LOGINある日突然異世界に召喚されたごく普通の高校生。期待していたスキルはほとんど0?!そんな彼が出会ったのは天真爛漫、人助けが大好きな白翼の継承者の少女だった。彼女との距離が近づくにつれ、彼女の凄惨な過去が明らかに。「普通の女の子になりたい」彼女のささやかな願いを叶えるため、少年は何度傷ついても、何度でも立ち上がり、剣を振い、闇を切り裂く。これは、ごく普通の高校生が、大切な少女のために、そして世界を救うために、異世界で最強の勇者を目指す俺TUEEE成長譚
View More教室の床が光った瞬間、俺の指先からスマホが滑り落ちた。
画面の中では勇者が剣を振り上げたまま止まり、机の脚も、上履きの先も、椅子の影も白く焼けていく。誰かのシャーペンが床に転がる音だけが、耳の奥でやけに大きく響いた。
次に膝へ触れたのは、教室の床ではなかった。
手のひらに食い込む、ざらついた石の冷たさ。肺に入った空気は、チョークではなく、古い香炉と雨上がりの石畳みたいな匂いがした。
俺は瀬野龍夜。漫画やゲームの世界に逃げ込み、異世界で無双する妄想ばかりしている、ごく普通の高校生だ。
……なのに。
足元には白い線で描かれた巨大な円があった。文字、羽のような模様、薄く脈を打つ光。その中心で、俺の影だけが小刻みに震えている。
「……なんだ、これ」
見上げると、天井は体育館よりも高かった。細い柱が何本も伸び、壁の上では色ガラスが赤、青、金の光を石床に落としている。
その外側に、人がいた。
白や灰色のローブを着た大人たちが、魔法陣を囲んでいる。誰も近づいてこない。ただ俺を見ていた。割れ物がまだ砕けていないか確かめるような目で。
「……学校は」
自分の声が、神殿の中へ転がった。
返事の代わりに、人垣が割れた。
白いローブの男が一歩前へ出る。胸元には金の刺繍、肩から下がる布には翼を広げた鳥の紋章。男は俺の前で膝をつき、額が床につきそうなほど頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、救世主様。我ら天界アストリアの民は、この時を待ち続けておりました」
救世主。
耳に入った言葉が、頭の中でうまく形にならなかった。
俺の袖口には、昼休みにこぼしたパンの粉がついている。ポケットには充電が半分もないスマホ。足元には上履き。剣も杖もない。昨日の英単語テストだって、最後の一問は勘で埋めた。
「ちょっと待て! 救世主ってなんだよ! 漫画の中の話だろ。それに名前で呼べよ!」
「あなた様は神がお選びになった救世主様でございます。名前で呼ぶなどおがましいばかりです」
男は申し訳なさそうに頭を下げる。
何だよ、それ。意味分かんねえよ。
「下界での記憶を保ったまま顕現された。やはり、神託の通りです」
周囲のローブたちが一斉に息を呑んだ。
「神託の……」
「測定前から、この光量……」 「間違いない」囁きが石壁に跳ね返る。知らない単語ばかりなのに、その一つ一つが重かった。
「俺は、そんな大層なものじゃないです」
どうにか押し出した声は、自分でも驚くほど頼りなかった。
「ご混乱は当然です。ですが、貴方様はこのアストリアに招かれた唯一の方。やがて剣を取り、空を裂く災厄を退けるお方です」
「剣って……俺、剣道部でもないんですけど」
誰も笑わなかった。
そのせいで、余計に膝の裏が冷えた。
その時、石畳の向こうで小さな鈴のような音がした。
人垣の隙間から白が飛び込んでくる。ローブではない。光を受けた髪だ。銀に近い髪がふわりと揺れ、背中から伸びた白い羽が空気を払った。
「龍夜くん!」
名前を呼ばれた。
この世界で、まだ誰にも名乗っていない名前を。
少女は勢いのまま俺の腕に両手を絡めた。細い指が制服の袖を掴み、羽先が俺の肘をくすぐる。息に、花の蜜みたいな甘い匂いが混じっていた。
白を基調にした服は神殿の光を拾い、胸元の金細工がきらりと揺れている。瞳は青い。けれど、その奥には白い光が淡く揺れていた。
「やっと来てくれた」
少女は笑った。初対面の距離じゃなかった。長い雨が上がったあと、扉の前に待ち人が立っていたような顔だった。
「……なんで、俺の名前を」
「ミユウ」
「え?」
「ミユウ・ネフェルト。まずはそれ、覚えて」
俺の質問は、そっと横へ押し流された。
振りほどこうと思えば、できたはずだ。けれど、その指先に入った力が妙に必死で、俺は腕を動かせなかった。
「ミユウ様。まだ儀式の余光が残っております。救世主様には、まず測定を——」
「あとで」
やわらかい声だった。なのに、神官たちの足音がぴたりと止まった。
「龍夜くん、立てる?」
差し出されたミユウの手は、見た目より温かかった。
俺はその手を掴み、立ち上がる。魔法陣の外に並ぶ人々の顔が見えた。祈る者、涙を拭う者、まだ信じきれないように唇を噛む者。
全部、俺に向けられていた。
「俺は、まだ何もしてない」
小さく呟いたつもりだった。
ミユウが俺を見上げる。
「これからするんだよ」
軽い言い方じゃなかった。
白いローブの男が、祭壇の奥へ手を向けた。そこには人の背丈より高い水晶の柱が立っている。内部には白い霧がゆっくり流れ、根元には剣をかたどった金具が並んでいた。
「救世主様。適性の測定をお受けください。貴方様の力を、我らにお示し願います」
力。
その言葉に、胸の奥で漫画のページがめくれた。
何も持たない主人公が、異世界で眠っていた力を見つける。剣を握った瞬間、光が走る。周りがどよめき、誰かが言う。やはり伝説の——と。
読み慣れた展開だった。
その中心に、今、俺が立っている。
けれど、スマホの画面はもう手元にない。読み飛ばせるページも、閉じられるアプリもない。
「大丈夫。龍夜くんなら」
ミユウが俺の袖を軽く引いた。
何を根拠に。
そう聞こうとして、やめた。
彼女の目は、神託でも魔法陣でも周りの期待でもなく、俺だけを見ていた。
「……何をすればいいですか」
「水晶へ手を。内に眠る力があれば、光が応えます」
あれば。
その二文字が耳に残った。
俺は水晶の前に立つ。表面には、制服姿の情けない顔が歪んで映っていた。少し乱れた髪、開ききった目。どこにでもいる高校一年の顔。
この手を置いたら、何かが決まる気がした。
帰れるかどうか。ここで何者として扱われるのか。目の前の少女の笑みを、俺が壊すのかどうか。
「龍夜くん」
ミユウが名前だけを呼んだ。
俺は水晶に手を置いた。
冷たさが掌から骨へ走る。中の霧がぴたりと止まった。神官たちの衣擦れも、誰かの息も、遠ざかっていく。
一秒。
二秒。
水晶の芯に、細い光が灯る。
誰かが息を呑んだ。
けれど、光は強くならなかった。剣を呼ぶ轟きも、天井を裂く柱もない。漫画みたいな派手な演出は、何ひとつ起きなかった。
霧はほんの少し揺れ、すぐ薄い白へ戻った。
沈黙が落ちた。
「……反応値、微弱」
若い神官が震える声で言った。
「属性適性は」
「剣、魔術、防御、治癒……いずれも規定値未満」
神殿の空気が変わった。
祈りの目が揺れる。涙を浮かべていた人が瞬きを忘れる。さっきまで俺に向けられていた熱が、引き潮みたいに遠ざかっていく。
「そんなはずは……もう一度」
白いローブの男がかすれた声で言う。
けれど俺には分かっていた。もう一度やっても、変わらない。
神官が金属板を見つめ、さらに声を震わせた。
「総合値……測定不能」
その言葉で、ざわめきが爆ぜた。
期待外れなのか、異常なのか、それすら分からない響きだった。けれど、俺を見る目はもうさっきと同じじゃない。救世主を見る目でも、伝説を見る目でもなかった。
答えの出ないものを見る目だ。
「……だから言ったじゃないですか」
俺は水晶から手を離した。
「俺は、普通の高校生です」
誰も返せなかった。
ただ、袖を掴む指だけがあった。
ミユウが俺の前へ半歩出る。
「龍夜くんは、龍夜くんだよ」
大きな声じゃない。神殿中に響かせるためのものでもない。俺にだけ届く距離で落とされた声だった。
彼女の白い羽は、ほんの少し震えていた。唇の端は持ち上がっているのに、指先には力が入りすぎて、俺の袖に皺が寄っている。
この子も、平気なわけじゃない。
俺はようやく、それに気づいた。
「状況を教えてください」
俺は白いローブの男へ向き直った。
足はまだ震えている。けれど、膝は折れなかった。
「俺に力がないなら、ないなりに。ここがどこで、何が起きてて、俺がどうして呼ばれたのか。最初から、全部」
男は俺を見た。
今度は救世主を見る目ではなかった。水晶に映らなかった何かを、裸眼で探そうとする目だった。
何も持っていない。
それは今、ここで証明された。
それでも、目の前で笑おうとしている白い羽の少女だけは、俺の失敗ごと抱えて立っている。
なら、せめて。
俺は冷えた掌を握りしめた。
この手がまだ空っぽなら、何かを掴むところから始めればいい。
「……っ、は!」 身体が寝台の上で大きく跳ねた。喉の奥から引きつった息がこぼれ、肺へ入りきらなかった冷たい空気が、胸の内側をざらつかせる。 最初に目へ入ったのは、薄闇に沈む天井だった。 太い梁。そのあいだを埋める淡い色の板。視線をずらせば、寝台を囲う天蓋の布が、閉ざされた窓から忍び込む風にかすかに揺れている。見覚えがあるはずなのに、それがどこなのか、すぐにはわからなかった。 朝なのか、夜なのかさえ判然としない。カーテンの隙間から差し込む光は白く濁り、床の上へ細長い筋を作っている。頬を撫でる空気はひどく冷え、荒い呼吸だけが、耳元で何度も反響した。 俺は両手で敷布をつかんだ。 柔らかな布の感触。背中を支える寝台。指のあいだに絡む皺。少なくとも、崩れかけた石床の上ではない。 けれど、どこからここへ来た。 何をしていた。 頭の中を探っても、そこには深い空洞があった。目覚める直前まで見ていたはずの何かが、霧の向こうへ丸ごと隠されている。思い出そうとするほど額の奥が軋み、輪郭のない光ばかりが視界の奥で明滅した。 身を起こすと、肩から掛布が滑り落ちる。 黄金の甲冑はなかった。胸元にあるのは、異世界へ召喚された日に着ていた学校の制服だ。袖も、ボタンも、使い慣れた形へ戻っている。腕を覆っていた光も、身体の奥から溢れていた力も、今は欠片すら感じられない。 額へ落ちた髪を指で払う。 薄暗い部屋の光を受け、その髪は金色に輝いた。長さも髪型も以前のまま、自然に流れている。それでも色だけが黒へ戻らず、あの姿の名残のように残されていた。 俺は息を呑んだ。 その色をきっかけに、黄金の残光が頭の中で炸裂する。 崩れた玉座。亀裂の走る石床。宙を舞う砂埃。押し寄せる黒い魔力。焼けつくような光。身体の芯まで震わせた轟音。空間そのものが悲鳴を上げるように揺れ、砕けた石片が足元で跳ねている。 だが、どの光景も順序を持たなかった。 一つ浮かんでは消え、別の断片に押し流される。誰かの声がした気がするのに、言葉まではつかめない。俺は天井を見上げたまま、乱れた息を整えようとした。 ここは魔王城ではない。 壁にかかった布も、窓枠の形も、寝台の脇に置かれた小さな卓も知っている。アストリアの城で与えられた、俺の部屋だ。 どうしてここにいるのかは、わからなかった。 誰に運ばれたのか
「龍夜!今のうちに、あなたの全ての気を溜めなさい!」 「でも、どうやって……」 「わたしがあいつの注意を惹きつけます」 「わ、わかった!」 直前まで玉座の間を満たしていた黄金の光は、薄い残照となって砂塵の中を漂っていた。胸から肩、腕、腰、脚へと身体に沿って連なる黄金の装甲が、戦場を震わせる低い唸りに呼応し、刻まれた紋様を明滅させている。 ミユウの天柱の矢に貫かれた玉座は原形を失い、その残骸が黒い石床へ散乱していた。広間を縦横に裂く亀裂は柱の根元にまで達し、崩れかけた天井から絶え間なく砂や小石が降ってくる。散った黄金の羽根も、床へ落ちる前に輪郭を失い、静かな光の粒へ変わりつつあった。 その荒れ果てた広間の中心に、ラフィセルが立っている。 玉座を砕かれ、幾度も攻撃を受けたはずなのに、その背筋は少しも曲がっていない。黒い衣を包む魔力は、むしろ先ほどまでよりも凶悪な密度を帯びていた。闇が何層にも折り重なり、周囲に残る黄金の光を端から呑み込んでいく。 ラフィセルの目が、ルゥの肩越しに俺を捉えた。 冷たく研ぎ澄まされた視線だった。感情のまま怒鳴り散らすことも、砕けた玉座を振り返ることもない。ただ、低く下げられた顎と細められた目から、踏みにじられた威厳への怒りが、刃物のような鋭さを伴って伝わってきた。 俺のすぐ後ろには、幼い身体へ戻ったミユウが横たわっている。 正天使の力を使い果たし、十六歳の姿さえ保てなくなった小さな身体。その周囲に残る羽根はもう数えるほどしかない。ミユウは反応を見せないまま、砕けた石と消えかけた光の中にいる。 振り返りたい衝動が、胸を強く締めつけた。 けれど、今はできない。 ここで視線を外せば、ラフィセルは必ずその隙を突く。俺が戦いを終わらせない限り、ミユウのそばへ戻ることさえ許されないのだ。 ルゥは俺とミユウを背にかばうように立ち、両腕を広げた。足元へ集まった水が薄青い光を放ち、細い流れとなって亀裂の間を走っていく。「あなたの相手は、わたしです」「一人で僕を止めるつもりかい?」 ラフィセルの低い声とともに、周囲の黒い魔力がうねった。「止めます。そのために、わたしはここへ立っています」 ルゥは静かに答えると、俺を振り返ることなく床を蹴った。 俺も迷いを切り離す。両足を亀裂の走る床へ踏ん張り、重心を低く落とした。両手を
「今のは焦ったぞ、虫ケラどもが」 低く押し殺した声が、魔王城の玉座の間を震わせた。 天柱の矢に貫かれた玉座は原形を失い、黒い石の破片となって広間の奥へ散乱している。床には黄金の光を宿した亀裂が幾重にも走り、その上をルゥの水の残光が青い帯となって流れていた。さらに、俺が投げ放ったアストラルフレイムの青白い炎が、砂塵に霞む玉座の残骸を照らしている。 三人の力を重ねた一撃。その中心には、黄金と青と白が混ざり合った光の奔流が、今なお激しく渦巻いていた。 だが、その奥から黒い霧が滲み出す。 最初は糸ほどに細かった影が、床や壁を這う闇を吸い上げながら膨らみ、残っていた光を内側から押し退けていく。黒い霧は一点へ収束すると、人の背丈を越える柱となって立ち上がった。その内側で幾筋もの影が絡まり、頭、肩、腕、胴体の輪郭を静かに取り戻していく。 やがて霧の中で、二つの瞳が開いた。 そこに立っていたのは、完全な姿を取り戻したラフィセルだった。「我が玉座を砕き、この身にまで届いたことは褒めてやろう」 黒い衣には乱れ一つなく、背筋もまっすぐに伸びている。けれど、こちらを見下ろす冷たい眼差しと、その身体から溢れ出す魔力は、復活する前とは比べものにならなかった。 目に見えない巨大な圧力が玉座の間を満たし、呼吸をするたびに肺が押し潰されそうになる。床に転がっていた小石が震え、次々と宙へ浮かび上がった。崩れかけた柱から砂が零れ、天井に走った亀裂の奥で、岩盤が軋む鈍い音が続いている。「だが、貴様らが得たものは、我が怒りだけだ」 ラフィセルが静かに片足を踏み出した。 その瞬間、空気が爆ぜた。 衝撃が床を走り、黄金の光を宿していた亀裂が黒く染まる。ルゥの水の残光は押し潰され、無数の飛沫となって散った。遠くに横たわるアストラルフレイムの炎も大きく揺らぎ、今にも闇へ呑まれそうなほど細くなる。 俺は腕で顔を庇い、踏みとどまろうとした。しかし、足元の石床ごと揺さぶられ、身体が何歩分も後ろへ滑っていく。胸の奥では魔王の呪いが黒い杭となって食い込み、心臓の鼓動に合わせて、焼けるような痛みを全身へ送り込んでいた。 苦しい。まともに息を吸うことさえできない。 それでも、ここで目を逸らすわけにはいかなかった。 砂塵の向こうで、ラフィセルを包む黒い魔力が渦を巻いている。それは炎でも霧でもない
「許さない!ラフィセル!わたしの真の力を思い知るといいわ!」 ミユウの声が、闇に閉ざされていた玉座の間を貫いた。 次の瞬間、彼女の全身から噴き上がった黄金の光が、広大な空間を一息に満たしていく。光は六枚の翼から滝のように流れ落ち、砕けた床を走り、天井を支える漆黒の柱を根元から照らし上げた。 魔族の紋章を刻んだ柱の表面へ無数の亀裂が生まれる。亀裂の奥へ入り込んだ黄金が、長い間この城に染みついていた闇を内側から押し出していた。 崩れた玉座の周囲では、黒い石片が重さを失ったように浮かんでいる。その一つ一つが黄金を反射し、夜空に散った星のように瞬いた。 眩しいだけじゃない。 ミユウの光は、触れるものすべてを押し潰そうとするほどの圧力をまとっていた。 床に片手をついていた俺の肩へも、見えない巨岩のような重さがのしかかる。息を吸うたび胸の奥が軋み、魔王の呪いが残る場所から、鋭い棘を押し込まれたような痛みが広がった。 それでも俺は、目を逸らせなかった。 流れる金色の髪。天井近くまで大きく広がった黄金の六枚翼。細い手に握られた弓からは、溢れた光が火花となってこぼれている。 堕天の闇を脱ぎ捨てたミユウは、まるで夜明けそのものだった。 けれど、その顔に穏やかな微笑みはない。 金色の瞳は大きく見開かれ、震える唇は強く噛み締められていた。弓を握る指先にも、白くなるほど力が込められている。 光の圧力がさらに膨れ上がった。 ラフィセルの黒い外套が背後へ激しくはためく。床を踏みしめた両足の下で石が砕け、長い亀裂が玉座の階段へ向かって走った。 それでも踏みとどまろうとしたラフィセルの片膝が、ついに床へ落ちる。 轟音が響き、黒い石の破片が跳ね上がった。 ラフィセルの瞳は針の先ほどに縮んでいる。床へついた指は細かく震え、息を吸うたび喉から引きつった音が漏れていた。 しかし、顔を上げた瞬間、その唇は屈辱に歪んだ。 床をつかんだ指に力が入り、硬い石が粉となってこぼれ落ちる。乱れた呼吸を押し殺しながら、ラフィセルはもう片方の足を立てた。「このわたしが、こんな小娘に!」 低く濁った声が、玉座の間に残る闇を震わせた。 片膝をついた姿から怯えは消えていない。それでも、背筋は折れていなかった。縮んだ瞳の奥にも、相手をどこまでも見定めようとする冷たい光が戻り始めている。
「やった……」 倒れたスライムが、青白い光になって芝生の上へ消えていく。 俺は剣を下ろした瞬間、その場に膝をつきそうになった。 息が荒い。 腕が痛い。 指先はまだ震えている。 それでも、俺は立っていた。 勝った。 たった一匹のスライムだ。 この世界では、子どもでも倒せるような魔物なのかもしれない。勇者を目指すなんて言っている人間が、ここで喜んでいいのかもわからない。 それでも。 俺にとっては、初めて自分の足で踏み出した一歩だった。「龍夜くん!」 ミユウが走ってきた。 次の瞬間、俺の両手をぎゅっと握る。「すごい! 本当にすごいよ! 龍夜くん、最後まで逃げなかった!
「来いよ」 俺は剣を構えた。 怖くないわけじゃない。 足は重く、腕もまだ痺れている。 それでも、もう一度地面に転がされるために、ここへ立ったわけじゃない。 アストリアの神殿の裏庭。 白い石柱に囲まれた芝生の中央で、俺はルゥの召喚したスライムと向き合っていた。 青白く透き通った小さな魔物。 見た目だけなら、子どもでも倒せそうに見える。 だが、昨日の俺はこいつに振り回された。 剣は当たらない。 足は取られる。 動きは読めない。 この世界で魔力のない俺が、どれだけ無力なのか。 思い知らされるには十分すぎる相手だった。 けれど、俺は剣を下げなかった。 少し離れた場所で
「雑魚だろ。そんなひょろくて能力もないやつが救世主なんて信じられん」 ルゥの声が、神殿の裏庭に冷たく落ちた。 白い石畳の上で、俺は拳を握ったまま動けなかった。言い返したいのに、喉の奥が焼けつくばかりで、うまく声にならない。 天界アストリアに召喚されてから、俺は何度も自分の弱さを見せつけられている。 戦闘力はない。魔力もない。剣を握っても、手のひらに残るのは頼りない重さだけ。 それでも、ミユウを守るためにここへ来たのだと、俺は思いたかった。「ルゥ、そんな言い方しないで」 俺の隣で、ミユウがむっと頬をふくらませた。 背中の白い羽が、朝の光を受けてやわらかく揺れる。神殿の庭に咲いた
「いやあぁっ!」 ミユウの悲鳴で、俺は目を覚ました。 胸に寄りかかっていた小さな身体が、びくんと跳ねる。白い翼がばさりと乱れ、俺の腕から逃げようとするみたいに暴れた。 一瞬、何が起きたのかわからなかった。 ここはアストリアの神殿にある、ミユウの部屋だ。 昨日、ルゥに連れていかれた裏庭で、俺はスライム相手に情けないほど転がされた。何度も倒れて、立ち上がって、最後は気合だけでどうにか前に出た。 そのあと、膝が笑ってまともに歩けなくなった俺を、ミユウがこの部屋まで連れてきた。「龍夜くん、少しだけ休んでいって」 そう言って、俺の手を離さなかった。 本当はすぐ自分の部屋に戻るつもりだ