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All Chapters of 拾った恩、捨てられた十年: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

「まーさーや!雅也ったら!」沙雪が二度呼びかけて、ようやく雅也は我に返った。「どうかした?」沙雪はやや苛立った様子で言った。「今日、どうしたの?さっきからずっとぼーっとして!」雅也は沙雪の問いに答えることができなかった。この遊園地は以前、藍里と一緒に来た場所だった。見覚えのある景色を目にするたび、どうしても藍里のことが頭をよぎってしまう。雅也が黙っているのを見て、沙雪はますます機嫌を損ねた。雅也は慌てて取り繕った。「ごめん。メリーゴーラウンドに乗りたかったんだろ?行くよ」雅也が付き合ってくれると聞いて、沙雪はすぐに機嫌を直した。沙雪が子供っぽいキャラクターのカチューシャを雅也の頭につけても、彼は拒まなかった。メリーゴーラウンドには写真撮影サービスがあり、沙雪はオプション料金を払って、スタッフに何枚も撮らせた。雅也は木馬の上で居心地悪そうに全身をこわばらせていた。乗り終わるのを待ちきれない様子で、そのまま沙雪に手を引かれ、写真販売ブースへと連れていかれた。壁一面に貼られた来場者の写真の中に、雅也は自分と藍里の写真を見つけた。それはおそらく以前藍里と来たときにスタッフが撮ったもので、それが誰の手でこの壁に貼られたのかはわざわざ考えるまでもなかった。「スタッフの人が言ってたけど、あっちがカップル専用のフォトボードなんですって。私たちも貼りましょうよ」雅也が止めようとしたときには、沙雪はすでにそちらへ歩き出していた。慌てて追いかけたが一歩遅かった。沙雪は壁に貼られていた雅也と藍里の写真を乱暴に剥がすと、鋭い声で問い詰めた。「今日ずっとぼーっとしてたのって、藍里のことを考えてたからなの?」雅也は何度か唇を震わせた。何か言い訳をしようとしたが、結局言葉は出てこなかった。その沈黙は、図らずも肯定を意味していた。沙雪は怒りに任せて写真をビリビリに引き裂き、近くのゴミ箱へ叩きつけると、そのまま踵を返して立ち去った。デートはそれきり気まずいまま終わってしまった。雅也は地面に落ちていた写真の破片を拾い上げた。写真の裏には何か文字が書かれていた。それが藍里の筆跡だと雅也はすぐに気づいた。破片に残された文字は、ただ【藍里は雅也が好き】という言葉だけだった。雅也はしばらくその写真に見入り、長いこ
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第12話

その言葉を耳にした瞬間、雅也は全身の血の気が引いていくのを感じた。彼が沙雪と付き合うことを承諾したのは、異母兄が彼が愛人の子であることや母親の醜聞を再び持ち出してきたからだった。もしその件が世間に暴かれれば、十六歳のときよりもはるかに大きな打撃を受けることになる。どうすればいいかわからずにいたとき、現れたのが沙雪だった。彼女がすべてを食い止め、母親のあられもない写真をすべて彼の目の前で焼き捨ててくれた。あの瞬間、ずっと首元に突きつけられていた刃が、ようやく遠ざけられたのだと思っていた。だから彼は、沙雪に感謝していた。十六歳のとき、自分を救い出してくれたのは藍里だった。二十六歳のとき、自分の恥ずべき過去をすべて洗い流してくれたのは沙雪だった。だから選ぶ余地などなかった。だから沙雪の申し出を承諾した。けれど今、それらすべてが沙雪が異母兄と結託して仕組んだ罠だったというのか。逃げ道を塞いで、無理やり自分と一緒になるために。中にいる二人は外に雅也が立っていることに気づかないまま、話を続けていた。「あの人には絶対にバレない。一生知られることはないわ」雅也は沙雪のその言葉を聞いた瞬間、踏み出そうとしていた足を止めた。彼は扉の外に静かに立ち、自分の呼吸の音さえ抑え込んだ。自分の見ていないところで、沙雪がまだ何を口にするのか知りたかった。そして彼女は、その期待を裏切らなかった。「雅也を操るなんて思ったより簡単だったわ。十年の絆とか言っても、所詮あんなものよ。うちの父の力を少しちらつかせただけで、犬みたいに尻尾を振って、自分から十年の絆を切り捨てちゃうんだから」そこまで聞いて、雅也の呼吸が止まった。そうか。彼女の中で自分はそんな人間だと思われていたのか。雅也は荒く息をした。まるで溺れた人間が必死に何かへ縋りつくように呼吸を繰り返し、そのまま勢いよく中へと踏み込んだ。憎悪に満ちた目で、沙雪の方をまっすぐに見据えた。沙雪が物音に気づいて顔を上げたとき、その視線は真正面から雅也の目とぶつかった。いつもの柔らかな仮面を失ったその顔を前に、雅也は一瞬確信が持てなかった。これが本当に、少しわがままなお嬢様だと思っていた、あの沙雪なのかと。けれど、たった今耳にした言葉を思い返せば、すべてがあまりにも腑に落ちた。
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第13話

沙雪の言うことは間違っていなかった。雅也が今のこの場所に辿り着くまでには、数えきれないほどの苦難があった。だからこそ、権力を振りかざし、他人の人生を弄ぶような人間を、雅也は誰よりも憎んでいた。初めて沙雪に会ったとき、彼女が学長の娘だということはすぐにわかった。彼女が近づいてくるたび、雅也は最初は露骨な警戒心を抱き、心のどこかで嫌悪すら覚えていた。けれどやがて気づいた。彼女は、そういう傲慢な人間たちとは違うと。彼女には学問への純粋な探求心があり、一つの実験のために丸一週間実験室に泊まり込むこともあった。学長の娘という立場を鼻にかけることもなく、誰に対しても分け隔てなく接していた。沙雪は違う。そう信じ込んでいた。そんな彼女の姿に、雅也の心も次第にほだされていったのだ。けれど今、目の前の沙雪を見つめながら、自分がどれほど人を見る目を持っていなかったのかを、痛いほど思い知らされていた。自分を手放さないために、彼女は彼が最も隠しておきたかった過去を暴き、脅迫するという最悪の手段を選んだのだ。そして自分もまた、底抜けに愚かだった。こんな毒蛇のような女の罠に嵌まり、自分の手で藍里を手放してしまったのだから。雅也はもう、沙雪の顔を一秒たりとも見ていたくなかった。踵を返して立ち去ろうとしたが、沙雪に背後から呼び止められた。「雅也。今日ここから出て行ったら、明日には全部、学校中にバラすから。あなたのお母さんが愛人だったことも、あなたがその子供だってことも、証拠の写真ごと全部ね」雅也の足が止まった。信じられないという顔で彼女を振り返る。「……お前は本当に、反吐が出るな」その眼差しに宿るあからさまな軽蔑が、沙雪の胸を鋭く抉った。「違うわ。私は本当にあなたを愛してるの。それに、あなたも本当は藍里のことを重荷に感じてたんじゃない?もうあなたたちは、住む世界が違うのよ。学会にも連れていけないし、あなたの仕事に役立つ人脈だって、彼女にはない。あなたの隣に一番ふさわしいのは私よ、雅也。どうしてそれがわからないの?」けれど雅也は、もう彼女の戯言を一言も信じるつもりはなかった。彼女の姿を目にすることすら汚らわしいと言わんばかりに、冷酷に吐き捨てた。「よくもお前のような性悪女の言葉を信じたものだ。お前がこんなマネをしていなければ、
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第14話

沙雪は激しく動揺し、いつものお嬢様としての余裕は完全に消え失せていた。「雅也、私が悪かった。お願い、そのUSBだけは捜査機関に渡さないで。藍里さんにもちゃんと謝る。土下座でも何でもするから……お願い。あなたの言うことなら、何でも聞くから」涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、雅也の袖にすがりついて懇願した。けれど雅也は、床に這いつくばる彼女に一瞥もくれなかった。「沙雪。こうさせたのは、お前たちだ」彼はすがりつく手を容赦なく振り払い、沙雪を床に突き飛ばすと、一度も振り返ることなくドアを出て行った。雅也はそのUSBをすぐには提出しなかった。けれどその存在そのものが、沙雪にとって、刃物を突きつけられているような脅威となった。数日後、沙雪は妊娠検査薬に陽性反応が出たのを確認すると、歪んだ口元に狂気じみた笑みを浮かべた。彼女はその検査薬をバッグに忍ばせ、雅也の家の前で待ち構えた。「これ見て、妊娠したの」沙雪は検査薬を雅也の目の前に突き出しながら、まだ膨らんでもいない下腹部にそっと両手を添えた。雅也は突きつけられた検査薬を一瞥すると、底知れないほど暗い瞳で沙雪を見据えた。「今までのことは、もう全部忘れましょう。私は一人っ子なんだから、結婚すれば両親だってあなたのことを全力で支えてくれるわ。ねえ、もう一度やり直しましょう?最初から……ねえ、触ってみて?」沙雪は雅也の手を取り、自分の腹へ導こうとした。彼がすぐに払いのける素振りを見せないのを見て、彼女は、まだ望みがあると確信した。けれどその安堵は、次の瞬間に粉々に砕け散った。雅也は彼女の手首を握り潰さんばかりの力で掴み、耳元で氷のように冷たく告げた。「その子を産ませるつもりはない」言い終わるが早いか、背後に控えていた男たちが無言で動き、沙雪の両腕をねじ上げた。「ちょっと!離して!こんなことしないで!この子だってあなたの子なのよ!」沙雪は狂ったように泣き叫んだが、雅也は微動だにしなかった。「僕の子供を産むのは、藍里だけだ。お前の腹にいるものなんて、ただの肉の塊にすぎない」そう言い捨てると、雅也は男たちに沙雪を連れて行くよう命じた。そのまま彼女は無理やり車に押し込まれ、病院へ連れて行かれた。沙雪の必死の懇願も抵抗も、何の意味もなさなかった。結局は
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第15話

雅也の瞳には、微塵の同情も、感情の揺らぎすら浮かばなかった。「手を回して、すぐに火葬の手続きを進めろ」数日後、沙雪がICUで目を覚ますと、真っ先に視界に入ったのは傍らの椅子に座る雅也の姿だった。その凍りつく瞳に、彼女は息を呑んだ。恐怖のあまり、点滴に繋がれた身体がガタガタと震え出す。雅也の背後に控えていた男が、無言で二つの骨壺をベッド脇のサイドテーブルに置いた。沙雪の視線がそこへ向いたのを確認し、雅也はひび割れた氷のような声で告げた。「お前の両親の遺灰だ」両親の遺灰だと聞いた瞬間、沙雪は発狂したように取り乱した。「どうしてよ!お父さんもお母さんも、あなたにはあれだけよくしてくれたじゃない!なんで二人まで、こんな目に遭わせるの!?」沙雪は点滴の針を引き抜き、骨壺に手を伸ばそうとしたが、男に容赦なく取り押さえられた。そのまま乱暴に洗面所へ引きずり込まれ、彼女の目の前で、両親の遺灰はトイレの便器へと無惨に流し込まれた。「やめて!お願い、やめてえええっ!」沙雪は床へ押さえつけられたまま、両親の生きた証が水洗の音とともに下水へと消えていくのを、血を吐くような絶望を滲ませた目で見つめるしかなかった。衰弱した体に、この精神的拷問はあまりにも過酷すぎた。彼女は白目を剥き、そのまま意識の底へと沈んだ。後日、アシスタントが沙雪の容態を雅也に報告した。「医師によると、ショックで精神状態に異常が出ている可能性があるそうです」雅也の顔に、残酷な笑みが浮かんだ。「精神状態がおかしくなったなら、病院に入れろ」「触らないで!誰が触っていいって言ったの!」鉄格子のはまった閉鎖病棟で、沙雪は看護師たちが近づくのを怯えきった声で拒絶し、叫び続けた。看護師たちは表情ひとつ変えずに男性スタッフを呼び、彼女をベッドに拘束すると、鎮静剤を注射した。沙雪は獣のように暴れて抵抗しようとしたが、手足はベルトでしっかりと固定されていた。「何を入れたの!?やめてっ!」鎮静剤の効果で、沙雪の体からはみるみる抵抗する力が奪われていった。無力なまま、看護師たちが必要な薬を投与していくのを、ただ見ているしかなかった。今日の投薬がすべて終わり、薬効で意識がまどろみかけた、その時だった。「竹谷さん、先生の診断ではあなたの症状は『極めて
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第16話

再びこの小さな町に足を踏み入れると、藍里はどこか現実感のない感覚に包まれた。この場所だけ、十年前から時が止まっているかのようだった。街角の看板が少し変わったくらいで、町並みは記憶のままだった。夏子のネイルサロンに着くと、何年ぶりかの再会だというのに、二人の間にぎこちなさは一切なかった。顔を見た瞬間、どちらからともなく駆け寄り、強く抱きしめ合った。「どうして急に帰ってくる気になったの?」親友の無邪気な問いかけに、藍里は言葉を詰まらせた。不意に目の奥がじんと熱くなり、堪えきれずに涙がこぼれ落ちる。「藍里、どうしたの?」涙を見た夏子は、慌ててティッシュを差し出した。「栗栖にひどいことされたの?」堪えきれず、藍里はしゃくり上げながらこれまでのことをすべて打ち明けた。「あいつ、本当に最低ね!恩知らずにもほどがあるわ!あんたがあれだけ苦労して学校に通わせてあげて、自分だって大学に受かってたのに、進学まで諦めたっていうのに!西京であんなに苦労して、やっと生活が上向いてきたっていうのに、よくそんな仕打ちができるわね!」夏子は怒りを露わにし、語気はどんどん強くなっていった。対して藍里のほうは、むしろ落ち着いていた。「もういいの。全部終わったことだから。もともと、見返りなんて期待してなかったし。これからはここであなたと一緒にやっていかせて。迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね」夏子はすぐに答えた。「実はここも今、けっこう悪くないのよ。近々大きな企業が視察に来るらしくて、リゾート開発の噂もあるの。外の景色、あんまり変わってないでしょ?」藍里が頷くと、夏子は笑って言った。「ふふ、観光の目玉として残してるからよ。今、この町、観光でけっこう賑わってるの。暮らすにはちょうどいい場所だと思うわ」藍里はここで数日を過ごすうちに、この町が本当に居心地のいい場所だと気づいた。環境も良く暮らしのペースもゆったりしていて、西京での息詰まるようなプレッシャーもない。こういう穏やかな暮らしこそが、本当は自分に合っていたのかもしれない。藍里は素直にそう思えた。「前に二人で行ったあの神社、今は整備されて観光名所になってるの。今日は授与所がお休みみたいだけど、一緒に見に行かない?」藍里は夏子についてその神社を訪れた。山頂にある願
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第17話

前日雨に濡れたせいか、藍里は翌朝微熱があるのに気づいた。夏子の店には行かないことにした。薬を飲んで休めば治ると思っていたのに、頭の芯が鉛のように重くなっていった。ノックの音が聞こえ、無理をして体を起こしドアを開けようとした。けれど、外に立つ成樹の姿を見た瞬間、藍里はそのまま意識を失った。再び目を覚ましたときには、病院のベッドの上だった。「動かないで。点滴、まだ終わってないよ」成樹の声が聞こえ、藍里はゆっくりと首を巡らせて彼のほうを見た。「昨日俺を助けてくれてありがとう。先生の話だと、雨に長く打たれたせいで体調を崩して、熱が出たみたいだよ」藍里は差し出された水を受け取った。「こちらこそ、ありがとうございます」「お礼を言うのは俺のほうだよ。昨日、山を下りてる途中で急に胸が痛くなって……あのときあなたが現れてくれなかったら、助けが来る前に死んでたかもしれない。命の恩人だよ、忘れない」藍里はその言葉に思わず笑ってしまった。けれど成樹は、スマホをちらりと見た瞬間に表情を引き締めた。藍里を見る目に、わずかな迷いが浮かんでいた。「何か言いたいことがあるなら、はっきり言ってください」成樹は少し躊躇っていたが、やがて口を開いた。「先生の話だと、胃に気になる所見があって、精密検査を受けたほうがいいって言ってた」その様子を見て、その「何か」がどういうものなのか、藍里にはすぐに察しがついた。実のところ、それほど驚きはなかった。前回の健康診断でも胃の状態には気をつけるよう言われていたのに、ずっと放置したままだった。あの十年間、痛みを堪えることは藍里にとって日常の一部だったのだ。「そうですか」その淡々とした様子は、成樹の目には病状を受け入れられていないように映った。「大丈夫。俺がちゃんと治療を受けられるようにする」「いいです。自分のことは自分で何とかしますから」成樹は強く首を振った。「前に君に命を救われた。今度は俺が君を助ける番だ」藍里が拒むのを恐れるように、彼は付け加えた。「借りを作ったままにするのは、性に合わなくてね」藍里はこれほど率直な気遣いを向けられたのは久しぶりだった。目の奥が熱くなる。雅也のために多くのものを差し出してきたのに、彼から本物の真心を受け取ったことは一度もなかった
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第18話

雅也は力なく手を下ろし、かつて藍里と暮らしていた場所へと戻った。今、その家はすっかり改装され、当時よりもずっと立派になっていた。記憶をたどるように、雅也は裏庭の木の下へ足を運んだ。木にかかったブランコは傷んでいて、少し触れただけで剥がれかけた木片が落ちてきた。雅也は放心したようにブランコを見つめながら、自分と藍里の過去に思いを馳せた。このみすぼらしいとさえ言える家で、彼は人生で最も暗い時期を過ごした。庭の塀越しに、外からの噂話や罵倒、嘲りの声が絶えず聞こえてきた。何度も心が折れそうになったが、そのたびに藍里はそっと両手で彼の耳を塞ぎ、言ってくれた。「雅也、大丈夫。私がずっとそばにいるから」二人で過ごした十年間、振り返ればそこには必ず藍里がいた。最初の頃、藍里が自分を学校に通わせるためにバイトを三つ掛け持ちし、冬にはしもやけで真っ赤に腫れたその指先に、彼はそっと口づけを落とした。「藍里、必ず幸せにするから」時が流れ、その誓いは色褪せていった。暮らし向きが良くなった頃、彼は代わりに自分と藍里に向けられる周囲の陰口を気にするようになっていった。学歴もない、フリーターの女。彼には釣り合わない。そういった言葉の数々を、雅也はいつしか気にするようになっていた。彼は無意識に藍里が働く場所を避けるようになり、誰かが彼女を貶めても以前のように庇わなくなった。挙げ句には、藍里が差し入れてくれる物にさえ嫌そうな顔をするようになった。そこまで思い出すと、雅也はその場に崩れ落ち、苦しげに地面に両手をついた。「藍里、ごめん……本当に、ごめん」西京。「本当に毎日来なくていいのに。自分のことは自分でできるし、こっちには看護師さんもいるし」成樹はその言葉を聞きながら、テーブルに食事を並べる手を止めなかった。「わかってる。でも、そばにいたいんだ」彼の眼差しが熱っぽく、藍里は少し気まずくなって視線を逸らした。藍里は成樹の特別な感情に気づいていた。けれど彼がはっきり口にしないうちは、こちらから触れるのもためらわれた。そんな彼女の心境を見透かしたように、成樹はいつも以前の「命の恩」を言い訳にして接してきた。「明日は仕事で来られないかもしれない。ちゃんとご飯、食べるんだよ。もうすぐ手術だから、先生も栄養のあ
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第19話

「嫌ってなんかない!そんなわけないだろう……!」藍里は嘲るように小さく笑った。「そうね。あなたに私を嫌う資格なんて、なかったでしょうね」彼女は自分の両手を掲げてみせた。「あなたの学費を稼ぐために、真冬でも暖房のない厨房で、朝から晩まで皿洗いをしてきたの。一日中冷たい水に手をさらし続けて、おかげで今でも、冬になるとしもやけが痒くて痛むの。膝だって重い荷物を運び続けたせいですり減って、雨の日は特に痛む」腰の古傷も、手のひらのたこも、すべて雅也のためにどんな辛い仕事でもやってきた証だった。時々、鏡に映るみすぼらしい自分を見ては、彼の隣に立つ資格すらないんじゃないかと思うこともあった。自分が自分を卑下するのは構わない。でも、雅也からそんな目で見られることだけは、どうしても耐えられなかった。「十代や二十代の女の子が綺麗な服を着たくないわけないでしょう。でもお金を貯めるために、一着の服を七、八年も着続けた。冬だって、まともなコート一枚買うことすら躊躇った。体調を崩してもいつも我慢して、安い薬を飲んで済ませてきた。雅也、あなたはそれをずっと見てきたはずなのに、その苦労を少しでも心に留めてた?」「ごめん、藍里。僕が本当に間違ってた。後悔してる」その言葉に、藍里は小さく笑った。「ふん。『後悔してる』で済むなら、私だって言わせてもらう。あなたを好きになって、あのとき川から助けたことも後悔してる。何年も自分のことを後回しにして、あなたを学校に通わせるために必死で働いたことも、全部よ。私は、してあげたことをいちいち持ち出して、見返りを求めたいわけじゃない。でも、だからって私がしてきたことを当たり前みたいに受け取って、私の気持ちまで踏みにじっていいわけじゃないでしょう」藍里の顔に深い疲労の色が滲んだ。もうこれ以上、彼と関わり合うつもりはなかった。「他に用がないなら、私はもう行くね」雅也は引き止めようとしたが、喉元まで出かかった言葉は、最後まで形にならなかった。ただ、彼女が去っていく後ろ姿を静かに見送ることしかできなかった。手術を控えた夜、藍里はベッドに横たわったまま眠れずにいた。ドアが開き、忍び足で入ってくる成樹の姿があった。「しーっ。看護師さんに気づかれないように来たんだ。どうせ眠れてないだろうと思って
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第20話

成樹は藍里にすぐの返事を求めなかった。「無理に答えなくていいから。まずはゆっくり休んで。話はまた数日後でいい」数日の療養を経て、藍里は少しずつ流動食を口にできるようになり、顔色もずいぶん良くなってきた。成樹がお粥をスプーンですくい、息を吹きかけて冷ましながら言う。「熱いから気をつけて。ゆっくり食べて」藍里は彼の手首をそっと掴んだ。「成樹、話したいことがあるの」彼女は成樹の顔を見つめながら、これまで彼がしてくれたことの数々を思い返していた。毎日欠かさず届けてくれた花々。丁寧に作ってくれた消化に良い食事。手術の前後、行き届いた看病。どれもささやかなことばかりだった。けれど藍里の心を動かしたのは、そのささやかなことの積み重ねだった。これまでの日々が胸に押し寄せ、心の奥底に眠っていた種が芽吹こうとしていた。藍里は思った。自分はもう、燃え上がるような恋を求めているわけではない。それよりも、こういう穏やかな想いのほうが、ずっと心に残るのだと。「……本当に、私のことがそんなに好きなの?」「うん!」彼は迷いなく頷いた。「でも私、あなたより四つも年上よ」「そんなの関係ない」「私、長い間、ある人のことを好きだったんだよ?」「気にしない」成樹の熱を帯びた眼差しが藍里に注がれる。近づけば近づくほど、彼は臆病になっていくようだった。胸の高鳴りが響く中、彼は何度も頭の中で反芻した言葉を紡いだ。「藍里、好きだ。ただ藍里だから好きなんだ。他のことは関係ない。そんなことは何も気にしない」夏の風は少し熱を帯びていたが、なぜかそれが藍里の心に残っていた迷いをそっと拭い去っていった。彼女は言った。「付き合いましょう」成樹はそれから何日も興奮して眠れなかった。退院を間近に控えたある日、雅也が強引に病室へ踏み込んできた。この間ずっと、成樹が手配した警備の男たちに阻まれ、面会の機会すら得られなかった彼だった。警戒するように前に立ちはだかる成樹を見て、藍里は手を伸ばし、なだめるように彼の腕を叩いた。「大丈夫。そろそろ、ちゃんと話しておいたほうがいいと思うから」固く握られた二人の手を見て、雅也の胸に鋭い痛みが走った。「藍里、こいつとどういう関係なんだ?」「見舞いに来たって言いながら開口
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