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4話

Author: 団紡るう
last update publish date: 2026-07-22 08:13:13

 洗濯物を畳んでいると、スマホが小さく震えた。

 画面に浮かんだ表示名は「さっちゃん」。

『愛音ちゃん、今度の試食会、思ったより大ごとになりそう。極上の鯛もあるみたいよ』

 愛音は畳みかけのシャツを膝に置き、指を滑らせた。

『へえ、豪華ね。仕込みはこっちで見ておくから、いつも通りお願い』

『了解。隠し味は控えめにいくね』

『うん、それでいい』

 やり取りはものの数十秒で終わる。画面を閉じ、愛音は再びシャツに手を伸ばした。

「誰だ、それ」

 ソファで新聞を広げていた航生が、顔も上げずに尋ねた。

「さっちゃん。お料理サークルの友達。相談に乗ってた」

「暇な連中だな。井戸端会議でもしてろ」

 鼻を鳴らし、航生は新聞をめくる。愛音がその横顔を一瞥してから、また畳みかけのシャツに視線を落とした。反論する気力も、もう残っていない。

「それより、今日はアイロン忘れるなよ。昨日みたいなことになったら困る」

「はい」

 短く答え、愛音は洗濯かごを抱えて立ち上がった。リビングを出る背中に、航生の視線は追ってこなかった。

 その日の午後、愛音は隆二の病室で洗濯物を受け取っていた。

「航生さんは?」

 隆二が尋ねると、愛音は曖昧に微笑んだ。

「お仕事で忙しいみたい。今日は義弟さんたちとランチだって」

「そうか……お前は、ちゃんと食べてるのか」

「うん、大丈夫」

 隆二の心配そうな顔に、愛音は何も言えなくなる。この人にだけは、心配をかけたくなかった。

 緑地会鳳凰総合病院。

「お疲れ様兄さん。新しい医療器具のカタログ、院長が褒めていたよ。導入を前向きに検討したいって言っていた」

 朝桐陽太が肩を並べて歩いている兄の航生に肩を置いて笑っている。

「それは光栄だな。老舗のメーカーを差し置いて新興のうちなんかがと思うけれど」

「お疲れ様を言うなら、アイデアをくれた貴子さんだろ」

「それはそうだけど、形にしたのは兄さんだろ。そうだ、これからランチに行かないか。近くのいい店で、貴子と待ち合わせているんだ。ああ、"奥さん"も呼んだ方がいいかな」

「それはいいな。連絡してみる」

 航生はスマホを取って、連絡先を開いた。

 鳳凰総合病院から車で5分のイタリアンレストラン。陽太と航生が駐車場に車を止めて店内に入ると、先に席について待っていた貴子が手を振っていた。

「あなた。わぁ、お義兄さんも一緒なのね」

 顔を輝かせて貴子は立ち上がった。

「ほんと兄さんのことが大好きだな。航生の"奥さん"も誘ったけど用事があって来れないって」

「あら残念。会いたかったのに。でもお義兄さんだけでも十分嬉しい」

「お前、本当に兄さんが好きだな」

 陽太が茶化すと、貴子は無邪気に笑った。

「だって朝ごはんを食べているところを毎日のように見ているからね。"家政婦さん"、あまり手際が良くないでしょ」

「あいつ、最近少しは自分の立場を分かって来たようだ」

「そうなの」

 貴子は座席に座ると軽く手を挙げて。やってきたウェイトレスに航生と陽太はそれぞれランチセットを頼んだ。

「そんなことよりね。来週の金曜に予定ある? うちの会社が協賛している医学交流パーティーがあるんだけど陽太さんとお義兄さんにも来て欲しいなぁって。私、人見知りだから」

「ぜひ行かせてもらうよ。うちの会社にとっても悪い話じゃない」

 航生はスマホをポケットに戻しながら答えた。貴子は嬉しそうに手を合わせる。

「良かった! 実は今回、結構大きなところも来るのよ。海外のバイオメディカル系のグループも協賛に入ってるみたいで」

「へえ、そんな規模なのか」

 陽太が身を乗り出す。貴子は得意げに頷いた。

「私も詳しくは知らないんだけど、上の人が"今回は顔を出しておいた方がいい"って言うくらいだから、結構本気の集まりなんだと思う」

「共同研究、か」

 航生はグラスに口をつけながら、興味なさそうに、しかしどこか計算するような目でつぶやいた。

「そういう場に顔を出しておけば、うちの会社にも箔がつくかもしれないな」

「そうそう! だから絶対来てね、お義兄さん」

 貴子は両手を組んで、航生にだけ向けた笑顔を作った。

「日にちは来週の金曜。招待枠、私が確保しておくから」

「助かるよ」

 航生が短く答えると、貴子はスマホを取り出し、何かを打ち込み始めた。その画面には、パーティーの出席者リストらしきものが表示されている。

「これは……」

 航生はグラスを置き、貴子の手元を覗き込んだ。並んだ社名の中に見覚えのあるものはひとつもない。それでもロゴの並びだけで、格の違いのようなものは伝わってくる。

「向こうの業界のことはよく分からないけど、社長がやたら気合入れてたから、多分すごい人たちなんだと思う」

「兄さん、その顔。もう営業モードに入ってるだろ」

 陽太が苦笑いを浮かべてフォークを置いた。

「悪いか。こういう場は逃したら意味がない」

「そりゃそうだ」

 三人の笑い声がカフェに響いた。

 貴子はスマホをバッグにしまいながら、少しだけ早口になった。

「絶対来てね。私、こういう場でうまく話せないから......お義兄さんたちがいてくれないと、困るの」

 いつもの得意げな調子とは違う声だった。

 夕方、愛音は誰もいない家に戻った。買ってきた食材を冷蔵庫にしまっていると、スマホがまた震える。

『愛音ちゃん、試食係、こっちで用意しとくね。極上の鰯が直接顔を出すみたいだから気を抜かないで』

 愛音は冷蔵庫の扉を閉め、画面を見つめた。

『了解。いつも通り、味は任せる』

 返信を送り、スマホをエプロンのポケットにしまう。鍋に湯を張りながら、ふと暗くなった窓を見つめた。

 唇の両端を上げた。

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