西条愛音が目を覚ますのは、いつも空が白みきる前だった。 台所の灯りをつけ、出汁の匂いが立ちのぼる頃に、二階から足音が降りてくる。朝桐航生は寝癖もそのままに椅子を引き、湯気の立つ味噌汁の椀を覗き込んだ。箸の先で豆腐をつつき、そのまま止まる。「なんだ、この手抜きの食事は。こんな乞食のようなものを俺に食わせると?」 愛音は俯いたまま、菜箸を持つ手を止めた。答える言葉はとうに用意していない。何を言っても無駄だと、結婚して三年でとっくに学んでいる。 航生はテーブルの上のスマホを引き寄せ、画面をつけたまま口の端だけで笑った。「もういい。貴子さんのところで食べて来る。あちらの方が食事はうまいからな。愛音も貴子さんを見習ったらどうだ?」 スーツの上着を掴み、玄関へ向かう背中に、愛音は小さく頭を下げる。返事の代わりに。 ドアの閉まる音がして、家の中の空気が一段軽くなる。愛音はしばらく味噌汁の鍋を見つめたまま動かなかった。湯気だけが立ちのぼり、やがて薄くなって消える。 テーブルに残されたスマホが、航生のものと勘違いしたのか短く震えた。愛音の手元にある自分のスマホだった。画面に浮かんだ名前は、貴子。『愛音さん、あなた主婦としても無能なのね。私優しいから航生さん好みの食事を送ってあげるわ。お義父様とお義母様が多忙で無関心だからって手抜きはしないことね』 文面を二度読み、愛音は画面を伏せた。言い返す気力もない。ただ、指先が少し冷たくなっている気がした。 立ち上がり、味噌汁を流しに空ける。豆腐が排水口に沈んでいくのを見届けてから、掃除機のコードを引っ張り出した。 リビングの隅から順に掃除機をかけていく。航生の脱ぎ捨てたシャツを拾い、洗濯機に放り込む。カーテンを開け、朝の光を入れる。手を動かしている間だけは、何も考えずに済む。 この家には味方がいない。航生の両親は息子には甘く、愛音には最初から関心がなかった。義弟の陽太は顔を合わせるたびに、兄さんの奥さんは家にいるだけでいいよなと軽口を叩き、その妻の貴子は今のようなメッセージを事あるごとに送りつけてくる。 唯一、愛音の心が緩む時間があるとすれば、それは養父とのやりとりだった。 西条隆二。血の繋がりはなくとも、愛音を育て、大学まで行かせてく
Terakhir Diperbarui : 2026-07-18 Baca selengkapnya