《もう二度と、冷徹侯爵の花嫁にはなりません》全部章節:第 81 章 - 第 89 章

89 章節

第17話 同じ夢を見る人③

 リリアーナは返事ができなかった。 毎日。 その言葉が胸へ落ちた瞬間、痛みと怒りと、どうしようもない切なさが一度に押し寄せる。  毎日。  それほどまでに、あの人もあの十年を見ていたのか。  失くした夜を。  自分が死んだあとの世界を。  そして今、やり直そうとしているのか。 怒りたかった。  今さら、と思いたかった。  実際、そう思っている。  でも、その表情を見てしまった以上、完全に切り捨てるのは難しかった。 セドリックは続けた。「……もっと早く言うべきことがあった」 「ええ」 「もっと、別の触れ方があった」 「ええ」 「分かっている」 その「分かっている」が、前よりずっと重かった。  言葉ではなく、見たものの重さとして。「でも」 リリアーナはそこでようやく声を出した。  喉の奥が少し熱い。  泣きたいわけではない。  ただ、何かが胸の内側を強く擦っている。「やり直したいと思っても」 「……」 「失くしたものが戻るわけじゃない」 セドリックは黙った。  否定しない。  できないのだろう。 そうなのだ。  前世の自分は死んだ。  あの十年の寂しさも、冷たさも、今の自分がどれだけ言葉にできても、なかったことにはならない。  やり直しは、たぶん始められる。  でも、“取り戻し”とは違う。 その線を、彼も今は分かっているのだと、顔が語っていた。 女医が、薬箱の蓋を閉める音がした。  その小さな音で、張りつめた空気が少しだけ動く。「お嬢様、今夜はあまりお話をなさらないほうが」 穏やかな声でそう言ってくれたのは、配慮だろう。  この場の会話が、ただの体調確認ではないことくらい、年嵩の女医には伝わっているはずだ。  それでも、深入りせず、退く余地だけを与える。  その賢さがありがたい。 エマが主人の肩へ毛布をかける。  やわらかな重みが落ちてきて、ようやく身体の震えに気づいた。  怖かったのだ。  襲撃も。  記憶を共有していると知ったことも。  その両方が。 セドリックは部屋の端から動かなかった。  だが、その視線の質は少し変わっていた。  さっきまでの鋭い警戒より、もっと深いところへ沈んでいる。  問いに答えてしまった人間の、隠し場所を失った目だ。 リリアーナは毛
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第18話 前世を知る男①

 その夜、リリアーナは侯爵邸の客間で、ほとんど眠れなかった。 眠れない理由はいくつもあった。  襲撃のあとで身体がまだ興奮を引きずっていること。  王都へ戻る途中の馬車で、何度も短く揺れた時の衝撃がまだ骨の奥に残っていること。  知らぬ間に握りしめていた指先が、今も少し熱を持っていること。  そして何より、あの人も前世の記憶を持っていると、もう疑いでは済まないところまで知ってしまったこと。 暖炉の火は小さく入っていた。侯爵邸の客間らしく、布も寝台も申し分なく整えられている。窓には厚いカーテンが引かれ、夜気はほとんど遮られている。女医が置いていった薬湯の匂いがまだ薄く残っていて、煎じた草の青さと蜂蜜の甘さが混ざっていた。 完璧だった。  部屋は何も悪くない。  むしろ心身を休めるにはこれ以上ないほど整っている。 なのに、リリアーナの胸の内だけが、ぐちゃぐちゃに乱れていた。 同じ夢を見る人。 さっき、自分はそう思った。  同じ悪夢を知っている人。  自分が死ぬところを見て、その後も生き残ってしまった人。 でもその事実は、慰めにはならない。  少なくとも今は、少しも。 彼も知っていた。  前世の自分の孤独を。  熱を出した朝も、夜会のあとも、義母に削られていたことも、実家の打算も、たぶん全部。  知っていて、沈黙した。  そして、自分が死んだあとで初めて、やり直したいと思っている。 胸の奥へ浮かぶのは、悲しみだけではなかった。  怒りだ。  どうしようもなく、濁った怒り。  知っていたなら、なぜ。  見ていたなら、なぜ。  死ぬまで、何も言わなかったの。 寝台の上で目を閉じても、眠気はまるでこなかった。 あの沈黙。  あの目。  「毎日、そう思っていた」と掠れた声で言った時の、ひどく静かな顔。 怒鳴りたい。  泣きたくない。  逃げたい。  でも、逃げたらたぶんもう、一生この問いを抱えたままになる。 知りたいのだと、認めるしかなかった。 どうしてあの時、言わなかったのか。  何をどこまで知っていて、それでも何もしなかったのか。  自分が死んだあと、彼は何を見たのか。 そこまで考えた時、扉の外で気配がした。 遅い時間だ。  使用人なら、もっとはっきりノックをする。  エマなら遠慮のある間
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第18話 前世を知る男②

「どうして黙っていたの」 「言えば信じると思ったか」 「思わない」 「だからだ」 短い答え。  だがそこにある疲れは深かった。「言葉にした瞬間、君はもっと私から離れると思った」 「……」 「それに、私はまず、確かめなければならなかった」 「何を」 「君が本当に生きていることを」 その言葉に、胸の奥へ冷たいものが落ちる。  ぞっとするほど重いのに、なぜかすぐには否定できなかった。 彼は前世で自分の死を見たのだ。  その瞬間を知っている。  そして巻き戻った今、最初に会った時のあの目。  あれは演技ではなかったのだと、今さら思い知る。 けれど、それで怒りが消えるわけではない。「……それで?」 「……」 「生きていると分かったあとで、何をするつもりだったの」 「今度こそ」 「今度こそ、何」 「失わせないつもりだった」 リリアーナは息を止めた。 失わせない。  その言い方は、あまりにも他人行儀で、あまりにも本音を隠している。  やはりこの男は、肝心なところで言葉をずらす。「またそうやって」 「何」 「主語をぼかすのね」 「……」 「失わせない、じゃなくて、私を失いたくない、でしょう」 セドリックの目が、わずかに揺れた。  それだけで十分だった。  彼はやはり、まだ本音の輪郭を言い切ることに慣れていない。 リリアーナは寝台の縁を掴んだ。  今夜はもう、曖昧なところで止まりたくなかった。「聞かせて」 「……」 「あなたが見たものを」 「リリアーナ」 「今さら優しくしないで」 「優しくしているつもりはない」 「なら、なおさらちゃんと話して」 その言葉に、セドリックは長く沈黙した。  拒んでいるわけではない。  たぶん、どこから言えばいいのかを探している。  あるいは、口にした瞬間に本当に現実になることを、自分でも恐れているのかもしれない。 やがて彼は、部屋の中央に置かれた椅子へゆっくり腰を下ろした。  寝台の正面。  距離はある。  でも、逃げない位置だった。「……君が死んだ夜」 低い声が落ちる。  その一音だけで、リリアーナの背筋が冷えた。「私は、間に合わなかった」 「……」 「正確には、間に合ったと思った」 「……」 「まだ温かかった。息も、完全には止まっ
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第18話 前世を知る男③

「だったら、どうして」 気づけば声が出ていた。 低く押さえたつもりだったのに、途中から抑えきれなくなる。「どうして、何も言わなかったの」「……」「分かっていたのよね」「……ああ」「私が一人だったことも」「……」「熱を出しても、夜会のあとも、食べられない日も、全部」「……ああ」「分かっていたのに!」 最後の一音で、声が震えた。 涙が落ちる前に、視界が歪む。 こんなふうに泣きたくなかったのに。 怒っていたかったのに。 でも、怒りと悲しみが一緒に来ると、人はこんなにも簡単に声を壊すのだと、今さら知る。「分かっていて、見ていて、死んでから全部壊したって、それで何になるのよ」「……」「私は、あの時、生きてほしかったの」「……」「死んだあとで真相を暴かれたって、嬉しいわけないでしょう!」「……」「欲しかったのは、あの時のあなたの言葉だったのに!」 涙が一筋、頬を伝った。 その熱さが、自分でも情けなかった。 泣いたからといって、今さら何が変わる。 でも止まらない。 怒っている。 悲しい。 悔しい。 そして何より、彼が本当に知っていたと分かったことが、あまりに痛かった。 セドリックは動かなかった。 座ったまま、ただその怒りを受けていた。 言い訳しない。 遮らない。 それが余計に腹立たしい。 少しは否定してくれればいいのに。 そうすれば、もっと簡単に責められるのに。「私、あなたを恨んでいたわ」 嗚咽を噛み殺しながら、リリアーナは言った。「冷たい人だって。 私を愛していないって。 そう思うことでしか、自分を保てなかった」「……」「でも今は、もっとひどい」「……」「愛していたのかもしれないって、そんなことまで考えさせられる」「……」「それが一番、残酷なのよ」 セドリックの喉が小さく動く。 ようやく、彼の顔に感情のひびが入った。 痛み。 苦さ。 何より、自分が今、彼女にそれを言わせているという自覚。「……愛していた」 その声は、ほとんど掠れていた。「最初から」「やめて」 即座にそう言った。 その言葉は、今は毒にしかならない。「今さら、そんなこと言わないで」「だが」「やめて!」 自分でも驚くほど強い声が出た。 胸が痛い。 息が乱れる。 でも、そこだけは今聞き
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第19話 遅すぎた告白①

 夜が明けても、客間の空気は少しも軽くならなかった。 前夜、セドリックが去ったあと、リリアーナは一度も深く眠れなかった。目を閉じれば、彼の声が耳の奥に残る。 君が死んだ夜。  全部、壊した。  私の沈黙が君を殺した。 それらの言葉は鋭いのに、叫びではなく、ひどく静かだった。静かだからこそ逃げ場がない。怒鳴られていたなら、まだ反発だけで済んだかもしれない。けれど彼の告白は、まるで凍った刃をゆっくりと胸へ差し入れられるみたいに、少しずつ、確実に痛かった。 窓の外は薄い朝だった。侯爵邸の庭にはまだ朝露が残り、剪定された枝先が白い光を鈍く返している。風は弱い。けれど、窓ガラスの向こうに広がる景色は静かすぎて、かえって現実感がなかった。 寝台の上で身を起こす。掛布の内側は温かいのに、身体の中心だけがひどく冷えている。目元は熱を持って重く、喉の奥は乾いていた。泣いたつもりはない。前夜はちゃんと泣いた。声も少し出した。なのに涙は足りなかったのだろう。今朝も目の奥がじくじくと痛む。「お嬢様」 エマが、いつもより静かな足取りで入ってくる。手には薄いお茶と、小さく切ったパン、それから薬湯の入ったカップ。「少しでも召し上がれそうですか」 「……分からない」 「分からなくても、ひと口だけでも」 そう言って盆を置く気遣いがありがたかった。  何も聞かない。  昨夜、何を話したのかも、どれほど泣いたのかも、踏み込まずにただ主人の体を気にする。そういうやさしさに、前世の自分は何度支えられただろう。 リリアーナはカップを手に取った。薬草の匂いがする。ミントと、少しだけ蜂蜜。温かさが指へ伝わり、ようやく自分の体がここにあるのだと分かる。「侯爵様が」 「……」 その名を聞いた瞬間、心臓が小さく跳ねた。「お話を、と」 「今?」 「はい。お加減が許すなら、ですが」 「……」 来ると思っていた。  昨夜で終わるはずがないことも分かっていた。  あれだけ言って、あれだけ聞いて、なお中途半端なまま引いたのだ。続きがないはずがない。 なのに、いざその時が来ると、胸の奥がきつく縮む。「断っても、また来るでしょうね」 「……はい」 エマは正直だった。  今のセドリックなら、そうだろう。  前世なら一歩引いた場所で沈黙してい
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第19話 遅すぎた告白②

 その問いが出た瞬間、セドリックの目がわずかに動いた。  逃げたいのではない。  だが、そこがいちばん深い傷なのだと分かる反応だった。 彼はしばらく黙っていた。  その沈黙の長さに、リリアーナの胸はまた少し冷える。  やっぱり言わないのか。  結局そこだけは、また曖昧にするのか。  そう思いかけた時だった。「最初からだ」 低い声が、唐突なくらいはっきりと落ちた。 最初から。 リリアーナは一瞬、意味が分からなかった。  分からなかったというより、分かってしまうのが怖くて、頭がわざと遅れた。「……何が」 「君を愛していた」 その一言で、部屋の空気が変わった。 外の剪定鋏の音も、窓辺の光も、炭火鉢のかすかな熱も、全部がひどく遠くなる。耳の奥が一瞬だけ白くなったような感覚。 愛していた。 前世で。  最初から。 その言葉は甘くなどなかった。  むしろ、残酷な刃そのものだった。 リリアーナの手が、膝の上で強く組まれる。爪が手袋越しに食い込む。喉の奥が急に焼けるように熱くなった。「……やめて」 声は、思ったよりずっと弱かった。  やめて。  そう言ったのに、彼は止まらなかった。「初めて会った時から」 「やめて」 「婚約が決まるより前から」 「やめてって言ってるでしょう!」 ほとんど叫びに近い声が出た。  リリアーナは自分でも驚いた。  こんなにすぐ感情があふれるとは思わなかった。 セドリックはそこでようやく口をつぐんだ。  けれど目は逸らさない。  そのことが、余計に残酷だった。「……そんなこと」 唇が震える。  胸の奥が、怒りと悲しみで一度に膨らむ。  どうしてそんなことを言うの。  今さら。  今、ここで。「そんなこと、聞きたくなかった」 嘘だった。  聞きたくなかったわけではない。  知りたかった。  でも知ったら壊れると分かっていたから、聞きたくないふりをしていただけだ。 セドリックは静かに言った。「だが、言わなければならないと思った」 「なぜ」 「昨夜、止められたからだ」 「……」 「前世で最初から愛していたと」 「……」 胸が、ひどく痛い。  その“最初から”が、思っていた以上に鋭いからだ。 最初から。  なら、あの十年は何だったの。  何を見てい
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第19話 遅すぎた告白③

 それは、ずっと胸の底にあった言葉だったのだろう。  口にした瞬間、自分でもそれが本当の核心なのだと分かった。「知っていたら」 「……」 「私は、あんなふうに……っ」 「……」 「ただ黙って削られていくだけじゃ、なかった……!」 嗚咽でうまく繋がらない。  けれど、言葉は止まらなかった。「知っていたら、夜会のあとで、何も言わずに一人で寝室へ戻らなかった……!」 「……」 「熱を出した朝に、来てくれないことを“当然”だと思わなかった……!」 「……」 「食べられない日も、ただ笑ってごまかしたりしなかった……!」 「……」 「お義母様に削られても、実家に押されても、私……っ」 「……」 「私、もう少し違う生き方ができた……!」 最後の一言は、もうほとんど泣き声だった。 知っていたら、生き方が変わっていた。 それは、単に気持ちの話ではない。  自尊心の持ち方。  助けの求め方。  耐え方。  怒り方。  絶望の深さ。  全部が違っていたかもしれない。 愛されていないと思いながら生きるのと、言葉にされなくても愛はあったのだと知って生きるのでは、同じ十年でも重さが違う。  それなら、あの夜の立ち位置も、あの選び方も、あの死に方ですら、変わっていたかもしれない。 それを今さら知ることの、どれほど残酷なことか。 セドリックは一歩も動かなかった。 近づいてこない。  触れようともしない。  慰めも差し込まない。 前なら、その距離にまた怒ったかもしれない。  けれど今は、それがせめてもの礼儀だと分かった。  今ここで触れられたら、きっと本当に壊れてしまう。「……ああ」 やがて、ひどく低い声が落ちた。「そうだ」 「……」 「君の生き方を変えてしまうはずの言葉だった」 「……」 「それを、私は与えなかった」 「……」 「そのことを、死んでから知った」 その“死んでから”に、また胸が痛む。 あなたは私が死んでから知った。  私は死ぬまで知らなかった。 その差が、どうしようもなく悲しい。「だから許さない」 涙に濡れたまま、リリアーナは言った。「……」 「愛していたなんて」 「……」 「そんなこと、今さら言われて、簡単に優しくなれるわけない」 「分かっている」 「私の十年は、あな
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第20話 守るための沈黙①

 夜が明けたあとも、リリアーナの胸の奥には、前夜の涙の熱がそのまま残っていた。 泣いたあとの朝は、いつも少し変だ。まぶたは重く、頬の皮膚は薄く張りつき、喉の奥にはまだ泣き声の擦れが残っている。鏡の中の自分は、腫れをどうにか抑えたつもりでも、よく見れば一目で分かる顔をしていた。誰かに「昨夜は眠れましたか」と尋ねられたら、その瞬間に崩れそうな顔。 けれど、それでも朝は来る。 侯爵邸の朝は、前世と同じように静かだった。  磨かれた廊下。  遠くの食堂からほとんど音を立てずに運ばれる銀器。  暖炉に足される薪のかすかな音。  窓の外で、枝先を揺らす春前の風。 美しく整っているのに、どこか人の体温が薄い。  前世のリリアーナは、その静けさが怖かった。  今のリリアーナは、その静けさの意味を少し知っている。  整えられたものは、時に守りでもあり、時に人を孤独にする檻でもある。 朝一番に運ばれてきたのは、薄いスープと、柔らかく煮た果物、それに蜂蜜を落とした薬湯だった。エマは何も聞かず、ただ主人の手元へそれらを静かに整える。昨夜、どれほど泣いたかも、何を聞いたかも、踏み込まずにいる。その慎重さがありがたく、同時に、余計に涙を誘いそうだった。「少しだけでも」 エマがそう言って、スープの匙を手元へ寄せる。 リリアーナは頷いた。  昨日よりは、食べなければいけない気がした。  体を起こしておかなければ、きっと今日の話を最後まで聞けない。 話。 そうだ。まだ終わっていない。 前夜、セドリックは「最初から愛していた」と告げた。  リリアーナは泣いた。怒った。  知っていたなら生き方が変わっていた、と嗚咽した。  でも、それで全部が尽くされたわけではない。 どうして言わなかったのか。  どうしてあんな十年になったのか。  そこにはまだ、彼が口にしきっていない部分があると分かっていた。 愛していた。  でも黙っていた。  その間に何があったのか。 そこを聞かなければ、きっと前へ進めない。 スープをひと口飲み込む。  温度が喉を通る。  玉ねぎの甘みと少しの塩気。  ちゃんと味が分かる。  それだけで、少しだけ現実へ戻ってこられる気がした。「お嬢様」 エマが静かに言う。「侯爵様より
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第20話 守るための沈黙②

 その言葉に、リリアーナは毛布の上で指先を強く組んだ。 狙われやすい。  弱点。  標的。  そういう言葉で、自分が前世にどんな位置へ置かれていたかを、今さら明確に聞かされる。「婚約の段階で、既に君の実家は侯爵家の名をどこまで利用できるかを探っていた」 「……」 「母も、君を気に入ってはいなかった」 「知ってるわ」 「知っていた」 「だから?」 「私は、表立って君を庇えば庇うほど、君へ標的が集中すると判断した」 その一言は、ずっと胸のどこかで予感していた種類の答えだった。 守るため。  見せないため。  弱点にしないため。 きっと、そういう理屈はあったのだろう。  そして、それは完全な嘘ではない。侯爵家ほどの家なら、表に出る感情ひとつが交渉材料になる。妻への執着が見えれば、そこへ刃が向く。前世のリリアーナにだって、それくらいの理屈は分かる。 分かる。  でも。「だから、何も言わなかったの」 「……ああ」 「熱を出しても」 「……」 「夜会のあとも」 「……」 「お義母様が私を削る時も」 「……」 「全部、“標的を集中させないため”?」 その問いに、セドリックはすぐには答えなかった。  彼の沈黙は、今はもう単なる逃避には見えない。  けれど、沈黙が人を傷つけることを、二人とも知っている。「最初は」 ようやく落ちた声は低かった。「最初は、本気でそう思っていた」 「最初は?」 「公の場で距離を取る。必要以上に側へ置かない。妻としての権限は与えるが、特別な感情は見せない。それが一番安全だと」 「……」 「実際、最初のうちはそれで何人かの目は逸れた」 「……」 「だから、正しい判断だと思った」 正しい判断。 その言葉の冷たさに、リリアーナはふっと笑いそうになった。  もちろん愉快だからではない。  前世の自分を形容するのに、なんて乾いた言葉を使うのだろうと思ったからだ。「正しい判断」 「……」 「それで私は、一人だったわ」 セドリックの目が、わずかに揺れる。「知っている」 「知っていた、でしょう」 リリアーナは言い直した。「当時から」 「……ああ」 「じゃあ、いつから気づいていたの」 「何に」 「その“正しい判断”が、私を孤独にしていたことに」 問いは静かだった
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