そこまで思い返したところで、扉が控えめに叩かれた。 セレフィアの肩がわずかに跳ねる。ミレナがすぐ応対し、扉の向こうと短く言葉を交わしたあと、戻ってきた。「オルフィーヌ様がお呼びです」 その一言で、部屋の空気が少しだけ変わった。 セレフィアは便箋をゆっくり卓上へ置く。「……お姉様が」「はい。お部屋でお待ちとのことでした」 姉は失踪した。今、この屋敷にはいない。 当たり前のはずなのに、その名前を耳にした瞬間、記憶の中の声が不意に鮮やかになりすぎて、ミレナの言葉がまるで時を間違えたように聞こえたのだ。セレフィアは自分の混乱を悟られぬよう、ひとつ息を整える。「……いいえ、違うわね。おそらく、母が私に思い出させたいのでしょう」 そう呟くと、ミレナは困ったように目を伏せた。 セレフィアは立ち上がった。机の上の手紙はそのままにしておけない気がして、丁寧に重ね直す。指先が紙の端へ触れるたび、そこに残るゼルヴァンの気配を惜しむような、自分でもわからない感情が胸の奥を掠めた。「少し歩くわ」 ミレナへそう告げると、彼女は心配そうに眉を寄せた。「ご一緒いたしましょうか」「いいえ、一人で」 今は誰かの視線があると息が詰まる。そう言わずとも、ミレナは察したらしかった。「では、廊下の先までお見送りします」 結局そうなった。拒める気力もなく、セレフィアは頷く。 廊下へ出ると、午後の屋敷は朝ほどの騒がしさを失っていた。けれど静けさは本来のものではない。使用人たちは足音を抑え、囁き声もさらに低くしている。何か大きなひびが入った家で、人々がその割れ目を踏まぬよう慎重に歩いているような静けさだ。 窓辺を通ると、春めいた陽射しが頬に当たる。午前中よりも少しだけ温かい。けれどそれが、逆に現実感を薄めた。 セレフィアは屋敷の西棟へ向かった。そこには小さな書庫がある。オルフィーヌは滅多に来ない場所だが、セレフィアは時折そこで一人になる。父の正式な蔵書室ほど重厚ではなく、個人的な随筆や旅行記、古い詩集、薬草図鑑などが置かれた、半ば忘れられたような部屋だ。陽の傾く時間には窓から庭の端が見え、静かで落ち着く。 鍵はかかっていなかった。扉を押すと、木が擦れる低い音が鳴る。中には紙と革装丁の匂いが満ち、空気は少し冷たかった。暖炉は小さいが、今は火が入っていない。壁一面の書棚に並
Last Updated : 2026-06-25 Read more