All Chapters of 乙女ゲームのモブ捜査官は稚拙なシナリオを許さない〜ヒロインの自作自演を暴いたら悪役令嬢が押しかけ助手になりました: Chapter 1 - Chapter 10

31 Chapters

1:(おいおい、なんだあの三文芝居は)

王立学園の卒業記念夜会。 天井から吊るされた巨大な魔石のシャンデリアが眩い光を放ち、色とりどりのドレスや豪奢な燕尾服に身を包んだ貴族たちを照らし出している。 王都でも限られた特権階級の者たちだけが集うその絢爛豪華な大広間の隅で、王都警視庁強行犯係の末端捜査官であるレオンは、死んだ魚のような目をしながら大理石の壁に寄りかかっていた。 (あー、帰りたい。ひたすらに帰りたい。王都駅前の限定激甘マカロンの賞味期限が切れてしまう……) 黒の地味な制服に身を包んだレオンは、華やかな貴族たちの談笑をBGMにしながら、内心で盛大にぼやいていた。 彼には前世の記憶がある。 かつての日本では、若くして名を馳せた天才犯罪心理学者だった。 それがどういう因果か、気がつけば剣と魔法が存在するファンタジー世界に転生していたのだ。 しかも、生前妹が狂ったようにプレイしていた乙女ゲームの世界に、である。 (魔法があろうが貴族がいようが、人間の嘘や犯罪の構造なんてものは前世と何も変わらないんだよな) そんな達観した思考回路を持つレオンは、ゲームの主要キャラクターたちと関わる気など毛頭なく、日々の糖分補給だけを生きがいに、目立たないモブ捜査官としての平穏な日々を送っていた。 だが、その平穏は唐突に破られる。 「きゃあああああああっ!」 広間を見下ろす大階段のほうから、華やかな空気を切り裂くような少女の悲鳴が響き渡った。 (なんだなんだ、事件か?) レオンが気怠げに視線を向けると、そこには乙女ゲームにおける見慣れたテンプレの光景が広がっていた。 大階段の下で、可憐なピンク色のドレスを着た少女がうずくまって泣いている。 このゲームの主人公であるマリアだ。 そして、階段の上には、燃えるような赤いドレスを身に纏った公爵令嬢セシリアが、表情を崩さずに立ち尽くしていた。 「マリア! 大丈夫か!」 群衆を掻き分けて駆け寄ってきたのは、王国の第一王子であり、マリアの熱烈な信奉者となっている王太子アルベルトだ。 アルベルトはマリアを抱き起こすと、階段の上にいるセシリアを憎悪に満ちた目で睨みつけた。 「セシリア! お前という女は、どこまで邪悪なのだ!」 アルベルトの怒声が広間に響き渡り、オーケストラの音楽がピタリと止む。 周囲
Read more

2: 「適当に座る場所すらありませんわ!!」

王立学園を後にした二人の頭上には、冷たい夜風と共に満天の星空が広がっていた。 華やかな夜会の喧騒は遠ざかり、王都の大通りを歩く二人の間には、カツ、カツというセシリアのヒールの音だけが規則正しく響いている。 「あー、急がないと。駅前の限定マカロンの賞味期限が……」 「……あなたはそればかりですのね」 レオンが懐中時計を見ながらぼやくと、隣を歩くセシリアが呆れたようにため息をついた。 その時だった。 夜空から一羽の青白い光を帯びた鳥が舞い降りてきた。 魔力で編まれた使い魔の鳥だ。 鳥はセシリアの目の前まで来ると、くちばしにくわえていた一通の封筒を落とし、そのまま光の粒子となって霧散した。 セシリアは無表情のまま封筒を拾い上げ、封を切る。 中に入っていた短い羊皮紙を一読すると、彼女は微かに鼻で笑い、そのまま紙をビリビリに破いて道端のゴミ箱へ放り捨てた。 「勘当ですか。随分と手回しが早いですね」 レオンが横目で尋ねると、セシリアは表情一つ変えずに頷いた。 「ええ。王太子殿下に恥をかかせた罪は重い、公爵家の名簿からお前の名は抹消した、とのことですわ。……まあ、あんな息の詰まる家、元々こちらから願い下げでしたけれど」 「逞しいですね。帰る場所を失って、泣きつくかと思いましたよ」 「泣いて現状が好転するならいくらでも泣きますわ。ですが、それは非合理というものです」 セシリアの潔すぎる言葉に、レオンは感心したように目を細めた。 やはりこの令嬢は、この世界の住人には珍しく、感情よりも事実と論理で動けるらしい。 「いい性格してますね。帰る場所がないなら好都合だ。ついてきてください、臨時助手さん」 レオンはぶっきらぼうに言い放ち、大通りから暗い裏路地へと足を踏み入れた。 それから十数分後。 華やかな王立学園から遠く離れた、王都の治安の悪い下層エリア。 その片隅にある、今にも崩れそうな古い雑居ビルの地下に二人は立っていた。 入り口の薄汚れた扉には『王都警視庁 特命資料室』と書かれた木札がぶら下がっている。 「ここが、あの鮮やかな推理を披露した捜査官の執務室、ですの?」 「ええ。特命資料室なんて大層な名前がついてますが、要は厄介払いされたはぐれ者の掃き溜めです。俺の専用アジトみたいなもんですよ
Read more

3: 「あ、起きましたか。不良債権」

王都警視庁の地下にある特命資料室は、わずか数日にして劇的な変化を遂げていた。 足の踏み場もなかった床は塵一つなく磨き上げられ、ジェンガのように積まれていた未処理の書類は、時系列と重要度順に完璧にファイリングされ、壁際の本棚に整然と収まっている。 むせ返るような生活臭とインクの匂いは消え去り、代わりに淹れたての高級な紅茶の香りが部屋を満たしていた。 「……ん」 部屋の隅にある古びたソファーで仮眠をとっていたレオンは、ゆっくりと目を開けた。 徹夜での調書作成がたたり、泥のように眠っていたらしい。 ぼんやりとした視界の中で、すぐ目の前に美しい顔があった。 「あ、起きましたか。不良債権」 助手のセシリアだった。 彼女はソファーの横にしゃがみ込み、レオンの顔を覗き込むようにして、手にしたブランケットを掛け直してくれていたところだった。 二人の顔の距離は、ほんの数十センチしかない。 「……セシリア」 「なんですの? 寝ぼけているなら、さっさと顔を洗って……」 「あなたの顔面、随分と紅潮していますね。おまけに瞳孔が開いて、呼吸も浅く、心拍数が異常に上がっているのが頸動脈の動きでわかります」 レオンはじっとセシリアの目を観察しながら、淡々とした声で指摘した。 「さては、俺が寝ている間に、この部屋で何らかの遅効性毒素を吸い込みましたか? それとも未知のウイルス性の風邪ですか」 「なっ……! ど、毒なのはあなたの頭ですわっ!」 セシリアは顔を真っ赤にして立ち上がると、持っていたファイルでレオンの頭をスパーンと容赦なく叩いた。 「痛っ。助手が上司に暴力を振るうなんて、公爵家の教育はどうなってるんですか」 「公爵家は勘当されました! それに、無防備に寝ている人間の顔の近くに寄れば、誰だって少しは……その、驚くものですわ!」 ぷいっとそっぽを向くセシリアの耳まで赤い。 レオンは叩かれた頭をさすりながら、首を傾げた。 前世から人間の悪意や嘘の微表情を読み取ることは得意だったが、どうもこの元・悪役令嬢の感情の機微だけは、正確なプロファイリングができない。 「まあいいです。俺の脳細胞が悲鳴を上げている。紅茶と、例のものを」 「本当に、私を何だと思っていますの……」 文句を言いながらも、セシリアは手際
Read more

4: 「斜めに、ですかニャ?」

王都警視庁の地下にある特命資料室は、臨時病室へと早変わりしていた。 レオンの私物である万年床、もとい簡素なベッドには、清潔なシーツが敷き直され、全身に包帯を巻かれた獣人の少女ルナが静かな寝息を立てている。 セシリアは洗面器の水を替え、硬く絞ったタオルでルナの額の汗を丁寧に拭っていた。 その横顔は、悪役令嬢と呼ばれたかつての氷のような冷たさは微塵もなく、ただ家族を案じる慈愛に満ちている。 「……ん、ニャ……」 不意に、ルナの猫耳がぴくりと動き、琥珀色の瞳がゆっくりと見開かれた。 「ルナ! 気がついたのね!」 セシリアが身を乗り出すと、ルナは信じられないものを見るように目を瞬かせた。 「お、お嬢様……? ここは……天国、ですかニャ?」 「いいえ、王都の地下室よ。もう大丈夫、あなたは安全な場所にいるわ」 セシリアがルナの手をぎゅっと握りしめると、ルナの瞳から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。 彼女は痛む体を引きずるようにして起き上がり、セシリアの胸に顔を埋めた。 「お嬢様ぁ……! ずっと、ずっと会いたかったニャ……! 追い出されてから、お嬢様を探して……っ」 「ごめんなさいね。私がふがいないばかりに、あなたにまで辛い思いをさせてしまって」 主従の感動的な再会。 しかし、その美しい空間をぶち壊すように、部屋の隅からバリボリと無遠慮な咀嚼音が響いた。 「涙の再会中申し訳ないんですが、塩分で俺の貴重なクッキーを湿らせないでくれませんかね。湿度は書類の天敵です」 レオンがソファーに深く腰掛け、セシリアの作ったクッキーをかじりながら口を挟んだ。 その見知らぬ男の声に、ルナの猫耳がピンと逆立ち、尻尾の毛がブワッと膨れ上がった。 「シャァァッ! 誰だお前は! お嬢様に近づくな、この胡散臭い男ニャ!」 ルナは痛みを忘れたようにセシリアを背中に庇い、レオンに向かって威嚇の牙を剥いた。 「ル、ルナ、駄目よ! この方は私の命の恩人で、今は私の上司にあたる方なの!」 「上司!? お嬢様がこんな、目つきの悪い甘党の部下に……!? 絶対に騙されてるニャ! 獣人の勘がそう告げてるニャ!」 「獣人の勘も当てになりませんね。俺はただの善良な公務員ですよ」 レオンはクッキーの欠片を払い落としながら立ち上がった。
Read more

5: 「痛っ! なんだ、暴漢か!?」

特命資料室の朝は、甘い匂いと共に始まるようになっていた。 王都の地下にあるこの狭くて窓のない部屋は、かつてはカビと古紙と謎の悪臭が入り混じる魔窟だった。 だが、元・悪役令嬢のセシリアが掃除の権限を握り、さらに猫耳メイドのルナが加わったことで、今や王宮の裏手にある隠れ家のように快適な空間へと変貌を遂げていた。 「レオン、いつまで寝ているおつもりですか。朝食の用意ができましたわよ」 セシリアが、淹れたての紅茶と手作りのパンケーキが乗ったトレイを机に置きながら声をかけた。 部屋の隅にある万年床では、徹夜で書類整理をしていたレオンが毛布にくるまって丸くなっている。 「……んん」 レオンは気怠げなうめき声を上げると、毛布からぬっと手を伸ばし、ベッドの脇に立っていたセシリアの腕を不意に掴んだ。 「きゃっ!?」 セシリアの体がバランスを崩し、レオンのベッドの上に倒れ込む。 ドサリ、という音と共に、レオンがセシリアの肩に頭を乗せるような体勢になった。 「な、何を……っ!」 「……動かないでください。ちょうどいい」 「はぁ!?」 顔を真っ赤にして暴れようとするセシリアを、レオンは寝ぼけ眼のまま腕で軽くホールドした。 「君の体温は平均的な成人女性より零点二度ほど高い。徹夜で冷え切った俺の体温を回復させるための、極めて合理的な熱源です。湯たんぽの代わりとして、あと五分だけそのままでいてください」 「ゆ、湯たんぽですって……!? あなた、女性に向かってなんというデリカシーのないことを……!」 「デリカシーと業務効率は反比例します。それに、君の心拍数が上がっているのが胸から伝わってくる。血流が良くなって熱放射が増えるのは、こちらとしてはありがたいですがね」 レオンはあくまで生理現象として分析し、淡々とした声で耳元に囁いてくる。 セシリアの顔はもはや沸騰しそうだった。 理屈を並べて密着を正当化するこの男のポンコツぶりには慣れてきたつもりだったが、こういう無自覚な行動は心臓に悪すぎる。 「離れなさいこの不良債権! 警察機構の人間が女性を拘束するなんて……!」 「シャァァッ!! この変態公務員! お嬢様に気安く触るなニャ!!」 セシリアが抗議するより早く、部屋の奥から銀色の弾丸が飛んできた。 ルナだった
Read more

6:(ち、近いですわ……っ!)

月明かりが分厚い雲に隠れた深夜。 王都の一等地にそびえ立つ公爵家の広大な敷地に、三つの影が音もなく忍び寄っていた。 王都警視庁の特命資料室に所属するモブ捜査官レオンと、その助手である元・悪役令嬢のセシリア、そして生体センサーこと猫耳メイドのルナである。 「……現在時刻、深夜二時ちょうど。セシリアの記憶通りなら、ここで裏門の警備兵が交代するはずですね」 レオンが懐中時計の文字盤を細めて確認すると、隣にしゃがみ込んでいたセシリアが小さく頷いた。 「ええ。裏門の担当は二名。交代の引き継ぎで、三列目の生垣の裏が約三十秒だけ完全に死角になりますわ」 彼女の映像記憶に近い頭脳には、公爵家の敷地内の構造図と、警備兵の巡回ルートが分単位で完璧にインプットされていた。 魔法による防犯結界の抜け穴すらも、かつてこの家の主であった彼女にとっては勝手知ったる庭のようなものだ。 「ルナ、どうですか」 レオンが背後に視線を向けると、闇に同化したような身軽さで壁に張り付いていたルナが、ピクッと猫耳を動かした。 「……足音が二つ、遠ざかっていくニャ。代わりに別の二つの足音が近づいてきてる。今なら行けるニャ」 ルナの獣人特有の驚異的な聴覚が、セシリアの記憶をリアルタイムで裏付ける。 「完璧な連携ですね。では、三十秒の潜入ミッションと行きましょう」 レオンを先頭に、三人は生垣の影から影へと滑るように移動し、見事に警備の目を掻い潜って屋敷の裏口へと到達した。 あらかじめセシリアが合鍵の隠し場所から回収しておいた鍵を使い、音もなく分厚い扉を開ける。 屋敷の中は、深夜ということもあり静まり返っていた。 月明かりだけが頼りの薄暗い廊下を、三人はメイドたちの居住区画である使用人棟へと向かって歩き出す。 「この先を右に曲がれば、使用人用の階段ですわ。ルナの部屋は地下に……」 セシリアが小声で案内をしようとした、その時だった。 「待つニャ」 ルナが鋭く囁き、二人の服の裾を強く引っ張った。 「上の階から、規則正しくない足音が近づいてくるニャ。……二人。警備兵じゃなくて、見回りの使用人かもしれないニャ」 「イレギュラーな巡回ですか。セシリア、隠れる場所は」 「このすぐ横に、リネン室(シーツなどの保管庫)がありますわ!」 セシ
Read more

7: 「さあ、見せてもらいましょうか。悪党の描いた稚拙なシナリオを」

公爵家の広大な敷地内を、三つの影が音もなく進んでいく。 月明かりすら届かない使用人棟の地下から、屋敷の中枢である執務エリアへと続く入り組んだ廊下。 そこは夜間でも数名の警備兵が定期的に巡回している、まさに敵陣のど真ん中だった。 「ストップニャ。……右の角から二人、鎧が擦れる音が近づいてくる」 先頭を歩いていたルナが、ぴたりと足を止めて耳をそばだてた。 その警告に合わせ、レオンとセシリアはすぐさま壁のくぼみに身を潜め、息を殺す。 数秒後、ルナの言葉通りに二人の警備兵が角を曲がって現れ、彼らのすぐ横を通り過ぎていった。 足音やランタンの光ではなく、鎧の微かな擦れ音や匂いだけで敵の位置を完璧に把握する生体センサー。 その精度の高さに、レオンは内心で舌を巻いていた。 「……行きましたわ。この階段を上った先が、筆頭執事バートンの執務室です」 セシリアの囁き声に従い、三人は音を立てずに階段を上り、重厚なマホガニー製の両開き扉の前に到着した。 「流石は筆頭執事の部屋ですね。ご丁寧に、扉には魔力感知式の結界と、物理的な重金属の鍵が二重にかかっています」 レオンが扉の表面を指先でなぞりながら呟く。 魔力感知式の結界は、登録されていない魔力を持った者が触れると、屋敷中に警報が鳴り響く仕組みになっているはずだ。 「厄介ですわね。私なら強引に魔力で結界を焼き切ることもできますが、それでは隠密行動の意味が……」 「必要ありませんよ。魔法というものは、術式の構築に頼りすぎるあまり、物理的な盲点を見落としがちなんです」 レオンはコートのポケットから、細い金属製のピックと小さな鏡を取り出した。 「魔力感知の結界が張られているのは『扉の表面』と『鍵穴の周辺』だけだ。扉を固定している蝶番の隙間や、鍵の内部のシリンダーそのものには魔力が通っていない」 レオンは鏡を使って鍵穴の奥の構造を確認すると、結界に触れないように細心の注意を払いながら、極細のピックを鍵穴の奥深くへと滑り込ませた。 カチッ、カチリ。 静かな廊下に、金属が噛み合う微かな音が響く。 「この世界の人間は魔法のロックを過信して、物理キーの構造をひどく単純なまま放置している。前世のピッキング犯が聞いたら、笑って踊り出すレベルのザル警備ですよ」 カチャリ、とい
Read more

8: 「でたらめかどうかは、科学が証明してくれます」

ガチャリ。 重厚なマホガニー製の扉の鍵が外れ、廊下の明かりと共に三人の男が執務室へと足を踏み入れた。 先頭を歩くのは、高級な濃紺のウール地の上着に身を包み、ツンと鼻をつく香水を漂わせる初老の男。 公爵家の筆頭執事であり、ルナを無実の罪で陥れた張本人、バートンである。 その後ろには、武装した二人の護衛兵が控えていた。 「まったく。夜中に帳簿の確認など、面倒なことだ。あの小娘を追い出したからといって、安心はできん……」 バートンが独り言を呟きながら、部屋の魔力照明のスイッチを入れた、その瞬間。 「ええ、その通りです。安心するのはまだ早いですよ、横領犯のバートンさん」 「……なっ!?」 眩い光に照らし出された執務室の光景に、バートンは目を剥いて硬直した。 部屋の奥。 彼自身の神聖な執務机の椅子には、見知らぬ黒コートの男が深く腰掛け、あろうことか両足を机の上に投げ出していた。 その横には、腕を組んで冷ややかな視線を見下ろす元・公爵令嬢のセシリア。 さらに反対側には、死んだはずの猫耳のメイド、ルナが鋭い牙を剥き出しにして立ち塞がっている。 「せ、セシリア様……!? なぜ、勘当されたはずのあなたがここに! それにその獣人の小娘、生きていたのか!」 バートンの驚愕の声に、背後の護衛兵たちも慌てて剣の柄に手をかけた。 「静かにしなさい、バートン。夜分遅くに騒ぐのは、公爵家の使用人として恥ずべき行為ですわよ」 セシリアが、かつて屋敷を支配していた悪役令嬢としての絶対的な威厳を放ちながら一歩前に出た。 その堂々たる態度に、護衛兵たちは思わず気圧されて後ずさる。 「ふ、ふざけるな! 勘当された分際で、泥棒猫を連れて不法侵入とは! 兵士たちよ、その曲者どもを捕らえろ! 防犯結界の警報を鳴らせ!」 バートンが顔を真っ赤にして喚き散らす。 だが、机に足を乗せていたレオンは、気怠げな動作で懐から警察手帳を取り出し、ペラリと開いて見せた。 「王都警視庁強行犯係、ならびに特命資料室のレオンです。公爵家内部において、筆頭執事による大規模な横領事件が発生しているとの確かな情報提供を受け、極秘の家宅捜索に入らせていただきました」 「か、家宅捜索だと……!? 捜査令状もない平民の警察官が、貴族の屋敷に押し入るなど許さ
Read more

9: 「……最高級の魚、ニャ?」

王都警視庁の地下にある特命資料室は、その日、異様な緊張感に包まれていた。 「……セシリア。俺の机の三段目の引き出しに入っていた、王室御用達の高級砂糖漬けフルーツが消えているんですが」 ソファーに深く腰掛けたレオンが、死んだ魚のような目をさらに濁らせて呟いた。 「ええ、私が没収しましたわ。それだけではありません。戸棚の奥のハチミツ壺も、書類の束の裏に隠してあったクッキー缶も、すべて私の管理下に置かせていただきました」 セシリアは腕を組み、元・悪役令嬢らしい毅然とした態度で見下ろしてくる。 「……横領ですか? 警察機構の内部で窃盗とは、いい度胸ですね。今すぐ手錠をかけましょうか」 「ふざけないでくださいな。これは優秀な助手としての、正当な『上司の健康管理』ですわ!」 セシリアはバンッと机を叩いた。 「昨日のあなたの食事、朝はシロップまみれのパンケーキ、昼は激甘マカロン三つ、夜は砂糖の塊のような紅茶だけでしたわね! 栄養学の観点から見て、どう考えても異常です! このままでは血管が詰まって死にますわよ!」 「俺の脳はブドウ糖のみを燃料とするハイブリッド仕様なんです。それに、死亡リスクよりも現在の集中力低下による業務効率の悪化の方が、直近の課題として重大です」 「言い訳は無用です! 今日からおやつの配給は、一日一回、午後三時のティータイムのみとさせていただきます!」 セシリアの絶対君主のような宣言に、レオンは深い溜息をついた。 「……ルナ。君は獣人としての野生の勘で、この横暴な令嬢の隠し場所がわかるでしょう。クッキー缶を奪還してくれたら、夕飯に最高級の魚を焼いてやりますよ」 レオンが助けを求めると、部屋の隅で箒を持っていたルナが、ピクッと猫耳を動かした。 「……最高級の魚、ニャ?」 ルナの琥珀色の瞳が揺らぐ。 しかし、彼女はブルブルと首を振り、セシリアの隣にスッと並び立った。 「だ、騙されないニャ! お嬢様の決定は絶対ニャ! 私はお嬢様の忠実なメイドとして、この部屋の甘いものを死守するニャ!」 「……チッ。買収失敗ですか。飼い犬に手を噛まれるとはこのことですね」 「私は犬じゃなくて猫ニャ!」 レオンは乱れた髪を掻き乱し、のっそりと立ち上がった。 そして、セシリアに向かってゆっくりと歩み寄ってい
Read more

10:「痛っ。……セシリア、動かないでください。ちょうどいい」

王都警視庁の地下に位置する特命資料室。 いつもは甘い紅茶の香りが漂うその部屋に、今日はホワイトボードのマーカーが走る乾いた音が響いていた。 「催眠や洗脳というものは、決して魔法のようなオカルトではありません。人間の脳のバグを突く、極めて論理的で科学的なハッキングです」 レオンはホワイトボードに『孤立』『疲労』『薬物』という三つの単語を書き殴り、それをペン先でトントンと叩いた。 ソファーに座るセシリアと、その背後に控えるルナは、真剣な表情でレオンの講義に耳を傾けていた。 「あの堅物で知られる近衛騎士団長候補、カイル様が、マリアの完全な支配下に置かれている。その事実を解明するためのプロファイリングですね」 セシリアが腕を組み、かつての婚約者候補であった青年の異常な状態を思い返して眉をひそめる。 「ええ。昨日、本庁の中庭で観察した結果、カイルの症状は典型的な『ガスライティング』と『薬物投与』の複合によるマインドコントロールだと断定しました」 「ガスライティング、とはなんですの?」 「被害者にわざと誤った情報を与え続け、自分自身の記憶や正気を疑わせる心理的虐待の一種です」 レオンはホワイトボードに図解を描きながら、淡々と説明を続ける。 「例えば、マリアがカイルの私物をこっそり隠し、『あなたが自分で失くしたのよ、最近疲れているんじゃない?』と優しく囁く。これを日常的に繰り返されると、カイルは『自分は記憶力や判断力が落ちているダメな人間だ』と錯覚し始めます」 「……なんという陰湿な手口。誇り高き騎士の自尊心を、根本からへし折る気ですのね」 セシリアの顔に、明らかな嫌悪感が浮かんだ。 「その通り。そして自尊心が折れ、孤立したところに、微量の筋弛緩剤や幻覚作用のある薬物を仕込んだ香水、あるいは紅茶などを投与する。するとどうなるか」 「……体が思うように動かなくなり、さらに判断力が鈍るニャ」 ルナが耳を伏せて答えると、レオンは満足げに頷いた。 「正解です。肉体的にも精神的にも追い詰められた被害者の前に、マリアが『私だけはあなたの味方よ』と絶対的な救済者として振る舞う。これで、依存関係の完成です」 レオンはマーカーを置き、ホワイトボードの文字を冷徹に見据えた。 「魔法の魅了(チャーム)などという非論理的なもので
Read more
PREV
1234
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status