All Chapters of 追いかけないで旦那様 〜奥様はお仕事中だよ!〜: Chapter 1 - Chapter 6

6 Chapters

普通ではない妻

日立みやびは恋愛小説でよくみる、いわゆる”虐げられた妻”である。みやびの嫁ぎ先である日立家は由緒正しい大財閥であり、義母はそこに入り込んだ”庶民”である嫁を嫌い抜いている。気まぐれに嫁を呼びつけて雑用や宴の下働きを押し付けるなんて日常茶飯事、口を開けば嫌味ばかり、時には”家訓”と称して体罰を与えることもある。夫――日立祐市(ひたちゆういち)は祖母がどこかから拾ってきた”庶民の嫁”であるみやびを恥ずかしく思っている。当然結婚式などは挙げていないし、世間に結婚を公表することもない。「俺には初恋の女がいる」と言って憚らず、みやびのことを都合の良い家政婦であるかのように扱う、まさにお手本通りすぎるほどの”恋愛小説でよく見るクソ夫”だ。だから物語は――恋愛小説でよく見るあのシーンから始まる。金海楼2階のVIP個室では、祐市とその取り巻きが集まって飲んでいる最中であった。彼らは祐市に妻がいることを知ってはいたが、夫である祐市がこれを虐げているのだから、誰もみやびのことなど尊重しない。取り巻き筆頭である牛久家の次男、牛久道雄が一際大きな声をあげた。「そういえば聞きましたよ、霞ヶ浦家のお嬢様が戻ってくるって! そしたらあの嫁はどうするんです、祐市さん!」道雄がことさらに声を張り上げたのは、扉の外にいるであろうみやびに聞かせるためである。彼は「祐市が酔っ払っているから迎えにきてほしい」と嘘の電話をかけて、みやびをここに誘き寄せていた。そんなことを知らない祐市は、みやびとの結婚をはっきりと否定した。「離婚するに決まっているだろう、俺が愛して妻にと願っているのは霞ヶ浦史緒里ただ一人、あの女にくれてやる愛などひとかけらもない」みやびはその冷たい一言を、扉の向こうで聞いていた。普通の恋愛小説ならば、唇をそっと噛むとか、爪が肉に食い込むほど拳を握るべきシーンだ。だが、みやびは”普通”ではない。そっとドアを押し開けて細い隙間から室内を見渡したみやびは、居並ぶ御曹司の中でも飛び抜けて見目麗しい自分の夫の姿を無表情で眺めていた。「警備対象の無事を目視で確認」彼女が話しかけている先は、耳にぶら下がったイヤリング型の通信機。通信機の向こうから若い女の声で言葉が返される。「こっちもスキャン完了、室内に危険はないわ、だけど下から三人、来る!」「迎撃する。警備対
Read more

期待通りのクズ男 祐市

日立みやびは夫との結婚記念日を祝うため、彼の好物を食卓に並べて帰宅を待っていた。しかし彼は深夜になっても帰ってはこなかった。エビもチキンも湯気一つ立たないほど冷めて硬くなり、記念日だからと奮発したケーキはクリームが溶けて崩れかけている。みやびは虚しい気持ちで誰も手をつける人のいない食卓を眺めていた。やがて深夜も過ぎた頃、夫は初恋を大事そうに抱えて帰ってきた。恋愛小説に出てくる”普通の”妻ならば大いにショックを受ける定番シーンだが、何しろみやびは普通ではない。夫の車が帰ってくると同時に玄関に駆けつけ、眠っている史緒里を抱き上げた彼のために扉を開けてやった。「おおおおおお、おかえりなさい」声が震えたのは喜びのせいだったが、夫はこれをヤキモチによる怒りだと思ったらしい。「俺が客を連れてくることに、何か文句が?」「なななななな、ないです、これっぽっちもないです、ヒャッホイ!」「ふん」この夫――日立祐市は見事にご期待通りの”恋愛小説によく出てくるクソ夫”そのものである。妻のことは身分も才もない女だと見下して家政婦扱い。祖母に取り入って無理やり自分と結婚した計算高い女だと決めつけて罵る。自分の友人たちが妻を軽んじても庇うことすらせず、むしろ加担する。恋愛小説で見かけるモラハラ三連コンボをフルコンプ、それが祐市という男。彼は”初恋”を大事そうに抱えたまま、不機嫌そうな声をみやびに向けた。「彼女は帰国したばかりでいくところがない。しばらく家に泊めるからな」みやび大歓喜。「きた、きた、キタァァぁ! きましたよ!」「何か文句が?」「いいえ、何も文句などありません! すでに用意は整ってございます、どうぞ主寝室へっ!」祐市、クズだが常識がないわけじゃない。「なんで主寝室? 俺はどこで寝ろと?」「そんなの、ご一緒に寝ればよろしいじゃないですかぁ!」「彼女とは君が思うような関係じゃ……」「わかってます、わかってますとも! 清らかな関係ってやつですよね、だけどっ! おそらく海外で不治の病を得て余命わずかとか、うつ病で常時監視していないと何をするかわからない状態とか、そういう設定があるんでしょ、床を共にしなくても、少なくとも同じ部屋で寝るべきじゃありません?」「ちょっと落ち着け、お前、今日はめちゃくちゃ喋るな?」祐市は今まで、みやびはおと
Read more

それぞれの思惑

史緒里は手土産を持って、祐市の実家へと訪問した。「おばさま、お久しぶりですぅー」祐市の母、美鶴と史緒里はよく見知った仲だ。祐市と恋人だった頃、史緒里はよくこの家に遊びにきていたし、有名な霞ヶ浦家のお嬢様だということもあって、美鶴は史緒里のことを可愛がっていた。「まあまあ、史緒里ちゃん、本当に久しぶりねえ」「これ、お土産です」「そんなの、気にしなくていいのに」美鶴は史緒里を茶室に通し、歓迎のための茶を自らたてて出した。「海外に行っていたんですって?」「そのことなんですけど、おばさま、理由はなんて聞いています?」「自分探しと語学の研鑽のためってきいているけど?」「実はそれ、嘘なんですぅ」史緒里はよよと泣き崩れる。「実は2年前、胃がんが見つかって、幸いに初期段階ではあったんですけどぉ、国内では治療が難しいってことで海外で治療を受けていたんですぅ」「あらあら、まあまあ、大変だったのねえ」史緒里は抗がん剤の副作用がいかに苦しかったか、知る人もいない海外の病院で弱ってゆく病気の自分がいかに哀れだったかを延々と語って美鶴の同情を散々に引いた。「そんな日々を耐えられたのは、ただ、もう一度だけ祐市さんに会いたいという、愛のためだったんですぅ」「ううっ、なんて美しい愛なのかしら」美鶴がハンカチで目を抑えている隙に史緒里はペロリと舌を出す。これみんな嘘だから。「なのに、ようやく体が治って帰ってきたら、祐市さんには妻がいる、この絶望、わかります?」「わかる、わかるわよ、史緒里ちゃん、でもね、あの2人は別に愛し合って結婚したわけじゃないの」「だけど、私……祐市さんのお嫁さんになりたかった……」「ううっ、じおりぢゃん〜」美鶴は持っていたハンカチで涙を拭い、ついでにブビーと鼻をかんだ。「私が離婚するように言ってあげるわ、あの二人が別れたら、あなたが新しい花嫁さんよ!」「えー、でもそれって、なんか割り込むみたいで申し訳ないですぅ」「何を言っているの、先に割り込んだのはあの女の方よ! それにね、あんな生まれも素性もわからない女なんて。私は一度も嫁として認めたことはないわ!」みやびが祐市のボディガードだということは、美鶴には特に絶対知られないように配慮されている。ちょっと世間知らずで思慮の足りないこの義母に知られれば、警護計画に大きな穴が開き
Read more

離婚準備 みやびの場合

ここは霞ヶ浦警備保障の訓練場、畳を敷き詰めた立派な道場である。そこに集められたのは道着を着た新人50名。指導員として彼らの前に立つのは、ピシッと凛々しく道着を着こなしたみやびである。 実はみやび、表向きは”霞ヶ浦警備保障の事務員”ということになっているが、実際には新人の育成と指導が主な業務である。 「強さとは"心技体"三つが揃ってこそ成り立つもの、いずれもおろそかにするべからず!」 指導前のこの薫陶を、最前列で聞いていたムキムキマッチョな若者が笑った。 「それは普通の肉体しか持たない奴の場合でしょ、見てくださいよ俺を、心も技も凌駕するこの肉体!」 確かに見事な筋肉だ。肩だけでなく胸にも太ももにもちっちゃいダンプ載せてんのかいみたいな、ムッキムキの筋肉。肩幅も鍛え抜かれて肩パット10枚くらい入れているみたいな盛り上がりっぷり。おまけに身長が高い、おそらく二メートルは超えているであろう大男である。 「人を守るなんて簡単簡単、弾除けになればいいんでしょ」 毎年一人くらいは、こうした力自慢の勘違い野郎が混ざっている。これを徹底的に”折る”のもみやびの仕事のうちだ。 「人を守るということは、肉盾になることとは違うわ。あなた、そのご自慢の筋肉で弾丸が防げると思う?」 「少なくとも貫通はしねえだろ」 「甘いわね」 みやびは彼を挑発するかのように、くいくいと手招きした。 「特別指導をしてあげるわ、かかってらっしゃい」 若造はまだみやびを侮っている。すけべったらしい目つきでみやびの体を
Read more

離婚準備 祐市の場合とおまけで史緒里

笠間に離婚協議書を作らせた祐一は、足取りも軽く帰宅の途についた。玄関を開けると、出迎えてくれたのは妻ではなく、エプロン姿の史緒里だった。 「お帰りなさい、あなた、なんちゃって、きゃっ」 「ああ」 祐一はコートを脱ぎ、それを史緒里に手渡そうとした。しかし手を差し出すタイミングが合わず、コートは床に落ちてバサリと音を立てる。 祐一はみやびの出迎えを懐かしく思った。彼女ならばコートを取り落とすなんてミスは絶対にしない。 まるで祐市の帰宅がわかっていたかのように静かに玄関先にいて、コートを脱ぐよりも早く手を差し出してくれる。自分でコート掛けにかけるよりも手早く快適に。 しかし史緒里にはそうした気遣いがない。落ちたコートを拾ってさえくれない。 祐市は仕方なく、自分でコートを拾い上げた。 「そういえば、みやびは?」 史緒里はあざとく小首を傾げて答えた。 「お仕事だって出掛けて行ったけれど、でも、本当にお仕事だったのかしら?」 「どういう意味だ?」 「会社から呼び出しの電話を受けていたけど、相手は若い男の人だったみたい」 「若い男だと?」 ここで引っかからないのがさすがはクズだが常識のある男。 「まあ、会社なんだから若い男の社員ぐらいいるだろう」 「そうじゃない、そうじゃないのよ! なんていうの、すっごい親しげで〜」 「まあ、一緒に働いていればそうだろうな」 
Read more

そして奥様は家を出る

パーティーの開催は一週間後。どうしても警備計画を対面で詰める必要があった。みやびは変装してカフェに向かう。みやびの変装は完璧だ。化粧で顔相を変え、さらに大きなメガネをかけて素顔の印象をぼやかす。背丈はフラットなシューズを履いたうえに常時膝を軽く曲げることによって5センチほど低く見せている。これに制服を着れば、奥手で地味な女子高生にしか見えない。待ち合わせをしていた慎也でさえ、その変装のあまりの完璧さに惑わされた。「え、だれ?」「しっ、私よ」「ああ、先輩……だから俺、この格好を指定されたんですね」慎也は銀縁の眼鏡をかけて、ちょっとチャラい大学生風。側から見ればチャラい家庭教師とウブな教え子がカフェでお勉強デートしているようにしか見えない。「じゃあ、早速始めましょうか」慎也はノートを広げる風を装って、今回のパーティー会場となる遠ヶ谷ホテルの見取り図を広げた。そのころ祐市は、笠間が運転するマイバッハの後部座席にて、イライラと爪を噛んでいた。「社長、ご機嫌斜めですか」ご機嫌斜めどころか垂直だ。ここ数日、みやびは「仕事が終わらないから」と言って帰ってこない。代わりに史緒里が出迎えてくれるが、エプロンをつけているくせに飯を作ってはくれない。勢い外食に出る羽目になるのだが、史緒里は高級で脂っこいものばかり食べたがる。祐市は、毎食バランスよく整えられたみやびの料理を懐かしく感じていた。だけどそれはみやびに未練があるみたいで不快だった。だから自分の気持ちに蓋をした。「疲れているんだ、離婚の話がなかなか進まなくてな」「奥様は、あの条件では不服だと?」「いや、話し合いすらできていない。仕事が忙しいらしくて、帰ってこないんだ」「奥様って、事務方のお仕事をなさっているんですよね、なのに泊まりがけでするようなお仕事があるんでしょうか」「さあ、帳簿の総ざらえとか監査対策とか? まあ、何かそういうものだろうよ」言った端から違和感を覚える祐市。「ん? あんな大きな会社の、末端部署の、末端社員に、そんなに仕事があるものか?」笠間は祐市を宥めようとヘラヘラ笑う。「まあまあ、末端社員だからこそ仕事を押し付けられるってこともあるんじゃないですかね」ちょうど通り道に、カフェの看板が見えた。「社長、コーヒーでも飲みませんか、イライラしてる時こ
Read more
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status