All Chapters of 横領犯にされた経理女は、若頭の金庫を握って元社長を潰す: Chapter 81 - Chapter 86

86 Chapters

第80話:若頭の処理

 三崎清隆が、綾月の事務室に座っていた。  判決が下りて、社会的には、すべてを失った男が。  執行猶予で塀の外に残されたぶん、あの男はこれから、生きて償いを続けなければならない。  黒瀬さんに呼び出されて、ここに来た。  逃げ場のなくなった男が最後に縋れる相手を探したのか、それとも、呼ばれて断れなかったのか。  私は黒瀬さんの隣に座っていた。三崎は私を見て、一瞬だけ表情を歪めた。 「君が……全部、君がやったのか?」「いいえ」  私は答えた。 「あなたがやったんです。私は、それを数えただけです」  三崎の顔が強張った。いつもの外面の笑みは、もうどこにもなかった。やつれて、痩せて、目だけが落ち着きなく動いている。社会で通用していた男の顔は、剥がれていた。  黒瀬さんが、口を開いた。 「三崎さん。あんたは、もう終わりだ」  低い声だった。怒鳴らない。それが、一番怖い。 「会社に切られた。取引先に切られた。弁護士に切られた。女に切られた。家族にも切られた。残ってるのは賠償の借金と、一生消えない前科だけだ」  三崎は何も言わなかった。  「だが」と黒瀬さんは続けた。 「あんたには、まだ払うものがある。彼女への賠償だ。民事で命じられた金。それを踏み倒させはしない」  「金は……凍結されてる」と三崎が掠れた声で言った。 
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第81話:網の在処

 やっていることは、脅しではない。  刑事の判決で不正は認定され、民事では賠償の支払いが命じられている。  それを踏み倒させないための、取り立てだった。  法が決めた額を、現実の振込に変える。  黒瀬さんは、その回収が絵に描いた餅で終わらないよう、逃げ道を塞いだだけだ。  だから三崎は、拒めない。  拒めば、待っているのは差し押さえだ。  さらに私へ手を伸ばせば、脅迫という、もう一つの罪になる。  これが、若頭の処理だった。  殴って終わらせるのではない。  生きたまま、全部を支払わせる。  それが、本当の復讐だと、この人は知っている。  暴力は一瞬で終わる。  けれど、金と立場を奪われた人生は、毎日続く。  あの男はこれから、自分が踏みつけた相手のために、毎朝起きて働くのだ。  「もう一つ」と黒瀬さんは言った。 「彼女に、二度と近づくな。電話も手紙も、人を介してもだ。一度でも触れたら、そのときは俺が直接、相手をする」  その一言だけ、温度が違った。  私は隣でそれを聞いていて、胸の奥が静かに鳴った。黒瀬さんは、私を守るとは言わない。守るという言葉を安く使わない。代わりに、逃げ道を塞ぐ。それが、この人の守り方だった。  三崎は長いあいだ、うつむいていた。それから絞り出すように言った。 「……わ
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第82話:支払いの確約

 通帳にその数字が並んだとき、私はしばらく動けなかった。  第一回の賠償金。入金日。金額。振込人の名前。三崎清隆。  あのとき奪われた金が、初めて私の口座に戻ってきた。  私は綾月の事務室で、その明細を見ていた。隣には白石さんがいた。綾月周辺の会計を見てくれている税理士だ。冷静で辛辣で、けれど私の能力を誰よりも早く認めてくれた人。  「ちゃんと入ってるわね」と白石さんが言った。 「はい」「民事の賠償命令。これは公的な強制力がある。払わなければ給料も財産も差し押さえられる。だから、あの男は払うしかない」「黒瀬さんのところでも、逃げられないようにしてくれたと聞きました」「表の法と、逃がさないための圧。両方で挟んだのね」白石さんは薄く笑った。「逃げ場がないわけだ」  私は明細を、もう一度見た。一回分の入金は、決して大きな額ではない。賠償の全額に届くまでには何年もかかるだろう。それでも毎月、確実に入ってくる。あの男が現場で働いて稼いだ金が。  「これ、何年かかると思います?」と私は聞いた。 「あの賠償額なら、十年は超えるでしょうね」「十年」「いやでしょうね、あの男にとっては」  白石さんは付け加えた。 「十年間、毎月、自分が踏みつけた相手に金を振り込む。一回振り込むたびに、自分が負けたことを思い出す。これ以上の罰、ある?」  私は明細をそっと閉じた。  確かに、それはどんな暴力よりも長く続く罰だった。一発殴って終わりじゃない。十年。毎月。あの男は私の名前を見るたびに、思い出すのだ。自分が誰に負けたかを。 「白石さん」「なに」
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第83話:最後の箱

 賠償の第一回が振り込まれた、その週。私は、最後に残った一つに、取りかかった。  三崎は、終わった。けれど、あの男は、入口の一枚にすぎない。白河の、箱を並べた部屋。あそこを回している、まだ顔の見えない手。網は、まだ残っている。  残しておく気は、なかった。少なくとも、私の手が届いたこの線だけは、ここで、最後まで引き切る。  私には、武器があった。半年分の、箱の記録。高津総合プランニング。白河オフィスの登記。宛名の揺れ。そして――三崎という、生きた証人。 「あの男を、使います」  私は黒瀬さんに言った。 「三崎は今、賠償から逃げられない場所にいる。なら、最後に一つ、吐かせます。白河を回しているのが、誰なのか」  黒瀬さんは、わずかに目を細めた。 「あの男が、素直に喋ると思うか」「喋ります」  私は答えた。 「もう、守るものが何もない人間は、自分より上の人間を、いちばん簡単に売るんです。会社で、私が見てきた通りに」  けれど、三崎は、すぐには吐かなかった。  賠償の場に呼び出されたあの男は、最初、口を固く結んでいた。 「奴らを、売れば」  掠れた声で言った。 「俺は、塀の外でも、無事じゃ済まない」「無事な人生なんて、あんたにはもう残ってません」  私は、静かに言った。 「黙っていても、あんたは一生、私に金を払い続ける。喋れば、その重荷を背負った理由が、少しは形になる。それに――あんたが庇ってやる義理が
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第84話:汚名を洗う

「槻木さん。私たち、ずっとあなたのこと、信じてました」  そう言われて、私は静かに笑った。  元の会社で同僚だった人だ。喫茶店で向かい合っている。判決と会社の会見が報道されてから、何人かの元同僚が私に連絡をくれた。あなたは悪くなかった。最初からわかってた。  信じてた。わかってた。  あの日。私が横領犯として連れ出されたとき、誰も私をかばわなかった。声を上げてくれなかった。それが今になって、信じてた、と言う。  私は、その言葉を責めなかった。責めても、何も戻らない。あの人たちも三崎の作った沈黙のなかで、自分を守るしかなかった。それは、わかる。畑中課長も。長尾さんも。みんな、保身という名の檻のなかにいた。  「ありがとうございます」とだけ、私は言った。  それは、嫌味でも皮肉でもなかった。本心だった。連絡をくれたこと自体が、小さな勇気だ。私はもう、過去の沈黙を恨む段階を、通り過ぎていた。  相手は、少しためらってから、言った。 「あの、本当に、横領は……」  そこで、言葉が途切れた。聞きたいけれど、聞いていいのかわからない、という顔をしていた。  私は、まっすぐ目を見て答えた。 「私は、盗んでいませんでした」  こんなにまっすぐ、その言葉を口にできたのは、初めてだった。  七年間、会社で数字を合わせてきた私が、切られたあの日からずっと、心のなかで叫び続けてきた言葉。  誰にも信じてもらえなかった言葉。  それを今、言い訳としてではなく、記録に裏づけられ
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第85話:奪い返した席

 私は今、自分の席に座っている。  綾月の事務室。机の上には、月次の収支表と賠償金の管理台帳。私が組んだもの。私が握っているもの。窓の外は、もう夜だ。店が動き出す時間。  七年間、私は会社の端の席にいた。替えのきく、地味なパートの席。誰の記憶にも残らない、隅っこの席だった。  今、私がいるのは勘定を握る席だ。 「理央さん、給与の確認、お願いします!」  ひなのさんが明細を持ってきた。私は受け取って目を通す。彼女は当たり前のように私に金の確認を頼む。沙耶さんも。九条さんも。店の人間が、私を「勘定を持つ人間」として自然に扱っている。  それが、何より立場の証明だった。  肩書きじゃない。誰かが「お前は特別だ」と言ったわけでもない。仕事の範囲が、任される金の額が、私の値段を決めている。  一年前、黒瀬さんは言った。おまえの値段を決めるのは、おまえじゃなく結果だ、と。今ならわかる。私は結果で、自分の値段を上げた。 「ひなのさん」「はい」「この前のボトルの件。店のルールを変えておきました。もう、ああいう水増しはできません」「すごい……理央さんがいると、安心します」  私は少しだけ笑った。守られる側だった私が、今は守る側にいる。奪い返すだけの女から、握って守る女へ。あの夜の店に、震えながら入ってきた頃の私は、もういない。  ひなのさんが出ていったあと、ドアが開いた。黒瀬さんだった。  「報告は聞いた」と彼は言った。 「三つとも、完了したそうだな」「はい」  私はノートを机に置いた。
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