All Chapters of 異世界転生してもスキルはなかったけど、白い羽をもつ彼女を守るため最強の勇者目指します: Chapter 21 - Chapter 30

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第21話 見えない絆が黄金を呼ぶ

 風が止まった。 さっきまで街道脇の草を揺らし、俺の金色の髪をしつこく頬へ貼りつかせていた風が、糸を切られたように途絶えた。 森の中から聞こえていた鳥の声もない。 木々の葉がこすれ合う音も、遠くで流れていた川のせせらぎも消えている。 静かすぎた。 俺たちの足音だけが、湿った土の上へ重く落ちる。踏みしめた枯れ葉が砕ける小さな音さえ、誰かに聞かれているような気がした。 ラステルへ続く街道は、夕暮れの中で灰色に沈んでいた。 道の両側には幹の太い木々が並び、複雑に伸びた枝が頭上を覆っている。枝葉の隙間から差し込む夕日は血のように赤く、苔の生えた岩や、古びた道標の上に長い影を落としていた。 その影が、俺たちの進む方角に逆らい、ゆっくりとこちらへ伸びてくる。 足を止めた瞬間、胸の奥が強く脈打った。「龍夜くん……」 すぐ後ろから、ミユウの小さな声が聞こえた。 振り返らなくても分かる。 いつもなら明るく響く声が、わずかに震えていた。 俺は腰の剣へ手をかけた。 冷たい柄を握りしめる。 辺りを覆う静けさの向こうで、何かが息を潜めている。姿は見えない。それでも、こちらを見ている視線だけは、皮膚に突き刺さるようにはっきり感じた。「俺の後ろにいろ」「でも――」「頼む」 声を低くした俺の横顔を、ミユウが見上げている気配がする。 そのとき、道の前方に落ちていた木々の影が、不自然に揺れた。 地面へ貼りついていたはずの黒い影が、ぬるりと持ち上がる。 やがて影は何本もの細い筋となり、一か所へ集まり始めた。黒い霧が渦を巻き、その中心から長い腕が現れる。続いて、黒い衣に包まれた胴体と、頭から伸びた二本の角が形を作っていった。 紫色の目が、闇の中で開く。 そいつが完全な姿を現した瞬間、森の空気が一気に冷え込んだ。 吐き出した息が白くなる。 冷気は服を通り抜け、骨の内側まで染み込んできた。剣を握る指先から感覚が薄れていく。「やっと見つけた」 悪魔が笑った。 口元だけが大きく吊り上がり、紫色の目には何の感情もない。「白い羽を持つ娘。そして、身の程を知らずにその娘を守ろうとする人間」 背後で、白い羽が大きく開く音がした。「龍夜くん、下がって!」 ミユウが俺の横から飛び出そうとする。 俺はすぐに左腕を伸ばし、その身体を止めた。細い肩が腕にぶつかり
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第22話 闇を裂く黄金の誓い

 巨大な黒い剣が振り下ろされた。 刃が風を押し潰し、低いうなりを上げる。夜空を覆う黒雲まで引き裂かれたように揺れ、街道沿いの木々が一斉に枝をしならせた。 俺は逃げなかった。 両手で握った剣を斜めに構え、正面から黒い刃を受け止める。 金色の光が弾けた。 耳をつんざく音とともに、足元の地面が沈む。乾いた土に何本もの亀裂が走り、石が跳ね上がった。 けれど、俺の膝は折れなかった。 腕に伝わる衝撃は重い。それでも、これまで戦ってきたどの敵よりも遅く感じる。剣を押さえつける悪魔の腕。力を込める直前にわずかに上がる肩。次にどちらへ踏み込むのかさえ、目で追うより先に分かった。 全身を包む金色のオーラが、激しく燃え上がる。 青と白を基調とした勇者服が光を受け、夜の中で鮮やかに浮かんでいた。風に逆らって天まで伸びるように逆立った黄金の髪から、細かな光の粒が舞い上がっていく。 胸の奥が熱い。 息を吸うたび、その熱が腕へ、足へ、剣へと広がる。 今までの俺とは違う。「人間ごときが……!」 目の前の悪魔が牙をむいた。 黒い鎧に包まれた体は、俺の倍近くある。広げられた翼は街道を覆い、赤く濁った目には怒りが燃えていた。 だが、その目の奥で、何かが揺れている。 恐れている。 俺の力を。「押し切れると思うな!」 剣を握る腕へ力を込めた。 ぶつかり合った刃の間から、金色の光が噴き出す。黒い剣が少しずつ押し返され、悪魔の太い腕が震え始めた。「なぜだ……魔力も持たぬ人間が、なぜこれほどの力を!」「魔力がないからって、何もできないまま終わる気はない」 右足を踏み込む。「俺は、ミユウを守るって決めたんだ!」 一気に剣を振り抜いた。 黒い刃が大きく弾かれる。 悪魔の巨体が宙へ浮き、そのまま後方へ吹き飛ばされた。背中から岩へぶつかり、辺りに土煙が立ち上る。 俺は止まらなかった。 地面を蹴る。 足元で金色の光が爆ぜ、夜風が背後へ流れた。 次の瞬間には、土煙の中へ飛び込んでいる。 悪魔が片膝をついたまま、黒い剣を横へ振る。首を狙う一撃だった。 身を沈めてかわし、その懐へ入る。 剣を下から振り上げた。 金色の軌跡が暗闇を斜めに切り裂く。悪魔は翼を盾にしたが、光に押し上げられ、地面から離れた。「ぐっ……!」 空へ逃れた悪魔を追い、俺も跳ぶ。 高い
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第23話 何度倒れても、君のもとへ

 馬車の車輪が、雨に濡れた街道のくぼみへ落ちた。 車体が大きく揺れ、窓枠にたまっていた雫が一斉に流れ落ちる。鉛色の空は低く、遠くに連なる山々の頂をすっぽり覆い隠していた。街道の左右には深い森が続き、雨を吸った木々の葉が重たげに垂れている。 ラステルへ向かう旅は、朝からずっとそんな景色の中にあった。 向かいの席に座るミユウは、窓の外を見つめたまま動かない。 いつもなら、あの木の実は食べられるだとか、枝にとまった鳥がかわいいだとか、馬車の揺れさえ楽しむように話しかけてくる。少し珍しい花を見つければ、身を乗り出しすぎて俺に服の裾をつかまれるくらいだ。 今日は、まだ一度も笑っていなかった。 白い羽を小さく畳み、膝の上に両手を重ねている。銀白色の髪が頬にかかっても、払おうとしない。「ミユウ」「……なに?」 呼びかけには答えた。 しかし、声は雨音に溶けてしまいそうなほど薄かった。「寒いのか?」「ううん」「体が重いなら、横になったほうがいい」「大丈夫だよ」「本当に?」「うん」 そこで会話が途切れた。 車輪が泥をはねる音だけが、狭い車内に響く。 俺は座席の上で拳を握った。何か話しかけたいのに、どんな言葉を選んでもミユウの背中に届かない気がした。 昨日まで、俺たちの間にこんな距離はなかった。 腕を伸ばせば触れられる場所にいる。それなのに、窓の向こうに広がる森よりも遠い。「腹が減ったなら、鞄にパンがある。少し硬くなってるけど――」「龍夜くん」 ミユウが俺の言葉を遮った。 ゆっくりと振り向いた顔には、かすかな笑みが浮かんでいた。 けれど、それは俺を安心させるために無理やり作られたものだった。目元には何の光もなく、唇の端だけが不自然に上がっている。「少しだけ、距離を置きたいの」 胸の奥に、冷たいものが落ちた。 馬車がまた揺れたが、今度はとっさに足を踏ん張ることもできなかった。「……俺が、何かしたか?」「違うよ。龍夜くんは何も悪くないの」「だったら、どうして」「今は、うまく話せないから」「話せるところだけでいい」「ごめんね」 ミユウはそれきり、窓の外へ顔を戻した。 白い羽が、俺の視線から身を守るように閉じていく。 ごめんと言われたのに、俺のほうこそ何を謝られたのかわからなかった。 魔物との戦いなら、相手が何を狙って
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第24話 もう、お前を待たせない

 腕の中に、ミユウのぬくもりがあった。 ラステルへ向かう途中で見つけた、小さな宿屋。その二階の一室は、二人で立てば少し狭く感じるほどだった。 白い壁には長い年月でできた細かなひびが走り、天井から吊るされたランプが、橙色の光を頼りなく揺らしている。窓の外では夜風が森を渡り、枝葉の擦れ合う音が、遠い波のように繰り返されていた。 階下から聞こえていた旅人たちの話し声も、今はほとんど消えている。 静かな夜だった。 俺は、ミユウの背中にそっと腕を回していた。 細い体を包む白い羽が、俺の腕や頬に触れている。羽の一枚一枚は見た目よりもずっとやわらかく、かすかに温かかった。 強く抱きしめれば壊してしまいそうで、どれくらいの力を込めればいいのか分からない。それでも離したくなくて、俺は戸惑いながら彼女の背中に手を添えていた。「龍夜くん……あったかいね」「ああ」「外はあんなに寒そうなのに、ここだけ春みたい」 ミユウの声が胸元から聞こえる。 顔を見ることはできない。それでも、少し笑っているのが分かった。「寒いなら、もう少し近くにいる」「ふふっ」「なんだよ」「龍夜くんらしいなって思ったの」「どこが?」「内緒」 ミユウが体を寄せる。 それだけで、胸の奥が落ち着かなくなった。 剣を振るときなら、体をどう動かせばいいか考えられる。敵が前にいるなら、守るべきものとの距離を測れる。けれど、こうしてミユウを抱きしめていると、何を言えばいいのかも、どこを見ればいいのかも分からなくなる。 それでも、不思議と嫌ではなかった。 この温かさが続けばいい。 ラステルまでの道に何が待っていようと、こうして彼女の無事を確かめられる夜があれば、また前へ進める。「ずっと、このままだったらいいのに」 ミユウが小さくつぶやいた。 俺は息を止めた。 すぐに言葉を返したかったのに、喉の奥で引っかかって出てこない。 俺も同じだ。 たったそれだけのことを伝えるのが、ひどく難しかった。 そのとき、部屋の空気が変わった。 ランプの火が、ふっと細くなる。 窓は閉まっている。扉にも隙間はない。それなのに、凍りつくような風が足元を通り抜けた。 俺とミユウの影が、床の上で不自然に揺らぐ。 重なっていた二つの影の間に、いつの間にか三つ目の影が伸びていた。「離れるな」 俺はミユ
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第25話 大切な人は、弱点じゃない

 ラステルへ続く街道を歩いていた俺たちが、その小さな村へたどり着いたのは、太陽が西へ傾き始めた頃だった。 村を囲む柵はあちこちで折れ、伸び放題の草に埋もれている。畑には踏み荒らされた跡があり、乾いた土の上に、まだ青い野菜がいくつも転がっていた。 風が吹くたび、傾いた戸板が軋んだ音を立てる。 家は十数軒ほどあるのに、外を歩く人の姿はない。固く閉ざされた窓の隙間から誰かの目がのぞき、俺たちと視線が合う前に引っ込んだ。「静かすぎるね」 ミユウが白い羽を小さく畳み、俺のそばへ寄る。「ああ。人がいないわけじゃない。みんな、何かを怖がってるみたいだ」「旅人を警戒しているだけならよいのですが」 ルゥが周囲へ鋭い視線を向けた。 やがて、家の陰から一人の男が現れた。日に焼けた顔には疲れが刻まれ、手にした鍬は柄の途中を縄で縛ってある。「そこの金髪頭のにいちゃん、旅の者かい?」「え? ああ、そうだけど」 返事をしながら、自分の髪へ触れた。 前回、アストラルブレイヴへ覚醒してから、力を解除しても髪は金色のままだ。朝、水面へ映った自分を見るたび、知らない誰かと目が合ったような気持ちになる。(この呼ばれ方、まだ慣れないな) 照れくささをごまかすように、俺は男の壊れた鍬へ目を向けた。「それ、どうしたんだ?」「アレスに折られたんだ。最強の剣士だなんて名乗って、この村で好き勝手してやがる」 男は声を低くすると、村の奥を気にして何度も振り返った。「食料を勝手に持ち出す。気に入らないことがあれば、柵も荷車も仕事道具も壊す。止めようにも、あのでかい剣を見せつけられたら、俺たちじゃ何もできねえ」 男の背後にある納屋は、扉が片方外れていた。割れた木箱や車輪がそのまま積まれ、片づけようとした形跡さえない。 直す気力まで奪われたのだろう。 閉じた窓の向こうから、幼い子どもがこちらを見ていた。その隣には、子どもの肩を抱き寄せる母親らしい姿がある。「ひどいよ」 ミユウの声が震えた。「みんなが大切に作ったものなのに。そんなこと、許しちゃ駄目だよ」 白い羽が開きかける。今すぐアレスのもとへ飛んでいきそうなミユウの肩を、俺はそっと押さえた。「待て、ミユウ。まずは居場所を聞こう」「うん。でも、困っている人をこのままにはできないよ」 まっすぐ見上げてくる瞳には、迷いがな
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第26話 守りたい きみの全てを

 窓の外で、夕暮れがゆっくりと夜へ変わろうとしていた。 西の空に残る赤い光は、遠い山の稜線へ溶けるように細くなり、その上から深い藍色が静かに広がっている。村を走る細い道には夕餉を終えた人々の穏やかな声が流れ、軒先に吊るされた灯りが一つ、また一つと夜の中へ浮かび上がっていった。 どこかの家から、焼いた肉と香草の匂いが漂ってくる。宿屋の一階では食器の触れ合う音が響き、時折、宿泊客の笑い声が床板を通して微かに伝わってきた。 平和な夜だった。 少し前まで、アレスと命を懸けて剣を交えていたことが嘘のように思えるほどに。 けれど、俺の体には、戦いのすべてが残っていた。 息を深く吸うと、脇腹の奥に鈍い痛みが走る。肩から腕にかけては鉛でも入れられたように重く、指を曲げれば、剣を握り続けた手のひらが熱を持った。 アレスの剣を受け止めたときの衝撃。 足元の土が砕けた感覚。 体の内側から、すべてを焼き尽くすほどの力があふれ出した瞬間。 目を閉じれば、今も鮮明に思い出せる。 あのとき、俺はアストラルブレイヴの力に飲み込まれなかった。 誰かに操られたのでも、偶然に助けられたのでもない。自分の意志で立ち、自分の意志で剣を握り、自分が守ると決めた相手のために力を振るった。 窓ガラスには、ぼんやりと俺の姿が映っている。 覚醒の影響で金色に変わった髪が、夕暮れの名残を受けて淡く輝いていた。見慣れたはずの自分の顔なのに、髪の色が違うだけで、別の誰かを見ているような感覚になる。 強くなれた。 ようやく、守ると口にするだけの俺から、一歩だけ抜け出せた。 その事実は素直にうれしい。 それでも、胸の奥に残っているのは喜びだけではなかった。 俺自身の魔力は、今もほとんどない。 アストラルブレイヴの力を一度制御できたからといって、急に無敵になったわけではない。次も同じように覚醒できる保証はなく、力を引き出せたとしても、この体では長く持たないだろう。 アレスのような強者を前にすれば、たった一度の迷いが負けにつながる。 もし、あのとき力を制御できなかったら。 もし、俺が倒れたあとにミユウが狙われていたら。 考えるだけで、指先が冷たくなった。 今日の勝利に浮かれている暇はない。 やっと入口に立ったのだ。 この先へ進めるかどうかは、これからの俺次第だった。 「痛っ」
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第27話 黄金の力を、この手に

 村を囲んでいた木柵が、朝靄の向こうへゆっくりと沈んでいく。 振り返れば、見送りに出てくれた人たちの姿はもう見えなかった。炊事の煙だけが薄青い空へ昇り、昨夜まで滞在していた村の場所を示している。 俺たちは再び、ラステルへ向かう街道を歩き始めていた。 朝露に濡れた草が風に揺れるたび、細かな光が足元で跳ねる。街道の先にはなだらかな丘が重なり、その奥に深い森の影が見えた。まだ陽は低く、頬を撫でていく風には夜の冷たさが残っている。 その風が、俺の金色の髪を揺らした。 アストラルブレイヴへ覚醒した余波で、この髪は元の色へ戻らなくなった。水面に映る自分を見るたび、今でも少しだけ他人の姿を見ているような気分になる。 けれど、以前ほど戸惑いはなかった。 髪だけではない。 俺の中にも、確かな変化が起きている。 俺は歩きながら、右手を開いた。 手のひらの奥に、かすかな温かさがある。日差しや体温とは違う。胸の奥から腕を通り、指先へ届いている細い流れだった。 村にいたころから、何度か同じ感覚があった。 初めは覚醒の疲れが残っているのだと思っていた。けれど、意識を向ければ向けるほど、その流れははっきりする。 今までの俺には、ほとんどなかったものだ。「なあ、ミユウ」「なに、龍夜くん?」 隣を歩いていたミユウが顔を上げた。 白いワンピースの裾が、朝の風にふわりと広がる。ミユウは慌てて両手で押さえると、汚れていないか確かめるように裾の端まで見下ろした。 九百年もの間、戦いの傷を隠すために黒い服を着続けてきた彼女には、明るい色の服がまだ落ち着かないらしい。「俺の中に、魔力があるみたいなんだ」「本当?」 ミユウの瞳が一瞬で輝いた。「ああ。ほんの少しだけどな。胸から腕へ流れてくるのが分かる。前は何も感じなかったのに」「すごいよ、龍夜くん!」 ミユウは自分のことのように喜び、俺の右手をのぞき込んだ。「ちゃんと龍夜くんの中で、魔力が育ってるんだね」「育ってるのかどうかは分からないけど、前よりできることは増えてると思う」 俺は手のひらへ意識を集めた。 以前なら、自分には魔力がないという事実を思い出すたび、胸の奥が冷たくなった。周りにできることが俺にだけできない。それが悔しくて、何度も自分の弱さをかみしめた。 けれど、今は違う。 ほんのわずかな流れでも
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第28話 もう誰にも触れさせない

 悪魔がミユウへ触れようとした瞬間、俺はその手首をつかんだ。「ミユウに触るな」 静かな声が、自分の喉から落ちた。 胸の内には、焼けつくような怒りがある。それでも、視界は澄み切っていた。以前のように感情が力を引きずり出しているのではない。 守ると決めた俺自身が、力を動かしている。 悪魔の黒い皮膚をつかんだ指先から、淡い金色の光がにじみ出した。身体の奥から流れてきた熱が腕を通り、手のひらへ集まっていく。「熱い! なんだ、これは!」 悪魔は目を見開き、翼を激しく羽ばたかせた。俺の手を振りほどくと、赤く光る手首を押さえながら空へ逃げる。 夕暮れの森に長い影が落ちた。 冷たい風が木々の梢を揺らし、草原に咲く白い花が一斉に身を伏せる。その向こうで、悪魔の黒い翼が茜色の空を切り裂いた。 逃がすつもりはない。 俺はゆっくり息を吸い、胸の奥に意識を向けた。 力を無理に引きずり出すのではなく、自分の呼吸へ重ねていく。心臓が打つたび、身体の内側にある熱が目を覚まし、肩から腕へ、腰から足へと流れていった。 金色の髪が激しく逆立つ。 足元から立ち上った淡い金色の光が、俺の全身を静かに包み込んだ。 炎のように荒れ狂うことはない。 光は俺の輪郭に沿って穏やかに揺れ、呼吸に合わせて明るさを変えている。熱も、重さも、すべてが俺の意思に従っていた。「アストラルブレイヴ……!」 背後から、ミユウの明るい声が届く。 その声に押されるように、俺は地面を蹴った。 土が弾けた。 次の瞬間、身体は木々の高さを越え、夕暮れの空へ飛び出していた。 頬へぶつかった風が、金色の髪を激しく揺らす。 速い。 そう考えた時には、地上の草原がはるか下へ遠ざかっている。 三日前までの俺なら、飛び上がった勢いに身体を任せるしかなかった。空中で姿勢を変えるだけでも全身へ無駄な力が入り、着地する場所を選ぶ余裕などなかった。 今は違う。 右足へ魔力を流すと、何もない空に見えない足場が生まれた。そこを踏み込めば、身体は俺が望んだ方向へ鋭く曲がる。 腕へ力を移せば上半身が軽くなり、背中へ巡らせれば翼がなくても風をつかめる。 まるで、空そのものが俺の道になったようだった。 胸の奥に高揚が広がる。 だが、その感覚に酔っている暇はない。 前方を飛ぶ悪魔が右へ身体を傾ける。そのわずかな動
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第29話 月明かりの下、君の傷を抱いて

 宿屋の一室には、戦いの気配を忘れさせるような静けさが満ちていた。 小さな窓から差し込む月明かりが、木の床へ細長く伸びている。壁際の燭台では、短くなった蝋燭の炎が夜風にかすかに揺れ、そのたびに壁へ映る二人分の影も、寄り添ったり離れたりを繰り返していた。 遠くから聞こえてくる川のせせらぎ。屋根の上を撫でていく風の音。時折、古い建物が思い出したように軋む。 それ以外には、何も聞こえない。 ついさっきまで剣を握り、悪魔と命を懸けて戦っていたことさえ、遠い出来事のように感じられた。 俺は部屋の中央に立ち、自分の両手を見下ろした。 手のひらには、剣を強く握り続けた跡が残っている。体のあちこちには鈍い痛みがあったが、立っていられないほどじゃない。傷の手当ても受けている。 それよりも強く感じているものがあった。 俺の内側を、静かに流れている力。 目に見えなくても、今ははっきりと分かる。 それは誰かから借りたものでも、俺の手に余る得体の知れないものでもなかった。確かに俺の中で生まれ、呼吸に合わせて全身を巡っている魔力だった。 以前の力は、怒りに呼応して一気に噴き出した。 髪は荒々しく逆立ち、燃え盛るような光が視界を埋め尽くした。強大である一方、少しでも気を抜けば自分まで飲み込まれそうな激しさがあった。 だが、今は違う。 自然に流れる金色の髪を指先でかき上げながら意識を集中させると、胸の奥で魔力がわずかに動いた。静かな湖面へ波紋が広がるように、俺の意思を待っている。 俺が望めば、この力は応えてくれる。 怒りに支配されなくてもいい。誰かを守りたいという思いを、俺自身が力へ変えられる。 戦いの中でつかんだその感覚は、まだ体に残っていた。 偶然じゃない。 俺はアストラルブレイヴの力を、自分の意思で制御した。 その事実を、もう疑うつもりはなかった。「龍夜くん」 呼びかけられ、俺は顔を上げた。 ミユウが、寝台のそばに立っていた。 薄い寝間着へ着替えた彼女の銀白色の髪が、月の光を受けて淡く輝いている。いつもの明るい笑顔を浮かべようとしているのに、その青い瞳は少し潤んでいた。 ミユウは俺の姿を確かめるように、金色の髪から頬、肩、腕へ視線を動かした。 俺が本当にここにいるのか。 今にも消えてしまわないか。 そんな不安が、言葉にされなくても伝わっ
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第30話 鏡の中に消えた白い翼

 ラステルへ続く街道が深い森へ差しかかる少し前、俺たちは道端で休んでいた旅商人から、不思議な池の話を聞いた。「ここから東へ半刻ほど歩いたところに、鏡みたいな池があるんだ」 旅商人は荷馬車の車輪へ新しい留め具を打ち込みながら、まるで近所の井戸について話すような気軽さで言った。「鏡みたい?」 ミユウがすぐに食いつく。「ああ。風が吹いても波一つ立たない。空も雲も、のぞき込んだ人間の顔も、何もかもそのまま映すそうだ。けど、ただ姿を映すだけじゃない。本当の姿、本当の心まで見せるんだとさ」「本当の心……」 ミユウはその言葉を確かめるように、胸の前で両手を重ねた。 穏やかな午後の日差しが、彼女の白い翼を淡く照らしている。旅商人の話を聞くまでは、道端に咲いている小さな花を楽しそうに眺めていたのに、今は池のことしか頭にないらしい。 その横顔を見た時点で、俺には次の言葉が予想できた。「行ってみたい!」「そう言うと思った」「だって、本当の心を映すのよ? すごくない?」「すごいかもしれないけど、今からラステルとは違う方向へ行くんだぞ」「半刻だけでしょう? それに、池の中で困っている人がいるかもしれないわ」「今の話のどこに、困っている人が出てきたんだよ」「詳しいことを話したがらない人がいるって言っていたでしょう? 怖い思いをしたのかもしれないわ」 ミユウは真剣な顔で旅商人を見る。「その池へ行った人は、みんな無事に戻ったんですか?」「少なくとも、俺が会った連中は生きて戻ってきたよ。ただ、池の中で何を見たのか聞いても、黙り込むばかりだったな。中には泣き出す者もいた」 俺は思わず森の方角へ目を向けた。 街道から外れた先には、日の光が届かないほど密集した木々が並んでいる。穏やかな風が吹いているのに、森の奥だけはひどく静かだった。「なるほど。本当の心を映すというより、心の奥へ直接作用する魔法かもしれませんね」 ルゥが腕を組み、考え込むように目を細めた。「珍しく慎重だな」「珍しくとは何です。私はいつでも物事を深く考えています」「じゃあ、行くのは反対か?」「誰がそのようなことを言いました?」 ルゥは少し顎を上げた。「人間の噂など、大半は尾ひれのついた作り話です。しかし、本当に精神へ作用する池ならば、魔法的な価値はあります。無知なあなたたちだけを行か
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