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All Chapters of 菊池まりな童話集: Chapter 31 - Chapter 34

34 Chapters

第31話 星をなくした夜空

 その夜、星がなくなった。 夜空には雲ひとつなかった。 月も出ていない。 ただ、どこまでも深い黒が、村の上に広がっていた。 村人たちは最初、それを珍しいことだとは思わなかった。「今夜は星が見えないな」「きっと明日になれば戻るさ」 そう言って、いつものように家へ帰っていった。 けれど、ひとりだけ知っている子どもがいた。 この村で、星を守る役目を持つ子どもだった。 名前は、誰にも呼ばれなかった。 星を守る者には、名前が必要ないのだと、昔から言われていた。 子どもは夜空を見上げた。 胸の奥が、きゅっと痛んだ。「……ごめんなさい」 返事はなかった。 いつもなら、空にはたくさんの星がある。 眠れない夜には、ひとつずつ数えた。 悲しい夜には、いちばん明るい星を探した。 迷った夜には、北の空にある星が道を教えてくれた。 けれど今夜は、そのどれもない。 子どもは知っていた。 星は消えたのではない。 自分の心が曇ったから、星が光を失ったのだ。 ずっと胸の奥にしまっていた悲しみ。 誰にも言えなかった寂しさ。 泣きたいのに、泣いてはいけないと思っていた涙。 それらが少しずつ積もって、心の中に夜を作ってしまった。 その夜が、空まで広がったのだ。「星を……戻さなくちゃ」 子どもは小さな袋を肩にかけた。 そして、村を出た。 星が落ちた場所を探すために。 最初に見つけたのは、森だった。 いつもなら月明かりと星明かりが木々の間から差し込み、獣たちの目が小さく光っている。 けれど今夜は、真っ暗だった。 鹿が道を見失っていた。 小さな鳥が木の枝から落ちそうになっていた。 夜行性の動物たちでさえ、不安そうに鳴いている。「星がないと、こんなに暗いんだ……」 子どもは手のひらを握った。 自分が悲しんでいるだけなら、それでよかった。 自分ひとりが眠れないだけなら、それでもよかった。 けれど、自分の心の曇りが、こんなにもたくさんのものを暗くしてしまった。 そう思うと、胸が苦しくなった。 森を抜けると、小さな町があった。 窓には灯りがともっている。 けれど、どの家の灯りも頼りなく揺れていた。 人々は眠れず、何度も窓の外を見ている。 子どもが泣いている家もあった。 老人がひとり、暗い空を見つめていた。「星がない夜
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第32話 小さな声の贈りもの

 その猫は、ある冬の朝、商店街の裏通りで見つかった。 灰色の毛並みに、尻尾の先だけが黒く、まるでインクを落としたような模様の猫だった。 「寒かっただろうね」 声をかけたのは、古本屋を営む七瀬悠人だった。店の前を掃除しようと箒を持ったまま、猫の前にしゃがみ込む。猫は警戒しながらも、悠人の手をこわごわと嗅いだ。 その小さな震えを見て、悠人はためらいなくマフラーをほどき、そっと猫を包んだ。 「よかったら、うちで温まっていきなよ」 こうして猫は、古本屋の住猫となった。 猫は「スミ」と名付けられた。尻尾の黒いしみを見て、悠人が思いつきでつけた名前だ。 スミは本の匂いが好きらしく、よく詩集の棚の前に座り込み、まるで言葉を味わうように鼻をひくつかせていた。 ときどき来る小学生の女の子は、「スミちゃん、今日のおすすめの本は?」と訊き、スミの座る棚から一冊を借りていく。 悠人はそんな様子を見るたび、胸の内がじんわりと温かくなった。 猫がいるだけで、店に流れる時間が柔らかくなる。 そんなことを、彼はこの歳になって初めて知った。 だが、スミが来る前の悠人は、もっと硬い表情をしていた。 三年前、妻の美咲を病で亡くしてから、彼は笑うことを忘れていた。美咲と二人で守ってきたこの店を、ただ惰性で続けているだけだった。客が来ても機械的に対応し、閉店後はカウンターで酒を飲む。そんな日々の繰り返し。 変わったのは、スミが来てからだ。 朝、店を開けるとスミが窓辺で待っている。餌をやると、小さな声で鳴く。その日常の些細な営みが、悠人の心に少しずつ色を取り戻させていった。 冬が終わり、春が来たある夜。 悠人は店のカウンターで、閉店作業をしながらため息をついた。 売り上げは下がり続け、家賃の支払いに不安があった。 古本屋は人の温もりがあるが、数字は温まってはくれない。 「もう、続けるのは難しいかもな……」 ぽつりと漏らしたその時だった。 ──だいじょうぶだよ。 ふいに、耳元で声がした。 驚いて辺りを見るが、誰もいない。ただ、スミが足元にいて、ゆっくりと目を細めていた。 「……スミ? 今、声が……」 ──だいじょうぶ。まだ、終わらないよ。 そう聞こえた気がして、悠人は思わず笑ってしまった。 疲れすぎて幻聴が聞こえたのだろう
last updateLast Updated : 2026-08-25
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第33話 最後の郵便屋さん

山の向こうに、小さな村がありました。村には、もう誰も住んでいません。家の屋根はところどころ壊れ、道には草が伸びています。春になると、古い家の庭に白い花が咲きました。夏には、蝉の声が聞こえました。秋には、赤い葉っぱが道を埋めました。そして冬になると、村は雪の中にすっぽり隠れました。人の姿はなくても、季節だけは毎年やってきます。そんな村へ、毎週一度、手紙を届ける郵便屋さんがいました。名前は、ハルさん。もう七十を過ぎた、小さなおじいさんです。ハルさんは、雨の日も、風の日も、雪の日も、村へ向かいました。赤い自転車のかごには、いつも一通の手紙が入っています。宛名は、いつも同じでした。『ミサへ』それだけです。差出人の名前も、住所も書かれていません。ある日、郵便局に勤め始めた少年のユウが、その手紙を見つけました。「ハルさん。この手紙、どこへ届けるんですか?」「山の向こうの村だよ」「でも……あの村には、誰も住んでいませんよね?」ハルさんは、少しだけ笑いました。「そうだね」「じゃあ、誰に届けるんですか?」ハルさんは答えませんでした。ただ、手紙を大切そうに胸ポケットへしまいました。次の土曜日。ユウはハルさんについて、山の向こうへ行くことにしました。「どうしても一緒に行きたいかい?」「はい」「遠いよ」「大丈夫です」「帰りはもっと遠く感じるよ」「それでも行きます」ハルさんは困ったように笑いました。「じゃあ、しっかりついておいで」二人は朝早く、郵便局を出発しました。山道は細く、ところどころ石が転がっています。ハルさんは自転車を押しながら、ゆっくり歩きました。しばらくすると、古い橋が見えてきました。橋を渡ると、村の入口です。「ここが……」ユウは立ち止まりました。本当に、誰もいません。家は何軒もあります。けれど、どの窓にも明かりはありません。庭にも、人の気配はありません。「静かですね」「昔は、にぎやかだったんだよ」ハルさんはそう言って、村の奥へ歩いていきました。そして、一軒の小さな家の前で立ち止まりました。郵便受けは、錆びついていました。ハルさんは、その中へ手紙を入れました。「これで、お届け完了」「……本当に届いたんですか?」ユウが聞きました。ハルさんは郵便受けを見つめました。「う
last updateLast Updated : 2026-09-05
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第34話 泣き虫の雲と小さな傘

空のずっと高いところに、ひとりの雲が住んでいました。名前はモク。モクは、とても泣き虫でした。ちょっと寂しくなると、ぽつり。悲しくなると、ぽつぽつ。寂しくてたまらなくなると、ザーザー。雨が降ります。そのため、モクはいつもひとりでした。「またモクが雨を降らせてるぞ」「洗濯物が乾かないじゃないか」「今日はせっかくのお祭りなのに……」下の町から聞こえてくる声を、モクはいつも悲しい気持ちで聞いていました。「ごめんなさい……」謝っても、雨は止まりません。涙をこらえようとすると、胸が苦しくなります。そして、とうとう我慢できなくなると──また雨が降るのでした。ある日のことです。モクは、町から遠く離れた森の上を飛んでいました。その日は朝からずっと雨でした。森の木々も、草花も、みんな濡れています。モクはため息をつきました。「ぼくなんて、いないほうがいいのかな」そのときでした。森の小道を、一人の女の子が歩いてきました。赤い長靴。黄色いレインコート。そして、小さな青い傘。女の子は雨の中を歩きながら、鼻歌を歌っています。モクは不思議に思いました。「どうして、この子は笑っているんだろう?」女の子は森の奥まで歩いてくると、一本の小さな花の前で立ち止まりました。花は、雨に打たれてうつむいています。女の子はしゃがみ込みました。「大丈夫?」もちろん、花は答えません。女の子は傘を少し傾けました。すると、花に当たっていた雨が少しだけ弱くなります。「明日は晴れるといいね」その声を聞いた瞬間。モクの胸が、きゅっとしました。ぽつん。また涙が落ちました。女の子が空を見上げます。「もしかして、泣いてるの?」モクは慌てて雲の形を変えました。「ち、違うよ!」「雲さん、しゃべった!」女の子は目を丸くしました。「ご、ごめん……」「どうして謝るの?」「だって、ぼくが雨を降らせてるから」モクは小さな声で言いました。「みんな、ぼくの雨が嫌いなんだ」女の子は少し考えてから、首を横に振りました。「私は嫌いじゃないよ」「……ほんとう?」「うん」女の子は雨粒を一つ、指先で受け止めました。「雨が降ると、花が元気になるでしょう?」「でも……」「それに」女の子は笑いました。「雨の日は、傘をさして歩くのも楽しいよ」モク
last updateLast Updated : 2026-09-15
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