All Chapters of 夫の葬儀で、私は愛人にされた ――すべてを奪われた私を救ったのは、亡夫の兄でした ――: Chapter 31 - Chapter 40

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第31話 小さな約束

紗英はキッチンで、フライパンに落とした卵の焼き加減を確かめていた。昨夜、怜司が美味しそうに食事をしてくれたことを思い出すと、自然に頬が緩む。「……よし、こんなものかな」怜司のいる朝は、冷蔵庫にハウスキーパーが置いていったものを出すだけだが、今朝は、それに焼きたての卵とトーストを添える。このくらいの朝食は、用意してもいいだろう。「おはようございます」背後から声がして振り返ると、怜司が立っていた。「おはようございます」怜司はテーブルに並べられた皿を見て、柔らかく微笑んだ。「嬉しいですね。ありがとうございます」正直、昨夜の今朝でこんな風に朝食の用意をすると、どう思われるかと心配ではあった。怜司の様子が好意的なので、ホッとする。「いつものおまけ程度で、大したことはしていませんから」そう言って、怜司は椅子を引いた。いつもなら、紗英が起きる頃には出勤していることが多い。今朝は、まだ少し時間に余裕があるらしい。「まだ、お時間大丈夫ですか?」「ええ。午前中の予定を少し調整したので」怜司はコーヒーをカップに注ぎながら、紗英を見た。「無理して用意する必要はありませんからね。紗英さんが、やりたいときだけ食事の準備をしてくれればいいです」そんないい加減な感じでいいものだろうか。「そうですか……」紗英は向かいの椅子に腰を下ろした。やりたいときだけ、と言われても、今の自分の状況では、家の中でできることが限られている。昨夜の話を聞いてか、紗英には一つ考えていることがあった。「あの、怜司さん」「はい?」「昨日のお話なんですけど……」怜司がコーヒーカップを置いた。「雅人のことについて、私にも何か協力できることはありませんか?」「協力、ですか?」「はい。私の口座が使われていたんですし、仕事の関係でも雅人とはつながりがありましたから。何か、できることがあるんじゃないかと思って」怜司は静かに首を振った。「紗英さん名義の口座の動きを見せていただくことで、十分協力していただいていますよ」「でも、ただ、ここで待っているだけって……」「貴女から聞いた話が、調査の手がかりになっていますから」紗英は静かだが、有無を言わせない怜司の答えに自分の言葉を飲み込んだ。正直、雅人の件に関して、自分が何もできないのは、もどかしい。怜司に何もかも任せきりで
last updateLast Updated : 2026-10-16
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第32話 選べなかった人生

澄香から『悠真の塾の時間に少しだけ家に寄らせてほしい』と連絡があったので、前回と同じように彼女の訪問を待った。玄関で顔を合わせた途端、紗英は用意していた挨拶を飲みこんだ。澄香は、以前に会った時よりひどく痩せて、憔悴して見えた。表情もひどく暗い。「何か、あったんですか?」澄香は、唇を引き結び、小さく頷いた。リビングへ通し、お茶を置く。澄香は、カップに手を伸ばしかけて、膝の上へ戻した。「実家へ、話をしに行ってきたんです。悠真を連れて。高槻の家を出ようと思うと」「ご両親は、何て?」「そんなことは許さない、と」澄香は俯いた。「父に言われました。悠真さえいれば、いずれおまえが高槻家の女主人になれる。簡単にその立場を捨てるなど許さないって」夫のいない、自分の意見の通らない家で子どもを育てる。澄香の両親には、それが娘の幸せに見えているのだろうか。「そう言われて、初めて気づきました」澄香が、膝の上の手を見つめた。「私……そんなものになりたいわけではないって」「そのことは、お父様に?」「言いました。でも、贅沢なことを言うなと。お義母さまに尽くしていればいいんだって」紗英は、眉を寄せた。「ご実家に戻ることは……難しいんですね」「うちは、高槻の家の援助がなければ、今の暮らしを続けられませんから」澄香は、苦く笑った。「母も、今さら何が不満なのって。そればかりでした」整った服も、丁寧な物腰も、以前と変わらない。けれど、そこから見えていた澄香の暮らしと、彼女が実際に置かれている場所は違っていた。「別に実家に帰ろうと思っていたわけではないんです。でも、高槻の家を出たら頼る場所はそこしかないですし。悠真にとっては祖父母ですから話をしておきたくて」澄香は、さらに肩を落として言葉を続けた。
last updateLast Updated : 2026-10-18
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第33話 味方であることを隠して

澄香が帰ったあと。紗英は、澄香が訪ねてきたことを、怜司にメッセージで簡単に伝え、帰宅後に詳細を話すことにした。冷蔵庫を覗いて食材を確かめていても、澄香が最後に見せた涙が頭から離れなかった。夕食の席でその日の訪問について話すと、怜司は箸を置いた。「悠真を、父の養子に?」「ええ。美津子さんが電話で話しているのを聞いたそうです。『いつ澄香が出て行くかわからないから』と」怜司の眉間に、深く皺が寄った。「これまで、澄香さんには、そんな話は少しも無かったみたいで。それに、ご実家にも頼れなくて……悠真くんと暮らすために、自分に何ができるのかすごく悩んでました」紗英は、その時の澄香の様子を思い出して、小さくため息をついた。「確かに。澄香さんの実家である豊島家は、あまり事業も上手くいっていませんし。まぁ、彼らは見栄っ張りですから、娘が戻ってくるのをいい顔はしないかもしれませんね」「怜司さんは、澄香さんのご実家をよくご存じなんですか?」「そうですね。豊島家とは、昔から付き合いがあります。澄香さんも、中学生の頃から行儀見習いという名目で、よく本邸に来ていましたから」「中学生の頃から、一人でですか?」行儀見習い……マナーとか、そういうことなのだろうか。「美津子さんは、自分の思い通りになる嫁が欲しかったんだろうね。雅人も家にあまりいなかったし、居心地の悪そうなことが多くて。夕飯を一緒に食べたこともあったな」怜司が何かを思い出したように、ふっと笑いを浮かべる。「彼女は、とても真面目だからね。言われたことはきちんと守ろうとするんだ」澄香との思い出を語る怜司の柔らかな笑みに、なぜか胸がもやついた。「しかし……悠真を養子にって言うのは、少し行き過ぎだな」「この件を怜司さんにお話しすることは、澄香さんにも了承してもらっています。私にも何かできればと思ったんですけど、どうすればいいのか……」「養子の件は、俺の方で確かめてなんとかしてみます」その言葉に、少し肩の力が抜け
last updateLast Updated : 2026-10-19
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第34話 動き出す

次の日、紗英は澄香に「昨夜の話を伝えたいので、電話のできる時間を教えてほしい」とメッセージを送った。ほどなく、澄香から電話がかかってきた。 「今、大丈夫ですか?」「ええ。お義母さまがお出かけになったので」 昨日より、声は落ち着いていた。紗英はソファに腰を下ろし、怜司に相談したことを伝えた。「養子の件は、怜司さんが確かめてくださるそうです。それから、お仕事のことで提案があって」「仕事、ですか?」「VHGのホテルの内装や、飾る絵画を選ぶお仕事に、関わってみませんかと、怜司さんが。まずは担当の方のお手伝いからになると思うんですけど」電話の向こうが静かになった。「澄香さん?」「……私に、できるでしょうか」「詳しいことは、怜司さんが直接お話しになると思います。でも、絵がお好きなら、ご興味があるかと思って」「もちろんです。どんな仕事でもやらねばと思っていました。知っている方がいる職場だとそれだけでほっとします」すぐに返ってきた声に、紗英まで嬉しくなった。家を出る考えはいったん伏せておくこと。そのうえで、紗英がVHGと仕事をするなら自分も関わりたいと言い出した形にしてはどうかと説明した。「私に張り合っているように見せる、という感じで……。澄香さん。できそうでしょうか?」「ああ。それなら、大丈夫です」意外にもあっさりとした返事が返ってきた。「お義母さまの前で、うまく振る舞うのは得意なんです、私」澄香が、小さく笑った。「何を言えば喜んでくださるか、どこで頷けばいいか。長いですから」紗英には、すぐに返す言葉が見つからなかった。「紗英さんがお仕事をなさるなら、私も何かしなければ気が済まない。そういうことですよね?」「ええ。でも、無理はなさらないでくださいね」「無理ではないんです。本当に」今度の声には、少しだけいたずらめいた響きがあった。「お義母さまの望むことを、私も望んでいるようにお話しすればいいんですから。今までと変わりません」そこまで言ってから、澄香は一度、言葉を切った。「……でも、その先に、自分のしたいことがあるのは初めてかもしれません」昨日会った時の声の調子とは、打って変わって明るいものに変わっていた。◇◇◇それから数日後。契約内容の確認と必要な手続きを終え、紗英はVHGの系列ホテルを訪れた。今日は、装花を担
last updateLast Updated : 2026-10-20
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第35話 花の向こうの視線

テーブルには、ロビーとラウンジの図面が広げられていた。まずはこの二か所の装花について、提案してほしいという。「ロビーは華やかにしたい一方で、お客様同士のお待ち合わせにも使われますので、視界を遮るものは避けたいんです」説明を聞きながら、紗英はノートを開いた。「今、飾られている花器を、そのまま使う予定でしょうか」「使えるものがあれば。ただ、必要でしたら新しく用意することも可能です」「一度、実物を見せていただいてもいいですか。置く場所からの見え方も確かめたいので」担当者が頷く。続けて、花の交換頻度や予算、ラウンジの利用客について尋ねた。答えを書き留めながら、頭の中で花を組み合わせていく。ロビーの石材には、どんな色が映えるだろう。ラウンジの照明の下では、淡い色だけだと沈んでしまうかもしれない。「紗英」呼ばれて顔を上げると、怜司がこちらを見ていた。「俺は、そろそろ失礼するよ」「あ……はい」気づけば、ノートには何行も文字が並んでいた。怜司が同席していることまで、忘れかけていた。「あとをお願いします」担当者たちにそう告げ、怜司は席を立った。すれ違うとき、一瞬だけ紗英と目を合わせる。その目が微かに笑っていて、また頬が熱くなった。会議室の扉が閉まると、向かいの女性が笑みを浮かべた。「副社長は、奥さまのことすごく大事にされているんですね」急にそんなことを言われて、思わず頬が赤くなる。自分が入ってくる前に、この部屋でどんな話をしていたのか。紗英のその様子に、横にいた佐伯が柔らかい声で図面を指した。「では、先にロビーをご覧になりますか?」「はい。お願いします」紗英はノートを持って立ち上がった。◇◇◇ロビーには、白い花を中心にした大きな装花が置かれていた。
last updateLast Updated : 2026-10-21
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第36話 噂を仕掛けた代償

初めての打ち合わせを終えて、ホテルのラウンジで少しの休憩を取る。紗英は、ホテルのラウンジから中庭を眺めた。都心にあるとは思えないほど、落ち着いた奥行きのある庭が広がっている。「紗英」名前を呼ばれて振り返る。普段、家では『紗英さん』と呼ぶ彼が、会社の人間の前では夫婦感を出すために、紗英の名前を呼び捨てにする。あえてそうしていることはわかっていても、親密感が増したように感じて、ドキドキしてしまう。「怜司さん。こんな機会をいただいて、本当にありがとうございます」「さっき、担当者から今後の打ち合わせについても聞いてきたよ。ひとまずデザイン案をチャットでやりとりしてから次の打ち合わせだな」紗英は、打ち合わせで目いっぱい書き込みをしたノートをギュッと抱きしめ、怜司に笑みを返した。本当に、いつだって花に助けられていると感じる。自分には何もできない、と落ち込んでいたことが嘘のように気持ちが晴れている。「改めて私は花の力に生かされてるなぁって思いました」「花も、紗英に生かされているんだと思うよ」そう言われると、なんだか胸の奥がふんわりと撫でられたように感じた。◇◇◇数日後。紗英が最初のデザイン案を送った頃、本社では、怜司が予想していた動きが起きていた。「今回の契約の件で、副社長が奥さまに、個人的な利益を流すためのものだという噂が流れているようです」執務室で、佐伯が報告した。「発信元は?」「黒瀬部長と、以前から雅人専務に近かった面々のようです」怜司は、手元の書類を机に置いた。「契約内容について、信ぴょう性のある噂を流しているのか?」「いいえ。あくまで具体性のない噂話にとどまっています」「ふん。なるほどな」怜司は、自分の手の平で転がる駒のように、思うとおりに相手が動き始めたことに思わず笑みを浮かべた。今回の紗英との契約は、担当部署を通して、慎重なほど手続きを進めた。報酬も、依頼する仕事に応じたものだ。怜司の妻だからという理由で、特別な金額を設定してはいない。「奥さまの今回のお仕事に関しては、ホテル側から、具体的な提案が早く、打ち合わせも進めやすいと聞いています」佐伯が続けた。「ただ、本社のこのような噂が現場にまで届くと、仕事に支障が出るかもしれません」怜司の指が、机を一度叩いた。紗英は、仕事の話になると表情が変わる。
last updateLast Updated : 2026-10-22
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第37話 過去の請求書

「副社長。過去の装花契約について、資料の確認を進めております」佐伯の報告に、怜司は手元の書類から顔を上げた。「黒瀬の反応は?」「特に異議は唱えていません。むしろ、公平性を保つためにも必要な調査だと言っているようです」「そうか」怜司は薄く笑った。自分たちが言い出した契約の不透明さを問題にする調査だ。反対すれば、かえって不自然に見えるだろう。「ただ、雅人専務が直接指示していた案件については、詳細を把握していないと説明しています」「随分と都合のいい言い分だな」「現在、経理に残っている資料と、ホテル側の記録を照合中です。すでにいくつか、請求内容と納品記録が合わない案件が見つかっています」佐伯が差し出した資料に、怜司は目を落とした。特別演出用装花。海外調達花材。華やかな催事を思わせる名目が並んでいる。「実際には、これだけの花材が納められた記録はないんだな?」「はい。少なくとも、ホテル側で確認できた記録にはありません」「請求だけが残っているわけか」怜司は資料を机に置いた。「引き続き調べてくれ。黒瀬が提出してくる資料とも照合する」「承知しました」佐伯が出ていくと、怜司は椅子の背にもたれた。黒瀬が動けば、そこから別の関係者へつながる可能性がある。思惑どおりに事が進み始めていた。ただ、今夜は少し早く帰りたかった。紗英が、最初のデザイン案をホテルへ提出したと聞いていたからだ。◇◇◇「おかえりなさい」玄関まで迎えに出た紗英は、怜司の持っている紙袋に目を留めた。「何か買ってこられたんですか?」「ええ。今日はお祝いですから」「お祝い?」怜司は紙袋からワインを取り出した。「初仕事のデザイン案を提出したんでしょう?」「あ……はい!」紗英の表情がぱっと明るくなる。
last updateLast Updated : 2026-10-23
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第38話 新しい居場所

高槻家を出たい。そう決意してから、澄香は少しずつ、自分のこれからを考えるようになっていた。まずは仕事を見つけなくては。働いたことのない自分に何ができるのか、考えればきりがないほど不安に襲われる。それでも、悠真と二人で暮らしていこうと思ったら、悩んでいる暇も惜しいと思えた。悠真と引き離されることなど、絶対に考えられない。雅人が死んだと聞かされたとき。悲しみよりも、これから先、自分と悠真はどうなるのだろう、と思った。そんな自分がひどく酷薄にも感じたが、雅人の葬儀で「私は雅人の妻です」という紗英を見た時、なんだかいろいろなことが腑に落ちた。その紗英が、今度は義兄の怜司と結婚をした、と聞いた時には、紗英という女性は金のある男の妻になることを生業にしているのだろうか、と考えた。実際に、自分の生い立ちの中では、資産家と何度も結婚を繰り返す伯母もいたので、取り立てておかしなことでも無かった。しかし、その紗英と話をすればするほど、彼女と自分の間に何か共通するものを感じた。そして、不思議と紗英に親近感を持つようになっていた。冷静に考えてみるとおかしな話だとは思うが、同じように雅人に利用されたのだとそう思えて、勝手に仲間意識を感じてしまっていた。悠真を取られないように高槻家を出たい。そう彼女に相談した時、真剣に解決方法を考えてくれた。そう言えば、自分にはそんな友人も家族もいなかったのだな、と改めてそう思えた。怜司の計らいで、美術大学で世話になった恩師からの推薦も貰い、ホテルのインテリアデザインに関わる仕事をすることになった。VHGの系列ホテルで、客室や共用スペースに飾る絵画や美術品を選定する仕事だという。まさか、今の自分にそんな仕事ができるとは思わなかった。それでも、せっかく与えてもらった機会を手放したくはなかった。当面はサブアドバイザーとして、インテリアデザイン部門の仕事を手伝うことになった。「こちらの作品は、客室よりラウンジの方が
last updateLast Updated : 2026-10-24
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第39話 従順な嫁の内心

「葬儀で雅人専務の愛人と名乗っていた女性が、今度は怜司副社長に取り入り、会社まで思いどおりにしようとしています」黒瀬の言葉に、澄香は思わず顔を上げた。「そんな……。それは本当ですか?」「ええ。すでに副社長と結婚して、会社と業務の直接契約まで結んでいます。以前は、雅人専務の紹介で仕事を得ていた女性ですよ。どうにも不自然だとは思いませんか?」黒瀬は、いかにも心配だという表情を浮かべていた。澄香は、どう答えたものかと考えた。自分の力で仕事をしたいと願う紗英が、会社を乗っ取ろうとしているなどとは、とても思えなかった。とはいえ、自分が紗英と繋がっていることが、目の前の男に知られるのは、まずい気がする。澄香はそう思って、自分が紗英と知り合いであることは告げないでいようと思った。「このことは、澄香さまにとっても、決して他人事ではございません」黒瀬がさらに声を落とした。「このまま副社長夫妻の思いどおりになれば、会社を私利私欲に利用され、澄香さまと悠真さまのお立場も危うくなります。いずれは高槻家から追い出されることにもなりかねません」――それなら、むしろ好都合なのだけれど。澄香は、思わずそう考えていた。悠真と二人で、誰の顔色も窺わずに暮らせるのなら、どれほどいいだろう。目下の問題は、美津子が悠真を手放そうとしないことだ。会長の養子にするなどという話まで出ている以上、単に家を出れば済むというものではない。「……そうなったら、困りますね」澄香は、わざと不安そうに俯いた。黒瀬が大きく頷く。「私たちは、雅人専務に長くお世話になった身です。ご遺族が不当に扱われることなど、見過ごせません」どの口がそんなことを言うのだろう。紗英から聞いた話では、黒瀬は彼女を高槻家へ呼び出し、怜司を信用しないよう警告した人物でもある。その黒瀬が、今度は自分に紗英を警戒しろと言っている。いったい、何を企んでいるのだろうか。
last updateLast Updated : 2026-10-25
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第40話 怪しい動き

黒瀬の背中を見送りながら、澄香は小さく息を吐いた。彼は、こんな陳腐な芝居でも、こちらが素直に信じると思っているのだろう。今までの自分なら、そうだったかもしれない。誰かがこうしろ、と命令すれば、そのとおりにしていたはずだ。しかし、今は違う。少なくとも、悠真のこれからについては、自分が慎重に考え、絶対に周囲に流されることのないようにしないといけない。澄香は、携帯電話を取り出し、さきほどの黒瀬とのやりとりについて、紗英にメッセージを送った。ほどなくして返事が届いた。『あまり無理をして、そちら側を探らなくてもいいですからね。危ない目に合わないようにしてください』澄香は、少し考えてから返信した。『大丈夫です。私、演技は上手いんですよ』すぐに返事が返ってくる。『澄香さんに何かあったら、大変ですから。くれぐれも注意してください。この件は怜司さんにも伝えておきます』返事のスタンプを送り終えると、澄香はもう一度、仕事の資料を手に取った。◇◇◇「黒瀬が、澄香さんに?」佐伯の報告を受け、怜司は眉を上げた。「はい。インテリアデザイン部門で、しばらくお話しされていたそうです」「なるほどな。澄香さんなら、簡単に言いくるめられると思ったわけか」怜司は口元を緩めた。黒瀬が澄香を利用し、紗英との対立構造を作り、怜司の評判にも傷をつけようとしていることは容易に想像できた。ただ、黒瀬は知らない。澄香と紗英が、すでに互いを信頼していることを。「それから、副社長。過去の装花契約について、追加の報告がございます」佐伯は別の資料を机に置いた。「黒瀬部長が承認していた案件のうち、ホテル側の納品記録と請求内容が一致しないものが、ほかにも見つかりました」「同じ取引先か?」「はい。複数の系列ホテルで利用されています。現在確認できたものだけで、請求額は約八千万円になります」怜
last updateLast Updated : 2026-10-26
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