「んひぃっ!?」 驚いて、尻餅をついてしまった。 闇の中に、ぬうっと白い顔が浮かび上がっていたからだ。 今度こそ幽霊か。 そう勘違いしてしまうほど、暗闇に浮き上がった顔は人間離れしていた。すっと筆でなぞったような鼻梁。わずかに色づいた薄い唇。月光よりもなお白い肌。そして、どこまでも吸い込まれそうな漆黒の瞳。 人間離れした美しさだった。 食人巨鬼の自分が、食欲よりも恐れを抱いてしまうほどに。「まったく、お嬢様に悪い虫が近寄らないよう見回っていれば、こんな大きな虫を見逃していたとは……。このセバス、一生の不覚。――貴様、何者だ。名を名乗れ」「い、イスグングゲズィ!」 反射的に自分の名を叫んで、イスグングゲズィは少しだけ我に返った。 幽霊ではない。これは正真正銘人間だ。初めは気が付かなかったが、近づいてきてわかった。黒髪と黒い執事服が闇に沈んでいて、見えなかっただけなのだ。目を凝らせば、透けてもいないし両足もある。「お嬢様のお手に触れようとするなど万死に値する」 しかし、窮地は去っていなかった。 元幽霊の人間は、底知れぬ殺気を放ちながら距離を詰めてくる。表情は澄ました真顔で、怒気など浮かべていないのだ。にもかかわらず、全身から冷たい圧力を放っている。 イスグングゲズィは尻餅をつきながら後退り、腰の鉄棒を探る。必死に手を動かすが、虚しく尻を叩くばかり。ああそうだ、さっき尻餅をついた時に放り出してしまったんだ。視界の端に、黒光りする鉄棒がちらりと光る。「待って、セバス。グング様は不逞の輩ではございませんわ」 鈴を転がすような声がして、元不浄霊――セバスと呼ばれた青年が足を止めた。ホウウィニが小さな両手についた泥を払いつつ、イスグングゲズィとセバスの間に立つ。尻餅をついてなお、その切削刃のような金髪は見下ろす高さで揺れていた。「しかしお嬢様、暗く人気のない場所で年端も行かぬ少女に声をかけ、あまつさえ連れ去ろうとするなど、アーカイブによれば『事案』と称された一大事にございます。一都市に丸ごと警戒が呼びかけられる危機レベルであったとか」「違うわセバス。声をかけたのはわたく
Last Updated : 2026-07-03 Read more