ止めるなんて、惨めすぎる」美優はハッとして、信じられないという顔をした。「やっと、吹っ切れたのね?」彼女が驚くのも無理はない。要の浮気が発覚した当初から、彼女は「早く見切りをつけるべきだ」と忠告してくれていた。それなのに、私は意地を張って過去の甘い思い出にしがみつき、手を離せなかった。恋は盲目というけれど、愚かな執着ほど人を狂わせるものはない。私は自嘲気味に口角を上げ、淡々と答えた。「ええ、吹っ切れたわ」前世の結末がどれほど悲惨だったか、私が誰よりもよく分かっている。同じ過ちは絶対に犯さない。家に帰り、ソファでしばらくぼんやりとしていた。すっかり日が落ちた頃、外から車のエンジン音が聞こえてきた。要が帰
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第2話

少し間を置いて、要は続けた。「どうしたんだ、また美優に何か吹き込まれたのか?」彼は、自分が浮気をしていること自体に問題があるとは、微塵も思っていないのだ。突然の離婚話の理由すら聞いてこない。ただの拗ねだと決めつけて、過去に何度もあったように、少し機嫌をとれば収まるだろうと思っているのだ。私は無表情で彼を見つめた。「誰とも関係ないわ。私自身が離婚したいの。時間がある時に役所へ離婚届を出しに行きましょう。あなたの日程に合わせるから」彼の顎のラインが、一瞬こわばった。長年連れ添ったからこそ、彼の些細な表情の変化すら、私には手に取るように分かった。だからこそ、彼が今、怒りの限界に達しつつあることも理解できた。私は伏し目がちになり、無意識に指を丸め、爪を手のひらに食い込ませた。前世のあの悲惨な末路が、再び目の前に浮かび上がるようだった。今、彼と関わる時間が長くなればなるほど、それは私にとって耐えがたい苦痛となっていく。「俺は同意しない」その一言だけを投げ捨てて、要はキャビネットに置いてあった上着を手に取り、玄関へと向かった。ドアが静かに閉まると、リビングは再び元の静けさに戻った。壁掛け時計の刻む秒針の音だけが、心臓を叩くように響いている。ここまで関係が破綻しているのに、彼がなぜ離婚に同意しないのか、私には理解できなかった。立ち尽くしたせいで足が痺れてようやく、寝室へ向かった。子供部屋の前を通りかかったとき、私はふと足を止めた。この部屋は、要と結婚する前に二人で一緒に飾り付けた部屋だった。「将来子供ができたら、俺たちが大学時代からずっと愛し合ってきたことを教えてやろうな」と、彼はかつて笑って言っていた。私はそっとお腹に手を当てた。そこには、新生活の希望を宿した、小さな命が芽生え始めたばかりだ。しかしこの部屋を、その子が使う日はきっと来ないだろう。深呼吸をしてから、私は子供部屋のドアを押し開けた。壁には私たちの大学4年間の写真が飾られている。初々しいキャンパスでの手繋ぎ写真から、卒業式のハグ、そして結婚式の甘い瞬間まで。一つ一つに、かつての温もりが閉じ込められていた。私の視線は、一番下の一枚の写真で止まった。それは大学の卒業式の日に撮ったものだ。人で溢れる講堂で、ア
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第3話

私は彼女の言葉を遮り、冷静な声で告げた。「警察の電話番号、教えてあげましょうか?」受話器の向こうが、一瞬で静まり返った。絢香は明らかに私の反応を予想していなかったようで、数秒ほど呆然とした後、信じられないといった様子で声を絞り出した。「今、なんて言ったの?人の心がないの?要があんな状態で、よくそんなことが言えるわね!」私はこれ以上彼女と無駄話を続ける気になれず、画面をスワイプして直接通話を切った。ベッドのヘッドボードに寄りかかると、前世の光景がありありと脳裏に浮かんだ。あの時も同じような朝に、絢香から同じ電話がかかってきたのだ。当時の私はひどく焦り、上着を羽織って彼女の家の前まで急行し、高熱で意識を失っている要を病院へ運んだ。だが、目を覚ました彼が私を見て浮かべたのは、感謝ではなく、底知れない嫌悪の表情だった。彼は私を突き飛ばすと、「絢香を待っているのに、邪魔をするな!」と怒鳴り散らした。その時の強い突き飛ばしで、私は床に激しく叩きつけられ、下腹部に激痛が走り、授かったばかりの子供をあやうく失うところだった。あの頃の私は、傷だらけの心を抱えながら、それでもまだ彼が振り向いてくれることを愚かにも期待していた。今思えば、本当に滑稽で哀れだ。それからの2週間、要からの連絡は完全に途絶えた。私は静かな日々を送り、弁護士の浩と離婚の書類整理を進めながら、自分の荷物をまとめていた。この結婚生活を完全に終わらせる日を待つだけだ。2週間後の夕暮れ時、ドアの鍵が回る音がして、要がようやく帰ってきた。彼の顔色はまだ青白く、病み上がりのやつれた様子があった。彼は私の前まで早足で歩いてきて、怒りを押し殺したような声を出した。「凛、お前はなんて冷酷な女なんだ!俺が絢香のマンションの下で倒れていたのを、知っていて見殺しにしようとしたな。彼女が病院へ運んで、2週間も付きっきりで看病してくれなかったら、俺の命はなかったんだぞ!妻でありながら、よくそんな態度が取れるな!」彼のその堂々とした態度は、あまりにも馬鹿げている。私は彼を見上げて問い返した。「私があなたの妻だってこと、まだ覚えてたの?他の女の機嫌を取るために、その女の家の前で徹夜して高熱で倒れたくせに、私を冷酷だと責めるの?」彼は私の言葉に詰まった。
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第4話

私は自嘲的な、冷え切った笑みを浮かべた。「人は変わるものよ。一生私を愛すると誓ったあなただって、変わったじゃない?」言い終えると、彼から視線を外し、寝室へ向かって自分の服をまとめ始めた。わずか30分ほどで、二つのスーツケースにすべての荷物を詰め終えた。私はスーツケースを引きずって外へ出ると、通りかかったタクシーを拾った。後部座席に座り、ゆっくりと車が走り出すと、私はバックミラーを覗き込んだ。要はまだ家の前に立っていた。夜風が彼の下ろした前髪を揺らし、その表情を隠している。彼はただそこに立ち尽くし、今まで私が見たこともないような呆然とした顔をしていた。……澄波ヶ丘で新生活を始めたことを美優に伝えると、すぐさま彼女から電話がかかってきた。「凛!本当に家を出たの?要は本当に離婚届と離婚協議書にサインしたの!?」彼女の声には、受話器から溢れ出んばかりの興奮が混じっていた。私はソファに寄りかかり、澄み切った空を見上げながら「ええ」と答えた。美優は途端に声を張り上げた。「やったー!どれだけこの時を待ってたか分かる!?今すぐにでもお祝いのパーティーを開きたい気分よ!」彼女の賑やかな声を聞いていると、胸の中に澱のように溜まっていた重苦しさが、一気に消え去っていった。思わず吹き出しながら、私は彼女を誘った。「大袈裟ね、今夜一緒に食事でもどう?大事な話があるの」夕方、予約制のプライベートレストランにて。美優は席に着くなり、心配そうに私の顔を覗き込んできた。「一体何があったの?要に何か嫌がらせでもされた?」私はグラスの水を一口飲み、ゆっくりと口を開いた。「離婚届のサインはもらったから、あとのことはすべて弁護士に任せてあるわ」美優はホッと息をついたが、何かを思い出したように私のお腹を見て言った。「じゃあ……これからはどうするつもり?」私はそっとお腹に手を当て、穏やかな声で答えた。「この子は私が産んで、一人で育てるわ」美優はハッとした。「本当に一人で育てるつもりなの?」「ええ」私は頷いた。「この子は私の子。要とは何の関係もない」美優はため息をつき、私の手を握りしめた。「安心して、私がいるから。あなたがどんな決断をしても、私はあなたの味方よ。子育ても生活も、二人で一緒に乗り越えていき
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第5話

私は検査結果を強く握りしめ、ゆっくりと振り返った。要が目の前に立っていた。彼の視線は私の少し膨らんだお腹に釘付けになり、信じられないというように問うた。「妊娠してるのか?」彼にバレてしまった以上、もう隠す必要はない。私は堂々と認めた。「ええ、妊娠しているわ」彼が呆然としている隙に、ちょうど美優が戻ってきた。要の姿を見るなり、美優は素早く私の前に立ちはだかり、鋭い眼差しで彼を睨みつけた。「要、近づかないで!凛は今妊娠中で、あんたの相手をしてる暇なんてないのよ」要は美優を完全に無視し、視線を私に注ぎ続けた。彼が手を伸ばして私に触れようとしたが、私は冷ややかにその手をかわした。「この子は俺たちの子だろ?どうして俺に言わなかったんだ?」私は美優に視線を送った。美優はすぐに意図を察し、バッグから離婚協議書のコピーを取り出し、要の目の前に叩きつけた。「要、よく見なさい!あんたと凛はとっくに離婚してるのよ。この離婚協議書にはあんたもサイン済みで、法的に有効。弁護士の手続きだってとっくに終わってるわ!」要はその書類に目を落とした。最初のページにある「離婚協議書」という大きな文字を見て、彼はひどく動揺していた。彼は震える指で最後のページをめくり、そこにある見覚えのある力強いサインを見た。間違いなく自分の筆跡だ。彼は勢いよく顔を上げ、血の気が引いた顔で、声を震わせながら言った。「いつサインした?俺はこんなこと、全く知らない……」「知らなくて当然よ」私は淡々と言った。「私が会社の書類の中に離婚届と離婚協議書を挟んでおいたの。あなたは内容を見もせずにサインしたわ」彼はあの日の状況を思い出したのか、体がふらつき、しばらく言葉を発せられなかった。おそらく彼にとって、私が離婚を切り出したのはただの意地張りに過ぎなかったのだろう。澄波ヶ丘に引っ越したのだって、ただの当てつけで、そのうち自分のもとへ戻ってくると思っていたのだ。まさか、私が本当にすべてを断ち切る覚悟で、離婚を成立させていたとは夢にも思わなかったのだ。「わざとやったんだな……」彼は私を睨みつけた。その目には怒りとパニック、そして隠しきれない動揺が渦巻いていた。「凛、最初から計画してたんだろ?妊娠を隠して、コソコソサインさせて……一体、何をする
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第6話

「凛、俺が悪かった。あの日は頭が混乱してて、ちゃんと書類も読まずにサインしてしまった。離婚は無効にして、やり直そう。な?」彼は私の後ろをついて回り、私が花材を整理するのを見つめながら、恐る恐る言った。「もう一度チャンスをくれ。お前と子供をしっかり守るから」私は手を止めることなく、バラの茎のトゲを淡々と切り落とし続けた。「あなたが直接サインしたもので、法的にも有効よ。無効なんてありえないわ。これ以上無駄な労力は使わないで。私たちの関係は、もう完全に終わっているの」「終わってなんかいない!」彼は突然声を荒らげ、すぐに声を潜めて悔しそうに言った。「これは俺の子供だぞ!父親の俺を、関わらせないなんてできるわけがないだろう!」私が冷ややかな視線を送り、「あなたが子供の父親にふさわしいとでも?」と言った。その一言で彼は言葉に詰まった。かつての私なら、彼が少し頭を下げるだけで自分を殺してまで復縁を願ったかもしれない。でも、二度の人生で受けた傷のせいで、彼への愛情が根こそぎ消え去ってしまったことを彼は知らないのだ。絢香は、要が毎日私に会いに来ていると知り、完全に狂った。彼女は店に怒鳴り込み、私を「泥棒猫」と罵り、私が妊娠を盾に要を繋ぎ止めようとしているのだと、泣き叫びながら大騒ぎした。通りすがりの人々が足を止め、好奇の目で私たちに冷ややかな視線を浴びせた。美優は怒り狂って彼女に言い返そうとしたが、私はそれを手で制した。冷静にスマホを取り出し、録音アプリを起動させて絢香を冷たく見つめた。「続けなさいよ。あなたが私を中傷する言葉を録音して、警察に持っていくわ。要の会社の同僚にも送って、略奪愛のあなたがどんな見苦しい姿をしているか、皆に見せてあげる」絢香の表情が一瞬で青ざめた。泣き声がぴたりと止まり、その目は狼狽に満ちていた。要が何よりも会社の評判を気にしていることを、彼女は知っていた。この件が会社に知れ渡れば、要は二度と彼女を相手にしなくなるだろう。彼女は私を強く睨みつけ、捨て台詞を吐いて逃げるように立ち去った。要が駆けつけた時、ちょうど絢香の立ち去る後ろ姿が見えた。「要、自分の女をちゃんと大人しくさせておきなさい。二度と私に迷惑をかけないで。次は本当に容赦しないわ」彼は必死に言い訳をしようとしたが、私はドアを
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第7話

彼の声はかすれていた。「俺は変わる。これからはお前と子供のことだけを考える。二度と過ちは犯さない」「結構よ」私は片付けを終え、帰る準備をした。「帰りなさい。もう二度と来ないで」私は彼を避け、美優の車に乗り込み、彼の視界から完全に姿を消した。それでも要は諦めず、毎日店に通ってきた。時には花材を運ぶのを手伝い、時には黙って掃除をした。お客様の邪魔をすることはなく、ただ私と一言でも言葉を交わせることを願っていた。私は終始彼を無視した。彼が何をしようと目もくれず、時間が経つにつれ、彼もどうすることもできなくなった。だが、そんな彼に大きな災厄が静かに忍び寄っていることなど、知る由もなかった。その日は週末で、私と美優はベビー服を買いに出かけていた。その時、スマホに「郊外のバイパスで交通事故、男女2人が重傷。男女間のトラブルが原因か」という、生々しいローカルニュースの速報が飛び込んできた。ニュースに添付されていた事故車両の写真を見て、私はそれが要の車であることにすぐに気づいた。美優もそれに気づき、一瞬呆然とした後、鼻で笑った。「因果応報ね。浮気相手と出かけて事故に遭うなんて、自業自得だわ」私の心には何の波風も立たなかった。詳細を読むことすらしなかった。彼が生きようが死のうが、私には関係のないことだ。夕方になり、弁護士から突然連絡が入った。要の家族から連絡があり、要が私に話したいことがあるから病院に来てくれないかと言っているらしい。私はきっぱりと断り、弁護士もそれ以上は何も言わなかった。その後、美優が友人から事情を仕入れてきて、胸がすくような口調で教えてくれた。「凛、聞いた?二人とも事故でかなりの重傷だって。その女は足の骨を折って後遺症が残るし、要はもっと悲惨よ。医師の診断で、もう二度と子供を作れない体になったんだって」私の手が一瞬止まったが、心には微塵の同情も湧かず、ただ見えざる因果応報だと感じただけだった。前世で彼は絢香のために私の人生を台無しにし、子供に会うことすら許さなかった。今世で、彼は父親になる権利を完全に失ったのだ。要は丸1ヶ月間病院のベッドに横たわっており、絢香も同じ病院で療養していた。事故を境に、絢香は人が変わったように毎日要を責め立て、運転不注意で自分を障害者にし、人生を台無
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第8話

私はその惨めな姿を見下ろし、ただ滑稽で哀れだとしか思えなかった。「要、遅すぎるわ」私はソファに座り、お腹を優しく撫でた。「かつて絢香のために私を冷酷に見捨て、私の妊娠中も彼女を繋ぎ止めることしか考えていなかった。離婚を告げた時も鼻で笑っていたあなたが、子供を作れない体になった途端にこの子を求めるなんて、あまりに虫が良すぎると思わない?」「俺が自分勝手なクソ野郎だってことは分かってる!」彼はドンッと私の前に土下座し、涙をせき止めることなく流した。彼が泣く姿を見たのは、これが初めてだった。あまりにもみすぼらしく、卑屈な泣き顔だった。「復縁してくれとは言わない。ただ、子供に会わせてほしいだけなんだ。子供が生まれたら、少しでも父親としての責任を果たさせてくれ。お前の言うことは何でも聞く。絶対にお前の生活の邪魔はしない。お願いだ」美優がそばに立ち、冷ややかに言い放った。「今更土下座?遅すぎるのよ。凛が妊娠して辛い思いをしている時、あんたは浮気相手とイチャイチャしてたじゃない。子供が作れなくなってから子供を奪いに来るなんて、そんな虫のいい話があるわけないでしょ。とっとと立ちなさい、みっともないから」彼は地面にひざまずいたまま立ち上がろうとせず、何度も何度も頭を下げた。「凛、本当に悪かった。俺を哀れだと思って、一度だけ許してくれ。俺はもう一生子供を持てない。お腹の子が俺の唯一の子どもなんだ……」私は静かに立ち上がった。「これは、誰を哀れむかといった問題じゃないわ。この子は、最初からあなたとは何の関係もない。あなたの子供として認めさせるつもりはない。立ちなさい。そして二度と来ないで。これ以上来るなら、警察にストーカーとして通報するわよ」そう言い残して、私は奥の部屋に入り、二度と彼を見なかった。それ以来、要は相変わらず諦めきれず、毎日店の前にやってきた。だか、もう無理に近づくことはなく、ただ遠くから私と、そして徐々に膨らんでいく私のお腹を、深い後悔の念に満ちた瞳で見つめ続けた。彼は黙って店の前に朝食を置き、雨の日は店先の花材を軒下に運び、私が妊婦健診に行く時はこっそり後ろからついてきた。近づく勇気もなく、ただ遠くから見守り、私が事故に遭わないか心配しているだけだった。絢香は退院後、要が毎日私に会いに来ていると
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第9話

妊娠期間は穏やかで充実していた。美優がずっと付き添ってくれ、妊婦健診にも、ベビー部屋の準備や服、おもちゃの買い出しにも一緒に行ってくれた。私たちは子供が生まれた後の生活を夢見ながら、平凡だが幸せに満ちた日々を過ごした。時折、遠くに要が立っているのを見かけた。私と美優が楽しそうに笑い合い、私が大切にされている様子を見つめる彼の目には羨望と、深い自責の念が宿っていた。自分が手にするはずだった幸せを、自らの手で壊してしまったことを、彼はようやく理解したのだろう。出産予定日通りに、美優の付き添いで病院に入院した。彼女は一時も離れずにいてくれた。出産はとても順調で、数時間後には健康な男の子を産んだ。泣き声が大きく、顔立ちは私によく似ていた。看護師が赤ちゃんを私のそばに寝かせてくれた。柔らかくて小さな赤ちゃんが、私の胸に寄り添う。私の心は優しさと感動で満たされた。名前は日向凪(ひゅうが なぎ)と名付けた。私の旧姓である「日向」を継がせ、その名の通り、波風の立たない「凪」のように一生平穏で、憂いなく過ごしてほしいという願いを込めた。私は子供が生まれたことを誰にも知らせなかった。要にも、もちろん。ただ静かに子供に寄り添い、この優しく穏やかな時間を過ごしたかった。しかし、要はどこからか聞きつけ、狂ったように病院へ駆けつけてきた。病室に入る勇気もなく、ただ廊下のガラス越しに私が抱く凪を見つめ、静かに涙を流し続けていた。彼は昼から夜まで、飲まず食わずで、その視線はずっと子供に釘付けだった。それは彼の人生で唯一の子供だというのに、一度抱く資格すらないのだ。看護師が帰るように促しても、彼は動かなかった。病室の外で、まるで過ちを犯した子供のように、心に満ちる後悔を抱えたまま立ち尽くしていた。退院の日も、彼は病院の前に立っていた。私が凪を抱いて車に乗り込む姿を、近づくこともできずにただ見送るししかかった。去りゆく車を目で追いながら、彼はいつまでも立ち尽くしていた。それが彼にとって最後の一線であり、私と子供への遅すぎた償いだった。産後、美優がプロのベビーシッターを雇ってくれ、私と凪の世話をしてくれた。彼女も毎日顔を出し、店の面白い話を教えてくれたり、凪をあやしたりしてくれた。凪はとてもいい子で、飲んでは寝て、寝ては飲み、白くて丸々
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第10話

私はスマホを置き、軽く息を吐き出した。これが彼の報いだ。結婚を裏切り、私を傷つけた代償だ。あっという間に凪は1歳になり、よちよち歩きができ、甘い声で「ママ」と呼べるようになった。私は凪を連れて公園に日向ぼっこに出かけた。凪はシャボン玉のスティックを握りしめ、シャボン玉を追いかけて走り回り、その笑い声は澄んで心地よかった。私はベンチに腰掛け、彼の元気な後ろ姿を見守りながら、温かい微笑みを浮かべていた。少し離れた大きな木の下に、要が立っていた。シンプルなカジュアル服を着て、その姿はひどく寂しげだった。凪を見る彼の目には、優しさと名残惜しさが満ちており、それは彼の骨の髄まで刻まれた未練だった。私はうたた寝を装い、彼が凪をそっと抱き上げ、壊れ物を扱うかのように優しくその額に口づけをした様子を、ただ見て見ぬふりをした。私は彼と違って、そこまで冷酷にはなれない。でも、私にできるのはこれだけだ。凪が戻ってきた時、その小さなポケットの中に、一枚の折り畳まれた手紙が入っていた。私はゆっくりとその手紙を広げた。その内容に、思わず手が力んだ。【凛へ:よく考えるんだ。どうしてお前は突然変わってしまったのか。いつから変わってしまったのかと。そして思い出した。お前の変化は、あの結婚記念日から始まったんだと。最初は、何が起きたのか理解できなかった。でも凪が生まれてから、俺は頻繁に悪夢を見るようになった。夢の中で、俺はお前を傷つける数々のひどいことをしていた。浮気なんかよりもずっと、残酷なことを。俺はお前の変化を理解し、なぜお前が俺を見限ったのかを悟った。もちろん、分からないこともある。なぜ自分が、あんなふうになってしまったのかが分からない。俺は近づくことすら叶わぬ夢となり、ましてやお前に許しを請う資格もない。神様が俺に前世を思い出させたのは、前世の記憶を抱えたまま、夜な夜な後悔に苛まれ続けろということなのだろう。この一生、俺はお前の視界に入らない場所に立ち、果てしない後悔を守り続けるしかない。お前を愛しているのに手に入れることはできず、想っているのに近づくことはできない】手紙は短く、その文字は彼の涙の跡で滲んでいた。しかし、私は遅れてきた謝罪を受け取ったというだけで、彼を許すつもりは毛頭なかっ
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