Lahat ng Kabanata ng 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった: Kabanata 271 - Kabanata 280

380 Kabanata

第271話

「紗和がやったっていうのか?そんなはずがない。紗和は、あんなことをする人間じゃない」怜央には信じられなかった。莉乃は涙に濡れた顔で訴えた。「あんなことをする人間じゃない?怜央くん、あなたは何年もあの女に騙され続けてきたのよ。あの女は、昔から善良なんかじゃない。男を騙すことにかけては、誰よりもうまいわ。学生の頃だって、海外留学のチャンスを手に入れるために、白河先生と不適切な関係を続けていたって、学校中で噂になっていたでしょう?あんなに若い頃から、ずっと計算高かったのよ。そのあとだって、白河先生との関係を一度も切っていない。そうじゃなければ、御堂ゲームスを辞めた途端、あそこまで手厚く引き立ててもらえるはずがないでしょう?相馬社長のパーティーにだって、白河先生の愛人みたいな顔をして出席していたじゃない。今だってそう。あなたと別れた途端、すぐ別の男を見つけてる。白河先生と手を組んで、あなたが8年かけて育てた、いちばん利益を生むプロジェクトまで奪った。そのうえ上場のために、あなたから大金まで引き出したのよ。怜央くん、あなたは当事者だから、紗和のことを実際よりずっとよく見てしまってるの。だから、あの女がどれだけ冷酷で計算高いか分からないのよ」莉乃の言葉が重なるたび、怜央は返す言葉を失っていった。胸の中まで掻き乱されるように痛む。それでも、最低限の判断力までは失っていなかった。「だが、あのプロジェクトはもともと紗和のものだ。投資提携だって、御堂家の危機を乗り切るために、俺のほうから持ちかけた。それのどこが冷酷なんだ?」莉乃は冷笑した。「怜央くん、あの女は取り繕うのがうまいだけよ。学生時代、あのプロジェクトを買いたいという会社があったんでしょう?普通の学生なら売って、数千万円を手に入れるわ。当時の紗和にはお金がなかった。それなのに売らずに、そのプロジェクトを利用して、あなたから御堂夫人の座を手に入れたのよ。そんなの、十分計算高くて腹黒いと思わない?それに、紗和は最初からあなたを愛してなんかいなかった。宗一郎おじいさまを利用しても、思うように財産を手に入れられないと分かったから、全部計画したのよ。あなたの成功まで自分のものにしておきながら、あなたのほうが紗和に借りがあるように思い込ませた。それでも、本当にあの女があなたを
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第272話

莉乃は神に誓うとまで言い、警察も近く捜査結果を公表するとしている。すべてが嘘というわけではないのかもしれない。ただ、薬を使って人を陥れるのは、莉乃が以前から好んで使う手段だということを、怜央はよく知っていた。だから内心では、莉乃が紗和を陥れようとして薬を仕込み、愚かにも自分までその影響を受けたのではないかと疑っていた。その責任を、今になって紗和へ押しつけているだけなのではないか。だが、今はまだ追及するつもりはない。その前に、どうしても確かめておきたいことが一つあった。怜央は莉乃をじっと見つめ、突然尋ねた。「お前が俺を助けたのは、いつだった?午前か、午後か?場所はどこだ?」莉乃の顔から、たちまち血の気が引いた。何月何日だったのか。午前だったのか、午後だったのか。どこで助けたのか。そんなこと、知るはずがない。莉乃は怜央を助けてなどいなかった。怜央のほうから突然現れ、命を救ってくれたのは自分だと言い出したのだ。相手が金持ちだと分かり、莉乃はそれに乗って認めただけだった。なのに、どうして今日に限ってこんなことを聞くのか。なぜ突然、ここまで問い詰めてくるのか。怜央に迫られ、莉乃の心臓は激しく脈打った。邸宅へ戻ってきた途端、根拠もなく責め立てられたことにも腹が立っている。それでも、今の自分の評判と妊娠した体を考えれば、怜央の妻になることだけが唯一残された道だった。怜央と完全に決裂するわけにはいかない。そして同時に悟った。怜央がこれほど冷たくなったのは、自分が命の恩人であることを疑い始めたからだ。自分が怜央を助けていないことは、莉乃自身が誰よりもよく知っている。そして、本当に怜央を助けたのが誰なのかも知っていた。九条家の幼い令嬢。本物の九条家の娘だ。ただ、薄幸だったあの娘が今も生きているのかどうかまでは、莉乃にも分からなかった。邦彦からは、本物の令嬢がその後ひどい目に遭ったと聞いている。莉乃が安心して彼女になりすませたのも、もう二度と姿を現すことはないと思っていたからだ。たとえ生きていたとしても、九条家が再び表舞台へ出ることを許すはずがない。莉乃は、必死に昔のことを思い出そうとしているふりをした。しばらくして、ようやく口を開く。「怜央くん……何月何日
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第273話

いずれにせよ――本物の令嬢が、今さら再び現れることなどない。自分は、この役を完璧に演じ続ければいいのだ。そして今のやり取りから、一つの方法を思いついた。以前、紗和にも当時のことを問い詰められ、危うく嘘を見破られそうになった。だが今なら、切り抜け方が分かる。記憶喪失を理由にすればいい。どれほど話に矛盾があっても、覚えていないと言えばごまかせる。莉乃は涙をこぼしながら、そっと怜央を抱き返した。「怜央くん、命を救ってくれたのは私だって、最初に言ってくれたのはあなたでしょう?私の顔を覚えていて、ようやく見つけてくれたんだと思ったから、私もそうだと認めたの。何も覚えていないなんて言ったら、あなたが離れていきそうで怖かった。でも……今は本当のことを言うわ。私には分からないの。何も覚えてない。本当に……」「すまない……感情的になった」怜央も動揺していた。態度が軟化したのを見て、莉乃は胸の内でほくそ笑んだ。やはり、この男はまだ自分の思いどおりになる。莉乃は怜央を優しく抱き締めた。「いいのよ」だが数秒後、怜央は静かにその腕から抜け出した。莉乃を疑ったからではない。今の莉乃に触れられると、本能的な嫌悪が湧いてしまうのだ。しかも莉乃は、過去のことを何も覚えておらず、怜央のほうから命の恩人だと言ってきたのだと認めた。その言葉から、一つの可能性が浮かんだ。自分を助けたのは、本当に莉乃だったのかもしれない。だが、別の誰かだった可能性もある。莉乃がただ記憶を失っているだけなのかもしれないし、そもそも最初から何もしていなかったのかもしれない。今の段階では、莉乃が嘘をついていると断定することはできなかった。それでも、疑念が消えたわけではない。伊織の言葉にも一理ある。人間の根本的な性質は、幼い頃からそう簡単に変わるものではない。命の危険を顧みず他人を助けるような人間が、本当に今の莉乃のようになるものだろうか。莉乃から距離を取るように、怜央は立ち上がってソファへ移った。額を押さえ、深く息を吐いてから尋ねた。「何をしに来た?俺たちの結婚は中止だ。お前が陥れられたかどうかは関係ない。あの映像が結婚式で流れた以上、御堂家がこの縁談を続けることはない」御堂家は、この地でも有数の名家だっ
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第274話

怜央は意外そうに莉乃を見た。そのとき、御堂家の本邸から固定電話に着信が入った。ちょうど宗一郎にこの件を確認しようと思っていたところだった。怜央が口を開くより先に、受話器の向こうから年老いた声が聞こえてきた。「怜央。明日から、役職に復帰しろ……」莉乃との結婚を拒み続けた怜央は、宗一郎によって長い間すべての役職を解かれていた。それが今日、開口一番に復帰を告げられた。怜央の胸に、思わず期待が湧いた。結婚式で莉乃の醜態を目にした一族の長老たちも、怒りで顔を真っ赤にしていた。宗一郎も、ようやく莉乃との結婚を取りやめる気になったのだと思った。結婚式のあと、伊織を追ってそのまま会場を離れたため、まだ宗一郎本人には確認できていなかったのだ。だが、怜央が話し始めるより先に、宗一郎の声が再び聞こえた。「怜央、つらい思いをさせてすまない。お前も男だ。どれほど屈辱だったかは分かっている。だが、御堂家の将来のためだ。耐えてくれ」その意味は明白だった。しかも、その口調には反論を許さない強さがあった。怜央には理解できなかった。「おじいさま、どういう意味です?」「言葉どおりだ」宗一郎は歯を食いしばるように答えた。「莉乃との縁談は、このまま進める」怜央は込み上げる怒りを必死に押し殺した。「俺は莉乃と結婚したくありません。おじいさまも見たでしょう。あの女と結婚したら、俺は一生、社交界の笑いものです」「誰がお前を笑うというんだ」宗一郎の声が厳しくなる。「あの男たちは全員身柄を拘束された。しばらく表へ出てくることもない。社交界にも話は通してある。この件を面白半分に蒸し返す者はいない」あまりにも早く事態が動いていることに、怜央は驚いた。「では、ネットはどうするんです?映像はもう広く拡散されています。社交界の連中が陰で笑うだけじゃない。ネット中が御堂家を笑いものにしている。婚約の日に6人もの男と関係を持った女を妻として迎えろなんて……俺のプライドはどうなるんです?」宗一郎にも、孫の苦しみは分かっていた。声がわずかに和らぐ。「誠一の映像だって、以前ネットに流れただろう。それでも、あいつは今も何事もなかったように暮らしている。お前が屈辱を感じるのも分かっている。だが、大事を成すには、耐え難い恥を呑み
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第275話

翌朝。征臣はある知らせを受けると、紗和に告げた。「花宮莉乃が釈放された」紗和は驚いた。昨日、警察があれほど早く莉乃のもとへ駆けつけ、そのまま連行したのは、征臣が裏で手を回したからだと思っていた。それなのに、もう釈放されたという。征臣が動いたのは、莉乃を二度と紗和の前に現れさせないためだった。もともとは莉乃を利用し、九条グループの主要株主や、紗和に危害を加えようとする者たちの注意を引きつけるつもりだった。だが莉乃は、わずかな間に二度も紗和を死の淵へ追いやった。一度は薬を使い、もう一度は直接さらった。さすがの征臣も激怒し、莉乃を少なくとも5年は塀の中から出さないつもりでいた。その中でも、相応の報いを受けさせるつもりだった。それだけに、こんなにも早く釈放されるとは予想していなかった。紗和が尋ねた。「妊娠しているから、釈放されたの?」「違う。誰かが守っている」征臣の声は低く、重かった。「九条夫人が?」征臣も最初は、その可能性を考えた。だが、すぐに否定した。薫子の冷酷さは、表向きに見せている姿など比べものにならない。あれほど無慈悲な人間が、役に立たなくなった駒をわざわざ救うとは思えなかった。それに――征臣の目が暗く沈んだ。「相手は、この国でも相当な力を持っている」それこそが、征臣の表情が冷え込んだ本当の理由だった。征臣は、すでに掴んでいる情報を紗和に伝えた。「花宮と関係を持った6人は、全員身柄を拘束された。今後は、花宮が被害を受けた事件として扱われる可能性が高い。花宮だけを切り離し、刑事責任を負わせないためだ。あの6人は評判こそよくないが、それぞれ名家の出身で、家族の人脈も後ろ盾も弱くない。花宮一人のために、あのババアが全員の家と敵対するとは考えにくい。今の九条家には、むしろ人を集めなければならない時期だ。ババアではないだろう」征臣は少し間を置いた。「背後にいる人物については、今も調べている。だが……すまない。今すぐ花宮を塀の中へ戻すことはできない。お前が受けた仕打ちの報いを受けさせないつもりはない。ただ、少し遅くなる」征臣は眉を寄せ、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。紗和はすぐに答えた。「気にしないで、征臣。ありがとう」それは心からの言葉
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第276話

紗和は目を見張った。子供の頃、何気なく口にした夢物語を、征臣が本当に叶えてくれていたなんて思いもしなかった。目の前に建っているのは、まるであの頃に読んだ絵本からそのまま抜け出してきたような城だった。赤い尖塔に、陽の光を受けて金色に輝く城壁。断崖の上に浮かぶようにそびえるその姿は、現実のものとは思えないほど幻想的だった。「あそこへ行ってもいい?」紗和が尋ねると、征臣はすぐに答えた。「もちろんだ」莉乃の件で胸に残っていた憂鬱も、やりきれなさも、その瞬間すべて吹き飛んだ。紗和は征臣の手を取り、島へ架かる橋を渡った。夢のように美しい城へ、二人並んで歩いていく。城の中は塵一つなく、内装も家具も、どれも若い女性が好みそうな可愛らしいものばかりだった。まるで、征臣の心の中にいる小さな姫君のためだけに造られた城のようだった。さらに不思議なことに、暖炉にはいつでも火を入れられるよう薪が用意され、テーブルに置かれた果物からは甘い香りが漂っている。冷蔵庫の中にも、飲み物や食材がぎっしり詰まっていた。ふと思いつき、紗和が尋ねた。「食事はもう済ませた?」「まだだ」その答えを聞いた途端、紗和は嬉しくなった。今日は、征臣から心を満たしてくれるものをいくつももらった。今度は自分が、何か返したかった。征臣は雪江を、この上なく美しい場所に眠らせてくれた。忙しい中でも時間を作り、墓前で一緒に手を合わせてくれた。紗和を傷つけた者たちには、それぞれ相応の報いを受けさせた。そして今は、幼い頃に夢見た、幸せそのもののような城へ連れてきてくれた。リビングからは、海へ沈んでいく夕日が見える。どこを見ても温かく、可愛らしく、心がほどけていくような空間だった。紗和は弾んだ声で言った。「この前は、あなたがハンバーガーを作ってくれたでしょう?今度は私がおいしいものを作るわ」そう言うなり、嬉しそうにキッチンへ向かった。征臣は、小さな蝶のように忙しなく動き回る紗和を見つめていた。冷蔵庫を開けたかと思えば、今度は戸棚へ手を伸ばす。細い腰をしなやかに動かしながら、必要なものを探して軽やかに行き来していた。「分かった」征臣の目に浮かぶ愛おしさは、隠そうとしても隠しきれるものではなかった。紗和が背
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第277話

先ほど征臣が紗和の後ろへ回ったとき、その革靴は、紗和の足を挟み込むような位置にあった。確かに、脚で行く手を塞いでいたのだ。抗議されて、征臣はようやくゆっくりと身を引いた。どこか名残惜しそうだった。こうして紗和に触れているだけで、不思議と心が落ち着く。だが、蝶のように紗和が再び軽やかに動き始めると、今度はそのまま強く捕まえておきたい衝動に駆られた。もう自分のもとから飛び去らないと分かっていても、深く腕の中へ閉じ込め、離したくなくなる。それでも今は、その衝動を抑えるしかない。そうしなければ、紗和は身動きすら取れないのだから。幼い頃から、征臣は何度も同じ夢を思い描いていた。紗和が魔法の城に住みたいと言うたびに、自分がその城を建てる姿を想像した。そして、その城で紗和とずっと一緒に暮らす。征臣を心の底から幸せにしてくれるのは、昔から紗和だけだった。だが、紗和は自分の意思を持つ一人の人間だ。自分の足で歩き、走り、いつかは征臣のもとから離れていくことだってできる。その事実を思うたび、征臣は紗和をどこかへ閉じ込めてしまいたいと夢想した。魔法の城に閉じ込め、自分のそばから二度と離れられないようにする。猫のような、蝶のような紗和が、もうどこへも逃げていかないように。もっとも、今すぐそんな願いを叶えるわけにはいかなかった。これから紗和が、自分のために料理を作ってくれるのだ。征臣の好物が何なのか、紗和は知らなかった。昔の記憶をたどってみても、手がかりになりそうなものはない。ただ、長く海外で暮らしていたのだから、洋食のほうが食べ慣れているだろうと思った。もっとも、どんな料理を作るときでも、紗和は決して手を抜かない。自分なりにひと工夫を加え、一つひとつの工程を丁寧に仕上げるため、見た目も香りも味も申し分なかった。その分、出来上がるまでには少し時間がかかった。だが、完成した料理はどれも手が込んでいて、品数も十分だった。島には新鮮な食材が豊富にそろっている。紗和はまず海で獲れた魚を選び、丁寧に下ごしらえをした。付け合わせにはスナップエンドウを使う。さらに大ぶりのロブスターを一尾取り出し、手際よくさばいていった。冷蔵庫の奥からは、上質なトマホークステーキまで見つかった。下ご
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第278話

明らかに、征臣のためだけに考えて作った料理だった。征臣は心から嬉しそうに、紗和の向かいへ腰を下ろした。長い指でフォークを取り、料理を口へ運ぶ。どれもひと工夫の利いた味つけで、驚くほどおいしかった。征臣の客船には、一流の料理人が何人も乗っている。外で食事をするときも、口にするのは最高級の食材を使った料理ばかりだ。それなのに、なぜか紗和の作った料理には、どれも敵わないように感じた。あるいは、このとき初めて自分が本当に空腹だったことに気づき、そのせいでひときわおいしく感じているだけなのかもしれない。柔らかく肉汁のあふれる牛肉も、表面を香ばしく焼き上げた魚も、ひと工夫加えた牡蠣料理も、皿に並んだものはすべて気に入った。普段ならあまり口にしないスナップエンドウも、口直しの果物も、一つ残らず食べた。二人とも幼い頃から食事の作法を厳しく教えられて育った。静かな空気の中、二人は落ち着いて食事を進めた。征臣が食べ終える頃には、紗和もすでに箸を置いていた。征臣は熱を帯びた眼差しで、紗和をじっと見つめた。「うまかった。気に入った。こんなに料理が上手だとは思わなかった。洋食まで、店で出せるくらいの腕前だな」紗和は一瞬、言葉を失った。征臣の言うとおりだった。怜央との家庭を守り、何でもこなせる妻と母親になろうと、紗和は料理にも長い時間と労力を費やしてきた。雪江と二人で支え合って暮らしてきた紗和は、幼い頃から人一倍手がかからず、生活に必要なことは一通り自分でできた。その後は恋愛の甘さを十分に味わう間もないまま、いきなり妻になった。それでも自分に高い基準を課し、夫の好みから子供の栄養まで、できる限り細かく心を配ってきた。だから紗和の料理がおいしいのは当然だった。洋食ですらこれだけ作れるのだから、長年家庭で作り続けてきた料理なら、なおさらだった。宗一郎の誕生日には、毎年朝早くから本邸へ呼ばれ、厨房全体を任されることさえあった。そこまで尽くしてきたのに、一度でも敬意を向けられたことがあっただろうか。褒められたことさえ、ほとんどなかった。妻であり母親なのだから、おいしい料理を作れて当然。あの家の人間たちは、ずっとそう思っていた。何より――誰も紗和を愛していなかった。我に返ると、征臣の視線はあま
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第279話

海は、南国の楽園にも引けを取らないほど美しかった。しかも、発光する微生物の光によって、波打ち際は青く輝く星の川のように見える。「今夜は、ここに泊まるの?」紗和の胸がかすかに揺れた。何かを予感したのだ。「ああ。今夜はここで過ごす。風呂に入ってこい」征臣は紗和を見つめながら、静かにそう告げた。紗和はバスルームへ入った。入浴を終えると、用意されていた真珠のような白いホルターネックのナイトドレスを身につけ、鏡の中の自分を眺めた。映っているのは間違いなく自分なのに、まるで初めて見る女のようだった。鏡の中の自分は、それほど艶やかだった。首元で結ぶシルクのナイトドレスは、紗和の体のラインを美しく際立たせている。まるで、最初から紗和のために仕立てられたかのようだった。成熟した女性だけが持つ柔らかな色気が、鮮やかに引き出されている。自分の体が、こんなにも魅力的に見えるものなのかと、紗和自身が驚いた。このナイトドレスは、本当によく似合っている。以前、御堂家で身につけていたどの部屋着よりも、今の自分を美しく見せてくれていた。本来の紗和は、華やかに咲き誇る薔薇のような女だった。それなのに御堂家では、その華やかさを押し隠し、家庭を守る妻として、会社で働く技術者として生きることばかり求められていた。バスルームの扉を開けると、目の前に征臣が立っていた。ずっと外で待っていたらしい。かなり長い間、そこにいたのだろうか。しかも征臣は、ただ待っていただけではなかった。紗和が出てくると、そのまますぐ目の前まで近づいてきた。征臣の視線が、紗和に吸い寄せられる。あまりにも美しかった。思わず息を呑むほどに。目を離せなくなるほどに。とりわけ今の紗和は、清らかで可憐でありながら、同時に見る者を惑わせるような艶やかさもまとっていた。正反対にも思える二つの魅力が、一人の女の中で不思議なほど自然に溶け合っている。ほかの誰にもない、紗和だけの美しさだった。征臣は、しばらく言葉もなく見つめていた。190センチを超える大きな体が近づけば、それだけで強い圧迫感がある。紗和も決して背が低いわけではない。それでも顔を上げなければ、目に入るのは征臣の黒い襟元ばかりだった。征臣は高い位置から、紗和を
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第280話

紗和にぎゅっと抱きつかれた瞬間、征臣の片腕に甘く痺れるような感覚が走った。喉仏が大きく上下する。征臣は片腕で紗和の脚を支え、そのまま軽々と肩へ担ぎ上げた。もう片方の手で紗和の体を支えながら、低く告げた。「力を抜け」「待って、征臣。下ろして」だが征臣は足を止めず、そのまま足早に歩き出した。紗和は慌ててその肩を叩いた。「どこへ行くの?自分で歩けるわ」「遅い」「遅くなんかないわ」紗和は思わず言葉を詰まらせた。傷はもうほとんど治っている。征臣は、そろそろいい頃だと思っていた。前回は、紗和の体がとても耐えられる状態ではなかった。しかも強い不安に駆られ、安全を求めるように征臣へすがっていただけだ。そんな弱さにつけ込むような真似はしたくなかった。二人の関係では、どうしても征臣のほうが主導権を握ることになる。欲しいものを見つければ、迷わず手を伸ばし、自分の腕の中へ引き寄せる。それが征臣にとっては、ごく自然なことだった。征臣は紗和の言葉には答えず、代わりに頭を軽く撫でた。紗和はびくりと体を震わせ、慌てて首を伸ばすと、警戒するように征臣を見た。怯えた小鳥のようなその表情に、征臣は頬を優しく撫でる。「いい子だ。怖がるな」その瞬間、紗和は、自分の心の準備がまだできていないことに気づいた。前回は、二人の関係を協力であり、ある種の取引だと考えていた。互いに必要なものを差し出し、望むものを得る。そういう関係なら、相手が誰であるかはそれほど重要ではないと思っていた。だが今は違う。征臣を、これから先の人生をともに歩いていくパートナーとして見ている。だからこそ、簡単には踏み出せなかった。「征臣……下ろしてくれる?痛いの」「紗和、まだ何もしていないよ」征臣の呼びかけは、驚くほど甘かった。その声は、子供を安心させるように、どこまでも柔らかい。紗和は8年もの間、尽くし続けた。それでも、心から安らげるような愛情を得ることはできなかった。愛されたいと強く願いながら、ずっとその温もりに飢えていた。だから征臣の優しい呼びかけに、不思議なほど心がほどけた。柔らかな布に包まれたような安心感と、確かな愛情が胸の奥へ染み込んでくる。征臣は紗和を寝室のベッドへそっと下
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