جميع فصول : الفصل -الفصل 50

51 فصول

ジャングル帰りの男

甘く啜り泣くような旋律が響く中、エレベーターの扉が開いた。『これは一体、どういう状況だ?』彼は若い。だが将来のトップ候補として既に頭角をあらわしはじめている有能で冷徹な男だ。男たちは黙って道を開けた。その先にいるのは、数人のマフィアに押さえつけられた哀れなジョバンニ。『|裏切り者《トラディトーレ》か』ジョバンニは頭の先からつま先まで染み込む怯えに身を震わせながら、額を床に擦り付ける。『裏切りなんかじゃない、レンジャーロッソはみんなの味方! つまり俺たちの味方でもあるんだ!』『ジョバンニ、お前には言ってなかったな、オレは日本育ちだ』『つ、つまり……?』『これはヒーローショーってやつだろ、俺らは悪役、奴らはヒーロー……敵だ』キョースケは突然、なんの躊躇いもなく銃を抜いた。その銃口がジョバンニの眉間に押しつけられる。『選べ、命乞いか、死か』『くうっ……だが、それでも、トートイを捨てるなんて、オレには!』あまりにガチの悪役すぎて、“会場のみんな”はドン引きだ。「うわーん、怖いよぉ」「レッド、早くやっつけて~!」爽介は史緒里にこそっと小声で囁いた。「こんなところでなんの躊躇いもなく銃を出すとは……やばいな、どの作戦で行く?」しかし史緒里は、俯いたまま肩を小刻みに震わせて答えない。「しーちゃん、ねえ、聞いてる?」突然、史緒里が膝をついて天に向かって両手を突き上げた。大袈裟すぎるほどの歓喜のポーズだ。「ブッッッラビッシオ! マフィアですよ、マフィア! 恋愛小説では稀によく見るけれど真っ当に生きていたら生涯出会わない職業ナンバーワン! しかも、この状況で銃を抜いちゃう傍若無人さが恋愛小説的! 若くてイケメンなのに要職についているっていう設定もまさに! 最高です!」史緒里は目をカッピラいて、ハンサムな“若きカポ”をじっくりと鑑賞し始めた。「ああっ、いいですね、ビジュアルは百点満点! “動画を見たら1話無料”でよく出てくるアレにそのまんま出演できそうな、ゴッリゴリの恋愛小説マフィアですっ!」爽介が史緒里の袖を引く。「おい、しーちゃん? おーい?」「こほん、ああ、えっと、作戦でしたっけ」「そう、作戦だ、まずはちびっこの安全を確保したい」マフィアと史緒里たちを中心に、“ヒーローショー”を楽しむ親子連れで完全な人垣ができている
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まじめ(?)な別れ話が始まる

「誰だ。お前は」突然の闖入者に、キョースケの構えた銃口が動いた。それは少しも過たずに祐市の眉間に向けられる。しかし、祐市は少しも動じない。破れそうなほど膨れ上がったビニール袋をちょいと掲げて見せながら、ニヒルに笑う。「銃か、そんなのジャングルで散々見たよ、飽きるほど……な」「くっ、奇抜な格好をしているくせに、この男……危険だ!」片や本物の猛獣が跋扈する密林、片や“激安ジャングル”の話をしているのだと気づいた史緒里は、さすがに狼狽えた。「祐市さん、危ないです、あの銃は本物ですから、下がって!」「何っ、本物? ならばなおのこと下がれない、下がったら……お前が危ない目に遭うんだろ?」「なに言ってんですか、戦闘力カンストレベルの私が、銃如きで危ない目に遭うわけがないでしょ!」「それでも、お前は女だ、だから、黙って守られておけ」史緒里は思わずキュン。「ああああ、キュンとしてる場合じゃないのに! 本当に祐市さん、そういうところですよっ!」このラブコメ展開に、キョースケが不機嫌そうな声で水をさす。「その茶番、終わらせてもいいか?」彼の人差し指は、すでに引き金に添えられている。「史緒里、怖がるな」「いや、怖がりなさいよ、私より前に出るんじゃないわよ!」「怖がるな、俺がいる」これを聞いたキョースケの銃口は、戸惑いに揺れた。「……フラテッロ?」「俺をそう呼ぶ、お前は誰だ?」「俺だよ、駐車場で世話になった、俺だ」キョースケは銃を引き下げ、両手を広げた。祐市は光るサングラスを外して、その男をじっと見る。「あー、駐車場を塞いでいたマフィアの!」「そう! 俺だよ!」足元には倒されたマフィアが転がっている。そして取り巻くちびっ子たち。そんなカオスな状況の中、二人の男はがっしりと抱き合い、そしてお互いの背中を叩き合った。「怖がるな、俺がいる」「怖がるな、俺がいる」ちょっと身を引いたキョースケは、祐市の格好を上から下までじっくりと眺め回して困惑の表情を浮かべた。「時にフラテッロ、そのスタイルは?」「これか、対マフィア装備だ。ジャパニーズマフィアの正装でもある」「フラテッロ、ヤンキーはマフィアじゃない」「そうか? でも奴ら、マフィア映画のテーマ曲を鳴らしながら走っているじゃないか」「……否定できない」堪えきれなくなった爽介
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クズとクソ

「はいは~い、まずはこちらをご覧くださいね」真面目な話し合いモードの史緒里は、メガネのフレームをクイっと押し上げる。彼女がテーブルの上に広げたのは、先ほどコンビニで急遽プリントアウトしてきた一枚の書類。「“婚約破棄書”です」キョースケは困惑顔でそれを手元に引き寄せる。「そんな書類、聞いたことないぞ……」「そうですか? 恋愛小説ではちょいちょい見かけますけれどね」クイクイクイっとメガネを押し上げて、史緒里が説明する。「中身は実質、示談書と今後の接見禁止に関する合意書です。つまり、あなたのストーカー行為を訴えない代わりに婚約は無くなったのだということをきちんとした文書として記録しておこうという、まあ、ストーカー対策の一環ですね」「誰がストーカーだ! 俺は強がりで素直になれないシニョーラのために、仲直りのきっかけを作ってやろうとしているのさ!」「“しているのさ!”じゃありません、はい、クソ確定です」「なぜだ!」「あなたのシニョーラは本当に復縁を望んでいるのでしょうか、まず、そこをご本人に確認をとっていただきたいものですね」「それはもちろん、望んでるんだよな、なあ?」話を振られた結子は、相変わらずおっとりと微笑んで、でも言葉は辛辣であった。「いいえ、全く、これっぽっちもですわ」「なぜだっ! 君は言っていたじゃないか、一生俺だけを愛すると!」「そういえば、そんなことも言ったかもしれませんわね……」結子が遠い目をする。「あれは……若気の至りというか、黒歴史ですわね」「バカな! 俺への愛は黒歴史なのか!」「ええ、黒も黒、真っ黒な暗黒歴史ですわ」史緒里が横からちょいと聞く。「ちなみに、その頃はなぜ彼が好きだったかお聞きしても?」「顔が……すごく良かったんです。今でも顔はいいけれど、小さい頃はこんな威圧感のあるイケメンじゃなくて、爽やかで清潔感のある正統派美少年で……」「ああ、顔、大事、うん、すごく大事」「だけど、結婚するとなったら、判断基準は顔だけではないでしょう?」「ああ~、わかります、それもよくわかります。いくら顔が良くてもクソは論外です」「だから、私……彼とはスッパリ別れて、親が用意してくれた縁談を受けようと思っているんです」これを聞いたキョースケは、いかにもバカにしたように乾いた笑
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幕間:悪女覚醒

さて、あの人は今――かつて史緒里の影武者であった、あの人の話である。影武者の任を解かれた彼女は、“日立みやび”という、戸籍通りの人生の中に戻された。つまり名実ともに“日立家の嫁”となったわけだから、金には不自由していないはず……なのだが。「なんでカードが使えないのよ!」高級ブランドショップのレジ前で、みやびは黒いカードを足元に叩きつけて「ムキー!」と地団駄を踏んだ。その隣には、あの闇医者の友人――元栗橋レナ。本日は二人で、ぶらり気軽なショッピングの真っ最中。彼女は高級ブランドの新作をたっぷりと選んだあとで、レジで何気なく“霞ヶ浦史緒里”名義のカードを差し出した。しかし端末にそれを通した途端、甲高いエラー音が店内に響いた。「いつでもどこでも無限に使えるって言ってたのに!」傍に立つレナが冷静な顔で首だけを小さく傾げる。「だってそのカード、“霞ヶ浦史緒里”として振る舞うための必要経費として渡されていたんでしょ、だから“みやび”に戻ったあなたに使用権限がないのは当たり前ね」「えっ、そうなの?」部外者のレナの方がよっぽど状況を理解している。「だいたい、あなたが返してもらった戸籍はすでに日立家に嫁いだ状態でしょ、別にお金に困ることはないんじゃない?」「まあね」みやびは祐市から渡された家族カードを店員に渡した。もちろん色は黒。今度はピッと軽やかな決済終了の音が鳴った。「普通の買い物をするには困らないんだけど、悪女っぽいものを買うときにはちょっとね」例えば毒薬だとか媚薬だとか、嫌がらせのために人を雇うとか。そういった後ろ暗いお買い物の履歴を、まさか家族の共有カードに残すわけにはいかない。ショッピングの後、二人は食事に行った。向かったのは“建物自体が文化財”みたいな佇まいの、老舗高級料亭である。支払いはもちろん日立家の家族カードから。使い道を聞かれても「友達にちょっとお高いランチを奢った」と言って怪しまれない程度には、名の知れた有名店である。きちんとした料亭だから、客席は完全な個室になっている。料理を並べ終えた仲居が「どうぞごゆっくり」と言って襖を閉めた途端、みやびはだらしなく足を崩して、「あー」とため息をついた。「私、悪女向いてないのかな……」対するレナはピシッと正座で背筋を伸ばしたまま、料理を食べながら言葉を返す。「何
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ミッション・イン・ハンコオセ

霞ヶ浦警備保障法務部の協力もあって、完璧かつ完全なる“婚約破棄書”が出来上がった。あとはこれにキョースケのハンコさえ押してもらえれば、法的効力が発生する。史緒里は結子とともに早速、書類を持ってキョースケの家を訪ねた。その家は古い、武家屋敷風の佇まいであった。「美浦村さん? ヴィリオットさんではなくて?」史緒里の疑問に、結子が答える。「ええ、こちらはお母様のご実家で、キョースケさんは家督争いと言う名の殺し合いから身を守るために、幼い頃はこちらに預けられて育ちましたの」「なるほど、だからあの人、ほのかに和製ハードボイルドの香りがするんですね」交渉の場となる奥座敷まで案内してくれたのはジョバンニ。彼は中庭に面した長い板張りの廊下を歩きながら、ちらっと史緒里を見た。『歩くとギシギシ鳴るでしょ? これはウグイスバリ、別名シノビガエシといって、侵入者がここを通ると音でわかる仕掛けなんですよ!』いや、普通に老朽化しているだけでは?『そこでニンジャガール、本物のSINOBIであるあなたなら、こういうシノビガエシを音を出さずに歩くニンポーを使えたり……』『簡単ですよ、床がなるなら床を通らなければいい。ほら、映画とかの忍者ってみんな、天井にいるでしょ?』『おう、ブラビッシオ!』史緒里の返しは結構適当だが、ジョバンニは楽しそうでなにより。ノリノリのジョバンニはそのあと、目的の座敷の襖を開けるときに「オヤカタサマ」なんて言って怒られていたが。通された座敷自体は普通だったが、壁際にずらっとコワモテ系マフィアのおじさまたちが並んで、史緒里に向かって威圧感を放っていた。しかし、戦闘力マックス女子の史緒里には効果はない。キョースケの幼馴染である結子も然り。平然とした顔でキョースケの前に書類を押しやる。「まず、内容をご確認ください」書類を受け取るキョースケは、和室の主に相応しく和装。体格が良いから貫禄が出て、普通の人ならば目も合わせられないような威圧感がある。つまり、威圧感で押してハンコは押さない作戦なのだろう。キョースケは書類には目も向けず、腕組みをしたままだった。「帰れ」「いや、せめて確認くらいはしてください」「愚かだな、こんな紙切れ如きでは俺の愛は止められない」「じゃあビビらないで、中身くらい確認してくださいよ」「笑止!」バッサァ
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ラバービスケットな二人

キョースケが祐市を訪ねたその時、彼はちょうど引っ越し作業の最中であった。金持ちの引越しは、さぞや大掛かりだろうって?むしろ逆である。「必要なものは新しく買えばいい、当座の着替えと、あとは身分証の類、その程度でいい」彼の荷物は、ちょうどスーツケース一つに収まった。そこへ入ってきたキョースケはまず両手を広げて。「フラテッロ」「やあ、お前か」二人はがっちりとハグ。「怖がるな、俺がいる」「怖がるな、俺がいる」祐市は彼を、ホームバーのカウンターへと誘う。「笠間!」「はいっ!」久々に登場した笠間は、手早くギムレットを二杯作った。キョースケと祐市はカチンとグラスを合わせる。「すまないな、引っ越し中で、ろくなもてなしはできないが」「じゅうぶんだ、気にするな」「そうか、まあ、楽にしてくれ」クイっとグラスを煽る祐市に、キョースケは憧れをわずかに浮かべた視線を向ける。(ハードボイルドだ。なるほど、これが愛されるクズか)祐市はそんな熱い視線には気づかず、ふと、何気ない様子で言った。「マフィアというのは、金さえ払えばどんな仕事でもしてくれるというのは本当か?」「そうだな、その分、値段も張るがな」「金ならいくらでもある、ひとつ、仕事を頼みたい。実は引っ越しを考えているのだが」「それは見ればわかる。なんだ? 地上げか? 殺しか?」「いや、家はすでに手配済みだ。中古物件で、元住んでいたご夫婦は、家を売った金で高級老人ホームに入居するつもりらしい、そこで、だ」笠間がすかさず二杯目のギムレットを祐市の前に置く。それを手に取った祐市は、グラスの中を確かめるようにゆっくりとグラスを揺らしながら言った。「二人ともご老人だから、荷物の整理も大変だ。それに足腰も弱ってらっしゃるから、老人ホームまで移動するにも不安がある、どうだろう、お前のところでこの仕事を受けてはくれないか?」「冗談だろう、フラテッロ、マフィアを便利屋と勘違いしてるんじゃないか?」「金ならある」祐市は胸ポケットから小切手帳を取り出す。マフィアの威厳を財力で殴り飛ばすそのやり方は……「クールだ、本物の男だよ、アンタは」ツッコミを入れる者はいない。手下を何人か手配したあと、キョースケは祐市の車に同乗して新居に向かうことにした。「この車は……」「トヨタAE86だ。お行儀がい
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うなぎだって天然物の方がお高いでしょうが!

この“実技指導”が、まさかこんなにも天然と養殖の違いをあからさまにするなんて――「女を口説くための3種の神器というものがある、それが花、金、車だ」「なるほど、花……金……車……と」祐市の言葉を、キョースケが大真面目にメモに書く。「だが、アイテムは持っているだけでは何の役にも立たない。必要なのは、これらを使うチャンスを自分で作り出すことだ、見ていろ」祐市は早朝の霞ヶ浦邸前で待ち伏せをした。史緒里が相手でなければ、即通報案件である。だが史緒里は戦闘力マックスな女。出勤のために門を出て、立っている人の気配を感じた瞬間に相手を投げ飛ばし、組み敷いた。それからようやく相手の顔を確認して。「祐市さん?」祐市は史緒里にぎゅうぎゅうと地面に押しつけられながらも、クールな表情を崩さない。「おはよう、今日も元気だな」「えっ、あっ、ごめんなさい、賊かと思って……怪我はない?」「ああ、肉体的な怪我はない、だが、心には愛という傷が刻み込まれてしまった。責任を……とってくれ」「えっ、責任って、つまり……」「俺と付き合ってくれ、史緒里」祐市は一輪の赤いバラを史緒里に差し出した。「俺は学習した、花が多すぎるのは良くない。だから、この一輪に気持ちを込めて……花言葉は“私にはあなただけ”だ」「私だけじゃないでしょ、あなたにはみやびさんがいるじゃない」「あー、それは……うん、そういう難しい話は一度おいておこう、今から仕事だろ、送っていってやる。乗れ」祐市は史緒里のためにハチロクの助手席ドアを開けてやった。椅子の上にはちょこんと一枚、黒いカードが置いてある。「祐市さん、カード落としてるわよ」「違う、これはお前へのプレゼントだ。暗証番号はゼロが4つだ」史緒里が大喜びで身悶える。「出た出た出た、恋愛小説でよく見るセキュリティガバガバ暗証番号! まさか、本当に使う人がいるとは!」ひとしきり身悶えた後で、そのカードを祐市に突き返す。「でも、必要ありません、うちもそれなりにお金持ちなので」祐市は返されたカードを無造作に座席に投げて、頷いた。「やはりカードではインパクトが弱いか。次は現金で用意しよう」「強さの方向性が違いますね」「まあいい、乗れ」助手席のドアが閉まった瞬間――エンジンが目を覚ました。心地よい振動とエンジン音が朝日の通り抜ける明るい車
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いざ!夢の国!!

ハイウェイを2台の車が爆走してゆく。一台は祐市の愛車、トヨタAE86。もう一台は結子の送迎用に用意されたロールス・ロイス・ファントム――およそハチロク十数台分のお値段の超高級車である。「車は値段で走るものじゃない、魂で走るものだ!」祐市がガココンと荒々しくシフトアップする。対するロールス・ロイスのハンドルを握るのは史緒里だった。ちなみに元々の運転手は後部座席に座らされて、この公道レースをただ見物させられている。「見せてもらおうか、ポンコツ御曹司の魂の性能とやらを」史緒里の走りは果敢だ。超高級車が傷つくことすら恐れず相手の車体スレスレを抉るような走りでイン側に滑り込んでゆく。ど派手なエンジン音を響かせる車体を音もなく抜き去って、ロールスロイスは走り続ける。助手席で優雅にティーカップを揺らしながら紅茶を飲む結子は、小さな笑い声を上げる。「ふふっ、この車でこの走りを見せる方は、世界広しといえどあなただけでしょうね」後方に小さくなってゆくハチロクをバックミラー越しに眺めながら、結子は史緒里に聞いた。「あんなに必死になって追いかけられて、ちょっと心揺れたりしませんの?」史緒里はアクセルを緩めながら、小さく首をすくめる。「そういう結子さんはどうなんです? 情熱的に追いかけられているじゃないですか」「いや、絶対に嫌、ありえないですわ」「そういうことですよ」「全然違いますでしょう、私、キョースケさんのことは生理的に無理ですけれど、あなたは彼に対して、まだ心が残っていますでしょう?」「どうしてそれを!」「見ていればわかりますわ。ねえ、復縁してあげたりしませんの?」史緒里は黙ってハンドルを切った。長い沈黙が車内に流れた。どのくらいそうしていただろうか、史緒里は深いため息をついて言った。「これ、祐市さんには内緒にしてくださいね……好きか嫌いかで言ったら、好きですよ」「だったら!」「でも、ダメなんです、私の仕事はご存知でしょう?」霞ヶ浦警備保障裏部門――表側の普通の警備とは違い、命がけの仕事を受け持つことも多い危険な部署である。今回だってマフィア相手に大立ち回りを繰り広げたり、マフィアに銃を突きつけられたりするような状況がいくらでもあったわけで。「だけど、あなたはお強いでしょう?」「ええ、まあ、私は、そうですね」史緒里の横顔
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御曹司、夢の国をジャックする

史緒里が二人につけられた理由は、ぶっちゃけお守りという名の監視役。だが、護衛対象に危害が及ばない限りは、個人の自由行動を制限する権限はない。ゆえに、財力という名の暴力を振るう二人を完全に止めることはできない。祐市とキョースケは早速、イベントステージの一枠を買い上げた。夢の国のキャラクターたちが歌ったり踊ったりといった小さなショーを見せるための“ドリームステージ”である。二人は設備チェックのため、ショー前の舞台に上がる。祐市は師匠ヅラ。「女の心にダイレクトに愛を届けるには、歌が効果的だ」「なるほど、ありったけの愛を込めて歌えということか」「ちなみにお前、人前で歌うのは?」「カラオケならよく行くが」「ほう、どんなジャンルを?」「カンツォーネだ」舞台袖で見守っていた史緒里が、堪えきれずに声を上げる。「なんで⁉︎」祐市は余裕の表情で、マイクを手に取る。「史緒里、音楽の好みは人それぞれだ、カンツォーネ、いいじゃないか」音質を確かめようと、彼はマイクに口を寄せて、次の瞬間……「ドゥンドゥン、ツクツクパッ、タッタッタ、ドゥンドゥン!」「ビートボックス! しかも凄腕!」祐市はドヤ顔。「音楽は御曹司の嗜みだからな」「いや、御曹司の音楽の素養って、普通はクラシックとか……」「クラシックか、嫌いじゃない、だが俺のソウルをパンプするにはビートが足りない」「……ちょっとかっこよく見えるのが不思議」「さあ、俺たちは開演準備をしなくちゃならない、史緒里、お前は客席で待っていてくれ、俺の愛をお前に……届ける!」やがてステージが始まる。結子は田中と寄り添いあって、ステージに近い最前列の席に座っていた。ソンブレロハットを被った陽気そうな鳥の着ぐるみが舞台から降りて、結子に花束を渡した。それからイカしたポーズでピシッと結子を指差す。もちろん中の人はキョースケ。その鳥は舞台に駆け上がり、イタリア語で歌い出した。曲はカンツォーネの代表曲かつ名曲である“帰れソレントへ”だ。しかもキョースケ、何気に本格的。張りと深みのある声で、しっとりと物悲しく流れる歌声は美しい。美しい、が、ここは夢の国。観客の半分は親に連れられてきた子供たちだ。「ねえ、あの歌なーに?」「楽しくなーい」盛り下がる盛り下がる。そこに、もう一匹の鳥が割って入り、マイ
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日立ユウイチの消失

史緒里は“緊急事態”で夢の国からの離脱を余儀なくされた。ということで、祐市とキョースケは迷子センターに預けられた。ちょこちょこっと歩み寄ってきた子供が無邪気に聞く。「ねー、おじさんは大人なのに迷子なの?」キョースケは鼻の頭にシワが寄るほど顔をしかめて低い声で答える。「失せろ!」対する祐市は、子供たちに囲まれても、なお無頓着。「そうだな、大人だって迷子になることはある、特に、愛はいつだって迷宮だ」「こっちのおじさんはおもしろ〜い」あっという間に、一人で不機嫌そうな顔で座っているキョースケと、子供たちに取り囲まれて平然としている祐市、という構図が出来上がった。史緒里の姉である貴理子が迎えにきた時には、祐市はすっかり子供たちの人気者になっていて、ボイパの基本を講義している最中であった。「難しく考えることはないぞ、キッズ、ここにボイパが上手になる魔法の呪文がある」「「「まほーのじゅもんー?」」」「ああ、呪文を唱えよ! それは“ひっつくパンツかむかつくパンツか”!」「「「ひっつくパンツー!」」」「もっと早く、こうだ! ひっつくパンツかむかつくパンツか、ひっつくパンツかむかつくパンツか、ドゥンドゥンドゥドゥンドゥ、人生いつでも五里霧中、四六時中でもさまよい中……」貴理子はそんな祐市にスパーンとドツキを入れる。「子供に何教えとんねん!」「誰だ、お前は」「あっ、あっ、すみません、私、霞ヶ浦警備保障裏部門、サイバー事業部統括責任者、霞ヶ浦貴理子という者で……」彼女は慌てて取り繕うけれども、祐市は容赦なくボケ倒す。「霞ヶ浦……なるほど、史緒里のお姉さん。ということは、俺のお義姉さん」「いちいち微妙な韻踏むなや!」どこに隠し持っていたのか、真っ白なハリセンがスパーンと振り抜かれる。ようやく真っ当なツッコミの登場である。ともかく、貴理子は大人二人を迷子センターから引き取った。別れ際、祐市は子供たちに向かって手を振る。「恐るるなキッズ、親御さんは必ず迎えに来てくれる、それでも不安なら信じて叫べ、say“ラブ”!」「「「「らーぶ!」」」」スッパーン!「いやほんっっっと、子供に何教えとんねん!」貴理子はハリセンを片手で弄びながらぶつぶつ。「なんなのこいつ、ボケが酷すぎてエセ関西弁が出ちゃうじゃない」その隣で、祐市は深く頷く。「
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