All Chapters of あなたの罪まで愛してる: Chapter 31 - Chapter 40

66 Chapters

PART2

「聖には関係ないでしょ。」 「関係ないって言われるの、何回目だろうな」 「数えてんの?」 「数えてないけど、毎回じゃない?」 「そういうとこ」 「嫌いなんだろ?」 「大嫌い」 「知ってる」 麻里亜の唇が一瞬だけ結ばれました。 大嫌いと言われても動かない男。 その場に立ったまま、麻里亜のスマホから目をそらさない男。 聖の呼び方に、麻里亜の肩はすぐには跳ねませんでした。 その名前を聞き慣れているみたいに。 拓哉の前では見せない間が、二人の間にありました。 (いつから そこにいたの 拓哉さんが白い箱を持つ前から? 赤い爪が 薔薇のルビーに触れる前から? あなたは 麻里亜さんの唇が 誰を呼ぶ前の形まで 知ってるの?) 聖は缶コーヒーを持ち上げました。 「飲むか?」 麻里亜はすぐ顔をしかめます。 「いらない。まずそう」 「甘いやつ買うほど気が回んなかった」 「だから嫌いなの」 「昔から、甘いのしか飲まねえもんな」 「昔の話しないで」 「じゃあ今の話するわ。手、震えてるぞ。」 麻里亜の爪が、黒いスマホケースを強く押さえました。 「震えてない」 「震えてる」 「見ないでよ」 「見せてきてるの誰だよ」 「見てるのは聖でしょ」 「駅前でそんな顔して立ってたら、誰でも見るわ」 「誰でもとか言わないで」 麻里亜の声が、ほんの少し濡れました。 怒っているのに、濡れていました。 聖は缶を少しだけ下げます。 押しつけません。 でも引きもしません。 麻里亜が受け取れる高さに、ただ持っています。 その距離が嫌でした。 近すぎないのに、離れてもいない。 麻里亜が一歩よろけたら、すぐ届く距離。 「いらないって言ってるじゃん」 「うん」 「じゃあ下げて」 「手ふさがってる方が、送信しづらいだろ?」 麻里亜は一瞬だけ黙りました。 それから、奪うように缶を取りました。 「ほんと最悪」 「どういたしまして」 「お礼言ってない」 「知ってる」 麻里亜はプルタブに指をかけました。 赤い爪が銀色の輪を引き上げます。 カチ 小さな音がしました。 黒い飲み物 赤い爪 銀色の口 麻里亜は缶に口をつけません。 ただ、開けただけです。 飲むためではないように見えました。 受け取ったことを
last updateLast Updated : 2026-07-10
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PART 3

「分かってねえよ。けど、お前が苦しくなる方にばっか行くのは分かる」 「苦しくさせてるのは私じゃない」 「それはそうかもな」 麻里亜は少し驚いた顔をしました。 聖は続けます。 「でも、送ったらお前も壊れる。あいつだけじゃない」 「壊れたっていいし」 「よくない」 「なんで聖が決めるの」 「決めてねえよ。嫌なんだよ」 綺麗な言葉ではありませんでした。 なのに麻里亜の爪が、ほんの少し止まりました。 愛梨沙はその横顔が嫌でした。 麻里亜が、聖の言葉を聞いてしまっている。 拓哉の名前で赤くなる女が、古いパーカーの男の声でほんの少し止まる。 それが嫌でした。 「聖ってさ」 麻里亜は缶を持ったまま言いました。 「昔からそうだよね。優しいこと言う時だけ、すごい嫌な顔する」 「どんな顔だよ」 「自分が悪いって思ってる顔」 「実際、悪いことしたんだろ」 「じゃあ今さら良い人にならないでよ。私が惨めになるじゃん」 聖の目が少しだけ痛そうに細くなりました。 麻里亜はすぐに笑います。 「ほら、その顔」 「麻里亜」 「その顔で呼ばないで。泣いてた時のこと思い出すから」 愛梨沙は息を止めました。 泣いてた時 聖に見られた麻里亜 拓哉には見せない顔 赤い爪で隠していたもの それが、駅前の雑音の中で少しずつ開いていく。 (見せないで そんな顔 拓哉さんじゃない男に 見せないで 赤い唇の奥が 勝手に開いていく だめ そこは 拓哉さんを噛む場所でしょ 泣く場所じゃないでしょ) 麻里亜のスマホが、ふいに震えました。 黒い画面が明るくなります。 麻里亜の目が落ちました。 聖も見ました。 愛梨沙も、人の肩越しに画面を見ようとしました。 見えません。 でも麻里亜の顔が変わりました。 赤い唇が、わずかに開きます。 さっきまで聖に向けていた顔が、別のものになりました。 甘さではありません。 怒りでもありません。 待っていたものに刺された顔でした。 聖の声が低くなります。 「出るな」 麻里亜はスマホを握り直しました。 「出る」 「今出たら、またあいつに流されるぞ?」 「流されないってば!」 「昨日もそう言ってただろ?」 「昨日の話しないでよ」 麻里亜の指は、通話の丸い印の近くにありました。
last updateLast Updated : 2026-07-11
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PART 4

麻里亜の唇が動きます。 「……もしもし」 その声は、さっきまでの刺すような声ではありませんでした。 細くて 怒っていて 少しだけ待ちくたびれた声 愛梨沙の耳には、相手の声は届きません。 麻里亜のまつ毛が揺れました。 それだけで、愛梨沙の胸が冷えました。 向こうにいる。 麻里亜をそんな顔にする誰かが。 聖の目が、麻里亜の爪を見ています。 麻里亜の爪は、スマホを強く握ったままです。 そして愛梨沙は、人混みの中で一歩も動けませんでした。 麻里亜の口が、ゆっくり開きました。 「……今さら、何?」 その一言が、駅前の夕方に沈みました。 愛梨沙の鞄の奥で、赤い小瓶がかすかに鳴ります。 コトッ… 白い封筒が、その横で薄く擦れました。 電話の向こうの声は聞こえません。 それでも愛梨沙には、拓哉の気配がしました。 麻里亜の赤い爪の奥に。 聖の止まった視線の先に。 まだ触れられない黒い画面の中に。 (拓哉さん そこにいるの? 赤い人の耳に 入ってるの? 私にはまだ 聞こえないのに どうして先に私の元に来るより先に その赤い人の元へ行くの? だめ だめだよ その声 私にも ちょうだい) 麻里亜は電話を切りませんでした。 聖も動きません。 愛梨沙も動けません。 駅前時計の針だけが、19時へ近づいていました。
last updateLast Updated : 2026-07-11
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31 今から来て part1

「心配してたって何? 既読無視してたくせに。 今さらそういうこと言うのやめてくれる?」 麻里亜はスマホを耳へ押し当てたまま、駅前時計から目をそらしました。 聖は隣で黙っています。 愛梨沙には、電話の向こうの声が聞こえません。 麻里亜の返事だけが、人混みの中へ漏れていました。 「私が会社に送るって言ったからでしょ? 別に私を心配して電話してきたわけじゃないじゃん」 麻里亜の眉が寄ります。 電話を切ろうとはしません。 赤い爪が、黒いスマホケースの縁へ深く回っていました。 (聞かせて 拓哉さん その人に何を言ってるの? 謝ってるの? 優しくしてるの? 麻里亜さんの耳に入る言葉を 私にも少しだけ舐めさせて その唇から出たものなら どんな嘘でも飲めるから) 聖が声を落としました。 「もう切れよ」 麻里亜は聖を睨みます。 「黙ってて!」 電話の向こうにも聞こえたのでしょう。 麻里亜は聖へ背を向けました。 「違う。誰もいないから」 聖の口元がわずかに動きました。 何も言いません。 麻里亜は駅前の端へ数歩進みます。 聖も間を空けたまま、同じ方へ歩きました。 「うん。まだ駅にいる」 声が少し低くなります。 「じゃあ来てよ。来るって言ったの、そっちじゃん。」 返事を待つ間、麻里亜の爪が缶コーヒーの口をなぞりました。 聖から受け取った缶です。 開いているのに、一口も飲んでいません。 「無理って何?電話してきたのに?」 麻里亜の唇が歪みました。 「また奥さん?」 愛梨沙の喉が詰まりました。 奥さん 瑠璃子 青い紫陽花 夫婦茶碗 瑠璃子の隣で朝を迎える拓哉 (奥さんって言わないで その言葉で 拓哉さんの夜を縛らないで 帰る場所なんて なくしてあげればいいのに 私なら 朝も夜も同じ部屋で 拓哉さんの息が薄くなるまで ずっと見ていられるよ) 「奥さんに見つかるのが怖いなら、最初からしなきゃよかったじゃん!!」 麻里亜の声が大きくなりました。 近くを通った女が一度だけ振り返ります。 麻里亜は構いませんでした。 「写真撮ったのも、メッセージ送ったのも、ホテル行ったのも、全部私一人じゃできないでしょ。今さら被害者みたいに言わないでよ」 写真 メッセージ ホテル 愛梨沙の指が、
last updateLast Updated : 2026-07-12
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part2

「謝ってほしいわけじゃないよ…」 麻里亜の声が少し沈みました。 「謝るだけなら、もう何回も聞いたし。ちゃんと会って話して。逃げないで」 聖の目が細くなります。 電話の向こうから何か言われたようでした。 麻里亜の表情から、怒りが一瞬だけ抜けます。 「今から?」 愛梨沙の胸が跳ねました。 「来るの?」 麻里亜は駅前時計を見上げます。 針はもう、19時を越えていました。 「どこ?」 少しの間、麻里亜は黙って聞いています。 聖が横から顔を覗こうとしました。 麻里亜は肩で避けました。 「駅じゃ無理。人多いし」 また返事を待ちます。 赤い唇がゆっくり開きました。 「前に行ったホテル? ……裏の方?」 あのホテルの裏 愛梨沙の耳の奥で、駅前の音が遠くなりました。 麻里亜の赤いスマホ 拓哉の低い声 奥さんに見せたら 会社にも言えるんだよ あの場所へ、拓哉が来る。 (来るの? あの場所に 拓哉さんが来るの? 赤い唇に呼ばれたからじゃなく 自分から会いに来るの? その靴音 麻里亜さんに届く前に 私の中へ入れて 一歩ずつ もっと深く) 聖が声を潜めました。 「そこ、どこだよ」 麻里亜は答えません。 「分かった。行く」 聖が一歩近づきました。 「一人で行く気か?」 麻里亜は電話から耳を離さないまま、聖を睨みます。 それから聖へ背を向け、スマホへ口元を寄せました。 「誰も連れていかないから、大丈夫。」 聖が隣にいるのに、麻里亜は一人だと言いました。 「何分くらい?」 麻里亜は聞き返し、駅前時計をもう一度見ます。 「分かった。先に着いたら待ってる」 聖が首を振りました。 麻里亜は見ていません。 「うん。じゃああとで」 声の尖りが、少しだけ消えました。 「……ちゃんと来てね」 通話が切れました。 麻里亜はすぐにスマホを下ろしませんでした。 消えた画面を見つめています。 拓哉の声が、まだ黒い板の奥にいるように。 (その言い方 嫌 ちゃんと来てねって そんな柔らかい声で 拓哉さんを待たないで 待つなら もっと赤く もっと醜く 噛みつくみたいに待ってよ そうじゃないと その唇ごと欲しくなる) 「行くなよ。」 聖の声が、今度ははっきり届きました。 麻里亜はスマホ
last updateLast Updated : 2026-07-12
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Part3

麻里亜の指が缶コーヒーの缶をギュッと握りました。 「何も起こさせない」 「前もそう思ってたのか」 麻里亜の目が止まりました。 「前って何」 「昨日、怖かったって送ってきただろ」 「酔ってたって言ったじゃん」 「酔ってたら、怖かったことまで嘘になるのか」 麻里亜は答えませんでした。 聖はその場から動かず、麻里亜が先に目をそらすまで見ていました。 「俺は中身を全部聞いてねえ。でも、お前が一人で行くのは嫌だ」 「それは数年前に言ってくれたらよかったじゃん」 聖の口が閉じました。 麻里亜は小さく笑います。 笑い声は出ませんでした。 「今さら心配されても困るんだけど」 「困ってもいい」 「よくない」 「じゃあ困ったまま行け。俺も行く」 「来ないでよ」 「離れた所にいるから」 「それも嫌」 「見えるところには出ない」 麻里亜は聖を睨みました。 「隠れるの下手なくせに」 「お前に見つからなきゃいい」 「すぐ分かるよ。昔から変なところで突っ立ってるし」 「じゃあ、もっとうまくやる」 「何それ」 「一人にはしないってことだよ」 麻里亜は缶の銀色の口を見ました。 爪が一度だけ、その縁を擦ります。 「もう…勝手にすれば」 「そうする」 「でも、あの人の前には出てこないで」 「分かった」 「話にも入らないで」 「それは状況による」 麻里亜が顔を上げました。 「分かったって言ったばっかじゃん」 「危なかったら出るだろ」 「危なくない」 「それ決めるの、お前じゃないから」 「聖でもないでしょ」 「そうだな。だから見て決める」 「ほんと嫌い」 「知ってる」 麻里亜は先に歩き出しました。 聖はすぐには追いませんでした。 麻里亜が駅前の角を曲がると、少し遅れて同じ角へ入っていきます。 愛梨沙も人混みの中から動きました。 さらに後ろから 白い手袋を鞄の脇へ隠して 赤い小瓶を揺らしながら ことり (ついてこないでって言われても 離れないんだ この人も 私と同じ? 違う 同じじゃない 私は拓哉さんを見てる この人は麻里亜さんを見てる でも 拒まれても歩く足だけ 少し似ていて 気持ち悪い) 駅前を離れると、人の数が少しずつ減りました。 麻里亜は何度もスマホを見ます。 画
last updateLast Updated : 2026-07-12
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Part4

(来るって言われたら 待てるんだ 麻里亜さんも 私も 同じ言葉で足を動かされる でも私は 一度も約束されてない 名前も呼ばれてない それなのに どうして私の方が こんなに拓哉さんで濡れてるの) 店の明かりが途切れました。 細い道へ入る前に、麻里亜が振り返ります。 「聖」 「何」 「本当に来るの?」 「今さらそれ聞くのか?」 「近くにいられると気が散る」 「だったら、もっと離れる」 「見えないところにいて」 「分かってるよ」 「勝手に出てこないでよ」 「何もなければ出ないって」 麻里亜は何か言い返そうとしました。 けれどやめました。 「……約束だからね」 「おう」 麻里亜が前を向きます。 聖は少し離れたところで足を止めました。 麻里亜が数歩進んでから、同じ速さで歩き始めます。 あの「約束だからね」が、聖の歩幅を狭くしていました。 (邪魔 その人 邪魔だよ 麻里亜さんと拓哉さんの間に入るなら 私が先に入る 拓哉さんの困った声も 赤い人の指も 全部 私の中へ押し込めばいい 誰にも触らせないくらい 深く) 細い道の先に、ホテルの看板が見えました。 赤い光が、暗い路面へにじんでいます。 雨はまだ降っていません。 空から冷たい風だけが下りてきました。 麻里亜の歩幅が小さくなります。 聖も速度を落としました。 愛梨沙は反対側の歩道へ渡ります。 二人より早く、ホテルの裏へ回るためです。 信号が変わりました。 白線を渡りながら、愛梨沙は先の暗がりを見ました。 男が一人、街灯の端に立っています。 黒い傘を閉じたまま、片手に持っていました。 閉じた傘の先が、路面のすぐ上で小さく揺れています。 スーツの袖 伏せた横顔 スマホを滑る指 街灯の下で、銀色の輪が一度だけ光りました。 結婚指輪 愛梨沙の足が止まりました。 麻里亜はまだ気づいていません。 聖も、まだ見ていません。 愛梨沙だけが先に見つけました。 (いた 拓哉さん 私が先 また私が先に見た 麻里亜さんより先に その指も その横顔も 今だけは全部 私のもの) 拓哉が顔を上げました。 視線が、ホテル裏へ続く道をなぞります。 愛梨沙は街灯の届かない方へ身を引きました。 白い手袋の指に力が入
last updateLast Updated : 2026-07-13
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32話 消えて欲しいもの Part1

麻里亜のスマホに、短い文字が映っていました。 着いたよ、裏にいる。 麻里亜は足を速めました。 右手にはスマホ、左手には聖から受け取った缶コーヒーがあります。 聖も歩き始めました。 愛梨沙は二人とは反対の歩道を進み、街灯の光が届かない壁際へ入りました。 拓哉はまだこちらに気づいていません。 伏せた顔 ネクタイに触れる指 閉じた黒い傘 左手の銀色の輪 スマホを見ていた拓哉が、ゆっくり顔を上げました。 麻里亜を見つけると、眉間にあった線が消えます。 口元だけが、やわらかく持ち上がりました。 「来てくれてありがとう」 「呼ばれたから。それにはっきりさせたい事あったし」 麻里亜は拓哉の前で足を止めました。 聖は細い道へ入らず、建物の角に隠れています。 麻里亜からは見えないはずです。 それでも彼女は一度だけ、聖がいる方へ目を動かしました。 拓哉もその先を追おうとします。 麻里亜が先に口を開きました。 「それで? 何から話すの?」 「ここだと誰か通るかもしれない。もう少し奥に行こう」 「嫌。ここでいい」 「麻里亜」 「その呼び方やめてよ」 拓哉の唇が閉じました。 麻里亜は缶コーヒーを持ったまま、彼を見上げています。 「電話では優しい声だったのに、会ったらすぐ隠れたがるんだね」 「隠れたいわけじゃないよ。大きな声を出したら、君だって困るだろ」 「私が困るの?私じゃなくてそっちが困るんでしょ?」 麻里亜は乾いた笑いを漏らしました。 「会社に知られたくない。奥さんにも知られたくない。でも私には黙っててほしい。全部、自分の都合じゃん」 拓哉は周囲へ目を向けました。 人の姿はありません。 ホテルの看板が、二人の横顔を赤く照らしています。 「まず落ち着いて話そう。責め合うために来たんじゃない」 「私は責めるために来たけど」 「そういう言い方をするなよ」 「じゃあ、どう言えばいいの? 既読無視されて寂しかったですって、かわいく言えばまたホテルに連れてってくれる?」 拓哉の喉が動きました。 言い返す前に、何かを飲み込んだようでした。 愛梨沙はその首筋から目を離せません。 麻里亜に向ける言葉が、あの喉の奥で何度も形を変えて
last updateLast Updated : 2026-07-14
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Part2

「それだけって言うけど、会社まで巻き込むような話じゃないだろ?」 「巻き込む?」 麻里亜の声が低くなりました。 「私が勝手にあなたの会社へ近づいたみたいに言わないで。最初に名刺を渡してきたの、拓哉さんだよ」 拓哉の口元から、やわらかさが消えました。 「仕事の名刺をそういう使い方するとは思わなかった」 「ホテルに誘った女へ渡しておいて?」 「渡したことは悪かったよ」 「名刺だけ?」 「今は写真の話をしてる」 「だから逃げてるって言ってるの!!」 麻里亜の声が壁に当たり、細い道へ響きました。 拓哉がすぐに周囲を見ます。 「声を荒らげるのは辞めてくれ」 「誰に聞かれるのが怖いの?」 「怖いとかじゃなくて、ここで騒いだら迷惑だろ」 「また他人のせい」 「麻里亜」 「そうやって名前使うのやめてよ。便利だよねぇ、困った時に少しやさしく呼べば、私が黙ると思ってさ」 麻里亜の目が潤んでいました。 瞬きをせず、涙を押し返すように拓哉を見ています。 拓哉は一度、息を吐きました。 「分かった。俺が悪かった」 「何が?」 「連絡を返さなかったことも、期待させたことも」 「期待って何?」 「俺が曖昧な態度を取ったから、麻里亜が勘違いした」 麻里亜の唇から、笑いとも息ともつかない音が漏れました。 愛梨沙の指が、鞄の布を押します。 勘違い その一言で、麻里亜の唇から笑みが消えました。 「勘違いって言った?」 「責めてるんじゃない。俺にも責任があるって言ってる」 「責任があるなら、何で私だけ勘違いしたことになるの?」 「言葉の問題だろ」 「違うよ」 麻里亜は一歩近づきました。 「好きって言ったじゃん!」 拓哉の目が揺れました。 「抱きながら何回も言ったよね。会いたかったって。家に帰りたくないって。奥さんとはもう終わってるって」 「その時は、そう思ってた」 「じゃあ今は?」 拓哉はすぐに答えませんでした。 麻里亜の顔を見ず、ホテルの看板へ目を向けます。 赤い光が、結婚指輪の縁に触れていました。 「今は冷静になってる」 「私と寝た時は冷静じゃなかったってこと?」 「そういう言い方をするなよ」 「拓哉さんが言った
last updateLast Updated : 2026-07-14
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Part3

「その時は大事に思ってた。でも、家庭を捨てるつもりはなかった」 麻里亜の爪が、スマホの端を押しました。 「それ、最初に言えばよかったじゃん」 「言える状況じゃなかった」 「ホテルのベッドでは、何でも言えたのに?」 拓哉の目が鋭くなりました。 「そうやって全部悪く取るなら、話にならない」 「悪いことを悪く取って何が悪いの?」 麻里亜がスマホを操作しました。 画面には、写真の一覧が並んでいました。 ホテルのグラス シーツの端 男物の時計 拓哉の横顔 指輪のない左手 指を滑らせた先に、メッセージ画面が映ります。 愛梨沙の胸の奥が熱を持ちました。 知らない拓哉が、麻里亜の画面に閉じ込められている。 肌に近い距離 ベッドの上で緩んだ口元 指輪を外した指 麻里亜だけが見た拓哉 (見せて もっと その写真を全部開いて 麻里亜さんの目に入った拓哉さんを 私にも入れて 指輪を外した指も シーツに沈んだ肩も 唇の隙間から漏れた息も ひとつずつ 私の中で濡らしてあげる) 拓哉が麻里亜のスマホへ手を伸ばしました。 麻里亜は右腕を引きます。 「触らないで」 「消すだけだ」 「自分で消すから」 「だったら今やれよ」 拓哉の声が、初めてはっきり荒くなりました。 麻里亜の肩がわずかに跳ねます。 建物の角で、聖の足が一歩動きました。 すぐに止まります。 拓哉は麻里亜の右手首へ指を回しました。 「離して」 「スマホを見せろ」 「痛い」 「逃げるからだろ」 「逃げてるのはそっちじゃん!」 麻里亜の声が響きました。 聖の顔が上がります。 愛梨沙は拓哉の指を見ていました。 麻里亜の皮膚を押す指 白くなる関節 結婚指輪をつけたまま、別の女へ触れる手 愛梨沙の唇が、わずかに開きました。 (そんなに強く触るんだ 拓哉さん その指で 逃げないように押さえるんだ 私なら逃げないよ もっと深く跡をつけて 手首だけじゃなく 喉も 腰も 息が止まるところまで 拓哉さんの指なら どこでも受け入れるから) 「離してって言ってるでしょ!」 麻里亜が身を引きまし
last updateLast Updated : 2026-07-15
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