《婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す》全部章節:第 51 章 - 第 60 章

168 章節

約束の日

 退院から三日後。 父はようやく日常の生活を取り戻しつつあった。 とはいえ、遥臣からは「無理は禁物」と何度も念を押されている。 出社も午前中だけ。 午後は自宅で休むように言われていた。「じゃあ、行ってくるよ」 父が上着を羽織る。 綾香はその姿を見つめていた。「お父様」「ん?」「今日は……私も一緒に行ってもいい?」 父は少し驚いたように目を瞬かせる。「会社へ?」「ええ」「この前、連れて行ってくれるって約束したでしょう?」 父はすぐに笑顔になった。「ああ、そうだったな」「もちろんだ」「でも、退屈かもしれないぞ?」「それでもいいわ」 綾香も微笑み返す。 本当の理由は言えない。 会社を見たい。 父が守ってきた場所を知りたい。 そして――。(理央に奪われる未来を、変えたい) そのためには、まず知らなければならない。 何を守るべきなのかを。◇◆◇ 車に揺られながら、綾香は窓の外を眺めていた。 前世でも会社へ行こうと思えば行けたはずだ。 けれど、自分から興味を持とうとしなかった。 父も何も言わなかった。 だから、自分には関係のない世界だと思い込んでいた。 そんな自分を、少しだけ後悔する。「緊張してるのか?」 父が笑う。「少しだけ」「そんなに構えなくていい」「社員はみんな優しい人たちだから」 その一言に、綾香は父らしさを感じた。 父は会社を利益だけで見ていない。 働いている人たちを信頼している。 だからこそ、長く会社を続けてこられたのだろう。◇◆◇
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会長のお嬢様

 父に案内されながら社内を歩く。 すれ違う社員たちは仕事の手を止め、次々と頭を下げた。「会長、おはようございます」「お身体はもうよろしいのですか」「ああ」 父は穏やかに笑う。「もう心配はいらない」「先生にも無理をするなと言われていますから、今日は午前中だけですよ」 社員の一人がそう言うと、父は苦笑した。「君までそんなことを言うのか」「当然です」 周囲から笑い声が上がる。 その空気は、とても温かかった。(みんな、本当にお父様を……) 慕っている。 そう思わずにはいられなかった。「会長」 年配の男性社員が綾香へ視線を向ける。「こちらがお嬢様ですか?」「ああ」 父は嬉しそうに頷く。「娘の綾香だ」「初めて会社へ連れてきた」 社員たちは一斉に頭を下げる。「初めまして」「いつも会長には大変お世話になっております」「こちらこそ、父がお世話になっています」 綾香も慌てて頭を下げた。 すると、一人の女性社員が優しく笑う。「お嬢様が来てくださるなんて嬉しいです」「会長、いつもお嬢様のお話をされるんですよ」「え?」 綾香は思わず父を見る。「お父様が?」「ええ」「娘が甘い物好きでね、とか」「最近は家でこんなことがあってね、とか」 女性社員は楽しそうに笑う。「みんな、お嬢様のお名前だけは前から知っていました」 綾香は驚いた。 父は家で会社の話をほとんどしない。 だから逆に、会社でも家族の話はしていないのだと思っていた。「余計なことまで話さなくていい」 父が少し照れくさそうに咳払いをす
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初めて見る景色

「せっかくだ」 父は理央へ微笑んだ。「綾香に社内を案内しようと思っている」「でしたら私もご一緒します」 理央は自然な口調で申し出た。「営業部なら、私からもご説明できますので」「そうだな」 父も頷く。「頼もうか」 三人は並んで廊下を歩き始めた。 社内は思っていた以上に活気がある。 電話の音が鳴り、社員たちが足早に行き交う。 パソコンへ向かう人。 打ち合わせをしている人。 資料を抱えて走る人。 誰もが忙しそうだった。「皆さん、本当に忙しそうね」「ありがたいことにな」 父は穏やかに答えた。「最近は新しい取引先も増えて、営業もずいぶん忙しくなっている」 理央も頷く。「毎日あっという間ですよ」 綾香は静かに社内を見回した。 ここで働く人たちは、自分の仕事に真剣に向き合っている。 それが表情を見るだけで伝わってきた。 やがて父は一つの部署の前で足を止める。「ここが営業部だ」 室内では何人もの社員が資料を広げ、打ち合わせをしていた。「会長、おはようございます」 部長らしき男性が立ち上がる。「お身体はもう大丈夫ですか」「ああ」「今日は娘を連れてきただけだ」「そうでしたか」 男性は綾香へ向き直り、丁寧に頭を下げた。「初めまして。営業部長の佐伯と申します」「初めまして」 綾香も慌てて頭を下げる。「綾香です」「理央さんには本当に助けてもらっています」 佐伯は笑顔で理央を見る。「取引先からの評判もいいですし、若いのによく頑張っていますよ」 理央は照れくさそうに笑った。「まだ勉強中です」「いやい
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父の居場所

 営業部を後にすると、父はゆっくりと廊下を歩き出した。「少し休憩しようか」「大丈夫?」「ああ。少し座れば問題ない」 まだ退院して間もない。 綾香も無理をさせるつもりはなかった。 三人は応接スペースへ移動する。 社員がすぐにお茶を運んできた。「ありがとうございます」 綾香が頭を下げると、女性社員は少し嬉しそうに微笑んだ。「とんでもございません」「ごゆっくりどうぞ」 そのまま去っていく姿を見送りながら、綾香は小さく呟く。「皆さん、優しいのね」「そうだな」 父も穏やかに頷く。「私は人に恵まれてきた」 その言葉に、理央も微笑む。「会長が皆さんを大切にされているからですよ」 父は少し照れたように笑った。「そう言ってもらえると嬉しいな」 綾香は窓の外を眺める。 社員たちは慌ただしく行き来している。 誰一人として手を抜いているようには見えなかった。「お父様」「ん?」「社員の皆さんのお名前、全部覚えているの?」 父は当然のように答えた。「もちろんだ」「えっ……」 綾香は思わず目を丸くする。「百人以上いるんでしょう?」「ああ」「でも、一緒に働く仲間だからな」「名前くらいは覚えておかないと失礼だろう」 綾香は言葉を失った。 社長だから偉い。 そんな人ではなかった。 父は、一人ひとりを大切にしてきたからこそ、社員も父を慕っているのだ。「会長は、新入社員が入るたびに必ず声を掛けられるんです」 理央が穏やかに話す。「最初は皆さん緊張していますが、それで安心する人も多いですよ」「そうだったの……」 綾香は父を見る。 知らなかった。 本当に何も知らなかった。 父がどんな思いで会社を守ってきたのか。 どんな人たちと一緒に歩いてきたのか。 その時、応接スペースの前を若い男性社員が通りかかった。 父の姿に気づき、足を止める。「会長!」「退院おめでとうございます!」「ああ、ありがとう」 父は笑顔で応じる。「もう体は大丈夫なんですか?」「無理はしないでくださいね」「先生にも娘にも、同じことを言われているよ」 父が苦笑すると、その場が和やかな笑いに包まれた。 社員は一礼し、仕事へ戻っていく。 綾香はその背中を見送りながら、そっと拳を握った。(こんな会社だったなんて……) 前世では知ろう
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受け継がれてきたもの

 父はゆっくりと立ち上がった。「せっかくだから、私の部屋も見ていくか」「お父様のお部屋?」「会社での、だ」 綾香は頷き、父の後をついていく。 エレベーターで最上階へ上がると、そこには静かな廊下が広がっていた。 一番奥にある重厚な木の扉の前で、父が足を止める。「ここだ」 扉が開く。 社長室は思っていたほど華美ではなかった。 大きな机に本棚、応接用のソファ。 必要なものだけが整然と並び、窓の外には街並みが一望できる。「綺麗……」 綾香が思わず呟くと、父は照れくさそうに笑った。「橘がいつも綺麗にしてくれているからな」 父は机へ向かいながら答えた。 綾香は部屋をゆっくり見回す。 壁には歴代当主と思われる肖像画や、古い写真が飾られていた。 その中の一枚に目が留まる。 今にも崩れそうな木造の建物。 店先には和服姿の男性たちが並び、白黒写真の下には古い文字で説明が添えられていた。「これは……?」 父も写真へ目を向ける。「ああ、昔の店だ」「御影家では、創業は江戸時代と言われている」「江戸時代?」 綾香は目を丸くした。「そんな昔から?」「正確な記録は残っていないんだ」 父は懐かしそうに笑う。「代々商いを続け、時代に合わせて少しずつ形を変えながら、ここまで続いてきたらしい」「だから、会社というより家業だった時代の方が長いんだよ」 綾香はもう一度写真を見つめた。 何百年という時間。 そこには、自分の知らない御影家の歴史が詰まっている。「この会社は」 父は静かに続ける。「私が一代で築いたものじゃない」「先代たちが繋いできたものを受け
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受け継ぐということ

 社長室を出ると、父はゆっくりと廊下を歩き始めた。 無理をさせないよう、綾香も父の歩調に合わせる。「少し疲れた?」「いや、大丈夫だ」 父は笑って答える。「でも、そろそろ帰ろうか」「先生との約束だものね」「ああ」 二人はエレベーターへ向かう。 その途中、父がふと足を止めた。「どうしたの?」「ここだ」 父が見つめていたのは、廊下の一角だった。 ガラスケースの中には、古びた帳簿や木製の看板、昔使われていたそろばんなどが展示されている。「社内にこんなものがあったの?」「創業の頃から残っていた品だ」 綾香はケースへ近づいた。 木の看板には、かすれた文字が残っている。 長い年月を経てきたことが、一目で分かった。「全部、本物なの?」「ああ」 父は静かに頷く。「昔の蔵を整理した時に見つかってな」「社員にも、この会社がどこから始まったのか知ってほしくて飾ることにした」 綾香はゆっくりとケースを見つめた。 何百年という時間。 その間、この家は商いを続けてきた。 戦争も、不景気も、きっと乗り越えてきたのだろう。「お父様」「ん?」「どうして、そんなに会社を大切にできるの?」 父は少しだけ考え、穏やかに微笑んだ。「私一人の会社じゃないからだ」「私一人の……?」「社員がいて、お客様がいて、取引先がいる」「その人たちが支えてくれて、初めて会社は成り立つ」 父は展示ケースへ目を向ける。「そして、その前には先代たちがいた」「私が受け継いだように、先代もまた、その前の代から受け継いできた」「だから私は、預かっているだけなんだ」 その言葉に、
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私にできること

 会社を出る頃には、昼を少し過ぎていた。 父は車へ乗り込む前に、社屋を振り返る。「今日はどうだった?」 綾香はしばらく考えた。「思っていた会社とは、全然違った」「ほう?」「もっと堅苦しい場所だと思っていたの。でも、皆さんが笑顔でお父様に話しかけていて……」 父は照れくさそうに笑う。「みんな、気を遣ってくれているだけだよ」「違うわ」 綾香は首を振った。「あれは気遣いだけじゃない」「本当に、お父様を慕っている顔だった」 父は何も答えず、静かに車へ乗り込んだ。◇◆◇ 屋敷へ戻ると、父は少し疲れた様子でソファへ腰を下ろした。「やっぱり、まだ本調子じゃないわね」「少し歩きすぎたかな」「だから無理は駄目だって言ったのに」 綾香は呆れたように笑いながら、お茶を用意する。 父は湯気の立つ湯飲みを受け取ると、ほっと息をついた。「ありがとう」 穏やかな時間だった。 けれど綾香の心には、会社で見た光景が残り続けていた。 父を慕う社員たち。 歴史ある会社。 代々受け継がれてきた御影家の商い。(守りたい) その気持ちは、間違いなく本物だった。 しかし――。(私は何も知らない) 会社の仕組みも。 仕事の流れも。 契約書の読み方すら分からない。 もし今、父に何かあったら。 自分は社員たちを守るどころか、何一つできない。 その現実が、胸に重くのしかかった。「どうした?」 父が心配そうに覗き込む。「難しい顔をして」「……私ね」 綾香はゆっくりと言葉を選んだ。「今日、会社へ行って思
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理央の訪問

 会社を訪れてから数日。 父は約束どおり、午前中だけ会社へ出勤し、午後は自宅で休む生活を続けていた。 そんなある日の午後だった。「お嬢様」 客間で本を読んでいた綾香のもとへ、橘がやって来る。「理央が来ております」「理央が?」 綾香は顔を上げた。「お父様に用事?」「はい」 橘は静かに頷く。「会社の書類を届けに来たそうです」「そう……」 父は仕事を減らすと言っていたが、会社から書類が届くことはまだあるらしい。「お嬢様にも、ご挨拶したいそうですが」 綾香は一瞬だけ考え、小さく頷いた。「分かったわ」◇◆◇ 客間へ入ると、理央が立ち上がった。「こんにちは、綾香」「こんにちは」 穏やかな笑顔は昔と変わらない。 綾香も向かいのソファへ腰を下ろした。「急に来てごめん」「会長へ書類を届ける用事があったから」「そうだったのね」「退院されたばかりだから、会社へ来ていただくより、その方がいいと思って」 理央はそう言って微笑む。 その気遣いも、ごく自然だった。「お父様も助かると思うわ」「それなら良かった」 一瞬、会話が途切れる。 以前なら気まずい沈黙ではなかった。 けれど今は違う。 前世の記憶がある綾香にとって、理央と向き合う時間は、どうしても複雑だった。「そういえば」 理央が口を開く。「会社はどうだった?」「初めてだったんだよね」「ええ」 綾香は静かに頷く。「思っていたより、ずっと温かい会社だったわ」「そうだね」 理央もどこか嬉しそうに笑った。「みんな会長のことが好きだから」「入院したって聞いた時も、社内は大騒ぎだったよ」 綾香は少し驚く。「そんなに?」「うん」「毎日のように『会長は大丈夫ですか』って聞かれた」 それを聞いて、綾香は会社で見た社員たちの姿を思い出した。 父を心から心配していた人たち。 あれは演技ではなかったのだ。「お父様、本当に慕われているのね」「そう思う」 理央は迷いなく答えた。「だから会長には、まだまだ元気でいてもらわないと困るんだ」 その言葉にも、不自然なところはなかった。 むしろ、本心のように聞こえる。(どうして……) 前世で知っている理央と、目の前の理央。 あまりにも違いすぎる。 どちらが本当なのか。 それとも、まだ何も始まっていないだけ
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変わらない答え

 理央が帰ったあと。 客間には静かな時間が流れていた。 綾香は飲みかけのお茶へ視線を落とし、小さく息をつく。「疲れたか?」 父が部屋へ入ってくる。「お父様」「理央が長居をしてしまったかな」「ううん」 綾香は首を横に振った。「そんなことはないわ」 父は向かいへ腰を下ろす。 しばらく他愛ない話をしたあと、ふと思い出したように口を開いた。「そういえば」「前に、お前が婚約のことを考え直したいと言っていただろう」 綾香の胸が小さく痛む。「……ええ」「あれから気持ちは変わったか?」 父の声は穏やかだった。 責めるような響きはない。 ただ、娘の気持ちを確かめたいだけなのだと分かる。 綾香は少し考え、ゆっくりと答えた。「ごめんなさい」「まだ、答えは出ていないの」 父は静かに頷く。「そうか」「焦らなくてもいい」「結婚は一生を左右することだからな」「納得できるまで考えなさい」 その言葉に、綾香はほっと息をつく。「ありがとう、お父様」「ただな」 父は少し照れくさそうに笑った。「理央は昔からお前を大事にしてきた」「だから私は、安心して見ていられたんだ」 綾香は小さく微笑む。「分かってる」 だからこそ、前世との違いに戸惑ってしまう。 今の理央は、どこから見ても誠実で優しい。 父が信頼するのも無理はなかった。「でも」 綾香は静かに父を見つめる。「もう少しだけ、自分の気持ちと向き合いたいの」「会社のことも、お父様のことも……」「最近になって、今まで知らなかったことがたくさんあるって気づいたから」 父は嬉しそうに目を細めた。「そうか」「お前がそう思ってくれたなら、それだけでも十分だ」「婚約のことは急がない」「お前が納得した時に答えを出せばいい」「うん」 綾香は笑顔で頷いた。 父は何も知らない。 前世のことも、理央の本当の姿も。 それでも、自分の気持ちを尊重してくれる。 だからこそ。(絶対に、お父様を悲しませるわけにはいかない) 綾香は静かに、その決意を胸へ刻んだ。
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母の部屋

 父との話を終えたあと、綾香は一人で母の部屋を訪れた。 婚約は急がなくていい。 父はそう言ってくれた。 それだけでも、前世とは違う未来へ一歩進めた気がする。 けれど――。(まだ足りない) 婚約を先延ばしにできても、それだけでは理央を止めることはできない。 父も。 会社も。 守る方法を見つけなければならない。 綾香は静かに部屋を見回した。 母が亡くなって三年。 部屋はきれいに整えられたままだ。 窓際には花瓶。 鏡台には香水瓶。 本棚には何冊もの本が並んでいる。「やっぱり、何もないわね……」 小さく息をついた、その時だった。 閉め忘れていた窓から風が吹き込み、カーテンがふわりと揺れる。「風……」 綾香は窓を閉めようと歩み寄った。 すると、カーテンの裾が本棚へ触れた拍子に、本棚がわずかに揺れる。 コトン――。 小さな音がして、何かが床へ落ちた。「えっ?」 綾香は驚いて足元を見る。 落ちていたのは、革張りの古いアルバムだった。「こんなところに……?」 不思議に思い、本棚と壁の隙間を覗き込む。 どうやら長い年月の間に隙間へ落ち込み、本棚の陰になって見えなくなっていたらしい。 綾香はしゃがみ込み、アルバムについた埃をそっと払う。「今まで気づかなかったのね……」 表紙には何も書かれていない。 家族写真のアルバムだろうか。 そう思いながら、ゆっくりとページを開く。「……これは」 最初に現れたのは、家族写真ではなかった。 古い町並み。 和服姿の人々。 そして、御影家の屋号が掲げられた店先。 会社で見た創業当時の写真と、よく似ている。 一枚、また一枚とページをめくる。 母は写真の余白へ、小さく書き込みを残していた。『祖父が一番大切にしていた写真』『戦後、店を建て直した頃』『あなたのお父様が家業を継いだ日』 どれも短い言葉ばかり。 それでも、母が御影家の歴史を大切にしていたことは十分に伝わってくる。 綾香は最後のページを開いた。 そこには写真はなく、一枚の紙だけが大切に挟まれていた。 見覚えのある文字。 母の筆跡だった。『綾香へ』 その三文字を見た瞬間、綾香の鼓動が大きく跳ねた。
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