All Chapters of 最強無敵のお嬢様、魔剣の執事とポストアポカリプスを往く: Chapter 21 - Chapter 30

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第21話 わたくしは幽霊ではございませんの

 遺跡荒らしという職がある。 屍肉食とはひどい言われようだが、古代文明の遺した屍体を食い扶持にしているのだから、これほどぴったりの呼び名もないだろう。 遺跡荒らしは、迷宮探索者に次ぐラビリントゥムの花形だ。混沌との決戦の地とされるラビリントゥム周辺は、その際に建設された砦や要塞の遺跡がいくつも残されている。最も有名なのは統一王国の王墓だろう。郊外にある統一王家代々の墓は、古代の要塞跡を修築したものであり、その始まりから数えれば千年以上の歴史の重みを抱えている。 異説もあれど、地下に拡がる大構造が混沌由来。周辺に点在する遺跡も混沌に対抗すべく作られたものが大部分。迷宮都市ラビリントゥムは、成り立ちから言えば「混沌都市」とでも云うべき街でもあった。 そのラビリントゥムを臨む丘のひとつ。 先日の地震で地崩れを起こし、赤茶けた断面を晒している。 そこに群がる人々がいた。食人巨鬼、竜鱗の裔、新古樹族、奈落鍛冶に緑肌矮人と種族は雑多だ。屍肉食の徒党だろう。地崩れで出来た崖には直線的な構造物が露出しており、そこに古代遺跡が眠っていることは明らかだった。 その一団にひとり、毛色の違う者がいる。 形は大雑把に言えば人間の女。しかし、学帽の下の肌色は一定せず、さざめく水面のように色が変わる。紫紺の長衣の襟や裾から伸びた半透明の触手が書物や紙束を抱え、また別の触手が万年筆を握って何かをしきりに書きつけている。 粘体生物の学者だった。 それ自体は珍しいことでもない。この種族には文字や記録に執着する者が多く、自然、学問や研究を生業にする者も増える。本来は不定形の生物なのだが、その嗜好ゆえに好んで人型を模す。多くの書物や筆記具は人型種族向けに作られているからだ。しかし、肉体的にはそれほど強靭ではなく、危険を伴う実地調査に赴く者は稀であった。「リンネ先生、また掘り出してきやしたが、お宝はありやすか?」 牛飼い帽を被った緑肌矮人の男がひとり、猫車を押してやってきた。リンネと呼ばれた|
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第22話 シルバーはとっても優しいワンちゃんですの

「はあ、ホウオウイン・レイカさん? 申し訳ないけど、僕と面識はないよね? 誰かの紹介かい?」 なんだ、不浄霊ではなかったのか。 若干の不満を滲ませつつ、面識の有無を尋ねる。エントランスの柱時計の短針は深夜零時を回っている。こんな時間に知り合いでもない相手の家を訪ねるなど非常識にもほどがあるだろう。他種族の中には粘体生物と単細胞生物とを混同し、睡眠など不要だろうと誤解をしている不心得者もいるが、そんなことは決してない。リンネが宵っ張りなだけで、普通の粘体生物ならばこの時間には大抵眠りに就いている。「夜分に突然の訪問失礼を致しました。失礼は承知の上でお伺いしたゆえ、主人自らまずご挨拶をさせて頂いた次第です」 後ろに控えていた青年がずいと前に出る。 闇夜さえ吸い込むような黒髪に、上等な蝋のように白い肌、黒曜石を嵌め込んだような双眸をこちらに向け、胸に片手を添えて深々と頭を下げる。どうやらレイカと名乗った少女の従者らしい。「紹介は隣の街区の御婦人より頂戴致しました」「隣区の御婦人と言われても……」 候補が多すぎる。一時期、「領主府の方から来ました」と言って役人を騙る詐欺が横行したそうだが、それよりもひどい。「お名前は伺いそびれてしまいましたの。後日、改めてお礼をしたいと申し上げたのですが、そのまま急いで立ち去ってしまわれましたわ。とっても奥ゆかしい方でしたのね」 それは通りすがりというのではないか。 無邪気に微笑む少女の見ながら、リンネは思った。 ここまで来て、この深夜の訪問者たちは、精一杯好意的な表現をしても、だいぶ様子がおかしいことに気がついた。 まず、深夜にお嬢様風の人間が従者と歩いているのがおかしいし、百歩譲ってペットの散歩だとしても、今度はうちを訪ねてくるのがおかしい。目的は強盗くらいしか考えられないが、それなら玄関を開けた瞬間に襲いかかってくるだろうし、それ以前にこの華奢な青年と少女では誰でも簡単に返り討ちにできるだろう。 つまり、何が何やらさっぱりわからない。「ええっと、一応聞くけど、ご用件は……」 わからないことがあると、つい確かめずにいられないのがリンネの性分だった。危険はなさそうだし、これくらいは構わないだろう「シルバーが病気になってしまいましたの
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第23話 一宿の恩をお返ししますの!

「血液検査には時間がかかるから、結果は明日の朝まで待ってほしい。その間に何かあってもいけないから、シルバー君はうちで預かろうと思うんだけど、かまわないかな?」 と、嘘をつく。 シルバーなる巨狼をじっくり観察する時間がほしかった。 昔は嘘が苦手だったが、いまはすっかり得意になってしまった。いちいち研究の本当の狙いを話していてはスポンサーが見つからない。真の目的を隠しつつ、いかに自分の研究が相手の利益になるかというプレゼンを繰り返すうちに身についた技術である。「そうなのですね……」 レイカは不安げな表情でシルバーを見つめている。ペットの身が心配なのだろう。 リンネ自身は生物をそういう目で見たことはないが、ペットに家族のような愛着を持つ者がいることは知識として知っている。そして、それは幼い飼い主ほど発生しやすい。生まれて初めて見た生き物を親だと認識する生物がいるが、その逆もあるのだろう。経験による学習が少ないうちは、生物種としての帰属意識が希薄なのかもしれない。「夜も遅いし、君たちに支障がなければ屋根を貸すことくらいはできるけど」 ここでやっぱり連れ帰ると主張されても面倒だ。そう考えて、助け舟と見せかけてシルバーをここに残すよう誘導する。シルバーを置いて帰る、連れて帰るという二択に、一緒に泊まるという選択肢を加えてやった。単純に「連れて帰る」という選択肢を選ぶ確率が下がるし、初対面にもかかわらずここまで譲歩した相手の提案は断りづらいだろうという狙いもある。「泊まってよろしいんですの? それは助かりますわ!」「……ん?」 しかし、返ってきたのは予想外の反応だった。 少しは悩むと思ったのだが、それどころか満面の笑顔で快諾されてしまったのだ。さすがに従者が何か言うのではと思ったが、直立不動のまま何の反応もない。お嬢様の言うことは絶対、ということなのだろうか。(あるいは、従者の方も護衛なしで夜道を帰るのは不安だったのかな?) 一等市民街の治安は悪くはないが、それでも無防備に夜道を歩けるほどではない。最近も、謝肉街の議員宅が爆破される事件があったはずだ。犯人は捕まっておらず、捜査は難航しているらしい。テロなのか、怨恨なのか、強盗目的だったのかすら不明だ。「了解。それじゃ、この部屋は自由に使っていいよ。生憎、寝具の用意はないから勘弁してほしい。僕自身、
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第24話 クラゲは不老不死ですの?

 結論から言うと、仕事はものすごく捗った。 優秀な助手を十人まとめて雇ったくらいの効果はあっただろう。他人に任せられる雑事のたぐいはほとんど片付いてしまったくらいだ。 とくにセバスの働きが光受容細胞を見張った。 十人どころか十二人分くらいの仕事をしていたのではないだろうか。決して大慌てで動いているようには見えず、むしろ優雅なまでの所作を守っている。だが、なぜか仕事が猛烈に速い。幻画のトリック映像でも見せられているような気分になる。 では差分の二人分は何かというと、レイカが足を引っ張った分である。こちらの少女は一生懸命なのはわかるのだが、シャーレを持てば落としそうなり、書類にはインクをこぼしそうになり、なんなら何もない場所でも転びそうになる。それらすべてをセバスがカバーし、何事もなかったようにしているのだから大したものだ。 そして、気がつけば窓から燦々たる朝日が差し込んでいる。 あまりにも気持ちよく仕事が片付くものだから、調子に乗って朝まで手伝わせてしまったようだ。応接室に戻って茶を出しながら、(さすがにこれはまずかったか……) つい夢中になってしまっていたことを後悔する。 親切顔で泊めてやると言いながら、一睡もさせずに仕事を手伝わせてしまってはわけがわからない。事情を知らない他人が聞けば、むしろ悪辣とさえ思われかねないだろう。名誉や名声に興味はないが、あまり悪評が立つと本来の活動に影響を及ぼしかねない。ただでさえ異端審問官が目を光らせているのだ。些細なことでも悪目立ちはしたくなかった。「おうちの方に連絡をしなくて大丈夫かな? 今から使いを出すこともできるけど」 とりあえず、警戒すべきはレイカの実家である。若い娘を一晩泊めて仕事をさせていたなど、親が聞けば激怒するかもしれない。従者が何も言わないのだから外泊は公認なのだろうが、その中身が問題だ。連絡だけでも早めにしておけば、悪印象を和らげられる。 リンネは使用人を雇っていないが、この時間になれば近隣の屋敷から借りられる。通いの使用人を捕まえて、いくらか小遣いを渡せば使い走りくらいは喜んで引き受けてくれるのだ。そうやって雑用を頼んだことは何度もあり、雇い主にもあらかじめ了解を得ていた。「おうちはありませんから大丈夫ですの!」「は?」 しかし、レイカから返ってきた言葉に思わず間抜けな声を洩ら
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第25話 神学論争勃発ですの!

 星教団とは、大陸で――否、この世界でもっとも多くの信者を抱える宗教団体である。その教義は複雑怪奇で、教団の上級司祭でもなければその全容を把握できるものではない。しかし、一般的にはこの一点を覚えておけば十分だろう。 ――混沌を退けた神、そして神が遣わした勇者を崇拝する 大乗派、謝肉派、大渦派、竜鱗派、真樹派、呪怨派……など様々な教派に分かれる星教団だが、この一点だけは揺るがない。というより、もともと各種族で分かれていた信仰を無理矢理にまとめるための一点がこれだったのだ。そのため、教派によって信仰する神も勇者も異なる。粘体生物は原初と呼ばれる巨大な粘体生物を神としているし、竜鱗の裔であれば七柱の始祖竜を神としている。 だが、星教団中枢はこれをあえて正そうとはしない。世界に秩序をもたらすために別々の宗教を無理やりひとつにまとめたのだ。混沌は敵である。そして、勇者はそれに立ち向かう旗印である。それさえ共有できれば、あとはさしたる問題ではない。 しかし、いや、だからこそ、これを揺るがす思想――異端は絶対に許されない。それを取り締まる者こそが教団の異端審問官であり、いままさにリンネの屋敷を訪ねている者だった。「すみませんが、いまは仕事で忙しいんですがね。機嫌伺いと言うなら、このまま帰ってくれるのが一番僕の機嫌に寄与するのだけれど」「ははは、長居は致しませぬからご安心を」 異端審問官は扉の隙間に細い体を滑り込ませるようにして入ってくる。無理やり押し留めたりはできない。嫌味を言うくらいならともかく(それもまっとうな神経の者ならやらないが)、下手にその行動を止めればどんな難癖をつけられるかわからない。「おや、何やらかぐわしい香りが致しますな。焼き菓子ですか?」 異端審問官は僧服のフードをめくって日焼けと無縁の青白い顔をあらわにする。くすんだオリーブ色の髪、切れ長の瞳、そして笹の葉のように尖った長い耳。新古樹族だ。真樹派の高司祭にして異端審問官アルドール。リンネにとっては大敵である。「こんにちは、お客様。スコーンを焼いたところですのよ」 背後から声が聞こえて、慌てて振り返る。 そこにはシルバーを連れたレイカが立っていた。「ほほう、これはこれは可愛らしいお嬢さんだ。それに立派なワンちゃんも。初
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第26話 リンネ先生の歴史学講義ですの!

 かつて、僕たち粘体生物は知性を持っていなかった。 あるいは自我と言い換えてもかまわない。 とある宇宙のとある惑星で繁栄した巨大な原生生物の一種――それが粘体生物の祖先だった。おそらくだけど、その惑星は僕らばかりで埋め尽くされた単一生物相に近い状態だったんじゃないかって想像してる。なんというか、理性を持たない僕らは他種との共存がちょっと難しいと思うからね。 周りはお仲間だらけで、思考らしい思考もせず、ただ環境に適応して生きているだけの安逸な日々――それが変わったのが大崩壊だ。 大崩壊では少なくとも十以上の異なる宇宙が衝突し、融合したと考えられている。もちろん、我らが祖先の母星も例外じゃなく、いま僕らがいるこの惑星と衝突した。そのおかげで、とある宇宙のとある惑星の固有生命が、別の宇宙の別の惑星に接触できたってわけだね。 大崩壊の原因? それがわかったら王立大学院から金象牙の万年筆をもらえるよ。何かアイデアがあるならぜひ研究してみるといい。今まで誰も解き明かせなかったテーマだけどね。 さて、話を戻すと大崩壊の発生まで文字通りの単細胞だった僕たち粘体生物がなぜ知性を得られたのか。それは混沌が原因だと僕は考えている。粘体生物間ではほぼ定説ではあるんだけど、一部には反論があるね。(と、ちらりとアルドールに顔を向ける) では、なぜ混沌が僕らに知性をもたらしたと言えるのか。 その話をするためには、混沌の性質を理解しないといけない。 千年前、複数の宇宙がくっついたこの世界を丸ごと滅ぼしかけた混沌とは何だったのか――その正体は、一言で表せば「すべてを混ぜ合わせ、ひとつにしようとする力」だと言える。混沌自体に意思はあったのか、嵐や地震のような単なる自然現象に過ぎないのか、それについては議論が分かれている。僕自身はあまり関心がないかな。それが白痴であれ邪悪であれ、引き起こす現象に違いはないんだから。 混沌が混ぜ合わせる対象は物質はもちろんのこと、物理法則、魔術法則、情報的な概念まで何でもありだ。科学的にも魔術的にもありえない現象がいくつも起きた。一番大きなものを言えば、この世界が丸ごと崩壊しなかったのも混沌の融合作用のおかげだと言える。 えっ、大崩壊は混沌が原因だったのに、崩壊を阻止したのが混沌だなんておかし
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第27話 真夜中の訪問者ですの

 アルドールの訪問から数日後。 深夜、リンネは一人で書き物仕事を進めていた。レイカたちが深夜の作業を手伝ったのは初日だけだ。あの日は「シルバーの診察の礼」という名目で例外だったが、本来は夜更かしは許さない方針らしい。昼夜逆転気味のリンネとは、微妙に生活サイクルがズレている。 窓に下ろした鎧戸が、こつこつと音を鳴らした。 誰かが小石でもぶつけているらしい。そして、リンネの屋敷へそんなことをする者は彼ら以外に考えられない。 小さくため息を吐き、鎧戸を引き上げる。手元を照らしていた魔術灯の燭台を揺らして合図をする。窓の下にいた人影が玄関の方へ向かっていくのが見えた。 燭台を手にしたまま階下に降りて玄関戸を開けると、そこには黒いフード付き長衣をまとった人間の男がいた。歳は壮年。口元に蓄えた髭には白いものが目立つ。「おお、同志リンネ。九死に一生を得ましたぞ。同志がご無事でよかった」「何かあったのですか?」 皺深い顔に悲壮感を漂わせる男に、リンネは尋ねる。 どうやら面倒なことになったらしい。「教団に勘付かれました。隠れ家に異端審問官が踏み込み、なんとか逃れられたのは私だけという始末で……」 他種族と同じく表情筋が備わっていたなら、さぞ渋い顔をしていただろう。同志などとは呼ばれているが、彼ら「再臨派」と運命を共にするつもりなどさらさらないからだ。 さあどうするか。追い返すのは簡単だが、騒がれたら不味い。大人しく帰ってくれたとしても、捕縛されればリンネの名前が洩れるだろう。そんな事態は避けなければならない。「それは一大事だ。イワナガさん、あなただけでも逃れられたのは不幸中の幸いだ。ささ、中へ。ここでは人目につきます」「かたじけない……。ああ、勇者様、感謝致します」 イワナガが首から吊るした聖印を握りしめてつぶやく祈りの言葉を、苦々しく思いながらも聞き流す。存在しない勇者になど祈って何になる。この場で感謝をするなら僕にだろう。まあ、感謝などされたところで、まともに応えるつもりもないのだが。「客人を泊めておりますので、どうぞお静かに」「はい……」 小声で注意をし、地下室へと連れて行く。 厳重な鉄扉に顔を明るくしたと思えば、内部に満ちる怪物たちの吼声に色を失う。まったく、忙しいことだ。「こ、ここは一体……
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第28話 異端審問官もつらいよ、ですの

 アルドール=ヴァル・クリュサノールは、星教団の第三階梯司祭にして異端審問官だ。 元々は新古樹族らしく真樹派に籍を置いていたが、今は教派を名乗っていない。それがアルドールの昇階に際しての条件であり、異端審問官には必ず求められるからだ。 異端審問官の権限は絶大だ。 異端の捜査にあたっては、教団に所属する兵の動員、拷問を含む被疑者への尋問、異端認定をしたならば現場での刑執行すら許される。暴走を防ぐために、異端審問官の行動の是非を問う査問会も存在する。だが、それは事後的なものであって、審問官の行動を直接止める権限は同格以上の司祭にしか存在しない。世俗の権力からは完全に切り離されており、領主府の役人程度では口出しも難しい。 それゆえに、異端審問官は無私でなければならない。 俗欲は元より、信仰についても偏りは許されない。異端審問官が特定の教派に肩入れすれば、教団の団結に罅を入れかねないからだ。異端審問官が持つべき信仰は唯一つ。神と神の遣わした勇者にのみ捧げられる。それは絶対的なものであり、正体について思索を巡らすことすら信仰への疑義と解釈される。 世間に対し、このあり方が理解されているとは到底言えないだろう。 異端審問官のことは、教団への不平不満を漏らそうものなら、ほんの些細な軽口であっても懲罰に来る存在だと漠然と思っている者がほとんどだ。だが、実際にはそんなことはない。教派間の教えは無数の矛盾を抱えており、ある教派では忌避されることが、ある教派では推奨されているなど珍しくもないからだ。軽口程度に目くじらを立てていたら、教派間の争いの火種になりかねない。 異端審問官が敵視するのは、神と勇者を疑い、否定する者だけである。 そして、アルドールは今まさに神と勇者を疑い、否定する者の前に立っていた。「言え。貴様らの仲間はどこにいる。まだまだ隠れているんだろう」 真樹派教会地下に設けられた懺悔室。 鉄釘の先端を炎晶炉で炙りながら、アルドールは静かに問う。 金属製の椅子に手足を拘束された人間の女が、黒く乾いた血のこびりついた唇を震わせる。「……知りません。真の勇者を畏れぬ偽教者に話すことなど何もありません……」「偽教の徒は貴様らだろう」「きぁぁアああッ」 赤く熱した鉄釘を、異端者の手指の先に捩じ込む。爪を
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第29話 再臨の時が参りましたの

 数日後、公開処刑の日が訪れた。 アルドールが処刑対象に選んだ異端は三名。鉄釘を打ち込んだ女、それから七歳の子供と足の弱った老人。いずれも人間で、再臨派の中枢に迫る情報は持っていない末端の信者だ。だが、同胞の同情は存分に買えるだろう。 謝肉派寺院前の広場に設けられた処刑台に、三名が磔にされている。手足は針金でくくりつけられ、口には鉄の猿ぐつわ。余計なことを喋られないようにするため、ではない。罪状の読み上げと説教を邪魔されないようにしているだけである。「この者たちは聖なる教えを裏切り、混沌の甘言に心を囚われた。彼らは愚かにも神と神の遣わせし勇者を疑い、その永遠を否定し、神の慈悲を拒絶し続けたのである――」 新古樹族の公証人が罪状を読み上げ、広場に集った観衆にざわめきが拡がる。罪状に絡めて語られる説教に心を打たれたわけではない。「説教はいいから早く処刑をしろよ」と急かす声がほとんどだ。 場所柄もあって観衆の多くは食人巨鬼で、彼らは処刑そのものへの興味は薄く、執行後の食肉の施しを期待しているだけだ。罪人の埋葬は禁じられているため、「墓荒らし」という余計な一手間が挟まらない。滅多に手に入らない新鮮な人肉にありつく貴重な機会なのである。 その他には緑肌矮人、竜鱗の裔、新古樹族、次いで人間が多い。比率としては食人巨鬼ーを十とすると、他の三種族が一から二ずつと言ったところか。同種族ごとでなんとなく集まっているので数えやすい。「哀れな罪人たちの罪を清める舎利の配布を開始します。神の愛し子たちよ、ぜひ手を貸していただきたい。哀れな魂が死後に混沌に飲み込まれず、大樹の糧となって汚穢を浄化し、再び実を結ばんことを」 新古樹族の侍祭たちが募金箱を捧げ持って観衆の間を回る。刑の執行場所こそ謝肉派寺院の前だが、今日の仕切りは真樹派が中心となっていた。公証人の祈りの言葉が真樹派のものだったのもそのためである。 観衆たちは小銭を募金箱に入れ、代わりに小石と贖宥符を受け取る。贖宥符は教団への寄進と引き換えに手に入れられる紙製の護符で、所有する量に応じて現世での罪が減じられ
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第30話 テロが勃発しましたの

 広場で起きた異変を、リンネはじっと観察していた。もし眼球が備わっていたなら、その双眸は好奇心に爛々と輝いて見えただろう。 アルドールに招待されたのは想定外だった。公開処刑に立ち会わせることで捜査のきっかけを探ろうとしているものと思われたが、あえて乗ることにした。どうせ数日もすればイワナガが残してしまった証拠を嗅ぎつけられるだろう。いまさらその程度のことを恐れても仕方がない。 それに、どうせならこの実験を特等席で観察したかったし、多くの目撃者が得られるのもかえって好都合だった。「何が起こった!?」 アルドールが元から青白い顔をいっそう蒼白にしてこちらを振り返った。「さあ、勇者でも再臨したんじゃないですかね?」 肩を竦めてみせると、アルドールの額に血管が浮いた。「ふざけるなッ! 何か知っているんだろう! 正直に吐けッ!」 リンネのローブの襟を掴み、蒼白だった顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。粘体生物でもないのに器用に体色を変えることだ。もちろん、仕掛け人はリンネである。何が起こっているのか知っている。これから何が起こるのかも。結末までは観察しなければわからないが、だからこその実験である。「何のことやらさっぱり。それより、いいんですか?」「……くっ!」 眼下の阿鼻叫喚は続いている。赤い霧は範囲を広げ、異形の触手が周辺の人々を次々と捕らえ、霧の中に飲み込んでいる。「一体何なのだあれは……」 側近たちへ矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、アルドールがひとりごちる。(混沌の因子をせっせと抽出して集めたものだよ、って教えたらどんな顔をするかな) そんな好奇心が疼いてくるが、それをするには早すぎる。この場で拘束され、続きを観察できなくなってしまっては本末転倒だ。 イワナガに持たせたのは、高濃度の混沌の因子を溶かし込んだ液体を詰めた瓶である。内部にはナトリウム化合物を包んだガラス球を入れ、激しく振ると爆発する仕組みにしてあった。人混みに投げろとは言ったが、まさかこちらに振ってみせるとは思いもよらなかった。勇者再臨の儀式に殉じることを誇りたい気持ちでもあったのだろうか。(まあ、無事爆発もしたし、何でもいいんだけれど) 再臨派は、世に混沌が満ちれば再び勇者が降臨し、これを滅するのだと信じている。そのため、混沌の復活を目指すと称してあれこれと活
last updateLast Updated : 2026-07-03
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