All Chapters of 身代わりお見合いの花嫁〜冷徹社長は偽りの愛を見抜いている〜: Chapter 31 - Chapter 32

32 Chapters

第31話 ミルクココア

雨が上がるまで、もう少し時間がかかりそうだった。「温かいものを」と柊さんが立ち上がって、キッチンへ向かった。ソファに一人で座ったまま、雨音が少しずつ遠くなっていくのを聞いていた。私は、今日のことを順番に思い返した。古本屋で偶然会って、路地を並んで歩いて、カフェで「柊さん」と呼んだ。この部屋に来て、書棚の本に手書きの名前を見つけて、色褪せた写真の前に立った。母親のことを聞いて、少しだけ間があった。まさかこんな一日になるなんて、朝には思っていなかった。しばらくして、柊さんが戻ってきた。「どうぞ」マグカップを差し出された。受け取った瞬間、湯気の甘い香りに気づいた。「……ミルクですか?」「ミルクココアです。……何か不満でも?」柊さんは少しだけぶっきらぼうに、だけど私の反応を窺うように視線を泳がせた。その見たことのない顔に、胸の奥で何かがほどけた気がした。私はマグカップを両手で包んだ。柊さんも、自分のカップをソファの隣で持っていた。部屋の中が静かだった。雨の音だけが、窓の向こうで続いている。どちらも何も言わなかった。それで、よかった。お砂糖とミルクの優しい甘さが、ゆっくりと体の中に広がっていく。甘いものが好きだと、今日初めて自分から言えた。その甘さと、いま手の中にある温かさが、同じ一日の中にある気がした。「……柊さんも甘いものが、好きなんですか」柊さんが、カップを置いた。「普段は、あまり人前で頼めません」「……黒瀬グループの社長が、というやつですか」「城島に、心配させることになります」表情は動いていなかった。でもその一言に、かすかな自嘲と諦めが混じっていた。この人も、人前では言えないことがある。私と同じだ。好きなものを好きだと言えない理由が、この人にもある。立場が、肩書きが、その言葉を飲み込ませる。それを知った瞬間、嬉しいというより、少しだけ切なかった。でも、そ
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第32話 実力で、黙らせる

昨夜、姉から届いた一行のメッセージが、朝から頭を離れなかった。『そろそろ動く時期ね』姉が何をしてくるのか、わからない。ただ、何かが動き始めた、という感覚だけがあった。社内で妙な噂が広まっていることを、葵から聞いたのは水曜日の昼だった。「ちょっと聞いてほしいんだけど、今話せる?」会社の近くにある、少し薄暗い路地裏のカフェ。葵は向かいの席に座るなり、注文したアイスコーヒーにも手をつけず、身を乗り出してきた。いつもの明るく軽いトーンではなかった。左右を気にするようなその仕草に、心臓が小さく跳ねる。「西園寺は黒瀬グループとコネがある、って話、社内で出回ってるらしいよ」「……何それ。どこから?」「分からない。でも、複数のルートから聞いたの。柚葉が黒瀬グループの役員向けの懇親会に出ていただとか、黒瀬社長と個人的に高級店で食事をしてるだとか」コーヒーカップを両手で包んだまま、私はしばらく何も言えなかった。もしかして、これが姉の言っていた「動く」ということなのか。私を揺さぶるために、姉が社内に情報を流したのだろうか。確かめる術はなかった。でも、手のひらが、じわりと冷たくなっていくのを感じていた。「要するに、柚葉が実力じゃなくて、黒瀬社長との『特別な関係』で評価されてるんじゃないかって、周囲に思われてるってこと。悔しいよね、そんなの」私は唇を噛み締めた。「……悔しいよ」口から出たら、思っていたよりずっと深い、ドロドロとしたところから来た言葉だった。コネだと思われることより、自分が積み上げてきたものを見てもらえていないことの方が、ずっと悔しかった。そして、その悔しさの奥に、もう一つ冷たい痛みが横たわっていることにも気づいていた。柊さんとの関係がなければ、こんな疑いを持たれることもなかったのかもしれない。あの人に近づくたびに、自分の仕事の評価が歪んでいく。それが、悔しさの底にある、もっと静かな痛みだった。懇親会に出たのは、元々は姉の命令だった。最初に食
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