All Chapters of 最強無敵のお嬢様、魔剣の執事とポストアポカリプスを往く: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話 オーガー様のお宅訪問ですの

「んひぃっ!?」 驚いて、尻餅をついてしまった。 闇の中に、ぬうっと白い顔が浮かび上がっていたからだ。 今度こそ幽霊か。 そう勘違いしてしまうほど、暗闇に浮き上がった顔は人間離れしていた。すっと筆でなぞったような鼻梁。わずかに色づいた薄い唇。月光よりもなお白い肌。そして、どこまでも吸い込まれそうな漆黒の瞳。 人間離れした美しさだった。 食人巨鬼の自分が、食欲よりも恐れを抱いてしまうほどに。「まったく、お嬢様に悪い虫が近寄らないよう見回っていれば、こんな大きな虫を見逃していたとは……。このセバス、一生の不覚。――貴様、何者だ。名を名乗れ」「い、イスグングゲズィ!」 反射的に自分の名を叫んで、イスグングゲズィは少しだけ我に返った。 幽霊ではない。これは正真正銘人間だ。初めは気が付かなかったが、近づいてきてわかった。黒髪と黒い執事服が闇に沈んでいて、見えなかっただけなのだ。目を凝らせば、透けてもいないし両足もある。「お嬢様のお手に触れようとするなど万死に値する」 しかし、窮地は去っていなかった。 元幽霊の人間は、底知れぬ殺気を放ちながら距離を詰めてくる。表情は澄ました真顔で、怒気など浮かべていないのだ。にもかかわらず、全身から冷たい圧力を放っている。 イスグングゲズィは尻餅をつきながら後退り、腰の鉄棒を探る。必死に手を動かすが、虚しく尻を叩くばかり。ああそうだ、さっき尻餅をついた時に放り出してしまったんだ。視界の端に、黒光りする鉄棒がちらりと光る。「待って、セバス。グング様は不逞の輩ではございませんわ」 鈴を転がすような声がして、元不浄霊――セバスと呼ばれた青年が足を止めた。ホウウィニが小さな両手についた泥を払いつつ、イスグングゲズィとセバスの間に立つ。尻餅をついてなお、その切削刃のような金髪は見下ろす高さで揺れていた。「しかしお嬢様、暗く人気のない場所で年端も行かぬ少女に声をかけ、あまつさえ連れ去ろうとするなど、アーカイブによれば『事案』と称された一大事にございます。一都市に丸ごと警戒が呼びかけられる危機レベルであったとか」「違うわセバス。声をかけたのはわたく
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第12話 オーガー様と同棲しますの

「セバス、ディナーの予定は何時だったかしら?」「少々お待ちくださいませ、お嬢様。――イスグングゲズィ殿、ディナー、晩餐、夕餉、夕食、夕飯、晩御飯、あるいは晩飯の用意はございますか」「えっ、あー、えっと、それは……」 いきなり単語を並べ立てられて一瞬パニックになりかける。 そんなに同じ意味の言葉を並べ立てなくったってわかるし、物知らずと思われているようで少し気分が悪い。実際、学校に通ったこともなく、物知らずではあるのだが。「ふむ、これらの言葉の意味がわからないのでしたら――」「わかる! わかるって! 晩飯だろう? ちょっとしたものなら作れるからさ、待っててよ」 また同じ意味の単語をまくし立てられてはたまらない。 他人を自宅に招待しておいて、ご馳走のひとつもしないというのは確かに行儀が悪いだろう――いや、本当にそうか? 地下室への梯子を下りながら、少しだけ冷静になる。 もともと食べるつもりで誘拐しようとしていたのに、その相手にご馳走をするんじゃ話があべこべじゃないか。 上開きの小型冷晶庫(といっても人間なら大家族向けのサイズ)を漁りながら考える。チーズと干し魚がある。ビールも冷えているし、これを炎晶炉で炙れば十分夜食に――そうじゃない。ホウウィニたちの扱いの方だ。 細かな経緯は予定とまったく違っていたが、大枠で言えば最初に計画したとおりに進んでいる。若く柔らかそうな人間を、人目につかずに家まで連れてこれたのだ。墓荒らしと行き逢いたがる者はいないため、自分たちがよく使う路地は自然と人気が遠ざかる。行き先が自分の家になった時点で、成功はほとんど約束されていた。 しかも、二人だ。 セバスとかいう青年も貧弱な人間に過ぎない。ホウウィニより(人間基準で)頭ひとつ大きいが、それでも自分に比べれば半分程度でしかない。線も細く、体重で言えば十倍以上違うのではないだろうか。 妙な流れで気圧されてしまったが、本来ならば相手にならない体格差だ。頭を掴んできゅっとひねれば簡単に頚がねじ切れるだろう。ビール樽の栓を抜く方が手こずりそうなくらいだ。 そう考えると、だんだん勇気が湧いてきた。 そして、考え方も大胆になってくる。 すぐ食べてしまうのは、もったいないのではないだろう
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第13話 変身! ビフォーアフターですのよ

「おはよう。グングさん」「ひゅぇっ!?」 ある日、買物のために家を出ると、いきなり声をかけられた。声の主は長屋の大家である中年の食人巨鬼女だ。家賃を納めに行く時くらいしか顔を合わせる機会がないのだが、今日はなぜだか玄関前にいた。「お、おはよう。大家さん。今月の家賃ならちゃんと払ったはずだけど……」 それ以外に、大家が訪ねてくる用事など思いつかない。「いや、家賃のことなんかじゃないんだよ。グングさん、あんた、なんか隠し事をしてないかい?」「かかか隠し事なんて、そ、そんなことは……」 どきりとして、声が震えてしまう。 まさか、バレたのか!? 誘拐も、監禁も、それからまだやってはいないが殺人も立派な犯罪である。迷宮都市ラビリントゥムは、犯罪者が気ままに跋扈する自由都市連合とは違うのだ。ホウウィニたちの素性は結局わかっていないが、もしきちんとした身元のある人間であったのなら、巡察に通報されたらおしまいだ。「本当かい? 惣菜屋の奥さんから聞いたよ、親戚の子供を預かってんだろ? その子供も、これっぽっちも表に姿を見せないじゃないか」「いいいいいやそれは、ちょっと病気がちというか恥ずかしがり屋というか出不精と言うかそういうアレがソレで……」「病気ィ? それならなおのこと心配じゃないか、どれ、あたしがひとつ具合を――」「だだだだだ大丈夫! 大丈夫だから!」 ドアノブに伸びようとする大家の手を必死に身体で遮って、「うん、風邪! ただの風邪だから! 伝染るといけないから今日は帰って! ね! 治ったら挨拶させるからさ!」「そうかい? それならいいけどさ……」 強引に踏み込むほどの確証はないのか、大家は不審げな顔をしながらも引き下がった。(まったく、驚かせないでくれよ……) 大家が向こうを向いて、ほっとため息をつこうとした、そのときだった。「一個だけ言われてもらうけどね! 厄介事はごめんだからね!」「はいっ!?」 大家が突然振り返り、大声を上げた。 心臓が跳ね上がる。 やっぱり、バレているのか!?「猫だか犬だか知らないけど、あたしが貸している家だってのを忘れないでくれよ。もし部屋を傷つけてたら、修繕費は耳揃えて払ってもらうからね」 そう言い捨てると、大家はようやく立ち去った。 へなへなと腰が抜けそうになる
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第14話 お忍びデートですの!

「しかし、それにしても細っこい子たちだねえ。ちゃんと食べさせてあげてるのかい?」「え、いや、そ、それはもちろん……」 しかし、おばちゃんはまだ解放してくれない。 ホウウィニたちを頭のてっぺんからつま先までじろじろと薄目で見て、今度は肉付きの悪さに文句をつけてくる。人間と食人巨鬼では、生まれつき骨の太さが違うのだ。いくら変装をしたとはいえ骨格まではごまかせない。 とはいえ、同じ人間にしたって二人は華奢な方だ。質はともかく量だけは毎日たくさん食べさせているのに、どうして太らないのだろうか。(とくにホウウィニはイスグングゲズィよりも食べるのだが。あれだけの食べ物が一体どこに消えてしまっているんだろう?)「ま、買物の量からして食わせてないってことはないんだろうけどさ。あー、それじゃアレかい。安物の肉ばっかり食わせてて精がつかないんだろうよ。ほれ、お嬢ちゃんたち、こいつをあげるよ。新鮮な迷宮産牛頭鬼のステーキサンドさね」「わあ、ありがとうございますの!」「ちょ、ちょっとおばちゃん。そんな高いの買えないよ!?」「はあ、甲斐性がないねえ。心配おしでないよ。これはあたしからこの子たちへのおごりさ。あんたの分はないから物欲しそうな顔してんじゃないよ」 ホウウィニはスカートの裾をつまんで優雅にお辞儀をして、それからステーキサンドを両手で受け取った。食人巨鬼サイズだから顔よりも大きい。「はあ、驚いた。ずいぶん育ちのいいお嬢さんだね。このぼんくらの親戚とは信じられないよ」「ぼ、ぼんくらって……」「ぼんくらもぼんくらじゃあないか。あんた、この街に来た頃は迷宮探索者になって一旗揚げるつってたろう。この牛頭鬼肉だって、迷宮探索者が狩ってきたもんをお裾分けしてもらったのさ。あんたよりずっと後にこの街に来た若者がだよ? 立派なもんじゃあないか。それをあんたは墓荒らしだなんて仕事ともいえないような仕事をして。迷宮組合の登録だけは未練たらしく残してるんだろう? そんな女々しいことしてないで、いっそ――」 しまった、説教モードに入ってしまった。これは長くなるぞ……。仕方がない、意識を他に飛ばして聞き流そう。 イスグ
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第15話 もふもふワンコの登場ですの

「冷たくて美味しいですわ! これも『食人巨鬼の休日』で食べていましたの!」 中央広場から謝肉派寺院に続く大階段。 大勢の観光客に混じって腰を掛け、目を細めて氷菓子を味わっている金髪の少女はホウウィニだ。食人巨鬼サイズのため一段一段が高く、足がぷらぷらしているが、ドリルのような金髪をびよんびよんと揺らしてすっかり上機嫌だ。幻画のワンシーンを再現しているつもりなのだろう。 その隣では、セバスが背筋をぴんと伸ばして立っている。ホウウィニが地べたに座るのをなかなか承知しなかったが、ハンカチを敷くことでなんとか納得したらしい。目立つから本人も座らせたかったのだが、こちらはどうしても承知しなかったので諦めた。セバスに関してはもう色々と諦めている。 イスグングゲズィも階段に腰を下ろし、やっと肩車から開放された首をコキコキと鳴らした。体力的にはどうということもないが、食人巨鬼の背丈は人間の家の二階ほどもある。もし落としてしまったら無事では済まない。変装がバレないかと不安でもあったし、すっかり気疲れしていたのだ。うん、甘酸っぱいジェラートで気持ちがすっきりする。「夕飯はどこかの屋台でご飯を買って帰ろうか」「はいっ!」 帰ってから食事の準備をするつもりにはちょっとなれない。またセバスに小言を言われるかもしれないが、今日は勘弁してもらおう。サラダや果物を買って帰れば栄養バランスとかいうものも最低限はクリアするはずだ。 ジェラートを食べ終え、ホウウィニの手と口の周りをセバスが甲斐甲斐しく拭いてやるのを待ってから大階段を離れる。昼時が過ぎて、混雑は多少緩和されていた。肩車はもうしなくても大丈夫だろう。(さて、夕飯はどの屋台にするか……) ホウウィニに選ばせようかとも思ったが、ジェラートとステーキサンドの代金で財布がすっかり寂しくなっていた(説教の合間にほとんど無意識の間にイスグングゲズィの分のステーキサンドも押し付けられ、そしてしっかり代金は取られていたのだ)。これでホウウィニに高い店を選ばれたら破産してしまう。手頃な屋台はないかとうろうろしていると――「よオ、グング。てめえが昼間から出歩いてんのは珍しいな。って、最近はそうでもねえのか? そいつらがお前の言ってた親戚のガキどもか。ははあ、まるで似てねえな。誘拐
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第16話 お刺身にはお醤油とわさびですの

「い、いい匂いって……」 早々に立ち去りたかったが、呼び止められて、無視をするわけにもいかない。 イスグングゲズィは恐々と振り向いた。「上等な肉の匂いがしているんだよねえ。ちょっと失敬」 たるんだ顔が近づくと、香水や香辛料や肉や魚の混じった得体の知れない香りが濃密に漂った。低い鼻を盛んに蠢かしている様子はまるで豚頭人だ。この貪欲な仕草もまた暴食公という異名の由来だった。「さ、さきほど牛頭鬼のステーキサンドを食べたので、それじゃないですかね」 少しでも早く解放されたい一心でそんなことを口にするが、「いやいや、これはそんなつまらん匂いではないよ。そうだねえ、極上の人間肉の香りが近い。あれは没落した商家のご令嬢だったか……。しかし、真古樹族や吸精鬼の上品な香りも感じる。じつに複雑で興味深い香りだ……」 ウドライェドワはイスグングゲズィの言葉を一笑に付し、目を閉じて深呼吸を繰り返している。まるで空気そのものを味わっているかのように。その顔は徐々に高さを落としていき、ホウウィニへと近づいていく。 まずい、いくらセバスの施した変装が見事でも、匂いまで誤魔化しているとは思えない。この鼻がホウウィニにたどり着いてしまったら、一体どうなってしまうんだ――「おい、グング。忘れもんだぞ」「ひいっ!?」「なんて声を出してやがるんだ。ほれ、5人前だ。あー、代金は次の卸値からさっぴくからな」 いきなり紙袋を押し付けてきたのは、肉屋の親父だった。 その目が「余計なことをしゃべるんじゃねえぞ」と訴えている。イスグングゲズィが権力者たちに絡まれているのを見て、助け舟を出しに来てくれたのだ。「おおい、なんてひどい匂いだ。せっかくの玄妙な香りが台無しじゃないか。これじゃ薔薇の匂いもドブの臭いも区別が付かんよ」「ありゃ、こりゃすみませんね。おお、これはこれはウドライェドワ議員。うちの皮無しソーセージは祖母さんから教わった秘伝のレシピでしてね。よかったらおひとついかがです? いや、代金なんて結構ですわ。美食家で名高いウドライェドワ議員のお墨付きとなりゃあ――」「ええい、それを近づけるな。わかったわかった。屋台ごと買ってやるから
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第17話 超豪華ディナーですのよ

 ウドライェドワの邸宅は三階建ての石造りで、館というよりも要塞と言ったほうがふさわしい威容を誇っていた。食人巨鬼の体重を支えるためだろう、立派な巨石がふんだんに使われている。軽く三十メートル以上はあろう高さの屋根は銅板葺きで、そこかしこに刻まれた細緻な彫刻と、近頃出回りだした高価な魔術灯の仄青い輝きとともに、主の財力の凄まじさを無言で知らしめている。(まさかウドライェドワさんに招待されるなんてなあ……) 使いの者から渡された招待状を握りしめ、豪邸を見上げているのはイスグングゲズィだ。正直、胃が痛い。できれば丁重にお断りしたかったが、謝肉街でも一二を争う権力者からぜひにと言われて断れるわけもない。おまけに招待状ですら古風で高価な羊皮紙に金粉入りのインクの署名。使者から念を押されるまでもなく、「断ったらわかってるだろうな」という威圧を感じた。「まあ、とっても大きなお宅ですのね!」「お嬢様の気高さに比べればつま先ほどにも及びませんが、このあたりの住宅事情を鑑みれば相対的に立派な屋敷ではあるようです」「晩餐が楽しみですわ。舞踏会もあるのかしら?」「お嬢様のお口に合う料理が出ればよいのですが。舞踏会はどうでしょうか。聞けばこの屋敷の主のウドライェドワなる者、一代の成り上がり者だそうで、左様な典雅を解するとは限りません」「まあ、セバス。そんなことを口にしてはいけないわ。生まれや育ちで人を差別するのはよくないことでしてよ」「はっ! 大変失礼を致しました。お嬢様の空よりも広く海よりも深い博愛精神を見習って、このセバスめも心を入れ替えたく存じます」 一方、肝心の二人はこの調子である。普段とまったく変わらない。ウドライェドワが興味を抱いた「高貴にして玄妙な芳醇馥郁たる香り(そう招待状に書かれていた)」の原因は十中八九この二人だろう。できれば家に置いてきたかったが、招待状には親戚の子供達もご一緒にとあった。実質的な命令である。(どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ……) 元凶である二人の様子を見ていると、一人だけ思い悩んでいる自分がひどく哀れで滑稽に感じる。こっちは匂いを誤魔化すために、あちこちで香水を買い集め、香水屋の女店員からひどく不審な目で見られたというのに。(肉屋の親父さんも急に店を閉めちゃったし、支出
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第18話 オーガー一匹、魂の叫びですのよ

「オげぇぇェええエ…………!!」 イスグングゲズィは反射的に吐いていた。 食卓にぶちまけられた吐瀉物が、美食を汚す。 胃酸が鼻を刺し、頭の奥の鋭い痛みで涙がこぼれる。 こんなことが許されるわけがない。許してよいわけがない。 食人巨鬼は同族を食う。だがそれは、家族や親しい友人を弔うときや、決闘で倒した好敵手にすることだ。哀惜か、敬意か、あるいはその両方か。そういう気持ちを込めた神聖な行いなのだ。美食だか嗜虐だか知らないが、こんな風に、いたずらに残忍に行ってはならないことなのだ。(ああ……) 今更になって、ホウウィニに人間肉入りの皮無しソーセージを食べさせたくなかった理由がわかった。わかってしまった。それは許されざる行為なのだ。魂を後戻りできないほどに穢してしまう行為なのだ。 ホウウィニの無垢な笑顔が脳裏をよぎる。いずれ食われるために飼われているなどとは微塵も疑わない笑顔。イスグングゲズィが作った不器用な料理に舌鼓を打つ笑顔。セバスに隠れてお菓子を食べるときの笑顔。繰り返し見た幻画の展開にいちいち一喜一憂し、ハッピーエンドで咲かせる笑顔。自分は、あの笑顔を、穢したくなかったのだ。「ふうむ、参ったね。君ならばこの趣向も理解してくれると思ったのだが。しかし、これでわかったろう? 儂だって死体を増やすのが趣味というわけではないのだ。大人しく儂の提案を――」「逃げろッ!! ホウウィニ! セバス! 逃げろッ! 殺されるぞぉぉぉおおおおおおッッ!!」「なっ!?」 叫んだ。 叫ぼうなどとは思っていなかった。 いっそ頷いてしまおうかとさえ考えていた。 だが、叫んでいた。 吐瀉物の残滓を、胃液を、唾を吐き散らかしながら、叫んでいた。「おっ、お前らは動くな! 動いたら、このヌ=エンドで頭をかち割ってやる!」 自分でも何をしているかわからなかった。 椅子を蹴って、腰から鉄棒を抜き、ウドライェドワとジンガルドガルドに交互に向けていた。「ひゃはははは! 大した頑固者じゃねえか! おまけにクソ度胸もある! 気に入ったぜ! なあ、大将、こっからは俺の仕事でいいよなあ? あんたが撒いた種なんだから、護衛じゃねえぜ。報酬は別口でもらうからな」「……ふう、致し方がない。ただし生け捕りだ。なるべく可食
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第19話 魔槌ヌ=エンド

 イスグングゲズィは息も絶え絶えに見知らぬ通路を駆けていた。もはや体力は限界で、肺は口から飛び出しそうで、心臓は破裂しそうで、膝ががくがく震えて、汗にまみれた全身が丸ごと言うことを聞かなくて、それでも、「ホウウィニ……逃げろ……セバス……逃げろ……逃げろ……逃げろ……」 肺に残ったわずかな空気で、その声を絞り出す。わずかに残った腕の力で、鉄棒を振り回して壁を、扉を叩く。 二人が閉じ込められている場所など、イスグングゲズィには見当もつかない。危機を知らせたからと言って、逃げられるかもわからない。だがそれでも、それでも、「ホウウィニ……逃げろ……セバス……逃げろ……逃げろ……逃げろ……」 同じ言葉を繰り返す。 死の恐怖も、体の苦痛も、すべてが頭から消え去っていた。 残っていたのは、二人をこの死の屋敷から逃さなければならないという、その一念のみ。 ぐぺ 背後で奇妙な音が聞こえた。 ガスで膨れた死骸が破裂するような。 直後に生暖かい液体が降りかかる。 無数の柔らかいものが背中にぶつかる。 足がもつれる。身体がよれる。壁にぶつかって、倒れる。「ホウウィニ……逃げろ……」 立ち上がれない。 うつ伏せに倒れたまま、力を振り絞って、鉄棒を持ち上げ、床を叩く。「ひゅー、よくがんばったねえ。もう少しでゴールだったんだけど、惜しかったねえ。ガキどもの部屋はこの真上だったんだぜ? いやあ、階段の選択を間違ってなけりゃなあ」「はあ……はあ……、悪くない狩りだったが、もう少し短く出来なかったのかね?」 哄笑が近づいてくる。 ジンガルドガルドとウドライェドワの声。「ま、ガキどもの部屋にたどり着いたところで何の意味もなかったけどな。見張りもいるし、扉も壁も頑丈そのもの。お前、気づいてたか? さっきからその自称ヌ=エンドでガンガン叩いてたのによ、ドアにも壁にも床にも傷一つついちゃいねえ。石材を魔術でコーティングしてんだよ。迷宮の壁とほとんどおんなじ強度だ。俺だってぶっ壊そうと思ったら、そこそこ手こずる代物だぜ?」 必要のない説明。 お前などが何をしようと無駄だったのだと思い知らせるためだけの。 だが――「ホウウィニ……セバス……逃げろ……」 こつ、こつ。 鉄棒の柄で、床を叩く。 それはもう足音よりも弱々しい。「はあ、折れねえやつだなあ」 
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第20話 それは夢ではありませんのよ(EP.2 完)

 ホウウィニの姿を見たのはそれが最後だった。 セバスを見たのは、ウドライェドワの屋敷に入ったときが最後だ。 ジンガルドガルドを斬り捨てたホウウィニは、半壊した屋敷から夜空を歩いてどこかに消えていった。優雅に、淑やかに、舞踏会を辞去する令嬢のように。今でも現実のことだったとは信じられない。まるで夢――それもとびきり破茶滅茶な――でも見ていたかのようだった。 だいたい、なぜ自分が生き残っているのかもわからない。ジンガルドガルドが放った銀の奔流は、確実に自分も巻き込んでいたはずだ。眩しさのあまり目をつむっていたが、たまたま外れたなんてことは考えられない。背後の屋敷は木っ端微塵に吹き飛んでいたのだ。イスグングゲズィだけを避ける……そんな器用な攻撃があってたまるものか。それもまた、一連の出来事が夢だったのではないかと疑ってしまう原因だ。(……けど、夢じゃなかったんだよなあ) しかし、部屋を見ればあの夢の残滓がはっきりと残っている。 天蓋付きの小さなベッド、折りたたみのできるパーティション、ティーセットにカトラリーセット、幻投機と名画が詰め合わされた幻晶石――そして、地下室に隠した血まみれの服。何度も洗ったが、こびりついた血糊を完全に落とすことはついに出来なかった。下手に捨てれば誰かに拾われるかもしれないし(古着は布というだけで貴重だ)、燃やしたりすれば人目につくかもしれない。そんなわけで、袋に入れて地下室の片隅に押し込んである。 それから、忘れられない言葉もあった。 ――本当のヌ=エンドは、勇者の手にあるべきもの。グング様、これはあなたにこそふさわしいと思いますの ホウウィニの去り際の言葉。 そう言い残して、少女は空を歩いたのだ。 どれほどだったろうか。座り込んだまま誰もいない星空をぼんやりと見上げていて、やがて外が騒がしくなって、それから慌てて逃げ出した。家に帰るまで誰にも見つからなかったのは幸運だったとしか言いようがないだろう。全身血まみれで一等市民街から逃げ出す者など、巡察に見つかっていたら問答無用で銃撃されても文句は言えない。 壁に立てかけた戦鎚を見る。 薄暗い地下室でぼんやりと光る銀色。高い魔力が込められている証だ。無我夢中で帰って、どうやって持って帰ったのか、どうして持って帰ってしまったのか……覚えていない。だが、これも血で汚
last updateLast Updated : 2026-07-03
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