All Chapters of 最強無敵のお嬢様、魔剣の執事とポストアポカリプスを往く: Chapter 1 - Chapter 10

34 Chapters

第1話 壮大なプロローグですのよ

 西暦2076年、人類の97%が死滅した。 原因は2073年に始まる世界――否、宇宙的な異変である。 わずかな時間を尽くした学者の研究によれば、複数の並行宇宙が衝突したのだと云う。 地球全体を震度7クラスの地震が襲い、倒壊した街を津波が飲み込み、破局噴火が相次ぎ、ある山は底も見えぬ穴に変わり、ある海は干上がって塩にきらめく砂底を晒した。麦畑は焼け、水田はひび割れ、畑は砂塵に覆われ、人々は銃を取り、ミサイルは煙を引き、原発は放射性廃棄物を撒き散らし、人工衛星は次々と流れ星に姿を変えた。 天を見上げればもはや星座は意味をなさず、増えた月が玉突き事故を起こして砕け、太陽はまだらに輝き、かつて太陽系と呼ばれた惑星群は数も軌道もわからなくなった。 それだけではない。 何処から湧き出した異形の群れが、生き残りを襲った。 半透明の不定形生物が少女を絡め取り、窒息死させた。 緑色の肌の矮人が、欠けた包丁を少年に振り下ろした。 巨躯を誇る大鬼が電柱を引き抜き、青年を叩き潰した。 青褪めた貴公子が微笑むと、淑女は恍惚に血を捧げた。 老いを知らぬ種族が老人を嘲笑い、木々の糧に変えた。 酔いどれの髭面が操る兵器が、誰も彼もを肉片にした。 皮の翼が空を支配し、灼熱の吐息が街を灰燼に沈めた。 それだけではない。 混沌。 混沌としか形容しようのない何かが、世界を蝕んだ。 それは人間も、人間でないものも、粘体生物も、緑肌矮人も、食人巨鬼も、吸精鬼も、古樹族も、奈落鍛冶も、飛天鱗甲でさえもおかまいなしだった。 それはあらゆる存在にとって、等しく災厄だった。 それに対抗するために、あらゆる種族が手を結んだ。 先頭に立ったのは、最も脆弱と思われた人間。 種族人間の中でも脆弱と思われる、たった一人の少女だった。 少女には、魔剣が託された。 不燃の粘体生物が炉を象り、古樹族が世界樹の薪を焚べ、飛天鱗甲がふいごに吐息を注ぎ、奈落鍛冶の槌が鍛え、|緑肌矮人《
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第2話 酒場女の苦悩ですのよ

 竜鱗の裔の街区は、人間には住みづらい。 迷宮都市ラビリントゥムには様々な種族が集まっているが、珈琲にミルクを溶かしたように均一なわけではない。むしろ生クリームを浮かべたように、くっきりと層が分かれている。 それは種族間の対立感情が原因のこともあれば、シンプルに利便性から来るものもある。たとえば緑肌矮人と食人巨鬼では身長が3倍以上違う。これでは一緒に暮らす方が難しい。 竜鱗の裔の場合は前者の理由だ。対立感情というか、選民意識と言った方がより正確である。千年前の大崩壊時、世界が混沌に墜ちるのを防いだ飛天鱗甲の眷属の血を継いだ末裔であるという意識がそうさせる。 正直、「遠い親戚に偉い人がいる」といったレベルの迂遠さである気もするが、他の種族も多かれ少なかれ同じような意識を持っていることも否めない。粘体生物はご先祖様が混沌を消化したと云うし、奈落鍛冶なら大帝国時代の秘宝が火を吹いたのだと云う。まあ、民族意識とはそういうものだろう。 とはいえ、他種族ならば表向きには御伽噺として秘めた誇りとしているものを、竜鱗の裔があからさまに誇るのには歴とした理由がある。 それは、種族的に強靭であることだ。 その鱗は小口径の銃弾ならば弾き返すし、その身にこもった魔素はちょっとした魔術や呪詛なら寄せ付けない。魔術の行使こそ苦手だが、膂力に優れ、炎や氷や酸の吐息は闘争の用に十分な威力を持つ。そして、何より翼だ。主要種族の中で唯一、魔術や道具の力を借りずに空を飛べるという特長は、何よりも彼らの自信を裏打ちしていた。 そういう傲慢な性質を持つ竜鱗の裔の街区の外れ。 巡察官の監視が及ばぬスラムに踏み入るぎりぎり手前。 飛竜の巣穴亭と云う、一軒の酒場があった。(はあ、やっぱりこんなところで店をやるんじゃなかったかな……) 人間の女だった。店の女主人であり、名をラスティと云う。 竜鱗の裔の酔いどれどもが、ガラガラと喉を鳴らして浮かれ騒ぐ店内を、食べ散らかしを踏み、吐瀉物に足を取られながら、忙しく駆け回っていた。「おい、鱗なし! 酒が遅えぞ!」「す
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第3話 ごきげんよう、はじめましてトカゲ様

(な、何この人たち……)「な、なんだこいつら……」 それは、ラスティと竜鱗の裔たちの心がひとつになった初めての瞬間だったかもしれない。あまりにも場違いな二人組に、酒場中の視線が吸い寄せられていた。それは庶民が豪奢な天吊燭台に見惚れるようなものか、あるいは光に誘われる飛蛾のようなものなのか。「女将、ビル・オブ・フェアを頼む」「び、びる……? そんな料理はうちには……」「失礼。メニューブック、品書き、献立表だ。分かる単語はあるか?」「あ、品書きならそこに……」 少女の斜め後ろに端然と佇むセバス青年。 ラスティは問われるがまま、壁の黒板に指を向ける。 用意できるメニューはその日その日の仕入れ次第で変わるので、蝋石で毎日書き換えているのだ。飲み物はビールと葡萄酒、真水の三種しかないため、そちらは木札に墨で書きつけている。「ほう、スペシャルボードのみとは思いもよらずこだわりがあるようだ。――お嬢様、あちらが品書きにございます。お気に召すものはございますか?」「いいえ、わからないわ、セバス。だって、ぜんぶ知らない文字ですもの」 セバスの問いかけに、少女は可憐なおとがいを左右に振る。 それに合わせて、ドリルヘアーもびよんびよんとゆっくり上下する。(いいところのお嬢様みたいなのに、大陸公用語が読めないの?) 少女の言葉に、ラスティは違和感をおぼえる。 上流階級において、大陸公用語は実用重視の野卑な言語とされるが、それでも学ばないということはありえない。ひょっとしたらこのお嬢様は――「わからないから、ぜんぶ注文してちょうだい。わたくし、こういうお店は初めてだから、ぜんぶ気になりますの」「かしこまりました、お嬢様。女将、品書きものをすべて頼む」 ――ものすごい世間知らずのバカなのかもしれない。いや、たぶんバカなんだ。 少女の美しい顔に浮かぶ、脳天気な(これでも精一杯好意的な表現で。実際のところ、ほとんど呆けたような)表情を見て、ラスティは確信した。これはひさびさの上客かもしれない。常連になることはないだろうが、無銭飲食上等の竜鱗の裔どもなんかよりよっぽどマシだ。ここは腕によりをかけて料理を振る舞おう。ついでに裏メニューと称して品書きにないものも追加してしまおうか。「おい、鱗な
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第4話 セバス、おかわりがほしいわ

 まるで自動幻画でも観ているかのようだった。 酒場の切り盛りに忙しいラスティだが、息抜きに幻画館に足を運んだことぐらいはある。 幻画のタイトルはなんと言ったか――『燃えよ竜鱗の裔』だったか、『竜鱗の裔危機一髪』だったか、あの頃は少しでも竜鱗街の文化に馴染もうとして、竜鱗の裔が出演する幻画をよく観ていた。 竜鱗の裔の美醜はよくわからないが、幻画の俳優は格好良かった。徒党を組んで襲い来る悪党どもを、主演の俳優が無手でばったばったとなぎ倒すのだ。降りかかる青竜刀を片手で払ってカウンターの肘を入れ、切り詰め散弾銃を蹴り飛ばして隣の男の顔面を潰し、殴りかかった凶器の椅子を掌底で破砕、炎の吐息をかいくぐって地を掃くような足払い、背後から掴みかかる腕を捕らえて風車のように投げ飛ばし、テーブルが食器とともに砕け、床板に大穴が空き、壁が崩れ落ち――「ハッ!?」 我に返ったとき、眼前に広がっていたのは廃墟だった。 客席に原型を留めているものはほとんどなく、壁は風通しが随分よくなって、貧弱な柱が頼りない姿を剥き出しにしている。スイングドアは片方がどこかに失くなって、片方が半分になっている。路地から吹き込んだ風が、かろうじて壁にぶら下がっていたイルカの平版画を揺らし、がちゃんと床に落とした。 竜巻の直撃でも受けたかのような有り様。 あちこちから苦しげな呻き声。助けを乞う声も上がる。 トカゲに先祖返りしたかのような四つん這いで逃げ出す者もちらほら。 惨状の中で唯一、原型を留めている場所があって、「セバス、喉が渇いてしまったわ。飲み物はまだかしら?」「これは気が付かず失礼を致しました。女将、すまないが飲み物だけでも急いでくれ」「はっ、はい!?」 ラスティは何も考えられないまま、弾かれるように厨房に入り(こちらは奇跡的に無傷だった)、ジョッキにビールをなみなみ注いで(こんなときでも泡と液体のバランスは完璧だ)、少女のテーブルにことりと置いた。 少女は碧い瞳を見開き、それをまじまじと覗いて、「セバス、これはどうやって飲めばいいのかしら?」「お調べいたします、お嬢様。女将、お嬢様に飲み方の作法をお教えしてくれ」「えっ!? 
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第5話 広がった赤

 あれからしばらくした。 ラスティの店――飛竜の巣穴亭は黄色い声で満ちていた。 客の種族は多様で、人間の中でも裕福な者を筆頭に、新古樹族、奈落鍛冶、緑肌矮人、果ては巨体の食人巨鬼までもが身を縮こめて小さな椅子に尻を収めている。「セバスさ~ん、また会いに来ちゃった♡」「おかえりなさいませ、お嬢様。私もお嬢様に会えて幸いですよ」「セバスく~ん、紅茶のおかわりくださ~い♡」「かしこまりました、お嬢様。どうぞごゆっくりおくつろぎください」「あーん、セバス様~♡ クッキーが固くて割れないの~。ぴえんだよ~」「少々お待ちくださいませ、お嬢様。割って差し上げますね」 ひょんなことから従業員を二人抱えることになったわけだが、そのうちのひとりであるセバスという青年は今日もウェイターとしてフロアを歩き回っている。決して駆けたりはせず、なんなら優雅にさえ見えるのに、恐ろしく対応が速いものだから魔法でも見せられているような気分になってくる。 しかし、あまりの盛況にセバスだけでは接客の手が足りない。ラスティ自身も忙しく働いているのだが――「こっちも紅茶おかわりくださ~い♡」「はーい、ただいまー」「ちっ、おばんはお呼びじゃねえんだよ」「は?」 新古樹族の暴言に、ラスティのこめかみがぴくりと跳ねる。 なんだよ「おばん」って。今日日「おばん」なんて言わねえだろ。おまえこそ「おばん」じゃないのか。そもそもこっちはまだ20代だ、ギリギリだけど。客だと思って甘い顔してると思ったら怪我すんぞこの野郎。 なんて内心は飲み込んで「すみませんねえ。うちは指名とかそういうのないんでえ」と愛想笑いを浮かべながら紅茶のおかわりを注ぐ。おいこら舌打ち聞こえてんぞ露骨なんだよ不老だけが取り柄の新古樹族が。 一旦、厨房に戻って客席に背を向けて、(どうしてこうなった……) はああ、と若干深めのため息をつく。 いや、原因はわかりきっているのだ。 多様な種族で構成される客たちの唯一の共通点は性別である。 全員が、女なのだ。 彼女らの目当ては明白で、給仕に勤しむセバスである。 先日は文字通りバタバタして(これでも生易しすぎる表現だが)気にする余裕もなかっ
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第6話 ペルシア風の名前ですのよ

 ヴァズラ・スルクズィールは赤鱗党の頭目だ。 竜鱗の裔ばかりで構成された盗賊団で、五年ほど前までこの迷宮都市ラビリントゥムで悪名を轟かせていた。 しかし、ある仕事をきっかけに星教団の大物と敵対してしまい、迷宮都市を挙げてのお尋ね者となってしまった。いかに強力な一党を率いているとはいえ、国家レベルの武力には敵わない。盗賊とは逃げ足もその実力の内である。スルクズィールはラビリントゥムを逃れ、ほとぼりが冷めるまで自由都市連合に潜伏した。 自由都市連合の政体は複雑怪奇で、いつも身内で争っていると思えば、外敵が現れると一丸となって反抗したりする。連合を称してはいるものの統一された外交チャネルは存在しないと言ってよく(一応、連合名義での大使館が各国に存在してはいるのだが)、犯罪人引渡し条約の締結など夢のまた夢、汎国家刑事警察機構の捜査権すら及ばない。 まあ、要するに国家ぐるみで犯罪者御用達の潜伏先なのである。 5年ほどして、スルクズィールは帰ってきた。 別にラビリントゥムに特別な愛着があったわけではない。 ただ、やりかけの仕事を済ませに来たのだ。 その仕事とは、王墓の盗掘である。ラビリントゥムの郊外には、王家代々の墓があるのだ。大崩壊以前の古代遺跡を造営し直したものだという。二十代余り続いた王たちの副葬品はもちろん、秘蔵の遺物も眠っているらしい。 ――王家に不当に囲われた美女の寝室を、指をくわえて見ているだけなど、盗賊の一分が立たない。 スルクズィールは気取った言い回しで王墓を狙う理由を語ったが、本音は金銀財宝を欲しているだけである。まあ、そのついでに竜鱗の裔でもないのに偉そうに君臨している王家の鼻を明かしてやれるのは爽快だが。こういう名目を立ててやると、一党の士気が高まるという狙いもある。 手口は決まっている。 王墓の地下には、大崩壊時代に作られた地下通路が無数に走っていることを知ったのだ。おそらく、元々は要人が籠もる要塞か何かだったのだろう。緊急時の脱出用に作られたと思われる通路は、10km以上先まで広がっている。なお、この情報をもたらした情報屋は迷宮で怪物の餌となった。情報とは独占してこそ価値がある。 その通路の一本が、竜鱗街に伸びていた。 本来、地下深く
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第7話 さあ、闘争《踊》りましょう?

「鱗なしがァァァアアアッ!」 計画を乱されたスルクズィールが、激昂のままにミニガンを乱射する。 特大のミシン目が床板を走り、階段を這い上がり、傷ついた手下を穴だらけにして、黒い人間――たしか名前はセバスと言ったか――に迫る。 しかし、そこに蜂の巣となるべき目標はいない。 ダダンッ 何かを叩くような音が連続して響いた。 壁、天井、スルクズィールは咄嗟に振り返ろうとするが、重いミニガンが暴れて動作が遅れる。「グゲぁっ」「ごブっ」「フぐっ」 立て続けに低い苦鳴。 ようやく振り返った頃には、3人の部下が地に這っていた。 それを踏みつけ、端然と立つのは黒い人間。「曲芸師かよォ!」 スルクズィールも歴戦である。 すでに何が起きたか把握していた。 黒い人間は壁を蹴り、天井を跳んで、立体的な軌道で鋼鉄の暴虐から逃れていたのだ。 だが、ネタが割れても弾は当たらない。 スルクズィールの銃口よりも、黒い人間の方が速い。 酒場に穴を増やしているうちに、一人、また一人と部下が倒れていく。 最後の一人が倒されて――「チィッ!」 舌打ちとともにミニガンを捨てる。 ヴァズラ・スルクズィールとあろう者が、火力に酔っていた。 腰の剣帯から、左右の手で二振りの山刀を引き抜く。 半透明の刀身が、無数に空いた壁の弾痕から差す月光を浴びて琥珀色に煌めく。 大崩壊をも生き延びたという老大島亀の甲羅の削り出し。奈落鍛冶の石工が鏨を叩き、緑肌矮人の祈祷師が呪詛で仕上げたこの世に二つとない逸品。スルクズィールが赤鱗党を継いだとき、ぶち殺した先代が愛用していた宝剣。「シャッ!」 重荷を捨てたスルクズィールの巨躯が、赤錆色の砲弾と化す。 黒い人間の白い首を刈り取るべく交差。二枚の刃が黒髪をぱっと散らす。仰け反りかわしたセバスからスクラズィールの顎を跳ね上げる蹴り。腕を下げての十字受け。衝撃。重い。が、スルクズィールの剛腕には及ばない。片腕で蹴り足を払い、もう片腕は胴を狙って山刀を振り下ろす。セバスが素早く体をひねる。琥珀色の刃がテールコートの裾をかすめる。セバスは回転の勢いのまま
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第8話 舞踏会は終わりましたの(EP.1完)

「な、なんだてめえは……」 スルクズィールの声が震えていた。 少女の容姿に、脅威を感じる要素は皆無である。人間としても小柄な身体。首も手足も腰周りさえも、指先で手折れそうなほどか弱く、華奢を通り過ぎて繊細だ。 ただ1点、見た目の通りであれば、大剣とそれを操る膂力は脅威かもしれない。しかし、大剣の正体が粘体生物の一種、擬態族だと考えれば腹に落ちる。細腕では到底支えられようはずもない重量も、浮遊魔術や軽量化魔術を応用すれば羽毛より軽くできる。 そういうことでは、ないのだ。 スクラズィールには、少女が天に聳える銀嶺に見えた。 急峻を駆け下る氷風に晒されているかのように心が凍えていた。 油断をすると、手が震えて山刀を取り落としそうになる。それどころか膝が笑って、立ってさえいられなくなる気さえする。あるいは伝説の飛天鱗甲が一柱、氷雪嵐神と対峙すればこんな気分になるのかもしれない。すぐさまひれ伏し、許しを請いたくなるほどのプレッシャー。 スルクズィールは己でも知らぬ間に、舌を激しく出し入れしていた。竜鱗の裔に汗腺はない。舌の出し入れは人間でいう発汗現象。すなわち、百戦錬磨の大盗賊が、か弱い少女の前にして滝のような冷や汗をかいているということ。「馬鹿なッ!」 己の舌の動きに気付いたスルクズィールが吐き捨てる。 そんな馬鹿げた話があるか。このヴァズラ・スルクズィールが人間の、しかも小娘如きに。何かの詐術に違いない。新古樹族の魔法薬か、あるいは緑肌矮人の小賢しい呪具か。何かそういうたぐいのイカサマだ。この俺様が、このヴァズラ・スルクズィール様が、人間などに気圧されてなどなるものか!「おォおオおォォぉおおオ!」 絶叫。 そして、少女に向けて山刀を構える。 威嚇なのか、あるいは虚勢か。双刀を剣舞のように激しく振り回し――琥珀色の閃きが二条、少女に伸びた。柄に隠していた仕掛けを使い、刀身を発射したのだ。これもまた、スルクズィールの切り札だった。 だが、少女の表情は揺るがない
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第9話 「こんばんは。オーガー様」ですの

 食人巨鬼は人を食う。 言うまでもない常識だが、では食人巨鬼の食う「人」とは何なのか、あなたは答えられるだろうか? まず、迷宮都市ラビリントゥムも加盟する統一王国での基準を見てみよう。 王国法では、広義の八大種族(粘体生物、新古樹族、竜鱗の裔、奈落鍛冶、緑肌矮人、食人巨鬼、吸精鬼、それに人間)が「人」とされている。これは星教団大乗派の主張に沿ったもので、大崩壊の際に混沌と戦った諸種族であり、これに異論を唱える者は多くない。粘体生物を除けば概ね形も似通っており、直感的にも納得しやすいところだ。 しかし、これに他の少数種族を加えると線引があやふやになってくる。 たとえば牛頭鬼は形こそほぼ「人」であるが、凶暴で知能が低く、言葉もほとんど通じない。仮に彼らを人として扱ったところで、彼ら自身はその意味を理解できないだろう。せいぜい、布告に向かった法務官を美味しいおやつと認識するだけだ。 他方、同じ獣頭種族でも犬頭族は知能が高い上に愛想もよく、広い地域で「人」として認められている。農村部は言うまでもなく、都市住民であっても、露店で犬頭族の行商の世話になったことの一度や二度はあるだろう。 では、翼腕鳥人や人胴馬体、有腕魚鱗、二足蟻、喋蝦蛄などはどうか。まず形からして「人」かどうかが議論の俎上に上りつつ、知性については「人」と交流が可能であり、また彼ら独自の社会と文化も持つ。かといって生活を共にできるかと言えばそれはまた別の話で、違いすぎる価値観、生活習慣を考えると決して愉快な隣人とは言い切れない。そのため、これらの種族は地域によって「人」であったりなかったりと扱いが様々だ。 では、ここで冒頭の問いに戻ろう。 食人巨鬼の食う「人」とは何か。 答えはこうなる。 ――時と場所と状況による 意地悪問題のようだが、他に答えようがないのだ。 迷宮都市ラビリントゥムでも事情は同じで、基本は王国法に則りつつ、評議会が実情に合わせ、領法により「人」の範囲を調整して
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第10話 お友だちを弔いにまいりしたの

「こ、こんばんひゃ……?」 あまりにも唐突な登場に、イスグングゲズィは頓狂な声で挨拶を返してしまった。こんなところに人間の少女? もしかして不浄霊? いや、両足がきちんとあるし身体も透けていない。「わたくし、ホウオウイン・レイカと申しますの」 呆けたイスグングゲズィを尻目に、人間の少女はバケツを置くと、スカートの裾をちょこんとつまんで膝をわずかに折り曲げた。なんと言ったか、貴族やいいとこのご令嬢がやる挨拶だ。いつだったか、幻画で見たことがあるぞ。『食人巨鬼の休日』で王女様がやっていた。そう、カーテシー。「…………」 少女の碧い瞳が、じっとこちらを見つめている。 月光を返すその瞳は、まるで大粒の紫水晶のようだ。その瞳にじーーーっと見つめられて、だんだん居心地が悪くなってきて、しまいには冷や汗までかいてきた。どうしてこの少女は俺をずっと眺めているのだろう。あっ、もしかして。「お、俺はイスグングゲズィだ。英雄マコマの魂を継ぎ、今代のヌ=エンドを振るう者!」 なぜか胸を張り、ヌ=エンド(自称)を掲げてしまう。 それはいつか謝肉派の寺院で見た英雄マコマの肖像と同じポーズである。 幻画を連想したことで、芝居がかった気分になっていたのかもしれない。「まあ! イスグングゲズィ様、よろしくお願いいたしますの! マコマ様のお知り合いでいらっしゃるのね! とってもお懐かしいですわ!」「へっ? ま、まあ知り合いっちゃ知り合いなのかな……」 わけのわからないことを言う少女だが、自分もわけのわからない名乗りをしたものだから強く言い返すわけにもいかない。マコマは千年前の英雄である。少女がマコマの知り合いのはずがなく、たぶん誰か別の食人巨鬼と取り違えているのだろう。 では、こっちはどうなんだと言えば、イスグングゲズィはもちろんマコマを知っているし(伝聞だが)、謝肉派の教えでは祖霊は子孫たちを等しく見守っているというから、マコマの方もイスグングゲズィを知っているということになる。よって、知り合いと言っても嘘ではないはずだ。うん、嘘ではない。「それで、ええっと……お嬢ちゃんは何しにここに来たんだい?」 少し余裕を取り戻し、純粋な好奇心から少女の用件を尋ねる。共同墓地は、|人間《ヒ
last updateLast Updated : 2026-07-03
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