似顔絵捜査官の夫の裏切りで息子を失った私 のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 9

9 チャプター

第1話

夫の神谷哲也(かみや てつや)は、指折りの似顔絵捜査官で、わずかな手がかりからでも犯人の似顔絵を描き出すことができた。もっとも、似顔絵捜査官といっても警察に所属しているわけではなく、個人の研究所を構え、警察から似顔絵捜査の委託を受けて活動している。しかし息子である神谷辰樹(かみや たつき)が拉致された時、哲也が提示した犯人の似顔絵は、まったく無関係なホームレスを指し示していたため、結果として犯人を逃し、さらには息子の発見も遅れ、辰樹は命を失ってしまったのだ。私・神谷凛(かみや りん)は三日三晩、遺体安置所で息子の亡骸のそばにいた。そんな私に、彼はメッセージを一通送ってきただけだった。【凛、似顔絵にはもともと誤差があるし、たとえ拉致犯を見つけられたとしても、辰樹はすでに喘息の発作で亡くなってたと思うんだ。だから、お前は先に葬儀の準備をしてくれるか?】だが、哲也の教え子である吉川萌香(よしかわ もえか)の投稿が、私の心を深く抉った。【初めての似顔絵捜査でこんなに大きなミスをしたうえに、容疑者が映った監視カメラの映像まで消しちゃった。でも哲也さんが『俺が何とかする』って言ってくれたんだ。何があっても、哲也さんがいれば安心できる。似顔絵を描いてるときなんか、すごく近くで優しく声をかけてくれて、何があっても怖がらなくていいって……もう哲也さんのこと、私だけのものにしたい!】写真には、哲也が大きな手で萌香の手を包み込んでいる姿が写っていた。そして、彼の薬指に光る指輪が、ひどく皮肉に思える。胸が張り裂けるような思いで、私は哲也に電話をかけた。「哲也、あなたは私の息子の命まで犠牲にして、可愛い教え子の尻拭いをしているの?」電話の向こうの彼は、冷たく苛立った声で答える。「凛、少し疑いすぎだぞ。事件と生活は別だろ?教え子がショックを受けてたから慰めただけで、それの何が問題だっていうんだ?それに、そんな些細なことでいちいち騒がれたら、こっちだってやってられないよ。これ以上余計なことで騒ぐな。俺の研究所の評判に関わるだろ?」電話を切った私は、息子の遺体を見つめる。「辰樹、お母さんが全員に償わせるからね……」息子の遺体はすでに硬直し、小さな顔は灰白色に変わっていた。つい2日前までは、遊園地に連れて行ってほしいと哲也にねだ
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第2話

私が事態を飲み込めないまま呆然としていると、彼と一緒に来ていた部下が、間に入ってくれた。「哲也さん、奥さんは子供を亡くしたばかりなんですよ。少し落ち着いてください」周りのスタッフたちも、慌てて彼をなだめ始める。「そうですよ。奥さんが辛い思いをしているのに、手をあげるなんて駄目ですよ!あなたもこの子どもの父親でしょう?なのに、まるで他人事みたいじゃないですか。子どもがこんなに小さいのに、あなたは悲しまないばかりか、奥さんを責めるなんて……」哲也は充血した目で、私を激しく睨みつけた。「凛、お前……やってくれたな」しかし、彼が続きの言葉を言い始める前に、携帯の着信音が鳴り響いた。彼は苛立った様子で携帯を取り出したが、それが萌香からの着信だと分かると、さっきまでの怒りは一瞬で消え去っていった。「どうした?」すると、電話口から鼓膜が破れそうになるほどの、甲高い彼女の泣き声が漏れ聞こえてくる。「哲也さん、どこ行っちゃったの?パソコンが急に動かなくなっちゃったんだけど、私どうしたらいいか全然わからなくて。戻ってきてちょっと見てくれない?迷惑ばっかりかけてるってわかってる。でも、哲也さんにしかお願いできなくて……」さっきまで私に向けられていた鋭い剣幕が嘘のように、哲也の声はとろけるように優しい。「大丈夫だよ。すぐ行くから待ってて」彼はそう言って電話を切ると、私を冷酷な瞳で睨みつけた。「凛、何かあるなら俺の仕事が落ち着いてからにしてくれ。これ以上面倒ごとを起こすなよ!」そう吐き捨てると、彼は一度も振り返らずに駆け出していった。その足取りはあまりにも速く、まるでこの場に一秒でもいたくないと言わんばかりだった。それどころか、白い布の下に横たわる、彼が一生守ると言っていたはずの我が子のことすら、一度も見ようともしなかった。私はその場で固まり、爪が食い込むほど、力強く手のひらを握りしめる。この痛みがなければ、今の私はきっと冷静さを保っていられなかっただろう。その後、辰樹は灰となった。葬儀が一段落したので、携帯を開いてみると、萌香が先ほどの投稿をいつの間にか削除していたことに気づいた。そして新たな投稿が、30分前に上げられている。【さっきの投稿で叩かれちゃった。でも哲也さんが一緒にいてくれた
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第3話

ふと視線を上げると、少し離れた場所に哲也が立っていた。「食事にしよう」私が何も答えないでいると、哲也は私の隣に腰を下ろした。「凛、辰樹はもう死んでいるんだから、そうやっててもどうにもならないだろ?それに辰樹だって、お前がこんなふうに自分を追い詰めてる姿なんて、見たくないはずだ。少し落ち着いたら、ゆっくりとこれからのことを話そう、な?」その声は優しかったが、その瞳には微塵も温かみがなかった。私は顔を背け、彼を無視する。この男はいつだって理性的な考え方をし、まるで全てが彼自身と無関係なことのように振る舞う。辰樹の父親だというのに、自分の子供の死についてこんなにも淡々と語れるなんて。私はベッドに手をついて起き上がり、哲也を辰樹の部屋から追い出すため、ドアの方まで押していった。しかしドアを開けた瞬間、そこに萌香が立っていたのだ。頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けながら、彼女の手首にはめられている銀のブレスレットを、食い入るように見つめた。それは、私が辰樹の誕生日プレゼントにあげたもの。どうして彼女が……萌香も私の視線に気づいたらしいが、後ろめたそうな様子など一切なく、むしろそのブレスレットをひらひらと見せつけてきた。「凛さん、目が覚めたんですね!」「よせ」と哲也は萌香に対して少し顔をしかめ、振り向くと私に言い訳を始めた。「近隣で火事があって、その巻き添えで萌香の家も住めなくなっちゃったんだ。急なことで行き場がないっていうから、とりあえず数日だけうちに来てもらったんだ」辰樹が亡くなって数日しか経ってないのに。この男はこんなにも早く、他の女を家へ連れて帰ってきたのか?住む場所が見つからなくて困っているというのが嘘だとは、哲也だって分かっているはずだ。怒りで呼吸することすら苦しくなり、部屋に戻ろうとしたそのとき、萌香が口元を押さえて小さく声を上げた。「これが辰樹くんですか?こんな可愛い子なのに……亡くなってしまったなんて。本当にお気の毒です。でも、凛さんって本当に強いんですね。私だったら、とっくに耐えきれなくなって壊れてたと思います」萌香は辰樹の遺影をじっと見つめると、手を伸ばして触ろうとした。その瞬間、私の心臓はギュッと締め付けられ、呼吸も荒くなる。こんなわざとらしい演技はも
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第4話

哲也はついに本気で怒り出した。話をするよりも先に、彼は私の肩を強く掴み、ぐいと私を突き飛ばす。「いい加減にしろ!」私はそのまま階段から転げ落ちた。膝を階段の角に強打してしまい、骨まで響くような激痛が駆け上がった。「いつまで喚けば気が済むんだ?凛、頭でもおかしくなったんじゃないのか?」私は歯を食いしばって涙をこらえながら、地面から起き上がった。痛みで、目からは自然と涙が溢れてくる。「お前は本当に周りを不幸にする女だな。両親に続いて、今度は息子だなんて」私は全身の血が逆流するような衝撃を受け、その場に立ち尽くした。だが、哲也の言葉は止まらない。「親戚たちも言ってたぞ。お前は疫病神だって。だからな、お前にいくら金や権力があったとしても、みんなお前を避けるんだよ。あの時の火事だってそうだろ?お前の両親は助からなかったのに、お前だけが生き残った。親戚たちのいう通りだと思わないか?お前みたいな疫病神がいるから、周りがどんどん不幸になっていく。今回の辰樹だって、お前のせいで死んだようなもんだろ!」「黙って!」私は震える声でそう叫んだ。この世から消えてしまいたいと初めて心から思った。こんな言葉を、哲也の口から言われたなんて私は到底信じられなかった。あの火事の日、両親は私を火の中から押し出して命を守ってくれた。二人は自分の体で焼け落ちる梁を支え、私に命を繋いでくれたのだ。その時私はまだ幼かったので、虎視眈々と我が家の財産を狙い、外の人間は陰で好き勝手な噂を流していた。中には私のことを「疫病神」と呼ぶ者までいた。「あの子の周りにいる人は本当に不幸になるんだよ。両親だってまだ若かったのに、二人して命をおとしてしまうなんて。あれだけの大火事なのに、どうしてあの子ひとりだけ助かったんだろうね?」私は被害者であるはずなのに、なぜか周囲からは生き残ってしまったことを非難された。そんな孤独の淵にいたとき、唯一、哲也だけが毅然として私を支えてくれた。「あんなくだらない噂、信じる方がどうかしてる。俺はお前を信じてるからな」だから私にとって、哲也はまさに命の恩人だった。この人の所なら私の居場所がある……そう思っていたのに。泥沼から私を救い出してくれたのはこの男だったが、私を地獄に突き落とすのも、同じこの男だったの
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第5話

もう哲也に情けをかけるつもりはなかった私は、椎名グループとして、哲也の個人事業である消防救助プロジェクトへの出資を全面停止すると正式に発表した。その知らせはすぐに業界へと知れ渡り、哲也のチームは大混乱に陥った。哲也からの着信やメッセージが何度も届いたので、私は彼に関するすべての連絡先を削除した。彼も窮地に追い込まれたのだろう。私に説明を求めるため、家まで怒鳴り込んできた。しかし、ドアの鍵はすでに替えられ、彼の私物は業者の手によって玄関の外に放り出されていたのだった。その後も何度か私に会うため、椎名グループに押しかけてきたが、警備員の手によって門前払いされ、中へ入ることすら叶わなかった。どうしようもなくなった彼は、資金調達のために、必死に頭を下げて回るしかなくなった。だが相手はみな、彼の名を聞いた途端に拒絶の態度を見せ、中には露骨に不快感を露わにする者さえいた。「出資をしてくれだと?それは、私に椎名グループと喧嘩しろって言っているのか?」一方の私は、辰樹が連れ去られた時の防犯カメラの映像を入手しようと動いていた。映像を見るたびに、胸が鋭い刃物で突き刺されるような痛みに襲われる。続けて、哲也の研究所内の監視カメラ映像もついでに確認することにした。すると、哲也が留守の隙を狙って、萌香が独りで監視カメラの映像を確認する姿が写っていた。そこで私は、萌香が監視カメラ映像を消去した証拠を集めようと思った。だが、決定的な1分間の映像だけが消えているのだ。誰かが悪意を持って、その部分を消去したに違いない。研究所の監視カメラ映像の閲覧権限は、私と哲也の二人にしかない。ということは、哲也は萌香を守るために、証拠隠滅までしていたことになる。私は冷ややかな笑いを漏らし、目からは感情が失われた。「監視カメラの映像を消せば大丈夫だとでも思った?哲也……甘すぎるわ」あの研究所のサーバー権限は、私の会社のエンジニアが握っていることを、彼は忘れているらしい。技術部門の協力もあり、私は当時の操作ログをすべて復元させることに成功した。そこには、事件当日に萌香が権限を使い、辰樹の事件が起こった日の最も大切な映像ファイルを削除した上に、ハードディスクのデータまで抹消した記録が残されていた。こうなってしまっては、誰であっても
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第6話

萌香も、私がこれほど冷静に受け流すとは予想していなかったようだ。「凛さん、本当に図々しいね。哲也はとっくにあなたなんかに愛想を尽かしてるのに、なんでそんなに縋り付くわけ?哲也さんが今愛しているのは私。私と一緒にいるときが一番幸せだって言ってたんだから。もう30の凛さんなんか、おばさんなんだよ?そんなんで、私に勝てると思ってるの?」萌香は一歩踏み込み、これ見よがしに勝ち誇った笑みを浮かべた。「もしかして、監視カメラのデータを消したのが私だって、哲也さんが知らないとでも思ってる?あんなに頭の良い哲也さんが、そんな簡単なことすら見抜けないはずがないでしょ?私がわざと辰樹くんを一人にして、攫わせたのに、哲也さんは迷わず私をかばってくれた。偽装工作どころか、証拠の映像まで全部消し去ってくれたんだから」彼女の声は静かだが、一言一句が毒を含んだ刃となって、私の心に深く突き刺さった。「挙句の果てには辰樹くんはあなたの遺伝で喘息持ちだし、いずれ死ぬ運命だったんだ、とまで言ってたしね。こういうことだから、さっさと離婚届を出してくれないかな?」指先に力を込め、私は必死に感情を押し殺した。哲也は、これほど無能な味方を抱えていることを知っているのだろうか。自ら決定的な証拠を持ってきてくれるなんて。私はゆっくりと顔を上げた。「萌香さん、そんなに哲也があなたを愛してくれているって言ってるけど、哲也の書斎に今も美月さんの写真が飾られていることは知ってるの?」表情を凍りつかせた彼女を見て、私の口元が緩んだ。「本当に愛されてるとでも思ってたの?あなたはただの代用品。亡くなったあなたのお姉さんの代わりにすらなれない、模倣品にすぎないんだよ」私と出会う前、哲也には若くしてこの世を去った忘れられない恋人がいた。彼が萌香をこれほど甘やかすのは、彼女がその忘れられない恋人・吉川美月(よしかわ みづき)の妹だからだった。しかし、萌香は哲也に愛されていると思い込んでいる。なんて愚かなことだろう。あの男はどこまでも利己的で、愛しているのは自分自身だけなのだから。萌香の顔からは血の気が失われ、まるで平手打ちを食らったかのように、先ほどまでの傲慢さは跡形もなく消えていた。「適当なこと言わないで!」彼女は声を震わせ、屈辱と怒
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第7話

吉川家の出資によって、哲也の研究所は再び軌道に乗り、数々の難事件を解決へと導いた。メディアは哲也と萌香を、誰もが認めるお似合いのカップルだともてはやした。だが、辰樹をさらった犯人はいまだ捕まらず、街では新たな拉致事件が相次いでいた。警察は哲也が犯人の顔を描き出し、一刻も早く犯人逮捕につながることを期待していたのだ。ついには、「特別捜査班」まで設立され、哲也は世間の注目を一身に浴び、まるで救世主のように祭り上げられていた。最初の2つの事件では、哲也の分析は一見すると筋が通っており、いつも核心を的確に突いているように見えた。だが皮肉なことに、警察が現場に急行するたびに、拉致犯はすでに姿を消していた。その理由を、哲也は犯人が狡猾すぎるからだと説明していた。最近の事件で、ある少女が拉致された。監視カメラに映る彼女の叫び声は、恐怖と絶望に満ち、耳を塞ぎたくなるほどで、心臓を直接えぐるように響き続けていた。しかし警察が駆けつけた時、犯人はすでにどこかへ逃走していた。そして少女は冷凍庫の中で発見され、そのときにはすでに息絶えていた。その状況は、辰樹のときとまったく同じだった。捜査の方向だけが、いつも意図的にねじ曲げられているかのように……今度こそ人々は哲也の弁明を信じず、説明を強く求めた。「孫の命を返せ!お前らが捜査の方向を狂わせたせいで警察の到着が遅れたんだ!そのせいで孫は冷凍庫で凍え死んだんだぞ!何が天才似顔絵捜査官だ!名前だけの無能め!」被害者の遺族は毎日、哲也の研究所が入るビルの前で抗議の横断幕を掲げていた。メディアもまた、回答を求めて入り口で彼が現れるのを待ち構えていた。哲也も説明しようと表に出たが、現れるなり遺族に襟首を掴まれ、激しく殴り飛ばされた。萌香に至っては、顔を真っ青にして実家に逃げ込み、二度と人前に姿を現さなかった。まるで外の出来事は自分と無関係だと言わんばかりだった。吉川家が再び金を使って騒動を鎮めようと画策したが、今度の炎上は、どれほど大金をつぎ込んでも消えることはなかった。皮肉にも、そのすぐ後に警察が偶然、児童拉致犯を逮捕することに成功した。私は警察に哲也と萌香へと捜査協力の最大功労者として、感謝状を送ってもらうように、少しだけ口添えをしていた。しかし私の秘
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第8話

私はパソコンに向き合い、迷わずエンターキーを押した。その瞬間、哲也と萌香が感謝状を渡されていた会場の巨大モニターの映像が、瞬時に切り替わる。スクリーンには、萌香が私を挑発しにきた時の映像が流れた。彼女が自分で動画を削除したことを認める発言や、哲也がいかに彼女をかばっていたかの詳細もはっきりと録音されている。続いて、技術者に依頼して復元させた映像も映し出された。萌香が監視カメラの映像を削除し、さらにハードディスクの中身まで消去している証拠映像だ。その後の映像は、最近起きた拉致事件の際、萌香が起こした問題の様子だった。ある日、智也が警察署に事件のことで来ていた際に、それについて来た萌香は事務室の椅子に座っていた。そこに、ちょうど通報の電話がかかって来たのだが、警察官が受話器を取る前に、ゲームをしていた萌香がその電話を煩わしそうにとり、「今昼休みなの。邪魔しないでよね」と内容も聞かずに電話を切った映像だった。そんな彼女の態度のせいで、警察はすぐに出動できずに、救出が遅れてしまったのだ。会場が一瞬しんとし、次の瞬間、罵声が飛び交い始める。動画を見た萌香の顔は真っ青になり、必死に職員へ画面を消すよう懇願していた。しかし、目の前にいる母親は、そんな萌香の態度に怒りを爆発させ、机にあったミネラルウォーターのペットボトルを彼女に投げつけた。萌香は泣きたいのに涙も出ず、まるで逃げ回るネズミのように、あちこちを右往左往していた。「ウソよ!こんなの全部デタラメなんだから!動画なんて、凛さんが作った合成に決まってるでしょ!」一方、哲也は最初の動画が流れた時点ですでに言葉を失っていた。自分の前ではか弱そうだった萌香が、まさかこれほど根性の腐った女だったとは予想もしていなかったのだ。極め付けに、通報の電話を切る萌香の映像を見て、哲也は完全に頭が真っ白になった。動揺のあまり言葉を選べなくなっていた哲也が、自分の弁明に必死になり、すべての責任を萌香に押し付け始める。「俺は本当に何も知らなかったんだ!彼女がやったことだって気づかなかったし、悪気があったとも思ってなかったから!全てあいつがやったんだ!監視映像を消したのも、電話を切ったのも全部あの女で、俺とは関係ない!俺は関係ない、むしろ俺は犯人捜しに協力してただろ?!」
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第9話

萌香の一言一言が、鋭いナイフとなって哲也の心に突き刺さる。私は哲也の顔から、みるみる血の気が引いていくのをじっと見つめていたこんな公の場で、萌香が哲也自身の致命的な手の傷についてバラすとは、思ってもみなかったのだろう。哲也は真っ青になった顔に青筋を立てながら、萌香を指差して怒鳴り散らした。「お前!何適当なことを言ってるんだよ!俺はこれまで多くの人間を助け、数々の事件を解決してきたんだぞ!俺が犯人の似顔絵を描かなかったら、警察がどうやって犯人を逮捕できたって言うんだ?」彼の額からは脂汗が流れ、その視線も狼狽からか落ち着きがない。「これはただの軽いケガで、少し休めば治るんだよ。ペンが持てないなんてのは言いがかりだ。何か証拠でもあるのかよ!」その苦しい哲也の言い訳を聞き、萌香はひときわ甲高い声で笑い飛ばした。「哲也さん、もうそんな嘘はやめたら?凛さんがあなたと離縁したがるわけね。こんな嘘つきな人間、誰だって一緒にはいられないよ」彼女の声はさらに高ぶり、狂気にも似た響きを帯びていく。「手は何ともないんだっけ?じゃあ今すぐ診察受けてきてよ。できるでしょ?」私は冷ややかな目でそのやり取りを見つめ、口元を皮肉に歪めた。見苦しい潰し合い、最高の展開だ。その場にいた者たちは二人の言い争いに混乱し、どちらが正しいのかも判断がつかない様子だった。私はパソコンを操作して、会場の大スクリーンの映像を切り替える。そこに映し出されたのは、哲也の診断書。続いて、毎月の検査記録も映し出していく。回復不可能という事実が、残酷なまでに明記されていた。この確実な証拠は、哲也を打ちのめすには十分だった。あまりのショックに哲也は膝を震わせ、唇をわななかせることしかできなかった。この状況を見た萌香は、同情など微塵も見せず、さらに興奮して罵倒を続ける。「自業自得ね!この嘘つき!あなた、私を抱くときはいつも姉さんの名前を呼んでたよね?気持ち悪い!こんなことになって当然よ!」それを皮切りに、会場からは罵声が上がり、怒りをあらわにした観衆が二人の方へとなだれ込んでいった。取り囲まれた二人は乱闘騒ぎの中で、駆けつけた警官たちに強制的に連行された。拘留中、哲也は弁護士を通じて何度も私に面会を求めてきたが、私は全て無視した。
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