Alle Kapitel von 横領犯にされた経理女は、若頭の金庫を握って元社長を潰す: Kapitel 41 – Kapitel 50

86 Kapitel

第41話:鍵の手前

「今日から、これも頼む」  出勤すると、九条さんが一枚の紙を差し出した。業務範囲の追加だった。  これまでの日次確認に加えて、売上回収前の照合。入金封筒の仮集計。翌日繰越分の記録整理。そして、金庫の出入り前後の確認表の作成。  私は、紙を二度読んだ。  それは鍵そのものを持つ仕事ではない。金庫を開けるのは私ではない。けれど鍵の前と後ろで動く、いちばん責任の重い場所だった。  誰がいつ、いくら出し入れしたか。その記録に私の名前が入ることになる。 「……いいんですか。私で」「黒瀬さんが、おまえにと言った」  それで終わりだった。理由は、いつも後からしかわからない。  会計担当のスタッフは、露骨に面白くなさそうだった。これまで自分の領分だったところに、新人同然の女が入ってくる。そこまで必要か、という空気が、はっきりと顔に出ていた。  私は反論しなかった。歓迎されていないのは、わかっている。ここで言い返しても、何も得しない。まずは、手順を覚えることだ。  金庫まわりの運用を、私は一つずつ確かめていった。  誰が開けるか。誰が立ち会うか。何を記録に残すか。どこに二重の確認があるか。そして、どこが「慣れ」で飛ばされているか。  ルールはちゃんと文書になっていた。けれど現場は違った。立ち会いが一人で済まされている時間帯がある。出した理由が「いつものやつ」で通っている持ち出しがある。締めの時間が人によって十分も二十分もずれている。  ルールはあるのに、運用が緩い。  その緩さこそが、傷の生まれる場所だった。会社でも同じだった。属人的な処理。確認の省略。そう
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第42話:綺麗な数字ほど汚れている

 また一枚、抜かれていた。  朝、棚を確かめると、先月分の控えが一枚、消えていた。日付の台帳だけが残り、現物だけがない。向こうの手は、まだ店の中で動いている。  けれど今日は、胃が冷えなかった。  私は、自分の複製の束を開いた。抜かれた一枚と、同じ日付。同じ卓。――あった。  写しが、残っている。  向こうが原本を消した、まさにその一枚を、私は先に複製していた。間に合った。指がインクで汚れた、あの夜の一時間が、今、効いた。 「黒瀬さん」  私は複製を持って、事務室の黒瀬さんのところへ行った。 「今朝、原本が一枚抜かれました。でも、写しがあります。向こうが消したかった紙が、こっちに残ってます」  黒瀬さんは、その一枚を受け取り、しばらく見た。それから、低く言った。 「先に写したか」「抜くより、写すほうが速かったんです」  黒瀬さんの口の端が、わずかに動いた。笑いではない。けれど、初めて、評価ではなく、認める色がそこにあった。 「向こうは、消したつもりでいる。消えてないとは、思ってない」  その意味が、じわりと胸に来た。三崎はこの一枚を、もう存在しないものとして扱う。安心して、次へ進む。安心しているぶんだけ、無防備になる。 「黒瀬さん。抜いてるのは、誰なんですか」私は声を落とした。「鍵を持ってるのは、九条さんと、会計と、私。それだけです」「焦るな」  黒瀬さんは複製を置いた。 「抜く側は、抜けば抜くほど痕を残す。いつ、どの紙が消えたか。それを記録してるのは、おまえだけだ。消
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第43話:住まわせている女

「三崎って人、前にいつも同じマンションの女に花入れてたわよ」  沙耶さんが、何気なく言った。営業前のフロアで、グラスを拭きながら。  夜の店では珍しい話でもない。客が誰かに贈り物をするのはありふれている。だから誰も気に留めない。けれど私は「マンション」という言葉に引っかかった。  贈り物でも食事でもない。住まいが固定されている。そういう気配がした。花を一度送るのと、同じ住所に何度も送るのは、意味が違う。後者はその場所に「いつもいる人間」がいるということだ。 「同じマンションって、覚えてますか」「さあ。でも、送り先が毎回おんなじだった気はする」  私は、それ以上は問い詰めなかった。代わりに、ひなのに軽く尋ねた。彼女は送迎まわりをよく手伝う。 「送迎先のメモで、同じ住所、見た気がします」  ひなのの記憶は曖昧だった。けれど、曖昧でも、種にはなる。  その夜から、私は静かに照合を始めた。過去の送迎記録。花や贈答の受け取り先。三崎が席を立ったあとの動線。一つずつ、紙の上で重ねていく。  すると、ある女性の影が浮かんだ。  綾月のキャストではない。店の人間ではない。けれど、三崎の来店日と近いタイミングで、同じエリアの高級マンションが、送付先や送迎先として何度も出てくる。  私は、そこで会社時代の記憶を呼び起こした。  あの頃、私が処理した中に、住居関連に見える外注費があった。当時は社宅補助か福利厚生か何かだと思った。深く見なかった。  けれど今思い出すと、妙に個人寄りの支出だった。法人の福利厚生にしては、宛先が一点に偏りすぎていた。  会社にいた頃の私は
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第44話:名義の壁

 住所はわかった。名義の名前も、一つ出てきた。けれど、その名前こそが、壁だった。  席の引き出しを開け、住居関連らしい支出を並べる。  家賃。光熱。管理費。確かに一つの住所へ、毎月きれいに流れている。  けれど契約名義の欄にあったのは、三崎の名でも、女の名でもない。聞いたこともない、一つの名前だった。  調べても、その名前の実体は出てこない。電話も、勤め先も、顔も。ただ、契約書の上にだけ、その名前は存在していた。  借りた名前だ。  三崎が処理に慣れた男なら、本人名義でやっているはずがない。自分の名前は、決して固定しない。それは宛名の揺れで、嫌というほど見てきた。間に、誰かの名前を一枚、挟んでいる。  私が掴んだのは、その挟まれた一枚。実体ではなく、影の名前だった。  最初は、悔しかった。住所まで辿りついたのに、一歩も進めない。会社のときも、私はここで止まった。八十万円が変だと気づいても、誰の決裁か証明できないまま、私のほうが先に潰された。  同じ場所で、また止まろうとしている。けれど、あの頃と一つだけ違う。今は、止まったときに考え方を変えてくれる人間が、近くにいる。  その日、白石さんが綾月に立ち寄った。私は、また雑談のふりをして、住所の話を振った。  白石さんは、付箋だらけの手帳を閉じて、あっさり言った。 「住まわせてる男は、だいたい自分の名義で払わないわよ」「やっぱり、そうですか」「当たり前でしょ。名義を自分にしたら、その瞬間に全部繋がるんだから。慣れてる男ほど、間に何かを挟む」  そして指を折りながら、逃がし方を並べていく。&
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第45話:会社の中の沈黙

 スマホが鳴ったのは、綾月の裏口へ向かう途中だった。  非通知ではない。けれど登録のない番号。私は足を止めた。  画面の数字を、しばらく見つめる。出るべきか、消すべきか。 「前の会社のことで、少し話したいの」  通話に出るなり、女の声が早口でそう言った。低くて、怯えている。罠かもしれない。三崎が仕掛けた釣り針かもしれない。  私は無言で、その声の質を測った。芝居なら、もっと滑らかに喋る。この声は震えていた。震えは、簡単には作れない。 「どなたですか」「……同じ部署にいた者。覚えてなくていい。一度だけ、会えない?」  翌日の夜。駅から少し離れたコンビニの前で会った。  現れたのは私より年上の女だった。経理にいた人だ。顔は覚えている。名前もたぶん。当時は廊下ですれ違えば会釈を交わす程度の距離だった。助けてくれた記憶はない。だが、いじめた記憶もない。 「久しぶり。元気そう、とは言えないけど」  女は笑おうとして失敗した。  私も笑わなかった。  店の明かりが二人の足元を白く照らす。私はその光の中で、女の手元だけを見ていた。指先が小刻みに震えている。罠を仕掛けに来た人間の指は、こんなふうには震えない。 「話って」「あなたのこと、ずっと気になってて」  女は缶コーヒーを両手で握ったまま、目を合わせない。 「三崎社長の案件ね、今も特別扱いなの。あれだけは触るなって、空気がある」「特別扱い」「処理がいつも後から整うのよ。
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第46話:守るべき金

 月末が近づくと、店の金は急に騒がしくなる。  キャストの給与。立替の精算。客のツケの回収。数字が一斉に動き出し、どこかで必ず一つ、噛み合わなくなる。  私はバックオフィスの机で、その噛み合わない一つを探していた。  ひなのの件があってから、店の女たちは私を警戒しなくなった。  レシートの束を持ってきて、これ合ってますかと尋ねる子が増えた。  金の話を女に持ち込む。  それは小さなことのようでいて、私にとっては大きかった。  会社では、金に触る女は疑われる側だった。  ここでは違う。  今夜のズレは不正ではなかった。  ただ面倒で、ずっと放置されてきた処理が何ヶ月分も重なっているだけ。誰かが手を抜いたわけでもない。気づいた人間が、いちいち直すのを諦めただけだ。諦めは静かに伝染する。一人が流せば、次の月は二人が流す。  私はそれを一つずつ解いていった。電卓を叩く指に、迷いはなかった。 「こういうの、気づいてもみんな面倒で流すのよ」  隣の椅子に腰を下ろしながら、沙耶が言った。営業前で、まだ化粧の途中だ。 「流した分だけ、誰かの手取りが減ります」  私は顔を上げずに答えた。  沙耶が、少し黙った。 「あんた、ほんとに数字の話する時だけ声が違うわね」「そうですか」「うん。普段は遠慮がちなのに、金のことになると一歩も引かない。怖いくらい」  私は手を止めなかった。
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第47話:黒瀬の領分

 その夜、私は初めて、黒瀬が何に怒っているのかを知った。  きっかけは送迎の記録だった。  三崎が綾月へ来るたび、車の手配が妙に複雑になる。表口ではなく裏口。決まった運転手ではなく別の番号。私はそれを、ただの用心だと思っていた。立場のある男が人目を避けたいだけだと。  だが、九条と相馬の会話がその見方を変えた。 「またあの社長、裏口の導線を勝手に使ってる」  相馬が、低い声で言った。無口な男が口を開く時は、たいてい不機嫌な時だ。 「うちの送迎を、自分の都合のいい中継に使ってやがる。客を運んだついでに、別の荷物を回してる」「荷物」  私が思わず訊くと、相馬は短く答えた。 「金だ。誰の金とも知れない金を、うちの動線で動かしてる」  相馬の口調は乾いていた。情で生かす世界じゃない。そう言ってのける男が、こと金の筋目には妙にうるさい。私はその矛盾を、嫌いではなかった。  私は手元の記録を見直した。  送迎の回数。時間帯。立ち寄り先の変更。確かに、三崎の来店日に限って説明のつかない寄り道が増えている。客を送るふりをして別の何かを運んでいる。  その瞬間、私の中で二つの線が交わった。会社で追っている三崎の不正と、この店の動線を汚す三崎の動き。  別々に見えていたものが、同じ男の同じ性質から伸びていた。手を汚さず、人の場所を使い、痕跡を薄める。やり方が、まったく同じだ。  営業後、黒瀬に呼ばれた。  事務室には九条もいた。私が記録を差し出すと、黒瀬はそれに目を通し、しばらく黙った。&nbs
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第48話:鍵を預ける理由

「今夜は残れ」  閉店後、黒瀬がそう言った。私は何かの試しだと直感した。  事務室には九条と相馬がいた。いつもより空気が改まっている。三人の男が自分を待っていた。その配置だけで、何かが動こうとしているのがわかった。  この数ヶ月で、私は綾月でいろいろなものを積み上げてきた。  売上の確認。  給与関連の照合。  三崎の追跡。  店の小さな傷の発見。  一つずつ、誰にも言われずに片づけてきた。  誰も褒めなかった。  それでも私は手を止めなかった。  褒められるために数えていたわけではない。  その積み重ねが、今夜、形になろうとしている。私はそう感じた。  黒瀬は、前置きをしなかった。 「今後しばらく、特定の確認業務を、おまえ主体で回す」  私は、黙って続きを待った。 「それと、これを渡す」  黒瀬が机の上に置いたのは、一本の鍵だった。  金庫そのものの鍵ではない。だが鍵付き保管庫の補助鍵。確認封印を扱う権限。実質的に店の金の核心へ続く鍵の一部だった。  九条が、それがどれほど重いものか知っている顔をしていた。  私もすぐに理解した。  これは信頼だ。  同時に逃げられない責任だ。  一度受け取れば、
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第49話:向こうの次の手

 黒瀬は、立ち上がりながら、去り際に低く告げた。 「失くすな。おまえ自身の値段も下がる」  厳しい言葉だ。脅しにも聞こえる。  だが私には、別の意味で響いた。  失くせば値段が下がる。それは、つまり――今、自分の値段が上がっている、ということだ。会社では限りなく安く値踏みされた女が、ここでは値段を持つ人間として扱われている。 「失くしません」  私は、短く答えた。  声が、少し硬くなった。それは覚悟の硬さだった。  黒瀬は一瞬だけ私を見て、何も言わずに事務室を出ていった。九条と相馬も続いた。三人の足音が遠ざかると、店は急に静かになった。営業中のざわめきが嘘のように消えて、深夜の事務室だけが残る。  その静けさの中で、私は鍵を握り直した。  冷たかった金属が、手の温度を吸って少しずつ温かくなっていく。預ける理由がある。黒瀬の言葉が、まだ耳に残っていた。  理由を、この男は最後まで言わなかった。けれど、言われなくてもわかる。私はもう、替えの利く女ではない。  そして、これは、預けられたんじゃない。  受け取ると、私が決めた。  差し出された鍵に、私のほうから、指を伸ばした。  会社では、いつも誰かに決められた。  残るも去るも、罪も無実も。  けれど今は、受けるか拒むかを、私が選んでいる。  この鍵は、与えられた首輪じゃない。  私が選んで握った、私の道具だ。
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第50話:揺さぶりのメール

 匿名メールの件は、翌朝、黒瀬の事務室で一度、片がついた。少なくとも、表向きは。 「綾月は、横領で会社を追われた女を金庫番に使っている」。問い合わせ窓口に届いた、あの一文。九条は、それを印刷したまま、捨てずに机に置いていた。 「店を、揺さぶりに来たんだ」  九条が言った。 「うちの客は、秘密を買いに来る。その店が、後ろ暗い人間を雇ってるって噂が立てば、客は引く。狙いは、それだよ」  私は、鍵を握ったまま、何も言えなかった。手に入れたばかりの場所が、私のせいで崩れるかもしれない。 「……私が、辞めた方が」  口に出して、惨めだと思った。会社で、私はこうやって、自分から消える方へ押された。また、同じことを言っている。  黒瀬は、メールの紙を一度も見なかった。代わりに、私を見た。 「誰が出したか、見当はつくか?」  問い詰める声じゃない。仕事の声だった。私は、頭を切り替えた。 「……私の昔の濡れ衣を知っていて、私が今ここで金庫番をしていることも知っている。その二つが揃う人間は、多くありません」  言いながら、指先が冷たくなった。前職の私を知る人間。そして、私が綾月の金に触れていると知る人間。会社側か、三崎本人か、あるいは――三崎に通じた、この店の中の誰か。 「攻めてきた、ってことはな」  黒瀬が、低く言った。 「向こうが、消すだけじゃ間に合わなくなった、ってことだ。おまえが、効いてる」  慰めじゃない。
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