LOGIN「セシリア! 貴様のような陰湿な女との婚約は、今ここで破棄する!」 乙女ゲームの王道である『悪役令嬢の断罪イベント』。 誰もがヒロインに同情する中、壁際で警備任務に就いていた平民のモブ捜査官・レオン(前世:天才犯罪心理学者)は一人、呆れ果てていた。 前世で培った『プロファイリング』と『科学捜査』の知識を用いれば、可憐なヒロインの裏の顔と自作自演など、一目瞭然だった。 実家から勘当され、行き場を失った不器用な元・悪役令嬢セシリアを自分の事務所へ拾うのだが 「なんですかこのゴミ屋敷は! まずは掃除からですわ!」 これは、二人が乙女ゲームの狂ったシナリオを次々と論理的に解体し、無自覚にいちゃいちゃする謎解き事件簿。
View More王立学園の卒業記念夜会。
天井から吊るされた巨大な魔石のシャンデリアが眩い光を放ち、色とりどりのドレスや豪奢な燕尾服に身を包んだ貴族たちを照らし出している。 王都でも限られた特権階級の者たちだけが集うその絢爛豪華な大広間の隅で、王都警視庁強行犯係の末端捜査官であるレオンは、死んだ魚のような目をしながら大理石の壁に寄りかかっていた。 (あー、帰りたい。ひたすらに帰りたい。王都駅前の限定激甘マカロンの賞味期限が切れてしまう……) 黒の地味な制服に身を包んだレオンは、華やかな貴族たちの談笑をBGMにしながら、内心で盛大にぼやいていた。 彼には前世の記憶がある。 かつての日本では、若くして名を馳せた天才犯罪心理学者だった。 それがどういう因果か、気がつけば剣と魔法が存在するファンタジー世界に転生していたのだ。 しかも、生前妹が狂ったようにプレイしていた乙女ゲームの世界に、である。 (魔法があろうが貴族がいようが、人間の嘘や犯罪の構造なんてものは前世と何も変わらないんだよな) そんな達観した思考回路を持つレオンは、ゲームの主要キャラクターたちと関わる気など毛頭なく、日々の糖分補給だけを生きがいに、目立たないモブ捜査官としての平穏な日々を送っていた。 だが、その平穏は唐突に破られる。 「きゃあああああああっ!」 広間を見下ろす大階段のほうから、華やかな空気を切り裂くような少女の悲鳴が響き渡った。 (なんだなんだ、事件か?) レオンが気怠げに視線を向けると、そこには乙女ゲームにおける見慣れたテンプレの光景が広がっていた。 大階段の下で、可憐なピンク色のドレスを着た少女がうずくまって泣いている。 このゲームの主人公であるマリアだ。 そして、階段の上には、燃えるような赤いドレスを身に纏った公爵令嬢セシリアが、表情を崩さずに立ち尽くしていた。 「マリア! 大丈夫か!」 群衆を掻き分けて駆け寄ってきたのは、王国の第一王子であり、マリアの熱烈な信奉者となっている王太子アルベルトだ。 アルベルトはマリアを抱き起こすと、階段の上にいるセシリアを憎悪に満ちた目で睨みつけた。 「セシリア! お前という女は、どこまで邪悪なのだ!」 アルベルトの怒声が広間に響き渡り、オーケストラの音楽がピタリと止む。 周囲の貴族たちは息を呑んで事の成り行きを見守り始めた。 「殿下……怖かったです……」 マリアはアルベルトの胸に顔を埋め、小動物のように震えながら涙を流している。 「私、ただセシリア様とお話をしようとしただけなのに……突然、隠し持っていたナイフでドレスを切り裂かれて、そのまま階段から突き落とされたんです……!」 嗚咽混じりに語られるその言葉に、周囲の貴族たちからセシリアに対する非難のざわめきが起こる。 「許さんぞ、セシリア! 嫉妬に狂ってマリアを殺そうとするとは、公爵令嬢にあるまじき恥知らずな凶行だ! 私とお前の婚約は今この瞬間に破棄する! そしてお前をこの学園から追放し、罪人として捕縛する!」 アルベルトの劇的な宣言。 まさに、乙女ゲームにおける断罪イベントのクライマックスである。 だが、少し離れた場所からその光景を観察していたレオンの目は、犯罪心理学者としての冷徹な光を帯びていた。 (おいおい、なんだあの三文芝居は) レオンの目は、マリアがアルベルトの胸に顔を埋める直前の一瞬を、決して見逃さなかった。 マリアは確かに大粒の涙を流していた。 しかし、彼女の顔の筋肉、特に口角を引き上げる大頬骨筋が一瞬だけ不自然に収縮したのだ。 それは心理学的に見れば、悲しみや恐怖の表情ではない。 他者を陥れることに快感を覚える人間が、目的を達成した瞬間に見せる抑えきれない歓喜の微表情。 俗に言うデュシェンヌスマイルの欠如であり、典型的なサイコパスの反応だった。 さらに、プロファイリングの観点からも彼女の供述は異常だった。 突然ナイフで切りつけられ、階段から突き落とされたというパニック状態にあるはずの被害者が、自分の身に起きたことをあそこまで理路整然と、時系列順に、完璧な構成で語れるはずがない。 あれは明らかに、事前に用意された台本を暗唱しているだけだ。 一方、糾弾されているセシリアの様子もレオンの興味を強く惹いた。 彼女は泣き喚くことも、取り乱すこともなく、ただ冷ややかな目で眼下の茶番を見下ろしていた。 (あの令嬢、自分の置かれた状況を完全に客観視してやがる。とんでもなく肝の座ったお嬢様だ) アルベルトが近衛兵に目配せをし、セシリアを捕縛させようとしたその時だった。 「あー、すんませーん。ちょっとそこ、現場保存お願いしまーす」 緊迫した空気をぶち壊す気の抜けた声と共に、レオンが群衆を掻き分けて二人の間に割り込んだ。 「なんだ貴様は! 私は王太子のアルベルトだぞ! 警備の分際で無礼であろう!」 激昂するアルベルトに対し、レオンは懐から警察手帳、もとい王都警視庁の身分証をペラリと提示した。 「王都警視庁強行犯係のレオンと申します。殺人未遂事件が発生したと聞いて飛んできました。殿下、ここは我々プロの捜査機関にお任せください」 「捜査だと? 犯人はそこにいるセシリアに決まっているだろう! 見ればわかる!」 「見ればわかる、ねえ。それは主観というものです。我々が信じるのは客観的なファクトだけですから」 レオンはアルベルトの怒鳴り声を柳に風と受け流し、しゃがみ込んでマリアのドレスの破れた箇所をじっと見つめた。 そして、制服のポケットから小さなルーペを取り出し、ドレスの断面を詳細に観察し始める。 「な、何をするの……っ。私、怖くて……」 マリアが怯えたように身を縮めるが、レオンは気にも留めない。 「マリア嬢、あなたはナイフでドレスを切り裂かれたと証言しましたね?」 「え、ええ……そうですわ。セシリア様が突然……」 「おかしいですね。他人に外側から刃物で切りつけられた場合、布の繊維は内側に向かって押し込まれるはずです」 レオンはルーペをしまい、冷ややかな視線をマリアに向けた。 「しかし、あなたのドレスの断面は、布の繊維が外側に向かって反り返り、不規則に引きちぎられています。これは他人に切られたのではなく、あなたが自分で布を強く握り、外側へ引っ張って破いたという科学的な証拠です」 「な……っ!?」 マリアの息が止まり、アルベルトも信じられないものを見るように目を見開いた。 「なにを馬鹿なことを! マリアは階段から突き落とされたのだぞ! 自分でドレスを破いて落ちる馬鹿がどこにいる!」 アルベルトの反論に対し、レオンはゆっくりと立ち上がり、大階段のステップを指差した。 「突き落とされた、ですか。では物理法則のお話をしましょう。人間が上から勢いよく突き落とされた場合、身体は放物線を描いて落下します。つまり、階段の上半分のステップには接触しないはずです」 レオンは階段を数段上り、二段目と三段目のステップを指差した。 「ですが見てください。ここにはマリア嬢のドレスの装飾品が強く擦れた跡がくっきりと残っている。放物線を描いて落下していれば、ここには絶対にぶつからない。これは、あなたが上の踊り場から突き落とされたのではなく、この安全な低い位置から自分で転がったという物理的な証拠です」 広間が水を打ったように静まり返る。 貴族たちはレオンの指摘と、階段に残された明らかな痕跡を交互に見比べ始めた。 「そ、そんなの……偶然です! 私は突き落とされた時に、必死に手を伸ばして……!」 マリアが甲高い声で抗議するが、レオンの追撃は止まらない。 「手を伸ばした? それは致命的な墓穴ですよ、マリア嬢」 レオンはマリアの両手首を軽く掴み、群衆によく見えるように持ち上げた。 「人間は予期せぬ落下をした際、無意識に手や腕を突き出して頭を庇います。これをパラシュート反射といい、その結果として手や腕に擦り傷、いわゆる防御創ができるのが医学的な常識です」 レオンが掲げたマリアの白い腕には、傷一つなかった。 「しかし、あなたの腕は無傷で、ドレスの背中部分だけが綺麗に汚れている。これは無意識の落下ではなく、自分の意志で、安全な姿勢をとってから転がった決定的な証拠です」 三つの圧倒的な客観的証拠。 微表情による心理学的な見立てから始まり、科学捜査と物理法則で外堀を埋め、医学的見地から完全に退路を断つ。 完璧な論破だった。 マリアの顔から悲劇のヒロインの仮面が剥がれ落ち、信じられないものを見るような驚愕と、計画を狂わされた憎悪の表情が浮かび上がる。 「さあ、マリア嬢。これだけの証拠が揃っているのに、まだセシリア嬢に突き落とされたと言い張りますか? 虚偽告訴罪は重罪ですよ」 レオンの冷徹な声が響く中、アルベルトは顔面を蒼白にして口をパクパクさせていた。 「マ、マリア……お前、まさか本当に自分で……?」 「ち、違います殿下! 私は……!」 もはや誰もマリアの言葉を信じていなかった。 周囲の貴族たちの目は、可哀想な被害者に向けるものから、恐ろしい自作自演を行った異常者を見るものへと完全に変わっていた。 形成不利と悟ったのか、マリアは一瞬だけレオンを忌々しげに睨みつけると、アルベルトの腕を振り解き、顔を覆って広間から逃げ出してしまった。 「ま、待ってくれマリア!」 状況を処理しきれないアルベルトも、後を追うようにして無様な姿で逃げ去っていく。 主役の二人がいなくなり、ざわめきだけが残された広間で、レオンは大きくため息をついた。 「あー、疲れた。貴重な糖分が脳から失われていく……」 レオンは乱れた髪を掻きながら、階段の上に立ち尽くしているセシリアを見上げた。 彼女は階段をゆっくりと下りてくると、レオンの目の前で足を止めた。 その美しい顔には、安堵よりも深い知性が宿っている。 「助けていただき、感謝いたしますわ。ですが、なぜそこまで私を庇ってくださったの?」 「庇ったわけじゃない。事実を並べただけです。それより、どうしてあなたは反論しなかったんですか? あれだけの言いがかりをつけられていたのに」 レオンの問いに対し、セシリアはふっと自嘲気味に笑った。 「証拠がなかったからですわ。感情で訴えかけても、あの愚かな殿下は信じない。無駄な労力を使うより、状況を観察し、反撃の機会を窺うのが理にかなっていますもの」 (ほう) レオンは目を細めた。 絶体絶命の状況下でパニックにならず、感情ではなく論理を優先できるその冷静さ。 この感情先行のファンタジー世界において、彼女のような存在は極めて稀有だ。 それに、彼女は階段の二段目と三段目にマリアが接触した瞬間を、正確に視認していたはずだ。 でなければ、レオンが検証を始めた時に、あそこまで迷いのない視線を階段に向けていなかっただろう。 映像記憶に近いほどの観察力と記憶力を持っているのかもしれない。 「いいですね。魔法や身分が幅を利かせるこの世界で、ファクトを見られる人間は貴重だ」 レオンは、王太子に恥をかかせたことで実家から勘当されるであろう彼女の未来を容易に予測した。 「公爵令嬢殿。行く当てがないなら、俺のところで働きませんか?」 「……はい?」 突然の提案に、完璧だったセシリアの表情が初めてポカンと崩れる。 「俺は現場の証拠集めは得意ですが、書類仕事と私生活が絶望的にポンコツでしてね。君のその無駄に疑い深い性格と冷静な頭脳は、俺の助手にぴったりだ」 レオンはそう言って、ニヤリと笑いながら右手を差し出した。 「糖分補給の……じゃなかった、真実を追求する捜査のパートナーとして、どうです?」 セシリアは呆れたようにため息をついた後、仕方ないというようにレオンの手を優雅に握り返した。 「……身の回りの世話まで押し付けられそうな嫌な予感がしますけれど、助けていただいた恩は返さなければなりませんわね」 こうして、魔法の世界に科学と論理を持ち込む異端のモブ捜査官と、居場所を失った悪役令嬢の奇妙なバディが誕生したのだった。王都を揺るがす巨大な陰謀が動き出してから、数日が過ぎた。 深夜二時。 王都警視庁の地下にある特命資料室は、分厚い鉄扉によって外界の音から完全に切り離され、シンとした静寂に包まれていた。 普段なら獣人のメイドであるルナが奥の小部屋で寝息を立てている時間だが、彼女は現在、情報収集のために王都の裏社会(夜の街)へと潜入捜査に出ている。 そのため、この薄暗い地下室には今、レオンとセシリアの二人きりだった。「……計算式に〇・二パーセントの誤差がありますね。これでは広域散布の際、風圧で中和剤の粒子が相殺されてしまう。流体力学のパラメーターから見直しだ」 部屋の中央にある作業机。 レオンはスリーピーススーツのジャケットを脱ぎ捨て、ベストのボタンも外し、ネクタイを緩めきっただらしない姿で、羊皮紙の図面と睨み合っていた。 彼が徹夜で書き上げているのは、一ヶ月後の皆既日食の日に、第一魔法卿の魔法を物理的に打ち破るための『対魔法用・科学装備』の設計図だ。 極低温の吸熱反応を引き起こす特殊弾や、広域中和剤を散布する機械の構造。この魔法世界には存在しない概念を、錬金術の素材でどうにか代用・実現させるための、途方もない計算作業である。「……レオン。少し、休憩になさいな」 カリカリという羽ペンの音だけが響く部屋に、ふわりと甘いダージリンティーの香りが漂ってきた。 セシリアが、銀のトレイにお茶と、先日届いた高級マカロンの残りを乗せて歩み寄ってくる。「……現在時刻、午前二時十五分。君の睡眠時間を削ってまで、俺のインフラ設備であるデータベースに負担をかけるわけにはいきません。先に休んでいてください」 レオンは図面から目を離さず、目の下に濃い隈を作ったまま気怠げに答えた。「私が休んだところで、あなたが倒れてしまっては元も子もありませんわ。ほら、温かいうちに飲んでくださいませ」 セシリアは半ば強引に、図面の横にティーカップとマカロンの皿を置いた。 その強気な態度とは裏腹に、彼女の視線はレオンの疲労しきっ
王立魔法学園の教頭による国宝窃盗事件、および本庁地下牢での不審死事件から数日が経過した。 王都警視庁の地下にある特命資料室の重厚な鉄扉が、今朝はひどく軽快なノックの音と共に開かれた。「王室御用達・高級菓子店『銀の砂糖亭』からのお届け物です!」 やってきた配達員が台車に乗せて運び込んできたのは、高く積まれた幾つもの豪奢な化粧箱だった。 箱には王室の紋章が誇らしげに輝いており、中からは芳醇なアーモンドとバター、そして甘い果実の香りが漂ってくる。「……ついに来ましたね。俺の正当なる労働対価が」 ソファーで書類の山に埋もれていたレオンが、死んだ魚のようだった目をカッと見開いて立ち上がった。 学園長からの事件解決の報酬。 約束通りに手配された『高級マカロン一生涯無料パスポート』の、記念すべき第一回目の定期配送便である。「す、すごいですわね……。箱の中、全部マカロンですの?」 セシリアが目を丸くして化粧箱の蓋を開けると、そこには宝石箱のように色鮮やかなマカロンが、信じられないほどの数で敷き詰められていた。 フランボワーズ、ピスタチオ、ショコラ、シトロン。王都の貴族たちでさえ、特別な日にしか口にできない最高級の品だ。「お嬢様、これ全部食べたら間違いなく太るニャ……」 ルナが尻尾を垂らして呟くが、レオンはすでに一番大きな箱を抱え込み、いつもの定位置であるソファーへと沈み込んでいた。「カロリーとはすなわち、脳を駆動させるための絶対的なエネルギー源です。太るという概念は、運動量と基礎代謝の計算式が破綻している素人が気にするノイズに過ぎません」 レオンは気怠げな声で理屈をこねながら、鮮やかなピンク色のフランボワーズのマカロンをヒョイと口に放り込んだ。 サクッ、という軽快な音の後に、濃厚な甘さが彼の口内に広がる。 ここ数日、教頭の死体の検死と成分分析で徹夜続きだった彼の顔に、みるみると生気が戻っていく。「……素晴らしい。糖度、食感、香りのバランス。すべてが黄金比で構成
王都警視庁本庁舎の最深部に位置する、第零区画。 ここは王都で最も凶悪な犯罪者を収容するための特別な地下牢であり、壁も床もすべて魔法を無効化する『封魔の石』で造られている。 外部からの魔法干渉を一切遮断し、内部からの魔法の発動も完全に封じる、絶対的な物理的・魔術的密室であった。 鉄格子と分厚い防音ガラスで仕切られた面会室の奥。 椅子に手錠で縛り付けられた学園の教頭は、昨日までの威厳ある姿が嘘のように憔悴しきっていた。 だが、その窪んだ目には、未だに狂信的な光が宿っている。「……現在時刻、午前九時。取り調べを開始します」 分厚いガラス越しのマイクに向かって、レオンが淡々とした声で告げた。 その隣には、バインダーを手にしたセシリアが、氷のように冷ややかな視線を教頭に向けて立っている。「教頭。あなたが学園の地下で闇組織と取引を行っていたことは、裏帳簿と数々の物理的ファクトによって完全に立証されています。これ以上の黙秘は、あなたの量刑を重くするだけですよ」 レオンの言葉に、教頭は血の気のない唇を歪め、不気味な笑い声を漏らした。「フ……フフフッ。量刑だと? 愚かな。この国そのものが間もなく『浄化』されるというのに、人間の作った法などに何の意味がある」 教頭は虚ろな目で天井を見上げ、うわ言のように呟き始めた。「星の涙はすでに『あのお方』の元にある。すべては計画通りだ。私という小さな犠牲など、大いなるうねりの中では塵に等しい……」「あのお方、とは誰のことですの?」 セシリアがマイク越しに鋭く問い詰める。「盗まれた国宝をどこへやったのか。この王都で、一体何を企んでいるのか。洗いざらい吐きなさい!」「……教えてやろうか、生意気な小娘」 教頭が首をギギギと不自然な角度で曲げ、セシリアを睨みつけた。「あのお方は、この腐りきった王都のすべてを清めるおつもりだ。上層部も、民衆も、お前たちのような目障りな虫ケラどもも、すべてを等しく……ッ!?」
王立魔法学園の大講堂は、絶対的なファクトによって教頭の罪が暴かれた興奮と混乱の余韻の中にあった。 ルナの強烈な物理カウンターによって脳震盪を起こし、完全に意識を刈り取られた教頭は、通報を受けて駆けつけた王都警視庁の制服警官たちによって、無様に引きずられていく。「……あれが、教頭先生だなんて」「セシリア様の方が、ずっと正しかったんだ……」 騒然とする生徒たちの中から、そんな囁き声が聞こえてくる。 かつてセシリアを嘲笑っていた者たちは皆、罰の悪そうな顔で俯くか、あるいは畏怖の念を抱いて彼女の美しく気高い横顔を見つめていた。「どうやら、君の『悪役』としての汚名は、これで完全に返上されたようですね」 レオンが気怠げに伊達眼鏡の位置を直しながら呟く。「……別に、彼らに理解されたくてやったわけではありませんわ。私はただ、あの男の偽善に満ちた嘘を、物理的に叩き潰したかっただけですもの」 セシリアは真紅のドレスの裾を翻し、フッと誇り高く笑った。 その表情には、過去の因縁を自らの手で断ち切ったという、晴れやかな達成感が満ちていた。「さあ、ルナ。私たちは帰りますわよ。ここからは本庁の仕事です」「了解ニャ! 悪い奴をぶっ飛ばして、スッキリしたニャ!」 三人は学園の教師たちからの質問攻めを適当に躱し、大講堂を後にした。 彼らの足取りは軽かったが、レオンの懐の奥底には、教頭が落とした『黒い魔石』が、冷たい重みを持って収まっていた。 事件は解決したかに見えた。だが、レオンのプロファイリングの直感は、これが単なる序章に過ぎないと告げていた。 王都警視庁の地下、特命資料室。 学園からの帰還後、レオンはスリーピーススーツのジャケットを脱ぎ捨て、黒いシャツの袖を捲り上げて、すぐに作業机に向かっていた。 机の上には、押収した『黒い魔石』が置かれている。 レオンは目に特殊な拡大レンズを装着し、様々な波長の光を放つ小さな魔石のランタンを切り替えながら、黒い魔石の表面と内部構造
月明かりが分厚い雲に隠れた深夜。 王都の一等地にそびえ立つ公爵家の広大な敷地に、三つの影が音もなく忍び寄っていた。 王都警視庁の特命資料室に所属するモブ捜査官レオンと、その助手である元・悪役令嬢のセシリア、そして生体センサーこと猫耳メイドのルナである。 「……現在時刻、深夜二時ちょうど。セシリアの記憶通りなら、ここで裏門の警備兵が交代するはずですね」 レオンが懐中時計の文字盤を細めて確認すると、隣にしゃがみ込んでいたセシリアが小さく頷いた。 「ええ。裏門の担当は二名。交代の引き継ぎで、三列目の生垣の裏が約三十秒だけ完全に死角になりますわ」 彼女の映像記憶に近い頭脳には、
特命資料室の朝は、甘い匂いと共に始まるようになっていた。 王都の地下にあるこの狭くて窓のない部屋は、かつてはカビと古紙と謎の悪臭が入り混じる魔窟だった。 だが、元・悪役令嬢のセシリアが掃除の権限を握り、さらに猫耳メイドのルナが加わったことで、今や王宮の裏手にある隠れ家のように快適な空間へと変貌を遂げていた。 「レオン、いつまで寝ているおつもりですか。朝食の用意ができましたわよ」 セシリアが、淹れたての紅茶と手作りのパンケーキが乗ったトレイを机に置きながら声をかけた。 部屋の隅にある万年床では、徹夜で書類整理をしていたレオンが毛布にくるまって丸くなっている。 「……んん」
王都警視庁の地下にある特命資料室は、臨時病室へと早変わりしていた。 レオンの私物である万年床、もとい簡素なベッドには、清潔なシーツが敷き直され、全身に包帯を巻かれた獣人の少女ルナが静かな寝息を立てている。 セシリアは洗面器の水を替え、硬く絞ったタオルでルナの額の汗を丁寧に拭っていた。 その横顔は、悪役令嬢と呼ばれたかつての氷のような冷たさは微塵もなく、ただ家族を案じる慈愛に満ちている。 「……ん、ニャ……」 不意に、ルナの猫耳がぴくりと動き、琥珀色の瞳がゆっくりと見開かれた。 「ルナ! 気がついたのね!」 セシリアが身を乗り出すと、ルナは信じられないものを見るように
王都警視庁の地下にある特命資料室は、わずか数日にして劇的な変化を遂げていた。 足の踏み場もなかった床は塵一つなく磨き上げられ、ジェンガのように積まれていた未処理の書類は、時系列と重要度順に完璧にファイリングされ、壁際の本棚に整然と収まっている。 むせ返るような生活臭とインクの匂いは消え去り、代わりに淹れたての高級な紅茶の香りが部屋を満たしていた。 「……ん」 部屋の隅にある古びたソファーで仮眠をとっていたレオンは、ゆっくりと目を開けた。 徹夜での調書作成がたたり、泥のように眠っていたらしい。 ぼんやりとした視界の中で、すぐ目の前に美しい顔があった。 「あ、起きました