Alle Kapitel von 横領犯にされた経理女は、若頭の金庫を握って元社長を潰す: Kapitel 61 – Kapitel 70

86 Kapitel

第61話:高槻亜希の名義

 高槻亜希は、店によって名前を変えていた。  それに気づいた瞬間、私の中で一本の線が動いた。  私は亜希に関する記録を、一枚の紙の上に並べていた。贈答の送り先。送迎が向かうエリア。来店に同伴した日。そして、名乗り方。  並べてみて、おかしなことに気づいた。亜希は、いつも「高槻亜希」を名乗るわけではない。場によって違う。  三崎の連れとして来る時は、ただの女性として扱われる。けれど、別の席では、名刺を持っていた。肩書のついた名刺を。  完全な偽名ではない。けれど、同じ女が、立場を着替えている。 「この人ね」  沙耶が、私の手元を覗き込んで言った。 「前は、取引先の人って紹介されてたわよ。広報がどうとか。あたし、てっきり仕事相手かと思ってた」  私はその一言に食いついた。 「仕事相手、ですか」「そう。だから最初は、社長と何かあるなんて思わなかった。途中で、あれ、これただの愛人じゃんって気づいたけど」  愛人。けれど、仕事の顔を与えられた愛人。  その差は大きい。  ただの愛人なら、三崎は自腹で囲うしかない。  けれど「取引先」や「広報協力」という顔があれば、囲う金に理由がつく。  会食に同席させても説明できる。  贈り物をしても説明できる。  住まわせても説明できる。  すべて「仕事上の関係」という顔で処理できる。  会社の経理
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第62話:八十万円の日付

 私は店に戻り、過去のメモと照合した。高津総合プランニング関連の記録。亜希が名刺を出した場の話。来店日と送迎先。  並べると、見えてきた。  亜希は、「個人事業」や「広報協力」のような曖昧な立場で処理されている可能性が高い。住まわせる。贈答する。会食に同席させる。それを「仕事上の関係者」として、薄く偽装できる立場。  つまり、愛人ルートと外注ルートが、ここで近づいた。  別々の線だと思っていた二本が、亜希という一点で交わる。  そこまで来て、私は、もう一つ確かめた。  八十万円が会社を出た、あの日付。  手帳に残した「4/7」。  その前後で、亜希に関する記録を、並べ直す。  送迎が初めてあの住所エリアへ向かった日。  最初の贈答手配が切られた日。  送付先が、偽装の宛名で処理され始めた時期。  ――重なった。  八十万円が外注費の顔で会社を出た、その同じ月に、亜希の暮らしは、あの住所で立ち上がっていた。送迎も、贈答も、宛名の偽装も、すべてが、その一点から始まっている。  偶然なら、こんなに綺麗には揃わない。  もう、「かもしれない」じゃなかった。  私を横領犯にした、あの八十万円は、この女を住まわせるための、初期費用だった。私を潰した数字と、亜希の暮らしを支えた数字は、最初から、同じ一本だったのだ。  指が、震えた。会社で誰にも信じてもらえなかった違和感。気持ちが悪い、とだけ書いた一行。それが今、半年分の記録に裏打ちされて
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第63話:社内に残る控え

「社内に、まだ控えが残ってるかもしれない」  その一言を聞いた瞬間、私は息を止めた。  電話の主は、元の会社で経理にいた女性だった。前に一度だけ外で話した人。声が震えていた。長くは話せないと最初に言われた。それでも彼女は連絡をくれた。  私は気持ちが前のめりになるのを無理に抑えた。ここで急かせば壊れる。それは分かっていた。  会えたのは、駅から少し歩いた人目の少ないカフェだった。彼女は隅の席を選んだ。入口を背にして座った。私はその向かいに座って声を落とした。 「残ってるかもしれない、というのは?」  彼女は、カップを両手で包んだまま、ゆっくり話した。 「正式な伝票の綴りとは別に……仮の資料があったの。差し替える前の控え。一時保存用に印刷したもの。手書きのメモがついた下書きみたいな資料」「それが、今も」「分からない。長尾さんか畑中さんが、処分してるかもしれない。でも、あの人たちも全部を覚えてるわけじゃない。雑に残ってる可能性は、ある」  私は、心臓が速くなるのを感じた。  会社の不正は完璧ではなかった。塗り直した後の紙は綺麗でも、塗り直す前の中間資料がどこかに残っているかもしれない。仮綴り。一時保管。誰も意図して守っていない紙。けれど、誰も消し忘れた紙。 「もし残ってるとして」  私は慎重に聞いた。 「その場所に、手が届く人は?」  彼女は、少し迷ってから、声を落とした。 「……堀内さん、かな。総務で、古い書類の保管を、ずっと一人で見てた人。あの人なら、どこに何があるか、たぶん
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第64話:紙の在処

 彼女は、少しだけ目を見開いた。それから、肩の力が抜けたように、うなずいた。 「あなた、変わったね」  ぽつりと言った。 「会社にいた頃は、もっと、何も言わない人だった」「言っても、無駄だと思っていたので」「今は」「今は、言えば届く場所にいます」  彼女は、小さく笑った。泣きそうな笑い方だった。  別れ際、彼女は「思い出してみる」とだけ言った。約束ではなかった。けれど、扉は閉じなかった。  綾月に戻り、私は黒瀬に報告した。差し替え前の控え。仮資料。備考の書き換え。  黒瀬は、最後まで黙って聞いた。それから、短く言った。 「証言より、場所だな」「場所、ですか」「人は怖がる。揺れる。証言はいつでも引っ込められる。だが紙は逃げない。一度どこかにあると分かれば、それは動かない事実になる。次は人を追うんじゃない。資料が残りやすい場所と、その運用を読め」  私は、その言い方に黒瀬らしさを感じた。この男は、人の善意を当てにしない。人は裏切る。怖がる。だから、裏切らないものに賭ける。紙。数字。記録。それは、私がこの半年で武器にしてきたものと、同じだった。  「協力者を追い込めば、潰れる」と黒瀬は続けた。 「あの女は、もう十分喋った。これ以上引っ張るな。あとは、おまえの記憶でやれ」  私は、また一つ、感情から工程へ戻された。  逸る気持ちはあった。差し替え前の控えがあれば、私の濡れ衣を、表のルートで晴らせるかもしれない。七年分の仕事を、否定されずに済むかもしれない。  けれど、黒瀬の
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第65話:表に流すもの、握るもの

「そろそろ分けろ」  黒瀬が、そう言った。  私のファイルは、もう片手では持てないほど厚くなっていた。半年分の記録。三崎の支払い癖。亜希の名義。宛名の揺れ。差し替えの違和感。元会社の沈黙。一枚ずつ集めてきた紙が束になっていた。  厚いことに私は少し満足していた。ここまで積んだ。会社を追われた時には何も持っていなかった。その私が、今はこれだけの線を握っている。 「分ける、というのは?」「何を表に出して、何を出さずに握るかだ」  私は、その意味がすぐには分からなかった。 「全部出せば、いいんじゃないんですか。三崎の不正です。隠す理由が――」「ある」  黒瀬は、私の言葉を切った。 「全部出せば、綾月も巻き込まれる。三崎の金の一部はこの店を通ってる。客の導線も送迎の記録も、表に出せばこっちの商売の中身まで晒すことになる。三崎を潰すために自分の足場を崩す馬鹿はいない」  私は、黙った。その通りだった。  私は、自分の濡れ衣を晴らすことばかり考えていた。けれど、私が立っているこの場所も、無傷ではいられない。証拠は、出し方を間違えれば、自分に跳ね返る。  その夜、私と黒瀬、それから白石も交えて、ファイルを二つに分け始めた。  表に流しやすいもの。  不自然な外注。経費処理の揺れ。後追いで作られた資料。差し替えの疑惑。会社の金が私的に流れた可能性。これらは公の場で戦える。法のルートに乗せられる。  握っておくべきもの。  綾月の客の導線。裏口での接触の癖。送迎網の記録。亜希の生活圏の細部。
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第66話:夜道の警告

「最近、大変でしょう」  そう声をかけられた時、私は一瞬、足が止まった。  店を出た直後だった。いつもの帰り道。けれど、いつもと違うタイミングだった。送りの車が来るまでのほんの数分。その隙間に男は立っていた。  スーツ姿だった。会社関係者のような身なり。だが見覚えはなかった。男は名前を名乗らなかった。ただ人懐こい笑みを浮かべて、私との距離を詰めた。 「前の会社の件、もう落ち着きましたか?」  心臓が、跳ねた。  前の会社。この男はそれを知っている。偶然のはずがない。私がここで働いていることも、私の過去も把握した上で立っている。  私は、答えを濁した。 「どなた、ですか?」「いえ、ちょっとした知り合いの代わりで。あなたのことを心配している人がいましてね」  丁寧な言葉だった。脅し文句は、一つもなかった。だからこそ、気持ちが悪かった。 「もう蒸し返さない方がいいこともありますよ」  男は、笑顔のまま言った。 「過ぎたことを掘り返しても、いいことはない。あなたみたいな立場の人は、特に。せっかく、新しい場所で落ち着いてるんだ。波風を立てない方が、賢い」  私は、取り乱さなかった。  代わりに観察した。男の靴。革は上等だが踵が少し擦れている。時計。悪くないが見栄を張る種類のものではない。話し方。慣れている。  こういう「やんわりした圧」を何度もかけてきた人間の口ぶりだった。  会社の使いか。もっと外の人間か。橘という名の、三崎側の弁護士の手の者か。&nb
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第67話:黒瀬の怒りは静かに怖い

 黒瀬は、怒鳴らなかった。  それなのに、車内の空気は、ずっと重いままだった。  夜道の男のことを話したあと、黒瀬は前を向いたままほとんど口をきかなかった。私が「大丈夫です」と言っても聞かなかった。聞かないというより、その言葉を最初から信じていなかった。 「相馬」  黒瀬が、運転席に声をかけた。 「今後の導線を全部洗い直せ。理央の帰りは必ずこっちで拾え。一人にするな」  相馬は短く返事をした。指示は矢継ぎ早だった。全部が早い。私の意思を確認する間もなかった。  事務室に戻ると、黒瀬は私に向き直った。  責める言葉ではなかった。けれど、その目は、私を逃がさなかった。 「おまえ、自分の値段を、まだ理解してない」  私は、反発した。 「値段で、言わないでください」「値段で言う」  黒瀬は、一歩も引かなかった。 「値段のないものは守れない。誰も守らない。値打ちが分からないものを、人は道端の石みたいに扱う。おまえは会社で、そう扱われた。だろう」  その言葉が、胸を突いた。  その通りだった。会社で私は値段のない女だった。替えの利くパート。説明しやすい人間。だから道端の石のように捨てられた。 「私は」  私は、声を絞り出した。 「私は、守られるために、ここにいるんじゃありません」  黒瀬は、すぐに返した。 「守ってるんじゃない。失く
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第68話:客のふりで、脅しに来た

 夜道の男のことがあってから、私はフロアに顔を出さなくなった。奥の、鍵のかかる席。黒瀬さんが用意した、いちばん見えない場所。  それでも、あの男は、来た。  三崎が綾月に現れたのは、その数日後だった。連れもなく、いつもの穏やかな顔で。黒瀬さんは、相馬さんと外の線を洗いに出ていて、店にいなかった。  そして三崎は、九条さんに、こう言ったという。 「経理さんに、ちょっと伝票のことで。呼んでもらえるかな」  客の、当たり前の頼みごとの顔をしていた。断れば、この店が経理を隠していると、白状するようなものだ。  私は、奥の席を立った。逃げれば、もう一つ証拠を渡すことになる。あの男に、私が怯えているという、証拠を。  廊下の途中で、三崎と向き合った。九条さんが、少し離れた場所から、こちらを見ている。  三崎は、穏やかに笑った。けれど、その目は、笑っていなかった。  「最近ね」と三崎は言った。声を、落として。 「自分の払った金が、やけに丁寧に見られてる気がするんだ。宛名の切り方とか、ね。気のせいかな」  心臓が、嫌な打ち方をした。けれど、私は、顔に出さなかった。出さない練習だけは、この半年、嫌というほどしてきた。 「伝票のことでしたら」  私は言った。 「うちは、どのお客様の分も、同じように見ています」「同じように」  三崎は、その言葉を、転がすように繰り返した。 「経理ってのはね、見すぎると、長く勤まらない仕事だよ。前にも、そういう人がいてね。数字に細かくて…
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第69話:逃げる先の一覧

 夜道の男が、なぜ私の帰り道を知っていたのか。黒瀬さんは、それを洗った。答えは、思っていたより近くにあった。  「店の中だ」と黒瀬さんは言った。 「おまえの過去も、シフトも、棚の控えも。外へ漏らしてた指が、ここにいた」  会計担当のスタッフだった。  私が金庫まわりの確認を任された日から、露骨に面白くなさそうにしていた人。  古い控えを一枚ずつ棚から抜いていたのも、私のシフトを夜道の男へ渡したのも、その手だった。  金で釣られたのか、私が邪魔だったのか。  たぶん、両方だろう。  ずっと感じていた、棚から消える控えの違和感。  あれは、気のせいじゃなかった。  すぐ隣に、向こうの手があった。  けれど――私は、見つけた日に写しを取っていた。  だから、その指がどれだけ抜いても、束は減らなかった。  内側に裏切りがいても、私の記録だけは、裏切らなかった。 「もう、店にはいない」  黒瀬さんは短く言った。 「証拠は押さえた。あの男が綾月の中に置いた目は、これで潰した」  綾月の内側が、ようやく静かになった。残るのは、外との勝負だけだ。そして黒瀬さんは、その外の戦いについて、思いがけない問いを口にした。 「三崎が今ここで崩れたら、どこへ逃げる?」  黒瀬が、そう問うた。  私は最初、意味が分からなかった。&nbs
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第70話:最後に残る場所

「女を踏むな、とは言ったぞ」「踏みません。晒しもしません」  私は言った。 「切られる前に、切られると教えるだけです。怯えは地図になるって、言いましたよね。あの女の怯えは、たぶん、いちばん詳しい地図です」  黒瀬は、しばらく私を見た。それから、低く言った。 「……それは、踏むのとは違うな」  晒される前に、逃げる道を見せる。それは、私が会社で、誰にもしてもらえなかったことだった。  切られる前に、誰か一人でも教えてくれていたら、私の七年の、終わり方は、違ったかもしれない。 「全部、塞ぐんですか?」  私が聞くと、黒瀬は首を振った。 「逃げ道を全部塞ぐ必要はない。一番使いそうな順に折る。人間は一番楽な道から逃げる。その道を先に潰せば、次に走る先が読める。読めれば、そこで待ち伏せできる」  優先順位。それが、鍵だった。全部を同時にやるのではない。順番をつける。  私は、三崎の性格を思い返した。  あの男が何より大切にしているのは、外面だ。誠実な経営者の顔。だから最初に守るのは、それだろう。次に、愛人と私的支出の隠蔽。  表に出れば外面が崩れるから。それから社内の火消し。畑中や長尾を使って社内の口を塞ぐ。 「まず、外面の維持」  私は、声に出した。 「次に、愛人と私的支出の隠蔽。それから、社内の火消し。三崎は、たぶん、この順で動きます」  黒瀬は、私を見た。それから、わずかに口の端を上げた。
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