日立みやびは恋愛小説でよくみる、いわゆる”虐げられた妻”である。みやびの嫁ぎ先である日立家は由緒正しい大財閥であり、義母はそこに入り込んだ”庶民”である嫁を嫌い抜いている。気まぐれに嫁を呼びつけて雑用や宴の下働きを押し付けるなんて日常茶飯事、口を開けば嫌味ばかり、時には”家訓”と称して体罰を与えることもある。夫――日立祐市(ひたちゆういち)は祖母がどこかから拾ってきた”庶民の嫁”であるみやびを恥ずかしく思っている。当然結婚式などは挙げていないし、世間に結婚を公表することもない。「俺には初恋の女がいる」と言って憚らず、みやびのことを都合の良い家政婦であるかのように扱う、まさにお手本通りすぎるほどの”恋愛小説でよく見るクソ夫”だ。だから物語は――恋愛小説でよく見るあのシーンから始まる。金海楼2階のVIP個室では、祐市とその取り巻きが集まって飲んでいる最中であった。彼らは祐市に妻がいることを知ってはいたが、夫である祐市がこれを虐げているのだから、誰もみやびのことなど尊重しない。取り巻き筆頭である牛久家の次男、牛久道雄が一際大きな声をあげた。「そういえば聞きましたよ、霞ヶ浦家のお嬢様が戻ってくるって! そしたらあの嫁はどうするんです、祐市さん!」道雄がことさらに声を張り上げたのは、扉の外にいるであろうみやびに聞かせるためである。彼は「祐市が酔っ払っているから迎えにきてほしい」と嘘の電話をかけて、みやびをここに誘き寄せていた。そんなことを知らない祐市は、みやびとの結婚をはっきりと否定した。「離婚するに決まっているだろう、俺が愛して妻にと願っているのは霞ヶ浦史緒里ただ一人、あの女にくれてやる愛などひとかけらもない」みやびはその冷たい一言を、扉の向こうで聞いていた。普通の恋愛小説ならば、唇をそっと噛むとか、爪が肉に食い込むほど拳を握るべきシーンだ。だが、みやびは”普通”ではない。そっとドアを押し開けて細い隙間から室内を見渡したみやびは、居並ぶ御曹司の中でも飛び抜けて見目麗しい自分の夫の姿を無表情で眺めていた。「警備対象の無事を目視で確認」彼女が話しかけている先は、耳にぶら下がったイヤリング型の通信機。通信機の向こうから若い女の声で言葉が返される。「こっちもスキャン完了、室内に危険はないわ、だけど下から三人、来る!」「迎撃する。警備対
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