Todos os capítulos de 十年の恋を捨てて、私は海の向こうで咲く: Capítulo 11 - Capítulo 20

21 Capítulos

第11話

オフィスが、やけに静かだった。夏希がいた頃は、決まって午後三時ごろになると、コーヒーを一杯持ってきてくれた。机の隅にそっと置き、彼の邪魔はしない。けれど帰りもせず、そばのソファに座って雑誌をめくっていた。彼が仕事に没頭して飲み忘れていると、彼女は小さく咳払いをして、コーヒーが冷めると知らせた。修司は冷めたコーヒーが嫌いだった。それでも毎回、カップを手に取って飲み干していた。今、机の隅には何もない。四日目の夜、彼は大勢の人間を澄香邸に呼んで、パーティーを開いた。白金倶楽部まで出向くのは面倒だった。面倒だったから、澄香邸で開くことにした。どうせ場所はある。人も集まる。騒いでいれば、何もかも忘れられる。仲間内の半分以上がやって来た。酒を飲む者、カードで遊ぶ者。音楽は限界まで音量が上げられていた。修司はソファにもたれ、指に煙草を挟んでいた。目の前には酒がずらりと並んでいる。彼がここまで荒く飲むことは、めったになかった。修司はもともと自制心が強く、人前で取り乱すような男ではない。けれど今夜は、抑える気になれなかった。酔いたかった。何も分からなくなるまで酔えれば、それでよかった。伊織も来ていた。赤いワンピースを着て、髪をゆるく大きく巻き、彼の隣に座って、何杯か彼の代わりに飲んだ。誰かが「伊織お嬢様、心配してるんだな」と冷やかした。彼女は否定せず、ただ笑った。修司は彼女を見なかった。「修司さん、飲みすぎじゃないですか?」誰かが近づいてきて、新しいグラスを差し出した。修司はそれを受け取り、一気に飲み干した。そばにいた者が呆れたように声を漏らす。「修司さん、今夜どうしたんだ?失恋でもした?」「失恋って。修司さんが失恋なんかするかよ。どうせ仕事のことだろ」「だよな。修司さんが女を本気で相手にするわけないし」笑い声の中、誰かが彼の手にマイクを押しつけた。「修司さん、一曲!」修司は受け取らなかった。煙草を灰皿に押しつけて消し、立ち上がる。足取りは、すでに少しふらついていた。誰かが支えようとしたが、彼はその手を振り払った。音楽が、さらに激しい曲へ変わった。修司は人の輪に囲まれながら、一杯、また一杯と酒をあおった。スーツの上着は、とっく
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第12話

人がすっかり帰ったあと、リビングには散らかり放題の跡と、ソファにもたれて目を閉じている修司だけが残った。翔平はスタッフに水と温かい味噌汁を用意させた。運ばれてきた頃には、修司はもう眠りに落ちかけていた。「起きろ。飲んでから寝ろ」修司は動かなかった。翔平は彼の隣に腰を下ろし、水と温かい味噌汁をローテーブルに置いた。しばらく黙ったあと、口を開く。「修司」彼は言った。「ひとつ、話しておきたいことがある」修司は返事をしなかった。けれど眠ってはいない。睫毛がかすかに震えた。聞いている証拠だった。「昔、俺のことをすごく好きでいてくれた子がいた」翔平の声は静かだった。少し間を置いた。言葉を選んでいるようでもあり、遠い昔を思い返しているようでもあった。「本当に、よくしてくれたんだ。よくしてくれすぎて、いつの間にかそれが当たり前になっていた。何か食べたいと言われれば、自分で買ってくればいいと言った。具合が悪いと言われれば、温かいものでも飲んで寝ろと言った。メッセージが来ても、読んだあと、急ぎじゃないと思って返さなかった。俺は、あの子が離れていくなんて思っていなかった。毎回、次はちゃんとすると言った。でも次も同じだった。彼女が怒れば適当に宥めて、宥めきれなければそのままにした。どうせ二、三日もすれば、また機嫌が直ると思っていたから」修司の眉が、わずかに動いた。「でもある日、本当にいなくなった」翔平は言った。「引っ越して、電話番号も変えて、俺の連絡先を全部ブロックした。それでも俺は、大丈夫だと思っていた。どうせ戻ってくる。あれだけ俺のことを好きだったんだから、本気で離れられるはずがないって。そのあと、彼女が結婚すると聞いた」修司が目を開けた。その目はどこかぼんやりしていて、酔いのせいなのか、それ以外のせいなのか分からなかった。「信じられなくて、会いに行った」翔平の声が低くなる。「会えたよ。彼女は本当に結婚していた。それに――その相手を見る目が、昔、俺を見る目とは違っていた。昔の彼女は、俺を見るとき、いつもどこか遠慮していた。もう少しだけ自分を見てほしいって、お願いしているような目だった。でも、その人を見る彼女は笑っていた。安心していて、ちゃんと落ち着いた、とても穏や
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第13話

メルボルンに着いたばかりの頃、私は決められた予定どおりに授業を受け、研修をこなし、この街の生活のリズムに慣れていった。南半球の陽射しは思っていたより強く、空気にはいつもユーカリの香りが混じっていた。最初のうちは、つらかった。鈍く、途切れず、波のように、何度も胸の奥へ押し寄せてくるものがあった。朝、コーヒーを淹れると、つい二杯分作ってしまう。そして多く淹れてしまった一杯を前に、ぼんやりする。眠る前にスマホを開くと、彼から連絡が来ていないか無意識に確認しようとして、そこでようやく、もう連絡先はすべて消したのだと思い出す。それでも私は、少しずつ慣れようとしていた。研修センターのカリキュラムはぎっしり詰まっていた。航空会社の管理職向けプログラムは、路線計画から危機対応まで、あらゆる分野を扱っていた。毎日教室に座ってノートを取り、マインドマップを描き、さまざまな国から来たクラスメイトたちとグループディスカッションをした。私の過去を知る人は、ここには誰もいない。そうして日々が過ぎていった。ある日の午後、私は研修センターのテラスに座り、コーヒーを片手に、遠くのメルボルンの街並みをぼんやり眺めていた。そのとき、ふと一つの問いが浮かんだ。研修が終わったら?帰るのか。あの街へ。修司がいて、伊織がいて、私が笑いものになるのを待っている無数の目がある、あの街へ。それから?航空会社の管理職として、決められたように出勤し、退勤し、会食に出て、残業して、深夜に空っぽの部屋へ戻り、あの記憶と暮らしていくのか。その午後、私はテラスで二時間も座っていた。いろいろなことを考えた。けれど最後に残ったのは、一つの思いだった。両親がやり残したことを、私が続けたい。それから私は、メルボルンの製薬業界の動向を追い始めた。業界レポートを読み、オーストラリアのバイオテック業界のエコシステムについて調べた。すると、メルボルンはアジア太平洋地域でも有数のバイオ医薬品の拠点であり、世界的な製薬会社や研究機関がいくつも拠点を置いていることが分かった。チャンスは、思っていたより多かった。けれど、もう一度この業界に入るのは簡単なことではない。私には関連する学歴も、業界の人脈もない。胸を張って出せる経歴さえなかった。
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第14話

水を飲ませようとする人もいれば、手元の書類であおぐ人もいた。慌てて彼のポケットを探り、常備薬を探している人もいた。けれど、まともな応急処置をしている人は誰もいなかった。頭の中に、母が教えてくれたことが次々と浮かんだ。母は私がまだ幼い頃から、応急処置の知識を教えてくれていた。「いざというとき、役に立つかもしれないから」と言って。私はそばへ行ってしゃがみ込み、老人の頸動脈に指を当てた。脈は弱い。けれど、まだ触れる。「どういう状態ですか?」私は隣にいた、付き添いらしき男性に尋ねた。「森川様には心臓病の持病があります。おそらく心筋梗塞で……」最後まで聞く前に、私は動いていた。老人を仰向けに寝かせ、ネクタイを緩め、シャツの一番上のボタンを外した。気道が確保できていることを確認してから、心肺蘇生を始めた。一回。二回。三回。周囲のざわめきが、すっと消えた。その場にいる全員の視線が、私に集まった。どれくらい経ったのか、分からなかった。二分だったのか。五分だったのか。ふいに、老人の胸がわずかに上下した。顔色も少しずつ戻っていく。人の輪の中から、安堵の拍手が起こった。私は床に座り込んだまま、全身汗だくで、手も震えていた。救急隊は三分後に到着し、老人を担架に乗せて運んでいった。付き添いの男性が追いかけてきて、私の名前と連絡先を尋ねた。私は手を振り、「結構です」と断った。後になって知った。あの老人の名は、森川宗一郎(もりかわ そういちろう)。地元の名門一族の当主で、医薬、不動産、金融にまたがる事業を持ち、メルボルンの日系社会でも大きな影響力を持つ人物だった。一週間後、電話が一本かかってきた。「藤原さん」電話の向こうの声は低く穏やかで、昔気質の実業家らしい落ち着きがあった。けれど、思っていたより少し若々しくも聞こえた。「森川宗一郎です。先週の土曜日、サウスバンクのギャラリーで、あなたに命を救われた」私は一瞬、言葉に詰まった。「今、メルボルンに来ている。直接、礼を言いたい。都合はつくだろうか」少し考えてから、私は承諾した。待ち合わせ場所は、メルボルン中心部にあるオフィスビル最上階の会員制ラウンジだった。宗一郎は車椅子に座っていた
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第15話

私は遠慮しなかった。宗一郎を見て、一語ずつはっきり言った。「森川さん、私には本当に助けが必要です。医薬の世界で、もう一度やり直したいんです。父がやり残したことを、私が続けたいんです」宗一郎はうなずいた。彼は「なぜ」とは聞かなかった。「難しい」とも言わなかった。「女の子ひとりでは大変だ」とも言わなかった。ただ、一言だけ言った。「いいだろう」そして机の上の電話を取り、どこかへかけた。「蓮、少し来なさい」二分もしないうちに、扉が開いた。入ってきたのは、一人の男だった。濃いグレーの薄手のニットを着ていて、袖は無造作に前腕までまくられている。筋の通った手首がのぞいていた。服装よりも先に、私の目を引いたのは、その顔だった。思わず見返してしまうほど、整った顔立ちをしていた。輪郭は端正なのに鋭すぎず、どこか余白を感じさせる。切れ長の目に、深い色の瞳。人を見るときはどこか気だるげなのに、視線だけは妙にはっきりしていて、ほんの一瞬目が合っただけで、何かを見透かされたような気にさせられた。肌は冷たさを帯びたように白く、その白さが、彼のまとうけだるい距離感をいっそう際立たせている。綺麗な人だった。けれど、その綺麗さが男らしさを損なっているわけではなかった。むしろその整った容姿があるからこそ、内側にある芯の強さがいっそう際立って見えた。彼は宗一郎に一度目を向け、それから私を見た。けれどその視線は、私の顔にほとんど留まらないまま、すぐに逸れていった。「じいさん」低い声だった。どこか気の抜けた、ゆるい響きがある。「呼んだ?」宗一郎は私を指した。「藤原夏希さんだ。藤原誠一さんの娘さんだ」男の視線が、もう一度私に戻った。「藤原誠一」彼はその名前を繰り返した。「覚えているのか?」宗一郎が尋ねた。「覚えてる」彼は言った。「前に話してた。浜都の人だろ」宗一郎はうなずき、私のほうへ向き直った。「藤原さん、これは私の孫の森川蓮だ。医薬の道に進みたいなら、こちらの学術界について、彼に案内してもらうといい」それを聞いた森川蓮(もりかわ れん)は、少し首を傾けて私を見た。「分かった」彼はそう言った。そして、そのまま出ていった。扉が閉まると、宗
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第16話

マードック教授の目が、ふっと明るくなった。「藤原誠一?浜都の、あの藤原誠一かね?」私はうなずいた。胸の奥が、少し熱くなった。遠く離れたメルボルンで、父の名前を覚えている人がいるなんて思わなかった。その午前中、蓮は私を連れて、いくつもの分科会場を回った。彼はほとんど私に話しかけなかった。ただ、私が話の流れについていけなくなったときだけ、ふいに歩く速度を落としたり、今発言している人物に目を向けるよう、視線だけで合図したりした。私は影のように彼の後ろについて歩きながら、彼がどう人と接するのかを見ていた。彼は、無駄な世間話をしない。握手をする。自己紹介をする。意見を出す。情報を交換する。その流れは驚くほど自然で、余計な言葉がひとつもなかった。昼休みになって、彼はようやく私に話しかけた。「どうだった?」「情報量が多すぎます」私は正直に言った。「専門用語も、聞いたことのないものがいくつもありました」彼は私を一瞥した。「父親に専門知識を教わり始めたのは、何歳の頃だ?」私は少し驚いた。そんなことを聞かれるとは思っていなかった。「たぶん……十二、三歳くらいです」「なら、基礎は悪くない」彼はポケットからペンを取り出し、私の招待状の余白に、何冊かの本のタイトルを素早く書いた。「まずはこれを読め。読み終えたら連絡しろ」私はそのタイトルを見下ろした。どれも英語原書の専門書だった。中には、国内の図書館でも見たことのないものがあった。「ありがとうございます」そう言うと、彼は短く「ん」と返して、そのまま歩いていった。それだけだった。余計な指導も、長い説教もない。「しっかり勉強しろ」という一言すらなかった。それなのに私は、このあっさりした距離感が、不思議と心地よかった。相手の顔色をうかがう必要がない。おそるおそる本音を探る必要もない。ただ、こういうことだ。必要なものは渡す。どれだけ吸収できるかは、自分次第。それからの日々、私は蓮が薦めてくれた本に取りかかった。昼間は授業と研修。夜は明け方近くまで本を読む。私はアパートの机に向かい、スタンドライトの明かりとコーヒーだけを頼りに、難解な専門文献を一ページずつ読み進めた。どうしても分からないとこ
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第17話

そんな人が、どうして酔うほど飲んだのだろう。けれど私は何も聞かず、車の鍵を持って部屋を出た。サウスバンクに着くと、蓮は川沿いのベンチに座っていた。夜風は冷たいのに、彼は薄いシャツ一枚だった。袖は前腕までまくられ、襟元もゆるく開いている。そんな姿の彼を見るのは初めてだった。「森川さん」私は歩み寄り、彼の前に立った。彼が顔を上げて、私を見る。街灯の光が彼の顔に落ちていた。切れ長の目の奥に、これまで見たことのない感情があった。ぽっかりと空いたような、呆然とした色。「どうしてこんなに飲んだんですか」私はしゃがみ込み、彼の手にあるグラスを取ろうとした。けれど彼は、私の手を避けた。声は少し掠れて、いつもより曖昧だった。「今日は、親父の命日なんだ」私は動きを止めた。「毎年この日になると」彼は私を見た。視線は少しぼやけている。「ここに来て、しばらく座ってる。親父は、この川で死んだ」私は彼の視線を追って、川面を見た。メルボルンの夜、ヤラ川の水面は光を映して静かに揺れていた。鏡のように穏やかで、そこには悲しみの跡も、人ひとりの命を呑み込んだ気配も見えなかった。私は彼の隣に座った。何も言わなかった。何を言えばいいのか、分からなかった。大切な人を失う痛みなら、私にも分かる。どんな慰めも薄っぺらく、どんな言葉も余計に思えた。私たちはそのまま、黙って川を見ていた。その夜、私はそれ以上のことを尋ねなかった。メルボルンに来て七か月目の頃、蓮が私に一つ「課題」を出した。薬の研究開発に関する市場分析レポートを、ひとりで仕上げること。テーマは、「アジア太平洋市場におけるADC医薬品の競争環境」父が生前、最後に取り組んでいた分野だった。そのテーマを見た瞬間、体がこわばった。蓮がわざと選んだのか、偶然なのかは分からない。けれど普段の彼を見ていると、この人が意味のないことをするとは思えなかった。私は何も聞かず、課題を引き受けた。資料を集め、データを整理し、競争環境を分析した。一か月後、私はレポートを彼に送った。三日後、彼から返信が来た。【来週、プロジェクト審査会がある。俺と一緒に来い。発表はお前がやれ】その一文を見つめたまま、鼓動が少し速くなっ
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第18話

彼が慣れた手つきで料理を注文し、店主と地元の言葉で話しているのを見て、私は少し不思議な気持ちになった。この人は、まるで一冊の本みたいだ。ページをめくるたびに、知らない一面が出てくる。食事を終えると、彼は私をアパートまで送ってくれた。車をアパートの前に停めても、彼はすぐにはエンジンを切らなかった。代わりにグローブボックスから封筒を取り出し、私に差し出した。「これは?」私は受け取って、中を開けた。入っていたのは、プロジェクト計画書だった。ADC医薬品の初期研究開発プロジェクト。主導するのは森川バイオファーマで、提携先は浜都医科薬科大学と、シンガポールのベンチャーキャピタル。プロジェクト責任者の欄には、私の名前があった。私は顔を上げ、彼を見た。何か言おうと口を開いたのに、声が出なかった。「このプロジェクトは、お前が責任者をやれ」彼は言った。「チームはもう組んである。研究開発の責任者はマードック教授の教え子だ。前臨床研究には、グラクソ・スミスクラインの人間も入る。夏希。お前の父親がやり残したことを、お前がやるんだ」その夜、アパートに戻った私は、机の前に座り、その計画書を三度読み返した。プロジェクトが始まってから、私は目の回るような忙しさになった。蓮が研究室に来ることは少ない。けれど、彼のプロジェクトへの理解は驚くほど正確だった。進捗を報告するたびに、彼はすぐに核心をつかみ、問題点を鋭く指摘した。一度、私たちはある技術的な難題で行き詰まった。研究開発チームが三日間会議を続けても、結論は出なかった。私はデータを持って蓮を訪ねた。彼は十分足らずで、問題を解いてしまった。研究開発責任者が私に電話をかけてきたとき、その声には、ほとんど崇拝に近い驚きが混じっていた。「森川蓮って人は、いったいどんな頭をしているんですか?」私は少し笑って、何も言わなかった。けれど心の中では思っていた。本当に、彼はいったいどんな人なのだろう。その問いに答えが出たのは、ずっと後のことだった。けれど、それはまた別の話だ。そのときの私は、ふと夜空を見上げた。南半球の星空は、北半球より明るく見える。天の川まで、はっきり見えた。父が星座の見分け方を教えてくれたことを思い出
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第19話

飛行機が浜都に着いたのは、ちょうど夕暮れどきだった。窓の外では、一年半前に逃げるように離れたこの街が、夕焼けに染まって淡い金色に輝いていた。高層ビルが立ち並び、車の流れは途切れない。私が去ったときと、何ひとつ変わっていないように見える。けれど分かっていた。変わったのは、私のほうだ。プロジェクト審査会は、浜都国際会議場で開かれた。森川バイオファーマのADC医薬品開発プロジェクトは、アジア太平洋地域での第Ⅲ相臨床試験の承認を得た。実用化に向けて、また大きく一歩前進したということだった。祝賀会は午後七時から、シャングリ・ラホテル三階の宴会場で開かれる予定だった。私は深いグリーンのベルベットのロングドレスに着替え、髪をまとめた。鎖骨が見え、耳元には小さなパールのピアスが揺れている。鏡に映る女は、一年半前、空港からよろめくように逃げ出した女とは、まるで別人だった。美咲は宴会場の入口で待っていた。顔を合わせた瞬間、彼女の目が赤くなる。「夏希、痩せたね」彼女は私を上から下まで見た。「でも顔色、すごくいい。なんか、全身がきらきらしてる」私は笑って、彼女を抱きしめた。「あなたは少し太った?」「うるさい」美咲は涙ぐみながら笑い、私の腕を取って中へ入った。宴会場では、人々がグラスを手に談笑していた。浜都の医薬業界の古くからの顔ぶれと、新進の企業関係者が一堂に集まっている。蓮は今夜、来ていなかった。こういう場は面倒だから、自分で何とかしろ、と言っていた。私はシャンパンを手に、提携先の代表たちと挨拶を交わした。業界の動向、政策の流れ、次の段階の研究開発計画。どの話題にも、自然に応じられた。すべてが、無理なく進んでいた。入口に立つその人影に気づくまでは。修司だった。彼は深い黒のスーツを着ていた。シャツは真っ白で、ネクタイはしていない。襟元が少し開いている。人混みの中でも、彼はいつもすぐに分かる。顔立ちのせいではない。身にまとった、あの冷たさのせいだ。彼の視線は人混みをまっすぐ抜けて、私に向けられた。どうして彼がここにいるのか、私には分からなかった。森川バイオファーマの祝賀会に、高城家の人間が招かれるはずはない。宴会場の反対側から、私たちは目が合った。
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第20話

その瞬間、目の奥が熱くなった。「この写真、どこで見つけたの?」「佐伯家の金庫だ」修司は淡々と言った。「佐伯正臣が当時、お前の家から持ち去ったものだ。ほかにもあった。お前の父親の手稿、実験記録、母親の研究ノートも、全部そこに残っていた。整理はもう済ませてある。来週、お前のメルボルンの住まいに届けさせる」私は写真を握りしめた。指先に力が入り、関節が白くなる。長い沈黙のあと、私は深く息を吸い、顔を上げて彼を見た。「どうして、そこまでしたの?」「お前の父親のものだからだ」彼は言った。「お前に返すべきものだろう」「私が聞いているのは」私は一語ずつ、昔の自分の代わりに問いただすように言った。「どうして佐伯家から取り戻したのかってこと。あなたは佐伯家と手を組んでいたんでしょう。伊織を守るつもりだったんでしょう」彼は数秒、黙っていた。それから、風に消えてしまいそうなほど低い声で言った。「夏希。俺は最初から、佐伯家の側に立っていたわけじゃない。ただ、自分の側に立っていただけだ。でも、お前がいなくなってから」そこで彼は、少し言葉を切った。「その自分の側に、もう何も残っていないことに気づいた」私は彼を見ていた。彼は目をそらさなかった。かといって、深く悔いているような、許しを乞うような目で私を見ることもなかった。ただ静かに、ひとつの事実を口にしていただけだった。けれど、その静けさが、私の心のどこかをほんの少しだけ揺らした。私は初めて、本当の高城修司を見た気がした。上から人を見下ろす修司でも、喜怒哀楽を表に出さない修司でもない。後悔もする。孤独にもなる。自分が選ぶ道を間違えたのだと気づく。そんな、ひとりの普通の人間だった。けれど、揺れたのはそれだけだった。「返してくれて、ありがとう」私は封筒を大切にしまった。「でも、私とあなたはもう何の関係もない」彼はうなずいた。引き止めることもなく、手すりにもたれたまま、私が背を向けるのを見ていた。背後から、追ってくる足音はしなかった。ふと、ずっと昔のことを思い出した。霊園の入口で、彼が私を待っていた日のこと。泣き終えて出てきた私に、彼は黙って水のボトルを差し出した。何も言わなかった。あのとき私は初
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