All Chapters of 身代わりお見合いの花嫁〜冷徹社長は偽りの愛を見抜いている〜: Chapter 1 - Chapter 4

4 Chapters

第1話 姉の身代わり

「あなた、西園寺真帆さんじゃありませんよね?」その一言で、心臓が止まった。白いカップを持つ指先から、血の気が引いていく。震えそうになる手を悟られないよう、私はそっとカップをソーサーへ戻した。小さな陶器の音が、静まり返ったカフェにやけに大きく響く。どうして?どうしてバレたの?「……何のことでしょうか」かろうじて笑みを作る。けれど、目の前の彼は微笑みもしなかった。「無理に誤魔化さなくて結構です」向かいに座る男──黒瀬グループの社長である黒瀬柊は、こちらをまっすぐ見ていた。責めるでもなく、怒るでもなく。ただ静かに、"真実"だけを見透かすような目で。ガラス張りの窓の向こうに、青々とした四月の葉桜が風に揺れている。三週間前に初めて会った日は、雨だった。「本当のお名前を、教えてもらえますか?」低く、落ち着いた声だった。急かさない、追い詰める口調でもない。なのに、息が苦しい。──無理だ。この人の前では、どんな嘘も薄っぺらく見えてしまう気がした。窓の外で、鮮やかな緑の葉がひとひら、風に弾かれた。「……安心してください」私が口を開く前に、黒瀬さんが言った。「今すぐ責めるつもりはありません」そこで一度、言葉が途切れた。コーヒーカップをソーサーに置く。迷いのない動作だった。「ただ──非効率なことが、嫌いなので」黒い瞳が、まっすぐ私を捉える。「あなたが誰なのか、教えてもらった方が話が早い」背筋を、氷で撫でられたような感覚が走った。四月の嘘は、桜と一緒に静かに散るはずだった。なのに、花が落ちて鮮やかな青葉が芽吹いても、私はまだ偽物の仮面を剥がせずにいた。……こうなったのには、理由がある。三週間前。姉からかかってきた一本の電話が、すべての始まりだった。◇三週間前──四月最初の日曜日、朝七時。けたたましい着信音で目を覚ました私は、スマホの画面を見て顔をしかめた。《真帆お姉ちゃん》嫌な予感しかしなかった。「……もしもし」『ねえ。今日のお見合い、あたしの代わりに行ってきて』開口一番、それだった。「そんなの、無理に決まってるでしょう」布団から起き上がりながら、即答する。お姉ちゃんの代わりにお見合いだなんて、冗談じゃない。カーテンの隙間から見えた空は、どんよりとした曇り空だ
last updateLast Updated : 2026-06-15
Read more

第2話 偽物の名前

ゆっくりと扉を開け、一歩足を踏み入れた瞬間、思わず立ち止まりそうになった。高い天井に広がる、クリスタルのシャンデリア。香ばしいコーヒーの香りと、白く気高く咲き誇る大輪の胡蝶蘭。磨き上げられた大理石の床に、自分が履いている安物のヒールの音がカツカツと不躾に響く気がして、それだけで萎縮しそうになる。場違いにもほどがある……。心の中で小さく呟き、緊張で強張りそうになる手を、そっとドレスの上の膝に置いた。ここで怯んだら、一瞬で「偽物」だと見破られてしまう。案内された席に着いた瞬間、背筋が自然と真っ直ぐに伸びた。膝を揃えて座る。手をテーブルに乗せない。視線を落としすぎないように前を向く。祖父に叩き込まれた所作が、体の奥から反射的に出てくる。没落した西園寺家に残ったのは、このプライドと礼儀だけだった。──『柚葉、どんな時でも礼儀だけは失うな。身につけた所作は、お前を裏切らない盾になるから』まさか姉の身代わりのお見合いで、この盾に救われるとは思っていなかったけれど。ああ、早く帰りたい──そう思い、心臓がうるさく波打ったその時だった。ラウンジの入り口に、背の高い男の影が現れた。黒に近い濃紺のスーツが、均整のとれた体に沿っている。短く整えられた黒髪。彫刻のように高い鼻筋。そして、冷徹なまでに鋭い切れ長の目。彼が姿を現した瞬間、ざわついていたラウンジの空気が、すうっと凪いだ。綺麗な人だ、と思った。それと同時に、あ、これは敵わない、とも。周囲の視線がさりげなく吸い寄せられる中、その男は一瞥もくれず、脇目も振らずこちらへ歩いてくる。一歩、また一歩。近づいてくるにつれて、全身の緊張がひとつ上がっていく気がした。──これが、黒瀬柊との最初の対面だった。彼は私の席の前で足を止めた。上から下まで、一秒もかけずに視線が通り過ぎる。品定めでも関心でもない。ただ事実を確認する、それだけのような目だった。「定刻通りですね」短い確認だった。それだけで視線を手元の書類へ戻す。こちらを見ようともしない。「……始めましょう」向かいの席へ腰を下ろしながら、彼は当然のようにメニューを手に取った。待つことも、愛想を作ることも、どこにもない。時間を無駄にしないための動作だけが、そこにあった。「は……はい。西園寺……真帆です」名乗ろうとして、喉が詰まった。自分のもの
last updateLast Updated : 2026-06-15
Read more

第3話 見透かされる嘘

それから、当たり障りのない会話が続いた。趣味のこと、好きな食べ物のこと。プロフィール帳に書くような、差し障りのない質問と回答。姉から叩き込まれた設定を頭の中で繰り返しながら、ボロが出ないようになんとか答え続けた。ところが──。「お仕事は、普段何をされているんですか?」ひどく自然に投げかけられたその質問に、張り詰めていた頭が一瞬でフリーズし、口が勝手に動いた。「広告の……プランニングを──」しまった。姉は、ファッションモデルのはずだ。「……っ、いえ。今はモデルの仕事を少しお休みしていて、その……裏方のお手伝いのようなことを」取り繕うように、慌てて言い直す。顔に熱が集まるのを感じながら、テーブルの一点を見つめた。「そうですか」黒瀬さんは、それだけ返した。責めない。訂正しない。不審がる素振りすら見せず、コーヒーカップを口へ運ぶ。その静けさが、かえって怖かった。◇しばらくして、リゾットが運ばれてきた。「ここのリゾットは悪くない」黒瀬さんが短く言った。一口食べて、確かめるように。それ以上の感想はなかった。私も口にした途端、思わず声が出た。「本当ですね。……あ」うっかり、素の声が出た。「おいしいものを食べた時、そういう顔をするんですね」「……え?」「目が、笑う」低く、静かな声だった。私は何も言えなくなって、ただグラスへ視線を落とした。「お仕事、楽しいですか?」問いが来たのは、その直後だった。「……はい。大変なことも多いですが、チームで必死に考えたアイデアが形になって、誰かに届く瞬間が、私は──」答えてから、唇を強く噛んだ。今のは完全に、西園寺柚葉の言葉だった。モデルの仕事をしている人間が、チームで練るアイデアの話をするはずがない。「理想論ですね」一言だけ。それ以上、掘り下げるつもりはない、とでも言うように、黒瀬さんはコーヒーカップへ目を落とした。沈黙が、重くのしかかる。──諦めて視線を外そうとした、その時だった。「それで?」低く、穏やかな問いだった。うそ。まさか、聞き返してくるなんて。「……先程は、モデルの裏方と聞きましたが。今のお話は、少し違いますね」続いた言葉も、静かだった。責める口調ではない。ただ事実を確かめるような、それだけの声。その静けさに、言い訳の余地も誤魔化す隙間も、どこにもなかった。
last updateLast Updated : 2026-06-15
Read more

第4話 終わったはずが

『先程は、お時間をいただきありがとうございました。──黒瀬柊』彼からのメッセージは、それだけだと思っていた。数秒後、同じ番号から、もう一通届いた。『次回、ご都合の良い日を教えていただければ、合わせます』画面の番号を、もう一度確かめた。間違いない、黒瀬さんからだ。お見合いの書類に載っているのは、姉の連絡先のはず。さっき、私が口頭で伝えた番号──黒瀬さんはそちらに送ってきたのか。「合わせます」という一言。感情がない、と思った。温かくもなく、冷たくもなく、ただ的確だ。相手の都合を最初に確認して、自分はそこに合わせる。それだけのことを、この人は迷わずやる。なのに、その「だけ」が、妙に信用できた。断らなければいけない。これ以上、嘘を重ねるのは危険すぎる。そうわかっているのに、気づいた時には、指がキーボードを叩いていた。姉の脅しが怖かったから、というだけじゃない。それだけじゃない、ということだけは──自分でも分かっていた。『こちらこそ、ありがとうございました。来週の週末でしたら、少しだけお時間を作れます。西園寺真帆』送信ボタンを押した瞬間、スマホをベッドに伏せた。心臓が、うるさく波打っている。……まあ、なんとかなるか。口癖みたいにそう呟いてきた言葉が、今夜ばかりはちっとも頼もしく聞こえなかった。数秒後。伏せたスマホが、また短く震えた。そっと画面を持ち上げると、同じ番号からの通知が光っていた。『了解しました。楽しみにしています。──黒瀬柊』送信から、まだ一分も経っていなかった。『もう一点。先ほどの話、続きを聞かせてください』黒瀬さんから、追加のメッセージが届く。……先程の話の続き?モデルの話?それとも――お見合いの席で、モデルとは関係のない仕事の話をうっかり口にしてしまった、あの瞬間のこと?そこでメッセージは終わった。
last updateLast Updated : 2026-06-17
Read more
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status