로그인愛されたことのない御厨愛梨沙は、愛し方を知らなかった。見つめることを恋だと思い、後を追うことを愛だと思った。 2025年6月17日、彼女はジュエリーショップ【Y.COCO】で鴻上拓哉を見つける。妻も愛人も嘘もある男。けれど、誰かのために迷う横顔だけは、ひどく優しく見えた。 やがて拓哉は、誰にも言えない罪を犯す。愛梨沙は逃げない。責めない。ただ白い手袋の指先をそろえ、微笑む。 幸せな妻は知らない顔で朝食を並べ、赤い爪の愛人は男を追い詰める。その間で愛梨沙は、愛という名前をつけながら、拓哉の逃げ道を少し消していく。 「大丈夫。私だけは、拓哉さんの罪まで愛してる」
더 보기三階の廊下から響いた音に、麻里亜の指が止まりました。 内側のつまみに触れたまま、扉の向こうへ耳を澄ませます。 拓哉もスマホを伏せたまま、動きません。 着信は切れました。 部屋の中に、換気扇の低い音だけが戻ってきます。 「……誰?」 麻里亜が小さく言いました。 拓哉は答えません。 視線だけが、扉の方へ動きます。 扉の向こうで、足音が止まりました。 一枚の板を挟んで、誰かが立っています。 「麻里亜」 聖の声でした。 麻里亜は息を吸い込みます。 「いるんだろ?」 拓哉の眉がわずかに動きました。 「開けるな」 麻里亜は拓哉を見ます。 「どうして?」 「話が終わってない」 「終わったよ」 「終わってない」 拓哉の手が黒い鞄へ伸びました。 麻里亜は反射的に一歩下がります。 鞄の中には鍵があります。 スマホもあります。 赤いスカーフは、まだテーブルの上です。 扉の外から、聖がもう一度呼びました。 「麻里亜、返事しろ」 「……大丈夫」 麻里亜は答えました。 けれど、その言葉は細く震えていました。 すぐに聖が返します。 「大丈夫な声じゃない」 拓哉が扉へ近づきました。 麻里亜との間に身体を入れるようにして、内側のつまみに手を伸ばします。 麻里亜はその腕を止めようとしました。 「開けて」 「黙ってろ」 「開けてって言ってるの」 「今、あいつを入れたら余計に面倒になる」 「面倒にしたのはあなたでしょ」 拓哉の目が細くなりました。 廊下で、また乾いた音がします。 麻里亜は肩を震わせました。 「何の音?」 拓哉は答えません。 扉の向こうで、聖が短く息を吐きました。 「廊下の案内板に当たっただけだ」 さっき落ちたのは、それだったのでしょう。 麻里亜は扉の下の隙間を見ました。 細い光が差し込んでいます。 けれど、そこに立つ聖の姿までは見えません。 外階段の下で、愛梨沙は顔を上げていました。 三階の廊下の方で、人の気配が重なっています。 窓からは、誰がどこにいるのか分かりません。 ただ、聖が上へ行ったことだけは分かりました。 さっきまで道路側にいた男の姿が、もうありません。
「昨日の時点で、私一人じゃどうにもできなくなってるから」 部屋の空気が止まりました。 拓哉は麻里亜を見つめたまま動きません。 「誰に話した?」 低い声が落ちます。 麻里亜は首を横へ振りました。 「それは言わない」 「聖か」 返事はありません。 「他にもいるのか」 「答えない」 拓哉はゆっくり息を吐きました。 赤いスカーフを握る指へ、少しだけ力が入ります。 「どこまで知られてる」 「知りたい?」 麻里亜は静かに見返しました。 「昨日までなら教えたかもしれない。でも、もう違う」 「俺を追い詰めたいのか?」 「追い詰めたのは自分でしょ?!」 拓哉は目を閉じました。 短い沈黙が流れます。 「……写真だけは消してくれ」 「嫌」 「頼む」 「昨日は命令した」 「今日は頼んでる」 「違う」 拓哉は顔を上げました。 「俺は頼んでる」 「私には同じ」 麻里亜は鞄を抱き締めます。 「あなたが欲しいのは謝ることじゃない」 拓哉は黙っています。 「安心したいだけ」 部屋へ換気扇の音だけが流れました。 「私は、その安心をあげる気はない」 窓の外では、車が一台通り過ぎました。 街灯の明かりが曇りガラスを細く流れていきます。 外階段の下で、愛梨沙は身じろぎひとつせず立っていました。 窓の下だけが、かすかに明るくなります。 人影が近づき、また離れる。 声は聞こえません。 けれど、二人の距離だけは伝わってきました。 (苦しいね 拓哉さん 謝る声も 隠す指も もう届かない 私なら その苦しい息まで 唇で受け止めるのに 帰る場所なんていらない 逃げる腕なんていらない あなたが崩れるところを 一番近くで見ていたい) 愛梨沙のスマホが震えました。 瑠璃子からです。 〈変化はありましたか?〉 〈まだ出てきません〉 送ると、既読がつきました。 それ以上、連絡はありません。 部屋では、拓哉がテーブルへ手をついていました。 「一つだけ聞く」 麻里亜は答えません。 「その証拠は、俺を終わらせるために使うのか」 「使うかどうかは、これからのあなた次第」 拓哉は苦く笑いました。 「俺を試してるのか」 「違う」 麻里亜はゆっくり首を振ります。 「もう信じられないだけ」 その一言が
倒れた椅子が床を滑り、鈍い音を立てました。拓哉も麻里亜も動きを止めます。部屋には、二人の荒い息だけが残りました。「……離せ」拓哉が低く言いました。「先に離して」「スマホだけ見せろ」「嫌」麻里亜は鞄を胸へ抱えたまま、壁際まで下がります。拓哉は視線を外しません。「昨日、お前は俺を脅した」「脅してない」「証拠を見せるって言った」「嘘を隠そうとしたのは、あなたでしょ」拓哉は何も返しませんでした。代わりに、床へ落ちた赤いスカーフへ目を向けます。ゆっくり拾い上げ、皺を伸ばしました。「こんな物まで残してる」麻里亜は眉を寄せます。「思い出だから?」「違う」「じゃあ何?」「返してもらうため」拓哉は小さく息を吐きました。「本当に、それだけか」麻里亜は答えません。拓哉は赤いスカーフを細く畳みます。その指先は昨日とは違い、静かでした。だからこそ、麻里亜は背筋が冷えます。「昨日は悪かった」拓哉が言いました。「……」「手首も」麻里亜は袖の上から右手首を押さえました。薄く残る痛みが、身体の奥でよみがえります。「本当に悪いと思ってるなら」「思ってる」「証拠を消してなんて言わないで」拓哉は目を伏せました。短い沈黙が流れます。「消してほしい」麻里亜は肩を震わせました。「結局、それなんだ」「違う」「違わない」「これ以上、大きくしたくない」「大きくしたのは、あなたでしょ」拓哉は唇を結びました。「全部、取り返しがつかなくなる」「だから私が黙れば済むって思ってる」「そうじゃない」「同じだよ」拓哉は言葉を探しました。けれど見つかりません。部屋の外では、階段を上り下りする足音が一度だけ聞こえ、すぐ遠ざかっていきます。二人とも耳を澄ませました。静けさが戻ります。「あいつは入ってこない」拓哉が小さく呟きました。「どうして分かるの」「お前が止めたから」麻里亜は苦く笑います。「私の言うことなんて、もう聞かないよ」その言葉に、拓哉の表情がわずかに揺れました。外階段の下では、愛梨沙が窓を見上げていました。曇りガラスの向こうで、人影が離れ、また近づきます。どちらなのかは分かりません。けれど、まだ終わっていないことだけは伝わってきました。〈動きはありません〉瑠璃子へ送ります。返事はありませ
3階の部屋の扉が閉じると、外を走る車の音が遠くなりました。拓哉は鍵を回しました。銀色の鍵についた白い札が揺れます。黒い文字で、3Aと書かれていました。麻里亜はその音を聞き、振り返ります。「鍵、閉めるの?」「外で邪魔されたくない」「聖は入ってこないよ」「信用できると思うか?」拓哉は鍵を抜き、黒い鞄へ入れました。部屋には、掲載写真と同じ小さなテーブルと椅子が二脚あります。白い壁。天井近くの換気扇。外階段に面した細長い窓。窓は曇りガラスになっていて、下の方だけ透明でした。麻里亜は入口に近い場所から動けずにいます。「話って何?」拓哉は答えませんでした。黒い鞄をテーブルへ載せます。ファスナーを開き、中から透明な袋を取り出しました。赤い布が、蛍光灯の下へ現れます。麻里亜の目が見開かれました。「それ……」拓哉は袋から赤い布を出しました。細長いスカーフです。端には、小さなほつれがあります。「覚えてるだろ」「どうして持ってるの?」「俺の車に忘れてた」麻里亜は首元へ手を添えました。あのスカーフを最後に使った日のことを思い出しています。拓哉の車で出かけた帰り。外したスカーフを後部座席へ放り、翌朝になっても見つからなかった日。どこかで落としたのだと思っていました。「返して」麻里亜が手を伸ばします。拓哉は腕を上げ、届かない高さまでスカーフを遠ざけました。「何に使うつもりだった?」「返してって言ってるの」「これを着けて、あいつに会ったのか?」「誰のこと?」「聖だよ」「関係ないでしょ」「俺の車に忘れたものを、別の男の前で探してたのか」「そんな言い方しないで」拓哉は赤いスカーフを見つめました。指先で布をなぞり、ゆっくり麻里亜へ近づきます。麻里亜は一歩後ろへ下がりました。背中が扉へ触れます。「昨日、俺を怖いって言ったよな」「怖かったよ」「それでも来た」「終わらせるために来たの」「終わらせたい女が、俺からの連絡を待つのか?」「待ってない」「すぐ返事した」「話をしないと終われないから」「言い訳ばかりだな」拓哉は麻里亜の首元へスカーフを近づけました。赤い布の端が、コートの襟へ触れます。麻里亜は拓哉の腕を押し返しました。「やめて」「似合ってた」「触らないで」「前は嫌がらなかった」
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