その噂を、リリアーナが最初に耳にしたのは、伯爵家の朝食室ではなかった。 花の刺繍が入った丸卓と、まだ湯気の立つ紅茶。窓を開ければ、春のはじめの冷たい風が白いレースを揺らし、庭師が遠くで剪定ばさみを鳴らしている。伯爵家の午前は、表向きはいつも穏やかだ。だがその穏やかさの裏では、呼び鈴一つ、茶会の招待状一通、女主人の機嫌一つで、家の中の空気がいくらでも変わる。 その日も、空は薄く晴れていた。けれど、春とはまだ言い切れない色をしている。白っぽい日差しが室内を明るくしているのに、指先の冷えはなかなか抜けない。そんな午前だった。「お嬢様」 エマが、いつもより少しだけ言いづらそうな声で呼んだ。 リリアーナは、手元の手紙から顔を上げる。 薬草院からの返事ではない。 今読んでいたのは、継母が“出ておきなさい”と押しつけてきた小規模な昼の茶会の招待状だった。家格と噂のつり合いを見て、どの席に顔を出し、どの席を断るか。そういう煩わしさは、婚約破棄を口にしてからいっそう増えた気がする。「何?」 エマは少しだけ躊躇ってから、折りたたんだ刺繍布を盆の上へ置き、その下から薄い紙を一枚取り出した。「これが、先ほど届きまして」 「招待状?」 「いえ……女官長の姪御さんからの、私信のようなものです」 「どうしてあなたに?」 「使用人同士のやり取りですから」 その言い方で、だいたい察した。 正式な便りではない。 つまり、“表には乗らないが、すでに広がっている話”だ。「読んで」 リリアーナがそう言うと、エマは小さく頷いて紙を開いた。「『王都では、近頃こんな話で持ちきりです。冷徹侯爵が、婚約者をとても大切にしておられるとか。お顔色を見てお茶の温度まで気にされ、外出先でもお一人にされないとか。あのヴァレンティア侯爵様が、恋に落ちたとしか思えないほどだと』」 そこでエマは読むのをやめた。 リリアーナは、一拍だけ何も言えなかった。 耳の奥だけがじんと熱い。 冷徹侯爵。 婚約者を大切にしている。 恋に落ちたとしか思えない。 馬鹿げている。 そして、笑えないほど当たっている部分があることが、なおさら厄介だった。「……ひどい噂ね」 「はい」 「今の王都、そんなに暇なのかしら」 「皆様、他人の幸福そうな話はお好きですから」 「幸福そ
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